旋灯奇談 第八話 ダンボール迷路
第八話 ダンボール迷路
西蔵町にはホットスポットと呼ばれる怪異現象発生のメッカが何カ所かある。その一つが、わが冥星学園高校。前にも述べたように、冥星学園は仏教系の団体が設立した学校法人で、高校に付随して保育園や幼稚園、老人ホームに診療所に障害者の授産所、もちろん寺院に霊園と、様々な施設が狭い敷地内に混在している。
狭さと耐震上の問題から、高校の校舎は十年前に五階建てのビルに建て替えられたが、木造瓦葺きの遊郭のような前校舎は、一部移築され、生徒の課外活動の部室として利用されている。この冥星学園、一芸奨学金や自主休講といった制度以外にも、一般の公立校にはないユニークな特徴がある。その一つが、創設者の収集した品々が、学内に所狭しと並べられ、学園全体が博物館のようになっていることだ。絵画彫刻工芸品から、古い家電製品、動植物の標本に鉄道模型に玩具に楽器に民族衣装と、ありとあらゆるものが展示されている。常設されているものはほんの一部で、大半は学園本部の地下の倉庫に山積みにされ、半世紀に渡って死蔵されたままの物も多数ある。そこで年に一度、芸術系の生徒の作品を展示する秋のアート祭に、虫干しも兼ねて取り出し、蔵出し展と称して一般に公開するようになった。
蔵出し展の準備開催は歴史文芸関連の部の担当で、それぞれの部から各一名がスタッフとして派遣される。新聞部は例年トランプのババ抜き大会で出向者を決めるのだが、今年に限っては、特集原稿の遅れのペナルティーを課す形で、自動的に太市にババが振り当てられた。何ゆえに外部協力者の自分が部のボランティア作業に協力しなければならないのだと抗議すると、九月に小野寺部長と交わした『部活協力の誓約書』の一項が示された。そこに『学外での活動に部員と同等の権利を持って参加する』と、明記されている。学外での活動とは、部の懇親会や取材活動のことだと、太市は考えていた。もちろんそれもあるが、その逆、部に外部から課せられる活動も含んでいた。
ちなみに美人の小野寺部長は九月一杯で任期を満了、今は相談役に収まっている。後任は二年の早乙女美継。名前は優しそうだが、怒り肩のごつい体をした猛者である。カミツキガメという気性の荒い外来種のカメがいるが、体格性格ともに、その名を進呈したいような帰国子女。特筆すべきは、彼女が新聞部と空手部を掛け持ちしているということだ。
新部長に呼び出されて部室に出向くと、空手部のくせになぜか竹刀を手にした部長が、問答無用で蔵出し展の作業日程表を太市の面前に広げた。
実は、毎度のこととて怪異譚の原稿が遅れている。こんな蔵出し展の手伝いで時間をつぶしている余裕はないのだが、竹刀の先端を喉仏に突き付けられると、ホールドアップするしかない。不承不承日程表を受け取る太市であった。
秋も終盤、色づき始めたイチョウが雨に濡れるアート展中日の土曜、昼まだき。太市は蔵出し展の会場である講堂入り口の受付に座っていた。
晩秋の寒々しい雨に人の出足は鈍い。
受付の机の上に置かれた収蔵品目録とやらを、暇つぶしにめくる。美術年鑑のように分厚い手製和綴じの本である。今では収蔵品のデータもパソコンにアップされ、検索が手軽になった。しかし内容に関しては、昔まとめられた紙の目録のほうが充実している。そう言って嬉しそうに目録を太市に押し付けてきたのは、先ほどまで隣に座っていた古代史研究会の歴女である。その彼女がトイレに行ったまま帰ってこない。客の来訪が午後の雨上がりを待ってになることを見越して、トイレついでにアート展の会場を覗きに行ったのだ。
それにしてもと、ぼやきながらページをめくる。
この目録、とにかく活字が小さい。各々の収蔵品について、謂れや来歴逸話などが、事細かく米粒ように小さな字でぎっちりと書き込んである。いかにも活字世代の連中が作りそうな目録で、各ページに一点だけ添えられたモノクロ写真が、砂漠の中のオアシスのように見えてくる。発行年度は、敗戦のショック醒めやらぬ昭和の二十六年。こんな年代物の目録など、文献マニアの歴女が図書館の倉庫から借り出して来なければ、絶対に手に取ることはなかったろう。モバイル世代としては本に近しい太市も、活字の山を数ページ拾い読みすると、降参したように手を止めた。
雨脚が強まり、窓に吹き付ける雨が斜めに流れる。前線が近づいてきたようだ。
雨に濡れる窓の向こうに人工芝の中庭が覗いている。アート展の期間中は中庭が臨時の駐車場に早変わりするのだが、来訪者の少なさを示すように、今のところ車は五台。地味な車が多いなか、風で吹き寄せられたイチョウの葉のように、黄色いランボルギーニが塀際に停めてある。いったいどんな人物が乗り回しているのかと、寝不足の目を手の甲で擦っていると、トイレ休憩の歴女が戻ってきた。古代史が好きと公言する歴女らしく、髪をみずらにまとめてある。顔の左右に瓢箪を二つくっつけたような髪型だが、それよりも目立つのが、今どき珍しい瓶底そっくりの丸メガネをかけていること。
そのいかにも度の強そうな瓶底メガネの歴女が、「なんで私が文句を言われなきゃだめなのよ」と、いきなり太市に向かって口を尖らせた。何かと思えば、トイレというトイレの鏡が取り外されていることに、アート展に足を運んだ女性客が憤慨。クレーム対応に自分が粉走する羽目になったのだという。
瓶底が外れてこちらに飛んできそうな歴女の剣幕に、とばっちりは御免と、「俺も、トイレ」と言って太市が席を立つ。その立ち上がった太市に、講堂前の通路をこちらに向かってくる幼年部の先生が目に入った。
冥星学園の幼年部は、別名を山猫園といい、スタッフは全員猫のアップリケの付いた前掛けを着用している。自由に伸び伸び育って欲しいということで付けられた山猫園という名だが、保母さんたちは、その伸び伸びが横に向かったらしく、いささか太めの体型の人が多い。そのメタボ猫の先生が一人、ドカドカと受付に走り寄った。
「ね、赤いセーターの女の子を見なかった、第二小の四年生だけど」
朝の九時から受け付けに張り付いているが、小学生は一人も来ていない。
こちらの説明が聞こえているのかいないのか、メタボ猫の先生は、肩で息をつきつつ、探し物の女の子の姿が見当たらないか首を回している。
高校のアート展に合わせて、幼年部でも同様の作品展が催される。こちらは素朴な表現物とでも言った意味合いの、ブリュアート展と呼ばれ、併設の手作りガチャポンコーナーと、ダンス室一杯に作ったダンボール製の迷路が名物になっている。放課後を幼稚園の隣、学童保育所で過ごす小学生たちの全面協力の元に作られるダンボール製の迷路は、大人おも唸らせる本格的なもので、期間中は終日子供たちの嬌声が迷路のなかを駆け巡る。
その迷路で、女の子が一人消えてしまったというのだ。
メタボ猫の先生は、雨にけぶるコンクリートの校舎を窓越しに見やると、「放送を流したほうが早いか」と呟き、五階建ての本校校舎に向かって気ぜわしげに走り去っていった。
「迷子のお知らせをいたします」
繰り返されるアナウンスを、太市は幼年部のダンス室の前で聞いていた。
事件だからと受付の仕事を瓶底メガネの歴女に押し付け、現場を覗きに来たのだ。
ダンス室の入口には、『しばらくの間、迷路は休止します』という張り紙が、ガムテープで留めてある。迷路の管理を任されている学童保育の小学生たちが、中を覗きこもうとする園児たちに事情を説明している。太市はこういう時こそ使わねばと、新聞部の腕章を腕に巻き、プレスカードを印籠のように翳しながら、チビどもの間に割り込んだ。テレビの刑事物などで見る身分証を提示しながら現場に踏み込むシーン、あれを一度自分も演じてみたかったのだ。うん、なかなか格好いい。
ダンス室に入る。
引き戸の入口を潜って直ぐの右側、受付の机の前で、保母さん二人と学童保育の小学生数名が小声で何か話をしている。その脇で、スマホを耳に当て、「サチーッ」と名前を連呼しているのは、ジャケット姿の中年の男性。慌てているのか、きっちりと整えた髪を、手で掻きまわしている。いなくなった女の子の身内らしい。少女に持たせたモバイルを呼び出しているのだろう。
ダンス室全体に目を向ける。受付のある戸口の一画を除けば、五十畳ほどの室内の下半分が全てダンボールに埋め尽くされた感がある。迷路は廃品のダンボールを平たくばらし、ガムテープを貼って繋げたもので、床と壁がダンボール、天井に薄手のブルーシートが被せてある。高さは平均で大人の背丈ほど。トンネルの右が入口、左が出口で、それぞれアリスとチシャネコの長暖簾が、迷路の中を隠すように吊り下げられている。
