杖と聖女
引きずられていく王子を唖然とした顔で見ていた聖女は、閉まった扉の音に大きく肩を揺らす。
そして慌てた様子で床に置いたままになっていた杖を拾うと杖を胸に抱いて少女と向き合った。
「なぜ、私を残したのですか?」
かすかに震える声で問いかける聖女に少女は視線を移す。
「用があったからに決まってるわ」
聖女を馬鹿にしたように少女は鼻を鳴らすと聖女の持っている杖を指差した。
「その杖、何であんたが持ってるのか知らないけど返して欲しいの」
「えっ!?」
少女の言葉に聖女は驚いた声を上げると一歩後退る。
「い、嫌です!これは王子が私に下さった物で英雄と言われた方が使っていた神力の詰まった杖なんです!」
聖女は意を決したような目になると少女を睨みつけた。
「そんな貴重な物を、いくら塔の主様と言えど渡す事は出来ません!」
先程よりも強く杖を抱きしめる聖女に少女は呆れ顔でため息を吐く。
「いや、あんた話聞いてた?渡せって言ってるんじゃなくて…」
「それとも!」
少女の言葉を途中と遮ると聖女は叫ぶように言う。
「やっぱり王子の事が好きで諦められないからそんな事を言うんですか?」
「…はぁ?」
不愉快そうな少女の声なんて聞こえなかったかのように聖女は熱を込めて話し続ける。
「確かに王子はとても美しい人ですし格好良いので焦がれる気持ちはとても良く分かります。しかし、だからと言って私にその様な意地悪をした所で王子からの感心を得ることは出来ないと思います」
凛々しい表情になった聖女は杖を抱きかかえたまま胸を張ると、先程下がった分を取り戻すかのように少女の方へ一歩足を踏み出した。
「王子に好かれたいのであれば正々堂々想いを伝えるところから初めてくださ…」
聖女が話している途中で少女が両手を叩いた。
すると聖女は上唇と下唇がくっついてしまい話す事が出来なくなってしまう。モゴモゴと口を動かす聖女を見て、少女は再びため息を吐く。
「とりあえず落ち着いて。私の話を聞いてくれるかしら」
少女の言葉に聖女が肯定とも否定とも取れないうめき声は発する。
少女はうめき声を気にすること無くもう一度手を叩いた。
乾いた音が響くと聖女の後ろに白いシンプルな椅子が現れた。少女はその椅子を指差すと聖女に座るよう促す。
「座って、落ち着いて話を聞いてほしいから遠慮することはないわ」
そう言いながらもう一度手を叩くと今度はティーセットが漂い出てきた。
聖女は目の前を漂っているカップとソーサーを眺めながら恐る恐る椅子へと腰掛ける。
椅子に座ると漂っていたカップとソーサーが聖女の手に収まり、少女達にお茶を注ぎ終えたポットが聖女のカップにも紅茶を注いだ。ふわりと漂ってくる紅茶の香りに聖女の気持ちが緩む。
話そうとするとくっついてしまう唇は紅茶を飲む分には問題なく開く事が出来た。温かく芳醇な香りのする紅茶に聖女はうっとりと目を細める。
「落ち着いたかしら?」
聖女が少女の声に顔を上げると、少女はどこか呆れたような表情で聖女を見ていた。
温かい紅茶によって気持ちの落ち着いた聖女は先程まで少女に喧嘩腰で迫ってた事を思い出す。慌てて謝罪しようとしたがまた唇がくっついてしまい、モゴモゴと言うだけになってしまった。
「落ち着いたなら良かったわ」
少女は少し微笑むと再び手を叩こうとしたが両手がカップとソーサーで埋まっているのを見て手を叩くことを諦めた。
「とりあえず、そのまま話を聞いてもらいましょうか。紅茶は好きなだけ飲んでいいのよ」
話すことが出来ないと学んだ聖女は笑顔の少女へ頷いて見せる。
「いい子ね。まず最初に結論から伝えるけど、その杖は奪おうとしてるんじゃなくて返して欲しいって事よ」
少女はカップをソーサーへ戻すと空いた片方の手で杖を指差す。
杖を抱えながら紅茶を飲んでいた聖女は目を瞬くと抱えている杖をまじまじと見た。
「その杖は私が使うために、私が作った物なの。城から出る時はそれどころじゃなかったから置いてきてしまったけれど…」
少女の言葉に聖女は目を見開いて驚きを表現すると勢い良く首を振った。反論しているのか口がモゴモゴと動く。
「何か分からないことでもあったかしら?」
