そのあとのミック
久しぶりに冒険者ギルドに顔を出して依頼票を確認した限り、ホゲットの町は平和そのものといった雰囲気だった。クリエたちと長旅に出る前に、それなりに愛着のあるこの町の面倒事をいくつか片付けたいと思っていたのだが、その必要はまったくないと言っていいだろう。
そういうわけでこの町に戻ってきた目的のひとつはそうそうに片付いてしまったが、もうひとつ重要な目的がある。おそらくこの先もメリヤスを拠点に活動することになるのだろうから、この機会にホゲットの家を引き払ってしまうことを決めたのだ。
商人ギルドに向かおうと冒険者ギルドを出ようとしたところで、背後からマントを掴まれた。振り返ると、見覚えのある女性職員がいる。
「ミックさん、帰ってきてたんですね」
「ああ……」
女性職員はなぜか、声を潜めている。
「ミックさん、メリヤスに行ってたんですよね?」
「そうだが……?」
「あの、迷宮攻略の話って、なんか知ってます?」
「まあ……噂ぐらいなら……聞いたな……」
「そうなんですね! あの、ミックさんさえ良ければ、このあとお昼ごはん一緒にどうですか?」
「……噂話が聞きたいのか……」
「はい!」
この女性職員は以前、クリエからの手紙を届けるために家まで来てくれたことがあるので、知らない仲ではないのだが……噂話好きというのは知らなかったな。
さて……いくら小声での会話とはいえ、このままこそこそ立ち話を続けていれば目立つ。さっさとこの場を切り上げるべきだろう。
「食事のついで、ぐらいなら構わんぞ」
「でしたら、ミックさんのお家の近くにある【白蛇亭】でどうですか?」
む……悪くないチョイスだな。昼食メニューの盛りが多くて味が良く、俺もよく使っていた馴染みの店だ。
「わかった。2階のテーブルが空いていれば……取っておく。1階にいなければそっちに来てくれ」
「はい!」
拠点を移すだけのつもりでこの町を離れるが、ひょっとすると二度と戻ってくることはないかもしれない。そんな事を思うと、顔馴染みと昼食のテーブルを囲むぐらいのことはしてもいいような気がした。
女性職員の名はアメリアというらしい。知らない仲ではないのだが……名前は初めて知ったな。
ギルドには長めの昼休憩を申請してきたといって、アメリアは食後にお茶とちょっとした甘いものが付いてくるメニューを選んだ。長話をする気まんまんのその構えに、俺も追加で食後にお茶を頼むことにした。アメリアは最後に、ワインをなぜか2杯注文した。
「……勤務中に……いいのか……?」
「お祝いですから、1杯ぐらいは許されますよ」
どうやら、噂話を聞くついでに何かの祝い事にも付き合わされるらしい。
それほど待つこともなくワインが届き、アメリアがグラスを持ち上げる。それに合わせて俺もグラスを持ち上げ、乾杯の口上を待つ。【白蛇亭】の2階にはこのテーブル席ひとつがあるだけで個室のようなものだ。プライベートな祝い事には、ぴったりの雰囲気に思えた。
「特級冒険者への昇格おめでとうございます、ミックさん」
「……………………特級冒険者、とは……?」
グラスを持ち上げたままで固まる俺を尻目に、アメリアはワインを一口含み、破顔した。
「またまたー。ミックさんほどの情報通が、名誉階位が追加されたことを知らないわけがないですよね?」
「……ああ、その事自体は知っているが……」
「それ、ミックさんのことですよね?」
「……………………いや、違うぞ……」
「えー? なんかいつもにも増して口調が重いですよ?」
まるでお見通しだと言わんばかりに、アメリアはニヤニヤした表情で軽口を叩いてくる。
まんまとハメられたか……不意を突かれたとはいえ、すぐに切り返せなかったのは失態だったな。しかしまだ決定的ではない。この場合は俺が肯定さえしなければ、事実にはならんからな。
「……唐突すぎて理解に時間がかかっただけだ……」
「あはは、そう言うしかないですよね。いいんです、ただお祝いしたかっただけですから」
「勝手にカマをかけてきて、勝手に納得して祝われてもな……」
「そうですねえ。じゃあミックさんは『特級のつもりの人』の役でもいいですよ」
「む……」
アメリアが一方的にペースを握っているこの空気をどうにかして変えたいが、いい手は思い浮かばない。ただ口を閉じて困っていると、タイミングよく食事が運ばれてきた。
その後も互いに黙々と、といった食事風景だが、アメリアは口こそ開かないが始終上機嫌だ。
そして、こんな気まずいシチュエーションだというのもお構いなしに、この店の食事はうまい。今日に限っては提供されるのがスムーズだったのも高評価だ。俺は心の中で、白蛇亭の評価をさらに引き上げた。
無言のまま食事が終わり、お茶を飲み干したら問答無用で席を立つべきかと考えていたら、とうとうアメリアが口を開いてしまった。
「まあ、そうだったらいいなーっていう、ちょっとした願望ですよ。ミックさんに気づいてもらうのはとっくに諦めてましたけど、それでも貴方は私のヒーローでしたから」
「以前に……会ったか……?」
「ええ、10年ぐらい前に。私と家族が乗っていた馬車がフォレストウルフたちに襲われたとき、助けてくれたのがミックさんとヤンクスさんでした」
「そうだったか……」
懐かしい名前を聞いた。今頃ヤンクスはどこで何をしているのだろうか。
10年前のホゲットは、町のすぐ近くにまで魔獣が現れるようなことがザラにあって、討伐依頼には事欠かなかった。そこに目をつけた俺やヤンクスなどの冒険者は、迷宮攻略よりも遥かに実入りがいいホゲットを拠点に決めて荒稼ぎしていたものだ。冒険者ランクを上げるにも都合が良かった。
