09
「おはよう、クリエ」
「おはよう……クリエ……」
「おはようございます、クリエ様」
「お、おう。おはよう……?」
起きて鍛錬前に軽くなにか腹に入れようかとダイニングに行ってみたら、当然のようにマーティンの横にディーレがいた。泊まったんかーい。
そうかこれは、ゆうべはおたのしみ案件! とか思ったけど、距離感と雰囲気から察するに未遂と思われる。せいぜい同じベッドで抱き合って寝て、キスしたぐらいか。若いのに分別あるなあ、キミタチ。
そんな感じでニヨニヨしながらバカップルに向けていた生温かい視線をテーブルの上に移動させると、妙な違和感があった。先客の3人の前に、それぞれ食べ終えたらしき食器があるのだ。
「そういやダニーさんに聞いてなかったけど、魔族の食事って、どんな感じなの?」
「人族と好みは違いますが、こちらでもいくつか食べられるものがございますよ」
ディーレに訊いたつもりだったが、まさかのロマノフが答えてきた。なにその博識っぷり。執事なら当たり前の教養とかそういうやつ?
「クレアのときに苦労しましたからな」
胡乱げになった俺の目から素早く疑問を読み取ると、ロマノフはそう続けた。さすが同居5年のアイコンタクト。ツーとも言わずにカーと返ってくる。
「そっか。ロマノフはクレアさんとも知己だったのか」
「ガルフとはそれなりの縁がありましたゆえ、早々に泣きつかれました。魔族の食べ物を教えろと」
さすがに当時のロマノフでも魔族が何を食べているのかなんか知らなかったので、クレアさんと引き合わあせてもらって話を聞いて、いろんな肉を焼いたり草を煮たりしてみて、匂いや見た目的にイケそうなものを探していったらしい。
その結果、味がエグかったり、毒ではないが食べるとお腹を下したりして、人族が好まないようなものが魔族の好みだということがわかったとのこと。例えばフォレストウルフの肉とか、齧るとただ苦くてエグいだけの雑草だとか。
「ブラックウルフ……おいしかった……よ?」
「そっか。じゃあ次に第4階層に行ったときに、いっぱい持って帰ろうな」
ふと、ディーレ的にフォレストウルフとブラックウルフのどっちが好きなんだろうかと、そういう疑問が頭をよぎる。そのへんの森で人族に合ったマナに触れて育つフォレストウルフと、迷宮内のマナから生み出されたと思われる迷宮ブラックウルフとでは、魔族的に味や栄養価が違ったりするんじゃなかろうか。
「クリエ様、最初は少し多めぐらいでお願いいたします。干し肉にしてみて、ディーレ様がそれでも召し上がれるようでしたら、その後は多めでも構わないでしょう」
「おう、道理だな」
出た。異世界名物食品保存問題。まだ氷魔法が存在せず、魔石から魔力を取り出すのも人力だけが頼りでもって、取り出した魔力はその瞬間にしか使用できないこの世界において、冷蔵庫というのはなかなかハードルが高い。
しかし俺は知っている。この世界のどこかには、魔力を通せばある方向からは吸熱し、ある方向からは放熱するという、それひとつでペルティエ式冷却が可能となるすごく不思議な鉱物が存在するのだ。幼少時にオーダーからこの世界の文明レベルを教わったときに、冷蔵庫の可能性について雑談した流れでその話が出た。
もちろんそこから先のこと、たとえば魔石から自動的に魔力を取り出して使う機械的な仕組みの可能性とか、すごく不思議なペルティエ石(仮称)の産出地なんかについては訊かなかったので、どうすれば冷蔵庫が作れるのかは知らん。迷宮攻略に関しては異世界知識と実家の教育をフル活用して挑むつもりだが、文明の発展となるとラノベ脳のせいで腰が引ける。
は? 冷凍庫? どうせペルティエ石(仮称)に魔力をいっぱい通せば、すっごく冷えたりするんだろ。こんだけ雑な感じの世界がまさか、地球みたいに「ペルティエ式での冷却温度には限界がある」とかケチなことを言うはずがない。
ディーレも加えて朝の鍛錬を終えたあと(ディーレは瘴気切れなのでおもに見学)、迷宮に向かう途中でいちどディーレと別れて、迷宮の近くで再合流することになった。
迷宮探索やってるんだから一泊や二泊の泊まりは不思議なことじゃないけど、とくに命の危険があったわけでもなく無事だということぐらいはダニーさんに伝えておかねば悪いだろう。ということでディーレが無事の報告に向かい、俺とマーティンはミックさんといつも待ち合わせている迷宮近くの草っぱらに座り込んでる。
ほどよい陽気で、風も穏やかだ。閉鎖空間である迷宮に籠りがちな身としては、こういう開放的な時間というものに心が癒される。さあマーティンくん、この絶好のシチュエーションのもと、話したいことがあるならなんでも言ってみたまえ。
「ディーレがね、ずっと一緒にいたいって言ってくれたんだ」
「将来の約束!? 展開早えな!?」
「将来ってほどでは……いや、そうだね。将来の約束だ」
「ふむ。これからどうしますー? 俺はマーティンとはずっとパーティ組んでいたいけど」
「僕もそうしたいけど、僕の都合でクリエを振り回せないでしょ?」
「場合によるかなー。例えばしばらく実家に帰らなきゃいけないとかになったら、さすがに俺はついていかんけど。だからってパーティ解消ってわけじゃないし」
「そういうもんなの?」
「そういうもんでいいんじゃないの? お互いに付き合えるときは付き合って、久しぶりーみたいな感じだったりして。ロマノフとギルド長とか、なんかそういう感じじゃん」
