1話 痛みの牢獄⑦
やっと主人公の個性を書けた。
「空……映…………?」
十数秒に渡るウェルデのラッシュが終わると、空映は地上二○メートルほどの高さから、一切の受け身も取らず、ぼろ雑巾の様に落ちた。
そしてそのまま、うつ伏せのまま動かない。
無論SEEDは展開されたままだが、操縦者がもはや無事でないのは誰が見ても明らかだった。
ピクリとも動かない空映に、カルスが色を失う。
バンッ!
「!」
すぐ近くで起きた音に肩を跳ねさせると、ウィンドルが空席の椅子を殴りつけた音だった。
「周祐君…………ウェルデ…………!」
自分の妹が、空映を手酷く痛めつけ、自分の用意した対抗策も機能しなかった。
妹を止められなかった不甲斐無さ。
対抗策を見破られた浅はかさ。
その結果、空映を傷つけてしまった自責の念が、ウィンドルを苛んでいた。
「こんなの…………相性が悪すぎたんだよ……」
そんなウィンドルの心中を慮り、カルスがウィンドルへ語り掛ける。
負けたのはウィンドルの策が機能しなかったせいではなく、そもそもの相性が悪かったのだと。
「空映じゃ……ううん、あんな機体じゃ、勝てなくて当然だよ…………。もっと、普通の……もっと違うアンテルヴァーレ(リーチ)の武器が使えたなら、空映だってきっと……!」
「おいおい、機体を用意したご本人の前でそれ言いまっかー?」
沈鬱な空気に似合わない、相変わらずふざけた口調の要の発言が頭に来て、カルスはつい怒鳴ってしまう。
『あなたがっ、あなたがもっとまともな機体を用意すれば、空映はここまで酷くやられずに済んだ! なのに何でそんな平気でいられるんですか!!? あんな滅茶苦茶な装備しかなくて、まともに加速機能も使えない欠陥品で戦ったら、どうなるかもその頭はわからないんですか!?』
「おいおい、ひでー言われようだなー」
しかし要は、つい母国語を使ってしまうほど激昂したカルスの怒鳴り声を浴びても、けらけらと笑うばかりだ。
その態度がまた、一層カルスの怒りを煽る。
「まったくもー、もっと周りを見て見なー? もーっとカルスちゃんより、たかくんに何かあった時に怒りそうな奴が何も言って無いじゃん?」
「え…………?」
そこでカルスは、シドがずっと黙ったままでいることに気が付いた。
空映が心配で落ち込んでいるのではない。むしろ、ずっと頬杖をついて、つまらないものを見せられている時の様に、大いに白けた態度だった。
「なぁ、カルス」
「う、うん」
「相性が悪いって…………そりゃ、お前が今言った通りなんだけどさ」
シドはそこで一旦溜め息を付き、
「そりゃ武器の相性に限った話で…………、この勝負自体は逆だな」
「え?」
「つまり…………」
試合場を見て、小さく「あーやっぱり……」と漏らしてから、シドは
「あのお嬢さんにとっては、最悪の相手だったな。この試合」
と、ウェルデの方を見つめて、ものすごく気の毒そうな表情を浮かべた。
その意味を理解できないまま、カルスが試合場を向くと、そこでは信じられないことが起きていた。
空映が動かなくなった後、ウェルデは勝利したにもかかわらず、苦々しい表情を浮かべていた。
ウェルデは元々、クラス代表の推薦枠を勝ち取るためにこの試合を持ちかけた。
しかしモールの一件があってからは、”痛み”の何たるかを理解しないまま偉そうなことを宣う愚民に、思い知らせるつもりでいた。
真の痛みとは何か、その痛みの前では、貴様の薄っぺらい我慢など何の役にも立たないことを。
だが、結果が出て見ればどうだ。
勝ちはした。試合が始まった直後こそ意表を突かれたものの、それを除けば終始自分が優位に立ったまま、一撃ももらうことなく勝利した。
