04
優しいオーダーママとふたりっきりの暮らしでちゃくちゃくとマザコンをこじらせつつ、あっという間に6歳になった。心配してた精霊使いとしての素質にも無事に開眼し、この世界の生家ということになるオーダーの巣穴(やっぱり山の中の洞窟だった)でダラダラするのに飽きたら、そのへんの散歩にも連れ出してもらえてる。
俺自身はまだまだ、ちょっと精霊魔法が使えるだけの頭でっかちな子供だが、なにしろ引率してる保護者がプラチナドラゴンなので、散歩の途中で危険な目に遭ったことは一度もない。むしろドラゴンやハーピーぐらいに高い知性を持つ種族には「オーダーさんとこのお坊ちゃん」ということで一目置かれているらしく、よく上空から挨拶される。
「うーん、この『俺はトーキョー生まれイセカイ育ち、強そなヤツはだいたいトモダチ』感……」
「名曲であるな。スマパンのサンプリングというのがとにかく良い。クリエの世界は音楽文化が進歩していて、とても良いものだな」
「そうなんだよなあ。テクノロジーで熟成された時代の音楽オタク的に、異世界暮らしは音楽事情がつらい。そんな世間一般の哀しみから無縁のこの恵まれた家庭環境を捨てて、いつかホントに旅に出るのかな俺」
なにゆえに音楽事情の哀しみと無縁なのかというと、オーダーの子守唄スキルがずば抜けているからである。ちなみにこの場合のスキルとは、単なる特技とかそういう程度の技能のこと。人語を発音できる声帯なんだか発音器官だかを持っていながら、本職であるところのドラゴンの唸り声や咆哮も迫力抜群の重低音。つまりオーダーはべらぼうな音域を発声および発音できるのだ。
その特技と俺が持っている前世の音楽の記憶を組み合わせると、ありとあらゆる歌手の声真似ができるし、なんなら楽器の音も出せる。まさかプラチナドラゴンがシンセサイザーの一種だったとか、転生してみるまで想像だにしなかった。おかげで我が家の音楽事情は良好で、前世で慣れ親しんだ曲を片っ端からアカペラバージョンで歌ってもらって子守唄にしてた。
ただし歌詞もメロディも俺の記憶だけが頼りなので、あやふやなところは謎の古代語に置き換えてもらって外国語バージョンみたいにしてごまかしたり、ただただサビだけが延々とループすることもある。試しに一度だけサビループの子守唄をリクエストしてみたが、俺の寝付きを見守っていたオーダーによると、どうにか寝付いたものの、眉間にシワを寄せてうなされていたと言われた。わかる気がする。
ちなみにこの特技、人語を発音できる種族であればだいたい持っているようで、この山でオーダーの眷属みたいな関係を築いているドラゴンやハーピーのみなさんをかき集めれば、混声合唱はもちろんのこと、フルオーケストラだのマルチトラックのテクノだのトランスだのEDMだのを奏でるのもお手の物だ。
ただしダンスミュージック系の場合、バスドラム担当から苦情が出やすい。そりゃまあずっと「ドン ドン ドドド」とか鳴くばっかりじゃ飽きるよなあ。ブレイクになるとほとんど出番ないし。
想像してみてほしい、どんなにボイパ練習してもバスドラしか鳴らせない人の哀しみを。ヒカ○ンとかすげえよなあ。
それはさておき。そういう生体シンセサイザーの皆さんが月イチで集合して、前世で音楽フェス大好きだった俺のために開催してくれる音楽パーティが、今のところは最大のエンターテインメントになっている。なにしろ、山ひとつ貸し切って、俺だけのためのシークレットパーティだ。しかも選曲は俺の記憶だけが頼りなので、必然的に自分にとっての名曲ばっかり。これで滂沱の涙にまみれない音楽ファンがいようか。いやいない(反語)。
いないは言いすぎた。ぶっちゃけ、初めて聴く名曲に出会う感動と喜びには欠けるんだけど、この世界でおそらくいちばん恵まれた音楽環境でこれ以上を望むのは、さすがに贅沢すぎるという思いがある。
と言っても最近はオーダー主導でちょっとしたアレンジバージョンなんかも作られたりしてて、「え!? このリミックス、聴いたことない!」みたいなサプライズもあったりして、なんていうか本当にうちのママ最高。抱いて。毎日優しく抱きしめてくれてるけど、アタイをもっともっと強く抱きしめて!
