七華パラドクス
ネコヒメの聖域。
ネコヒメのこたつはしまわれていた。こたつを失った猫たちは過ごしやすい場所を求めて旅立った。
絶望に堕ちて消失した六人の少女たちは絶望の箱から解放され、七華の任務もいよいよ最後となる。こたつがあった場所に七華とネコヒメが向かい合っていた。
「いよいよじゃな」
「これ終わったら、うちはまた猫に戻ってゴロゴロする」
「無事に終われば、褒美ぐらいやろう」
「ほんま! なんやろ?」
「楽しみにしておくがよい」
「わかったん」
そこにエノがしっぽを振ってやってきた。
「猫公園にパンドラがいるという情報が入った」
「りょ~かい、最後の猫テレポートや!」
七華が右手をエノの前に出す。
「いや、猫テレポートは必要ない。この聖域の目と鼻の先にいるのだから」
猫公園のベンチにパンドラは一人たたずんでいる。膝の上には絶望の箱が置かれてあった。
「ワタクシに何かご用でしょうか?」
パンドラの前に七華が立っている。肩の上にはいつも通りエノが座っていた。
「あんたが捕まえた子らは、うちが助けたん」
「助ける? 無理でございますよ。絶望に堕ちたら因果がつきまといます。何をしようとも逃れることは出来ません。過去を変えても同じこと」
「その箱、開けてみるとええよ。自分の目で確かめてみいや」
パンドラが七華をにらみつける。しばらく黙った後、パンドラは絶望の箱を開けた。
「そんな……!」
箱の中は空だった。入っているはずのものが無い。
「これであんたの野望は終わりや。おとなしく森に帰るとええよ」
「これはお嬢さんが?」
「そうや」
「それはそれは。ワタクシとしたことがお嬢さんを侮っていたようです。因果をくつがえすとは」
パンドラはふたが開いたままの絶望の箱を手に持って立ち上がった。
「ぜひ、ワタクシのコレクションに加わっていただきたいものです」
絶望の箱の中に闇が見えたと思った瞬間、七華は絶望の箱の中にいた。
「何をした!」
思わぬ出来事にエノが吠えた。
「おや、人間の言葉を話す猫でございますか? 珍しいこと」
「答えろ!」
エノはさらに噛み付く。
「ですから、ワタクシのコレクションに加えるのです。絶望の箱に入った人間は数分もすれば魂のぬいぐるみと化します」
パンドラは絶望の箱のフタを閉めて膝の上に置き、勝利の笑みを浮かべている。
「さて、お嬢さんの魂が分離するまで少しお話でもしましょうか。ネコヒメの使いのあなたであれば、もうワタクシの正体をご存知でしょう?」
「ああ、知っている。千年前、九鎖の巫女たちにより封印されたナギの一人だろう? 封印されたはずのキミ達がなぜここにいる?」
「人間に伝えられている封印の話、それには偽りがあります。古きこの地でナギが支配していたのは確かですが、我が主と共に人間と共存をしておりました。決して人間を虐げていたわけではありません。ですが、妖怪風情ごときが支配しているなど許せない者がいたのです」
「人間の大巫女か」
「そのとおり。どんな秘術を使っているか知りませんが、千年も経つのにまだ生存しているとは、あの婆様こそ妖怪。その後は伝えられている通りでございます」
「巫女の鎖の封印は強力なものだ。それがなぜ封印から出てこられた?」
「簡単なことです。大巫女のやり方に疑問を持った巫女の一人が鎖を一本ほどいてくださったのですよ。それがちょうど十年前の猫祭の日になります。解錠されたのは九つの封印のうち一つだけですから、我々も人間の姿をして地上に出るのがやっとでした。それからは力が徐々に戻るのを待ち、十年の歳月が経ちました」
「そして、残りの巫女達のかけた鎖の封印を解いていったということか」
「はい。鎖の封印には二つありまして、表のニ鎖と裏の七鎖。裏の七鎖は今回ターゲットとした七人の少女達。裏の七鎖を解錠するには表のニ鎖を解錠せねばなりません。表の一つは強力してくださった巫女様。そしてもう一つの表のニ鎖は今回の計画前に解錠を済ませてあります」
「近年あった奇怪な出来事……。そうか、櫛名田高校演劇部失踪の件か。演劇部の部員の中に巫女がいたのだな」
パンドラは小さくうなづく。
「同志が手配してくださりましたから、思いのほか簡単に事は進みました」
「すべての封印を解錠してどうするつもりだ?」
「我らがナギの主を救い出します。主は千年前の封印時に魔華妖たちを守るために力を激しく消耗し、今はとある場所で眠りについておられるのです」
ネコヒメの聖域ではパンドラの独白をネコヒメがじっと聞いていた。
「ふむ、これは困ったことになったのう。七華が囚われるとは」
ネコヒメは頭を左に右に傾ける。頭をひねった結果、一つの案が浮かんだ。
「どれ、あの娘たちの願いを叶えてやるとするか」
プカプカ浮いていたネコヒメはそっと地面に降り、気を沈めて静かに目を閉じる。
絶望の箱から解放された六人はいつもと変わりなく授業を受けていた。二年A組では飛田杏樹、須南美愛、三守幌亜。二年B組では沙倉深乃莉、夢雲かぐや。二年C組では奏真梓が。
(聞こえるかのう?)