暖簾を割って中を覗くと、子供が辛うじて行き違える幅のトンネルが奥に続いている。ブルーシート越しの青っぽい光のせいで、狭さの割に閉塞感はない。お伽の国の秘密の通路のようだ。壁に張られた手描きのポスターに目を移す。それによると今回の迷路には、隠し扉にS字管やY字管、暗幕で囲った暗闇部屋から、ミニプラネタリュームの投影機を設置した満天星空部屋、衣類を吊り下げたタンス部屋に、幽霊部屋や踊る骸骨部屋と、様々な仕掛けが施されている。もっとも、迷路の難易度でポイントとなるのは、穴の構造や障害物といったものよりも音で、今はスイッチを止めてあるが、通常は要所々々に取り付けたスピーカーから、迷路の内部に音楽が流れる仕組みになっている。人の耳は案外性能が良いもので、迷路の外、受付や廊下で話す人の声が聞こえると、それで方角が分かってしまうのだ。それを誤魔化すためのBGMである。
今回で十五回目という山猫園のダンボール迷路。蔵出し展の受付にいた歴女の話では、今年の目玉は鏡だという。迷路の端々に鏡が配され、鏡で埋まった総鏡張りの部屋まであるそうだ。もちろんそこを覗くためには、行き止まりの方向、奥へ奥へと進まなければならない。ただその鏡部屋のおかげで評判は上々、学園中のトイレの鏡が姿を消したことを関係者は大目にみている。
どれ、お手並み拝見とばかりに、太市はアリスの暖簾を捲った。
と暖簾の間に首を突っ込んだ太市の腰で、ケータイが震える。着信番号に目を落とすと早乙女部長からだ。取りたくないが取らないわけには行かない。
畏まって応答する太市に、「幼年部で事件が起きたらしい、直ぐに向かってくれ」と、練習で掠れた部長の声が耳に飛び込んできた。
一呼吸置いて太市が今その現場に来ていることを伝える。
なら話が早いと、早乙女部長が用件を繰り出した。現在新聞部の部員全員が都外にいて、直ぐに足を運べる者がいない。部長自身も隣県で開催されている空手の大会に、選手として参加している。ついては今回の事件の取材は、太市に一任。本日の電子版に掲載するから、早急に記事をまとめ、夕方五時までに私と副部長宛にメールで送るようにと、だ。
「しかし、部長、ソレは特集以外の仕事で、契約書には……」
太市の抗弁をせせら笑うように、部長の背後でコホンと咳が鳴った。あの咳は百会だ。空手部の部員である百会は、早乙女部長に妹のように可愛がられている。
「そういうことだ」と、部長の押しの強い声が念を押す。
何がそういうことだと拳を握りかけた太市に、「引き受けてくれれば、遅れている特集記事の締め切りを一日延ばそう」と、足元を見るような提案がなされた。
百会の高笑いが耳に聞こえる。
くそっ、百会の野郎、こちらの窮状を部長にチクッたな。
締め切りが延びるのは嬉しいが、二人の軍門に下るのは悔しい。なんとか断って二人をギャフンと言わせてやりたいが、思いはするものの、断る理由が見つからない。そもそも部長の指示以前に、自分の意思で現場に足を運んでいるのだ。もっともこれは取材がしたいというよりも、退屈な受付の仕事から逃れたかったからなのだが。
「分かりました、どこまでやれるか分かりませんが……」
卑屈な声で要請を受諾するしかなかった。
苦虫をつぶしてケータイを切る。その鬱屈した気分の太市の面前、出口側の穴から、紺のジャージ姿の男子が出てきた。待ち構えていた保母の先生に、両腕を交差させてダメと合図を送っている。どうやら迷路の中を確かめてきたらしい。
続けて四人ほど、同じジャージを着た男の子たちが姿を見せる。みな首を振っている。やはり赤いセーターの女の子は中にいなかったようだ。リーダー格の男子が先生に報告する後ろで、「私が最後かな」と、黄色いパーカー姿の女の子が、チシャネコの暖簾を割って首を突き出した。その三編みの長い髪を左右の肩に垂らした女の子が、「こんなものが落ちてました」と、女性が髪留めに使うバレッタを保母の先生に差し出す。脇で見ていたジャッケト姿の男性が「サチのものだ!」と、声をあげた。
ダンス室の前、廊下に引き出された長机に陣取った太市は、ノートパソコンを広げて、特集用の記事の作成と、ついでに怪異譚の原稿作りに励んでいた。
午後の三時を過ぎても、姿を消した少女の行方は杳と知れない。
ここに至るまでの事件のあらましをまとめる。
ダンボールの迷路に入って姿を消したのは、町内の第二小学校の四年生で、宝蔵寺沙知、十一歳。沙知は冥星学園の付属幼稚園、山猫園の卒業生であり、今回、迷路作りにボランティアとして参加している。
サチは中堅工務店萬田組の一人娘で、昨年に両親、この夏に祖父と、親族を続けざまに亡くしている。現在サチは、叔父の大吾晴信氏三十六歳が後見人として面倒を見ている。現場にいたジャケット姿の男性がその大吾氏で、氏は現在萬田組の専務を務めると同時に、自身が立ちあげたコンピューター関連のベンチャー企業の経営も行っている。中庭に停車してあった黄色いランボルギーニが、その大吾氏の車だ。
公私にわたって多忙な大吾氏は、サチの世話を会社の若い者や代行会社に任せきりにしていた。これではまずいと考えた大吾氏は、仕事のキャンセルが出たのをチャンスと、サチを伊豆の別荘行きに誘った。週末を使った泊りがけの紅葉見物である。突然の誘いに気乗りのしないサチであったが、途中で幼稚園に寄ってくれるならと、首を縦に振った。幼稚園に何の用と訝しむ大吾氏に、サチは自身が製作を手伝った迷路に客として入ってみたいのだと説明した。
幼稚園に着いたのが十時。サチはトイレに行ったあと迷路に入る。
大吾氏は、サチから「本部のアート展でも見ていて」と勧められたが、芸術に関心の薄い氏は、そのままダンス室前の廊下でサチが迷路から出てくるのを待つことにした。今の時代、スマホを弄っていれば、時間つぶしは造作もない。二十分が経過。サチよりも後から迷路に入った子供が、出口から姿を見せ始める。ところが一向にサチが出てこない。伊豆行きの道中でピックアップする知人との約束もあり、大吾氏はサチのスマホに電話を入れた。ところが電源がオフになっているのか繋がらない。仕方なく、そろそろ行くぞと、ダンス室中に響く大声で呼びかけるも、返答が返ってこない。音楽を止めてもらい再度呼びかけるも、結果は同じ。教室二つ分ほどの広さのダンス室である。声が聞こえていないはずがない。気分が悪くなって中で倒れてでもいるのだろうか。
気を揉む大吾氏に、受付の生徒が見てきましょうと様子を見に迷路に入る。
ところが迷路の中にサチの姿はなかった。
事情を知ったバレーボールクラブの男子と、あと数人の子供たちで再度中を探す。
太市がダンス室に足を運んだのは、このサチを捜しに行った子供たちが、捜索に見切りをつけて出てきたところだった。彼女が身に付けていた髪留めを拾ったのが、唯一の成果だった。
ダンス室には廊下側の手前と奥の二カ所にドアがある。しかし奥のドアは、締め切った上にガムテープで目張りが施されている。中に入った者は、手前のドアから出るしかない。それに迷路の利用は、まず受付で名前を記入、迷路をクリアして穴から出ると、その名前にチェックマークを付けてもらう。これは一度にたくさん子が入り過ぎないよう、迷路の中の子供の数を把握するためのもので、名前のチェックを受ければ迷路通過のご褒美にチョコを貰えるとあって、受付の前を素通りしてダンス室を出て行く子はいない。それに今日は天気のせいで、朝からの入場者は数えるほど。受付の子たちが、サチを見落とすとは考えられない。なにしろサチは、真っ赤なセーターを着ているのだ。
当然のこと、入場者名簿に記された宝蔵寺沙知の名にチェックマークは付いていない。
園児向けの迷路で大人が入るには天井が低い。
駆けつけた本部の男性教諭の手で、上部を覆っていたブルーシートが剥がされる。
その作業の間に、連絡を受けて、幼年部の園長、茶木田住職と、学園の山中総長も駆けつけてきた。仕切りの壁だけとなったダンボールの迷路に大人たちが分け入り、ダンボールの隙間も含めて隈なく覗き、調べるが、やはりどこにもサチの姿はない。
「女の子の髪留めがあったというのは、どの辺りだ」
段ボールの波から上半身を覗かせた男性教諭に、髪留めを見つけた黄色のパーカー姿の女の子が、場所を示すように腕を伸ばした。
「先生の右手、突き当たりの黒っぽい鏡の前です」
「この鏡かーっ」と男性教諭が、ダンボールの間から、画板ほどの大きさの鏡を引き上げた。幅広のがっしりとした木枠に納められた、重量感のある鏡だ。