そう言って首を傾げる少女に聖女は頷いて見せる。
「どこが分からないのかしら?」
少女は紅茶を飲みながら椅子に深く座り直す。聖女をじっと見てみるが話せない彼女との意思疎通は難しそうだった。
「ねぇ。どこが分からないのだと思う?」
少女は隣で静かに紅茶を飲んでいた少年へと声をかけた。
少年は相変わらずの無表情で少女をちらりと見ると何かを考える様に上の方へと視線を向ける。そして大人しく椅子に座って紅茶を飲む聖女へと視線を移す。
「最初からではないですか?」
「最初?」
さらりと言った少年の言葉に少女は首を傾げる。
「えぇ、あの杖は彼女にとっては英雄の使用していた代物で膨大な神力の貯蓄されているという認識です」
「英雄が使ってた訳でも、神力が詰まっている訳でもないけどね」
少年の言葉を訂正しつつ、少女は飲み終わったカップを捨てる。
「事実は今は関係ないのですよ。そして彼女の認識では杖を使っていた英雄は罪人達の反乱によって殺されてしまっています」
「…は?」
驚いて少年を二度見した少女とは反対に聖女は少年の言葉に深く頷いている。
「なので生きているように見えるあなたは件の英雄ではないので杖の持ち主でも製造者でもないという認識なのだと思いますよ」
そう少年が締めくくると聖女は嬉しそうに小さく手を叩いた。
「…なるほどねー」
少女はそう言うと何かを考えるかのように目を閉じる。
しばらく少女はそうして目を閉じたまま首を傾げたり腕を組んだりして悩んでいた。そして、唐突に目を開けると勢い良く両手を叩く。
部屋にパン!という大きな音が響くと聖女の抱えていた杖が激しく揺れ動く。その動きの激しさに聖女は手にしていたカップを落としてしまった。
聖女が思わずカップへと視線を向けた時、杖から身体がわずかに離れた。
すると杖は勢いよく聖女の腕の中から飛び出して少女の方へと飛んでいく。
声の出せない聖女は言葉にならない悲鳴を上げながら慌てて椅子から立ち上がろうとしたが、身体が椅子にくっついたようになっており立つことが出来ない。
杖に向かって伸ばされた手は虚しく空をかいた。
少女は飛んできた杖を片手で受け止めた。杖は少女に掴まれたところから形が崩れていきキラキラと輝く砂のようになり消えていってしまう。
その様子を聖女は唖然とした顔で見つめる。
杖が完全に消えると少女は手についた塵を払うように両手を振った。
「よし、処理完了っと」
満足げ笑みを浮かべる少女に聖女は怒りの表情を向けた。
「なんてことをするんですか!あれは王子から頂いた大切な物だと言ったではありませんか!」
そう、叫んでから聖女は自分が話せていることに気がついて驚いたような表情になった。
「そんなに怒らないで、可愛らしい顔が台無しよ。あなたには笑っていて欲しいわ」
ニコニコと笑みを浮かべながらおちょくるようにそう言った少女へ聖女の怒りが再び爆発する。
「貴方は!私が大切にしていた物を壊しておいてそんな事を言うなんて、どうかしてます!やはり王子に想われている私の事が気に入らないのですね」
歯を食いしばり少女を睨みつけながらそう叫ぶ聖女を少女は楽しそうな笑みを浮かべて眺める。
「気に入らない訳ないわ。よく見ればあなたは美しくて可愛らしいし、流されやすそうだけれど性格も良さそう。ここに残したのはそんなあなたと話してみたいと思ったからに他ならないわ」
そう言われて邪気の感じられない笑顔を向けられてしまえば、聖女は勢いをそがれ言葉を飲み込んでしまう。
「それに私ヒマだったのよ、だからヒマつぶしに話し相手でも欲しいなと思っていたから丁度良かったわ」
笑顔で聖女に話しかける少女へ少年が呆れを含んだ視線を向ける。
「暇つぶしというのが本音でしょうね」
「黙ってなさい」
ボソリと少女にだけ聞こえるよう小さく呟かれた言葉に少女もまた小さく言い返す。表情は変わらず笑顔のままだ。
「は、話し相手でしたらいくらでもなりますが…。では、なぜ杖を奪うような真似をしたのです!」
「それは何だか面倒になったから…。じゃなくて、えーと…」
少女は視線をどこか遠くに向けて、右手の人差し指を顔の前で左右に振る。
