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【土曜日】沙倉深乃莉 -さくら みのり-

ぼくはみのり。

おとこのこ みたいって いわれるけど それは げんきだって ことだよね?

ぼくだって おしゃれすれば あんちゃん みたいに かわいく なるよ。

なんか おなか すいてきちゃった。


「なにか面白いことないかな~」

 落ち着きなく周りをキョロキョロしながら商店街を歩く深乃莉がいる。

 今日は土曜日で学校が休みのために制服姿ではなかった。ショートカットに黄色い花柄のワンピース。高校二年生のはずだが、どう見ても小学生にしか見えない。いけない大人に声をかけられそうである。

「ねぇ、面白いことない?」

 魚屋の外に置かれた木箱の上にいる猫に尋ねる。気持ちよさそうに寝ているその猫はサバトラという、黒っぽいトラ模様の猫である。猫は深乃莉の顔を一度見たが、興味なさそうにすぐそっぽを向いて、しっぽをパタパタさせた。

「もう、素っ気ないな~。遊ぼうよ~」

「にゃ~」

「モフモフしてやんよ!」

 猫を揉みしだこうと、おなかのもふもふ地帯に両手を当てた。

「にゃ!」

 猫がくるりと仰向けになり、両前足を大きく広げて鋭い爪を光らせた。

「ぎゃ~!」

 猫クローが空中でクロスを描く。猫の必殺技を受けて深乃莉はひるむ。猫はニヤリとして『ニャハハ』と笑いながら逃げ出してゆく。

「くっ、不覚であった……。奴め、やりおるわ」

 額に×の字傷をもらいながらも深乃莉は余裕の笑みを見せる。そんな中、慌ただしい女性の声が耳に飛び込んできた。

「ん~、これもいいです! こっちもいい! どれもおいしそうですね~」

 魚屋の前には魚を順番に指さしている黒コートの女性がいる。

「あれ、あの人。真っ黒だけど、何者? 忍者? 隠密? 殺し屋? 執事?」

「でも、ワタクシが気に入ったのは……」

 黒コートの女性は指をくるくる回すと、不意に深乃莉を指さした。

「あなた!」

「ふぇ?」

 目を丸くしている深乃莉の前に黒コートの女性は素早く寄ってきた。

「は~い、こんにちわ~! ワタクシはパンドラといいます。決して怪しいものではありませんよ~」

 どう見ても怪しいが、見た目に見合った純粋な子供の心を持つ深乃莉には未知との遭遇であった。

「そこのかわいいお嬢さん。額に傷がついてしまってますよ~! これは大変!」

 深乃莉は身長が自分の倍はありそうなパンドラを見上げる。

「へへへ、ぼくは子供の頃から傷の治りが早いから大丈夫だよ。それよりもおねえさん、何か面白いことない?」

 前のめりになったパンドラは、その長い体躯を九十度折り曲げた。細長い首は九十度上に曲がり、顔は深乃莉の方を向いている。深いおじぎをしているが、顔だけは前を向いているという奇妙な格好だ。

「ねえお嬢さん、どうして面白いことを探しているのかしら?」

「大切な友達が落ち込んでいる時に面白い話をしてあげたら楽しませてあげられるでしょ? みんな笑顔が一番だよ!」

「ふむふむ」

 元気いっぱいに答える深乃莉にパンドラは小さくうなずく。

「今もね、幼なじみの子が行方不明なの。もう一人幼なじみの子いるんだけど、その子が落ち込んじゃってるから、ぼくが元気づけてあげないと」

「なるほどですね。わかりました、そんな友達思いのお嬢さんにワタクシから素敵なプレゼントを!」

 パンドラは奇妙な体勢からまっすぐ背を伸ばして直立する。細長い腕を背中にまわし、背中にある大きな黒い袋に手を入れて何かを探る。

「これがいいですかね~!」

 鞭のようなしなやかな動きで背中にまわしていた腕を引き抜き、目をらんらんとさせている深乃莉の前に差し出す。その手には特に変哲のないごく一般的な懐中時計が握られていた。

