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 自由行動の1週間は慌ただしく過ぎ去り、その間にイクイリウムへの帰省ツアーの予定もまとまった。俺の実家で最長5泊ぐらいを目処に、行って帰って10日ぐらいの日程だ。メリヤスからイクイリウムまではおよそ200kmの道のりなので、行き帰りの道中では野営を挟むことになる。


 出発の朝、訪ねてきた日に使ってた客間にそのまま住み着くことになったミオさんが用意した朝食で、我が家の食卓は興奮の坩堝と化していた。


「まさか、このクオリティのパウンドケーキを口にできるとは……!」

「これは……すごく美味しいものだね!」

「クリエ様、この菓子はパウンドケーキと呼ぶのですか? パウンド、とは?」


 うっかり口が滑ったところに、ロマノフががっつり食いついてきた。ここ数日、ミオさんと地球トークで盛り上がってたせいで、禁止ワードへの配慮がガバガバだ。この世界にケーキはあるけど、ヤードポンド法は採用されてないからパウンドの説明が……って、そのまんま重さでいいのか。


「竜の知恵によると、辺境地域で使われる重さの単位らしい。それぞれの材料を1パウンドずつ使うから、パウンドケーキ」

「ほう……材料それぞれを同じ分量ずつ……」

「ちょっとアレンジしてみましたけどね。クリエさんから教わったレシピをもとに、粉と乳脂を10とすれば、砂糖と卵が9ずつです」


 俺のやらかしに気づいたミオさんが、苦笑いを浮かべつつ話題を引き取ってくれた。もともとこっちの世界で成人していたミオさんは、この手の転生者あるあるなやらかしは皆無らしい。ずるい。


 しかしそんなことはどうでもいい。いまわれわれが目を向けるべきは、賢人ミオの地球知識により、この世界に精製小麦に近いものがもたらされたということだ。


『クリエさんは地球の健康ブームの流れで、小麦粉は全粒粉派なんですか?』

『いや全然。炭水化物は白ければ白いほどうまいって信じてる派』

『それでどうして全粒粉パスタを?』

『いや、この世界って全粒粉しかないし。自分で皮とか剥いて挽くのは面倒だし』

『粉をふるえばいいじゃないですか』

『は?』

『目の細かいざる……この世界だとまだ手に入れにくいですね……じゃあえーと、目の荒い布で篩いましょう』

『え? そんなんで精製できるの?』

『精製とまでは行きませんけど、皮とかの「ふすま」の部分はそこそこ取り除けますよ?』

『そんなんでいいんだ……。俺、全粒粉を白くしようと思ったらすごく精密な風魔法で粉だけ飛ばすか、ふすまだけ飛ばすとかしなきゃいけないかと思ってた……』

『それたぶん精米のときの籾殻を飛ばす発想ですよね? ていうか全粒粉を使ったことないんですか?』

『ないよ。炭水化物は白ければ白いほど……』

『あー、そうでしたね』


 思えば粉を篩わない人生だった。ダマを作りたくない料理のときは粉を量り入れたボウルに泡立て器を突っ込んで、ぐるんぐるんかき回すだけで済ましてた。それでダマができないかいうと、もちろんできるんだが。やらないよりはマシという程度の効果はある。


 というか粉を篩うかどうかは関係ないか。全粒粉に触れてきたかどうかだ。そんな経験ねえよ。出来合いのものなら「たまには健康っぽいやつにするかー」って胚芽入りパンとか選ぶことはあったけど、自分で作る料理でわざわざ高価な全粒粉を使おうとは思わん。全粒粉がメインストリームになって従来の精製小麦粉が生産量縮小で高級品になったら、たぶんそのときに「粉を篩う」というライフハックを知っただろうな……。


「しかし、粉を篩ってまでパスタを打ちたいかというと……」

「労力に見合うかは微妙ですよねえ。全粒粉のほうが栄養価は高いですし」

「当面は、ちゃんとおいしいお菓子を食べたいとき限定かな。クレープとか」

「でも全粒粉のクレープって、ヘルシー志向の人たちなら定番ですよ?」

「それは俺の中でガレットということになってるから」

「なんですかそのこだわり。でもまあ、言い得て妙ですね」


 餃子とかうどんとか、精製した小麦粉じゃないと気分が出ない食べ物っていろいろあるけど、ひと手間挟んでまで作りたいかっていうと微妙なんだよなあ。篩い分けた後に残るふすまを、どうやって料理に使うかってのも地味にめんどくさいし。成分的には食物繊維と栄養素の塊なんだけど――ん?


