03
心配は杞憂だったようで、戦闘を重ねるたびにディーレさんはどんどん元気になっていく。それと同時に、紺がかっていた髪色はすっかり赤紫色に変わり、髪と同じ色だった瞳もほとんど赤に近い色に変化している。大斧を振り回す身体のキレもぐんぐん増していって、ひょっとして僕よりも強いんじゃないかな?
クリエから第3階層までは降りていいと言われてたので、もっと強い魔物と戦いたいというディーレさんのリクエストに応えて第1階層の主の部屋まで来たけど、3体の迷宮狼ごときじゃまったく相手にならない。
「あははっ! ホーンドウルフより弱いけど、キミたちも賢いね!」
狼たちはディーレさんを素早く取り囲むと、愚直に飛びかかるように見せかけてさんざんにフェイントを織り交ぜて幻惑を試みていた。初手にこそ引っかかって大斧を振りかけてしまったディーレさんだったが、すっかり軽快になった口調で狼たちの賢さを認めたあとは、見極めに徹してのカウンターですべて仕留めてしまった。
そしてただ倒すだけじゃなく、剥ぎ取る部分に配慮しているのも見事だ。狼たちは首から下に傷をつけることなく始末されている。
「あたしどうだった? マーティンさんの先生になれるかな?」
第2階層に続く階段で休憩を取っていると、ディーレさんが不意にそんなことを言ってきた。
「ぜひ弟子にして欲しいかな。ディーレさんは本当に凄いよ」
「凄かった? えへへ、嬉しいな。やっぱりあたし天才なのかな」
「え!? そういうの自分で言っちゃうの?」
あ、しまった。僕にとって微妙な響きを持つ天才という言葉をしれっと自称してしまうのに驚いて、ついクリエと話すときみたいになっちゃっった。
「違うよー。最初に言ったのはママだよー。でもあたしの強さを知ってる人たちもみんな天才っていうから、じゃあ天才なのかなって」
「そう呼ばれて、ディーレさんは嫌な気はしないの?」
「どうして?」
きょとんとした顔になったディーレさんを見て、たぶん僕も同じ顔になってるんじゃないかな。これは天才という言葉の捉え方に、何かの行き違いがあるのかもしれない。
「ええと……僕もいろんな人たちに天才って言われてて、自分でも才能があるんだろうなとは思うんだけど。そう言ってくる人たちのなかには、ただ才能があるねって言ってるんじゃなくて『ろくに努力もしないのに、強くてズルい嫌なヤツ』みたいな意味を込めてくる人たちがいるんだよね……」
「えー? だったらそう言えばいいのに」
「ディーレさんの周りにそういうことする人たちっていなかったの?」
「いないよ? 魔族にとって強さは大切なものだから、凄い人は凄いし、才能がある人は認めるかな」
「そっか……僕もそっちに生まれればよかったかな……」
素直に羨ましいなと思ってそんなことをこぼしたら、ディーレさんに吹き出されてしまった。なんで?
「あはは。人族は瘴気が苦手なんでしょ? マーティンさん、弱くなっちゃうよ?」
「あっそうか。でも、そうなったら天才って呼ばれないから、それでもいいのかな……。うーん、でも弱すぎて誰にも相手にされないと、それもそれで困っちゃうかもしれないね……」
「強さは大切なものだけど、べつに強くなくても嫌ったりしないよ? だってうちのママ、すっごく強くて戦うのも大好きだけど、すっごく弱っちい人族のパパと結婚したんだよ」
「あ。ダニーさんってやっぱり強くないんだ? 魔族と結婚できるから、実は凄腕の魔術師とかなのかな?って思ったんだけど」
「ぜーんぜん。魔術はちょっとだけ使えるけど、こっちで冒険者やってた頃はゴブリン1匹を倒すのが精一杯だったんだって」