で、何の話だったっけな。
そうそう、そのうちっていうかたぶん近いうちにこの山を離れて本格的な異世界デビューを果たすにあたって、音楽事情がせつないっていう話だ。
「安定した回転機構さえあればこの世界の技術レベルでも蓄音機は作れるだろうけどなあ……」
「回転機構など風の精霊魔法と風車でどうにでもなるであろうが、目立ちたくないとか言っておいて、実家を出て音楽を聴くために技術チートの異世界人丸出しっていうのはいかがなものか。ということよな」
「ねー。無し寄りの無しっていうか、絶対無しかな」
「前世のクオリティの音楽が聴きたくなったら、帰省してくれば良いではないか」
「それは考えてる。問題なのは、ママの子守唄がないと寝付けない身体っていうことで」
前世で音楽を聴きながら寝るのが大好きだった俺は、6歳になった今でもオーダーの子守唄に頼っている。子守唄というか、寝床に入ったタイミングで鼻歌を歌ってもらってるっていう感じだけど。
「2分ぐらいの構成で延々とループするチルアウトぐらいなら、チート魔道具を作れんこともないぞ」
「魔道具? そっか、その手があるかー」
「爆音で鳴らすわけではないのだろう? ならばそれこそアナログレコードのノウハウで、音溝に沿って風を流してその振動をもとに小さな音を鳴らせばよかろう」
「なるほどなるほど、レコードのようなオルゴールのような。魔法ってほんと便利」
「その程度の仕掛けであればペンダントぐらいのサイズになろうし、護符と言い張るのも簡単であろうな」
「あー、すっごくいい。そのセンでいきたいかな。お願いしていい?」
「うむ。この母に任せておくが良い」
愛する我が子にお願いされて上機嫌なオーダーママを見ていると、こっちの機嫌もすこぶる良くなる。
そんな母と子の微笑ましい一幕に、前世から数えで46歳のおっさんの理屈っぽい話を挟み込んで申し訳ないが、好ましく思う他者のために何かをしてあげられる喜びって、不思議な感情だよねえ。
おそらく人類という生物が社会生活を形成する根幹に関わる現象なんだろけど、世知辛く言えば「自分が他者のためになっていることを確認できることが、自分にとって嬉しい」というあさましい承認欲求の表れであり、ぶっちゃけた話ただのエゴだ。しかしこのエゴのやり取りはお互いにとってWIN-WINだし、それが親子の絆ともなれば無償のものにすらなって、たとえ俺が喜ばないことであっても、それが必ず俺のためになるのだと確信すればオーダーは身を粉にしてくれるだろうし、同様の感情というか覚悟みたいなものが俺にもある。
なんだろうなあこの感情。ドラゴンと転生者なんだけど、愛溢れる家庭って最高だなあ。
とかそんなことを思ってました、この瞬間までは。
「ところでな、クリエよ」
「えーなにその改まった感じ。やな予感しかしない」
「嫌な話になるかどうかは私たち次第なのだが、率直なところクリエはこの母のことをどう思う?」
「え、大好きだけど?」
即答したらオーダーが目を細めて笑み崩れた。けど、どこか陰がある。
あー、この感じ知ってる知ってる。前世で俺の身に降り掛かった不思議な現象シリーズのひとつ、「あなたのことは嫌いじゃないんだけど、お互いのために別れましょう」とか、意味分かんないことを付き合ってた彼女に言われたときのあの感じだ。
「ちょ、オーダー? なんか別れ話とか切り出されるときの雰囲気なんだけど? えーとこの場合は、唐突に勘当とかそういう話?」
「そうではないのだが、確認しておきたくなってしまったのだ。クリエは私のことを、どのような存在だと認識している?」
あ。なるほどそういう話か……。現実的には素敵なママそのものだが、そもそもオーダーはこの世界の全能神だか管理者だかに「転生者の理解者となる親代わり」という役割を与えられた「存在」だ。見た目はプラチナドラゴンだが、出自から考えると「プラチナドラゴンによく似たナニカ」という可能性も全然ある。