「ひょっとして、篩ったあとのふすまを小さく固めて丸薬みたいにしたら、売れたりとか?」

「小麦粉をわざわざ篩って食べるの、クリエとミオさんぐらいだと思うけど?」


 あっそうか。サプリメントとかの機能食品的なこと考えてたけど、この世界の人たちは基本的に栄養満点の全粒粉文化だった。どうにも地球脳でいかんな。


「遭難して獣や魔物のお肉しか食べ物がないようなことがあれば、便利かもしれませんね?」


 フォローしてるようなこと言ってくれてるけど、「ちょっと地球脳すぎませんか?」とでも言いたげに目が笑ってるぞミオさん。誰のせいで地球脳になったと思ってんだ。


 ミック商店の売り物が増えるかと思ったけど、ダメか。異文化チートって、地球でウケたものならなんでもいいってわけじゃないんだな……。





 街の入口からほど近くにある待ち合わせ場所の広場に到着すると、すでに全員が揃っていた。総勢8人、2台の馬車に分乗するということで、ちょっとしたツアーみたいな規模だ。


「やあ、おはよう、クリエ君。誘ってくれて嬉しいよ」

「おはようございますダニーさん。絶対来ると思いましたよ」

「そりゃあね! こんなに興味深い機会に恵まれるなんて、ボクはキミとの出会いに本当に感謝しているよ!」

「もともとガルフさんからの縁ですよ。あの面倒見のいいおっさんにも感謝してやってください」


 何もかも予想していた通りに、ダニーさんのテンションが高い。ディーレには「クリエのお母さんのドラゴンに会いに行くけど、一緒に行く?」とダニーさんに伝えてくれと頼んでおいたが、どうやら効果覿面だったようだ。


 って、ダニーさんじゃなくても食いつくか。ドラゴンだもんな。安全さえ保証されれば誰だって見てみたいよな。


 グループ分けは、先行する馬車Aに俺とロマノフとダニーさんとミオさん、後続の馬車Bはマーティンとディーレとミックさんとギルド長ということになった。雲ひとつない、と言おうとしたらぽっかりひつじ雲が浮いてるようなよくある晴天の街道を、2台の馬車がぽっくりぽっくりゴトゴトと行く。のどかだ。


「良い日和に恵まれましたな」


 日頃の行いがいいからな。って軽口をロマノフに返そうとしたけど、「誰の?」ってことになるとめんどくさいのでやめた。ああでも、御者が晴れ男という可能性はおもしろいな。「どっちの?」ってなるのはさておき、必ず好天に恵まれるとか、これまで魔物や盗賊に出会ったことがないっていう触れ込みの御者や馬車は人気が出るかもしれない。真面目に週6ぐらいで働いてたら絶対に雨は降るけど。


「そういえばクリエ様、わたくしの古傷が……」


 声のトーンを落とし、ロマノフが天気の話から話題を急転換してきた。これが雨だったら古傷が疼くんだよなあ、みたいなことでも考えていたんだろうか。


 ロマノフが口にしようとしている内容はすぐに察したので、ダニーさんとミオさんに手招きして近くに寄らせて、ロマノフに続きを促す。


「……古い傷跡が、小さく、細くなってきております」

「そうか……。念の為に訊くけど、これまでそういう経験は?」

「ありませぬな。おそらく、ダニーの指輪からのことかと」

「ふむ……ミオさんの治癒でも、古傷を治すことってできるの?」

「できなくはないみたいですけど、やりませんね」


 ん? なんでそんなふわっとした感じ? 狙ってできないってことだろうか。


「ええとですね、古傷を治すっていうのは単純に傷を閉じるのと、ちょっと違うんです。世界の理に関わる話になりますけど……」


 そう言ってミオさんが「いいんですか?」という目を向けてきた。これは地球の医学知識をぶっ込んでもいいのかっていうことだろうな。明日か明後日には地球人ですってカミングアウトするつもりで、ミオさんもそれは知っているんだけど、そのタイミングを早めても「いいんですか?」と。


