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塔と王子


『水に覆われていく星を嘆いた神は一隻の船を落としました。


 船はすべての生物を乗せると浮かびあがり、最後には大地になったのです』



 この世界に生まれた人間であれば誰でも知っている神話の一節を思い浮かべながら、王子は目を開いた。

 しばらく閉じてた目に明るい光が飛び込み、視界が真っ白になる。


「王子、大丈夫ですか?」


 光に慣れてきた目に映るのは愛しの聖女だ。


 輝くような金色の長い髪の毛を両サイドでみつあみにして、質素な服を身にまとっている。田舎の村娘のような野暮ったい服装だ。

 しかし、その野暮ったい格好も聖女の美しさを損なう事なく、むしろ質素で地味な格好をしているからこそ素材の良さを引き立てているようだった。


 聖女は美しい稲穂のようなみつあみを揺らしながら王子の顔を覗き込む。透き通るような夏の空のような大きな青い目は王子を心配しているのか微かに揺れていた。


 市井の出ということで貴族からは色々言われているが、それらにめげることなくここまで着いてきてくれている聖女は王子にとってかけがえのない存在だった。


「大丈夫だ、心配をかけた」


 王子がそう言いながら聖女の頬を撫でると聖女は照れたように顔を赤くして俯く。

 そんな微笑ましい聖女の様子を見て王子はそっと口元を緩めた。美しい王子が美しい聖女の頬に手を当てている様子はまるで一枚の絵画のようだった。

 王子は緩めていた口元を引き締めると聖女から手を離し、目の間にある大きな白い扉を見上げた。


「…二人だけに、なってしまったな」


 ほのかに光っている様に見える扉を見ながら、ぽつりと王子は呟く。聖女は何も言えず俯いたまま唇を噛んだ。


「王子は、何も悪くありません」


 そう言った聖女の声には涙が滲んでいる。


「いや、上手く采配出来なかった私に責任はある。だからこそ…」


 王子は拳を強く握りしめながら扉を睨みつける。


「ここで引き下がる訳には行かない」


 王子は自分を叱咤するように力強い声ででそう言うと扉へと手をかけた。

 聖女も目に浮かんでいた涙を袖で拭うと王子の隣に並び扉へ手をかける。


 王子と聖女は一瞬目を合わせて頷き合うと一緒に扉押し開けた。大きな扉はゆっくりを開いていく。


 この先に何があろうとも二人で乗り越え、望みを叶えてもらう。

 そのためにここまで来たのだという気持ちで開かれた扉の先には、白い空間が広がっていた。


 床から壁、天井まで真っ白で窓もない部屋。中央に華美な装飾が施された椅子が置いてある他には何もない。


 王子と聖女は注意深く辺りを見回してから部屋に入るが何も起きなかった。


 気合をいれていただけに二人は拍子抜けした気持ちで顔を見合わせる。


 詰めていた息をそっと吐いたその時。


「ようこそいらっしゃいました」


 どこからともなく聞こえてきた声に二人は驚き声を上げた。


「だ、誰だ!」


 王子は慌てて腰に下げていた剣を構える。それを見た聖女も同じく持っていた杖を前に構えた。


「こちらです」


 声のした方を二人が見ると白い壁に溶け込むように一人の少年が立っていた。

 驚くほど整った容姿とあまりの白さに二人は思わず少年をじっと見つめた。


「本日はどういったご用件でこちらに?」


 驚き固まった二人にそう尋ねる少年は可愛らしく小首を傾げてみせる。仕草は可愛らしいが驚くほど無表情で、二人と違い緊張感の欠片も感じられない。

 少年の声に我に返った聖女は杖を床へ置くと膝を着いた。


「塔の主様でしょうか?」


 震え声で尋ねてくる聖女を少年は何の感情も浮かばない目で見つめると、人差し指を自分に向ける。


