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神隠しの日

 これから語られるのは十年前の神隠しがあった日の話である。


 今日は年に一度の猫祭の日。

 猫祭とはこの町の守り神である猫秘女神ことネコヒメ様を祀る祭事であり、毎年の九月二十九日に行われる長い歴史のある祭である。

 猫ヶ森の周囲には環状に川が流れており、猫が丸くなって寝る姿から猫寝川ねこねがわと呼ばれている。その猫寝川では猫祭の日に猫供養のために灯籠を流す。その灯籠は猫を模した一風変わった猫灯籠であった。

 猫灯籠流しが主ではあるが、子供達にとっての猫祭は猫寝川沿いに立ち並ぶ露店が楽しみな日でもある。


 楽しみにしている子供達の中に神隠しにあったとされる麻桐七華あさぎり なのかの姿があった。今日の猫祭を待ちきれなくて家中をそわそわしながら散策している。ちょうど居間を通りかかった時、テーブルに一枚の浴衣が置かれてあることに気づいた。

「おかあさん、これどないしたん?」

 その浴衣は深海のように淡い青色に天の川のような水流模様が描かれている。

「神社の大巫女様からいただいたのよ」

「じゃあ、うちの浴衣?」

「そうよ」

「おかあさん、はやく! はやく!」

 七華は着ていた服を素早く脱いで、バタバタと手を大きく振った。背中まで垂れたおさげ髪も一緒に揺れた。

「はいはい、着せてあげるから落ち着きなさいね」

「ほい」

 母親は丁寧に浴衣を取り、素早く直立した七華に着せ始めた。

「きれいやね!」

「そうね。よく似あっているわ」

「おかあさん、これで『ねこまつり』にいってもいいん?」

「いいわよ。大巫女様もそのつもりで贈ってくださったでしょうから」

「やった!」

 嬉しさのあまり七華はくるっと回る。浴衣の水流模様が七華の回転で綺麗な流れを作った。

「はい、終わり」

 母親は立ち上がって七華の頭をなでる。

「ありがとう、おかあさん!」

「はいはい。さてと、そろそろいこうね」

 七華の手をひいて居間を出る。秋の気配を漂わせる和らいだ風が廊下を吹き抜けた。


「おとうさん、いってくるん!」

「ああ、いってらっしゃい。いい子にするんだよ」

「ほい!」

 玄関先で父親が二人を見送る。母親と仲良く手をつないで出かける娘。幸せな親子の姿であった。

「キャンキャン!」

 外に出たところで隣の家の子犬が吠えた。

「ノブタさん。おはようさん」

 家を隔てる柵ごしに七華が手を振る。

「キャンキャン!」

 舌を出しっぱなしのノブ太さんは尻尾をふって七華に応える。

「うち、ねこまつりいくん。かえってきたらあそんであげる」

「キャンキャン!」

 ノブ太さんは嬉しくて飛び跳ね回り、七華と母親が見えなくなるまでずっと尻尾をふっていた。


 七華の手をひいた母親は猫公園の傍らに建つ梓の家を訪れる。

「あれ、ねこまつりは?」

「お祭りの前に大切な用事があるの」

「ほい」

 呼び鈴を鳴らしてしばらくすると、玄関が開いて大巫女こと梓のおばあさまが出てきた。

「本日はうちの七華をよろしくお願いいたします」

「はいはい、大切なお嬢さんをお預かりするね」

 母親とおばあさまが互いにおじぎをかわす。それを見た七華も真似しておじぎする。

「七華、ほら」

 母親は七華の背中をポンポン叩いた。七華は察したようでうなづく。

「おばあちゃん、ゆかた、ありがとう」

「おや、お礼が出来るなんていい子だね。どうだい? 気に入ってくれたかい?」

「ほい!」

 七華は元気よく手をあげて返事した。おばあさまもうんうんうなづいている。

「今日の儀式には七華ちゃんと同じ歳の子らも来ているからね、儀式が終わったらみんなで猫祭に行くといいさ」

「うん! いく!」

「良かったね、七華。お友達が出来るといいね」

 母親は七華の頭を優しくなでると、再び大巫女におじぎをする。

「それでは失礼いたします」

