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かつての治癒師

 わたしには特別な力がある。


 その力は、他の人のケガを治せる力だ。傷を塞ぐだけじゃなくて、ちょん切れてしまっても元通りにつなぐことができるのは、特別な力のなかでも特別中の特別なのだと言われた。


 わたしが6歳のとき、仲良しだったメイドのマルテが、わたしが割ってしまったお皿を片付けようとして指にケガをした。マルテは自分のドジをしきりに謝ってきたが、謝るのはわたしの方だ。わたしのためにやってくれてることなのに、わたしのことは絶対に責めようとしないマルテに申し訳なくて、わんわん泣いて謝った。


 悪いのはわたしなのに、どうしてマルテはいつも、こんなに優しい笑顔を返してくれるんだろう。


「ごめんね。ごめんねマルテ。痛い? 痛いよね?」

「大丈夫ですよお嬢様。わたくしたちはこのようなことには慣れておりますから。といっても、新人のうちに慣れるだけで、あとはこんな失敗しないんですけどね。これはわたくしの失敗なのですから、お嬢様にご心配を賜るなど、もってのほかです」

「でも、でもっ、わたしのために――!」


 そのとき、ケガをしたマルテの手を包み込んでいたわたしの両手が、薄緑色にぼんやりと輝いた。


「――!? お、お嬢様!?」

「ふぁっ!?」


 いきなり驚いたマルテの声に、わたしのほうが驚いた。マルテは「信じられないものを見た」という顔で自分の手とわたしの顔を交互に見比べて、お父様の書斎へと駆け込んでいった。


 マルテに連れられてきたお父様は、叱られるのを覚悟してしょげているわたしの頭を、どうしてなのか優しく撫でてくれた。本当に、この日が来てしまったのか――と呟きながら。



 それからお父様は、わたしに癒やしの力があるのだと教えてくださった。わたしがまだ生まれたばかりの頃に「この子には癒やしの力がある」と予言した賢者様がいらっしゃったことも。


「その力をどう使うのかは、お前の自由だ。私としては困っている人たちのために使ってほしいと思っているが……。しかしどのような使いかたをするにせよ、それを決めてしまうにはまだ、お前は幼い」


 癒やしの力が何をもたらすのか――そのことをわかっているかのように、お父様はそう言ってくださった。もしかすると、そういうことも賢者様から教えを受けていたのかもしれない。



 お父様に心配をかけていることを自覚しつつも、わたしは癒やしの力を磨いていった。この力をどう使おうかと決めようにも、この力で何ができるのかを知らねばならないと思ったからだ。


 そして何よりも、私を産んですぐに亡くなってしまったお母様のように、これから迎えるはずだった幸せを前にして命を落としてしまうような人たちを、わたしの力で救えるならと。残念ながらそれは私の思い込みで、癒やしの力で治せるのはケガだけで、病気などで生きる力がすり減ってしまった人たちは、救うことができなかったのだけど。


 成人間近の14歳になった頃、他の国との戦争が始まった。十分に力を磨いたと思っていたわたしがお父様に「傷を負って死にゆくような人たちを助けたい」と伝えると、お父様はやっぱり心配そうな顔で微笑みながら「それがお前の決めた道なら、応援するだけだ」と言って後押しをしてくださった。


 お父様の口利きで、さまざまな傷を負った人たちが屋敷にやってくるようになった。わたしの癒やしを受けて傷が治った人たちは、みんな感謝の言葉をかけてくれる。そのうちに治療した人の家とのお見合いの話が舞い込み始めたのには閉口したが、わたしの力が誰かの役に立っているということは嬉しかった。



 あるとき、騎士団の偉い人が屋敷にやって来た。治療のためではなく武功を立てたお礼をと、わざわざお父様を訪ねてくださったのだという。


 わたしが治療したとき、その人は最前線で戦う下級騎士で、千切れた右腕と一緒に運び込まれてきたのを思い出した。あれほどの怪我を負ったのに騎士団に戻ったということに驚いたが、その人の武勇伝を聞かされたことで、わたしはもっと大きなショックを受けることになった。


「一度死んだ命だからと覚悟を決めて以来、剣が冴えに冴えましてな。軽く100人を越す敵どもを屠り、この通りに騎士団長を拝命するに至りました。ご息女には感謝しかありませぬ――」


 わたしが救ったのはこの人ひとりなのに、この人は100人以上を、殺した。



 その日を境に、わたしは癒やしの力が使えなくなってしまった。本当は使えたのだが、これ以上は戦争の手伝いをできないと思ったわたしが、お父様に頼んでそういうことにしてもらったのだ。


 お父様が何を心配してくださっていたのか、そのことにようやく気づいたわたしは、お父様に何度も謝った。しかしお父様はあの日と同じように、ただ優しく撫でてこう言ってくださった。