「私がですか?」

「はい、ここは大地が作られた時より立つ塔の最上階。星と世界の中心にもっとも近く、地上から星へと流れる神力の集まる地」


 聖女は両手を組み、祈るようなポーズで少年を見上げる。


「試練を乗り越え塔の最上階にたどり着いた者は願いを一つ叶えてもらうことが出来ると聞き、こちらへ参りました」


 自身を落ち着けるように軽く息を吐いた聖女は、緊張で乾いた唇を舌で軽く湿らせてから話を続ける。


「どうか、私の願いを叶えてもらえないでしょうか?」


真剣な目で見つめてくる聖女を見て少年は瞬きを繰り返すと首を振った。


「そのような事を言われても困ります。私は塔の主でもなければ、神でも何でもないので。願いを叶えるような力はありません」

「なんだって!?」


 少年の言葉に今まで黙って立っているだけだった王子が反応した。眉を釣り上げて少年を睨みつける。


「それはどういうことだ?試練を乗り越えたのに何もないという事なのか?」


 不機嫌な様子を隠すこともせずに王子はそう言うと足音高く少年へと近寄る。


「ここに来るまでに犠牲になった奴らのことを何だと思っているんだ」


 そう言うと王子は少年の胸ぐらを掴んだ。王子は少年より背が高いため、少年の踵は少し浮いた状態になる。

 少年は驚いたように王子を見上げるが、表情は相変わらず動かなかった。


「試練や犠牲と言われましても私には何のことだか…」

「試練を知らない?では、願いを叶えてくれるという塔の主はどこに居るんだ?」


 掴んだ胸ぐらを王子が前後に揺するので少年の頭がカクカクと前後に揺れる。少年は抵抗することなく王子にされるがまま前後に揺れていた。


「塔の主ですか…?」


 揺さぶられながらも穏やかな口調でそう言う少年を見て、膝を着いたままの聖女がゆっくりと頷いた。


「はい、神力の集まるこの塔を管理し、神の代わりに地上の人間を見守る存在。私達の思いを受け入れ叶えてくれる神の代理人の事です。あなたがそうでないと言うのであればその方はどこにいらっしゃるのですか?」


 聖女の言葉が終わったのを確認すると、王子は揺さぶる手を止めた。揺さぶられすぎて、さすがに目が回ったのか少年は目を強く閉じたり開いたりしている。

 何も答えない少年を見て、聖女はため息を吐くと立ち上がる。そして汚れても居ないスカートの裾を手で払った。


 ようやく目眩が収まった少年は軽く息を吐くと口を開いた。


「なるほど。お二人は塔を登り切ると願いを叶えてもらえるという御伽話を信じてここまで来られたという事ですね」

「…おとぎばなし?」


 少年の言葉に違和感を抱いた王子は思わず少年を掴んでいた手の力を緩めてしまう。その隙きに少年は王子の手から逃れて床へと着地した。

 床に足の着いた少年は掴まれていた胸元を丁寧に直すと背筋を伸ばして立った。


「そうですね、塔にまつわる話は多くありますがその話が一番有名だと思いますよ。夢がありつつも不用意に塔に入ってはいけないという教訓にもなりますから小さい子に聞かせるには丁度良いのではないでしょうか」


 その言葉に聖女は驚き、王子は嫌な予感に駆られた。


「待って下さい。塔を登り切ると願いを叶えるという話は史実に基づいた神話や伝説の類ではなく、非現実な御伽話だと言うのですか?」


 動揺しているのが分かる震え声で聖女が少年に問いかけると少年はあっさりと答える。


「そうですね」


 少年の返事を最後に部屋は静かになった。

 唖然とした表情の王子と聖女が力なく立ち尽くし、無表情な少年が二人を眺めながら姿勢よく立っているだけの時間が束の間流れる。


「ふざけるな!」


 突然、王子の怒号が部屋に響いた。

 