「これは透明人間になれる不思議な不思議な『世界離脱時計』でございますよ~!」

「えっ? なに? その、とっても不吉な名前は……」

 にこやかだった深乃莉の顔が一瞬曇る。

「名前など飾りでございます! 重要なのは効能!」

「透明になるだけでしょ?」

「いえいえ、こちらの不思議な時計、なんと! 姿も消えて、声も消えるのです!」

「面白い? それ?」

「面白いかどうかはお嬢さん次第。これはお嬢さんの退屈を助け、みなさまに笑顔を分けて差し上げられるように使ってほしいのでございます」

「うん、よくわからないけど、わかったよ!」

 さすがのパンドラも深乃莉に渡すのは不安なのか、すぐに渡さずに若干躊躇した。

「じゃあ、ちょうだい!」

 深乃莉はパンドラの手から時計を奪い取ってしまった。パンドラは一瞬あっけに取られたが、すぐに営業スマイルに切り替える。

「使い方の説明の前に、まずは人目のつかないところに移動しましょう」

「なんか秘密って感じでわくわくするね!」


 深乃莉はパンドラの後を着いて人通りの少ない商店街の裏通りにやってきた。

「さてさて、使い方の説明をいたしましょうか。一度しか言いませんよ~! よく聞いていてくださいね~!」

「ラジャ!」

 懐中時計の鎖を首からかけ、深乃莉はびしっと敬礼した。

「まず、時計の十二時方向にあるボタンを押すでございます。押すのは一回ですよ。そして次は……」

「は~い!」

 深乃莉は説明の通りにボタンを押すと、深乃莉の姿がぱっと消えた。

「人の話を聞かない子でございますね……」

(次は?)

 姿も声も透明になってしまうので、深乃莉の声はパンドラに聞こえていない。

「透明になっている間でも、触れることは可能でございます。試しにワタクシと握手でもしてみましょう」

 パンドラは誰もいない空間に向けて会話を続けると、深乃莉が消えたあたりにさっと手を出した。

(握手、握手)

 深乃莉は差し出された手を握った。

(冷たっ!)

 パンドラの手は今まで冷凍室にいたかのようにひんやりしており、秋の肌寒さを突き抜けるほどの冷たさであった。

(透明になっている間は相手の体温を感じないのかな?)

 深乃莉はそんなに深くは考えなかった。自分自身が不思議な状態なのだから。

「はい、よろしいでございます!」

 パンドラは握っていた手をぱっと開いて、深乃莉の手を離す。

「時計の針が逆回転しているでございましょう?」

 背の高い黒コートの女性が大声で独り言を言っている周囲から見たらかなりの不審者だ。そんなパンドラの前で深乃莉が動く時計の針を目で追っていた。

(うん、動いてるよ)

「一分経過すると文字盤の中にある小さな時計盤が逆側に一刻み動くのでございます。小さな時計盤は十二分割されておりますから、全部で十二分まで計測できるということでございます」

 そう言っている間にも時計の針は時を刻む。

「最初に押したボタンをもう一度押せば時計は止まるでございますよ。貴重な時間を無駄にしないよう、早めに押すことをおすすめいたしますが」

(そっか)

 深乃莉はタンを押して時計を止めた。ちょうど小さな時計盤の針がひとつ進む。時計が止まると同時に深乃莉の姿が現れた。

「ただいま~」

「おかえりなさいませ、お嬢さん」

 パンドラは黒コートの裾を持って出迎える。

「では最後にひとつ注意でございます」

「うん、わかってるよ。時計の効果がある十二分を越えたらダメってことでしょ?」

 子供だと思っていた深乃莉の発言にパンドラは口に手を当てて驚いた。

「ものわかりが良くて助かります。お嬢さんはお利口でございますね! そうですそうです、おいしいアメを差し上げましょう」

「ちょっと! ぼくをちっちゃい子供と一緒にしないでよ!」

 と言いつつも、パンドラの手に乗っていたおいしいアメをいただく。

「では、使い方を間違わぬよう、お楽しみくださいませ」

「おっけ~!」

 深乃莉の元気のよい返事を見たパンドラは、怪しげな笑みを口元に浮かべていた。


世界離脱時計の残り時間:十一分


 魚屋の陰に深乃莉はいた。何か企んでるような含み笑いをしている。

「いたいた。猫ちゃんめ、雪辱を晴らしてみせよう!」

 深乃莉をひっかいたサバトラ猫が魚屋前の木箱の上で気持ち良さそうに寝ている。丸まった背中が愛らしい。

「第二ラウンドといきますか。では、ポチっと!」

 懐中時計のボタンを押すと、深乃莉の姿がぱっと消える。

(今度こそ、モフモフしてやんよ!)

「にゃ!」

 突然、猫が驚きの声をあげた。何が起こっているのかわからないといった感じで、多重分身しそうな速さで首を横に振っている。猫のおなかをよく見てみると、いくつか指の形にへこみがあった。

(くらえ~!)