指が二往復ほどしたあたりで、考えがまとまったのか少女は表情を明るくすると再び話し始めた。
「あの杖が危険だったからよ!」
「杖が、危険ですか?」
困惑の表情を浮かべた聖女に少女は大きく頷いて見せる。
「そう!貴方はあの杖が神力を貯め込んでいると認識していたみたいだけどそうじゃないのよ」
「そうなのですか!?」
驚く聖女に興が乗ってきたのか少女は饒舌に話し始めた。
「実はあの杖、神力を貯め込んでいるんじゃなくて、使うときに周囲から吸収しているだけなのよ。あなたも生体ならともかく物体が神力を貯め込む、なんて聞いた事が無いでしょう?杖を使うと自分の神力を使わずに力を行使する事が出来るのと当時、私は神力の回収も行っていたから周囲には回収された神力が杖に貯蔵されいるって勘違いされてしまったの。面倒だからいちいち訂正しなかった私の落ち度でもあるんだけどね。つまり、杖は自分の持っている神力ではなく、周囲にある神力を使っているから自分の持っている神力が減らないってだけなのよ」
得意げな表情でつらつらと説明する少女に聖女は目を白黒させている。
「そんな杖をここで、この神力の流れの中心で使ったとしたらどうなるか分かる?」
「え?」
少女の勢いに押された聖女は思わず体を後ろに引く。その結果、聖女は椅子の背もたれに寄りかかるような体制になった。
すごい勢いで話す少女に聖女は身体だけでなく心理的にも引いていた。
「そう!吸収しきれないほど膨大な神力が杖に流れ込んで大爆発するわ!」
「え…?」
続けられた少女の言葉に先程とは違った感情で聖女は小さく声を漏らす。
「それはもう!迷路の破壊なんて目じゃないほどの大爆発でしょうね。塔の全壊はもちろん、この星の半分くらいは吹っ飛ぶかしら?もしかしたら、まるっと吹っ飛んでしまうかも…。こればっかりはやってみないことには分からないわね。試してみようかしら?」
唐突に訪れた星の危機に聖女は慌てた。
「や、やめて下さい!結構です!大丈夫です!杖の危険性は分かりました!もう貴方を責めるような事も言いません!」
「…そう?」
「えぇ!私こそ知らなかったとはいえ責めてしまって申し訳ありませんでした」
残念そうに首を傾げる少女に聖女は全力で頭を下げた。出てきた冷や汗がこめかみから流れていく。
「…世界を滅ぼしかねないものが目の前にあると思うと落ち着いて話せないでしょう?だから、とりあえず回収させてもらったの。私こそ事情を説明せずにいきなり消してしまって悪かったわ」
そう言って眉を下げて申し訳なさそうな表情を作った少女に聖女はほっとして笑みを浮かべた。
「では、お互い様という事にいたしましょう。改めて私でよろしければ話し相手になります」
良い笑顔で言う聖女の言葉に少女は口の端を引くつかせつつ何とか笑顔を作る。
「本当!嬉しいわ」
少し歪な笑顔を浮かべつつ顔の前で両手を合わせて喜びを表現する少女へ、少年が小さな声で話しかける。
「すごいですね、持ち物を元の持ち主に返しただけで数々の暴言と暴挙がチャラになると彼女は本気で思ってますよ」
少年は本気で関心しているような声音で話しているが、やはり表面上は完璧な無表情である。
しかも聖女には聞こえないほどの小さい声だったため、少女は脳内に直接話しかけられているかのような錯覚さえ覚えた。
「そうね、想像より強かだわ」
少女も小さな声で返すと、小さくため息をこぼした。
「あの…。話し相手とは具体的に何をしたらよろしいのですか」
しばしの間放置されていた聖女がおずおずと少女へ声をかける。
「そうね、何か話でもしてもらおうかしら」
少女はそう言いながら手を叩く。
すると聖女の前に白いテーブルとティーセットが現れた。
「お茶菓子も必要ね」
少女がもう一度手を叩くとテーブルにはスコーンや小さいサンドイッチの乗ったティースタンドが出現した。
豪華なアフタヌーンティーセットを前に聖女は顔を輝かせる。
聖女は旅をして塔まで来ていた。そのため旅の間はずっと簡素な食事をしており目の前に現れた焼き立てのスコーンや瑞々しい野菜を挟んだサンドイッチはご馳走に見えた。
「すごい!美味しそうです!」
「喜んで貰えて嬉しいわ」