そしておそらくオーダーが気にしているのは、オーダーが表現する情緒のほとんどが、前世の俺の記憶をもとに作られたものだということ。以前にたしか「クリエが生まれるまでは自我が乏しかった」みたいなことを言っていたから、たぶんそういう仕組みで間違いないんだろう。
「――という前提でよろしい?」
「うむ。まったくもってよろしい」
やっぱりそうかー。オーダーが問いかけてるのは、この楽しい毎日が偽物の幻想――という可能性があるんじゃないのかってことだ。そして前世の俺がそういうのを良しとしなかったことを理解しているので、本当にこの状態を受け入れているのかという疑問が湧いたと。
しかしそういうことなら、判断基準そのものはシンプルだ。判断する際のハードルが高いというか、複雑な形になってて越えづらいだけで。
すごく乱暴に例えるなら、自分をもとにしたロボットやAIを愛せるのかという話。
まあ無理。この例えだけだと、なかなかっていうかだいぶ無理。前世で鏡に写った自分をシコいとか思ったことないし。
しかし数えで46歳ともなれば、その無理を軽々と越えていく条件も知っている。ダテにLGBTのお友達いたわけじゃないよ? おもにゲイばっかだったけど。
それは簡単には同意できなくてもぼんやりとは理解できるし、ジェンダーのことさえ差っ引けば、ノーマルな俺らだって普通に持ってる心の動きだ。そう、すなわち感情の話。
「ぽっちゃりしてて清潔感があってメガネかけてて髭が生えてる人が好き♥」と言って俺を震撼させた友人のゲイは、はにかみながらこうも曰った――
「うーん、相手を好きなるのって理屈じゃないんだよね」
「らしいが、しかし……クリエは前世でその実感を得たことがないのだろう?」
「俺とオーダーって種族すら違うから、ある意味性別以上にハードルは高いよね。正体不明の高位存在だし見た目ドラゴンだし、そんでもってこっちは転生者だし」
「うむ……」
「でもさ、オーダーは俺のこと好きなんでしょ?」
「それは間違いないぞ。クリエの何気ない仕草のひとつひとつが愛らしくて、この母の胸がきゅんっと締め付けられるのだ」
「俺もそう。オーダーが嬉しそうなのを見ると、俺もわけわかんないぐらい嬉しくなるし」
「クリエ……」
「つまりオーダーは理屈抜きの実感を得たわけで、同じく俺も、オーダーが俺のママでいてくれたおかげで、前世では得られなかった実感を手に入れんだと思う」
「本当か? この母は、クリエに愛されているのだと信じていいのか?」
「やー、言ってて恥ずかしいけど、鳥肌が立つような感じはしないから本当だと思う」
浮気の言い訳だとか、本心と違うことをぺらぺら言ってるときって、なんか寒気が走って鳥肌立つよね。あれってどういう感情なんだろうねー。
とか気恥ずかしさでどうでもいいことを考えて逃避してたら、不意にどすん、という鈍い音が聞こえた。逃避を打ち切ってオーダーの方に顔を向けると、オーダーの目に大粒の涙が溢れている。
そして、その涙がこぼれて――どすんと落ちた。
「ふふ、すまぬ。母と子の感動のシーンだというのに、締まらぬなあ」
「……これ、ドラゴンドロップっていうやつですかね……?」
「私も泣くという体験が初めてゆえ、我が事ながら『なるほどこれが噂の』といった気分だな」
「効果のほどは?」
「万病快癒、開運除災、五穀豊穣、千客万来、安産祈願など言われたい放題に言われておるが、ただの『構成物質がわからん宝石』だな。砕いて飲めばなんかの薬理効果があるのかもしれんが」
「宝石を砕いて飲むっていう発想はないなあ……いやでも分泌物か。でもそれって飲尿……」
「そんなものを飲まれるこっちの身になってもらいたい。とはいえクリエとの大切な思い出ではあるな」
そう言いながらふたつのドラゴンドロップを拾い上げると、オーダーはのっしのっしと洞窟の奥へと引っ込んでいく。なんでもドラゴン定番の宝物庫があるらしいが、見せてくれって言ったら全力で拒否されたことがある。
実家を出る前に、宝物庫の秘密だけは暴いておかねばなるまいな。