08
予告どおりに、別離の日は、僕らの上にやってきて――。
どうも、異世界人クリエ10歳です。脳内でスキンヘッドサングラス中野氏の名曲が流れる程度に、センチメンタルな気分で今日この瞬間を迎えています。
「これが今生の別れというわけではないのだがな……」
愛おしそうに俺を抱きしめながら、オーダーがぽつりとそんな言葉を漏らす。やめてママ。この雰囲気でそんなこと言われたら泣いちゃうから。
「前世でも13歳から全寮制の学校もあるにはあったし、俺なんか実年齢50歳なんだけど。やっぱり寂しいもんは寂しいなあ……」
そう言いながら、ぎうう、とオーダーを強く抱きしめ返す。
人の情緒は環境によって育まれて安定するものだが、中身が50歳でも体と環境は10歳児、そこは師匠のときとまったく同じで、別離というものがやたらと寂しくて、心細くて――辛い。
「クリエよ、生水には気をつけるのだぞ……」
「前世でも言われた定番のやつなあ……。そんときは地方の大都市から東京ごときで生水もなにもって感じだったけど、中世ヨーロッパ設定のこの世界だとすげえしっくりくる。しっくりくるんだけど」
「一人前と認められた猟師に生水がどうこうなどと、釈迦に説法なのは分かっておるぞ」
「なるほど。言ってみたかっただけなの了解」
どちらからともなく、いつも通りの会話の雰囲気に持ち込もうとしている感じがある。親離れの門出なんだし、やっぱり湿っぽいのは似合わないもんな。
でもあと1回、あと1回だけ! オーダーを抱きしめ直してこれだけは言わないと!
「ぎうう。今日までありがとうオーダーママ。この世界に転生した意味とか理由とかさっぱりわかんないけど、長年の夢を堪能してくる! もちろん里帰りもちょいちょいする!」
「うむ。この母はいつでも待っておるぞ。業務がない限りはな」
そりゃ、世界のバランスを司るお仕事だもんなあ。「今日は愛息が帰ってくるのでお休みします」ってわけにはいかんよなあ。
オーダーから身を離して、凛々しいプラチナドラゴンのその顔を見上げる。相変わらず綺麗でかっこいいなあ、うちのママ。
「じゃ! 行ってくる!」
「うむ! 気をつけるのだぞ!」
手を振りながらそう言うと、オーダーも器用に翼を振って応えてくれた。
前世でも経験した別離のシーンを思い出しつつ、決して振り向かないようにと強く意識して、生まれ育った山を降りていく。
そう、絶対に振り向いてはならないのだ。なぜなら親というものはかなりの割合で、我が子の姿が見えなくなるまでただ愚直に見送り続けているものだから。
うっかり「たぶんまだ見送ってるだろうな?」と思って振り向こうものなら、案の定がっつり見送り続けられているのだ。そこでバツの悪さに負けて手を振れば、無邪気に手を振り返されるという恐ろしく照れくさい事態を呼ぶのだ。
さらに、「ひょっとして、まだ見送ってるのかな?」という好奇心に負けて再び振り向こうものなら、寸分違わぬ位置に棒立ちしている親を発見してしまい、「ですよねー」と思いながら手を振り合うハメになるのだ。
そして、それを何度も何度も繰り返していると、「しつこく見送られてて恥ずかしい」という感情を押しのけて親の愚直な愛情がぐいぐい伝わってきて、別れがどんどん辛くなるまでがテンプレなのだ。
だから、振り返るのは一度だけ。この道を曲がってしまえばもうお互いの姿が見えなくなるというポイントで、一度だけ、万感の思いを込めて。
「行ってきま------す!!」
もう豆粒のような大きさでしか見えないオーダーに、大きく手を振る。絶対に俺が振り返ると信じていたオーダーが、待ち構えていたかのように翼を振り返す。お互いの姿が見えなくなるまで思いっきり手を、翼を振り合って、やがて視界からオーダーが消える。
ダメだ、涙が溢れる。姿が見えなくなっただけなのに、何かのつながりがひとつ、完全に断ち切られたような感覚に襲われる。
でもなあ、ここから先は、ママの庇護を失った50歳の男の子なんだ。涙をこらえて胸を張って、ふてぶてしく生きないと。
そんな決意で折れそうな心を支え、麓の街道まで降りてきたところで、生まれ育った山をもう一度目に焼き付ける。転んで大泣きした森、精霊魔法に目覚めた泉、アラシシに追い回された草原――は、その後オーダーと山の仲間達が俺フェスを開催してくれる場所になった。
そして、最愛のママと暮らした洞窟。
そして、その上空をホバリングしてこっち見てる最愛のママ……何やってんの?
