雷堂こなた 015
それから、の話だ。
「いえーい。おめでとう、私。また一歳、老人に近づいた事を祝って、いえーい」
そう、気の抜けた音頭をとるのは喜界島巴。
喜界島の家はとても綺麗なもので、いたって普通のマンションの一室だった。
僕らは無事に喜界島のパーティに参加し、喜界島手作りというケーキを頂いた。
雷堂はとても気まずそうな顔をしていたが、ケーキは美味かった。
髪留めは結局、血に没してしまっていたので新しいものを買い直した__喜界島はとても喜んでいた。ありがたい限りである。
死ぬまで大切にすると言ってくれた。
そこまでせんでいい、と言った。
それからは、カラオケに行ったり__友達らしいことをして楽しんだ。
大いに。
これまで、友達らしい友達のいなかった僕にとって、それは大層新鮮な経験だった__忘れられない大切な思い出になった。
問題はここからだった。
日が暮れる前に家に帰った僕は、玄関に見慣れぬ靴が置いてあったのが目に入った__千鶴の友達のもの、ではない。
姉が。
姉貴が、帰ってきている。
その時僕は即座に、今夜、どこかしら泊まれる場所がないかという考えを巡らせるが、その前に。
「あ、みなちゃん、おかえり__」
そんな、柔らかい声が聞こえた。
母親譲りの垂れ目と、母方の祖父譲りの糸目の、姉貴が。
雷堂に引けを取らない巨乳の姉貴が。
千鶴以上に手のつけられない姉貴が。
そこにいた。
まるでそれが当たり前かのように。
「ちょっと、話があるんだけど、聞いてくれる?」
「__荷物、置いてからでいいかな?」
「駄目に決まってるでしょ? 何言ってるの」
姉貴の糸目が少し開いたその瞬間、僕は目を伏せる。
姉貴が開眼するのは、決まってブチ切れている時である。
そして、姉貴はブチ切れている時には、手が付けられない。
この家で一番強いのは姉貴である。
父でも、母でも、ましてや千鶴でもない、姉貴である。
曲間海亀、その人である。
僕はこの一生の内に、三回、姉貴にブチ切れられたが、そのどれも、途中で死にたくなったのを思い出した。実際、精神的には数回死んでいたと思う。
確か最初は、御門に連れられ山で遭難した件についてだった。それ以外は覚えていない。
覚えていないというか、記憶を封印したというか。
姉貴に連れられるまま、居間に通されると、ソファーの上で千鶴が寝ていた。
目の下を腫らして。
両親は、今日は遅いらしい。
「みなちゃん、お姉ちゃんの目を見なさい」
「__やだ」
「見なさい?」
「__はい」
逆らったならば、死ぬより酷い。
僕は姉貴と目を合わせる。静かに、力強く。
開眼した姉貴は相変わらずおっかない__今にも背骨が砕けそうだ。
「ちーちゃんがね、帰るなり、私に泣きついてきたの。そりゃあもう、ひどいってものじゃなかったわ。えんえんって、何年かぶりの大号泣。みなちゃん、ちーちゃんに痛いことしてないよね?」
「__するかよ、そんなこと」
むしろ、あっちがしてきたのだが。
「ちーちゃん、怒ってたよ。みなちゃんが、私を蔑ろにする、って」
「してない__」
「目を見なさい」
姉貴は大学で心理学を専攻する傍ら、教育学も勉強しているようで。
この人に学ばせてはいけない学問ツートップを、何の因果か、姉貴は履修してしまったのである。
鬼の金棒、姉貴に心理学。
「みなちゃんさ、高校に上がってから、私に勉強教えてもらうこと、なくなったよね」
「そうかな」
「そうよ」
「別に何でもないよ。意識改革ってやつ? いつまでもおしゃぶり咥えてる訳にもいかないんだ、勉強くらい一人でやるさ」
「私が帰ってくる時、いっつも部屋に篭ってるよね?」
「そうでもないんじゃないかな」
「そんなことない」
「そんなことない」
「正直に言いなさい」
「__何を」
「春休みの__私とちーちゃんが覚えてない、あの三日間、何があったのか、隠さず、お姉ちゃんに言いなさい」
「何で__春休みが出てくるんだよ」
そう僕が尋ねると、姉貴は__涙を流して言った。
「みなちゃんとちーちゃんの知ってることを知らないのが、お姉ちゃんは怖いの」
確かに。
もう、言うべきなのかもしれない。
春休みのこと。
僕が、中学生でも、高校生でも、厳密に言えば、春休みでもなかった、あの曖昧な時間の出来事を。
僕が人間を辞めた、あの化物の話を。




