13話 夢の終わり
ルイスに唇を奪われた私は驚きと怒りでルイスを払い除けようと抵抗するが、ルイスの体は一向に私から離れない。手を掴まれて壁に押し付けられ、私は上手く抵抗することが出来ない。
ルイスは嫌がる私の唇を更に貪る。苦しい、息が出来ない。
苦しくて私の口の端から零れた涎をルイスは舌で舐めとる。
やっと息が出来るようになった私はルイスを睨みつける。だけどルイスはそれすらも嬉しそうに恍惚とした表情で笑っていた。
「やめてよ兄さん!なんでこんなことするの!」
「サラが俺を愛してくれないから」
「ちゃんと愛しているわ!」
「俺の欲しい愛と、サラのくれる愛は違うんだ。俺はサラとこうしたい」
壁際に押し付けられていた体はベッドの上に転がされる。着ていた白いワンピースは乱れ、少しだけ足元の肌がいつもより露わになる。袖や肩周りに布がない、ドレスのようなこのワンピースを着ていることが、今は恨めしい。
その上からルイスが覆いかぶさり私の両手を頭の上で左手で抑えつけ、鎖骨の下あたりの私の肌を強く噛んだ。痛みを感じた場所にはルイスの独占欲の証が赤く残されている。その痕を愛おしそうに見つめた後、ルイスがまた私に深いキスをした。息苦しくなってきた頃に唇を名残惜しそうに離し、頬に優しく右手を添えて私を見つめる瞳は蕩けるほどに熱い。
私を這うその手が、愛撫するその手が、悍ましい。服の上から触られても皮膚が泡立つ。
ルイスがサラを求めているのが嫌という程分かる。
だけどルイスがサラを求めているのが分かるほど、サラは恐怖と嫌悪が増していく。
「いや!いやよ兄さん!酷いわ、こんなの酷い…」
恐怖が限界に達し、涙が溢れてくる。喉が締め詰められるように苦しくなり嗚咽が漏れる。
ルイスが私につけた痕を、サラはまるで呪いのように感じていた。
サラとルイスが兄妹ではなくなってしまった証のように。
「ひど、酷いよルイス兄さん…。私たち兄妹じゃない。私は嫌よ、こんなの嫌…」
小さな子供のように泣いていると、ルイスは涙で濡れる私の目元に触れるだけのキスをした。そして私の両手を掴んでいた左手を放し、ギュッと私の震える体を抱きしめた。顔はベッドに押し付けるようにしていてよく見えないが、彼の体はわずかに震えている。
「どうして、どうして受け入れてくれないのサラ。ああ、兄妹じゃなかったら…そしたら僕を受け入れてくれた?」
「兄妹じゃなくても嫌よ!兄さんなんて大っ嫌い!」
サラの頭の中にはルイスに拒絶の言葉しか浮かんでこない。今のサラには冷静にルイスの問いに答える余裕などありはしない。
怒りや悲しみ、恐怖や不快感で彼女は考えることなど出来なくなっていた。
私の言葉に、顔を上げたルイスは苦しそうに顔を歪めた。
「サラ…」
「いや、離して!私に触らないで!」
私の強い拒絶の言葉にルイスはとても傷ついたような顔をしていた。だけどサラはそんなルイスを許しなどしない。傷ついたのは私の方だと、ルイスを泣きすぎて赤くなった目で強く睨んだ。
私の体を拘束していた腕を解き、ゆっくりと私から離れたルイスは苦しそうな顔をしたまま指を鳴らしてどこかへ消えてしまった。
私はルイスが消えた後もずっと泣き続けた。
―――どうして、どうして兄さん…
サラは泣きながらルイスに対して一言では言い表せない、沢山の感情を抱いていた。
今までは抱くことのなかった負の感情を兄に感じ悲しみ、それと同時に兄にされたことを思い出しては怒りと恐怖を覚える。そしてそんな自分に嫌悪した。
私は彼女のこの気持ちを知っている。かつて私も抱いたものだから。
そして今後彼女が選ぶであろう選択を、知っている。
サラはきっと今のこの状況から逃げ出すだろう。
その時ふと、色々なことが腑に落ちた。
香澄として生きていた時やエマとして生きている今に感じた、知らないはずなのに知っている感覚。
あれらは全て、サラのものだったのだ。
私は、サラだったのだ。
渦巻く感情を涙で体から流し出しながら、私の意識はサラとは別のところにあった。
ああ、そうか。そうだったのか。
サラが私だったという考えは絶対の事実であると確信を持つ。そしてそれを淡々と受け入れることが出来た。
だってきっと、これが私の一番最初の魂の始まりだったのだから。
そう思った瞬間、私には沢山の記憶が流れ込んできた。ルイスやジョシュアと過ごした日々、自分も神様である事実、天上界がどういうところであるか。
私がサラであることを、記憶たちは肯定した。やはり、私はサラだったのだ。
泣いているサラと別人のように意識だけ別のところにあった私はこのとき完全に混じり合い、私になった。
◇ ◇ ◇
ルイスに襲われた後、私はずっと自室に引きこもっていた。
いや、引きこもるしかなかったのだ。