いやもう砂粒ぐらいにしか見えないけど、絶対こっち見てるでしょアレ。返して、さっきの喪失感を返して。きっとオーダーからもしっかり見えてるんだろうなあという確信があるから、手を振るし投げキッスもおまけに付けとくけど。
あ、なんかやり切った感じで降りてった。さてはこのボケ、あっためてたな? ドッキリ大成功ー!みたいな感じで気が済んだな?
振り向かなかったらいつまで滞空してたのか問い詰めたいけど、この険しい山を登り直してわちゃわちゃしたあと、もっぺん別離のくだりをやり直せるかというと、さすがに無理。帰省したときに絶対リベンジしてやる。
でもまあ、息子が異世界人で、ママはドラゴンなんだもんなあ。普通の別れになるはずないか。フフッ。
フフッ。じゃねえよ! あの白銀トカゲ!
◇
反抗期の芽生えを感じつつ、王都シャーフスタッツに続く街道脇の森を歩いていく。「うっせーよババア!」みたいなノリで、面と向かって「白銀トカゲ」とか言われたら、オーダーどんな顔するんだろうなあ……悲しむかなあ……悲しむよなあ……。
うむ。オーダーが悲しむのを想像すると罪悪感と悲しさで胸が壊れそうだ。反抗期よくない。よっていまこの瞬間をもって、俺の反抗期は芽生え即終了とす。
心が落ち着いたところで、旅路についての確認をしておこう。入学予定の学園があるメリヤスの町があるのは、王都に続く街道をしばらく進んだのち、分かれ道を左に折れたその先。その道のりはおよそ200kmで、野宿しながら徒歩で1週間ぐらいかけて到着の見通しだ。
なぜそんなにサバイバル感あふれる計画になるのかだが、それはもう異世界転生者と馬車の相性の悪さに尽きる。馬車だけで足りなければ、そこに商人という要素を加えればお察しだろう。「SSR確定! 異世界人と馬車+商人ガチャキャンペーン!」のガチャを回せば、SSR山賊やSSR盗賊、SSRモンスターの群れなどが確定で当たるという寸法だ。ラノベでさんざん読んだ。
そしておそらくこのガチャは、チュートリアルに組み込まれてて絶対に回すハメになるやつ。オーダーに庇護されてすくすくと育ち、少しばかりの精霊魔法と、師匠から仕込まれた猟師の技術を武器に、少年が旅立つこのタイミング。チュートリアルを終えたご褒美で無料ガチャが用意されているなら、絶対ここに決まってる。俺はソシャゲに詳しいんだ。
そこでオーダーと前もって取り組んだのが、異世界人と馬車+商人ガチャのエアリセマラとも言えるシミュレーション。メリヤスまでの道中でガチャを回すことになるのはおそらく確定なのだとしても、どんな形でそこに至るかによっては、ガチャ後の展開を変えられるんじゃないかと。そういう仮定のもとで、いろいろなパターンを想定してみた。
【パターンA】街道を進んでいき、馬車に拾ってもらう
2秒で却下したのがこのパターンだ。SSR山賊や盗賊やモンスターの群れとの遭遇が確定してるに決まってて、そこを無難に乗り切るために工夫しようという話なのに、その場で大事な戦力となる「馬車」の時点でガチャ要素が発生してしまっている。いわゆる「ガチャを回すためのガチャを引く」状態だ。
