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27

 階層主が現れる扉が完全に開ききっても、そこに白狼の姿はなかった。


 予想外の事態をどう受け止めたかと前衛ふたりの様子に目を走らせたが、マーティンとディーレに緊張を解いた様子はなく、さすがの一言に尽きる。


 自分の緊張も維持して前方を見つめ続けていると、空気の震えが感じられるほどの音量で「ぐおおおおおん」という咆哮が上がると同時に、隣室の天井にでも張り付いていたのか、不意に白い塊が降ってきた。白狼だ。

 白狼は咆哮を止めることなく猛然とこちらに駆けてきて、一気に地を蹴った。


 狡猾だろうと予想はしていたが、ここまで狡猾、もとい姑息だとは。


 冒険者たちが緊張を解くであろうタイミングまで姿を見せず、

 頃合いを見てまずは咆哮を上げてビビらせにかかり、

 姿を見せたかと思うと一気に近づいてきて、

 冒険者たちが浮足立っているうちに痛撃を与える。


 獅子は兎を捕らえるにも全力を――というやつなのだろうが、白狼の全力を一言で表すなら「姑息」または「小狡い」という言葉を当てるべきだろう。


 真正面から空中に身を躍らせた白狼の瞳は、しっかりと俺を捉えている。


 対する俺も、そんな白狼の動きをしっかりと捉え続けている。地を蹴ってからの白狼の軌道を即座に把握し終えると、右手の指に込めた力を抜いて矢を放つ。

 狙いは白狼の眉間のわずかに下。その位置であれば、たとえ白狼が頭を捩ってかわしたところで、身体には確実に矢があたる。


 矢を放ったら即座に左腕を右下へと振り下ろし、握り込んだ弓の重さの力も借りて体を捻り込み、上体を屈める。左肩越しに白狼を睨みつけるような体勢になったとき、白狼の頭は2mと離れていない位置にまで迫っていて、咆哮とともに吐き出される生臭い息を感じた。

 体を捻りきり、白狼の姿を視界に捉えられなくなる直前に、射掛けた矢が白狼の左の首筋に突き立っているのを認める。

 最良の結果ではないが、上々だ。初手でオーダーの爪を確実に射ち込むことができれば、こちらの勝利は揺るぎないものとなる。


「だっしゃあ!」


 ディーレの男前な叫び声を耳にしつつ勢いよく床に倒れ込んだ瞬間に、白狼が「ギャン!?」みたいな鳴き声を上げた。ディーレの戦鎚が、俺に飛びかかってきた白狼の横腹を捉えたのだろう。


 床に倒れ込んだ勢いのまま一回転して受け身を取り、無事に勢いを殺して横たわる体勢になったところで、心臓が早鐘を打っていることに気づいた。

 矢を放ってから床に倒れ込むまで、ほんの1秒かそこらの間に、死線を潜ったのだという実感がある。


 迫りくる白狼を肩越しに確認した瞬間から、すべてがスローモーションだった。

 打撲や骨折も覚悟の勢いで自分から床に激突しに行ったはずが、いつまで経っても床との距離が遠く、もどかしい。

 身を捩ったその後ろを白狼が通り抜けていく確かな気配から、少しでも速く遠ざかりたいと気は焦るのだが、ゆっくりと倒れていく身体を加速させる術がない。


 どうにか無事に床に倒れ込み、白狼の牙から逃れられたのだという実感が湧くと同時に、冷や汗が一気に吹き出してきた。

 身体に痛みは感じないし、白狼にぶつかったり引っ掛けられたりした感覚もない。

 背中に熱のようなものを感じるのは、白狼の気配の残滓だろうか。

 ともあれ、初動には成功した。


「――フウッ!」


 マーティンの鋭い息吹が耳をつく。

 理想的な展開であれば、ディーレの弾き飛ばしが見事に決まったあとは、マーティンが仕留めて試合終了だ。

 

「ギャウゥゥ!?」


 驚愕の色を乗せた悲鳴を白狼が上げた。

 おそらくマーティンが綺麗な一撃を決めたのだろうが、仕留めるには至らなかった雰囲気がある。

 息の根を止められていないなら、加勢が必要になるかもしれない。そう思って急いで体を起こそうとしたら、ミオさんが覆いかぶさってきた。


「クリエさん、動かないで!」


 顔に柔らかいものが当たっていて気持ちいい……などと場違いなことを思いつつ、背中に感じていた熱が燃え上がりそうなものになっていることに気づく。


「大丈夫、大丈夫ですからね……! 『癒やしを(ヒール)』」


 ミオさんの言葉と同時に、視界が緑の光に包まれた。

 背中の熱が急速に引いていく。


「むううぅんっ!!」


「ギャッ……」


 自分の身に何が起きたのかをようやく理解し始めたとき、ディーレの渾身の気合が響き、白狼が弱々しい悲鳴を上げる。


 それきり、階層主部屋は静かになった。

 白狼が上げた悲鳴が断末魔だったという事実を、静寂が伝えてくる。


 顔に当たり続けている柔らかな感触を楽しみつつ、矢を放ってからこの瞬間までにどんなことが起きたのかを、ぼんやりと察した。

 なにはともあれ、一件落着だ。

 深い安心感に包まれながら、俺は意識を手放した。



「――知らない天井だ……」

「どっちの人生でも顔の造りには恵まれたとこっそり自惚れてましたが、まさか天井呼ばわりされることがあるとは思いませんでしたよ?」


 意識を取り戻し、瞼を開いた瞬間に視界に飛び込んできたのは、俺の顔を覗き込んでいるミオさんの整った顔だった。改めて美人だと思うし、これぐらい距離が近いと迫力のようなものがある。


