恋話と少女
血に塗れた少女は不愉快そうに表情を歪めると袖口で涙の跡を拭った。
しかし、袖口は先程吹き出した血によって濡れていたため、涙を拭うどころか逆に少女の顔が血に染まる。
血のべたりとした感覚に少女は不愉快極まりないと言った顔で叫ぶ。
「最悪!顔が真っ赤になってそうだわ!」
頰についた血を指で拭って騒ぐ少女へ少年が冷たく言い放つ。
「そんな間抜けな事をしていないで早く片付けて下さい。こうして立っているのも面倒なので」
少年は自分たちのテーブルに乗っていたティースタンドやティーセットを曲芸師のようにして持っていた。
「わざわざ避けなくても一回片付ければ良かったじゃないの」
少女は血だらけの両手をこすりながら不満げにそう言うと、三回連続で両手を叩いた。
乾いた音が響くたびに血は跡形もなく消えていき、テーブルや少女の衣服も真っ白に戻っていく。大量の血の跡が嘘のように消えると同時に、漂っていた血液特有の生臭さや鉄臭さまで無くなった。
「視線を一点に集中させるため、物音を立てないよう配慮したつもりだったのですが」
無表情な少年が不満げに呟きながらティーセットをテーブルに戻していく。
「あら、そうだったのありがとう」
おざなりな礼を口にすると少女は再び椅子に座ると楽しそうにティースタンドに乗っている食べ物を見る。すでに少年への興味は失せ、次に食べるものを吟味しているようだった。
「本当はお行儀良くないのだけど…。別にマナーを気にする人も居ないし、いいわよね」
そう言うと少女は下段の奥の方にあったほうれん草とベーコンのキッシュを取る。
少女がナイフとフォークを手に取ると聖女が小さく悲鳴を上げた。たしかにナイフは先程の使ったものだが、今は血も付いていない綺麗なものだ。少女は聖女を無視してキッシュを食べ始める。
「な、なにをのんびりと食事を再開しているんです!」
いきなり叫んだ聖女へ少女は口を動かしながら視線を移す。聖女は顔が真っ青になっており、わずかに震えていた。
少女はキッシュを飲み込んでから小さく首を傾げる。
「なにか問題でもあったかしら」
「むしろ何故そんなに落ち着いているのです!?先程あんな…」
そこで聖女は血に塗れて叫ぶ少女を鮮明に思い出してしまったらしく青かった顔を白くした。
吐き気がこみ上げてきた聖女は両手で口元を抑える。
「いきなりスプラッタな光景を見せた事は謝るわ。でも口で説明するよりよっぽど説得力があったでしょう?」
スプラッタという聞き慣れない単語に疑問を抱きつつ聖女は叫ぶ。
「まずは説明してからでも遅くはなかったと思います!」
「そうかしら?あなたは私をあまり信用していないようだったし説明しても信じてもらえないと思うわ。だから、見てもらうのが一番だと思って痛いのも我慢したのに…」
ナイフとフォークを手にしたまま少女が悲しそうに目を伏せる。
聖女は言葉に詰まった。実際、聖女は少女の事を信用していないため、口で説明された所ですぐに信じる事はなかっただろう。
だが、一言くらいあっても良かったのではないか。切るにしても、あんなに深くまで切りつける事はなかったのではないかと、そこまで考えた所で聖女は再び青ざめる。
少女がそんな行動をとった理由を思い出したからだ。
「まさか本当にあの杖は…」
震える声で呟く聖女に少女は微笑みかける。
「言ったでしょう?身体を切り離して作ったって」
王子から渡され大切にしてきた杖が目の前の少女の身体の一部分から出来ていた。その事実に少女の顔色が再び白くなり、こらえきれず聖女は嘔吐した。
えずきながら涙をこぼす聖女に少女は冷たい目を向ける。
「本当に知らなかったのね…」
呆れたような口調でそう呟くと少女は両手を叩く。