この場合に想定される馬車ガチャの内容としては、「子供を拐う奴隷商人と悪党の馬車」なんかが大ハズレで、馬車の一行に声をかけられた時点でめんどくさいことになる。SSR級の大当たりとしては「腕利き冒険者が警護する豪商の馬車」ということになるが、いくら転生者補正の可能性があるにしても、そんな出来すぎな幸運に期待するのは率直に言って頭の中がお花畑すぎる。
という理由から、このパターンはなし。却下。
【パターンB】まず最寄りの町へ行き、同乗する馬車を吟味する
「じゃあ、馬車ガチャで引くものを選べればいいんじゃね? ていうか、馬車ガチャを拒否すればいいんじゃね?」というのがこのパターン。とても無難で理に適っている気がするが、これにも大きな落とし穴がある。
かつてソシャゲやブラウザゲーのガチャが混沌としていた時代に、「テーブル管理方式」という禁忌のガチャが存在していたことをご存知だろうか? そう、プレイヤーIDを取得した時点で、そのプレイヤーがガチャによって入手できるキャラクターがテーブル表で管理されており、運営が敷いたレールの上をただ走らされるだけという、悪意の結晶のようなガチャである。
かつてサッカーを題材とした某ブラウザゲームにおいて、大当たりの排出率が極めて低いプレイヤーのガチャ履歴が一致していることが発覚し、運営の恐るべし悪意が露見。その結果として広く悪名を轟かせたのがテーブル管理方式のガチャだった。これを馬車ガチャに当てはめるとどうなるかというと。
まともな馬車を選んでメリヤスに向かおうにも、そもそも当たりの馬車が存在しない。
なんということでしょう。転生者の運命は、運営の敷いたレールで運ばれていたのです……。
というわけでこの案もダメ。今どきのソシャゲが「プレイヤーが選択しているつもりでも、結果は事前に決まっている」という演出をバンバン放り込んでくるのには慣れっこだけど、そういう意図が透けて見えると萎えるもんは萎える。
もっとこう、自分で掴み取った感が欲しい。たとえ運営に転がされていても……!
【パターンC】馬車の結末を確認してから選ぶ
ハイこれ採用。転生者と馬車ガチャのエアリセマラをしてたら、最善手がリセマラになったという哲学みたいな話だけど。「当事者として馬車ガチャに付き合うとリスクがあるならば、第三者として馬車が辿る運命を見極めたのち、関与するかどうかを決めれば良かろう」っていう、オーダーママからのナイス提案。
馬車に乗らず拾われず、ただただ街道近くの森や山中を歩いてメリヤスへと進んでいく。安全に野宿するには工夫が必要だが、森や山は猟師のフィールド。むしろ猟の腕を磨きながらの道中になるということで、お得感もある。そのまま馬車イベントに遭遇しなければ万々歳、遭遇したとしても馬車に乗り合わせているわけではないので、こっそり隠れて事の顛末を見届ければいいだけだ。
そういう経緯でパターンCの採用となり、街道沿いの森の中を進んでいる。師匠ほどのレベルじゃないけど、なるべく気配を消して、ひたひたと。馬車を回避できるからといって、山賊盗賊モンスターの群れがダイレクトに襲いかかってくる可能性だって捨てきれないので、用心するに越したことはない。
メリヤスまでの山や森はとても元気なので、獲物にあぶれる心配がないことも師匠からリサーチ済み。3日分ぐらいなら食料の心配はないけど、今日明日で獲物に出会えないようなら、どこかで腰を据えて狩りをしなきゃいけないかもなあ。