その六人の頭の中にネコヒメの声が響く。
「えっ?」
A組の教室で思わず杏樹が声を上げる。隣の席の幌亜を見ると、幌亜は杏樹と同じく何が起こっているのかわからない表情をしていた。
「あなたたち、もしかして、声が聞こえた?」
幌亜の前の席の美愛が顔を二人に向けて尋ねる。杏樹と幌亜はお互いに顔を見合わせて一度だけうなづいた。
(おぬしたちに肉球の形をした小さなあざがあるじゃろう?」
「なんで知ってるの?」
B組の教室では深乃莉が椅子から立ち上がり、お尻を押さえている。かぐやは額を触っていた。
(それは十年前にわらわが封印として付けたものじゃ)
「封印ですって……?」
C組の教室では梓が声の聞こえてくる天井を見上げていた。
(今からその封印を解いてやろう。思い出すのじゃ、おぬしらが助けたかった者のことを)
右手、首の後ろ、お尻、足の裏、額、耳たぶ、それぞれの肉球のあざがある位置に小さな電撃が走り、あざが跡形もなく消えた。ネコヒメがふさいでいた十年前の記憶が六人の頭の中に戻ったのだ。
突然、杏樹が立ち上がる。
「先生! わたし、今日の運勢悪いので早退します!」
杏樹はすぐに荷物をまとめて教室を出て行った。
「あたしも! すっごい走りたくなってきたので早退します!」
「私はBLの神様に呼ばれているので早退します!」
杏樹に続いて幌亜と美愛も教室を出て行く。授業を担当していた座先生は呼び止める事もなく、何も言わずに杏樹達の行動を優しい目で見届けていた。
「杏ちゃん!」
廊下に出た杏樹を深乃莉が呼び止めた。そこには深乃莉の他にかぐやもいた。さらに奥のC組の教室の前には梓がいる。
「ななちゃんが待ってる! みんな、行こう!」
六人が集合したところで、再びネコヒメの声が聞こえてきた。
(思い出したようじゃな。よし、七華のところに連れて行ってやろう。七華を救えるのはおぬしたちだけじゃ)
猫テレポートを使った時のように六人は一瞬でその場から消えた。
猫公園。
エノとパンドラが対峙しているところに六人はテレポートしてきた。
「ここ、猫公園?」
幌亜を含めた全員が周囲を確認している。
「あっ、黒コートの人!」
深乃莉がパンドラを指さした。しかし、パンドラはエノを見つめたまま動かない。
「ネコヒメ様がキミたちを呼んでくれたのだな」
「猫がしゃべってる!」
もの珍しそうに美愛が眼鏡の奥から凝視している。
「キミたち人間にも聞こえるように話している。一大事だからな」
「一大事?」
梓が眉間にシワを寄せて考え始める。
「十年前にキミたちが助けたかった七華がこいつに囚われてしまった。その絶望の箱の中だ!」
「えっ、ななちゃんが!」
口を押さえて杏樹が飛び上がる。
「キミたちなら七華を助けることができるはずだ!」
エノの言葉に戸惑う少女たち。何をすればいいのか誰ひとりとして見当がつかない。いや、一人だけ手を上げている者がいた。
「みなさん、手を、つなぐです」
かぐやの言葉を聞いた他の少女たちは、十年前に行った手つなぎを思い出していた。
最初に梓が美愛の前に右手を出した。梓の右手を握った美愛は幌亜の前に右手を出す。それを幌亜、深乃莉、かぐや、杏樹の順に手をつないで円状に広がる。梓の空いた左手、杏樹の空いた右手は絶望の箱を挟んで差し出される。
「今度こそ、みんなで手をつなごう!」
(今度こそ、みんなで手をつなごう!)