その一方、自分にとって勝利より大きな意味を持っていた、空映を痛みで屈服させることに関しては、微塵も上手くいかなかった。
それどころか、これまでに空映ほどウェルデの与える痛みに耐え抜いた人間はいなかった。
最後の連撃は、確かに痛みによって空映を打倒したと言えるだろう。
痛みのあまり、途中で気を失ってしまったのだから。
だが、それでも最後の最後まで、空映の口からは望んでいた許しを乞う言葉を引きずり出せなかった。
そのことが、ウェルデの心に重苦しい影を落としていた。
これではあの男はまるで、自分と同じ痛みに屈しない人種みたいではないか。
違う。そんなことはあり得ない。
自分と兄を除き、そんな者が居てたまるか。
この世の人間はどいつもこいつも、痛みの前には情けなく屈し、人間性も放り捨てる愚民ばかりなのだ。
そうでなければ、自分のこれまでの行為が、あまりにも滑稽すぎる。
それだけは、認められない。
『おい、ハウタウト』
するとウェルデの機体に、交信が入った。
空気を読まないその声に舌打ちの一つも漏らしそうになるが、声の主が天影とわかっているため、ウェルデも丁寧に応対する。
『何でしょう、先生』
『何でしょうはこっちの台詞だ。どこへ行くつもりだ』
『どこへって……』
普段から滅茶苦茶な素行で知れ渡っているが、この期に及んで何を言っているのだこの教師は。
勝負はもう着いた。
確かに空映の機体はまだ戦闘続行は可能だろう。
だが、操縦者がもう気絶している。この場合もウェルデの勝利でいいはずだ。
そう言おうと思って、背後の空映を振り返った時だった。
空映は二本の足で、そこに立っていた。
『―――――――』
ウェルデは言葉を失った。
なぜ、立っている。なぜ、立っていられる。
もうウェルデの与えた痛みによって、体中の感覚が狂っているはずだ。
体中が焼かれると同時に、凍って腐り落ち、手足は切り刻まれたかと思えば破裂している。
それらの感覚が一気に生起し、身体をまともに動かすことすらできないはずだ。
『あなた、一体どうやって――――』
「…………」
その問いに、空映は応えない。
顔は伏せられて、表情が見えず、上体は頼りなくふらふらと揺れている。
恐らくもう、意識も定かではないのだろう。
「………………」
ウェルデはアリーナ中央に備え付けられた大型モニタに表示された、互いの機体の状態を確認する。
空映の機体のエネルギー残量は、残り41%。思っていたより残っていることに、ウェルデは意外さを感じる。
しかし考えて見れば、ありえる話だ。今回はあくまで模擬戦。
武器の火力は抑えられているし、空映の機体の防御性能がやや高めなことと、最後のラッシュの間は防御に専念していたことを考えれば、この数値は妥当ではあった。
それでもあと22%削れば、その時点でウェルデの勝ちだし、ウェルデの機体のエネルギー残量は90%以上ある。
何も恐れることはない。
『…………』
ウェルデは手にした鞭の、痛みを与える機能をオフにした。
これ以上痛みを与えては本当に殺してしまうかもしれないし、機体へのダメージだけ後は与えればいいのだ。
そう思い、地上加速で地を蹴る。
利き腕の右腕で威力の乗ったスイングをするために、ウェルデから見て左前方へと。そして慣れた動きで、鞭を振るう。
丁度威力の乗った先端部分が、棒立ち状態の空映を捉えるように。
その時だった。
『よっし、捕まえた』
『え?』
笑みを浮かべた空映がすれ違いざまに振るった刃衣が、ウェルデの振るった鞭を根元から斬り飛ばしたのは。