 その怒号に聖女はビクリと肩を揺らしたが、少年は無表情で何の反応も示さない。


「では、私の仲間達は…。試練で犠牲になった者たちは…、ただの御伽話の犠牲になった彼らには何て言ったらいいんだ…」


 震えるほどに強く両手を握りしめた王子は、悲壮な表情を浮かべている。そんな王子を見ながら少年は人差し指を顎に当てて首を傾げた。


「申し訳ありませんが私にはあなたの言う試練とやらが何なのか分からないのですが…」

「しらばっくれるな!」


 叫ぶ王子に聖女は身を縮こまらせると床に置いていた杖をそっと拾って抱きしめた。


「この塔に入ると現れる巨大なダンジョンの事だ!知らないとは言わせない!それを攻略するために俺の仲間達は犠牲になったんだぞ!?」


 大袈裟な身振り手振りを加えながら叫ぶ王子を見て、少年は納得がしたとでも言うように手を打つ。


「なるほど、試練とはあの巨大迷路の事ですね」

「迷路だと!?」


 唸る様に言った王子は再び少年の胸ぐらを掴もうとしたが、少年は王子を軽く避けると椅子の横へと移動した。


「話がようやく見えました。つまり、貴方がたはこの塔にまつわる御伽話(・・・)の一つである最上階まで登れば願いを何でも叶えて貰えるという根も葉も無い噂話(・・・・・・・・)に踊らされて塔に入り込み、ただの暇つぶし(・・・・)で作られた巨大迷路(・・・・)を試練だと勘違いし挑んだ結果、犠牲者が出たという事ですね」


