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7話 兄と私

 屋敷に帰ってきたが兄はまだ帰宅していないようだった。父の仕事の手伝いがあるからか、兄とはいつも夕飯の時に顔を合わせる。私は心の準備をする時間があることに安堵した。


 私は兄とこれから仲良くしていかねばならないのだ。そのことを考えると心臓が激しく動くのが分かる。覚悟を決めても怖いものは怖い。前世で受けた傷はまだ私の心に深く根付いている。

 だけど私は一人ではない。ジョシュアがいてくれる。ペナルティを受けると分かっていても、彼は私の為にこの世界へ干渉することを決めてくれたのだ。そんな彼に報いなければ。

 私は自室で深呼吸を繰り返し、兄が帰ってくるのを待った。


 夕食の時間となり侍女に呼ばれて食堂へ向かう。食堂には私以外の家族が全員揃っていた。父も兄も帰って来たばかりなのだろう、少し疲れたような顔をしている。


 夕食の時間はいつも通りに過ごした。流石に家族全員の前で急に兄への態度を変えるのはまずいし、私自身にもそれは難しく思えた。そこで私は夕食後に兄が自室へ戻ったのを見て、兄の部屋をノックした。


「お兄様、少しよろしいでしょうか」

「…エマ?珍しいね。いいよ、入っておいで」


 兄は驚いたような声で返事をした。それはそうだろう、いつもは決して声をかけてこない妹が突然話しかけてきたのだから。

 私は震える手を落ち着かせてドアノブを握り、兄の部屋に入る。兄の部屋は物の少ない、落ち着いた部屋だった。本が好きなようで、所々に読みかけの本がある。


「あの…突然申し訳ありません」

「いいよ。エマが僕に話しかけてくるなんて珍しいね。どうかしたの?」


 兄は優しい笑顔を私に向ける。裏設定を思い出しそうになるのを、今だけは忘れる。思い出したら平静を装っていることが出来なくなりそうだから。


「私…最近自分を省みる機会がありまして。沢山の愛情をお兄様が注いでくださっていたのに私はいつも怯えるばかりでした。それを申し訳なく思いまして…今まで失礼な態度をとってしまい、本当に申し訳ありませんでした」

「急にどうしたの?」


 私は腰を深く折り、頭を下げる。兄は私が突然謝罪を行ったことに対して酷く動揺しているようだった。頭を上げて兄を見れば、困ったように眉を下げて心配そうな表情で私を見ている。


「急ではありません。ずっとお兄様に悪いと思っていたのです。私はお兄様のことも両親同様愛しております。だけど同じように接することができなくて…そのことを謝る勇気も持てず、今まできてしまいました。謝るのが遅くなってしまって本当にごめんなさい」

「気にしてないよ。それにエマが僕を愛していてくれたことが、僕は凄く嬉しい」


 嘘偽りのない、曇りのない笑みを浮かべる兄。ずっと怯えていたはずの妹が自分を愛していたのだと知って安心したのかもしれない。

 だけど愛していると言った私の口はかすかに震えていた。

 兄は私に関しては目敏く、小さな変化でもすぐに気付く。だが今回は愛されていたという安心感で気が抜けていたのか、私の様子に気づいた様子はなかった。


「僕はずっとエマに嫌われているんじゃないかって思ってたんだ。両親にも使用人たちにも君は普通に接しているのに、僕と過ごしている時だけ怯えているようだったから。ヘンリー殿下と過ごしている時に至っては凄く楽しそうにしていたし。流石にそれを見たときは酷く落ち込んだけど、君の気持ちを聞いて安心したよ」


 嫌われているんじゃないか、と言った時の兄の瞳は酷く濁っていた。妹に嫌われていると思いながら過ごしてきた兄は本当に危ない精神状態だったのかもしれない。

 私がこのまま私の気持ちを兄に伝えなかったら…ジョシュアの言う通り、忌まわしい記憶は繰り返されていたのだろう。

 それくらい兄の瞳は淀み、濁っていた。だが愛されていたと知った兄の瞳には淀みも濁りもなくなっていた。私は自分が本当に首の皮一枚で繋がっていたのだと知った。


「私は別にお兄様を嫌っていた訳ではありません!ただ、その…同年代や少し年上の男性があまり得意ではないのです」

「でもエマはヘンリー殿下と一緒にいる時楽しそうにしていたじゃないか」


 確かにそうだろう。私はそういう振る舞いをしていたのだから。


「いいえ、ヘンリー殿下も同年代の男性なので苦手ではあります。ですが殿下は私の婚約者であり、この国の第二王子です。私が苦手であるからと王族の方に失礼な態度をとる訳にもいきませんし、婚約者なのですから交流を断つこともできません。なので私も彼を愛するよう、努力しているのです」