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!??」」」
予想だにしなかった反撃が決まるのを見て、観客席の生徒が歓声を上げる。
満員とはいかない人数であっても、その歓声にアリーナ全体が小さく揺れる。
「ど、どうやって、今…………!?」
「いや、そもそも動けるはずが……!」
歓声に飲み込まれて声が消えそうな中、カルスとウィンドルが戦慄する。
地上加速の速度を見切り、カウンターを決めたこと。
それ以前に、体中が激痛に襲われてまともに身動きできないはずであること。
「あーそーだ、貴族の坊ちゃん。君にひとつ朗報をやるぜ」
すると前方の席で、ウィンドルたちの方を振り返らず、ふんぞり返ったままの要が口を挟む。
「君がたかくんに渡した、専用の痛み無効化のパッケージだけどさー、んなもん最初っから使いようがねーのさ。たかちゃんの機体はそもそも、外部からの後付け装備は一切使えないし」
「え…………」
「お宅の妹がそのパッケージ対策をしようがするまいが、そもそもたかくんの方はパッケージを使えねーのさ。そういう設定にしてあるから。だからその点で、君が気に病む必要はないぜー」
「え、そんな、何で、そんな機体設定が…………?」
「そもそも」
要はウィンドルの言葉を遮り、これまで言いたくてたまらなかった決め台詞を、さも当たり前のことを言うかのように、さらりと吐いた。
「たかくんの機体に、ペインアブソーバなんざ付いてないのさ。ついでにオートリペアも付いてないから怪我も治せないぜー」
「「………………は?」」
カルスとウィンドルの声が、見事に重なった。
「つ、付いてないって…………」
「おー。だから鞭で叩かれてた痛みも、フツーに感じてるぜ。まぁSEEDの装甲で結構減衰されてはいるけどさー」
「な、何でそんな!? ペインアブソーバを付けるのは、義務のはずじゃ……!?」
「だって必要ねーもん」
「「ひつっ…………!?」」
「まー見てな」
要は二人の口元を人差し指で押さえると、その指で試合場を指した。
「すーぐにその理由がわかっからよ」
『くっ…………!?』
『あれ? 予定だと脇腹斬ってるつもりだったんだけど…………バレちゃってた?』
ウェルデが咄嗟に防御に回り、鞭を犠牲に避けられてしまったことで、やっぱ俺演技下手だなぁ、これで罰ゲーム確定かと、空映がぶつぶつ呟く。
それと対象に、ウェルデは焦燥に駆られていた。
『あなたっ……一体どうやって…………!?』
『いや特に何もどうしてないけど』
『くっ…………!』
どんな手品で痛みをやり過ごしたのかは知らないが、ともかくこの近距離はまずい。
懐に潜り込まれてしまった際の対処法もあるとはいえ、鞭で剣相手に僅か二歩分の間隔すら開いていないこの距離で戦うのは愚行だ。
そう思って、とにかく距離をとろうと、地上加速を使おうとした途端。
『はい待った』
『!?』
地上加速の寸前、まさに地を蹴ろうとしていた右足を切り払われ、大きくバランスを崩してしまう。
そしてその隙を逃さず、空映は流れるような動きでこめかみ、顎、鳩尾といった人体の急所へ切り払い、突きを入れていく。
これが生身なら、ウェルデは一回目の切りつけで死んでいただろう。
幸い模擬戦の火力では、たとえ刃を直接当てたとしても、切り傷は出来ない。
しかし衝撃はそのまま伝わる。
ペインアブソーバによってその衝撃もほぼ痛みを伴わないわけだが、それでも脳が揺らされることまでは防げない。
ウェルデは先ほどの空映の様に、視界が定まらない状態で、さらに滅多切りにされる。
(ま、まずい…………!)