すると聖女の吐瀉物はきれいに消え、テーブルに水の入ったグラスが現れた。
「落ち着いたらその水でも飲むと良いわ。気分が悪いなら吐けるだけ吐いて」
少女はそれだけ言うとキッシュを食べることを再開する。
静かに食事をする少女と未だえずいている聖女を見て、少年は呆れた視線を少女へ向ける。
「…よく食べれますね」
「美味しいわよ?」
口をもぐもぐとさせながら答える少女に少年はため息を吐いてみせると自分もキッシュを取った。少年はナイフとフォークを優雅に使いキッシュを食べているが表情からは美味しいのかどうかは分からない。
えずいていた聖女は荒い呼吸のまま顔を上げるとテーブル上の水をゆっくりと飲んだ。
水はほのかに甘く、適度に温いため吐いた後の胃に染み渡るようだった。水を飲み終えると聖女は息を深く吐く。
「…見苦しい所を見せてしまい、申し訳ありません」
そう言って頭を下げる聖女へ、少女はナフキンで口元を拭うと笑いかけた。
「気にしないで、むしろ知らずのうちに他人の骨を持ち歩いていたとしたら気分が悪くなるのも分かるわ」
聖女は俯いたまま何も言わない。
「…さて、先程の続きでも話しましょうか」
少女の言葉に聖女が顔を上げた。未だ白いその顔からはまだ休憩くらいさせて欲しいという気持ちが伝わってくる。
少女は聖女のそんな気持ちを無視して話し始めた。
「強力な神力を使えるはずなのに上手く使う事の出来なかった私に、杖の作り方を教えてくれたのも第三王子だったわ」
キッシュを食べ終えた少女はキッシュの乗っていた皿を床へと捨てた。
聖女は皿が割れると思い身を縮こまらせたが皿は割れること無く床へと吸い込まれていく。
「最初は一般的な木や動物の骨等で出来た杖を持ってきてくれたのだけど、私の扱える神力の大きさに耐えるようなものはなかったの。どれも小さな爆発を生み出して消えていったわ」
少女はその時の事を思い出したのか身体を小さく震わせた。
「第三王子達は安全な場所に居て私だけが爆発に巻き込まれていたわ。杖が爆発して周囲が落ち着くまで遠くに居るの。そして、気絶している私を回収するのよ」
冷たい目をして遠くを見つめる少女を、聖女は見つめる。
「その時は運が良かったから毎回軽症で済んでいたと思っていたのだけど、今から考えれば怪我を負っても第三王子達が来るまでにある程度治っていただけね」
少女は苛立ちをぶつけるように、鼻を鳴らした。
「木やただの骨では私の扱える神力の大きさにに耐える事は出来ない。耐えられるのは私くらい…」
少女はぶるりと身震いすると両腕をさする。
「『私が君の手足となるからどうか耐えてくれ』」
鳥肌の立った両腕を少女は必死にさすり続ける。
「そう言われて私は左腕と左足を第三王子に差し出したのよ」
自身を抱きかかえるようにした少女はかすかに震え、聖女は目を見開いた。
「切り落としたのは第三王子付きの騎士で、ここで犠牲になった一人だと思うのだけど…」
少女は奥歯を一度噛みしめる。怒りからか瞳が爛々と輝いていた。
「あの気の小さい男は今まで人なんて切ったことがないものだから最悪だったわ!関節を狙えば一発で落ちるはずなのに震えているから狙いが定まらなくて何度も何度も斧を振り下ろされた!すごく…すごく痛かったわ!きっと私でなければ死んでいたでしょう。だと言うのにあの男は私が生きていたのは切り落とした自分の腕が良かったなんてものすごい勘違いをしてみせたのよ!本当に最悪!」
荒い呼吸になった少女は言葉を一旦切ると、自身を落ち着けるように深呼吸を一つした。
そして温くなった紅茶を一気飲みして、八つ当たりのようにカップを放り投げる。
聖女は飛んでいったカップを思わず目で追う。床に落ちたはずのカップが割れる音はしない。