衣裳部屋のコーナーで、吊り下げられた服を掻き分けていた茶木田住職と山中総長も、体を起こしてその古い鏡を見やる。枠の塗料が斑に剥げ、鏡面にカビの侵食したような緑の染みが浮き出た古い鏡である。木枠が黒っぽいので見るからに重々しい。
ところがその鏡を見たとたん、住職と総長が顔を見合わせた。
信じられないものでも見たような二人の表情に、「鏡が何か?」と大吾氏が問う。
口ごもる住職と総長とは別に、太市自身もまさかと目を見開いた。
先ほど太市は、蔵出し展の受付で収蔵物の目録を紐解いた。パラパラとお座なりにページを捲ったていどで、しっかりと解説に目を通したのは数点だけ。しかし、その一つに、あれとそっくりの鏡の写真が載っていた。
収蔵物のコード名は、確か『逆さ鏡』。
戦後間もない頃に初代の総長が入手したもので、『人によって左右が逆に映る摩訶不思議な鏡なり』と、コード名の下にカッコ付きで但し書きが添えられていた。ただそのことよりも、問題は解説欄にあった逸話来歴である。
そこには、確かこういうことが書かれていた。
『かつて、自分の姿が左右逆に映ることを不思議に思った少女が、鏡に手を伸ばした。指先が鏡の表面に触れる。とその指が鏡にめりこみ、そのまま指から手、肘、腕、やがて肩から頭と、全身が吸い込まれていく。目撃した男の子が慌てて駆け寄るも、その時には少女の体は完全に鏡の中に入りこみ、鏡の中を奥へ奥へと何かに導かれるように駆けて行くところだった。男の子が呼び掛けるも、声は届かず、少女は最後鏡の上の小さな点となって消え、後は呆然と立ち尽くす男の子の姿が映るだけだった』
伝説や御伽ばなしのたぐいか、しかし……、
まさかと、唾を呑む太市の頭越しに、大人の男性の声が響いた。
「その鏡、逆さ鏡でしょう、人が吸い込まれるという」
新聞社の腕章を巻いた男性が戸口に立っていた。北都タイムズとある。
「吸い込まれる、なんだそれは?」
大吾氏が食い入るような目で、その記者を睨んだ。
『鏡に女の子が吸い込まれた』という噂話が電光石火、学内に広がる。
その噂は噂として、午後を回った段階で、茶木田園長と山中総長は、サチの叔父の大吾氏と相談のうえ、今回の件を警察に通報した。時を同じくして新聞社や雑誌の記者が取材に駆けつけてきた。ネットの時代とはいえ、その出足の速さに驚いていると、どうやら誘拐事件発生という情報がいち早くネット上で流れたらしい。一足先に顔を見せた北都タイムズの記者は、学園の蔵出し展を毎年記事にしており、いつものように山猫園を訪れ、他社の記者に先んじて事件にぶつかったということだ。
本職の記者たちは手早い。関係者に取材を進めながら、同時進行で集めた情報や記事をパソコンに打ち込んでいく。この記者たちに、太市は先にデジカメで撮っておいたシートを剥がす前の迷路の写真を提供、見返りとして取材メモのお裾分けに預かった。それが先に述べた、サチの家庭環境や叔父の大吾氏に関する情報である。
そのお裾わけ情報の中で、ポイントになりそうなことを、後二つ。一つは、髪留めを発見した小学生がサチの友人の榊原湖夏であること。もう一つが、ダンス室の出入口が廊下側だけでなく反対側の壁側にもあり、それは吐き出し口のような小さなドアで、そこには内側から鍵が掛けられ、ドアの外にはブロックが積まれていたということだ。
提供を受けた情報のメモを見直し、さすがプロは違うなと感じ入る太市であった。
その新聞社の記者も、午後の三時、警察が引き上げる頃には全員が姿を消し、後は立ち入り禁止の札とロープ、現場の保管を任された男性教諭が一人残るだけとなった。
廊下の長机に腰を据え、太市は早乙女部長に送る記事の草稿に取り掛かっていた。
謎の多い事件である。
髪留めを発見したのがサチの友人のコナツであることが判明すると、誰もが今回の出来事を、サチが友人のコナツと組んで仕掛けた話題作りの狂言ではないかと考えた。迷路に入った後、ダンボールを剥がして吐き出し口から外に這い出し、脇にどけてあったブロックを積んで姿を隠す。その後、友人のコナツが迷路に入り、吐き出し口に内側から鍵を掛けて、ガムテープを貼ってダンボールを元の状態に戻せば、密室の完成である。仕上げに、サチの髪留めを逆さ鏡の前で拾ったことにして皆に見せれば、謂れのある鏡、それにホットスポットと呼ばれる冥星学園での出来事である。信じる信じないは別として、誰もがサチの消失と鏡を結びつけるだろう。
しかしこの筋書きは直ぐに破綻した。コナツよりも先にサチを探しに迷路に入った男子が、吐き出し口のことも知っており、カギが閉まっていることを確かめていたのだ。
コナツが迷路に入る前に吐き出し口は閉まっていた。
なら密室作りに関わった子が他にもいるということだろうか。サチ探しに加わったバレーボールクラブの男子たちを含め捜索に協力した全員が、心外そうに首を振った。
もし他の子どもたちが誰もサチの消失に関わっていないのだとしたら、それは、やはりサチが鏡の中にと、考えるべきか……。
五時半、太市は電子版用の記事を打ち終えると、データを部長に送信した。
これで今日の仕事は終わり、ヤレヤレと幼年部の門を出たところで、みずら髪の女子に呼び止められた。受付で隣に座っていた歴女である。彼女が意味深な顔で、「受付で待ち人が首を長くしてますよ」と耳打ちする。一瞬何のことか解らず首を傾げた太市だが、あることを思い出し、慌てて高校側にとって返した。
すでに蔵出し展の会場は照明も落とされ、楽屋裏のように薄暗い。シーンと静まり返った展示場の受付に人影があった。俯いた格好で指先を動かすその人物が、ムスッとした顔を太市に向けた。
昨日の夜、いいワインが手に入ったと甲斐から連絡があった。そこで今日、蔵出し展の閉じたあと、リーママの店、琴音でワインの試飲会をやろうと約束したのだ。五時に受付前で落ち合う予定だったが、事件のおかげで完璧に忘れていた。
拗ねたように俯き、ヤスリで爪の手入れを始めた甲斐に、太市が平謝りに腰を折る。
なだめすかして琴音へ。
今日は週末の土曜、早い客が来るとなんだからと、ママは普段使わない奥の小部屋に二人を案内した。壺庭に面した三畳間で、真ん中に炉が切ってある。前の住人が茶人で、ここで茶を嗜んでいたらしい。灰に手をかざすと温かい。
埋み火があるのを見て思いついたのだろう、甲斐が持参のワインよりも熱燗が飲みたいと言い出した。受付で待っているうちに体が冷えたらしい。
グラスとチーズを盆に乗せて来たリーママが、障子の縁から顔をのぞかせて言った。
「あらっ、あったまりたいのなら、ホットワインを出して上げる」
「え、これを?」
甲斐が脇に置いていた、赤ワインを軽く差し上げる。
「まさか、そのシャトー・マルゴーをホットで飲んだら罰が当たるわ。というか、もったいない。ちょうど今年のクリスマス用に買っておいた、ボトリングのグリューワインがあるの。あれなら温めるだけだから」
「それって、もしかしてドイツのシュテルンターラー」
「あら、大当たり、さすがヨーロッパ育ちね」
横で聞いている太市にとっては、まるで暗号での会話。なにしろ太市にとってのアルコールとは、バーゲンビールに焼酎のお湯割り留まり。自慢じゃないが、ワインの知識などかけらもない。それでも酒飲み、否、記者として、知らないことは根ほり葉ほり聞くのが信条である。ママさんが、そのホットワインとやらの用意で表に引っ込んだのを見て、甲斐に解説を求めた。かったるそうな目で太市を睨みつけた甲斐だが、それでも、ひとくさりウンチクを垂れてくれた。
ホットワイン。ヨーロッパでも、冬の寒さの厳しい地域では、ワインを温めて飲む風習がある。ワインというよりも、ワインに各種の香辛料などを入れて温めた、ホット・カクテルのようなものらしい。お手軽に作れるよう、今ではティーパック形式の混合スパイスが市販されているが、安直に味わおうと思えば、温めればOKという瓶入りを買う手もある。ちなみにホットワインというのは和製英語で、ドイツだとグリューヴァイン、フランスだとヴァン・ショーと言うのだそうな。
ママさんが、その温めた香辛料風味のワインを、ガラスのティーカップに入れて戻ってきた。合わせてボトルも。ワインらしからぬ可愛いクリスマス風景のラベルが貼ってある。子供時代にドイツにいたことのある甲斐が、その瓶を懐かしそうに撫でまわす。
その蜂蜜を舐めて悦に入る熊そっくりの甲斐を見て、ご機嫌が戻ったかなと太市が淡い期待を抱いたのもつかの間、甲斐の顔がすぐに元の渋面に戻った。
今日の不機嫌さはやけに根が深い、そう思ってようやく太市は気付いた。甲斐の苛々の原因が、待ちぼうけだけにあるのではないということ。甲斐が不機嫌になるのは決まって爪を割った時だ。音楽が生活の甲斐にとって、演奏の際、指先の微妙な感覚に狂いの出る爪の不具合は、たまらなく不快なことらしい。そんな時は貧乏ゆすりが止まらず、ちょっとしたことで感情が暴発する。触らぬ神にたたりなし、だ。
