35
――お前かー……。
困惑と驚愕に染まった空気の中、その空気を作り出した張本人(竜)である二代目リュクルス様ことリュクルス様の姉君ことクリエさんの母君は、軽い足取りですたすたとリュクルス様に近寄ってその身を優しく抱きかかえた。
「永かったのう、リュクルス……。さぞかし寂しかったであろう」
「はい、お姉様……永かったです……。ようやく、ようやく務めを果たせます……」
なんのシーンだこれ。いや俺はこういう急展開にも耐性あるからどうにかついていけるけど、パーティのみんながただ呆気にとられてるこの空気。どうしてくれんのママ。
たぶん迷宮が攻略されない限りリュクルス様は日の目を見ることがなくて、そのせいで務めを果たせなくてしんどかったっていう文脈なんだろうけど。務めを果たせないといっても迷宮の管理業はずっとやってたわけで、「働きたくないでござる」が合言葉だった日本人としては、最低限の作業だけで終身雇用って一種の天国――。
でもないか。プライドとの折り合いとかもあるけど、窓際に追いやられたら死んじゃう人って一定数いるし、社会に貢献してる実感がない高齢者は寿命が短いて話もあるし。「お前はそのために生まれたのだ」みたいに使命を植え付けられてればなおさらなのかもしれない。
過去の冒険者達がショボ……いまいちうだつが上がらなかったいせいで、リュクルス様も大変だったらしいというのは、一応理解した。
「このたびも……こやつらがいいとこまで来ては引き返すものですから、また肩透かしなのかと諦めかけておりました……。なりふり構わず引っ張り込んだ自分を褒めたく……」
理解はしたけど、なんだその言いぐさは。いっそのこともう2年ぐらい攻略に時間かけてやればよかったかな。そうすればリュクルス様の願いもろとも、この母親登場ドッキリを仕込んだオーダーの目論見も砕いてやれたかもしれない。
とりあえずあれだ、さっきからずっとイラッとさせられているリュクルス様には一矢を報いねばなるまい。オーダーも「あ、こいついま地雷踏んだわ」みたいな顔してるし。
「あのー、リュクルス様? よくよく考えたんですが、やっぱり判定勝ちってダメなんじゃないかと思うんですよ。なのでその話はご破算ということで、俺らはここから戦闘を続けたいのですが」
オーダーに身体を預けてぐだぐだと自分の苦労話をしていたリュクルス様にそう告げると、おそらく理解するのに時間がかかったらしく、3秒後ぐらいに慌ててオーダーから身体を離して困惑の表情をこっちに向けた。
「……? お主は何をわけのわからんことを言っておるのだ? 迷宮主である我が敗北を認めておるのだぞ? お主らの完全勝利に決まっておろうが……」
「リュクルス様こそお戯れを。冒険者であるわれわれが勝利を認めていないというのに、迷宮主様の敗北などあり得ません。さあ続きだ! 行け! ミオさん!」
うちのパーティでただひとり、この急展開に付いてきてくれそうなミオさんに無茶振りしてみたが、ミオさんはサムズアップしたあと伏した白竜にとてとてと近づいていって、白竜のお腹のあたりに体当りした。
「うわー、やられましたクリエさーん。わたしの冒険はここまでですー」
そしてそのまま跳ね返されたような演技をすると、ミオさんはその場にうずくまってしまった。
「くそっ! 切り札の治癒師がやられてしまった……! ここまで来たのに悔しいが、回復なしでこの手強い白竜を倒すのは無理だ……。みんな! 退却するぞ!」
「おー」
「お? おー!?」
マーティンとミックさんはまったく付いてこれていないが、空気に流されやすいディーレは退却に賛同してくれた。ていうかミオさん、冒険がここまでだった人が最初に返事するのはダメなんじゃないかな。
それはそれとしてパーティ内で過半数の承認は得られたということで、あとはこの場を切り抜けて撤退するだけだ。床からマーティンの戦鎚を拾い上げた俺は、仇敵・迷宮主リュクルスに戦鎚を突きつけて高らかに宣言した。
「そういうわけで次こそ決着だ迷宮主! 今日のところは俺達の負けだが、この借りは必ず返――」
「やめいっ!!」
そう叫び、俺が突きつけた戦鎚をリュクルス様がはたく。あまりの衝撃で肩が抜けるかと思った。
オーダーはというと、四つん這いになって肩を震わせている。俺らの即興大根芝居っぷりがツボに入ったらしい。さすがもうひとりの俺。
普通に考えたらふざけていいような場面ではないのだが、まずリュクルス様に緊張感がないし、こちとら頼もしい保護者同伴というのもあって命の危険なんか微塵も感じないので、言いたい放題だしやりたい放題だ。
そもそもこういうのが許されない場だったら、オーダーがあんな「ドッキリ成功!」みたいな感じで乱入してくるわけがない。世界の調和を司る存在がいち冒険者の迷宮攻略に介入していいわけがないんだが、たぶん攻略そのものは終わっているというのに加えて、純粋に「ただの親であり、姉」という立ち位置なら大丈夫とか、そういうルールの解釈になってるんだろう。知らんけど。