その声は絶望の箱の中にいる七華にも聞こえていた。
「みんな、うちのために……」
今までは決して泣くことをしなかった七華の目から涙が溢れてきた。我慢していた十年分の涙が一気に流れ出てきた。
「うちも、みんなと手をつなぎたい!」
七華は闇の中、精一杯両手を差し出した。みんなの思いを受け取るために。
パンドラの持つ絶望の箱がカタカタと震え始める。
「どうしたのですか、一体……」
思いもしない光景にパンドラは驚く。絶望の箱が勝手に動くはずがない。
「ひぃ!」
絶望の箱の振動がさらに強くなり、パンドラは箱を地面に落としてしまった。その衝撃で絶望の箱のふたが開く。
「ななちゃん!」
絶望の闇に囚われていた七華が飛び出してきた。七華の右手を梓が、左手を杏樹がしっかりと受け止める。
「みんな、ただいま!」
着地してよろける七華を六人の手が支える。十年前の七歳の七華しか知らないはずなのに、誰もが七華に笑顔を返してくれた。
「お嬢さん、アナタは……」
パンドラの瞳に恨みの炎が宿った。
「どこまでワタクシの邪魔をすれば気がすむのですか!」
黒コートの下から二本の長く黒い猫のしっぽが現れた。パンドラの瞳は赤く染まり、頭の上に猫の耳が生えてきた。さらには細長い指の先の爪が鋭く延びてゆき、パンドラの狂気性を高める。
「ね、ねこまた……です?」
かぐやが口走った。ねこまたとは二つのしっぽを持つ猫の妖怪である。
「アナタだけは許しません!」
パンドラは両手を大きく広げると、七華の頭を挟もうと手と手の間をせばめる。挟まれる前に七華は頭を下げて下に滑り込んだ。爪の切っ先が七華の三つ編みをまとめていた肉球の髪留めをはじき飛ばす。結われていた七華の三つ編みがくるくるとほどけてゆくと、左右の三つ編みから桜色の糸が一本ずつ抜け落ちた。二本の桜色の糸は螺旋状に絡み合い、肉球の髪留めと融合を始めて棒状のものを形作る。
「これって、ネコヒメ様の杖やないの!」
そこにはネコヒメの肉球の杖がプカプカと浮いていた。
『いざとなったら猫の手を貸してやろうではないか』
「こういう意味やったんか、確かに猫の手や!」
「七華! それでパンドラを叩け!」
七華はエノの声に従って肉球の杖を両手に持つと、パンドラの頭めがけて振り下ろした。
「なっ、なにが……!」
パンドラの体はみるみるうちに縮む。子猫サイズまで縮んだパンドラをエノが素早く口にくわえて絶望の箱の中に放り投げた。
「おとなしくしてろ!」
エノはふたを閉めると箱の上に乗り、香箱座りで重しをかけた。箱の中でパンドラが暴れているのかカタカタと箱が小刻みに動いている。
「須南美愛よ」
「えっ? 私?」
「黒い単語帳を七華に渡してくれ」
「あっ、はい」
美愛は鞄の中にしまっておいた黒い単語帳と専用の白いペンを取り出した。
「はい、どうぞ」
「ほい、ありがとう」
それらを七華に手渡す。
「七華、まずは裏に次の文字を書くんだ、P、a、n、d、o、r、a、b、o、x」
七華は言われた通り、裏面に『Pandorabox』と書いた。
「書き終わったん!」
「次はその表に、S、E、A、L、と書いてくれ」
続けて表面に『SEAL』と書き込んだ。
『SEAL』
単語の音声が発せられると同時にエノは絶望の箱から飛び降りた。
絶望の箱のふたに封印の札が貼られると、金色で装飾されていた箱が錆色に変わってゆく。
「終わったか」
エノはガラクタのように変わり果てた絶望の箱を感慨深く眺めていた。そこに七華が駆け寄ってくる。
「今の、なんなん? シールって言ってた気がするんやけど」
「SEALとは『封印』といいう意味だ。パンドラをこの箱の中に封印した」
「最初に書いたパン、なんやっけ?」
「パンドラボックス。つまり、絶望の箱のことだな」
「裏面に実行対象を書いておけば、使用者本人じゃなくて、その対象に実行されるのよ」
黒い単語帳の持ち主だった美愛が説明する。
「なんかあっけなかった気がするんやけど」