 少年が強めのアクセントを加えた言葉を言うたび、王子は何か言おうと口を開きますが言葉にはならずただのうめき声の様なものが漏れるばかりだった。

 聖女も杖を抱きしめながら暗い表情で俯く。


「ただの巨大迷路なので犠牲者が出るとは私には思えないのですが」

「だが!現に犠牲者が出ているんだ!」


 悲痛な王子の声に少年はゆっくりと頷く。


「貴方がたの言っている事を疑っている訳ではありません。ですが私にはあそこで犠牲者が出るとは到底思えないのです」


 少年は口の端を歪めると右手を上に掲げ指を鳴らす。


「なので製作者を呼びます」

「「は?」」


 初めて表情を動かした少年に驚いたのか、空中に忽然と現れた少女に驚いたのか王子と聖女は口をぽかんと開けて声を漏らした。


 忽然と現れた少女は袖と裾のとてつもなく長い白いローブの様なワンピースを着ており、うつむき気味で立っている姿勢のまま椅子の上空をふわふわと漂っている。

 腰まで伸びている艷やかな黒髪が顔を隠しているが、僅かな隙間から見える限りでは目を閉じているようだった。

 王子と聖女は言葉もなく唖然と少女を見上げた。

 少年が上げていた手を椅子に向かって勢いよく下ろす。すると漂うように浮いていた少女が勢いよく椅子へと向かって落ちた。


「っっっ…!!?」


 頭を椅子の背もたれにぶつけたのだろう。固いもの同士がぶつかるような鈍い音と少女の低い濁点の付いた声が部屋に響いた。

 少女は後頭部を抱えて痛みに耐えるように震えている。

 長い髪の毛が床に着くほどに頭を下げている様子を見て、少年は井戸やテレビ画面から出てくる女幽霊を思い浮かべていた。


「痛いわ!」


 痛みに耐えていた少女が改めてそう叫ぶと王子と聖女は驚きビクリと体を揺らし、少年はゆっくりと瞬きをした。

 少女は音が出そうな勢いで顔を上げると少年がいつも立っているあたりの壁を睨みつけた。


「何するのよ!起こさないでって言ったでしょう!?」

「申し訳ありません。火急の要件が出来ましたので」

「何で隣に居るのよ!」


 すぐ隣から聞こえた声に少女は驚いて壁から隣に視線を移す。

 隣にはいつもと同じ、無表情な白い少年が立っていた。


「そんな事よりもお客様です」

「全ッ然そんな事じゃないわ!とっても痛かったのですけど!?」

「私にとってはそんな事ですし、もう痛みもないでしょう?お客様ですよ」

「はぁ!?客?」


 少年と漫才のようなやり取りをしていた少女は黒髪をかきあげると椅子に座り直して正面を向いた。


 白い肌に金の髪と青い目を持った二人の男女と目が合った少女は整った顔をしかめる。


「客ってこの二人?」

「作用でございます」


 少年が慇懃に少女へ頭を下げると少女はその頭を軽く叩いた。


「何の嫌がらせよ。帰ってもらって」

「かしこまりました」


 少女の言葉に頷いた少年は先程と同じ様に右手を上に上げる。


「ちょっと待ってくれ話が違う!」


 王子が慌てたように声を上げると一歩前に出てくる。それを見た少年は指を鳴らす事を止めると手を下ろして小首を傾げた。


「そ、そうです!話を聞いてもらえるはずでは!?」