太市はさっと腰を上げると、「ママさんに熱燗を頼んでくる」と言って、逃げるようにその場を離れた。
ゆっくりと酒に燗を付け、甲斐の好きなスモークサーモンと茹でたソーセージをママに頼んで茶室に戻る。と甲斐が、太市のノートパソコンの画面を睨みつけていた。すでに持参のシャトー・マルゴーなるワインも半分空けている。
太市の顔を見るなり、甲斐が不満鬱憤を吐き出すように言った。
「まったく、電子版のクセに、ヘッドラインが長いんだよな」
どうやら太市の記事を読んだらしい。ヘッドライン、つまり記事の見出し、タイトルのことだが、今回の記事に太市が付けたタイトルは、『迷路の密室に消えた少女、伝説の魔鏡の仕業か』、これが長過ぎると言うのだ。まあ、それはそうだが。
不機嫌な熊を刺激しないよう、そっと脇に腰を下ろすと、お猪口を渡して湯気の薫る加賀の銘酒を注ぐ。気分は「旦那ぁ、今日はいくらでもお酌をいたしますですよ」だ。そして顔色をうかがう。仏頂面だが、先ほどよりは解れている。
これなら大丈夫かと、先の批評に「そうかなぁ」と、やんわり反駁。
とたん甲斐がカッと目を見開き、噛み付いてきた。
「まったく、この呼びかけ調の『仕業か』の『か』は何だよ。まるでスポーツ新聞の三面記事、実録雑誌のノリじゃねえか。何考えてんだ。どうみたって伝統ある冥星新報のお堅い紙面にはそぐわねえだろう。きっと今頃、部長が木刀を振り回して添削してるぞ」
失敗、虎の尾、いや怒れる熊の短い尾を踏んでしまった。
宥めるように素早く空いた杯に酒を注ぐ。
しかし、際物的な事件 それも号外だから、扇情的なタイトルを付けたほうが似合うと踏んだのだが、言われてみれば確かにそう。あの剛直、直球一本やりの早乙女部長だと、ふざけているとみなされる公算が大きい。まずったか。
臍をかむ太市に、甲斐が畳みかける。
「内容も密室の謎解きに比重が掛かりすぎだし、女の子を愉快犯と決め付けているのも、客観報道に徹すべき新聞としては問題大あり、違うか」
「だって、愉快犯としか考えようがないだろう」と、小声で言い訳。
「それ以外の可能性を考慮してないのが問題だと言ってんだよ」
ぴしゃりと言い捨てられてしまう。
学校の勉強などやるだけ時間の無駄と言って、暇があれば新聞の電子版を斜め読み、スマホで世界のニュース番組をチェックしている甲斐は、典型的な理屈屋である。そして理屈を捏ねたがる人間にありがちな、分析癖や批評癖を持っている。それが時に自分自身に向かうと、演奏の苦しみを倍増させることになるのだが、太市にとっては的確な感想を提供してくれる有り難い読者であり、かつ怖い批評家でもあった。
ピッチの上がった甲斐が、手酌で徳利を傾け始めた。
「もし今回の事件が話題作りを狙っての出来事なら、何の問題もない。黙っていてもサチの方から姿を見せてくれる。問題はそうじゃないケース。事件事故を読み解く際に大切なのは、最悪のケースを見落とさないようにすることだろう。今回の場合でいうなら、姿を消したという中に、誰かに連れ去られたというケースが成立することだ」
「それって誘拐ってこと?」
「違う。身代金とかならまだ益し、命を奪うために誰かが連れ去った」
「まさか」
「可能性は低いが、想定すべきケースだ」
飲むにつれ舌の回る甲斐である。徳利を振って今回の事件の解釈をぶち始めた。
「余分な情報を排せば、サチは親を亡くして多額の遺産を相続した娘だ。それに後見役の叔父は浮き沈みの激しいベンチャー企業の経営者。スポーツカーを乗り回していることからしても、金遣いの荒い人物と見なせる。下世話な視点でいえば、どんな形にせよ、姪が消えて利益を得るのはこの叔父だ。小学生の娘をかどわかすのに、幼稚園のイベント会場という衆目の場を使うことは考え難いが、逆に言えば叔父自身のアリバイ作りには好都合。もちろんこの場合は叔父に共犯者が必要になる。ここで検討が必要なのは、サチの友人のコナツが、遺留品をこれ見よがしに鏡の前で見つけたということだ。叔父の依頼で、コナツがそれを実行したとは考え難いが……」
「そうだろ、だからこそ愉快犯って」
「話を最後まで聞けよ」
「こういうシナリオだって考えうる。サチとコナツが、イベントの話題作りに悪戯を計画、それを偶然にも叔父が察知した。叔父とすればこれほど素晴らしいお膳立てはない。伝説の鏡に吸い込まれたという演出をして姿を隠そうとしている姪を、そのまま誘拐してしまえばいいんだ。消えたことの動機はサチにあるし、鏡の中に消えたことになれば、サチを亡きものにしても、犯人は安穏としていられる。姪は鏡の中に生きているんだからな。この世から消えて欲しいと思っている人間が、自分から死んでくれようとしている。いや死ぬよりも、もっと都合のいい、鏡の中に消えてくれようとしているんだ」
まさかと思いつつ太市も眉根を寄せる。考えられないことではない。
太市自身、サチが鏡の中に消えてしまったとは思っていない。明日にでも姿を見せるだろうと踏んでいた。しかし、もしサチが現れなければどうなる。待てど暮らせどサチが出てこなければ、今回の事件は、神隠しのように不思議な出来事として片付けるしかなくなる。迷宮入りだ。いずれ捜索も打ち切られ、介在した悪意に誰も目を向けないまま、真実は闇のなかに葬り去られてしまう。
顔色を変えた太市を見て、甲斐が満足げに頷く。そして言いたい放題言って苛つく気分が治まったのだろう、いつものポーカーフェイスに戻って、ワインを照明に掲げた。
「見なよこのワインの赤い色、光に透かして見る赤ワインは血を連想させるぜ」
悪趣味な一言に顔をしかめる太市をよそに、甲斐が残りのワインをグラスに注ぐ。
「なあに浮き足立つことはない、可能性は限りなくゼロ。俺が言いたいのは、そういうケースも有るということを頭の隅に置いておくべきだってことさ。あの原発事故の時のようにアタフタしないためにもな。それに今のは最悪のケースで、その一歩手前のケースだってあるぜ」
「どんな?」
「叔父が財産目当てに良からぬことを企ているのを知ったサチが、その魔性の手を逃れるために自身の行方を晦ませたってのはどうだ。鏡の中に吸い込まれたことにすれば、叔父も追い掛けようがなくて諦めるだろう」
なるほどと、思わず太市が合いの手を打った。
「まあ、いずれのケースでも、鍵を握っているのは友人のコナツだな。一人でアリバイ工作が出来ない以上、コナツを問い質せば何かが分かる」
それは太市も同感だった。だから、もう一度話を聞かせてもらえばと、控えておいたコナツの電話番号に、昨日から何度も連絡を入れているのだが、これが一向に捕まらない。
今度こそとケータイをコールする太市の横で、スマホの画面に目を落とした甲斐がヒューッと口笛を鳴らした。
「セイアジンか」
「なに、アーッ、あの髪留めのカエルのこと」
先ほどから甲斐が酒を飲みつつ、スマホを操作していたので、何をやってるのだろうと思ったら、コナツの見つけたバレッタの柄を調べていたのだ。
鏡の前で見つかったサチの髪留め、素材はべっ甲を模したプラスチック製だが、その雲型のバレッタには、三本足のカエルという見慣れない柄が浮き彫りになっていた。この三本足のカエルとは、中国のセイアジン、漢字で青蛙神と書く妖怪で、縁起の良い福の神とされ、口に金貨らしきものを銜えた青蛙神が、金運を呼びこむ置物として家に飾られるという。ただカエルはカエルでも、イボイボのガマガエル。それに魚の尾のような足が一本お尻から生えている姿は、やはり妖怪らしい不気味さを漂わせている。
甲斐がスマホの画面に指を滑らす度に、通販のサイト上にズラリとラインナップされた、仰々しいカエルの置物が現れては消える。
念のため撮影しておいたサチのバレッタの画像を拡大してみるが、べっ甲もどきのガマの大口に、硬貨らしきものは挟まれていなかった。
「案外、このへんてこな模様の髪留めが、全てのカギを握っていたりしてな」
空になったワインのボトルを、甲斐が指先でチンと弾いた。
翌朝、太市は早めに学校に登校した。
ロビーに置かれた各種新聞を確認するためである。ネットのニュースは、昨日の夜から随時チェックを入れている。専売所で扱っている全国紙の二紙は、朝イチで確認。それ以外の新聞の内容を調べるのだ。
ロビーの閲覧コーナーでは、すでに茶木田住職が新聞を捲っていた。
真剣な目つきが、まだサチが見つかっていないことを物語っている。
