2話 転生後
目を覚ます。ゆっくりと起き上がり、鏡台へ向かう。
鏡を見るとそこには眩いプラチナブロンドにエメラルドのような瞳を持つ、少し吊り目な美少女。左目の下に泣き黒子があり、それが妖艶さをほんのりと感じさせる。
最初のころは慣れなかったが今は慣れ親しんだその顔を眺める。前世ではごくごく平凡顔であった私としてはこんなに美しい顔をしていていいのだろうか、と今でもたまに思ってしまう。
その美しい少女は婚約者とヒロインが恋に落ちていくのを見て嫉妬に狂い、ヒロインに数々の嫌がらせをして婚約を破棄され、修道院に入ることになる。
それがいずれ訪れる私の未来。
何故そんなことを知っているのか。
そう、ここは前世で私が好きだった女性向け恋愛シュミレーションゲームの世界だった。
そのゲームは『フラジール』というゲームで、所謂乙女ゲームというやつだ。私は恋愛小説や少女漫画、乙女ゲームなど、恋愛ものの物語が大好きだった。その中でも特に好きだったのが『フラジール』。
中世ヨーロッパを感じさせるその世界は魔法や精霊が存在するファンタジー要素を持つ、よくある恋愛ファンタジー物だった。ヒロインは攻略対象者たちと王立学校で交流を深め、そして次第に恋に落ちていく。攻略対象となるのは第二王子、剣士、魔法使い、教師と隠しキャラの宰相の息子の5人。設定としてはありふれたものだが、作り込まれたキャラクターとストーリーが人気な作品だった。
ヒロインと攻略対象者たちが愛情を育んでいく中で恋の障害となるのが、攻略対象者の婚約者だ。
それぞれのキャラクターに婚約者がいるのだがその中で第二王子の婚約者となる少女エマ、それが私。
5歳で婚約を結んだ婚約者である第二王子にエマは一目惚れをする。エマは第二王子に懐き、また彼もそれを受け入れた。そんな仲睦まじい二人を誰もが結婚するだろうと疑いはしなかった、彼女が現れるまでは。
エマの順風満帆な人生が音を立てて崩れ始めたのは16歳の頃だった。
16歳になった二人は共に王立学園の同じクラスに通っていた。そこに転入生がやってきたのだ。その少女はふわふわとした胸まであるストロベリーブロンドに、庇護欲を掻き立てる愛らしい顔立ちをした美少女だった。
目は薔薇が咲いたかのような紅。目と同じ色に頬を染め、恥じらいながら自己紹介をするその姿はより一層少女を愛らしく見せる。
彼女はこの『フラジール』のヒロインであるミア・ウィンベリーだ。エマは己の婚約者である第二王子ヘンリー・キングストンを見る。彼の目は彼女に釘付けになっていた。自分には寄せたことのない、熱を含んだ目をして彼女を切なげに見ていた。そしてエマは気付くのだ。
ああ、彼はミアに恋に落ちたのだと。
そしてエマはこの後少しずつ仲を深めていく二人を見て嫉妬に狂いミアに嫌がらせや虐めをして19歳のとき、ヘンリーにも家族にも見限られ婚約破棄されて修道院送りとなるのだ。
エマという少女は『フラジール』ではそういう役回りをしていた。
私はエマの人生を噛み締めるように思い出し、堪えきれない感情を隠し切れずに口の端を少し上げた。
このままいけば修道院に入れるのだから。
◇ ◇ ◇
私が神様と話をし、転生をしたのは16年前。私は『フラジール』の世界のライバル令嬢となるエマ・セルヴィッジ公爵令嬢として生まれた。エマはゲームでは慎ましくお淑やかな静かな女性という設定であったが、私はそうはならなかった。私はどちらかというと活発なタイプだったからだ。
前世の人生での最後の辺りは忌まわしい記憶の影響で暗い性格になっており、こちらの世界に転生してからも最初はその性格を引きずったままでいた。このままではゲームのシナリオから外れてしまうのではないかという不安はあったが、どうにも直せずにいた。言葉を発するようになっても何故か暗い顔をする言葉少ない娘。元気に遊びまわるわけでもなくボーっとして仄暗い目をする娘。家族は大層心配した。私が笑えるように、心を開いてくれるようにと両親は色々なところへ連れて行ってくれたり、少しでも私が興味を持てば買ってくれたりした。そして何よりも、愛してくれた。
ゲームでもエマは家族にとても愛されていた。シナリオに沿って愛してくれているのだと分かってはいても、両親からの沢山の愛情は私の凝り固まった氷のような心を溶かしていった。そして本来の自分の性格を取り戻したのが7歳の頃だった。
それからお転婆娘になった私を両親は喜んでくれた。だが私が自分らしく生きているのはセルヴィッジ公爵家の中の両親と幼い頃から面倒を見てくれた侍女の前だけ。それ以外ではゲームの設定に沿ったエマのような振る舞いをした。もしシナリオからずれて万が一にも修道院に入れなかったら困るからだ。
両親は自分たちと私付きの侍女の前以外で性格が変わったようになる娘を不思議そうにしていたが「淑女ですから」で貫き通した。ゲームのように振る舞うには限界があった私は前世の自分らしくいることの出来る場所をどうしても捨てきれなかったのだ。
しかし一つだけゲーム通りに出来ていない点がある。それは兄との関係だった。
ゲームではエマは両親と兄であるイーサンに愛されて育つ。両親は相思相愛で親子関係も良く、兄妹の仲も良い。特にエマは優しい兄が大好きで設定集にはブラコンだと書かれていた。まるで理想を体現したような家族。
だが私は両親を愛することはあっても、16歳になった現在も兄を愛することはない。いや、愛することができない。これは別にイーサンに問題があるわけではない。私に問題がある。
私は前世の忌まわしい記憶の影響で「兄」という存在そのものが好きになることができなくなっていたのだ。