七華は右手に持った肉球の杖で絶望の箱をぽんぽん叩いている。
「大事であるほど小さく終わるものさ」
エノは七華の肩を見上げた。おそらく、七華の肩の上に乗るのはこれが最後になるだろう。そう思うと妙にしんみりした気分になった。
「七華、役目も終えたので聖域に戻るぞ。いまのうちに別れを言っておくんだ」
七華の肩に乗るのを後回しにした。
「わかったん」
七華は六人の少女たちの前に立つ。飛田杏樹、須南美愛、沙倉深乃莉、三守幌亜、夢雲かぐや、奏真梓。十年前からつながっていた大切な友達。
「さよにゃら!」
目を強く閉じて左手を招き猫のように挙げる。一瞬、場の空気が固まった。徐々に顔が真っ赤になってきた七華は猫ヶ森の方へ逃げ出すように走りだした。
余談だが、左手を挙げている招き猫は人を招くとされる。右手を挙げている招き猫は金運を招く。では、両手を挙げている場合はどうなのか? 欲張りすぎてお手上げバンザイとなる。
「ああいうやつだ。七華は」
エノの呆れたような笑みにどこか七華への愛おしさが見えた。エノ身をひるがえして猫ヶ森に帰ってゆく。
残された六人の少女達は誰も口を開かぬまま、森に帰る一人と一匹の姿が見えなくなるまで見送っていた。
ネコヒメの聖域ではネコヒメが七華とエノの帰りを待っていた。
「ごくろうじゃったの」
七華の労をねぎらうネコヒメの顔はいつもより優しかった。
「ほい、これ」
肉球の杖をネコヒメに返す。
「わらわの猫の手は役にたったであろう?」
「うちの髪の毛にあんな仕掛けしとったなんて、ネコヒメさまもおちゃめさんやね」
「ふっふっふ。長く生きておるが、心は乙女のままじゃ」
「ネコヒメ様、うちへのご褒美ってなんなん?」
「気が早いのう。もう少し余韻を楽しまんか」
「せやけど、うちはご褒美が楽しみでしょうがなかったんやも~ん」
「仕方ないのう。ほれ」
肉球の杖で七華の頭をぽんと叩く。桜色の煙が七華を覆い尽くした。煙は七華の身長の位置から徐々に下がっていき、五十センチほど縮む。覆っていた煙がなくなると、そこには七歳の頃の七華の姿があった。服装もこの世界に迷い込んだ時と同じだ。
「若返ったん」
「本来はそれが正しい姿じゃろうに」
「で、ご褒美は?」
「それじゃ」
七華は口をぽかんと開けて固まった。
「人間の姿をおぬしに返してやろう」
「返してくれるんはええけど、どうせなら十七歳女子高校生の姿がええわ」
「あの姿はわらわの想像による十七歳の七華と言ったじゃろう」
「七歳のうちが人間の世界に戻っても、向こうは十年経った町やないの?」
「さあのう、わらわからの褒美はひとつだけじゃ」
ネコヒメは肉球の杖と一緒にプカプカ浮いた。
「そろそろお昼寝の時間じゃ。エノ、あとは頼むぞ」
ネコヒメは言いたいことだけ言うと、桜並木の中央をふらりふらりと風に揺られながら行ってしまった。
「薄情やな……」
ぽつんと立っている七華の狭い肩の上にエノが飛び乗った。
「小さい七華では妙に落ち着かないな」
エノはすぐに飛び降りる。
「さっさとボクの仕事を済ませてしまうか。まずは猫リュックとパンドラのプレゼントをすべて回収する」
「ほ~い」
七華は身丈に合わなく重く感じる背中の猫リュックを下ろし、左手首に巻いてあったゆるゆるのブレスレットを取り外す。
「他のプレゼントは猫リュックの中や」
猫リュックとブレスレットをエノの前に置く。続けて右手首に巻いてあった猫珠を取り外そうとする。
「おや、未使用の猫珠が一個あるようだな。せっかくだから使っておくといい」
「どこ行けばええの?」
「十年前の姿になったのだ、十年前に行ってみようじゃないか」
「十年前の猫情報は無いって言うたの、エノやん」
「ボクが言ったのはNNNが存在していないということだ。夢雲かぐやの件で十年前に猫テレポートしただろう」
「じゃあ、十年前の猫情報あるん?」
「ああ、実はひとつ猫情報を知っている」
【水曜日】-麻桐七華のパラドクス-
☆猫テレポート開始
猫柄:白銀
場所:猫ヶ森
状況:???