 猫のお腹に見える左右八本の指のへこみがなまめかしく動く。それは『こねこねモフモフこねこねモフモフ』とピアノの鍵盤を弾くように、華麗な指さばきであった。

「ふにゃ~……」

 深乃莉の猛攻撃に負けた猫がぐったりと横たわっている。敗北したのに不思議と恍惚な表情でいるのは気のせいか。

(任務完了!)

 深乃莉が姿を現した。なんという輝いた勝利者の表情だろうか。

「よし、次! 面白いこと探すぞ~!」

 事を成し遂げた深乃莉は商店街の奥の方に向かっていった。


世界離脱時計の残り時間:八分


 深乃莉がしばらく商店街を歩き続けていると、獲物を見つけた獣のように目が輝きだす。

「あっ、あれは同じクラスの夢雲むくもさんだ!」

 商店街のアクセサリーショップに女の子がいた。名は『夢雲かぐや』という。背中まで届く艶やかな長い黒髪に、綺麗に切り揃えられた前髪が品のある顔立ちをよりいっそう際だたせていた。その名のとおり、かぐや姫のようにミステリアスで人を寄せ付けない神秘的な雰囲気を持っている

 深乃莉は興奮を抑えつつ、アクセサリーショップの向かいにある本屋に駆け込む。

「夢雲さん、さっきからずっと鏡見て動かないけど、何してるんだろう?」

 アクセサリーショップの様子がよくわかるように、深乃莉は窓に面した雑誌コーナーから適当なものを手に取り、立ち読みでカモフラージュしている。その間もかぐやは薄紫の小さな手鏡をじっと見ていた。

「……」

 かぐやはそのまま手鏡を持ってレジへ向かう。

「ありがとうございました~」

 手鏡を買ったようで、手に紙袋を持って店から出てきた。

「うわ! 危ねえ!」

 数段重ねた四角いそばの器を片手に自転車をこいだおじさんが現れた。ぶつかりそうになったかぐやを避けようとして、おじさんが電柱に激突して転倒。そばの器は宙を舞い、おじさんの頭に直撃した。

「ごっ、ごめんなさいです!」

 かぐやは深くおじぎして謝罪だけすると、恥ずかしさのあまり、逃げ出すようにその場から立ち去ってしまった。体のあちこちにそばをかぶったおじさんは鼻の下を伸ばしてのほほんとしている。本来なら怒ってもいい立場なのに、おじさんはかぐやの気高き美しさに参ったようだ。

「今のも面白かったけど、夢雲さんに着いていったら、もっと面白いことありそう!」


 かぐやは寄り道もせずに歩き続け、やがて商店街を出た。商店街の先は緑の多い地域になる。商店街の逆側は駅もありにぎやかだが、こちらは対照的に静かでひっそりしている。深乃莉とかぐやが通う櫛名田高校があるのもこちら側だ。しばらく歩くと大きくそびえる猫ヶ森が姿を見せ始め、その森の入り口にあたる場所には猫公園がある。

 深乃莉の尾行は続いており、かぐやの後ろ数歩のところまで近づいていた。

「誰です?」

「やばっ!」

 深乃莉は慌てて時計のボタンを押した。振り返ったかぐやは深乃莉のいる場所をじっと見ていたが、誰もいないことを確認して安心したのか、さらに道を進んでいった。深乃莉は姿を消したままかぐやを追いかける。

「にゃ! ぎゃ!」

 かぐやに集中しすぎていたせいか、深乃莉は道ばたで寝ていた猫に気づかずに尻尾を踏んでしまった。全身混じりけのないグレーの猫だ。

「フー!」

 尻尾を踏まれた猫は見えない深乃莉に怒りのうなり声をあげている。

「どうしたのです? 誰かいるのです?」

(あちゃ~、これはもうダメだね)