ウェルデの機体は、SEEDとしては防御性能が低めな方に区分される。
一方空映の機体は、燃費、装備共にふざけているとしか言えないが、こうして唯一の戦える領域である近距離戦に持ち込んでしまえば、それもほぼ関係なくなる。
それまでの鬱憤を晴らすかのように、空映の剣は防御の覚束ないウェルデの機体に攻撃を加え続ける。
その今にも手折れそうな、倒れそうな見た目の貧相な体に似つかわしくない、的確で容赦のない連撃が雨あられと繰り出される。
これが、全快の身体だったら。もし空映が健康な体であったら、どれほどの威力が生まれていただろう。
自分は、その時本当に生きていられるだろうか?
そんな死の可能性を想起させるもしもの話を振り払うように、ウェルデは小さく頭を振る。
『ぐぅっ!』
攻撃の合間を縫い、ウェルデは必死に抵抗を繰り出す。
斬り飛ばされていない左手の鞭の長さを超至近距離専用まで縮め、肘鉄、膝蹴りも交えた体術で空映の連撃に穴を開けようとする。
元より近距離戦は苦手だ。
武器を持った相手に近づかれた以上、無傷で済ませようとは思わない。
決して少なくないダメージをこちらも負うことを厭わず、半ば捨て身ともいえる反撃を行う。
が、
『甘い甘い』
『!?』
だが、ウェルデの捨て身の攻撃は、難なく躱される。
空映がウェルデの二の腕辺りに軽く手を添えるだけで、肘鉄は出す前から封じられ、上半身の動きを阻害された状態では膝蹴りもまともに繰り出せない。
その手慣れた対処に、ウェルデは近距離ではもはや打つ手がないと悟る。
(だったら…………!)
ウェルデはこれでどうにかなってくれと半ば祈るような気持ちで、斬り飛ばされた右の鞭を再生させ、空映の身体に巻き付けた。
「!」
さすがに今まで存在していなかった武器がいきなり伸びて、死角から巻き付いてくるのは空映でも避け切れず、刃衣を持つ右腕を縛り上げられる。
そして一度触れてしまえば、ウェルデの鞭は凶器となる。
打ち付ける時と異なり、鞭から永続的に痛みを発生させる信号を繰り出す。
咄嗟に選んだのは、極低温による凍傷の再現。
ウェルデの右腕にかつて与えられたのと、同じ痛みだ。
しかし
『なんの』
空映は何事もなかったように、むしろ鞭で縛り上げられた右腕を引き、ウェルデの身体を思い切り引き寄せる。
そして空いている左腕で、渾身の正拳を放つ。
「あ、やば!」
『おげっ!?』
正拳はウェルデの胸を正面から打ち据え、肺の中の空気がすべて飛び出る。
「あっぶない、女の子の顔殴るところだった…………」
当の本人は殴る部位の修正に冷や汗をかいたのみで、今も右腕に走るはずの激痛を気にも留めていない。
『あ、あな、ゲホッッ! い、一体、どうやって…………!』
『え? あー、これ?』
空映は鞭がきつく巻き付いたままの右腕を、プラプラと振って見せる。
ありえない。
今も鞭が触れている右腕どころか、肩から上半身へと、激痛と共に体がどんどん凍り腐り落ちる感覚が広がっているはずだ。
『だからずっと言ってんじゃん』
空映は巻き付いた鞭がきつすぎて解くのを諦めると、まぁいっかと視線をウェルデの方へ向け直す。
『我慢すりゃいーだけだって』
「が、我慢って…………」
二人の会話は、拡大されて観客席にも放送されている。
その内容を聞いて、ウィンドルは絶句する。
「こないだ訓練中にあいつの右腕が脱臼して、その場で麻酔も無しに治してたの覚えてるだろ? あの時も、あいつペインアブソーバの類は一切使ってなかったんだぜ? 正気じゃねぇよなぁホント」
シドが遠い目で、悟りを開いたような表情でつぶやく。
「た、空映って、ひょっとして、痛みを感じない人だったりするの? えっと、ツーカクがないとか…………」