七歳に戻った七華とエノが十年前の猫ヶ森にやってきた。
「猫ちゃんはどこにおるん?」
「足元にいるだろう」
七華は口をぽかんと開けて固まった。
「覚えていないのか? 十年前にここでボクに会っていたことを」
「あっ! うちが追いかけてた猫ちゃんや!」
「あの時はすまなかったな。まさか聖域まで追いかけてくるとは思わなかった」
「ううん、追いかけたのはうちやもん」
「お詫びと言ってはなんだが、これをキミにプレゼントしよう」
エノは猫リュックから七色のレインボーラビを口にくわえて取り出した。
「これって、杏ちゃんがパンドラからもらったやつやん」
「パンドラが置いていった黒い袋にこれだけが残っていた」
「あ~、過去変えてしもうたから、杏ちゃんが受け取ることはなかったんやね」
「そういうことだ。絶望が詰まったパンドラの箱に最後に残されたものは『希望』だという。黒い袋の中に最後まで残されたそのプレゼントはつまりは『希望』だ、お守りとしてのご利益は高いだろう」
「ほな、もらっとく」
「では、猫珠を返してもらおうか」
「これって、うちの猫珠ちゃうの?」
「これはボクの猫珠だ。そもそも、キミは猫ではないからキミの猫珠は存在しない」
「うち、エノの分を使ってしもうたんやね……。ひとつの魂に七個までしか使えへんのに」
しょんぼりした七華はうつむき、立っている姿も弱々しい。
「さてと、これで猫テレポートを終わらせるとしよう」
エノが赤く光る最後の猫珠に噛み付こうと牙を出した。
「そうだ、伝えていなかったことがある」
「なんや?」
「猫テレポートを強制終了させる場合、猫珠の持ち主が一緒に戻る相手を決められるのだ」
「ん?」
「ボクはここにキミを置いていく」
「はっ?」
「ついでにもうひとつ教えておこう。猫は魂を九つ持っている」
エノは猫珠を噛み砕くと次第に姿が薄れてゆく。
「ありがとう、七華」
それがエノからの最後の言葉だった。
★猫テレポート終了
七華はレインボーラビを大事に両手の中に持ったまま猫ヶ森の入り口へ歩いていた。
「あっ、うちや」
向こう側から過去の七華が歩いてくる。過去の七華には今の七華が見えていないようだ。
「行ったらあかん」
七華が過去の七華を止めようと前に立ちふさがった。すると、過去の七華は七華の体と吸い込まれてすっと消える。
「今の、なんやったの……? おばけ?」
七華は歩き続けた。やがて猫ヶ森の入り口が見えてきて、懐かしい猫公園が目の前に広がっていた。
「あっ、ななちゃん」
森を出たところに十年前の杏樹がいた。美愛がいた。深乃莉がいた。幌亜がいた。かぐやがいた。梓がいた。
「みんな、なんでここにおるの?」
「ななちゃんをたすけにいこうって」
「森には入ったらあかんのに」
「だからだよ、だから、ななちゃんをたすけにいこうって」
「うちのため?」
「もちろん! だって、ともだちでしょ?」
七華の目から自然に涙がこぼれた。その一滴がレインボーラビにかかるとほのかに輝いた。
「これ、みんなに一個ずつあげる。希望のお守りなん!」
七華がエノに置き去りにされてから十年の歳月が経った。それは七華がこの町に存在する別の未来。
猫ヶ森を環状に取り巻く猫寝川に露店が並び、多くの人々で賑わっている。今日は年に一度の猫祭の日。
屋台通りに続く道を櫛名田高校の制服を来た女子生徒たちが歩いていた。それぞれ持ち物のどこかに水晶のウサギのアクセサリーを付けている。
先頭を歩くのは飛田杏樹、沙倉深乃莉、三守幌亜の三人。