 聖女もハッとしたように言い、王子の隣に並ぶように一歩前へ出る。

 少年は首を傾げたまま少女の顔を見た。少女は伸びをしながら大きなあくびをすると、虫でも追い払うかのように右手を振る。


「私は用ないし、いきなり起こされたから機嫌悪いの。帰って」

「そんな!そちらの方は話を聞くと言ってくれているのですから話くらい聞いてください!」


 聖女はすがるような目で少年を見た。

 少女は頬杖をつくと少年を見る。


「そんな事言ったの?」


 少女の言葉に少年は緩く首を振る。


「いいえ?話を聞くとは一言も言っておりませんよ」

「だそうよ。ほら、帰った帰った」


 頬杖をついたまま少女は気だるげに言った。


「話くらいは聞いてくれ!こちらはお前が作ったという巨大迷路のせいで犠牲者が出ているのだから!」

「迷路で犠牲者?」


 王子の言葉に少女は驚いたように眉を上げた。確認するように少年を見ると少年もかすかに頷いてみせる。

 少女は眉をひそめた。


「迷路には死者の出るような仕組みは作っていないわよ?大きなアスレチックみたいな感じで落っこちたりしても怪我しないようになっていたでしょう?」

「だが、現に犠牲者が…」


 言葉の途中で王子は、なにかに気がついたように目を見開く。そして食い入るようにして少女の顔を見つめ始めた。

 王子の視線に少女は嫌そうに顔をしかめる。


「お前まさか…」


 王子が何かを確認しようとするかのように口を開いた時、少女が王子の言葉を遮るように喋り始めた。


「あー、はいはい。第三王子様の察しの通り確かに私です。だから貴方のつけた私の名前なんて呼ばないで」


 少女の言葉に王子は目を更に見開く。


「もし呼んだらすぐに塔の外へ放り出してあげるわ」


 少女は嫌悪感を顕にした顔でそう言い放った。


「え?お知り合いなのですか?塔の主様と?」


 状況を飲み込めていない聖女が困惑したように王子と少女を交互に見る。


「こいつが塔の主だと…」


 聖女の言葉に王子は苦虫を噛み潰したような表情になった。

 そして金色の髪の毛を振り乱しながら首を大きく横に振る。


「違う、こいつは塔の主などではない」

「残念ですけども」


 否定する王子に向かって少女は意地の悪い笑みを浮かべた。


「私は塔の主でございますよ、第三王子様」


 相変わらず頬杖をついたままの少女を見て王子は顔をしかめる。

 険悪な雰囲気の王子と少女に気がついていないのか、聖女はぱっと表情を明るくすると杖を床に置いて跪いた。


「塔の主様。どうか、私の願いを叶えてもらえないでしょうか?」


 両手を祈るように組み少女を見上げる美しい聖女を少女は一瞥すると短く答えた。


「嫌よ」


 鼻で笑った少女に聖女は驚き目を見開く。そんな聖女を少女は氷点下まで冷え切った目で見ている。


「だいたい、貴方は誰なのよ。いきなり来て願いを叶えろなんて意味が分からないわ」


 冷たい目線でため息混じりに言う少女に気圧された聖女は、少女から視線を外すと俯いてしまった。さくらんぼのような可愛らしい唇を噛んで震えている様子は、どう見てもいじめられている可哀想な乙女である。