新聞を交換しながら記事をチェック。結局、全国紙で事件を取り上げていたのは、専売所で確認済みの二紙だけだった。共に東京の地方欄に、小さな囲み記事として事件が紹介されていた。内容は概ねこういう感じである。
『子供の創造性を育む活動の一環として作られたダンボールの迷路で、小学生の女の子が行方知れずになった。遺留品が謂れのある鏡の前に落ちていたことで、学内では少女が鏡に吸い込まれたと大騒ぎになったが、少女が迷路の製作に関わっていたことから、アート祭を盛り上げるために、迷路の密室を装う消失事件を演出したのだろうと、園長を含む学園関係者は推測した。警察まで出動する予想外の騒ぎに恐れをなしてか、少女は夜になっても姿を見せていないが、いずれ頭をかきつつ顔を見せることだろう』
と、以上あっさりとした纏め方である。
一方、スポーツ紙は、ほかに目ぼしい話題がなかったせいか、『少女、鏡の中に迷い込む』と、社会面で面白おかしく書き立てていた。ブルーシートを外した状態の迷路の写真が、逆さ鏡とサチの髪留めの写真と併せて掲載されていた。
読むと、いかにも眉唾のいかがわしい記事に見える。
そして思い出した。昨日、リーママの琴音から家に帰ったところで、小野寺部長から連絡が入り、記事の大幅な手直しを要求されたことを。それは甲斐の指摘とも通じる話だった。急いで修正を加え、速報としてネット上にアップしたのが、夜の十時半。
一通り記事に目を通した茶木田住職が、太市が紙面から目を離すのを待っていたように話しかけてきた。
「新聞部の一員としてどうかね、この記事のまとめ方は」
自分は部外協力の立場なんですと言い訳したい気持ちを抑えて、「ここまではっきり愉快犯と断定するとは思っていませんでした」と即答。
自分でも驚くほど自信を持った発言が口をついて出た。
「そうでない可能性もあると?」
「ええ、鏡に吸い込まれたかどうかは別にして、愉快犯でなかった場合、つまり姿を消したのが彼女の意思でなかった場合に、大変なことになると思いますから」
「昨夜の冥星新報の速報で、君はその点に触れていなかったと思うが」
太市は考えを纏めるように腕を組み直した。
「話題作りという動機はいかにもですが、叔父とこれから伊豆の別荘に行こうという最中に実行するのは、いくらなんでも非常識、理解の範疇を超えています。なにかそうしなければならない切羽詰った理由があったのではないか、ならそれが判明するまでは、あまり軽々しく推論を重ねるべきではないと考えました」
「なるほど大人の意見だね」
太市は謙遜して肩を竦めた。元は甲斐の意見だし、それに普段人から褒められたことのない太市としては、背中がむずがゆい。その面映い想いを隠して話を続ける。
「自分は姿を晦ませなければならないほど追い詰められているのだと、叔父を含めて、周りの人に分かって欲しかったとか、そういうこともあるのではないでしょうか」
「たとえば、イジメにあっていたとか、かな?」
「大いにあり得ることだと思います」
住職と話すうちにも登校する生徒が増えてきた。高校生に混じって幼稚園児の姿もある。山猫園の園舎があるのは高校の裏手だ。しかし近道をしたい園児は、みな高校の校庭を抜けていく。その子供たちを住職は思案気な顔で見やった。
大人と子供ほども身長差のある高校生と園児たちだが、心の内でいえば然したる差はない。高校時代を人は悩み多き思春期というが、それは悩みを自分で克服したくなるが故の悩みだ。幼稚園の園児でも悩みの深さは一人前、どの子も人に言えない悩みの闇を抱えている。それが長年子供たちに接してきた住職の実感である。
今回の騒動の渦中にいる宝蔵寺沙知は、山猫園の卒業生で、園に通っていた当事は、何不自由のない恵まれた家庭のお嬢さんだった。しかし昨日聞かされた限りでは、この半年ほどの間に次々と肉親を亡くしている。周りの者が気づいていない苦難に沙知が直面していたというのだろうか。
「君のなかでは、彼女が鏡に吸い込まれた可能性はないのかね」
重ねて問う住職に、太市が困ったように頭を掻いた。
「ミニコミで怪異譚のコーナーを担当する身としては、期待大なのですが、今回は別。早くサチが皆の前に姿を見せてくれることを願っています」
いささか優等生っぽい返事をしたと思うが、住職は「まったく、私もそう思うよ」と、慈愛に満ちた目で頷いてくれた。
「いや、参考になった、ありがとう」
そう言って住職はいつもの穏やかな顔で廊下を去っていった。
昼休み、妹の千晶から太市のケータイにメールが入った。
学年は上だが千晶はサチと同じ小学校に通っている。その千晶に太市は、サチとコナツの学校での評判を調べてくれるよう頼んだのだ。
届いたメール、文面が男言葉なのはご愛嬌、いや当然か。
千晶の報告では、サチはクラスの人気者で、絶対にいじめの対象になるような子ではない。またサチとコナツは幼稚園時代からの親友で、サチは今日学校を欠席、コナツも風邪を理由に休んでいるとのこと。
体調不良のコナツに電話をするのは憚られたが、遠慮をしては取材が滞る。昨日何度電話を入れても留守電にしか切り替わらなかったので、おそらくいつも留守電のモードにしたままなのだろうと推し測ってコールする。案の定留守電に切り替わった電話に、体調が戻ればぜひ話を聞かせて欲しいとメッセージを残す。サチが姿を消してすでに丸一日。愉快犯ならとうに姿を現していなければ可笑しい。序々に心配が膨らんでくる。
サチが姿を現さないまま、日付が変わる。
翌朝、特集のまとめで睡眠不足のまま朝刊の配達を済ませ、一時間ほど専売所で仮眠を取ってから学校へ。まだ八時前で人の気配は薄い。
今日はスポーツ紙からめくる。と新聞を手にしたとたん目が点になった。
『疑惑の神隠し』という三段組みのデカイ文字と、ダンボールで作った迷路の写真が目に飛び込んできたのだ。食いつくように記事に目を走らせる。新聞は前日の記事を紹介した上で、大胆な推理を展開していた。行方不明の宝蔵寺沙知に関する続報である。
新しい事実が書き連ねてある。
行方不明となったサチの後見人、大吾氏の経営するコンピューター関連の会社が、多額の負債を抱えていること。にも関わらず大吾氏は、この春から夏にかけて、外車を二台も購入。さらには他人名義で数億円はする高級マンションを入手している。いったいこの資金はどこから出たのか。どう考えても、姪のサチが相続した資産が流用されているとしか思えない。不思議なのは、健康に問題のなかったサチの両親と祖父の宝蔵寺実朝氏の三人が、この一年の間に立て続けに亡くなっているということだ。
サチがダンボールの迷路で行方不明となった経緯は、前回の記事の通りだが、サチがいなくなった際、大吾氏はスマホを手にダンス室の入口に立っていた。だからアリバイは成立している。しかしここで疑問が持ち上がる。当日学内で撮られた写真や画像の提供を呼びかけたところ、興味ある二枚の写真が入手された。それは高校側のアート展で記念撮影をしていたグループの写真で、人物のバックに雨の駐車場が映り込んでいた。デジカメの撮影で時間も特定可能。一枚は、三台並んだ車の端に、黄色のランボルギーニが入りこもうとしている写真。そしてもう一枚は、その二分後に撮られた写真で、五台目の車、ホンダのフリード……。
幸いナンバーも映り込んでおり、そこから車の所有者が判明した。つまり、フリードは大吾氏の購入した高級マンションの住人、氏の愛人の物であるということだ。
園内に停めてあった車は、全て通報で駆けつけた警察によって調べられている。ところがその車のリストに、フリードは入っていない。つまり警察の到着前に、愛人の車は駐車場から立ち去っていた、大吾氏を学園に残してだ。フリードの運転をしていたのが誰か、それはこれからの調査を待つしかないが、興味は、その車に運転手以外の誰かが乗っていた、いや乗せられていたかということだろう。
裏付けのない推測を承知で今回の事件を読み解いてみよう。
サチのアート祭での企みを察知した大吾氏は、その密室のトリックを用いた計画を利用することを思いついた。普通なら、鏡の中に人が迷い込むなどという話は誰も信じない。しかし現場は異界と名高い冥星学園高校である。逆にそのいかがわしさが利用できると踏んだのだ。『逆さ鏡』と呼ばれる魔鏡入り込んだと見せかけ、姪を連れ去る。実行は愛人に任せ、自分はアリバイを成立させるために衆目の中に身を置き、姪の安否を気遣う振りをする。誰にも見咎められぬように姪を連れ去り、そしてそのあとは……。
ここから先は読者の想像にお任せしたい。しかしサチは未だ姿を現していない。
果たしてサチの運命やいかに!