「だからって、王子様を追いかけたい一心でギルド職員になったわけじゃないですよ? 私と家族を救ってくれた冒険者ギルドへの恩返しと、たとえ冒険者になれなくても、私の力が誰かを助けることの一部になるかもしれないと思って、それで冒険者ギルドに入ったんです」
「そうか……。しかしなぜ今日まで……声をかけなかった……?」
「とっくに諦めたって言いませんでしたか? ああ、最初はそうですね……気後れしたというか、さすがにそんなに昔の話をされても困るんじゃないかなと」
確かに困っただろうし、実際に今でも困っている。そうか、としか言葉がない。
「でもいつかお礼は言いたいなって思ってたんですけど、そのくせやっぱり、なんかの拍子に気づいたり思い出したりしてくれたら嬉しいのになあって期待しちゃって」
「そうか……」
「けっこう露骨にヒント出したりもしてたんですよ? 昔に比べたらずいぶん平和になりましたよねーとか、町の近くでも馬車が襲われたりしてたんですよねーとか。でもミックさんって『そうだな……』ぐらいしか反応がなかったから、ああ、私のことは覚えてないんだろうなって、さすがに悟りました」
「そうだったか……」
「まあ、勝手に期待してて勝手に裏切られたような気分になって、それでちょっと拗ねちゃったりしましてね。それで今日までずっと言えずにいたんですけど。あのときは本当にありがとうございました」
「いや……なんというか……すまんな……」
お礼を言われて謝るのっておかしくないですか?などとアメリアは吹き出しているが、悪いことをしたような気がしたのは事実だ。
「そういうわけで、貴方は私にとってのヒーローだったんですよ。実際にギルド職員になってみて、ミックさんが想像よりもっと凄い人だったのも知りました」
「……それほど大きな依頼は受けていないはずだが……?」
「それは5年前からですよね? 『知恵袋』さんたちと盗賊団を壊滅させた討伐作戦。びっくりするような報酬額でしたもんね」
アメリアの指摘は正しい。クリエと出会ったあの件を最後に、俺は大きな依頼を受けていない。しばらくは働かないでも食っていけるほどの金が手に入ったというのもそうだが、いつかクリエに借りを返すまでは、命の危険があるような依頼を受けるわけにはいかなかったというのが主な理由だ。
「それに、本来ならその件でAランクだったはずです」
「……Aランクになると、身動きが取りづらくなるからな……」
当時すでにAランクだったガルフの場合はどうしようもないが、俺とヤンクスはクリエに借りを返す日のために、窮屈なAランクへの昇格を断った。運良くガルフはすぐに借りを返せたらしいが、もしも俺がAランクに昇格していたら、クリエからの指名依頼が出されたタイミングで別の大仕事を受けさせられていた可能性は高い。
「それほどの腕利き冒険者が、メリヤスから指名依頼が届いたらホゲットからいなくなって、メリヤスの迷宮が攻略された途端に戻ってきた。ましてやそれが私にとってのヒーローだったら、ひょっとしてそういうことかなって妄想しちゃいますよ」
「…………」
クリエとミオの奇縁には驚かされたものだが、なるほど縁というものは不思議なものだな。クリエや俺達の名前を出さないようにというアレックスたちの頑張りが、まさか俺の10年前の縁のせいで台無しになりかけるとは……。
感慨深くそんなことを思ってアメリアに目をやれば、なにか思い詰めたような雰囲気になっていた。
「それで……その、ですね。ひょっとしたらミックさん……ホゲットを出ていっちゃうのかなあって……」
「……勘がいいな……そのつもりだ」
「あ……やっぱり、そう、なんですね……」
なんの言質も与えていないが、話の流れからしておそらく、アメリアは俺が迷宮攻略者のひとりということを確信している。
言質を取られていない以上、それについては問題ない。だが、俺の肯定を聞いたアメリアが、目に涙を溜めて言葉を詰まらせているこの状況は大問題だ。
幸いなことにアメリアはどうにか踏みとどまり、嗚咽こそ漏らしたものの号泣するようなことはなかった。しかし俺からかける言葉がどうにも見つからず、互いに下を向いたままで気まずい沈黙が続く。
そしてようやくアメリアが顔を上げる。泣き腫らした目が赤い。
しかし、その目には強い覚悟の色が添えられていた。
「だ、だったら……私も一緒に、連れて行ってくれませんか!?」
さっきよりも遥かに長く沈黙が続いているが、そこに気まずさはない。
冒険者ギルドの職員から冒険者に求婚するというのは、並大抵の覚悟でできることではない。アメリアのその葛藤を思えばこそ、じっくりと考えてから答えを出すべきだ。今さら何を確認してみたところで、「知っています」「わかっています」という言葉しか返ってこないだろう。
――いつ死ぬかわからんぞ?
――知っています。
――一緒にいられない時間のほうが長いぞ?
――わかっています。
この場の答えに必要なのは、受け入れるのか、拒絶するのかということだけだ。
冒険者ギルドの職員というものは、冒険者である俺達よりも遥かに多くの冒険者の死に接しているし、どんな仕事なのかも理解している。その上で、アメリアは覚悟を決めている。
だからこそ、俺も覚悟を決めて答えるしかない。
「……お前が望むなら……またここに戻ってきても……構わんぞ」
「いえ、ついて行きたいんです」
「そうか……」
そして俺は、拒絶する理由を見つけられなかった。