今はルイスになど会いたくない。だけど何より、ジョシュアに会いたくなかった。
こんな私を、見られたくなどなかった。
最後まで襲われはしなかったが、私は汚れてしまった。
ジョシュアに受け入れてもらいたかった私の体も心も、今は醜く悍ましい。ルイスに奪われ、穢れてしまった。こんな私をジョシュアにどう受け入れてもらおうというのか。
神様は基本的に人間と変わらない。寿命はないし、沢山の世界を管理する役割を持っている。だけどそれ以外は人間となんら変わりはなかった。
というよりも、最高神が創り出した”神様”をベースに”人間”が創られたという方が正しい。
管理する世界は少しずつ増えていっている。それと同時に神様も増えていっている。
神様を増やす方法も人間と同じ。だから神様も恋をする。だけどちゃんと家族や兄妹、そういう概念がある。そして私とルイスは兄妹だ。
私はルイスを受け入れることは出来なかった。私にとってルイスは兄でしかない。だけど兄にとっては私は妹ではなかった。
―――なんでこんな風に生まれてしまったのだろう。
家族や兄妹という概念があるのなら、家族や兄妹に対して恋情を抱かないように出来なかったのだろうか。だけど最高神は言うのだ。
『そっちの方が面白いでしょう?』
私の胸の中には絶望しかなかった。
ジョシュアがあまりに私が引きこもっているので心配して声をかけてくれたが、私は会いたくないの一点張りだった。こんな姿、晒せるわけがないじゃない。
ルイスも時折話しかけたそうにしているのが頭の中に響く声で分かったがずっと無視した。
許せない、許せるはずなどない。
あんなことをしておいて、私に何を話そうというのか。自分が傷ついたような顔を去り際にしていたが、傷ついたのは私の方だ。初めてのキスはジョシュアにしてほしかった。体に優しく触れるのも、ジョシュアでいてほしかった。それをルイスは、無理やり奪っていったくせに。
私は絶望していた。もう、希望などありはしない。
私は人間に、堕ちるしかない。
天上界で生まれた神様は、人間の魂まで堕ちることが出来る。人間に堕ちたいときは最高神に申し出て許可が下りれば人間界へ魂を堕としてくれる。堕ちると人間となり、自分の管轄内のどこかの世界に生まれる。人間となった後は魂に課せられた課題を達成すれば天上界に戻り、また神様となることが出来る。
課題を達成した魂は元が人間であると神様にはなることは出来ないが、元が神様であると別なのだ。最高神は何を考えてこのような規則を作ったのかは分からないが、面白いことが好きな最高神のことだ、面白そうだからという以外はたいして深くは考えていなかったのだろう。
一つの管轄を3~4人の神様が管理している。私の担当している管轄には3人いて、私とルイスとジョシュアだ。担当は基本的に変わることがない。だからずっと同じ神様と顔を合わせることになるので、私たち3人も長い付き合いだ。もうどれくらいの時を過ごしたかも忘れてしまった。
隣の管轄であれば、そこの神様と交流することもできる。私も顔を合わせることもあるが、数は少ない。兄であるルイスが会わせたがらないからだ。ルイスは所謂ブラコンというやつで過保護だったので他の男神様に会わせたくないのだと思っていた。今はそうではなかったのだと分かってしまったが。
私に好きな人が出来るのを恐れたのだろう。苛立たしい。
隣接していない管轄の神様とは交流することは出来ないので私たち神様は実に狭いコミュニティのなかで暮らしている。
故に一時のスリルを感じたいがために人間に堕ちる神様もいる。どうせ課題を達成さえすれば戻ってこられるのだから。それに人間に堕ちても神様の頃の記憶を失う訳ではない。神様にとって人間に堕ちるというのは、一種の遊びでしかないのだから。
私は自室を出る為指を鳴らした。移動した先は、最高神のいる部屋。
最高神はカウチに腰かけて何色とも形容しがたい不思議な色をした長い髪を弄んでいた。
私は人間に堕ちたいと申し出た後、最高神にひとつだけお願いをした。
―――どうか、ここにいた頃の記憶を忘れさせてください。
最高神は少し悩んだ後、面白そうな顔をして私の願いを聞き入れてくれた。
最高神が指をパチンと鳴らすと、今まで味わったことのない不思議な感覚が体を包んでいく。それと同時にルイスとジョシュアと過ごした日々が急速に失われていくのを感じた。
ジョシュア、貴方の顔を最後に見れなかったことが少し残念です。
貴方に伝えたかったことがあったの。でも穢れてしまった私にはもうその言葉を紡ぐことが出来ないけれど。綺麗なままだったなら、貴方に伝えたかったの。
―――貴方にずっと、愛していますと…
続きの言葉を想う前に、私の意識は雲散した。
そして私は、人間に堕ちたのだ。