新聞を読む手が震える。顔を上げた太市の前に茶木田住職が立っていた。
「先生、この記事……」
太市の差し出す新聞を、住職が厳しい顔つきで受け取った。
「総長から連絡があって朝一番に目を通した。ネット上でも同じニュースが流れている。憶測の部分もあるが、後見役の人物が、お年寄りや子供を食い物にすることはよくあること。心配なのは確かだが、こうやって記事になれば、警察や大手の新聞雑誌が動いて、明日にも身なりのいい大吾氏が、その身なりに相応しい人物であるかどうかが判明するだろう」
「でも、もし記事のことが本当だったら、サッちゃんは」
「サチのこともだが、記事の推測が当たっているとするなら、私はコナツちゃんのことが気に掛かる」
言われて太市はハッとした。大吾氏としては、サチには伝説の鏡の中に入り込んでもらわなければならない。ダンボールの密室が成立している限り、大吾氏は安泰なのだ。だから大吾氏が完全犯罪を狙っているとしたら、サチだけでなく、コナツにも魔の手を伸ばす可能性がある。
太市が悲壮な顔で「昨日からコナツちゃんちは、ずっと留守電で」と言いかけた時、住職の腰のケータイがポクポクと鳴り始めた。木魚の着信音である。
太市に背を向けた住職は、ケータイを耳に当て、小声で二言三言言葉を交わすと、太市の方を振り向いて目配せをした。その顔に安堵の表情が浮かんでいる。
「そのコナツちゃんからだよ、話があるそうだ。新聞部のお兄さんが会いたがっていると伝えたら、そのお兄さんにも聞いてもらいたいって」
「そうですか」
肩の緊張を解いた太市の前で、住職が窓の外に視線を投げた。
「いま学校前の公衆電話からだそうだ。園長室に来るように伝えよう」
一時間目の授業を休むことになるが、太市は住職の後ろについて幼年部の建物に向かった。途中、講堂では蔵出し展の撤収作業が始まっていた。
幼稚園一階奥の園長室に入ると、事務のおばさんが掃除道具一式を抱えてゴミの回収を行っていた。会釈をするおばさんの向こう側、部屋の隅の流しの上に、あの古ぼけた逆さ鏡が飾ってある。あそこが普段の定位置なのだろう。
住職がお茶の準備を始めてほどなく、ドアをノックする音に続いてコナツちゃんが入ってきた。十歳を過ぎた子供とは思えない悲痛な顔をしている。
住職は人気アニメのマグカップを手に、コナツちゃんに歩み寄ると、背中を抱くようにソファーに誘った。ソファーの手前で足を止めたコナツが、「お電話できなくて、ごめんなさい」と太市に会釈した。
「風邪、良さそうだね」と、太市はとぼけてみせた。
住職はコナツの前にカップを置くと「ミルクココアで良かったね」と言って、コナツちゃんの顔を覗き込んだ。ほとんど泣きそうな顔で、コナツがコクンと頷く。
住職がコナツちゃんの頭を撫でながら話しかけた。
「卒業した子どもたちがここを訪ねてくれるのが、園長としての何よりの楽しみ。時に、お母さんの体の調子はどうかな」
カップに手を添えたコナツが、口元を少しだけ緩めた。
「ええ、先生や皆さんのおかげで、夜勤の仕事を受けるまでに回復しました」
とても小学四年生とは思えない大人びた口調である。どうやら話からして、幼稚園時代、コナツの家庭は問題を抱えていたらしい。
「それは良かった。あのころは、コナツもお母さんも大変だったからなぁ」
住職は懐かしそうに宙に目を走らせると、ココアを勧めるように手を掬った。
「ささ、温かいうちに呑んだ。そして体が温まったら聞かせてくれるかな。コナツとサッちゃんが、何を考えていたか」
一口ココアを啜ると、コナツは呼吸を整えるように大きく肩を上下させた。
茶木田住職は終始ニコニコとコナツの話を聞いていたが、太市はコナツの告白を、目を丸くして聴くはめとなった。
コナツの悲壮な顔を目にした段階で、太市は朝の新聞の記事が当たっているのだと思いこんだ。それはそうだろう、上手く脱出させたと思っていた親友が叔父の魔の手に落ちていたというのが、新聞の推測だったのだから。ところがそれは全く的外れということが、話を聞くうちに分かってきた。
今朝のこと、コナツは、夜勤明けで帰ってきた看護師の母から新聞の話を聞かされ、仰天した。サチもコナツも、大吾氏がそのような人物とは露にも思っていなかったのだ。仕事で忙しいなか、サチの後見役を引き受けてくれた面倒見のいい叔父さん、紳士だと信じていた。だから叔父の魔の手から逃れるために姿を消したのでもないし、もちろん単なる話題作りの愉快犯でもない。では何のために迷路から姿を消したのか。それも謂れのある鏡の前に髪留めを残して……。
理由は、サチの本当の母親を探すためだった。
サチは両親と祖父をこの一年の間に相次いで亡くしている。
その祖父が亡くなる間際にサチに語って聞かせた。
サチは赤ちゃんポストに置き去りにされていた捨て子で、一歳の時に乳児院から養子縁組の形で宝蔵寺家に貰われてきた。当時のもので残っているのは、カエルの浮き彫りのあるバレットだけ。あの髪留めは、サチが保護された時に、ヨダレかけ代わりのタオルを留めるのに使われていたものだ。処分していなければ、お母さんの貴重品を入れたタンスの小引き出しに仕舞ってあるはずだから……と。
遺言のようにそれを言い残して祖父は亡くなった。
認知症の入った祖父で、どこまでその言葉を信じて良いか分からなかったが、サチは半信半疑で、母のアクセサリー類を収納しているタンスの引き出しを開けた。するとそれは臍の緒でも仕舞うように、小さな桐の箱の中に納められていた。
祖父の話は本当だった。
傷が走り使い古した髪留めということが、置き去りにされていた子供が身に付けていたものだということを実感させてくれる。亡くなった母、今となっては養母と言ったほうがいいのかもしれない母は、生き物の苦手な人で、絶対にカエル、それも足が一本足りない妖怪のようなカエルのアクセサリーなど、身に付けるはずがなかった。やはり生みの母親が使っていたものに違いない。
両親と祖父の死後、後見役の叔父はいるものの、住まいは別で、お世話をしてくれる住み込みのお手伝いさんとの二人暮らしである。サチは無性に生みの母に会いたくなった。そこで自分がいたという乳児院を探し出す手がかりがないか、家の中を調べた。ところが悲しいくらい何も見つからない。叔父にも尋ねたが、サチが貰われてきた頃、叔父は海外に留学しており、養子縁組の経緯については何も聞かされていないという。それにサチの出生を口にすることは宝蔵寺家のタブーで、祖父がいまわの際に口走らなければ、おそらく叔父自身口にすることはなかっただろうと、申し訳なさそうに首を振った。
髪留め以外に証拠の品はない。
どうやれば生みの母親を探し出すことができるか。
サチは親友のコナツにそのことを相談した。
母子家庭で母親の苦労を見て育ったコナツは、しっかり者で、サチにとっては姉のような存在である。そのコナツが迷うことなく言い切った。母と繋がるものが三本足のカエルの髪留めしかない以上、『あなたの娘がここにいる』ということを知らせるには、この髪留めを使うしかないと。
そして二人が額を寄せて考えること一週間、ちょうど推理小説や探偵小説にはまっていた二人は、ある方法を思いついた。
それが、『逆さ鏡』を使った奇策、少女が鏡の世界に入って消えてしまう、それも迷路に入り込んだ状態でという、常識ではありえない事件を起こすことだった。話題性のある出来事にはネットが飛び付く。そこで話題になれば、テレビ、更には新聞や雑誌でも取り上げられる。そうなれば、神隠しに会った少女の遺留品として、現場に残された特徴ある髪留めも紹介されることだろう。マスメディアの力は想像以上に強い。生みの母親が髪留めを目にする機会も生まれるに違いない。珍しい三本足のカエルのバレット。目に留まりさえすれば、もしかしてと思うはず。
当然、話題を盛り上げるためには、迷路は密室であったほうがいい。
難しいのは密室のトリックよりも、『逆さ鏡』が学内では左右逆に映る鏡としてしか知られていないことだ。鏡の中に人が吸い込まれるという逸話は、知る人ぞ知る秘話であって、学内でも知っている人はほとんどいない。コナツがそれを知っていたのは、冥星学園に在学中図書部に籍を置いていた母から、それを聞かされていたからだ。
「不思議なのよね、昔の手書きの収蔵品目録には書き記されているのに、活字の目録では綺麗さっぱり削除されてしまっているの」と、コナツの母は口にしていた。
コナツとしては、この逸話はぜひとも生かしたかった。単に迷路の密室で消えるのと、鏡の中に入りこんで消えるのでは、不思議さのインパクトが違う。サチがダンス室を抜け出した後、コナツが髪留めを逆さ鏡の前で拾ったと先生に報告。あとはその鏡に吸い込まれるという逸話を、いかにさりげなく話題として広めることができるかだ。
その方法を考えているウチに、あっという間に計画の日が迫ってきた。
実行はアート展最終日の日曜の午後三時。騒ぎになるだろうから、迷路を楽しみにしている子供たちになるべく迷惑を掛けないよう、遅い時間を選んだ。
ところが決行前日の土曜日の朝、突然サチからコナツに電話が掛かってきた。これから叔父と伊豆の別荘に行くことになってしまった。しかし計画は実行したいので、何とか叔父には幼稚園に寄ってもらう。コナツは、都合がつくだろうかと。
「何とかするから」と返事をして、コナツは家から飛び出した。