ご馳走を目の前にして空腹を感じた聖女は食べてもいいのか伺いを立てるように上目遣いで少女を見る。
目の前のご馳走に目を奪われて聖女は気がついていなかったが、少女の前にも聖女の目の前にあるのと同じようなテーブルが用意されており、少女の隣に立っていたはずの少年はいつの間にか少女のテーブルに用意された席に座っている。
少女と少年のお茶会を少し離れた席から見ているような位置にある自分の席を見て、聖女は思わず口元を緩めた。
自分の座っているテーブルに用意されたティーセットは自分だけの物であると気がついたからだ。聖女は上目遣いで少女を見つつサンドイッチに手を伸した。
サンドイッチを手にした聖女へ少女は微笑んで見せる。
その微笑みに後押しされた聖女はサンドイッチを口にした。
瑞々しい野菜のシャキッとした食感の後にパンの香ばしい香りが口内に広がる。メインは鶏肉で皮はパリパリに焼かれており、肉は噛むほどにジューシーな肉汁が出てくる。
あまりの美味しさに聖女の頬が緩んだ。
「さぁ、話を聞かせて貰おうかしら?」
紅茶を一口飲んだ少女はそう言って聖女を見た。
美味しいサンドイッチにうっとりとしていた聖女は慌てて口の中の物を飲み込むと姿勢を正して少女の方へ向き直った。
「え、えっと…。話と言われましても何を話せばいいのか…」
オロオロと視線を彷徨わせる聖女に少女は軽くため息をつく。
「話すのが難しいのなら対話でも良いのよ」
「対話…、ですか?」
「えぇ、そうね簡単に言うなら質問かしら。聞きたい事があるのならば何でも言っていいわよ」
優雅にカップを傾ける少女をちらちら伺いながら聖女は歯切れ悪く話し始める。
「それでしたら、その…。私、質問がございまして…」
少女は紅茶を飲みながら聖女の言葉を待っていた。
しかし、いつまで経ってもちらちらとこちらを伺うばかりで何も言わない聖女にしびれを切らして少女から話しかける。
「何かしら?何を言っても答えるからはっきりと話しなさい」
威圧するような言い方になってしまったからか聖女がビクリと怯えたような表情になる。
少女は心の中で舌打ちをした。
「は、はい!あの、塔の主様は王子とはいったいどういった関係なのでしょうか?」
覚悟を決めたようにそう叫んだ聖女に少女は盛大に顔をしかめて見せる。
少女のその表情を見た聖女はごまかすかのように言葉を付け加えた。
「そ、その…。王子とはお知り合いのようでしたし、それに、その…王子の事が好きだったというのも事実だったように感じましたし…。え、えぇっと…その、今は王子の事を何とも思っていないとの事でしたが過去には何があったのかと思いまして…」
言葉を重ねれば重ねるほどに冷たくなる少女の目に耐えられなくなった聖女は少女から目をそらすと俯いた。
目の前にあるカップの中身へ視線を落とすと、ほのかに揺れる紅茶の表面に情けない顔をした聖女自身が映る。
今にも泣き出しそうな雰囲気を出している聖女に少女は小さく息を吐いた。
「大人げないですよ、あなたが何でも答えるって言ったのですから答えてあげてはいかがです?」
一人、我関せずといった風に紅茶を飲んでいた少年がそう言うと少女は唇を尖らせて少年を軽く睨んだ。
「わかってるわよ」
そう呟くと少女は笑顔を浮かべて猫なで声を出す。
「ねぇ、私はあなたに怒っている訳ではないわ。ちょっと…いいえ、少し。いえ、すっごく嫌な…そう、二度と思い出したくない事を思い出してしまっただけなの」
少女の声音に鳥肌が立ったのか少年はそっと両腕をさすった。
「だから、顔を上げて。さっきの質問にちゃんと答えるわ」
「本当ですか?」
ぱっと顔を輝かせた聖女が顔を上げる。あまりの調子の良さに少女の笑顔が引きつった。
「そ、そうね。私と第三王子の関係についてだったわね」
少女は軽く紅茶を飲んで口を湿らせる。
「簡単に言うなれば第三王子は私の拾い主よ」
「拾い主…ですか?」
少女の言葉に聖女は小首を傾げる。
「えぇ。私は王族の庭で倒れていたらしいわ」
少女はそう言いながら昔を思い出しているのか目を細めて遠い目をした。
「倒れていた私を見つけたのが第三王子よ。そして、目覚めた私は記憶を失っていたの」
「え?記憶を?」