「結果として私は無事に生きていて、しかもしばらく経ったら腕と足も生えてきたのだから第三王子はとても驚いていたわ。杖の制作に学者や神力使いも協力してくれたけど私はあいつらも大嫌い。だってまた生えてくるなら杖をもっと作ってみようとか言うのよ?冗談じゃないわ」
少女の話を聖女は信じられないという気持ちで聞いている。とても優しかった彼らがそんな事をしていたとは到底思えなかった。
「それでも第三王子は当時の私にとって唯一の拠り所だったから第三王子から離れようとは思わなかったわ」
少女は大きくため息を吐いた。その目には呆れの色が見て取れる。
過去の自分に呆れているのだろう。
「当時の私は第三王子に心酔していたの。第三王子が居ないと生きていけないし、第三王子が私の生きがいだと心底思っていたわ。今なら、記憶のない私を第三王子が都合よく洗脳しただけであると思っているけれど」
少女は聖女と目を合わせた。
少女の黒い瞳に聖女は身を縮こまらせる。
「恋人であるあなたには悪いけど、第三王子は最低な男よ」
少女と目を合わせたまま聖女は唾を飲み込む。喉がカラカラに乾いて呼吸がしにくいと感じるほどだった。
聖女は震える手でカップを取ると冷めた紅茶を一口飲んだ。最初に飲んだ時には感動するほど美味しかったのに、今は何の味も感じない。
「さっきまでの話から分かるように第三王子は私の事を人としてではなく物として見ていたわ。罪人だからというだけでね。…あなたもそうなのかしら?」
少女が口の端を持ち上げて笑みを浮かべる。目が全く笑っていないのでその笑みはひどく歪んで見えた。
「髪や目の色、肌の色が違うというだけで罪人と決めつけて。人としてではなく物として扱う。そんな人なのかしら?」
「そんな事は…」
「少なくとも、あの国で暮らして居たのであれば罪人達を使っていたのでしょう?」
少女の視線から逃げるように聖女は下を向いた。
「神力を多く持っている罪人達を閉じ込めて無理やり神力を搾り取って豊かな生活を送っていたのだものね?」
責めるような少女の口調に、聖女は震える唇を噛んで涙をこらえた。
「平和に暮らしていた罪人達を強制的に眠らせて収容して、国の神力の備蓄を増やした功績で第三王子は爵位を貰ったのだもの。国は神力が潤沢に使える様になったおかげで生活が便利になったはずよ。そして罪人達の管理が第三王子から国へ、第二王子に移ったときに反乱は起こった」
少女は優しい声音で聖女に向けて話しかける。
「ねぇ、反乱の責任をとったのは誰だったかしら?」
涙目の聖女は上目遣いで少女を見る。目があった少女はニンマリと笑った。
「そう、国の支えとなっていた第二王子よ。今まで問題なく収容されていたはずの罪人達が、管理する人が変わった途端にそんな事になったんだもの。誰だってそいつのせいだって思うわよね。神力だって今までのように使えなくなったから国は衰えたし、生活だって不便だった昔に逆戻り。贅沢な暮らしをしていた人たちへの不満の槍玉に上がったのは優秀な第二王子様」
少女は歌うように語った。
聖女は何故、少女がこのような話を聞かせてくるのか分からなかった。時折混じる、責めるような口調によって少しずつ心が削られるのを感じた。
「第一王子だって無事ではすまなかったわよね。罪人の管理を国がするように提案したのは彼だったもの。そして反乱が起きた時に素早く対策を練って王や王妃、民を逃して事態を沈静化させたのは誰だったかしら?」
聖女は目を見開いた。震える下唇を噛んで止める。
「第三王子よね?当然の結果でしょ。今まで管理出来ていたのは定期的に私が神力を回収して罪人達を常に弱った状態にしていたんだもの。反乱だって起きる事が分かっていれば対策なんていくらでも出来るわ」
