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青春アスハラク  作者: 城鐘 狐月
皐月編
1/39

喜界島巴 001


 五月、二十四日。金曜日。

 高校の勝手が未だ良く分からず、彷徨(さまよ)っている僕をどうか嘲笑(ちょうしょう)してほしい。元々土地勘というのも鋭い方ではない。文系だし、女脳なんてよく言われる。


 学校、ここは学校。高等学校、私立楔無(くさびなき)高等学校。その特別教室棟の中程の所で、そう、丁度理科室の前だ。僕は音楽科の先生に頼まれた用事、音楽室の施錠という名誉ある任務を果たす為にここに来た。


 ところで、さっきから音が聞こえる。綺麗な音だ。僕はこの音を知っている。ピアノと言われる楽器が奏でる音色だ。それも電子じゃない。職人が作ったであろうグランドピアノ、だろう。この学校にはグランドピアノがある。この学校自体、歴史の深い学校らしいし、まあ、それくらいあっても疑問ではない。真に疑問とするべきは何故こんな時間にグランドピアノが鳴っているのか、という所にある。


 ひとりでに、学校の七不思議よろしくグランドピアノ自身がその音を奏でているのではと恐る恐る壁の陰から教室を覗いてみたが、どうもそうではなかった。グランドピアノを弾いていたのは一人の女子生徒だった。曲名は分からない。やけにポップでプリティーな曲だ。一昔前のアニメソングなのだろうか。女子生徒の顔は知らない。いかんせん、楔無は人気の私立だ。部活は強いし、自由な校風と綺麗な校舎、近くにショッピングモールがあるというのが受けているのだろう。定員も多いし、周りの中学校から人が押し寄せる。顔の知らない生徒の百や二百。居たって至って何ら不思議な事じゃあない。グランドピアノを弾く女子生徒はおそらく僕と同学年。リボンはたぶん赤だろう。


「__なあ、音楽室、閉め__」


 なんとか声を絞り出す。しかし、僕の頑張り虚しく、彼女が演奏を止める事は無かった。それどころか僕の存在にさえも気付いていない様だ。羨ましい。ああやって自分の世界に没頭できる人が。そのままの意味じゃない。少し皮肉も入っている。仕方がないので、演奏が終わるまで壁に(もた)れて待っている事にした。


 やけに丁寧な演奏だ。しかし、やはり弾き慣れていない部分があるのか、ちょくちょく(つまず)く事もあったが、それを差し引いても十分に綺麗な演奏だ。コンクールでも、金、とは行かずとも、銀や銅賞ならば取れない事もないだろう。まあ、僕はピアノを弾いた事も無ければコンクールに脚を運んだ試しもないので偉そうな事は言えないが。


 やがて演奏は終わり、音の余韻が完全に消えた頃。女子生徒はふうと一息入れ、楽譜に目を落とした。音楽室には久し振りの、およそ五分程ぶりであろう静寂が訪れた。


「感想は」


 しかし突如として静寂は破られた。女子生徒によって。だが、僕は反対だ、静かにしていようではないか、そう言うかのように僕の口は依然として開かなかった。というか、僕の存在に気付いていたのか、という驚きとそれで尚演奏を続けた女子生徒の図太さに圧倒され物も言えなかった。が、すかさず女子生徒の追撃がやってくる。ホーミングミサイルかのような。


「感想を訊いているのよ。まさか、私の演奏を邪魔した挙句、タダで演奏を聴く気じゃあなかったでしょうね。感想を聞かせて頂戴。ねえ、曲間(まがるま)水面(みなも)同級生」


 女子生徒は楽譜から目を離す事なく、僕に問い掛ける。曲間水面。僕の名前だ。しかし、僕の頭は何故女子生徒が僕の名を知っているのかという問題よりも、演奏についての感想を並べていた。装填中の砲塔の様に。今ちょうど薬莢(やっきょう)を詰め終わったところだ。


「綺麗な演奏、だったんじゃあないでしょうか」

「はっ」


 と、女子生徒は鼻で苦笑した。砲弾、効果を認めず。


「貴方、実は大きい小学生なんじゃあないかしら。まともな高校生ならば今の演奏の様な、耳や脳以前に精神や魂に訴え掛ける様な芸術を前にしたら感想や批評の一つや二つ、つらつらと出てきて良いものだと思うけど」


 女子生徒は依然、楽譜から顔を上げずに、無表情の極みとも言える様な表情で僕に語り掛けた。壁に掛けられたルードヴィヒ・ヴァン・ヴェートーヴェンの肖像画が、まるで僕を情けない奴だ、と侮蔑(ぶべつ)している様に見えた。