「ちょっと、その態度やめてくれない?私が理不尽な事を言っているみたいじゃない。至極真っ当なことを言ってると思うのだけどどうかしら?」

「わ、私は…」


 聖女は震えながら唇を開くが上手く言葉が出てこない。それでも必死に顔を上げて涙で潤んだ目を少女へ向ける。

 そんな聖女を少女は毛虫を見るような目で見ていた。


「彼女は私の恋人だ。いくら嫉妬した所で私はお前の元へは行かないだろう。下らない嫉妬など止めるんだ」


 聖女を庇うように前に出た王子がそう言って少女を睨みつける。

 王子の言葉に聖女は顔を赤くして、王子を見上げた。


「塔の主となった所で私の心は手に入らないんだ。だから大人しく願いを叶えろ」


 少女は真顔になると頬杖をつくのを止め、隣に居る少年を見上げた。少年も少女を見ていたため視線が交差する。

 数度瞬きをし合ってアイコンタクトを取ると少女は改めて正面を向いて再び王子を見る。


 そして、こちらを睨み続けている王子に向かって少女は言った。


「何言ってんだ、お前」


 嘲笑混じりの少女の言葉を意に介さず、王子はふてぶてしく言い返す。


「しらばっくれるんじゃない。お前は私の事が好きで私が欲しいから国を壊滅に追い込み、塔の主にまで成り上がったんだろう」


 いったん言葉を切った王子は跪いたままの聖女を愛おしそうに見つめてから改めて少女を睨みつけた。


「だが、残念だったな。私の心はもうすでに彼女に預けてある。大人しく自分の役割を全うして私達の願いを叶えろ」

「王子っ!」


 感極まったのか聖女が立ち上がり後ろから王子に抱きついた。王子も答えるように聖女の手にそっと自分の手を添える。


 その様子を少女はつまらなそうに見る。


「私は何を見させられているのかしら…」


 呆れたように呟くと少女は両手を軽く叩いた。


 何もない空間から白いブラシや水の入った桶、タオル等が漂い出てくる。ブラシは少女の髪を梳かし、桶とタオルは水を使って少女の顔を拭いていく。

 ブラシやタオルに世話を焼いてもらいつつ少女は欠伸をした。


「おい、何をしているんだ」


 低い声で言った王子を無視して少女は手鏡を覗き込んでいる。


「無視をするな!」

「彼女との時間は終わりました?」


 手鏡から顔を上げて少女が言う。


「早く願いを叶えろと言っているだろう?」


 高圧的な態度に少女は眉をひそめると持っていた手鏡を王子に向かって投げつけた。

 王子は聖女を抱き寄せ庇いつつ手鏡を避ける。床に落ちた手鏡は割れることなく床へと吸い込まれていった。

 少女は悔しげに小さく舌打ちをした。


「なにをっ!」

「一応聞いておきますけど、願いとは?」

「…ようやくか」


 手鏡に対しての文句を言おうと王子は口を開いたが、少女が願いについて聞いてきたので言うのをやめる。

 自分の心を落ち着けるように王子と聖女は深呼吸をした。


「私の願いは国の繁栄だ」


 ゆったりとした声で王子が堂々と言うと、聖女も口を開く。


「私は国に平和をもたらして欲しいと思っています」


王子と聖女は抱き合ったまま、そう言った。


「ふーん」


 少女は気のない返事をすると白いブラシに梳いてもらった自身の長い髪の毛を撫でる。


「これで犠牲になった者達にも顔向けが出来る」


 すでに叶えてもらった気でいる王子が呟くと少女は思い出したように王子と聖女へと目を向けた。


「そうそう、さっきから言っているその犠牲ってなんなの?どこで犠牲になったのよ?」


 王子は大きなため息を吐く。やれやれとでも言い出しそうな雰囲気に少女がまた眉をひそめる。


「さっきから言っているだろう。お前の作った迷路でだ」

「私もさっき言ったでしょう?あそこはただの迷路だから死者が出るような構造にはなっていないのよ」


 少女は鼻を鳴らすと得意げな表情になる。


「安全面には絶対の自信があるわ!」


 王子は少女の表情に苛立ちを感じて舌打ちをした。


「だが、私達以外の者は皆溶けるように消えていってしまったんだぞ?」

「溶けるように?」


 少女は目を瞬く。


「あぁ、私の目の前で。光る粒のようなものを漂わせながら消えていった」


 悲痛な表情を浮かべて俯く王子には目もくれず少女は顎に指を当てて何かを考えるような仕草をする。


「ねぇ、全員がそうやって光の粒を残して消えたの?」

「そうだ、最初は私の従者からだった…」

「あの口が悪くて酷く高慢な奴ね」


 少女の言葉を聞いた王子は少女を睨みつけたが言い返すことはしなかった。

 その代わり、もう一度舌打ちをすると従者が消えた時の状況を説明し始める。


「ダンジョンを彷徨っているうちに疲れと空腹を感じた私達は休憩がてら食事にすることにしたんだ。そして、彼が食事の支度をしていたところ突然光る粒が身体中を覆っていった。最後には溶けたかのように居なくなってしまった。跡形もなく…な」


 長年連れ添った従者が消えていく様子を思い出したのか、悲痛な表情の王子は下唇を噛んで拳を強く握りしめる。

 聖女はそんな王子を励ますように、その拳をそっと両手で包み込んだ。聖女の温かい手に、王子は顔を上げると聖女と目を合わせて力なく微笑み合う。


 そんな二人のやり取りを少女は冷めた表情で見つめて小さく呟く。


「ダンジョンじゃなくて迷路なんだけどね」


 少女の呟きは聞こえなかったのか王子は話を続けた。


「次に犠牲になったのは一緒に来てくれた神力について詳しい学者だ」

「中途半端で優柔不断。何もかもを人にせいにしてたあいつね。消える時も貴方に向かってお前にせいだーとか言ってたんじゃない?」

「…死者を愚弄するんじゃない」


 王子はそう言って再び少女を睨む。

 しかし、否定はしないため実際にそのような事を言われたのだろう。


「何か罠があるのではと神力を使い辺りを探っていたところ、従者と同じように光る粒に覆われて消えていった。その様子を見ていた騎士は気がふれてしまったのだろう…。身体強化して迷路を破壊し始めたんだ」