 隠し通せないと思った深乃莉は時計のボタンを押して透明状態を解除した。

「あっ……」

 かぐやは突然現れた深乃莉を見てそれほど表情を変えなかったが、一応は驚いているようだ。

「やっ! 夢雲さん、こんにちわ~」

 動揺しすぎの深乃莉の態度にかぐやは怪訝な表情で首をかしげている。

「私に小学生の知り合いはいないです」

 かぐやはかしげた斜めの位置から深乃莉を見下ろす。かなり警戒しているようで、眉間にしわが寄っている。

「え~、ちょっとショック……。ぼくは同じクラスの沙倉深乃莉だよ」

 それを聞いたかぐやは深乃莉が現れた時よりも驚きの表情を見せる。

「ごめんなさいです。知りませんでした」

「えっ、ホントに?」

 ただでさえ小さい深乃莉だが、落ち込んでさらに小さくなる。

「大丈夫、気にしないで! 見てのとおりぼくはチビっ子で、性格も子供っぽいからよく小学生に間違われるし」

「でも、あなたらしさがあるです。うらやましいです」

「えっ? ぼくは夢雲さんの方がうらやましいよ。そんなに綺麗で落ち着いていて」

「ありがとうです。でも、私には私らしさがないのです」

 かぐやはうつむき、悲しそうな目を深乃莉に向けた。

「そうだ! ぼくと友達になろうよ!」

 突然の申し出にかぐやはハッとして口を開けている。今までこのようなことがなかったのかもしれない。近寄りがたい雰囲気が人を遠ざけているように思える。美しいからといって幸せとは限らないようだ。

「ありがとうです。沙倉さん、よろしくです」

「えへへ、みのりでいいよ。こちらこそよろしくね、かぐやちゃん!」

 お互いの顔を見て握手している二人の方に、大量の排気ガスまき散らした車が走ってきた。

「あの車の中を見てちょうだい!」

 ひどくしがれたおっさんの声がした。

「えっ、車?」

「あれです」

 かぐやの向いている方向から車は近づいてくる。よれよれと蛇行しながら進むその運転はひどいものであった。

「うわっ、くっさ!」

 二人の前を通り過ぎるその車からはひどくクサイにおいがする。深乃莉はその毒ガスに巻き込まれたが、かぐやはいつの間にか取り出していた日傘で毒ガスを受け流していたようだ。毒ガス車は数十メートル先で左折していき、あっという間に見えなくなった。

「後部座席見たですか? あれは捜索願いが出されている飛田さんです」

「そうだよね、やっぱり杏ちゃんだった!」

「その呼び方、飛田さんと親しい仲ですか?」

「うん、幼なじみなの」

「それなら、必ず助けるです。私も協力するです」

 かぐやは車が向かった方角に指をさした。

「車が曲がった方向、あの先はたしか廃工場があるはずです」

「かぐやちゃん、すぐに追いかけよう! 見失っちゃうよ!」

「私は警察に連絡するです。みのりさんは先に追いかけてほしいです」

「りょ~かい! まっかせて!」


世界離脱時計の残り時間:五分


 草薙町のはずれに古びた廃工場があり、そこには工場の他に事務所として使われていた小さな小屋が建てられている。その小屋にひどくクサイにおいのする男が杏樹をお姫様だっこしてやってきた。

「フヒヒヒ! ここはボクちんの秘密基地なのだ!」

 杏樹を連れ去った『激臭』だ。

「でも、これからはボクちんとお姫様の愛の巣になるのだ!」

 悦に浸る『激臭』の背後、死角となる小屋の陰から小石が飛んでゆく。小石は地面すれすれを滑り、途中でバウンドして『激臭』の尻めがけてちょうどいい角度で跳ね上がった

「ぐふっ! い、痛い~!」

 小石は『激臭』の尻に当たると同時にものすごい音で屁をかます。

「えへ! 出ちゃった!」

 その強烈なにおいで小屋の陰にいた猫が気絶したが、『激臭』は気づきもせずに杏樹を小屋の中に運ぶ。

「昨日さ、お祝いのためにケーキを用意していたんだ。ほら、眼鏡かけた女が君をさらおうとしたの覚えてるかい? ボクちんが特注でオーダーしたケーキを買っている間にさ。なんなんだよ、あの女! 今思い出しただけでも腹立たしい!」

 『激臭』は怒りのあまり床を数回踏みつけた。そのたびに全身のぜい肉がブヨンブヨン揺れる。

「車にケーキ取りに行くから、お姫様はここでワクワクしながら待っていてね。約束だよ、ウフ!」

 気味悪い笑顔を残して無様なスキップをしながら小屋の外に出ていった。


「杏ちゃ~ん」

 割れた窓ガラスの向こうから、深乃莉が小屋の中を覗いている。呼びかけても反応がないので、深乃莉は窓ガラスをコンコンと叩いた。しかし、変わらず杏樹に反応はない。

「ダメか~、完全に気を失ってるみたい」

 深乃莉は首からかけている懐中時計の文字盤を見た。

「残り約五分、気をつけないと」

 深乃莉は車のある方を見て『激臭』がまだ戻ってきていないことを確認すると、懐中時計のボタンを素早く押した。時間を無駄にしないように急いでドアに移動する。

(ラッキー、鍵かけてないや)