うわ、気になる。そんな人がどうやって、すっごく強い魔族の女性の心を射止めたんだろう。
「パパは弱っちいんだけど、すっごく優しくて、すっごく物知りなの。こっちに遊びに来たはいいけど瘴気切れで調子悪いママのために、マナとか瘴気についてすっごく勉強して研究して支えたんだって」
「なるほど。ディーレさんのお母さんは、ダニーさんの真心に惹かれたんだね?」
「ううん全然。ママは『支えにはなったけど、あいつはそもそも自分の興味で研究してただけだ』って言ってた」
「えー。じゃあどうして結婚したのさ」
「一目惚れしたパパが、すっごくしつこかったらしいの。『絆された』ってママは言ってた」
「そっか。まとめると、諦めない根性が大事っていうことなのかな」
「でも、どれだけしつこくて根性あっても、嫌いな人を好きになるのは難しいよね? だからママはたぶん言わないだけで、パパの優しさとかに惹かれたんじゃないかなー、なんて」
「うーん、勉強になるなあ」
えー、なんの勉強になるのー?ってまた吹き出されてしまった。学園でもよく言われたけど、やっぱり僕はどこかズレてるのかな。クリエと出会ってからはずっと一緒にいるから、そういうのあんまり気にしなくなってたけど、もうちょっと気をつけたほうがいいかもしれない。
「人族のことはパパでしか知らなくて不安だったけど、お喋りするだけでこんなに楽しいなんて思ってなかった。ねえ、マーティンって呼んでいい?」
「ん? ずっと呼ばれてる気がするけど?」
「違うの。『さん』を付けずに呼びたいの。それであたしのこともそう呼んで欲しいの」
「なるほど。全然いいよ、ディーレ。これでいいかな?」
「うん! あとね、ガルフさんは大丈夫だろうって言ってくれたんだけど、あたし、その、マーティンと友達になりたいなって……」
伺うように僕を見つめてくるディーレさん、もといディーレ。なんだろう、すっごくドキドキするし照れくさい。なんかクリエが僕にそんなことを言ってきたことがあったけど、たぶんそういうのと違うよね?
「こ、こちらこそよろしくっていうか、僕の方からお願いしたいぐらいだよ」
「ほんとに! やったあ!」
花が咲き誇るような笑顔になって喜ぶディーレと、これからもよろしくねの握手をかわす。あんなゴツい斧を振り回してるのに、手、柔らかいな……。
そしてふと、そういえばクリエから友達って言われたことがないなって気づいた。
後日になってクリエに訊いてみたら、「ば、バッカお前……そんなのとっくに……」ってドギマギしてた。ちゃんと言ってよってしつこく追求したら「俺が友達だと思ってるとして、お前はどうなんだよ」って言い返されたので、もちろん友達だと思ってるよって返したけど。
友達っていうのは確かに、お互いが認めないと成立しないよね。難しいな。
第2階層に降りてからしばらくの間は、ディーレと交代して僕が戦うことになった。ふつうならヘルパーが戦闘に出た時点で契約パーティのその回の探索はギブアップなんだけど、ディーレとの契約は通常のヘルパー業務とは少し違って、ほとんどパーティメンバーのような扱いになっている。
それはさておき、僕の剣からディーレが学ぶべきものがあるのかを知ってもらうためにも、できれば全力で戦いたいんだけど。
「……また、オークだね。マーティン、オークと仲良し?」
「仲良しだったら斬られに来ないと思うし、僕も斬りたくないんだけど……」
てっきりクリエがオークを呼び寄せてるんだと思ってたけど、不思議なことにここにクリエはいない。そうなの? 僕がオークを呼び寄せてたの? なんかディーレもそんな感じのこと言ってるし!
