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 その日、トスマ王国の王都シャーフスタッツに、一人の女が現れた。


 女は街の賑わいを楽しむかのように王都を散策しつつ、中心部にある王城へと、少しずつ近づいていった。


 王城の前に立つ門番は2人。隣国との戦争を抱えておらず、魔族の侵攻を受ける恐れもない王都において、門番が緊張感に欠けてしまうのは仕方がないことだろう。


「おいご同輩、すげえ美人が歩いてるぞ」

「マジか。マジだな。ありゃすげえ。門番やってなきゃ口説きたいところだぜ」

「もうちょいこっち来てくれたりしねえかな」

「いや、あり得るぞ。あれほどの上玉、どこぞの貴人かもしれねえ」


 果たして、その美しい女は門番の方へとやって来る。華美な装飾品こそ身につけていていないが、全身を覆う純白のドレスと白髪に近いプラチナブロンドが陽光を跳ね返すさまは、まるで女とその出で立ちがひとつの装飾品のようだった。


 純白の女は、その美しい容姿に違わぬ声で門番に往訪の旨を告げた。


「メリヤスの迷宮から参った。今代の王に会わせていただきたい」


 門番の二人は、怪訝な表情になるばかりだった。はじめは女が何を言っているのかが理解できず、それからはどうしてそうなるのかがわからない、といった雰囲気で。


「ご同輩、珍しく今日は来訪の予定はなかったよな?」

「ああ、ついさっき確認したばかりだが、なかったぜ」


 内心では美人と世間話に興じたくとも、門番たちは職務には忠実であった。断腸の思いで職務を遂行し、入場させるわけにはいかないと説明する。


「ご婦人殿、この通りの事情でありますゆえ、城内に入れるわけには参りません。何かの手違いがおありなら、書簡をお渡しいただければお伝え致します」

「左様か。ならば約定に従い、夕刻にまた伺おう」


 女はほのかに微笑を浮かべると、あっさりとそれだけ告げて背を向けた。


 女が去った後、門番たちは夕刻に受け取るであろう書簡の内容を想像しては無駄話の種にして、それなりに忠実に職務を果たし続けるのであった。



「ご婦人、お待ち下さい!」


 市場から離れているせいか、雰囲気の良さに反して人気のない広場で、若い男の声が上がった。名指しされた者以外でその声を聞いたものがあれば、たっぷりとした焦りが含まれていたことに気づいただろう。


 呼び止められた女はすぐに足を止め、ゆるりと振り返ると若い男に誰何した。


「お主が声をかけたのは、我であるな? して、お主は何者じゃ」


 若い男の見た目は、ありふれた一般市民そのものであった。傍目にはまるで、会ったばかりの美貌の女性を口説こうとしているように見える。なぜなら、それもまた王都の日常であり、若い男の見た目と同じくありふれたものであるからだ。


 しかし男は甘い言葉をかけるでもなく。女の言葉を受けて少し逡巡した後、シャツの首元を開くと胸元に手を突っ込み、首飾りに吊り下げられたペンダントを取り出した。


「ほう……。王族の子であるか。なるほど、門番が我に食いついている間にその後ろをこそこそと通り抜けておったのは、お忍びとかいうやつをやろうとしてたのだな? 名を訊こう」

「第二王妃クリスティンの末子、ルカ・グラハムと申します。長兄のジョン、次兄のマックスはともに第一王妃ヴァネッサの子にございます」

「別にそんなことは訊いておらぬのだが……。ふむ、立場の低いみそっかすだと言いたいのか?」

「浅学ゆえにみそっかすというのを解しかねますが、おそらくはその通りなのでしょう」


 それで?というように少しだけ顎を上げた女に、王子は声を震わせながら言葉を絞り出した。


「先程の門番の不出来は、明らかに王家の失態でありました。謝罪のしようもございません。で、ですが何卒、私に執り成しの機会をお赦し願えませぬか」


 たっぷりの緊張と怯えを含んだ声音こわねには、しかし確かな誠実さも含まれていた。


 だが、にべもなく女は告げる。


「ならぬ。お主もわかっているであろうが、約定は絶対だ。迷宮主との取り決めが徹底されぬほどに為政者が緩んだ場合、その一族を滅し、新たな王を立てる――この約定に従うと誓ったがゆえに、お主の一族は為政者であることを許されていたのだ。それを違えてお咎めなしでは筋が通らぬ」

「し、しかし……かの英雄ロマノフの心すら砕き、他国の冒険者の間でも、メリヤスの迷宮は鉄壁であるので近寄らぬのが賢明と囁かれる現状で、迷宮主様がご来訪なさる日を信じろというのも……。攻略が進捗しているという話もなく、あまりにも……」