 小屋と外をつなぐ鉄の扉が錆びついた鈍い音を伴ってゆっくりと開いた。小屋に入った深乃莉は駆け足で杏樹のところへ向かった。

(うん、怪我は無さそうだね。よかった)

 仰向けに寝かされていた杏樹の上半身がゆっくり起きあがった。続いて腰が浮き上がり、杏樹は膝立ちの状態になる。両腕を前に突き出した形で杏樹の体が中途半端に宙に浮いた。

(いくら女の子とはいっても、ぼくにこの重さはつらいよ……)

 見えてはいないが、小屋の外に出そうと深乃莉が杏樹を背中に乗せている。体の小さい深乃莉が自分より大きい杏樹を背負うには無理があり、杏樹はあまり持ち上がっておらず、足先が地面の砂に擦れている。

(でも、ぼくが助けるからね!)

「あれれ? お、お姫様が、う、浮いてる!? そうか! 君は魔法少女だったんだね!」

 タイミング悪く『激臭』が戻ってきた。走って戻ってきたらしく全身汗だくで、さらに臭いがパワーアップしている。

「ボクちんとしたことが、君を置いた時に一緒に車のキーも置き忘れちゃったみたいでさ~。でも忘れて良かったよ! だって、君が魔法少女だってわかったんだから!」

 ニタニタした顔にも汗の玉を大量に浮かべている。その汗がポタリポタリと地面に落下して、汚い小さな水たまりが出来つつある。

(邪魔だよ!)

 ドアの前を塞いでいる『激臭』の股間を深乃莉は力の限り蹴飛ばした。しかし、杏樹を背負うことに力を注いでいる深乃莉の蹴りは弱々しく、何かが触れた程度にしか感じなかったであろう。

「なっ、なんだ! そうか、魔法少女と戦う意地悪な魔女だな! そんなやつはボクちんが倒してやるぞ! さあ、姿を見せるんだ!」

(邪魔だって言ってるの!)

 もう一度、深乃莉は『激臭』の股間めがけて蹴る。

「お、脅したってボクちんはひかないぞ! だって、ボクちんはお姫様を助ける騎士なんだから!」

(もう! 手段は選んでいられない!)

 杏樹がゆっくりと仰向けに寝かされると、代わりに近くに放り投げられてあった木製のバットが宙に浮いた。かつてここがまだ工場として稼働していた頃、作業員が休憩中に野球でもしていたのだろう。その憩いの道具が今、殺戮の道具へと変わろうとしている。

「魔女め、決着をつけてやる!」

(せ~のっ! ふっとべ~!)

 深乃莉はバットを振りかぶり、体に残るすべての力を込めて一撃必殺のスイングした。

(うわっ!)

 声を出したのは殴られた『激臭』ではなく、殴りかかった深乃莉の方だった。『激臭』の分厚い脂肪で出来たゴムの鎧がバットの衝撃を跳ね返したのだ。

「魔女の攻撃! ボクちんは1のダメージを受けた! 次はボクちんのターン! ボクちんは電撃の魔法を詠唱し始めた!」

 いつから持っていたのか、『激臭』の右手にはバチバチと火花を散らすスタンガンが握られていた。

(えっ! やだ! ちょっと! やめて!)

 小屋の中の数カ所で地面の砂が擦れた。スタンガンを目の当たりにした深乃莉が地面を後ずさって逃げている跡だ。

数歩下がったあたりで足がもつれ、深乃莉は後ろに勢いよく倒れてしまった。倒れた位置に小さな砂煙が舞う。

「んふふ! 魔女はそこにいるんだね。見えなくても地面を見れば一目瞭然さ! ボクちんの観察力は世界一だからね!」

(どうしよう! 居場所ばれちゃった!)

 深乃莉は恐怖ですくんで動けない。

「くらえ! 必殺のスーパーライトニングアタッ~ク!」

 その叫びが狭い小屋に響き、直後に人が倒れる音がした。

「あ、あれ……? なんで、ボクちんがやられて、るの……?」

 『激臭』の首の後ろに包丁が半分ほど突き刺さっている。

(きゃああああ!)