ニコニコと少女は笑顔のまま聖女を見ている。
「誤算だったのは私が反乱を期に居なくなってしまった事でしょうね。でも悪知恵の働く第三王子はそれすらも自身をよく見せる材料に変えてみせたわ」
少女は右手を胸に当てると芝居がかった低い声を出す。
「『此度の反乱は全て人類に歯向かう罪人達がない知恵を必死に絞り出した結果のものだ。失ったものは多く、得たものは何もない。しかし我々には罪人達にはない知恵がある。今こそ一致団結し貴族庶民関係なく生きていくすべを探していく時。立ち上がるのだ民よ!生き延びた私達にとって、生きていくのはもはや使命だ!』」
胸に当てていた手を少女は力強く前へ突き出した。
「『恥じる事ない生き方をすると、今まで共に歩んできた亡き友に私は誓う!』」
高らかにそう叫ぶと少女はチラチラと隣の少年を見る。少年は少女の視線に気がつくと瞬きを数回し、何かに気がついたようにぽんと手を打つと指を鳴らす。
少女の目から涙が溢れた。
凛々しい表情で前を向き涙を流す少女を聖女は唖然と見つめる。
「…反乱を収めた王子の演説よ。どう?似てたかしら?」
少女の言葉に聖女はハッとした表情になる。
「共に歩んできた亡き友とはよく言ったものよね。そう言った事で噂好きな方々が活躍した第三王子の周囲を勝手に調べて勝手に美談を作っていくのだから」
聖女は唇を震わせて、軽く目を閉じると何かを呟き始めた。
「王子は英雄と旅をして杖を見つけ、多くの罪人達を捕獲。今までは庶民にはほとんど来なかった神力の恩恵を市井にまで行き渡らせた」
力なく呟いているそれは市井に伝わる王子の英雄譚である。少女は軽く頷きながら茶々を入れつつその呟きを聞く。
「杖は見つけたのではなくて作った物だけれど、旅をして罪人達を捕獲したのも神力を市井に行き渡らせたのも本当ね。市井の皆様を思っての事ではなく名声のためだけど」
くすくすと笑うその声に眉を顰めつつ聖女は呟き続ける。
「罪人のように強欲な王族は神力を独り占めする事を目論むも結果として罪人達の反乱を生んだ」
「元々神力の管理は王族の仕事よ。反乱は第三王子がわざと起こしたものね」
「…王子と英雄の活躍によって反乱は収まり国には平和が訪れる。しかし、その反乱によって英雄は命を散らした」
「散ってないわ、逃げ出しただけよ」
少女のあっけらかんとした声に聖女は目を開くと思い切りテーブルを叩いた。大きな音がしてカップが倒れる。
「嘘です!!!」
溢れた紅茶が膝を濡らすのも気にせず、顔を真っ赤にした聖女は少女を睨みつける。
「そんな話信じません!全部、全部嘘です!」
少女は目を瞬くと首を傾げた。
「嘘じゃないわ。私があなたに嘘をついた所でなんのメリットもないもの」
「私から王子への愛を枯らすためでしょう!?」
聖女の剣幕には動じず、少女はゆっくりと微笑む。
「どうして?」
「貴方が未だに王子を諦める事が出来ないから、私が王子の愛を受けているのが気に入らないからです!」
「違うわ、どうしてあなたの愛が枯れるの?」
ビクリと身体を揺らした聖女はそれでも少女を睨みつける。
「先程の話が本当の事であれば、あなたの愛は枯れるのかしら?」
微笑む少女を聖女を奥歯を噛み締めながら睨み続ける。
「あなたの愛はその程度、もしくは今の話を信じてしまっているのかしら?」
「信じてない!」
聖女は椅子から立ち上がろうともがくが、椅子は身体とくっついているため立ち上がる事は出来ない。無理やり立ち上がろうとした聖女は椅子ごと倒れてしまった。
横向きに倒れた聖女は下から少女を見上げるようにして睨んでいる。
「嘘だ!嘘つき!全部、私は信じない!」
髪を振り乱して叫ぶ聖女を見て少女はテーブルに肘をつくと少年の方を見た。