「いや、痛みは感じてるよ。ほら、さっきから汗びっしょりじゃん」
シドが手元の生徒手帳で数分前の映像を拡大すると、確かに空映の首筋からは、尋常でない量の汗が流れていた。
「で、でも、ゴーモンの痛みを再現してるんだよ!? そんな状態で、あんな戦い方が出来るわけ……」
「そこが、空映の凄いところ…………いや、こわーいところだな。詳しくは本人に許可とらないと話せないけど…………、空映はこの世の誰より痛みに慣れてる。種類を問わず、痛みに慣れなきゃ、とても生き残れなかったそうだ」
「「え…………?」」
「まぁ、なんだその、つまり…………」
絶句するカルスとウィンドルにどう説明したものか困るシドが、試合の方を指さし、苦しい話題転換を図る。
「痛みを武器にする人間にとって、空映は悪夢みたいな存在だよ」
『さすがに液体窒素で凍らされるってのは経験したことないなぁ、ドライアイスで似たようなことはされたけど。ちょっと毛色は変わるけど、雪の降る真冬に素っ裸で放られて、温めてやる名目で沸騰したお湯ぶっかけられるのはしょっちゅうだったな。なっつかしー』
『あ、あなた一体…………!?』
『ま、そんなわけで』
空映は刃衣を構え直し、
『痛みじゃ、俺は止めらんねーよ』
逃げきれずにいるウェルデの懐に、再び潜り込む。
『ぐうぅ…………!』
そして異様に慣れた動作で、近距離戦における主導権を渡さない。
ウェルデが徒手空拳で反撃を試みれば肩を押さえ、蹴り上げようとしている足を踏みつけることで、技を出す前から封じられる。
地上加速で逃げようとすれば、地を蹴ろうとした右足を派手に斬り付けられ、バランスを大きく崩されて加速の中止を余儀なくされる。
やることなすこと、全て先を読まれて潰される。
『くうぅっ……!』
しかしそれでも必死に距離をとるための手を打てるのは、流石と言ったところか。
ウェルデは左足一本でバランスも危うい中、片足の地上加速を行う。
これにより、一瞬空映との距離が開くが…………
『へい、お待ち』
空映がコンマ数秒と駆けず、ピタリと追従する。
空映の加具土は、その燃費の悪さからまず加速機能を使う場面がほぼないが、その実、いざ使用すればその速度はウェルデのインヴェイジョンを上回るスペックを持っている。
『ッ!』
「あ、それずるい!」
しかしウェルデもさるもので、一瞬で彼我の速度差を把握すると、今度は空中加速で距離をとる。
一回の速度で勝てないのであれば、加速回数で上回るだけだ。
やや急な方向変換となり、体中の器官が悲鳴を上げるが、これで空映との距離は稼げた。
空映の腕に巻き付けた鞭の回収はせず、新しい鞭を携え、再び二本の鞭を遠距離から古い攻撃に移る。
しかし空映は加速機能までは使わないものの、すぐさまウェルデの元へ一直線に向かう。
これにはウェルデも面食らうが、考えてみればそうするしか手がないのも事実だ。
恐らく空映は、試合が始まってから可能な限りクリーンヒットを受けるのを避け、防御に徹しきることで自分を焦らし続けてきた。
そしてその結果生じる、先程トドメのつもりで放った攻撃の様な、隙だらけで読みやすい攻撃を誘う気でいたのだ。
その唯一の隙を見出し、急接近し近距離戦に持ち込む。
そのために、体中を襲う激痛に耐え続ける。よくもまぁそんな狂気じみた手を遂行しきれたものだと思う。
だが、その目論見は成功したものの、とどめを刺しきる前にウェルデにはこうして逃げ切られてしまった。
となればウェルデはもう空映が近づくのを許しはしない。
結局、こうして鞭の弾幕を潜り抜けることを試みるしかないのだ。
(そちらももうすべての手札を晒したはず! 後は遠距離戦に徹すれば、勝手にエネルギー切れになってそちらの負けです!)