当初の予定では、受付にいる子供たちの印象に残るように、派手な色の服、サチが赤い服、コナツが黄色い服を着て、一緒に迷路に入る。目指すは迷路の中の衣装部屋。そこでサチは事前に持ち込んでおいた男子用の体操服に着替える。一方、コナツはサチの脱いだ赤い服を、自分の黄色い服の下に着込む。そして迷路の奥、壁際の吐き出し口のある位置に移動。手前のダンボールを、ガムテープを剥がして折り曲げ、通路を塞ぐ。後から来た人に通路が行き止まりになっていると思い込ませるのだ。そうしておいて、吐き出し口を覆っているダンボールを外し、露わになった吐き出し口の戸を開けて、サチは外へ。前日に脇にどけておいた十個ほどのブロックを、いつもどおり扉の外を塞ぐように置き直し、人に見られないようその場を離れる。中に残ったコナツは、吐き出し口に内側から鍵を掛け、ダンボールを元の状態に戻して、素知らぬ顔で迷路の出口へ。
それが二人の考えた段取りだった。
ところがコナツがダンス室に駆けつけた時には、すでにサチの叔父が迷路に向かって彼女の名を呼んでいた。コナツは慌てて建物の裏に回った。ところがブロックは吐き出し口の前に積み上げてある。ということは、サチは無事に脱出したのだ。そう判断したコナツは、ダンス室に戻り、サチを探す男の子たちに混じって迷路に入った。ところが吐き出し口を覆うダンボールは、ガムテープでしっかりと留めたままだ。男の子たちに見られないよう部分ダンボールをずらして、後ろの吐き出し口を覗く。鍵はしっかり掛かっている。どう判断して良いか当惑するも、サチが迷路に入って姿を消したことは事実だ。もしかしたらサチが別のもっと良い方法を思いついて、それを実行したのではないか。
きっとそうに違いないと考えたコナツは、サチとの約束通り、預かった髪留めを逆さ鏡の前で見つけたことにして、先生に手渡した。
その直後、何とも抜群のタイミングで、新聞社の記者が、鏡に吸い込まれるという懸案の逸話を披露してくれた。それも大声で。
あれほど劇的な演出は、計算ずくでも絶対にできなかったろう。
警察の人が大勢来て学園の方たちには大変迷惑を掛けたが、サチのお母さんを探すという目的のためなので許して欲しいと、心の中で陳謝。後はサチを自分の住むアパートに匿い、事件が話題になるかどうかを見極めたうえで、サチに登場してもらえれば計画は完了。サチには行方不明中の記憶を、「ない」と答えてもらうことにしていた。心配気な大吾氏や、走り回る先生方には本当に悪いと思いつつ、山猫園を後にしたのだ。
吐き出し口を使わずにどうやってドロンしたのか、その方法をサチに教えてもらうのを楽しみに、コナツは看護師として忙しい母親からの頼まれ事を片付ける。そして夕方の四時にアパートに帰宅。ところがアパートの空き部屋に隠れているはずのサチがいない。ケータイは電源を切って絶対に使わないこと、もし予定が変更になった場合は、公衆電話からコナツの家の固定電話に連絡を入れるようにと、サチには念を押してある。ところが家の電話にもメッセージは残されていなかった。
どうしたのだろう、事情が変わって自宅に戻ったのだろうか。
その日結局、サチとは連絡が取れずに終わった。
翌日の新聞は、思ったほどの扱いでなくガッカリしたが、スポーツ紙に髪留めの写真が掲載されているのを見てホッと一息。最低限の成果はゲットできた。
しかし問題はサチだ。相変わらず連絡が来ない。
じりじりとした時間が過ぎていく。
そして今朝。夜勤明けから帰った母が、スポーツ新聞の記事を自分に見せて、「これサッちゃんのことよね」と、自分の娘を心配するように震える声で指摘したのだ。
少し漢字が多かったけれど、記事を読んでコナツは血の気が下がる思いがした。寝耳に水とはこのこと。記事のように、もし大吾氏が自分たちの計画を知った上で、良からぬことを企んだのだとしたら。サチがこっそりダンス室の迷路から出てきたところを、上手く言い含めて連れ去ったのだとしたら……。
納得はできる。普段サチから聞かされていた話では、大吾氏とサチは一緒に食事のテーブルを囲むこともないという。そんな人物が突然サチを泊りがけの旅行に誘ったのだ。何か特別な意図がそこにあったとしても可笑しくはない。
とにかく気がかりなのは、サチが私に連絡を寄越してこないということだ。
唇を震わせながら喋るコナツが、園長の柔和な顔を請うように見上げた。
「先生、私、どうしていいのか、サチのことが心配で……」
湧き立つ不安を和らげるように、茶木田住職がコナツの視線を笑顔で受け止めた。
「心配しないでもよい、年寄りのカンだが、サッちゃんは無事じゃよ」
「どうして、それがいえるんですか」
コナツではなく太市が思わず問い詰める。
太市のきつい視線をやんわり受け流すと、住職は剃りたての坊主頭を一撫でした。
「五十年もここに勤めておるとな、園のことなら窓ガラスのヒビの向きまで覚えてしまうものだ。わしの園での一番の楽しみが何だか知っておるかな」
小首を傾げる太市とコナツに、住職が意味深に笑った。
「わしゃ小坊主の頃からの習い性で、庭の落ち葉掃きが滅法好きなんじゃ。だから朝一番、寺の庫裏から出ると、箒を持って境内から学園内を一回りする。雨が降っても風が吹いても、見回らないと気持ちが悪い。あの日も雨は降り始めていたが、傘を差してゴミを拾いながら歩いた。そして見つけた。ダンス室の外側に積んであったブロックが脇にどけてあるのをな。訳あって誰かがやったことじゃろうが、その場所は樋の雨だれが掛かる場所。このままにしておくのもなぁと思い、雨が本降りになる前に元の場所に戻すことにした。
額に指を当て話を聞いていた太市が、結論を急ぐようにそのことを口にした。
「ブロックが吐き出し口を塞いで、彼女は外に出られなかったということですね」
「そういうことになる」
「ということは、やはりサッちゃんが何か別の脱出方法を思いついたってことですか」
コナツが眉間にしわを寄せて住職の顔を見やった。
「衣裳部屋の服を使って、別人に成りすましたとか、でもそれじゃあ……」
住職が分かっているとばかりに、大きく頷いた。
「受け付けの名簿で、迷路に出入りした者はきっちりチェックされる。あの日、迷路から出てきた人物が一人少なかったのは間違いなかろう」
「じゃあ、サッちゃんはどうやって」
「さあて、なぁ」
ぼかすように言うと、茶木田住職は部屋の隅の流しに目を向けた。
大人の住職からすると腰の高さほどの手洗い、子供専用の流しだ。その流しの上の壁に、あの逆さ鏡が置かれている。子供たちが園にいる日中、園長室の扉は開け放たれ、ドアの横には大きな招き猫の縫いぐるみが、オイデオイデをするように置かれる。その誘いに乗って、子供たちは時に遊びに、時に小さな体で大きな悩みを抱えて園長室に駆け込んでくる。その小さな来客を、園長はいつもお茶とお菓子でもてなす。その際、園長は子どもたちに言って聞かせる。ものをいただく時は、ちゃんと手を洗うようにと。それが園長室でもてなしを受ける際の約束事で、園長室に入った園児たちは、何はあれ真っ先に、手を洗いに流しにダッシュする。
ゆっくりと立ち上がった住職は、古ぼけ、あちこちにしみの浮き出た鏡の前に立つと、自分の顔が映るように少し腰を屈めた。そして両腕を上げ、左右の手が逆に映っていないことを確かめると、愉快そうに笑みを浮かべた。
「さて、サチはこの鏡にどう映ったじゃろう」
二日後、太市は茶木田住職から呼び出しを受けた。
夜の八時、指定されたコナツちゃんの住まいのアパートを訪問する。そこはJRの高架を見上げる木造モルタルのアパートで、並んだ郵便受けの名札が、コナツと母の住む部屋以外が空室であることを教えてくれる。
コナツの父親は知人の保証人となって借金を背負い、それを苦に家族を捨てて失踪した。責任感の強い母は、自己破産などせずに夫の借金をこつこつと返す道を選んだ。そして倹約のために、少しでも家賃の安い住まいをと、取り壊し予定のアパートに部屋を借りた。六畳と四畳半の台所に風呂なし、トイレは共同という昔ながらの安アパートで、窓の外の鉄枠など寄り掛かると折れてしまいそうなほどに錆びついている。
ただコナツは八室あるアパートの部屋全部が自分の家みたいと、ここでの生活を楽しんでいる。一階奥の部屋に案内される。
空き部屋ということだが調度品は揃っている。蛍光灯は付けずグロー球の淡いオレンジ色の光に浮かぶ室内は、一見して荒んだ感じに見受けられる。畳みの上には弁当ガラが散らかり、窓には裾の解けたカーテン、壁にはフリルの付いたケバイ衣装がハンガーの傾いたままに引っ掛けてある。噂に聞いた話では、フィリピンから日本に出稼ぎにきた娘たちが共同で暮らしていた部屋だという。
六畳の真ん中に置かれた座卓に向かって、女性が正座していた。体型からして中年。頭の後ろで髪を作業員のように丸く団子に纏めている。女性の向かい側に置かれた折りたたみ式の椅子の背に、四角いものが立てかけてあった。
窓の外、高架の上を電車が派手な音と共に通り過ぎ、カーテンの隙間から電車のまばゆい明かりが、古い映写機のコマ送りの画像のように、部屋の中を右から左へと駆け抜けていく。その明かりで椅子に立てかけたものが『逆さ鏡』だと知れた。
石仏のように微動だにしない女性に、部屋の空気が重く籠もる。
太市にコナツ、コナツの母の榊原婦人、茶木田住職の四人は、六畳間の隣、台所の四畳半で座布団に腰を落とした。それを待っていたように玄関のドアが開いて、白装束、錫杖を手にした法衣姿の人物が入ってきた。額に黒い頭襟を回しつけ、袈裟の上には黒いぼんぼりのようなものが四つ。後で住職が教えてくれた。修験道の行者、山伏だそうな。暗くて良くわからないが、かなり高齢の方だ。住職が抑えた声で皆に紹介する。
「わしが法をあげてもいいんじゃが、なにせ坊主稼業はご無沙汰でな、本職を頼んだほうが良かろうと山伏の彼に来てもらった、これから御祓いをしてもらう」
そう説明すると、住職は立ち上がって白装束の山伏に耳打ちした。