驚いた声を発する聖女に少女は微笑みかける。
「そう、自分の名前から出自まで全て。そこがどこで自分が誰なのかも分からない状態だったの。もし私を見つけたのが第一王子や第二王子だったら訳もわからないまま即刻牢獄もしくは施設行きだったでしょうね」
「そんな事は…!」
少女の言葉を否定しようと聖女は口を開く。
そんな聖女に少女は自身の髪の毛を聖女へ見せつけるようにして撫でた。
「こんな髪と目、肌の色をしているのに?」
少女の言葉に聖女は何も言えず俯いた。
今は世界の中心とされる塔という非現実的な場所に居るということもあり、聖女は少女や少年に対して普通の態度で接している。
しかし、ここが聖女の居た国で日常の中であったならばありえない事だ。
聖女の居る場所、国では遥か昔に星の湖を独占して星を水浸しにした大罪人は金髪碧眼ではなかったという話が信じられている。
そのため、金髪碧眼ではない人間は生まれただけで罪人であると認定される。
罪人達は金髪碧眼の人々に見つかれば即刻捕まるのだ。
少女からしてみれば彼らの信じている神話はツッコミどころの多い変な話だった。しかも『金髪碧眼は罪人ではない』というのは神話のどこにも記載されていない。
この星では金髪碧眼が多いため、金髪碧眼ではない人間が異端扱いされているだけだと少女は思っている。
さらに金髪碧眼ではない人間は強力な神力が扱えたことも、人々へ畏怖の念を抱かせ迫害に拍車をかけたのだと。
「貴方は、罪人なのですか?…しかし、罪人達の多くは茶色い髪色と目をしてますし、肌の色だって貴方の様な人は見たことがないのですが…」
心なしか青ざめた表情の聖女が呟くようにそう言う。罪人は理性のない凶悪な人間だと言われて育ったのだろう、目の前の少女が罪人だと思うと怖くなったようだった。
少女は馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「普通の罪人とは違った見た目をしていたからこそ、私は身の程をわきまえずに王位を狙う第三王子に拾われたのよ」
侮蔑の表情を浮かべ吐き捨てるように言った少女を、聖女は青い顔のまま睨みつける。
「王子のことをバカにするのもいい加減にして下さい。王子は民と国の事を思う立派な方です。いたずらに国を傾けるような思想をする方ではありません」
少女は聖女の視線をしっかりと受け止めた上で皮肉げな笑みを浮かべて見せる。
「民と国を思う立派な方?小さな小さな大地しかもたないこの星の唯一の国。一千万にも満たない人間たちの事を思っていると?」
「もちろんです」
馬鹿にしたように小さな大地や一千万にも満たないと強調する少女に聖女は不満げに眉をひそめた。
「そんな大層な事は思っていないわ。第三王子は自分を認めなかった父親と母親に認めてもらいたいがために王位を狙う我儘な子供よ」
聖女は怒りのあまり立ち上がろうとしたが、相変わらず椅子と身体がくっついているのか立ち上がる事は出来ず、前のめりになっただけだった。
そんな聖女を少女は蔑んだ目で見る。
「話の途中だったわね。私は第三王子に拾われて第三王子の元で過ごすことになったの」
少女はティースタンドからスコーンを手に取ると半分に割った。ふわりとバターの香りが漂う。
「記憶のない私に第三王子はとても良くしてくれたわ」
話しながら少女は真剣な表情でスコーンにクロテッドクリームとジャムを塗る。
「私、記憶はなくしていたけれど話すことは出来たの」
こんもりとクロテッドクリームとジャムを塗った一口サイズのスコーンを少女は頬張る。
ゆっくりと咀嚼してから、紅茶で喉を潤した。
「第三王子はプレゼントを持って毎日会いに来てくれたわ。最初のプレゼントは名前だったわね」
眉をひそめて、ため息をつきつつ遠くを見つめる少女を聖女は相変わらず睨むようにして見ていた。
「罪人とされる人々が強力な神力を使える事は知っているでしょう?」
小首を傾げて尋ねてくる少女に、聖女は渋々ながら頷いてみせる。
「罪人の中でも特殊な見た目をしてる私なら、さらに強力な神力が使えるのではないかと第三王子は思ったみたい。…当たらずとも遠からずと言った所なのだけどね」