「たわけ、日々目覚ましく進捗しておったわ。なるほど、それを表に出さなかったアレックスの慎重さも正しかったかもしれぬな。王家がそのように腑抜けておるなら、余計な騒動の種の芽吹きを憂うのが道理よ」


 斬りつけるように発された言葉に、第三王子ルカの表情から色が抜けていく。


 そんなの騙し討ちではないか、という感情と同じぐらいの濃さで、王家の緩みは冒険者ギルドに警戒されるほどになってしまっていたのか、という後悔がある。


 額に脂汗を滲ませて今にも膝を折りそうな王子に侮蔑の視線を投げかけると、女は背を向けて王都正門へと歩き始めた。その心に浮かんでいたのは……。


『――リュクルス様、クソゲーという言葉の意味はご存知で?』


 ――ふむ。





 何もかもを失った、というのを全身で表現しつつ、のろのろと立ち上がる男は、今の今まで膝を折ってこの場に伏せていた。


 人目のない広場であることが幸いしたが、この後のことを思えば、人に見られることなど些末なことだったかもしれない。


 男の一族は、おそらく今日の夕刻に、滅ぶ。


 為政者を失った王都は、国は、混乱するだろうか。

 ひょっとすると、愚かな一族が治めるよりも遥かに良い国になるかもしれない。


 そうであれば、いい。当代は本当に愚かなことをした。

 当たり前にできるはずの、約定の徹底に手抜かりを起こした。


 しかし、その当たり前のことができなくなっているとき、そこには確かに「緩み」がある。


 約定の不履行という大罪がなぜ起きたか。


 それは、王家が口伝を軽んじたからだ。


 それは、臣下が伝統を軽んじたからだ。


 それは、末端が職務に不真面目だったからだ。


 迷宮主との約定とは、国の成り立ちの根幹を支えるものだ。いつか迷宮が攻略され、その迷宮を領内に収めている国は、約定に則って迷宮からの守護を受ける。


 ゆえに、国は迷宮の攻略に熱心であらねばならないし、約定を忘れていないことを示さねばならない。


 それはとても些細で、一族が滅ぼされるに値するとは思えない条項だった。


 為政者と一部の配下だけが閲覧を許される約定。そこには【迷宮攻略がなされた際、迷宮主は為政者が居住する場に訪れる。何人たりともこの行いを妨げてはならない】とある。


 たったそれだけのことだ。不勉強な門番が、門番の教育に不熱心な上司が、その上司の教育に不熱心だった上司が、ひいてはその頂点に座する王家が、たったそれだけのことを怠っただけで、約定の不履行になってしまったのだ。


 人は、いつか緩む。

 だからこそ、全身全霊を賭けて緩みを排除しなければならない。

 それは個人の努力だけでは困難だが、周囲の協力や社会の仕組みによって、その困難を薄めていくことはできる。


 それこそが為政者の、このトスマ王国においては、グラハム王家が為すべきことだったのだ。


 とにかくまずは、城に帰ろう――。父王はルカの言葉を一笑に付すかもしれない。長兄のジョンも、次兄のマックスもそうかもしれない。


 しかし、それでもこの身は第三王子だ。王家に与えられたほとんど最後の務めとして、一族の滅びを伝え、後継選びに尽力しなければならない。そのためにはまず、自分がその事実を伝えなければ。


 立ち上がりはしたものの、思考が絶望に塗りつぶされてその場を動けずにいたルカだったが、ようやくそこまで考えをまとめると、重い足取りで王城へと踵を返す。


 自分の死を突きつけられてなお、この世に生を受けただけで課せられてしまった重責と向き合える。その矜持を失わないルカは、まさに王族たるに相応しい人物と言えただろう。





「待て、ルカ」


 いつの間に戻ってきていたのか、振り返るとすぐ真後ろに先程の女が立っていた。


「お主の行いは愚昧な王家を救った。しかし約定の意味は示さねばならぬ。ゆえに、王城の西の塔を貰い受ける」


 狼狽するルカの様子には一切構わず、純白の女は淡々と言葉を続ける。


「夕刻までに西の塔から人を離れさせておけ。塔の近くからもだ。崩れるゆえにな」


 たったそれだけのことを告げ終えると、女の足元から光が立ち上り始め、すぐにその姿はかき消えてしまった。


 ルカの目に、失われていた光が戻る。前に進めるのも億劫だった足に、全身に、力が戻ってきた。


 王城に向かって、ただひたすらにルカは走った。

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