「馬車に乗ってるだけってのも暇だから、いいよミオさん。ちゃんと説明してほしい」

「わかりました。治癒で傷を塞ぐというのは、本人や治癒師のマナを使うことで『体が回復しようとする働きを強める』ということです。これは傷口の周辺にだけ作用し、傷口の端っこから新しい細胞――人の体を作っている、とても小さな粒のようなものを増やしていき、やがて傷口がたくさんの粒によって埋め尽くされ、塞がるという現象になります。髪の毛が伸びていくのと同じものと思っていいです」


 細胞という新しい概念に触れたロマノフは驚愕、ダニーさんは少年のようなキラキラした目になって、ミオさんの話の続きを待っている。ブレねえなあ、ダニーさん。


「古傷というものはすでに新しい細胞によって傷口が埋め尽くされている状態なので、それ以上の回復というものはあり得ません。また、皮や肉と違って『人間の』骨は回復する力がとても弱いので、たとえば腕を失った場合に治癒を行うと、皮と肉の細胞だけが先に増えて傷が塞がってしまい、骨が再生できなくなります。治癒によって身体の欠損が『基本的に』治せないのは、おおよそこういうことが理由です」


 トカゲなんかはしっぽが切れても骨ごと再生できるけど、人間には再生できる部位とできない部位があるから、程度の酷い欠損は治らないんだよなあ。地味だけどクリティカルなとこでは、たとえば心筋には再生能力がないっていうし。


「欠損や古傷を治すというのは、その人が本来持っている『身体の設計図』をもとに、身体を先祖返りさせるような作用が必要となります。その方法はまだ見つかっておらず、現状では治癒の魔法に膨大なマナを注ぎ込んだ際に、とても僅かな欠損の修復が認められることがわかっている程度です」

「それは、治癒の力に『身体の設計図を参照する術理』が含まれている、という理解でいいのかい?」

「そこは微妙ですね……。身体の設計図に効率よくアクセスすることができれば、今よりは遥かに少ないマナで、欠損部分の再生が可能になる予感はありますが」

「たぶん現状で知られてるのは別のやり方というか、間違ってて物凄く効率が悪いんだけど、欠損の修復もできなくはない、ということなんだろうな」

「わたしもそう考えています。これ以上は傷を塞げないという状態でどんどん治癒の力を注ぎ込んでいくと、身体の設計図を参照する領域に届くのかなと」

「つまりわたくしの身体には、ダニーの指輪によって治癒の力が注ぎ込まれ続けていた、ということですな」


 感慨深そうに古傷を眺めつつ、ロマノフがそう結論づけた。クレアさんに体調不良をもたらしたダニーさんの指輪は、作用そのものは穏やかであっても、周囲の人族に延々と治癒の効果を与え続ける言わば【回復の指輪】だ。


「逸品なんだけど、冒険者が使うにしては瞬発力に欠けるなあ……」


 ロマノフに倣うように指輪を撫でつつそうぼやくと、みんな一斉に首肯した。10日以上もこの指輪を嵌めた俺の近くで暮らしていても、ロマノフの古傷は消えたわけではなく、少し小さくなったとか細くなったとか、その程度だ。その間にロマノフが怪我でもすれば、普段よりも傷の治りが早いぐらいの実感はあっただろうが、いつもなら3日かかるところが2日になる程度だろう。


 とはいえ、ロマノフの古傷に変化が見られる程度には、膨大なマナが治癒の力に変換され続けていたのも間違いない。効果が地味なだけで、この指輪が起こしている現象はとてつもない。


 これでまた償還品の効果を検証する際に留意することが増えた。償還品道、深すぎるだろ。極めるまでにどれだけ遠くて険しい道のりなんだ……。


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