07
それなりの心構えで取り掛かった第2階層の探索は、早々に作業プレイというかファームというか、今日のご飯のために出勤して毎日代わり映えのないつまんない仕事してますみたいな様相を呈していた。
対面してるのは筋骨隆々の太ましいオークが3体。その前に長剣を構えたマーティンが立ちはだかり、俺が闇精霊に目くらましを付与してもらった矢を放ったのを合図に、マーティンが弾丸のように飛び出して斬り込んでいく。
目くらましの矢が突き立ったのは、先頭のオークの胸元。矢に宿った闇精霊は手近な敵にまとわりついて視界を奪う、いわば設置型の範囲攻撃のような働きになっていて、複数の敵の真ん中らへんをアバウトに狙うだけでその周囲に十分な効果を発揮する。たとえば狭い通路で突進型の魔物と対峙したときには、道の真ん中にでも矢を置いておけば魔物の方から勝手に突っ込んできて闇精霊を迎え入れてくれる。
ぶっちゃけ精霊に加護さえ付与してもらえば、矢を手で放り投げても「設置」しても問題はないんだが、本体に矢を突き立てておいたほうが効果が持続しやすい。なので矢が刺さりそうな魔物である限りは、必ず弓で射るようにしている。ソロのときには存在しなかったメリットとして、弓の弦が鳴る音は戦闘開始の合図としてわかりやすく、気合が入るというのも大きい。対して手でぽいっと放り投げるというのは、どうにもまあ、締まらない。
蛇足だが、日本において「鳴弦」は邪気を払う効果があるとされている。
蛇足ついでにもうひとつ、目くらましの矢は【ブラインドショット】と命名することにした。この世界は魔法の研究がまだまだ体系化されておらず、同じ現象でも術者によって呼び名が違うという事情があるので、それに乗っかって俺のマイフェイバリットセルフメイド技を充実させていこうという魂胆だ。矢に加護さえ宿れば手で放り投げても効果が出るんだから、ショットじゃなくてアローだろって突っ込みたい気持ちはわかる。わかるんだが、ショットのほうがカッコいいだろっていう俺の気持ちもわかれ。
で、なんでまた戦闘の真っ最中にこんな説明用のモノローグを延々とぶっ込んでるかというと、要するに2階層の戦闘は俺がとても暇なのだ。マーティンがバーサーカーすぎて、視界を奪われたオークごときではまったく相手にならない。
ああ、バーサーカーだと俺も敵認定されちゃうか。じゃあこの際蛮族でいいか。この蛮族王子が瞬殺につぐ瞬殺なので、俺の出番がまったくない。後ろから弓で援護しようとしても、蛮族王子の動きが速すぎて、ひとつ間違えれば王子ごと射抜いてしまいそうで怖いので、動きに慣れるまで手の出しようがないのだ。
何よりも蛮族王子はとても楽しそうだし、殺戮が終わるたびにすごく充実感のある顔で「ふう、いい汗かいたね」っていう雰囲気を醸し出しているので、相方から言えることはなにもない。ご活躍なさった王子様にはすみやかに休息を取っていただいて、その間に俺がせっせと魔石や素材の回収を行うというのがルーチンワーク化している。
これってヘルパーやってるのとあんまり変わらなくね? ああそうか、片方が王子なら、もう片方は従者になるのが自然の摂理ってやつか。なるほどストンと腑に落ちた。
さすがにオーガだのトロルだのの大物が出てくれば俺にも多少の出番はあるんだが、どういうことかやたらとオークの引きがいい。俺がソロのときとはまったく逆の傾向なので、これは迷宮の嫌がらせシステムの一環なのかと思ったが、どう考えても難度が下がっていて、むしろ接待されてるレベルだ。ということはあれか、この王子からトリュフみたいなキノコのいい匂いがしてて、それが豚を引き寄せるとかそういうことか。
だからって迂闊にマーティンを嗅いでみたりしない。オーダーと暮らしてるときに母子でアレみたいな雰囲気になりがちだったことを忘れるほど、実年齢55歳の異世界オタクは愚かではないのだ。たぶんマーティンにも異世界ならではの謎の魅力が詰まってて、嗅いでみたらすげえいい匂いで俺がドキドキしてたら実はマーティンそっちもイケる感じで、そのままなし崩し的にBL編に突入する可能性は微粒子レベルで、いや微粉体ぐらいのレベルで存在するかもしれないのだ。
「クリエ、なんかさっきからぼーっとしてるけど大丈夫? 疲れた?」
ほら考えてる端からこれだ。しゃがみこんで素材を剥いでた俺の顔を心配そうに覗き込んでくるまでは、シチュエーション的に仕方がない。ただ距離が、距離がものすごく近い。そんで心配するポイントが完全に天然だ。後ろで突っ立ってブラインドショットだの蛮族王子だのの妄想をしてるだけで疲れるわけねえだろ。虫でもちょっと考えれば理解するぞそんぐらい。
こいつマジで理由とかどうでもよくて、鈍感系天然スケコマシ(男も可)を演じてんじゃねえかな……。