「ねぇ、前に言ってた王子と聖女の恋の話聞かせてくれない?」
「今ですか?」
通算何杯目か分からない紅茶を飲んでいた少年がそう言って目を瞬く。
「えぇ、そうよ。でもフルエピソードじゃなくて簡潔、簡単にお願い」
「…かしこまりました」
少年は倒れたままの聖女をチラリと見てから、少女へ慇懃に頭を下げると空咳を一つした。
「ある日王子は市井へとお忍びで出かけました。彼は英雄の代わりになる人物を探していたのです」
朗々とした少年の声が部屋に響く。
聖女は何とか起き上がろうと椅子をガタガタと言わせていた。
「英雄と呼ばていた人物は世間には全く知られてしませんが濃い髪色の罪人でした。人の目があったため王子は英雄にいつでも大きめのローブを着せて目深にフードを被らせてたためこの事実を知っているのは一部の人だけです。
その英雄が使っていた杖の後継者を探すために王子は市井に出ていたのでした」
「今度は何を聞かせる気なの!?」
起き上がる事は諦めたのか聖女が床に椅子とともに寝転がりながら叫ぶ。
少年が続けてもいいのか視線で少女に訴えると、少女は同じように視線で少年へ話を続けるように促す。
「英雄の使っていた杖は神力を集めて行使する能力を持っていましたがその能力ゆえに使う人物の神力を奪ってしまうという難点がありました。
そのため、神力をある程度使える人物がその杖を使うと弱ってしまうため神力の使えない人物を探して居たのです。
そこで王子は聖女と呼ばれる美しい乙女と出会ったのです」
少年のその言葉で、この話が誰と誰の事を言っているのか理解した聖女は目を大きく見開く。
「乙女は神力を全く使うことが出来ませんでした。
しかし、代わりに人々を手ずから治療して回っていたので聖女と呼ばれ絶大な人気を誇っておりました」
「止めて!」
床に頬をつけたまま聖女が少年に向かって言った。
少年は聖女の言葉など聞こえなかったように話し続ける。
「聖女を見つけた王子は喜びました。
杖を使える素質を持っているだけでなく、人望まである人物を見つけたのですから」
「違う!違います!王子と私は偶然出会ったのだから!そんな打算的な思いなんてありません!」
叫ぶ聖女を少女は面白い物でも見るように眺める。
「王子は偶然を装って聖女に近づきました。
軽くぶつかって会話をする、市場で同じ物を手に取る、わざとハンカチを落とす、暴漢に襲われそうになっていた所を助ける。
全て王子の自作自演でした」
「違う!王子と私は運命によって引き合わされていたの!」
全てに心当たりがあったのか聖女は必死に否定する。目には涙が浮かんでいた。
「聖女が王子を認識し、好意を持ち始めた頃合いを図って王子は自分の身分を明かすと、聖女を城へと連れ帰りました」
「違うの、私達は気持ちが一緒だったんだもの」
小さく呟く聖女はとうとう涙をこぼした。静かに涙を流す聖女を見て、少女は軽く両手を叩いた。
すると椅子が勝手に起き上がり、聖女は椅子に普通に座る格好になった。
うつむき涙を流す聖女は椅子が勝手に動いても何の反応も示さない。
「王子の思惑どおり聖女は杖を使いこなしましたし、王子は民からの人気も上がりました」
聖女は何やら呟いているが少女の距離からは内容まで聞き取れなかった。
少女はつまらなそうに鼻を鳴らす。
「王となるまであと一歩という所まで来ていた王子は杖の使える聖女を連れて塔の攻略へと乗り出しました。
杖の力さえあれば攻略は簡単に出来ると思っていた王子は、塔の主には国は繁栄を望もうと思っておりました。
これで国が繁栄すれば自身の立場は盤石なものとなり、王になれると信じて王子は旅に出ました」
少年はそこまで話すと少女と目を合わせた。
少女は笑顔になり小さく拍手をする。