「そこはお約束ということで。それで俺はどうなってたの? 白狼の爪に引っ掛けられた感じ?」

「はい。わりかしザックリいかれてましたよ。急に失血しましたので、血圧低下でブラックアウトです」

「ぐぬぬ、想定が甘かったか……。そりゃ空中でも腕ぐらいは伸ばせるよなあ……噛みつかれさえしなければ大丈夫とか思ってた」

「クリエにしては、随分と大雑把な見立てだったようだね?」

「手札が増えた分、ちょっと横着しちゃったなあ。即死さえしなきゃミオさんがなんとかしてくれるだろうし、俺が離脱してもオーダーの矢を受けた白狼を相手に、マーティンとディーレが遅れを取るはずがないなって思ったせいで、開幕で勝負を決めるのにこだわっちゃったな」

「そういう信頼は嬉しいんだけどね……クリエの身に何かがあって、僕らが平常心でいられるかどうかっていうのも考慮して貰いたかったかな?」

「あー……そういう思いをさせちゃったか。ごめん、軽率だった」


 これは……やらかしてしまったな。

 言い訳をさせてもらえば、白狼が想定以上に速かったというのが大誤算だ。白狼が飛びかかってきて俺に迫るまでがあとコンマ1秒でも遅ければ、たぶん無傷か皮一枚ぐらいで爪を避けることができたし、そもそもあれほどの速度だと想定していれば、爪に引っ掛けられる可能性も頭をよぎったと思う。


 などと頭の中で反省会をやっていたら、意気消沈したディーレが寄ってきた。


「ごめんね、クリエ……あたしがあとちょっと速くぶっ飛ばしてれば、クリエに怪我なんかさせなかったのに……」

「気持ちだけ受け取るけど、あれはしょうがないんじゃないかな……。俺だって白狼があそこまで速いとは思ってなかったし、ディーレもそうだったんでしょ?」

「うん……だから……あたしがあいつを舐めてたせいだよ……」

「と言っても、俺がおいしいカモに見えるように、前衛のふたりには可能な限り離れておいてもらいたかったからなあ。俺はもっと策を磨くし、ディーレも腕を磨くってことで、この先で取り返していこうぜー」

「うん、約束する。絶対に取り返す」

「しかしディーレはもう……いくらか取り返したのではないのか……」


 そう言葉を挟んできたミックさんによると、俺が白狼に背中ガッサーいかれて血の花を咲かせたときに、ディーレが逆上して真・魔族化みたいなやつになったらしい。

 マーティンが白狼の首に半分まで剣を食い込ませたあと、止めにもう一撃を振るおうとしていたところに、バーサクモードのディーレが横から突っ込んできて、戦鎚の斧刃で白狼の首をすっ飛ばしたとか。


「違うの、ミック。仇じゃだめなの。あたしがああなっちゃう前に、ちゃんと勝たないと」


 なるほど。ディーレのバーサクモードって、今んとこは「大事に思ってるやつの流血沙汰」っていう発動条件だから、発動すなわち仲間の危機か。そうなる前に快勝したいと。なるほどなるほど。


 ゆうてマーティンが流血したときって、なんも危機じゃなかったけど……。


「俺のことも大事に思ってくれてるんだな。ありがとな、ディーレ」

「大事に決まってるよ……。あたしね、このパーティのみんなも、ロマノフも、オーダーさんも大好きなの。一番はマーティンだけど、順番なんかほとんどないかなって思ってて」

「そっか。んじゃみんなが傷つかないでいいように、頑張ろうな」

「うん!」


 そのあとミックさんにもミオさんにも、ごめんなさいとありがとうを言って大団円となったが、目が覚めてからずっとミオさんに膝枕された状態だったので、なんかものすごく気恥ずかしかった。


「第5階層に挑めないのは残念だけど、またすぐ白狼にリベンジできるのは、悪くないね」

「うん! クリエ、次も今日のやつでやろう?」

「おー、そうだな。実際どんぐらい速いのかは分かったし、同じ手でもイケるかもしれん」

「クリエさんの足にロープを結んでおいて、矢を射ち終わった瞬間にわたしとミックさんが引っ張って、すっ転ばせながら回収っていうのはどうですかねー」

「……転ばせずとも……ロープで引き寄せるだけで良かろう……」


 次回でのリベンジを誓って、残念ながら今日はここまでだ。


 ミオさんのおかげで怪我がすぐに治るといっても、失った血のすべてが戻るわけではない。

 気絶するレベルの失血をしたということなら、きちんとコンディションを回復させてから出直すというのが妥当な判断だ。


 伝説に肩を並べるところまで行けなかったのは悔しいが、次回で達成するのは確実っていうか、なんなら更新しちゃうしな。


 とにかく、生きてて良かった。死線とか二度とくぐりたくない。

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