なにはともあれいい機会なので、通すべき筋はキッチリ通さないと。保護者同伴じゃないと命が危ないやつだし、そうじゃないときでもこの筋を通せるのかと言われると、そんな自信は1ミリもないけど。
「――リュクルス様、冗談だとお思いで? いや冗談みたいな茶番も挟みましたけど、俺が攻略権を放棄したいのは本気ですよ」
ほら、「さっぱりわけがわからん」みたいな顔してる。そういうとこだぞリュクルス様。
「リュクルス様にとっては『肩透かし』なのかもしれませんが、俺らにとってそれは自分や仲間の死、または心が折れた結果の『迷宮攻略断念』ということを意味します」
さっきの茶番にミオさんがすぐ付き合えた理由も、たぶんそういうことだ。人が命を落とすというのに心を痛めてきたミオさんにとって、「準備なんかどうでもいいからさっさと来い」的な物言いは許せなかったはずだ。
「この迷宮で命を落としてきた冒険者たちは、傲慢な迷宮主に使命とやらを果たさせるために命を賭けたんじゃない。なかには自殺志願者みたいな冒険者もいたかもしれないが、少なくとも俺は違う。この迷宮があんたみたいなのをただ喜ばせるためだけに存在するというのなら、迷宮攻略なんかクソ食らえだ」
「まったくです」
「なるほど、そういうことだったんだね……。僕も同意するよ、クリエ」
「あたしも!」
「……確かに、気分が良いものではないな……」
冒険がここまでだった人がまた最初に同意したが、どうやらパーティの心はひとつだ。
「そういうわけで、どうしてもこの迷宮が攻略された事実が覆らないとしても、俺達は攻略者としての権利を放棄します。お疲れさまでした」
そう言い捨ててオーダーのほうに目線を送ると、満足そうな微笑と、あとは任せておけというアイコンタクトが返ってきた。言いたい放題言っておいて後始末をママにぶん投げるのもどうかと思うが、最初からそこに期待しての振る舞いだったのでこれはしょうがない。
そんじゃ撤収ーみたいな感じで集合して回れ右したところで、オーダーがぶち開けた大扉がずーんと閉じ、だいぶシリアスな感じでリュクルス様がお叫びになられた。
「待たぬかっ!!」
「あっはい待ちます」
言いっぱなしは良くないからね、そりゃ待つよ。
言いたい放題っていうのがリュクルス様に「効く」だろうと思ってやっただけで、本当なら順序よく「人の命をそんな軽く言わないでください」って言葉から始めるべきやつだ。察するにリュクルス様は「人間にとっての命の価値」というのが理解できなさそうだから、なおのこと。
「……我の言葉が何だというのだ。命が惜しいのであれば、そもそも迷宮になど来なければいいではないか。我は一言も来てくださいなどと言ってはおらぬのだぞ」
まあ正論だけど、そういうことじゃないんだよなあ。
「それを言うんなら、俺らだって攻略の権利なんかいらないって言ってるだけですが?」
「それとこれとは話が――」
「違いません。今の俺らは『権利をくれ』とは言ってません。いらないっていうのはそういうことです」
「む……」
わからんということだけわかる、みたいな顔でリュクルス様が押し黙ってしまわれた。突き詰めると好悪の問題でしかないとも言えるので、前提として一般的な人間の感覚を持ってないと、理解するのは難しいだろう。
「俺がこだわってるのは、その後にやってくるものです。俺が攻略の権利を放棄すると言ったときに、リュクルス様はどう思われましたか?」
「それは……期待させておいてそれはないだろう、というか……裏切られたという感じかの」
「俺もリュクルス様にそんなことを思いました。俺らが命がけで攻略してきた迷宮の主は、俺らの命なんかなんとも思っておらず、ただ自分の使命を果たせるのが嬉しいだけなのかと、裏切られた気分です」
「しかし迷宮の役割に関しては、それが事実なのだぞ?」
「俺らがそんなもんに命を賭けたくないのも事実ですが?」
うん、平行線だ。価値観がまったく違う相手に「こっちの事情も察して、思いやりを持ってくれよ」っていうのがそもそも無理な話なんだよなあ。
どういう角度で説明したものかと悩んでいたら、オーダーが俺とリュクルス様の間に割り込んできた。
「リュクルスよ、これは『人間とはそういう生き物だ』というだけの話なのだ」
「お姉様……? そのように申されましても、わたくしには解りかねます……」
「解らなくても、解らねばならんぞ。お前はこれから人間たちと交わり、光の叡智を伝える使命を負っておるのだろう? そのような身が人間というものを理解せずして、使命が務まるだろうか」
「それは……」
あれ、ひょっとしてオーダーがここに来たのは、この話をリュクルス様にするためだったんだろうか。