「どうもありがとう、とっても面白かったわ。やっぱり話は恋の話に限るわね」
機嫌の良さそうな少女に対して聖女は俯き、涙を流したままぶつぶつと何やら呟いている。
「ご清聴、ありがとうございました」
少年が座ったまま丁寧なお辞儀をすると、少女は頷いて大きく手を叩いた。
乾いた大きな音が響いて聖女がビクリと反応する。
「どうだったかしら?私と王子の関係が良くわかったでしょう?」
ノロノロと顔を上げた聖女の目には光がなく、出会った当初のような覇気を感じない。
「今の話を聞いてもあなたはまだ私が王子の事を好いているなんて言うのかしら?」
少女が問いかけるも聖女は何の反応もしなかった。
ただぼんやりとした表情で少女の事を見つめるばかりだ。
少女はしばらく聖女の事を見ていたが何の反応もしないのが分かると不満そうに頬を膨らませた。子供のような仕草を見て少年は呆れた視線を少女へ向ける。
「つまらないわ…」
少女はそう呟くと少年を見た。
「お帰りみたいよ」
少女の言葉を聞いた少年は一度ゆっくり瞬きをする。
「かしこまりました」
そう言って少年が指を鳴らすと聖女の椅子が揺れ、ゆっくりと後ろへと下がっていく。
いきなりの事でさすがに驚いたのか聖女が短い悲鳴を上げた。
「待って下さい!私は、まだ聞きたい事があります!お願いします!」
慌てて聖女は叫ぶが椅子は止まらない。
椅子が扉の近くに来ると扉が開いた。
「お願いします!どうか、もう一度話を!」
聖女は少女へ向かって必死に叫ぶ。
少女は聖女に向けて笑顔で手を振った。
「第三王子の居る部屋に送ってあげるわ、末永くお幸せにね」
「待って下さい!」
聖女はその言葉を最後に扉の外へと部屋から放り出される。目の前でゆっくりと閉まっていく扉を聖女ただ見つめることしか出来なかった。
聖女が居なくなると少女はふうと息をついて、新しく現れたカップに注がれた紅茶を飲んだ。
ゆったりとしている雰囲気の少女に少年は問いかける。
「あれで宜しかったのですか?」
「もちろんよ、百点満点をあげるわ」
少年の問いかけに少女は笑顔で答えた。
「百点満点ですか…」
どこか不思議そうに小首を傾げつつ、少年はそう呟くと彼もまた紅茶を飲み始める。
「完璧って事よ!王子が聖女に本当に惚れてしまった所を全部カットした所が特に良いわ」
堪えられないというように吹き出して笑う少女を見て少年はため息をついて見せる。
「悪趣味ですね」
「そうかしら?」
少年の言葉に少女は笑顔のまま言う。
「信じるも信じないも彼女次第よ。それにちゃんと話し合うなら問題は何も起きないわ」
ティースタンドの上部から冷たいゼリーを取ると少女はそれをスプーンで掬って口へ運ぶ。少年はまたため息をついた。
「そんな事にならないのは、それこそ百も承知なのでは?願いも叶えられず重要な人材を全て失って返された王子が冷静であるはずがありませんし」
「そうね、きっと一人で帰されてからはどうしたものかとイライラ部屋を歩き回っていたでしょうね。癒してくれるはずの愛しの人もいない訳ですし」
少女はゼリーをあっという間に平らげるとムースにも手を伸ばす。
「そこに帰ってきた愛しの存在が猜疑心を露わにした目で見てくるんですよ?」
「しかも杖も無くしてね。きっと喧嘩になるわよ」
くすくすと少女は楽しそうに笑う。
「喧嘩で済む話ではないでしょうに。国が保有していた重要人物たちの消失と神力を集めるための術を失った第三王子は下手したら失脚してしまいますよ?」
紅茶の表面を眺めて少年がそう言うと、少女は口を動かしつつ答える。
「失脚するわ。もし、聖女が第三王子と一緒に帰っていたならば、それこそ愛のパワーで失脚とまではいかなかったかもしれないけれど」
ムースを食べ終えた少女は次にマカロンを口にする。