「後ろで突っ立て眺めてるだけなのに疲れるわけねえだろ。ちょっと考え事してただけだ。あと顔が近い。剣士とかもっと間合いに気を使うもんなんじゃねえの?」
「あっごめん……僕ちょっと目が悪くてさ……」
「へ? あんなにスムーズに戦えるのに?」
「それはまあ、的が大きいっていうのもあるかな。それに人間と同じ体の仕組みなら、だいたいどんな動きをしてて何をやってくるのか、そういうのはすぐにわかるから」
ああそうか、すぐにわかるのか。そういえばこいつ天才なんだった。
「じゃあ迷宮ウサギぐらい的が小さいと戦いにくい?」
「うん。最初は大変だったね。でももう体の作りは覚えちゃったから問題ないかな」
「お、おう……ちょっと見ただけで覚えちゃったましたか……」
「何その変な言い方。ちょっと見ただけじゃないよ、1階層では僕が素材剥ぎをやったじゃない」
「あー」
1階層の道中とか、なんの盛り上がりもなかったからすっかり忘れてた。確かに、魔物の体の仕組みをじっくり学べるっていう意味で、素材剥ぎってすごく大事なことなんだよなあ。ヘルパーの仕事で剥ぎ方をレクチャーするのにも、そういう狙いがあるんだし。
「だからってそんなすぐにモノになるわけじゃないんだけどな……剣技とかイケメンとか物覚えの良さとか、お前の天才ってちょっと万能すぎない?」
そんな事を言ったら、なんかマーティンが爆笑し始めた。笑いのツボも天才的で凡人には理解できないとか、そういうアレなんだろうか。
「あー、おかしかった。天才って呼ばれるのって好きじゃないんだけど、なんかクリエみたいにぜんぜん大したことないように気軽に言われると、ちっとも悪い気がしないんだね。こんなこと思うの初めてだなあって思ったら、笑いが止まらなくなっちゃった」
ようやく笑いが収まったところで、目尻の涙を手で拭いながらそんな事を言うマーティン。
「その感覚はあんまりわからんが、ひょっとすると言われ続けてずーっとモヤモヤしてたのが、なんかの拍子にひっくり返ってうまいこと解消されたのかもなあ」
「かもしれないね……すごくいい気分だったよ」
「まあ、嫌な気分にならなかったんならそれでいいや。デリカシーに欠けてすまんな」
「そこがクリエのいいところだよ。クリエ風に言えば、それがクリエの天才?ってことじゃないかな」
「そ、そうか……」
えっ何こいつ、俺のこと口説いてんの? 超ドキドキするんですけど。やべえやべえ、鈍感系天然スケコマシの、無邪気にまっすぐ褒めてくれるスキルの威力をナメてた。
「あれ……僕なんかまずいこと言っちゃった?」
「だから近いって。いちいち覗き込んでくんな。褒められ慣れてないから不意打ちで……照れただけだ」
「えー? あんなに褒めて褒めてって言うのに?」
「自分からアピールするときは心の準備ができてんの」
「そっか。じゃあクリエが慣れるために、僕がもっと褒めなきゃだね?」
「いや別に慣れたいわけでもないんだが……」
確かに自分からは褒めてくれアピールができるのに、意図せず褒められるとなんでこんなに照れくさいんだろうか。これはそもそも人間がそういうものってことなのか、異世界スケコマシ特有のスキルなのか。ああでも前世でも意表を突いて褒められてしどろもどろになった覚えがあるから、これは前者だな。
「でもさ、どうせ慣れなきゃいけないことになるよ。だってクリエは凄いもん」
なんなんだその天井ぶち抜いてるような高評価。確かにそれなりのチートを積んでる自負はあるけど、たった2日の付き合いで全部見せたわけでもないんだが。
「あんま期待するなよ? 勝手に期待されて勝手に失望されるのってきついんだから」
「大丈夫だよ。だって僕は三男とはいえ貴族だよ? 人の顔色を伺うのも、人を見る目にも自信あるよ」
「はー、さいですかー、そりゃあ安心できますわー」
「むしろクリエこそ、あんまり僕に期待しすぎないでね?」
とんだじゃれ合いになってしまって緩んだ気を取り直し、探索を再開する。前を歩くマーティンを注意深く眺めれば、その周りでずーっと出番を待ち続けてウズウズしている精霊たちの輝きが増していく。
(自分に期待するなって、それこそ杞憂だよな。マーティンの天才に疑いはないし、さらに精霊魔法を習得したあとのことを考えると、伸びしろしかない)
剣技に適した精霊魔法――例えばブラストアローのノウハウで剣速を増すだけで、マーティンの戦闘力は爆発的に跳ね上がるだろう。俺のグローブと同じく、その威力に武器がついてこれるかどうかは別として。マーティンの天才はまだ、そのすべてを開花させていない。願わくば俺にも、そんな才能が残っていればいいんだけど。
(それにしても……)
さっき顔が近かったときにうっかり嗅いでしまったのだが、マーティンはやっぱりいい匂いがして、ドキドキした。くっそ、くっそ。




