09
急ぐ道中でもなく、あわよくば獲物を仕留めながら移動したいという都合もあるので、初日および2日目は街道から大きく離れて森の中を進んできた。首尾よく肉付きたっぷりのツノウサギを仕留めることができたので、およそ2日分の食料が浮いたのは幸先がいい。リュックに用意した保存食に手を出すことなく4日目まで乗り切れば――道にでも迷わない限り――メリヤスまでの食糧問題は解決だ。
このあたりの山や森については師匠からひと通りの教えを受け、それほど危険がないというのは把握していたが、この2日で通り抜けてきた森はだいたい教わった通りの雰囲気。動物の気配が濃く、とても穏やかな森だ。願わくばこのまま何事もなく、できることなら転生者+馬車+商人イベントに遭遇することなく、無事にメリヤスへとたどり着きたいものなんだが。
「……無理だよなあ。こちとら転生者なんだもんなあ。こっちが街道に近寄らないでフラグ回避に徹していても、何かに追われた馬車が森に突っ込んでくるぐらいの覚悟はしておかないと……」
そんな独り言が漏れたついでに、大きくため息をつく。
俺を追いかけて馬車の方から突っ込んでくるほどのイレギュラー発生となれば、その馬車に乗っているのは「王位継承権を保持した王族」クラスのめんどくさい存在で、追ってくるのも王族を亡き者にしようというレベルの筋金入りの悪党だろう。とてもじゃないが、10歳の少年猟師の手に負える案件ではない。そんなトラブルに巻き込まれる可能性を思うと、ため息のひとつも出ようというものである。
まあ、うちの実家も相当太いので、いざとなったら王族だろうがなんだろうが「世界の調停者、プラチナドラゴンのオーダーの実子、クリエであるぞ」の家柄チートで一蹴できなくもない。しかし問題はその後だ。
王位継承問題を抱えた異世界の王族なんていう連中が、俺ほど魅力的な権力への取っ掛かりを前にして、大人しくしていられるはずがないのだ。メリヤスの学園には監視や王族の子が送り込まれ、ゴリ押しのハニートラップだの隙あらば誘拐だので心が休まることのない学園生活を過ごすことになり、首尾よく冒険者になった以後もギルドや迷宮に監視の目が張り巡らされ、ついでにありとあらゆる罠が待ち受けるという、鉛色の日々が約束されるに違いない。
「はああああ……寝よ寝よ」
嫌なシミュレーションをしているうちに、すっかり日が落ちてしまった。森と街道を隔てる草原に、街道からの視線を遮るのに丁度いい大岩を見つけたところで、今夜の寝場所に決めた。
リュックから寝袋と小箱を取り出し、小箱の中身であるオーダーの鱗入りの匂い袋を寝袋にくくりつけたら、生半可な獣は寄せ付けない野営地の完成。10歳児が野宿を続けて200kmの旅をしていられるのは、このチートアイテムあればこそだ。実家が特殊だとこういうこともできるのである。
まあ、この方法に納得するまでにひと悶着あったわけだが……――。
『――えっ。オーダーの鱗で獣避け? そんな「自然と触れ合いたい」とか言って、高級キャンピングカーでキャンプ場に乗り込むみたいな暴挙……』
『そう言うだろうと思ったがな、ではどういうキャンプであれば、クリエにとって「自然と触れ合う」ことになるのだ?』
『そりゃあテントだな。できれば石でかまどを作って飯盒炊爨』
『ふむ。その場合に食材はどうするのだ。稲を現地調達して脱穀精米なのか?』
『ぐ。さすがにそれは持ち込みで。川があれば釣りぐらいは挑戦するけど』
『ふむふむ。そのテントや飯盒や食材などは、家からキャンプ場まで徒歩で持ち込むのか?』
『いやまあ、キャンプ場の近くまでは車で』
『車などで乗り付けたら、自然と触れ合う時間が短くなってしまわぬか?』
『……』
すでにこの会話はシミュレーション済みのようでノータイムで詰めてくるオーダーと、何を言っても突っ込まれる雰囲気を察して返す言葉がなくなる俺。この時点ですでに敗北は察していた。
というのも、前世の記憶とこの世界での時間のほとんどを共有し、ほぼ同一人物のような俺とオーダーの関係性であっても、議論や口論に至る過程によって明確に優劣が決まるということがわかっているからだ。オフェンス側が「こういう流れの会話に持ち込んでこう詰めてやろう」という入念なシミュレーションを済ませている場合に、何を言えばどう突っ込まれるのかという予測ができていないディフェンス側はどうしても分が悪く、そもそもほとんど同一人物がシミュレーションを行うということは、正解にたどり着いているのと同義なのである。
とはいえ、どういう理屈で詰めてくるのかを確認しない限りは納得できるはずもなく。オーダーとしてもその事をよくわかっているので、俺の逃げ道を塞ぐように言葉を続ける。
『まあそれは良い。自然大好きなクリエがテントを張って飯盒炊爨で不便な調理を楽しんで、いざ寝ようと思ったら熊が現れてキャンプ場が大パニックに』
『は? 熊?』
『熊だ。恐ろしいなあ? テントなどに籠もっていては死んでしまうかもしれぬなあ? はて、どうすればクリエは安全に身を守れるだろうな?』
『……車のとこまで、逃げます……』
『なんと、車に逃げるのか? 自然と触れ合いたいクリエが、車に逃げ込むのか!?』
『あーもー! わかったよ! しょせんごっこ遊びだってことだろ!』
はい詰んだ。キャンプを例えに出した俺も悪かったが、そもそもキャンプに例えられてしまう話題だったのだから、別の例えを出したところで結果は同じだったはず。つまりこれは「縛りプレイ」をどう捉えるのかという問題だ。
『わざわざ不便さを楽しむというのは、便利さを完全に手放すということでもなかろう。テントは丈夫なほど良いし、暖かさや通気性を保証してくれる寝袋があってこそのキャンプなのだから』
『野宿しながらメリヤスに向かうってのは、不便さを楽しむようなもんってことか』
『目的がすり替わっておるな。クリエにとって必要なのは転生者と馬車の遭遇イベントを回避することであって、野宿はその手段に過ぎぬ』
『あー、そっか。そうだったわ』
『そのために、本来ならば10歳児がひとりぼっちでできるはずもない野宿をやらねばならぬ。普通はこの時点で話が詰むのだが、クリエであればそれが可能となる』
『実家が太ければより多くの選択肢を持てる、ってのを前世で思い知らされたことがあるけど。そうか……俺は実家が太いんだなあ……』
『何をもって個人の能力と呼ぶかであるな』
『まあ、人は生まれながらにして不公平なんだし、実家の太さは個人の能力の範疇かー』
――というオーダーとのやり取りが、このチートアイテムを採用することになった経緯だ。実家チートのおかげで、この世界でどんな生き方をしても「ごっこ遊び」のような、「お貴族様のお戯れ」のようなロールプレイ感が出てしまうのだが、そのへんは死ぬまでうまく折り合いを付けられない気がする。
まあでも、猟師の修行で死にかけたりしてるしな! 大丈夫、ちゃんとそれなりに苦労してるし、前世より真剣に生きてる実感あるし!
って、前世では死ぬとこまで行ったんだった。まあいいや。おやすみなさい。ぐう。
◇