ウェルデは必死で持てる力の全てを鞭のコントロールに注力し、空映を近づけさせまいと両腕を振るった。
だが、
ガガガガガガガガガガガガ!
(!?)
全ての鞭が、空映の機体を捉える。
しかし、そのすべてを寸前で逸らすかいなすかされ、まともな打撃として機能していない。
空中を飛ぶ蚊を片手で叩いたとしても、蚊は少し宙でよろめくだけで落とすことは出来ない。
それと同じように、空映は鞭を防ぐたびに体勢を少々崩すだけで、速度をほぼ落とさずにこちらに向かってくる。
(だったら!)
ウェルデもこれを受け、すぐさま振るう鞭の軌道を変更する。
あえて逸らしやすそうな軌道で空映に鞭を逸らさせ、その直後に先端の軌道を急転換。無防備になった空映を打ち据える。
だがそれも
『いやいや、流石に俺も学ぶよ』
空映は一撃を逸らし、続く二撃目も受け止める。
最初から、全ての動きを見切っていたように。
『な…………!?』
『そう驚くことでもないでしょ。毎回同じ軌道で戻ってくるんだもん』
自分の振った腕の力を伝えることで鞭を動かすときとは異なり、収納してあった鞭の持つ速度を利用して独自に動かす場合、鞭の軌道は大きく制限される。
まず複数回に分けて鞭の収納・具現化を繰り返した場合、その度に鞭が進む方向を設定し直さなければならない。
大きく相手を迂回して背後に回り込むような動きは、鞭の持つ速度・勢いがどんどん消費されてしまい、威力が途中で大きく減衰してしまう。
しかも鞭を具現化する回数が多いほどその軌道は連続ではなく、点在する形になるため不自然になり、制御もしにくい。
その制御に気を取られ、他の鞭の部位にも悪影響を及ぼしかねない。
結局、鞭を一部だけ独自に動かすのであれば、相手が攻撃・防御・回避の動作をしたその直後に急ターンするのが最も効率もよく、制御もしやすいのだ。
だからこそ、その動きを何度も見た空映はそのワンパターンな攻撃を防げるようになった。
(ならば!)
わざわざ何故防げたかを述べた、空映の不用心さにしめた、と思い付く。
ウェルデは空映が今防いでみた、動作後に急転換して戻ってくる軌道の攻撃を、あえて二発、三発と繰り返し、それらをすべて防がせる。
そして、四発目。
(ここ!)
急ターンしてきた鞭をわざわざ切り落とすことで、もうその手は通じない、と言外に告げてきた空映に、さらなる鞭の具現化・追撃を見舞う。
一度の追撃でダメなら、二度追撃する。
速度と勢いを保ったままの鞭のストックなら、いくらでもあるのだ。
二度の攻撃を躱し、鞭を切り落とした空映は隙が出来た姿勢のまま彼我の距離を詰めようとしている。
これなら、クリーンヒットで攻撃が入る!