「そうだったのか…」


 そう、苦手ではある。だけど愛してもいる。『フラジール』の大好きなキャラクターだったのだから。

 しかしイーサンの場合は「兄」という立場が愛せない要因となっていた。嫌ってはいなかったが、両親のようには愛せない。だけど私は楽しかったこの2年間で心の傷を癒した。まだ消えずに深く残ってはいるものの、少しは薄くなったと思う。

 その頃から、少しずつ両親同様に兄に愛情を持てるようになってきていた。まだほんの少しだけれど。だけどそれは兄には悟らせない。元々兄を愛していたのだと、兄に思わせる。私の為にも、病んでしまった彼のためにも。


「エマはヘンリー殿下を愛しているの?」

「努力はしてきましたが…愛することはないのかもしれません。ですが務めは果たすつもりです」


 本心を兄に伝える。兄の真っ直ぐな瞳には、嘘は許さないというような力強さがあったから。

 ただし務めを果たすつもりはない。果たすつもりはない、というよりは果たせないだろうという方が正しい。私は務めを果たす前に婚約破棄されるのだから。

 これは私とジョシュアしか知りえないので、兄にはバレはしないだろう。


「ねえ…エマが殿下と少しずつ交流しなくなっていったのは、ミア・ウィンベリーという少女のせい?」


 ヒヤリとした。部屋の温度が下がったような錯覚を覚える。

 何故急にヒロインの名前が?


「ミア・ウィンベリーですか?彼女は関係ありませんが…どうして急に彼女が?」

「彼女は関係なかったのか。ならもういいかな」


 兄は普段私に見せない冷たい表情をして、吐き捨てるように言った。


「エマの婚約者であるはずのヘンリー殿下が彼女と親しくしているからなんだろうと思ってね。最初は彼は委員長で彼女が学院に慣れるまで先生に指導を任されているのが分かったからしょうがないかなと思っていたんだ。だけど僕が学院を卒業したあと、何故か彼女を城で見かけることがあった。どうやらヘンリー殿下が招いていたみたいでね。彼女は友人だから招いたと殿下は仰っていたけど、婚約者でもない女性を簡単に城に招くような方だったとはね」


 ヘンリーのことを喋る兄は忌々しそうにしていた。ゲームでも見たことのない表情に、私は驚きと恐怖でビクリと体を震わせた。

 目敏い兄は私の様子に気づいたようだ。


「ごめん、驚かせたね。エマの前でこんな怖い顔をするつもりはなかったんだけど、殿下のことを思い出したらつい、ね」


 兄は心底恐ろしい笑みを浮かべた。そんな兄を見た私の頭には「腹黒い」「ヤンデレ」という言葉が浮かんでいた。


「それにエマはあんなにヘンリー殿下と仲睦まじくしていたのに、彼女が来てから殿下と少し距離を置いているように見えたから。僕は愛する妹が婚約者と距離を置いているのが気になったんだ。それで僕も彼女と親交を深めようと思ったんだ。エマが辛い思いをしないように、彼女の情報を集めるためにね」


 私が辛い思いをしない為に、彼女に近づいて情報を集めていた?

 ミアと仲良くしていたのは嫉妬してほしかったのではなく、情報を集める為だったのか。そしてやはり、兄の気持ちはミアには向いていない。

 兄が目の前にいるので体が震えそうになるのを必死に抑えつける。

 兄に悟られてはいけない、絶対に。


「どうやら彼女、いろんな男性と交流があるみたいだね?それも婚約者のいる男性ばかり。それに気付いたときは笑っちゃったよ。手を出していたのは愛しい妹の婚約者だけではなかったんだから」


 そう言って笑った兄の目は、笑っていなかった。


「しかもどうやら彼女と親交のある男性たちは婚約者がいるのに彼女に惹かれているようだね?」


 兄はどこまで知っているのだろう。私は『フラジール』というゲームを遊んでいたから知っている。だが兄は知らない。私の為に、一体ミアについてどこまで調べたのか。

 妹の為、というが原作のイーサンはこんなことをするようなキャラではなかった。優しく、穏やかなキャラだったはずだ。

 ではやはり私が彼をこうも変えてしまったのか。


「ねえエマ、殿下といるのが辛かったら婚約を解消してしまってもいいのだよ?僕が力になってあげる」


 兄はにっこりと微笑み、私にそう言った。




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