「来たね~! 猫祭!」
「杏ちゃんはお祭り好きだからねぇ」
「今年の屋台は何が売ってるかな~」
「深乃莉ちゃんは食べ物のことばかりだねぇ」
「もう! ほろちゃんはそればっかり!」
「ほろちゃん、みのりちゃん、今年もやる?」
「もっちろん! パチンコ射的があるから、ボクはお小遣いなくてもおいしいもの食べられるんだもん!」
「毎年のことだけど、絶対に深乃莉ちゃん勝つじゃない。もうやめようよ~。去年なんかお小遣い全部なくなって、てるに借りたんだよ!」
「あはは、てるちゃんも災難ね」
仲良し三人組のすぐ後ろを歩く須南美愛、奏真梓の二人。
「屋台はいいわね」
「あれ? あずさって屋台好きだっけ?」
「違うわよ、屋台には漫画が売ってないからミアが無駄遣いしなくて済むからよ」
「ひっどい! さすがの私だって屋台で漫画買おうなんて思わないってば! 仲良しな男の子二人組を探して観察はするけどさ!」
「はぁ、相変わらずね」
「あずさもさ、毎年毎年特撮ヒーローのお面買うのやめなって。私の趣味より恥ずかしいよ」
「仕方ないでしょ、毎年ヒーローは変わるんだから」
「いや、そこじゃないって……」
二人の少し離れた後ろに夢雲かぐや、麻桐七華の二人。
「私、猫祭が好きです」
「なんでなん?」
「猫祭の日は亡くなった猫ちゃんの供養のために猫寝川に猫灯籠を流すです。一昨年亡くなったうちのナルと会えると思うとうれしいのです」
「にゃ~ご」
猫の鳴き声に七華とかぐやが立ち止まった。七華は後ろ髪引かれる感じを覚えて振り返った。
「今の特徴ある変な鳴き声、聞き覚えあるん……」
いるはずの猫の姿は無く、きょろきょろと辺りを見回す。
「猫ちゃんいるですか?」
かぐやも後ろを振り返るが、いつもはどこを向いても見かけるはずの猫一匹すら見あたらない。
「なにもいないです」
「ナルちゃんが戻ってきたよ、って鳴いたのかもしれへんね」
「はい、そうだといいです!」
七華とかぐやは遅れずにみんなの後を追うが、七華は最後にもう一度振り返る。
「エノ、ありがとうね。それにネコヒメ様も」
遠く離れてゆく七華の姿を愛おしそうに眺める四つの瞳があった。
「なんじゃ、わらわはついでか!」
「幸せそうだからいいではありませんか」
「ふむ、そうじゃのう」
「ここが七華の生きる世界なのでしょう」
「さてとわらわ達も帰るとするか」
どこからともなくそよいだ秋の風と共に少女と猫は姿を消した。
杏樹、美愛、深乃莉、幌亜、かぐや、梓、七華の七人の絆はこの先も続くであろう。
この世界にパンドラはいないのだから。
『この町には秘密がある』
ネコヒメの聖域。
こたつに入るネコヒメがいた。こたつの上にはパンドラを封印した絶望の箱が置いてある。
「表の二鎖に裏の七鎖、ようやく九鎖の解錠がすべて終わったのう」
ネコヒメが箱に貼ってある封印の札をつまむと同時に髪から二つの白い猫耳が飛び出た。それに合わせて少女だった体が徐々に大きくなり始める。ゆったりしていた着物がちょうど良いサイズになると、着物の裾から二つの白い猫のしっぽが現れた。
「ふふふ、なのかちゃん! 猫だましって言葉もあるのよん!」
錆びついた箱の開く音がした。
ね~こ ね~こ ねっこねこ~
ねこひめさ~まの おかえりじゃ~
ね~こは み~んな よっといで~
ねこじゃないこは よっちゃだめ~
ナノカ PaXXXra[dox] -パラドクス- 終
終わりまで読んでくださった方、ありがとうございます。