だがこれも、
『そりゃ来るとしたら4回目か5回目だよね』
死角からの追撃を、空映は見ないまま躱して見せる。
渾身の策を容易く見破られたウェルデは、飛行移動から気を逸らしてしまい、大きく距離を詰め寄られる。
『くっ!』
空映との距離が六メートルを切ると、ウェルデは再び空中加速で無理やり距離を稼ぐ。
『何で、見もしないで…………!?』
『そりゃ次に君が打って来そうな手と言ったら、更に鞭を継ぎ足して追撃回数増やすか、鞭の出し入れ回数を増やしてさらに読めない軌道で振ってくるかでしょ。どっちにしろ、バレないように布石を打っておきたいから、わざとらしく同じ攻撃を2,3回くらい繰り出してからってことくらい素人でも簡単に分かる』
空映は口元を綻ばせながら、自分の読みが合っていたことに実に嬉しそうな表情を浮かべ、そのままウェルデ目掛けて再び突進する。
『くぅ…………!』
『普通の鞭も、そろそろ見切れるようになってきたね』
ウェルデが下手な搦手は通じないと悟り、基本に忠実な、速く・鋭く避けにくい攻撃を放つ。
だがそれも、これまでのように防御・回避にさしたる労力もかけていない様子で、空映は難なく防ぐ。
それにより、ウェルデとの距離を縮める時間も、飛躍的に縮まっている。
『うんうん。久々に体が思い通りに動く感じ』
『そんなっ……!』
十五秒とかけずに再び彼我の距離を詰められてしまったウェルデは、再び空中加速で距離を稼ぐ。
その際、加速による勢いを乗せた鞭の死角からの攻撃も、空映はウェルデが攻撃を放つ前から、攻撃がやがてどこにやってくるかも分かり切った様子で避ける。
自分の出せる最高速度の攻撃を避けられ、ウェルデの顔から血の気が引く。
『さて、加速もあと残り3回だね』
『!』
インヴェイジョンが空中加速を続けて出せるのは、七回が限度。すでに空映から逃げきるために、四回の空中加速を行ってしまった。再び加速機能を使うには、一度大きく減速した状態でエネルギーの充填をしなければならない。
そして空映は、あと一回の空中加速を残している。
だがこれまでの追撃から考えて、その一回を用いずとも、残り三回のウェルデの加速を使い切らせることは可能だろう。
自分の勝利への道が、完全に閉ざされたような感覚に陥る。これが日本語で言うところの、『詰む』ということだろうか。
絶望する間もない。空映は恐ろしい速度でこちらへ向かってきている。
その恐怖から逃れたくて、ウェルデはとっさに空中加速を用いてしまう。あと、二回。
『くっ…………!』
ウェルデは最早すがる思いで、これまで用いてこなかった種類の攻撃を繰り出す。
まずは威力の乗った鞭の先端に注意をひきつけ、空映に当たる寸前で鞭の長さを数メートルだけ継ぎ足す。
こうすることで、鞭の進む向き・勢いは保たれたまま、鞭は幾分かの長さを持ったまま空映にぶつかる。
威力は先端を当てた時に比べて激減するものの、継ぎ足した分の鞭が、空映の身体を絡めようと急速に巻き付く。
一度体に大きく鞭を巻き付けてしまえば、その鞭をSEEDの膂力で振り回せ、かつ鞭の長さも変えて遠心力も載せ放題のウェルデが有利だ。
だがそれでも
『あっぶね』
『!』
鞭の長さが変わったとみるや、空映は咄嗟に急上昇し、胴体に巻き付こうとしていた鞭から逃れる。
『苦し紛れで打つ手じゃないでしょ、それ。こちとらそれが怖くて、試合が始まってからずっとビクビクしてたのに』
そう。鞭の恐ろしい点には、単に避けにくい、痛みを与えやすいことの他にも、一度巻き付いたら身動きを封じた上で振り回されることがある。
これが生身の人間同士の戦いなら、胴体に大きく鞭を巻き付けても、体勢を崩されるだけで済むだろう。しかし、相手にしているのはSEEDだ。
鞭で巻き取った相手が、重さ数トンの岩だろうと、片手のスイングだけで振り回せる相手だ。
そんなものに捕まれば、同じSEEDとて只では済まない。
だから空映は、自分に優勢になったこの場面でも、常にその攻撃を恐れていた。
この流れでも、相手にされたら困ることを忘却されていない。
優勢であろうと雑にならないその戦い方に、ウェルデは今度こそ打つ手が無くなる。
先端で叩きつける攻撃と異なり、相手を巻き取る攻撃は連発が利かない。
これまで、たった二本の鞭が十数本にも見えるような激しさでスイングできたのは、毎回毎回その長さを最適な長さに自分で調整できたからだ。
しかし相手を巻き取りたいのであれば、先端がちょうど相手の身体に届くより余分な長さが必要になってくる。
最適から余分な長さを持った鞭を二本同時に振るうことは、ウェルデの技量をもってしても難しい。
下手をすれば鞭同士が絡まるという惨事に繋がりかねない。
それでも、万が一の起死回生に賭けて、巻き取るためのスイングを行いかけてしまう。
ギリギリのところでその甘い希望に縋りつくのを止められたのはさすがだが、その隙を見逃してくれるほど、空映は甘い相手でもない。
『そこだ!』
『!?』
残り二回の、空中加速。あろうことか空映は、その逃げ出す軌道まで読み切り、すれ違いざまに切りつけて来た。
ペインアブソーバにより痛みは感じないものの、猛烈に不快な痺れが切り付けられた足に走る。
(い、今のは…………!)