山伏の翁は軽く頷くと、奥の六畳間に進み、正座をしている婦人に一礼、鏡と婦人の間に立った。そして錫杖を二度床に打ち付け、左の手で印を結ぶと、抑えてはいるが朗々とした声で呪文を唱え始めた。
しばし祓除の法を唱えると、山伏の翁は手前の台所に引き下がり、私語は一切挟まず、そのまま部屋を出て行った。淀んだ部屋の空気が、雨上がりのように澄み切っていた。
「それでは始めて下さい」
住職が婦人を促した。
婦人が姿勢を正し、昂ぶる気持ちを鎮めるように胸に手を当てる。気配で婦人が何か喋ろうとしているのが分かる。しかし声が口を付いて出てこない。
深呼吸を数回、婦人は頭上を巻く電車の音に押されるようにして息を吐いた。
鏡に向かって呼びかける。
小声なので太市たちには聞き取れない。抑揚のない響きは念仏のようでもある。
途中電車が通過する音の度に、婦人は呼吸を整え、電車が過ぎるとまた呼びかける。やがてそれは電車の音とは関係なく続くようになった。
いつもながら寝不足の太市が、あまりの単調さにウトウトと船をこぎ始める。その太市の足をコナツがつねった。背筋を伸ばした太市に、コナツがそっと鏡を指さす。
いつの間にかグロー球が消され、部屋の中は真っ暗、婦人の姿も窓を背景にシルエットでしか見えない。太市が目を見開いた。
闇を映す鏡の中に無数の小さな明りが灯っていた。
川の流れに浮かんだ灯篭流しの灯のように、無数の明かりがユラユラと蠢いている。
炎が揺れる度に、ナゼ……、ナゼ……、ナゼ……、という呻くような音が鏡から部屋に流れ出る。ナゼステタ……、ナゼ……、
目の前の婦人を弾劾するような棘のある響きに、婦人が顔を手で覆う。しかしそれでも婦人は小声で念仏を唱え続ける。贖罪の言葉を並べているようでもある。
事実、上体を前に折り曲げ、ちゃぶ台の端に額を押し付けながら、婦人はひたすら口ごもるような声で、ゴメン、ナ、サイを繰り返していた。
そのゴメン、ナ、サイ……が、ナゼという声に呑み込まれる。
その時、うごめく群灯から小さな灯が一つ、前面に浮き上がった。
抑揚のない重い声が婦人に語りかける。
「コチラノセカイ、クル……、ユウキ、アル、カ……」
「イチド、クル……、モドレナイ、ソレデモ、クル、カ……」
脅すような声が引き潮のように消えたとき、婦人は詰めていた息をクッと吐いた。そして面を上げ「娘のもとに、参ります」と、はっきりとした声で言った。
鏡の中が一瞬ざわつく。
構わず婦人は片膝立ちの姿勢で鏡に手を伸ばした。
手の平が鏡に押し当てられる。
太市は目を見開いた。ぴたりと当てられた手が、そのまま泥に沈み込むように鏡面にめりこみ始めたのだ。手の平から甲、手首、肘へと。瞬く間に婦人の腕が鏡の中に埋もれてしまう。いや吸い込まれると言った方がいい。
隣の四畳半にいた太市たちの腰が、吊られて浮き上がった。
太市の動きが目に入ったのだろう、婦人は住職のいる四畳半に視線を流すと、伏し目がちに会釈をした。そして再度鏡に向き直るや、今度は目を閉じ鏡に体を預けた。
腕から肩、やがて婦人の顔までが鏡の中に。このままでは婦人が鏡に取り込まれてしまう。引き止めなければと、太市がそう思った時、婦人の動きが止まった。
そして数秒、婦人の鼻先と鏡の間の隙間が広がり始める。
ゆっくりと婦人の体が鏡から押し出され、やがて鏡の上の波紋を割って二の腕、さらには肘からその先の手首と……。
鏡の面を割って現れた婦人の指の間に、細い指が絡まっていた。
部屋の中を列車の窓の明かりが右から左へと通り過ぎた後、鏡の前には、婦人と手を繋いだ格好で少女が立っていた。サチだった。
サチを鏡の世界から連れ出したのは、山猫園の清掃のオバサンである。なんと彼女がサチの生みの親だった。そういえば太市が園長先生の部屋に入った際、オバサンがせっせと逆さ鏡を拭いていたのを思い出す。
あの事件の翌日、清掃のオバサンは、同僚の差し出す新聞の記事に目を疑った。三本足のカエルのバレット、それは忘れもしない自分の記憶に刻み込まれたものだ。
もしかしたらと思うと、体の震えが止まらなかった。
清掃のおばさんは中国籍で、名前を崔瑞英。二十歳のときに研修名目で日本に来て、信州の地方都市で農産物の加工業に従事、そこで知り合った日本人と結婚した。しかし妊娠した崔さんを待っていたのは、失業して荒れる夫の暴力だった。逃げるように都会に身を移し、郷里の仲間のアパートで赤ちゃんを出産。しかし子どもを育てていく経済的な余裕はなかった。そして近くにあった修道女会の門前に、赤ん坊を置き去りにした。
結果からみれば、サチとコナツの立てた計画は大成功を収めたことになる。
しかし太市としては、いささか不満の残る形となった。なぜなら、サチが鏡の中に入り込んでいたことは絶対に口外しないようにと、住職に固く口止めされたからだ。
せっかくのネタが、怪異譚に使えない。
どうしてですかと迫る太市に、住職がある話を聞かせてくれた。あの手書きの収蔵品目録にも記載されていない、逆さ鏡にまつわる秘話である。
もう八十年も昔、日本が今の中国の東北部に満州国という傀儡国家を樹立していた時のこと。あの逆さ鏡は、満州でも北方のチチハルの国民学校にあった。時は一九四五年八月。敗戦と同時にソ連軍に攻め込まれ、引揚時の混乱で取り残された子供たちが、その国民学校に逃げ込んだ。女子の集団であったという。ソ連軍の侵攻と、国民党軍の攻撃、地元住人による略奪や暴行、馬賊の襲撃、阿鼻叫喚のなか、少女たちは自決した。その遺体は、陵辱を逃れようと、髪を切り、顔や手足を泥と炭で黒く塗りこめた姿であったという。
その後、鏡は更に北方のハイラル方面から逃げてきた一行の馬車の荷となる。
鏡は引揚行のなかで、多くの子どもたちが栄養失調で倒れ、凍え、置き去りにされていく姿を見続けた。
鏡がもし満州引揚者の集結する錦州、あるいは引揚船の出るコロ島に運ばれていたなら、日本の土を踏むことはなかっただろう。引揚者が帯同を許されたものはリュック一つ程度のものに限られたからだ。しかし鏡はウスリー川を渡り、朝鮮半島を縦断してプサンより貨物船に乗せられ、幸運にも日本に辿りついた。それは鏡に己が姿を写した少女たちの霊が、自らの魂を鏡に託して故郷へ辿り着いたようなものだった。
そして戦後、鏡は孤児の救護院に置かれた。
その頃から、不幸な子どもたちの魂を宿した鏡は、不思議な兆候を見せるようになった。子どもたちが鏡に姿を映すと、左右が逆に映り、さらに顔を寄せると、「世を疑え、大人を信じるな」という呪詛のような言葉を発するようになったのだ。
「大人の世界など捨て、こちらの世界に来いよ」
誘いに乗って鏡に吸い込まれ、姿を消した子どもも随分あったという。
ただそれも救護院時代までで、戦後直ぐの混乱の時期を過ぎ、所有者が冥星学園に移ってからは、鏡に吸い込まれる子供もいなくなった。ただ鏡に左右逆に映る子供はまだまだいた。それを当事まだ小坊主で乳児のオムツ換えに明け暮れていた住職は、注意深く観察していた。そして気づく。左右が逆に映る児童は、一様に不幸な境遇、もしくはそういった境遇に陥りそうな子どもたちだということだ。
それが分かって以降、住職は子どもたちを鏡の前に連れ出し、姿がどう映るかで、彼ら彼女らの置かれた状況を推し測るようになった。そして鏡の経歴を、当事の総長と相談の上、抹消した。もし逆さ鏡が子どもの置かれた境遇を映し出すと知れれば、子供たちが鏡の前に立つことを避けるようになると考えたのだ。逆さ鏡は、ただ左右が逆に映る不思議な鏡であれば良い。単に不思議であればあるほど、園児は面白がって自分の姿を映そうとする。
そして高度成長、社会に物が溢れる時代になった。曲がりなりにも衣食住が足りてくると、左右が逆に映る子供は激減した。そして時代は下り昭和から平成へ。
小学生でもケータイやパソコンを操る時代である。
この社会の成熟とともに、逆映りする子どもがいなくなるかといえば、そんなことはなかった。いつの時代にも不幸な境遇の子どもはいる。この十年で言えば、左右逆に映る子どものほとんどは、親から虐待を受けている子どもだった。
人の世が続く限り、逆さ鏡の必要が無くなることはない。
そうそれが、住職が鏡の秘密を口外無用と明言した理由だった。
太市は冥星新報の記事に、行方不明のサチはダンス室を抜け出した後、友人の家にかくまってもらっていたのだと書くことにした。
これは致し方のない記事の修正・歪曲である。しかしそれも、サチが無事にこちらの世界に戻り、実の母親が見つかったことで良とすべきこと。おそらく今日も園長室では、お茶とお菓子に呼ばれた子どもたちが逆さ鏡の前で手を洗い、その鏡に映る姿を茶木田住職が慈愛を込めた眼差しで見守っていることだろう。
蛇足かもしれないが、怪異譚の取材ノートにメモしたことを一つ追加しておく。あの北都タイムズの記者は山猫園の卒業生で、在園当事あの逆さ鏡に吸い込まれかけたことがあったという。これは茶木田住職からこっそり教えてもらったことだ。
すでにイチョウの黄葉も完全に散り払い、空に伸びる枝が秋の終わりを告げている。
そんな初冬のある日、太市は妹の千晶から報告を受けた。
宝蔵寺沙知が生みの母と一緒に暮らすことになったという。今まで暮らしていたお屋敷は、叔父の借金の抵当に入っていたそうで、近く差し押さえられるとのこと。そして新居はというと、取り壊しの予定が延びたコナツのアパートだ。
それでもサチは嬉々としている。サチにとって家がボロボロなんてことは、どうでもいいことらしい。母に結ってもらった髪に、あの三本足のカエルの髪止めを付けて、毎日元気に登校している。三本足のカエル、口にお金を銜えていなかったから金運の神ではなかったようだが、それ以上の運をサチに運んできたようだ。