「お前がそのことに気づき、自分の意志で治癒師の行いをやめただけで十分だ。これからは、その力でどんな人を救うのか。そのことをゆっくり考えていくといい」


 そう諭してくださったお父様が凶刃に倒れたのは、それからほんの数日後のことだった。



「――どけ、国家の一大事なのだ」

「どきませぬ。我が娘にはもう、癒やしの力は使えないのです」

「そんなことは実際に王子の手当をさせてみねばわからん。どかぬなら斬ってでも押し通るぞ」

「おやりなさいませ。娘を守ってこの命が尽きるなら、あちらで待つ妻にも顔向けができようというもの」


 そこから先の問答はなく、騎士に胸を一突きにされたお父様は、短く苦鳴を上げたきり動かなくなった。


 お父様のもとに駆け寄ろうとしたわたしは、マルテに止められた。


「旦那さまのお言いつけです。お嬢様、どうか、どうか……!」


 わたしの懇願を聞き入れず、後ろからわたしを抱きかかえていたマルテは、騎士がこちらに向かってくると、わたしをかばうように騎士に背中を向けた。


 剣が風を斬る音と、何かを断ち斬ったような音。


 わたしの顔の横をマルテのメイド帽が撫でていく。わたしの足元で、とん、と音がした。


 急にバランスを崩したマルテに連れられて、横倒しになってしまう。


 マルテはしっかり抱きかかえてくれているのに、どうしてわたしの目の前にマルテの顔があるんだろう。


 どうして、マルテは、わたしの大好きな笑顔で笑っているんだろう。


 わたしが泣く時には、いつも、この笑顔で。


 笑顔のマルテを手に取り、身をよじって元通りにすると、わたしはありったけの癒やしの力を開放した。





 目を開けて最初の記憶は、わたしに優しく微笑んでいる黒髪と黒眼の女の人だった。


 16歳だったはずのわたしは、まったく知らない人たちの赤ちゃんになっていた。住み慣れた屋敷はなく、お父様も、マルテもいない。生まれ変わったことを知ったわたしは毎日わんわん泣いて、お父さんとお母さんの手を煩わせてしまった。ごめんなさい。


 わたしのまったく知らないこの世界で、わたしは癒やしの力を失っていた。お父様とマルテに申し訳ないと思いつつも、わたしにその力がなくて、優しいお父さんとお母さんに心配をかけずにいられることが嬉しい。


 テレビ、パソコン、音楽プレーヤー、ビル、車、電車、飛行機、ハンバーグ。生まれ変わった世界は、まるで魔法のような世界だった。きっと魔法でも、こんなことはできなかっただろう。ハンバーグを除いて。


 ここに癒やしの力があれば、もっと便利なのになと思うこともあったけど、そのたびにダメだダメだと自分を戒める。そんな力があったせいで、お父様とマルテはあんなことになったんだから。


 お父さんとお母さんの愛情に囲まれてすくすく育った10歳のとある日。学校帰りで信号待ちをしていたわたしは、後ろから男の人に抱きかかえられながら、突っ込んできた車に跳ね飛ばされて宙を舞った。車に当たった衝撃も、その後で地面に叩きつけられた衝撃も、びっくりするほど軽かった。


 危ない!と叫んでわたしを抱きかかえた男の人は血だらけで、喋るのも辛そうなのにわたしの頭を撫でて、ずっと「大丈夫、大丈夫だよ」って微笑みかけてくる。なんだかマルテみたいな人だなと、少しだけ思った。今にも死んでしまいそうなのは自分の方なのに、わたしの心配ばかりしていて。


 必死に癒やしの力を使おうとしたが、どんなに頑張っても力は使えない。


 そのうち救急車のサイレンが聞こえてきた頃には、その人は目を閉じて喋らなくなっていて、わたしはまた、命を庇ってくれた人を救えなかったことを悟った。


 そして、癒やしの力がなくとも人を救う方法はあると、医者を志し始めてしばらく経ったある日のこと。事故後の後遺症の定期検診の際に「白血球の再増加が見られる」と精密検査を受けた結果、悪性の白血病ということが判明してしまった。


 お父さんとお母さんと、命を救ってくれたあの人に、ただただ申し訳なくて、どんなに謝っても謝り足りない。なのにお父さんとお母さんにも「丈夫に産んであげられなくてごめんね」とすごく謝られて、どうしていいのかわからなくなって家族でわんわん泣いた。


 それでも望みを捨てずに、文字通りに必死だとか命がけとかで勉強して、白血病とも闘ったけど、わたしと家族の願いが叶うことはなく。


 死ぬのはたぶん二度目だけど、最後までお父さんとお母さんが一緒にいてくれて、幸せだったなと思う。ずっと隠してたけど普通の娘じゃなかったし、長生きもできなくて申し訳ないんだけど、お父さんとお母さんの子供でいられたのは、本当に嬉しかったよ。





 そうして長く眠った気がして、扉が開いたような音で目を開くと、まったく知らない場所にいた。部屋に入ってきたのは女性のようだが、目の焦点がうまく合わなくてぼんやりとしか姿を捉えられない。声もかけてみようとしたが、喉にうまく空気が通らない感じがして、だめだった。


「――お嬢様!? よくぞ、よくぞ……。お帰りなさいませ……」


 かけられた声は震えていて聞き取りづらかったけど、声の主はよくわかる。わたしの大好きな、わたしのお母様のような方だった、あの人だ。


『ただいま、マルテ……』


 唇の動きだけでそう答えたとき、わたしは再び目を覚ました。



「この夢、しばらく見てなかったのにな……」


 夢のきっかけに心当たりはある。久しぶりに会った少年の前で心の歯止めを失ってしまい、感情任せに積年の想いを叩きつけてしまったせいだろう。


 頭が覚醒してきたところでベッドの上に上体を起こし、合わせる顔がないなと落ち込んでいたら、ドアを3回ノックする音が聞こえてきた。

3章のプロローグ部分になる予定のパートでしたが、ディーレとマーティンの話が長引きそうなのでいったん引っ込めて、ようやくここでお披露目になりました。

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