スコーンの欠片に少女はまた真剣にクロテッドクリームとジャムを塗る。
たっぷりとクロテッドクリームとジャムを塗られたスコーンを見て、聖女は睨むのを止めて唾を飲み込んだ。
美味しそうにスコーンを頬張る少女は、とてもじゃないが理性がなく凶悪だと言われる罪人には見えない。そもそも罪人には理性がないと言われているが目の前の少女とはしっかり会話が出来ている。
我慢出来ず、聖女は食べかけのサンドイッチに手を伸ばして口にする。少女への恐怖心はほとんどなくなっていた。
「さっきの杖の説明は覚えているかしら?」
杖の説明はあまり聞いてはいなかったが聖女はサンドイッチをもそもそ食べながら小さく頷いた。
「あの性質は私そのものよ。杖と違うのは貯蓄することが出来る所ね」
少女はスコーンの最後の一欠片を口に放り込むと紅茶をゆっくりと飲む。
「では、あの杖が神力を貯めていたのではなく…」
「そうよ、あの杖の使用者である私自身が神力を貯めていたの」
聖女は信じられない物を見るような目で少女を見た。
「なぜそのような回りくどい事をしたのですか?自身に神力を貯められるのであれば杖のような媒体は必要ないように感じるのですが」
聖女の言葉に少女は渋い顔をする。
「私はあまり神力が上手く使えなかったのよ、それで致し方なく自身の身体を切り離して杖を作ったの」
「身体を切り離して?」
不思議そうな顔をする聖女を見て少女はキョトンとした表情をする。
そして意地の悪い笑みを浮かべた。
「あら?聞いていなかったのかしら?あの杖は私の身体から出来ていたのよ」
「う、嘘です!」
「どうしてそう言い切るのかしら?」
ニマニマと笑いながら質問してくる少女に聖女は背筋を伸ばして答える。
「あの杖は形状も大きさも人の身体から作る事の出来る限界を超えていますので」
聖女の言葉に少女は首を傾げる。
「杖は神力を扱いやすくするように作られたものですので神力を多く扱う人の身体が材料になっている事もありすが、それは飾り部分に髪や爪などの小さい物を入れた場合です」
まるで講義をするように聖女はスラスラと話す。
「あの杖のように飾り部分もないシンプルな物を作ろうとしたらそれこそ人の腕や足を一本まるごと使いでもしないと無理なのです」
「なるほどね」
少女はそう言って頷くと、テーブルに置いてあったナイフを手に取った。
「よく見ていてね?私痛いの本当に嫌いなんだから」
少女はそう言うと袖を捲くって象牙色の腕を聖女に向けた。不思議そうな表情をしている聖女がこちらをしっかり見ているのを確認すると、少女は勢いよくナイフを腕に振り下ろした。
少女の悲鳴と聖女の悲鳴が重なる。
思いっきり振り下ろしたため少女の腕の肉はザックリと切れており、腕の骨がかすかに見えていた。
切れた肉の断面に黄色い脂肪が見えたと思った瞬間、血が勢いよく吹き出してテーブルとその周囲が真っ赤になっていく。
ティースタンドはいつの間にか少年が避難させており、少女は何も置かれていない白い机の上で痛みにもがいていた。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいいいいい!!!!!」
聖女は何もすることが出来ず、ただ唖然と泣き叫ぶ少女を見ていた。
しばらく腕を抱えて痛みにもがいていた少女だが、だんだんと静かになっていった。
まさか、死んでしまったのではと聖女が震え始めた時。
少女は何事もなかったかのように起き上がった。
涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま少女はナイフを振り下ろした方の腕を持ち上げると袖を捲くって聖女に見せる。震えながら聖女は少女の腕を見た。
そこには傷一つ無い綺麗な象牙色の肌があった。
「え?」
確かに血が吹き出していたはずなのにそこには骨が見えるほど深くナイフに裂かれたとは思えない綺麗な肌がある。まじまじと見つめてもそこには傷跡一つなかった。
「わかった?痛いからやらないけど神力さえあれば切り落としても腕くらい生えてくるわ」
叫びすぎたせいか、わずかに掠れた声で少女はそう言った。