ウェルデが加速し始めた時、空映はすでに刃衣を振るモーションに入っていた。
つまりそれは、ウェルデの逃げる方向・タイミングの両方が分かっていたということだ。
如何にSEEDでも、加速機能を使っている最中の相手を正確に捉えるのは難しい。
しかも自分は加速していないとなればなおさらだ。
つまり空映は、ウェルデの動き・行動を正確に把握していたのだ。
そのことに、ウェルデは更に胸の中が冷水で満たされたような感覚に陥る。
ウェルデが自分の機体の長所を知ってから今日まで、初見でウェルデの鞭を見切った人間はいなかった。
ウィンドルのような、頻繁にウェルデと訓練する人間ですら、試合形式になり全力で振るうウェルデの鞭を見切った人間はいなかったのだ。
それが、十五分足らずでこのありさま。
王道手も搦手も悉く見切られ、もはや意味をなさない。
(何なのですこいつは!?)
試合が始まってから今まで、空映の動作に、神懸って速いものはほぼなかった。
寸でのところでウェルデの鞭を躱し、防ぐ際の動作速度は中々だったが、軍人の巣窟であるこのプランターなら、あの程度の反射神経を持つ者はざらにいる。
だが、その並程度を出ない域の速さで、空映はウェルデを追い詰めている。
理由は明らかだ。
ウェルデの打つ手が悉く読まれているからだ。
確かにウェルデは最初に空映が倒れるまでの間に、不用意に自分の癖や方向性というものを晒し過ぎたかもしれない。
だが、たったの十分かそこらだ。
それだけの情報を基に、こんな数分の間に大逆転を演じきれるものなのか。
『力押しって手も無いわけじゃなかったんだけどね』
『!』
するとそのウェルデの困惑すら見透かしたように、空映が語り掛けてくる。
『見ての通り、体がボロボロでろくな動きが出来ないからさ。君の癖とか、全部見切ってから安全に勝とうって、チキンな手をとっちゃったよ我ながら』
こちらの頭の中まで見切ったその言葉に、ウェルデは今度こそ、純粋に空映に対して恐怖を抱く。
『…………何なんですの、貴方……!?』
『さぁ? 栄養失調気味な、ただの同級生じゃない?』
ゴォ! と、空映がウェルデ目掛けてやってくる。
だが、ウェルデはその場に釘付けになって動けない。
(右? 左? どっちに逃げれば? どう攻撃すれば!?)
逃げるという選択肢。迎え撃つという選択肢。
その全てが見切られているのではないのかという恐れに、体が雁字搦めにされる。
鞭という変幻自在な、多彩な角度からの攻撃を出せる武器を持っていることが、かえってマイナスに作用してしまう。それらすべてを見切られたとなれば、敵への畏怖といった精神的なショックもまた大きくなる
そうして迷っている間も、時間は止まらない。空映はウェルデ目掛け、刃衣を振り下ろす。
『はい勝ち』
ビイィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイ!!
それと同時に、試合場にアラームが鳴り響いた。
何だコイツ、急にイキリだしたぞ。
勝手に動かないでくれ物語の中のキャラ達……