「そういえばそうだね。そっか、心配事がなくなっちゃったよ」
「ただまあ、子供という問題がな……」
「僕はまだそういうつもりはないけど、ディーレ次第だね」
「授かる気がなくても、授かるときは授かるもんだしなあ。まあ一応、子供を望まないうちはディーレの中で出さないように」
「えっ? それで授かりにくくなるものなのかい?」
えっまさか妊娠の仕組みがわかってないの? マジかよ異世界。
いや、単にマーティンが知らんだけという可能性もある。男子の保健体育は男の先生が受け持つのが基本ということで、クリエおじさんがマーティン坊やに教えてやらにゃいかんかな……。
どのへんから教えたものかと悩んでいたら、ディーレより先にミックさんが合流した。試しに避妊法について訊いてみれば「出る前に抜く」って普通に知ってた。なんでも娼館で教わったらしいが、たいていの場合はアフターピルみたいなのがあって、そのおかげで男が工夫しなかったとしても娼婦はそうそう妊娠せずにすむらしい。なるほど納得。
その情報をマーティンにフィードバックしたら、また「えっ? そんなものがあるのかい?」って言われた。なんで娼館に行ったことがあるくせに、この天才はどうしてそういうとこを疑問に感じないんだろうか。
ははーん、さては貴族だからだな? 貴族は跡継ぎがいっぱい必要だからメイドなんかにも手を付けまくりで、およそ避妊の概念がないっていうのはラノベでさんざん勉強した。俺は貴族に詳しいんだ。加えて、呑み会やるときは基本鳥○族という筋金入りでもある。なんならトリキの錬金術師と呼んでくれても構わない。(錬金したことないけど)
そのあとマーティンへの性教育をミックさんにぶん投げたり、ダニーさんのとこで確認したマナという視点からの償還品についての考察を発表したりしていたら、予想よりも大幅に遅れてディーレが合流した。いちど別れたときよりもずいぶんとしょげ返っている様子で、てっきりダニーさんにマーティンとの交際を禁じられでもしたのかと思えば、トレードマークの大斧を背負っていない。
「遅くなってごめん……ね? あたしの斧……ダメになっちゃったんだ……」
どう考えても長話になる一大事だったので、瘴気を補充させるべくひとまずディーレを迷宮に引っ張り込んで、第1階層の主を倒したあと安全地帯の階段で話すことにした。
「斧が駄目になったって、何があったん?」
「家に帰ってパパと話したあと、着替えようと思って斧を外したときに気づいたの。片方の刃のとこにヒビが入っちゃってて……」
「なるほど……」
ひょっとするとディーレは気づいてないのかもしれないが、斧がオシャカになったその理由について、俺とマーティンとミックさんには心当たりがありすぎる。マーティンの流血で我を失い、完全魔族化というか超魔族化というか、超魔族3ぐらいになってた感じのときのディーレは、斧を振り抜く勢いが余りすぎていて、壁だの床だのにガンガン叩きつけていたのだ。
意気消沈しているディーレの頭越しに男3人が目で会話した結果、そのあたりの確認や説明はマーティンに任せることで一致した。ミックさんは単に適役を指名しただけだっただろうけど、俺は考えたいことがあったのでマーティンに押し付けた。
償還品に限らず、剣身や斧身にヒビが入った武器というものは直せない。どうしてもというなら鋳潰して鍛え直す(打ち直す)ことになるが、償還品が鋳潰せるのかはともかくとして、付与されていた迷宮からの恩寵は失われるだろう。
そのあたりの事情を考えると、ディーレには新しい武器が必要だ。ディーレの斧は魔族への祝福が付与されていて人族には扱えないものだったが、魔族が普通の武器を扱えないというわけではない。人族への祝福が付与されていない武器であれば、魔族とのハーフであるディーレでも問題なく扱えるはずだ。
そしておそらく、「呪い品」として屋敷にストックしてある償還品は、魔族への祝福が付与されたものだ。その中のひとつに、ディーレにこそ使ってもらいたい武器がある。そして武器ではないものの、あわよくば……という装備についても思い当たった。
考えをまとめて顔を上げると、ディーレを宥めていたマーティンが、何も心配はないといった笑顔を浮かべてやってくるところだった。
「ディーレ、興奮してたときのことは覚えてたってさ。未熟を恥じてたけど、武器とはいつか別れるものだから、それについては納得してるみたい」
「そっか、深い傷になってなかったのなら何よりだ。ひとまず屋敷に戻って、ディーレに武器を見繕うとするか」
ふと、「使い慣れた武器はそうそう手放さない」というミックさんの言葉が頭をよぎった。ディーレがパーティに加わったこのタイミングで斧が壊れたのは、ひょっとするとディーレが新しい武器と出会い、次のステップを踏み出すために必要なことだったんだろうか。
まさかクレアさんがそこまで見越して、寿命が迫った祝福付きの斧をディーレに譲っていたとは思えないけど、ガルフとの縁からつながる今日までの流れに、なんだかとても運命的なものを感じてしまった。
その運命の名は、ご都合主義という。本当は第1階層主との戦いで斧を砕く予定でしたが、そこまであざとく演出するのもどうかということで、ご都合上等とあいなりました。ごめんなさいごめんなさい。
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