「第三王子の過去を知ってしまった彼女は第三王子をきっと拒絶するわ。さらに過去の英雄が罪人であったという事実を流布するでしょうね」
ピンク、グリーン、オレンジのマカロンを少女は次々と食べていく。
「第三王子は失脚して、神力を集める術も無くなった。国は荒れるでしょうね。そもそも滅びる予定の国だったし第一王子にばかり構って第三王子を放置した子育て失敗の報いが来ただけよ」
最後にチョコレート色のマカロンを食べると、紅茶を飲んで一息ついた。
「…そこまで分かっていて笑っているから悪趣味だと言っているのですよ」
じっとりとした目で少年は少女を見る。
少年の視線に少女は軽く肩を竦めて見せた。
「国が滅ぶのはあなたの喜ぶべき所じゃないの?」
少女の言葉に少年は静かに目を閉じる。
「いいえ、国は滅んでも滅ばなくてもどちらでもいいんです」
少年は目を開けると、ただと続けた。
「滅んでくれた方が早いのは事実ですね」
それを聞いた少女はまた笑顔になる。
「ほら!なら喜ぶべきじゃない?」
行儀悪く少女はスプーンで少年を指差した。
少年は嫌そうに身を捩ると首を振る。
「私としては早くても遅くても関係がないのて。早くて喜んでいるのもあなただけですよ」
「なによ、一緒に喜んでくれてもいいじゃないケチね」
少女はスプーンを放り投げると両手を叩く。
テーブルの上のティースタンドは跡形もなく消え、大皿に山と積まれたクッキーが現れた。
「やっぱり、私はお上品なティースタンドよりこういう素朴な感じの方が好きだわ」
少女は嬉しそうにクッキーを手に取ると大きな口を開けて頬張る。
「あなたはどちらが好き?」
口の端にクッキーのカスを付けた少女が少年に問いかける。少年は目を瞬くと紅茶を飲んだ。
「私は別にどちらでも」
少年の答えに少女は眉を上げる。
「つまらないわ!」
そう言って鼻を鳴らすと少女はクッキーを手に取ってバクバクと食べた。
「そう言った話をしたいのであれば聖女を残したら良かったじゃないですか」
不満気に少年が言うと、少女は小さくため息をつく。
「私もそのつもりだったのだけどねぇ」
少女は憂い顔で頰に手を当てる。
「思ったよりもだいぶ短い暇つぶしになってしまったわ」
そう言って少女は聖女の座っていたテーブルへ視線を向けると手を叩く。
座る人の居なくなったテーブルがティーセットと共に溶けるようにして消えた。
「また迷路でも作ったらどうです?」
テーブルに突っ伏しながらクッキーを食べる少女へ少年が言う。
「嫌よ、迷路作りは作り途中の物をごちゃごちゃ弄るのが楽しいのであって最初からとなると労力のが大きいわ。…あ!」
ダラダラとクッキーを食べていた少女は何かに気がついたように声を上げて起き上がる。
「忘れてたわ!迷路が無くなったのならこの部屋に来るのだいぶ簡単になってしまったんじゃない?」
少年は空のティーカップを片付けると少女へ頷いて見せる。
「ええ。塔に入ってすぐ、ここへの階段が見えるようになっていますよ」
「早く言いなさいよ!」
少女はそう叫ぶなり椅子から立ち上がると扉へと向かって歩きだす。
「どちらへ行かれるので?」
「下よ!入口塞いでくるわ!」
少女の回答に少年は首を傾げた。
「塞いでしまうのですか?」
「そうよ、またここに来られて願いを叶えてくれなんて言われたら面倒だもの」
少女は長い髪の毛を紐で括ると扉を開けた。
「ついでに塔の見た目も変えてやるわ!」
楽しそうにそう言うと少女は部屋から出て行った。
少年は暫し少女が出て行った扉を見つめてから立ち上がると指を慣らし、クッキーやテーブルを消した。
白い部屋には再び華美な装飾が施された椅子だけになる。
少年はいつもの位置に立つとゆっくりと目を閉じた。