まあ、文句を言ったところでこればっかりはどうしようもない。こんなこともあろうかと検証用の償還武器もいくつか持ち込んでいるので、せいぜいオークへの切れ味をしっかりと覚えておこう。こういうときにクリエがいてくれたら、ヒャッハーとか言って気を紛らわせてくれたのかな。
ひと通りの武器を試し終わったところで、ようやく2体のトロルに遭遇した。トロルに出会って嬉しいと思う日が来るなんて、考えてみたこともなかったけど。
検証用の武器から愛用の長剣に持ち換えると、馴染んだ感覚と同時に気が引き締まる。クリエのお手伝いでいろいろな武器を振ってみるうちにわかったことだけど、合う武器、合わない武器というのは明確にあるみたいだ。慣れない武器なのに妙にしっくり来ることもあれば、この長剣にそっくりなのにまったく馴染める気がしなかったり。
2体横並びに歩調を揃えて近づいてくるトロルに対し、体の正面に剣を構えて待ち受ける。同時に攻撃してくるかと思ったら、向かって左のやつだけが棍棒を振り下ろしてきた。右のやつが動き出さないのを確認しつつ前に踏み込んで棍棒をかいくぐり、棍棒を地面に打ち付けたところで動きを止めた手の、親指だけを狙って斬り飛ばす。
その間も右のやつはほとんど棒立ちのままだったので、遠慮なく膝裏の腱を断ち切って膝をつかせた。これでもうほぼ勝負ありだ。指を飛ばされたトロルが蹴りつけてくるのをかわし、軸足の膝裏を一閃。仲良く膝をついたトロルたちがしゃにむに振り回してくる棍棒と腕をいなして両方の首を落としたところで、「おー」というディーレの声が聞こえてきた。
魔石を回収しているとディーレが近寄ってきて、おつかれさまと言ってくれた。
「どう、ディーレ? 僕から剣を学ぶ意味ってありそうだったかな?」
「うん、全然あったよ! 腕を畳んで剣先だけで筋を斬るのとか、長柄の斧を使うときに似たようなことはやるけど、さっきのマーティンは次の動きのことを考えた位置で剣を止めたよね?」
「あ、そこまでわかるんだ」
「そりゃあね。あたし天才だから!」
「あはは。そうだったね」
クリエもそうだったけど、なんの屈託もなく天才って口に出すのは、意外と気持ちがいいことなのかもしれない。得意げに胸を張って笑ってるディーレを見ていると、なおさらそう思えてきて、釣られて僕も笑ってしまった。
「あたしだと止めずに振り切って次の溜めを作っちゃいがちだけど、それほど力を入れずに斬るつもりなら、マーティンみたいに考えたほうがいいなって思ったの」
「そのへんは戦い慣れた相手かどうかにもよるよね」
「うんうん。合理的な動きを見極めてその通りにできるのって、確かにマーティンも天才なんだなって思うけど。でもそれって、マーティンがトロルと戦い慣れてるからだよね?」
「そうだね。体の大きさで大体の力加減は分かるようになったかな?」
そう応えると、ディーレは破顔してこう言ってくれた。
「でしょ。だからね、ちゃんと努力してるって、マーティンは胸を張っていいんだよ」
どうして急に努力の話なんだろうと思ったけど、きっと階段で話したときのことだよね。
それに気づいたら、目の奥と鼻の奥が急に熱くなってきて、思わず上を見上げてしまった。
「――そうだよね。ありがとう、ディーレ」
どうにか絞り出した声が上ずっているのは、隠せなかった。泣いてるみたいで、恥ずかしいな。
オーク多めの第2階層探索は、階層主に挑まずともディーレが満足したので、そこでお開きとなった。街に戻ると体調の事情でゆっくり長話ができなくなるのを嫌がったディーレの提案で、第1階層への階段に戻って腰を落ち着けて、そこでいろんな話をした。次からはギルド長たちみたいにお酒でも持ち込もうかな。
そろそろ帰ろうかということになったところで、最後に気になっていたことを訊いてみる。
「ディーレの斧ってさ、迷宮に入る前とずいぶん雰囲気が変わってるよね?」
「これね、ママが冒険者時代に使ってたやつなんだって。あたしもたくさん戦うと髪とか目とかの色が変わっちゃうけど、だんだん輝いていく斧って、あたしとお揃いみたいで気に入ってるの」
「不思議だね……やっぱり瘴気が関係あるのかな?」
「うん。それでね、この斧って、人族に持たせちゃ絶対ダメだって言われてるんだ。マナに与える影響がどうこうってパパが言ってたけど、その頃は知ってる人族ってパパしかいなかったから、真面目に聞いてなくて忘れちゃった」
悪びれる風もなくそう言ったディーレだけど、「あとで聞き直しとくね」と付け加えたのは、知ってる人族が増えたから、気を使ってくれてるんだと思ってもいいのかな。
それにしても鉛色だった斧が、まるで別物のような輝きになっているのは、ほんとに不思議だ。なんとなく償還品の輝きに似ている感じが……ん?
「ディーレ、触らないように注意するから、斧の柄が通ってる上のとこ、よく見せてもらってもいい?」
「ん? 触らないならいいけど、このぐるぐるが気になるの?」
「これは……!? 間違いないね……」
検証のために持ち込んだ償還品としっかりと見比べてみたけど、おそらく寸分違わず同じもので、ディーレも驚きの表情を浮かべていた。
人族に持たせてはならないと言いつけられた斧に刻まれた、螺旋の刻印。それはメリヤスの迷宮からの償還品の証だった。