 深乃莉は誰にも聞こえない悲鳴をあげた。見てはいけない光景を目の当たりにしているのだから当然だ。

「おとなしく死ね、外道が」

 その声の主である少女はうつ伏せで倒れている『激臭』の横に移動し、『激臭』の首に突き立ててある包丁の柄を華奢な足で思い切り踏んだ。包丁の刃は『激臭』の首に根本まで埋め込まれる。

「ん、が……」

 『激臭』が言葉にならない最後の声と一緒に口から血を吹き出した。数秒の間はピクピクしていたが、間もなく全ての活動を停止した。

「くたばったか?」

 その少女は『激臭』が絶命したのを確認すると、首からそっと包丁を抜いてすぐに離れた。すると、さっきまで生きていた証であるように血の噴水が湧き上がる。少女はその様子をうっとりとした顔で見つめている。

「これでこの町の害虫をまた一匹駆除出来たな」

 背中まで伸びた長い黒髪に邪悪なオーラを漂わせるその少女こそ魔女に見えた。

「『あの子』が警察を呼んだみたいだし、あとはこのまま放置でいいか」

 『激臭』を始末した少女は倒れている杏樹に背中を向ける。

「ん……」

 杏樹の意識が戻りかけているようだった。苦しそうな表情で体をわずかに動かしている。自分を誘拐したとはいえ、『激臭』が殺害される光景を見ずにすんだのは不幸中の幸いであろう。

「風邪ひく前に警察が来るといいな」

 開かれたままの鉄の扉を抜けて少女は去っていった。その足音が聞こえなくなった頃、ようやく深乃莉は落ち着きを取り戻す。

(う、うそ……。かぐやちゃんが……、人殺し……?)

 『激臭』を殺害したのは先ほど出会ったかぐやであった。深乃莉の思考は戻ったものの、全身の震えは止まらずに怯え続けている。

(どうして……? どうして……)

 静かになった小屋にむせび泣く声だけが繰り返されている。もちろん、それは姿を消している深乃莉本人にしか聞こえない。深乃莉がショックに沈む中、パトカーのサイレンの音が近づいてきた。その音に深乃莉が我を取り戻す。

(あっ、時計止めないと!)

 慌てて首にかけてある懐中時計を見た。分を示す時計盤の針は既に一時の位置を越えており、秒を刻む針がまもなく十二時の位置になろうとしている。

(あと五秒! まだ間に合う!)

 カチッとボタンを押す音が聞こえるはずだったが、聞こえたのはガリッという音だった。

(あれ? ボタンが押せない? どうして?)

 ボタンと時計の隙間に小さなガラスの破片が挟まっていた。『激臭』にスタンガンを出されて地面に倒れた時に入り込んでしまったのだろう。

(いやだよ、いや~~~~~!)


世界離脱時計の残り時間:零分


 ここは草薙町に唯一存在する病院。会計を済ませた幌亜が帰ろうとすると、この病院の院長である日野国三ひの くにみつの姿を見かけた。

「院長先生、こんにちわ」

「おや、君か。妹さんの薬を受け取りに来たのかね?」

「はい。おかげさまで最近の妹は発作も起こりにくくなってます」

「それは良かった。妹さんは生まれつき心臓が弱いが、君のような心強いお姉さんがいると病気も乗り越えていけそうだ」

「風邪ひいたことないぐらい健康なあたしですけど、その体の丈夫さを妹にも分けてあげたいですよ。ホント、あたしってそれだけが取り柄ですから」

 二人が話しているところに救急車のサイレンが近づいてくる。サイレンの音が最大になったところで緊急搬送口が大きな音を立てて開かれた。

「どうしたのかね?」

「院長先生! 行方不明になっていた子です!」

 その言葉に幌亜が反応し、急患で運ばれてきた人物のもとに駆け寄った。

「あ、杏ちゃん!」

「君、下がって!」

 ストレッチャーで杏樹を運ぶ救急退院が近寄る幌亜を手で払う。幌亜は邪魔しないように一歩下がって杏樹の容態を気遣うしか出来なかった。

「友達かね?」

「はい、大切な幼なじみです!」

「心配だろうが、あとは私たちに任せなさい」

 日野は幌亜の肩に手を置いてなだめる。

「はい……。杏ちゃんを、よろしくお願いします」

 日野はうなづくと、杏樹が運ばれていった方へ急いだ。

「そうだ、みのりちゃんに知らせよう!」

 スマートフォンを取り出して、深乃莉に電話をかける。

『おかけになった電話番号は電源が切られているか、電波の届かないところにおります』

「あれ? おかしいな?」

 幌亜は何度か電話を繰り返しかけたが、通じないことがわかると、静かにスマートフォンをしまった。


『杏ちゃん、無事だといいな。ぼくはもうダメみたい……』

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