「____音楽室、閉めちゃうから、出ちゃってはくれないかな」

「嫌よ。貴方が、私の要求を聞いてくれない内は貴方の要求を聞くなんて真っ平だわ」


 まさか、初対面の同級生に此処まで高慢になれる女子生徒なんて居ると思っていなかった。そんなもの、漫画やアニメ、或いはラノベの世界だけの話だろう。もしかしてこの女子生徒は小説の世界に生きているのではないだろうか。もしかしてこの世界は小説の中の世界なんじゃあないのか。


「__えっと、とても感動的で魂が揺さぶられる様な素晴らしい演奏だと思いました」

「棒読みね。やり直し」


 この野郎。幾ら僕でも良い加減怒るぞ。


「やけに丁寧な演奏。しかし、弾き慣れていない部分もあるのか、躓く箇所も見受けられる。コンクールでも金とは言い辛いものの、銀や銅賞ならば十分に手が届くレベルだと、そう感じました」


 引用元は僕のモノローグだ。


「そう。平凡ね」


 此処でやっとこさ僕と目を合わせた女子生徒。可愛らしい、より凛々しいという印象が強い顔立ち。というか、それは無表情のせいだろう。やけに大人びた顔立ちのくせに髪の毛は可愛らしくツインテールにしている。身長は僕と同じ程。これでも平均よりは高いつもりなのだが。女子生徒は荷物を(まと)め、僕の隣を(かす)めて音楽室から出て行った。その時、ボソリと呟いた。


「私の名前は喜界島(きかいじま)(ともえ)。覚えておきなさい。貴方を嫌う人間の名よ」


 そう、確かに言った。随分と図太い女だ、と、僕の彼女に対する、喜界島巴に対する印象はそれに尽きた。彼女の演奏は()(かく)、彼女自身は余り出来たものではないのかもしれない。廊下を歩く彼女は、何故か意図して教室側を、右側を歩いている様だった。そりゃあ、この学校の廊下は右側通行が原則だが、その足取りには、陽の光を嫌うかの様な素振りを感じた。


「__へいへい。重々承知しておきますよ」


 音楽室の施錠を終え、来た道を、さっきよりやや鋭角に差し込む夕陽に気をつけながら廊下を戻り、職員室に這入(はい)り、音楽科の先生に鍵を返す。()しくもその人の前職は音楽家だった様だ。


「おーう。みなっち。ありがとね。助かったよい」


 本人曰くの茶髪をばっちりショートカットを決めたこの女性の名は座間味(ざまみ)公美(くみ)。僕の伯母に当たる人物だ。つまり、母の姉。酔うと酷い。経験者談。


「伯母さ……座間味先生、ちょっと聞きたい事があるんだけど」

「うーん? やっぱり今年のお年玉についての苦情だな?」

「違う」


 因みに伯母さんはケチな事で我が家では有名だ。毎年お年玉は千円しかくれない。


「喜界島巴という女子生徒についてなんだけど、何か知ってるかと思って」

「あーあーあー、ともちゃんね。はいはい。あの可愛らしい子ね。知ってる知ってる。あの子特待生だからね。有名だよ。何? みなっち、アレしちゃった? 恋。はっはー。みなっちもスミに置けないねぇ」

「それも違う」


 伯母さんにさっきの事の一部始終を話した。すると、帰ってきたのは意外な答え。


「へぇ、みなっち、ともちゃんと話したんだ」

「え?」


「いやね、あの子、授業中もウンともスンとも言わないのよ。偶然にも私、あの子の担任なんだけどさ、本当に物静かで、大人しくて、いやあ、アンドロイドだって言われたら私信じちゃうかもしれないね。それくらい人間味がない子なんだけど、何処(どこ)か不気味な部分があるっていうか__まあ、みなっちの話からすると、知られたくない秘密の一つや二つを抱えてて、ちょいと拗れちゃってるみたいね。でも、私よりみなっちの方がともちゃんの声を早く聞いたのは、ちょっと悔しいなぁ」


 へっへー、といつもの様な笑顔で茶化して終わる伯母さん。最後は、もう帰りなさい、で締められた。しかし職員室を出ようとする時、不意に伯母さんに呼び止められた。


「__みなっち、ハバーグッドウィークエンズ」

「ユートゥー」


 昇降口に置き放たれていた靴を数時間振りに履き、家路につく。

 今日がまた終わる。そんな時というのは、誰しも油断するものなのだろう。僕もその時は油断していたし、あるいは彼女も油断していたのかもしれない。僕の前を歩く女子生徒。逆光を演出している西日のせいで詳細は分からなかったが、あのシルエットは十中八九、噂のサイレントガール、喜界島巴だったのだろう。


 驚いた。そりゃあ、驚きもするだろう。恐らく、ここに立っているのが僕でなくてもその人間は驚いているだろうし、もしくは、喜界島が立っているところに違う人間が立っていたら、僕は驚かなかったのだろうか。


 彼女の足元には、影が全く、無かった。

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