「あぁ、あの身体は大きいのに気の小さい騎士様ね。気が小さいのを隠すために尊大な態度を取っていてかなりウザかったわ」


 王子は少女を無視することにしたらしく、少女から視線を逸らした。


「そして騎士も同じように消えてしまい、残ったのは私と彼女、そして神力使いの三人だった」

「自己陶酔型のお優しい彼ね。彼のことだから貴方達のためにとか言いながら自ら犠牲になって消えたんじゃない?」


 どこか楽しそうにすらしている少女の言葉に、王子は奥歯を噛んで悔しそうな顔をする。


「その通りだ。ダンジョンを彷徨い続けた結果、食料も尽きてしまい帰る事も出来なくなった時だ。彼は持てる限りの力を使い、ダンジョンを破壊し尽くしてくれた」

「はぁ!?」


 王子の言葉に少女は驚いた声を上げる。


「ダンジョンを破壊し尽くすって…。私の傑作迷路に何したの!?」


 王子は笑みを浮かべた。少しでも少女に打撃を与えられた事が嬉しかったのだろう。


「そうだ、彼の力であたりはまっさらになり、彼もまた消えてしまった。まっさらになった広間には上へと繋がる階段があったのでそれを上ってきたんだ」


 語り終えると王子は握っていた拳を開く。強く握っていたせいか掌には爪の跡がくっきりと残っている。

 聖女はそんな王子の手を取り、そっと両手で包み込む。聖女の温かさを感じたのか王子の表情がにわかに柔らかくなった。


「マジで?消えてんの?私の迷路…」


 少女はそう呟きながら両手で自分目を覆う。


「うわー…。本当だわ、まっさらになってるー…」


 目を覆ったまま落ち込んでしまった少女を見て少年は『嘆く人』というタイトルを思い浮かべた。


「すごい時間かかったのにー」


 大きなため息を吐く少女を王子が睨みつけた。


「ダンジョンより人命だ、何を言っているんだ」

「迷路だってば。あぁー、直角滑り台とか跳ねる山とかすごい工夫して作ったのにー」

「お前はっ…!」


 怒りに身を任せた王子が少女を殴ろうと一歩踏み出した瞬間、少女は両目から手を離すと続けてこう言った。


「それに王子の仲間達が消えたのは迷路のせいじゃないし」


 なんてこと無く言われた言葉が理解出来ずに王子は少女へ問いかける。


「どういうことだ?」

「王子の仲間が消えたのは神力の流れに飲まれちゃったからよ」


 少女は王子に両手を広げて見せる。


「ここが地上を巡る神力の中心地だっていうのは知っているでしょう?ここで神力を使うと出力を止める事ができないのよ」


 両手を下ろした少女は足を組む。


「生き物は多かれ少なかれ神力を身体に宿すことで生命を維持しているから身体中の神力が出ていってしまうと身体を維持することが出来なくなっちゃうの。だから光の粒になって消えたって訳」

「だが、彼らは神力を使ってすぐに消えた訳ではなく…」

「出力する力が違えば無くなる速度もそれぞれでしょうからね。従者の場合は神力の保有量が少なかったからちょっと使っただけでもすぐに消えてしまったのでしょうし、最後まで居た神力使いは神力の保有量はかなり多かったけど大きい力を使ってしまったから一気に全ての神力が出ていって消えたのでしょうね」


 少女は冷たい目で王子と聖女を見た。


「温まるための火やらなんやら神力を使いそうな事は全部仲間に押し付けて神力を使ってこなかったお二人がこうして生き残ったのがその証拠じゃないかしら?」


 その言葉に王子も聖女も肩をギクリと揺らす。


「心当たりがあるなら当たりね。じゃあ、話も終わったし帰った帰った」


 少女が両手を叩くと王子は背中を引っ張れるようにして後ずさる。


「ま、まて!まだ願いを叶えていないだろう!」

「私叶えるなんて言ってないし、叶える義理もないわ」


 ずるずると着実に後ろに下がっていく王子を眺めながら少女は肘掛けに肘を置く。


「あと、私が貴方を好きだなんて妄想も大概にしてほしいわ。何も知らなかったあの時ならまだしも今、私が貴方に想いを寄せるなんて天地がひっくり返っても起きない事よ」

「だが!お前は、確かに!」


 何とか留まろうと王子は足を踏ん張るが効果は無く、どんどん扉へと近づいている。


「言ったでしょ?何も知らなかったあの時の私ではないの。第三王子のくせに王位を狙うなんて本当に馬鹿らしいわ。地味に隅っこで大人しくしてればいいのに」


 少女がもう一度手を叩くと扉がゆっくりと開いた。


「安心してちゃんと部屋まで送ってあげるわ。もう二度と来ないでね」

「待て!やめろ!」


 笑顔を浮かべた少女が手を振ると王子は扉の外へと放り出され扉は音を立てて閉まる。


 白い部屋には少女と少年、そして聖女が残された。





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