 母親が玄関を出ていった。七華はぼんやりと母親の背中を見つめていた。

「さあ、こっちおいで。みんな待ってるよ」


 おばあさまに手をひかれてやってきた部屋には七華と同様に浴衣を着た少女が六人いた。

 緑地に葉模様が描かれた浴衣を着ている少女、飛田杏樹。

 金地にハート模様が描かれた浴衣を着ている少女、須南美愛。

 黒地に円模様が描かれた浴衣を着ている少女、沙倉深乃莉。

 白地にひまわり模様が描かれた浴衣を着ている少女、三守幌亜。

 黄地に三日月模様が描かれた浴衣を着ている少女、夢雲かぐや。

 赤地にゆらめく炎模様が描かれた浴衣を着ている少女、奏真梓。

「これでみんな揃ったね。巫女の儀式を始めるとしようか。私についてきておくれ」

 おばあさまが部屋を出て、渡り廊下でつながっている隣の神社へと向かう。

「楽しみだね!」

 おばあさまのすぐ後ろを杏樹、深乃莉、幌亜の仲良し三人組がついていった。七華もついていこうとすると、部屋の隅でもじもじしているかぐやに気づく。

「うちといこう」

 七華はかぐやに手を差し出した。かぐやは嬉しそうな表情でうなづき、七華の手を取る両手で握る。

「ほら、みあもいくわよ」

「はーい」

 梓に呼ばれると、壁にもたれて少女漫画を読んでいた美愛は漫画をテーブルに置いて立ち上がった。

 梓を最後尾に、先に行った七華とかぐやのあとに続く。


 今日はとても冷える日だった。九月の終わりというのに、猫祭の日には必ず季節外れの雪が降る。『雪』は『雪ぐ(すすぐ)』と読むことができ、祓い清めるという意味を持つ。巫女の儀式が執り行われるのは猫祭の日と決まっているため、儀式が雪を呼んでいるのかもしれない。

 木造の神社は外の寒さを隠さず室内はひんやりとしているが、少女達は特に寒さにふるえている様子はない。雪が振るとわかっている猫祭に渡された浴衣は特殊な布で織られているために防寒具として充分に機能しているのだ。

 儀式の部屋には七人の少女達が正座をしている。窓際にいる杏樹に始まり、廊下を渡った順番で深乃莉、幌亜、七華、かぐや、美愛と並び、最後に梓がいた。七人の前にはおばあさまが立っている。白髪交じりの髪ではあるが、凛としたその佇まいに老いを感じさせない。

「わざわざ来てもらってすまないね。すぐ終わるからもう少しだけ我慢してくれるかい」

 おばあさまは静かに腰を落として少女達と向き合った。

「お父さんやお母さんから聞いている子もいるだろうけど、おまえたちは代々この町を守る巫女の家の子だ。その家に生まれた女の子は七歳になると巫女の儀式を受けないといけない。巫女の儀式と言ってもおおげさなものではないよ。遠い遠い昔のお伽話だから、今となってはただのお飾りさ」

 お決まりの言葉を話し終えたおばあさまは梓の前に立つ。

「これから巫女の儀式を始めるよ。最初に梓に儀を施すから、同じようにするんだよ」

「は~い」

「はいです」

 かぐやだけずれたが、他の少女達は声を揃えて返事をした。

「さあ、梓、目を閉じて心を空っぽにするんだ」

「はい、おばあさま」

 梓は静かに目を閉じて呼吸を整える。おばあさまは梓が落ち着いたのを見計らうと、左の手のひらを静かに開いた。

「きれい!」

 一番向こうの杏樹が首を長く伸ばして目を輝かせている。

 おばあさまの手にはビー玉に似た七つの光る種があった。おばあさまはそのうちのひとつをつまむと、梓の胸元に持っていく。

「……!」

 その種が梓の中にすっと消えた。梓は一瞬反応を見せたが特に痛みを感じているわけではないようだ。

「梓、終わったよ」

「なに? いまのなに?」

 杏樹が儀式を終えた梓の様子を伺っている。

「今のが巫女の継承の儀式さ。今のが巫女の力の源となる種。この種をおまえたちの心に植えるんだ」

「たね? わたしたち、はなさいちゃうの?」

「ほほほ、違うよ。この種は十年の歳月をかけて華開く。それで巫女の力が開花するのさ。心の中に咲く華だから、体には花が生えてくることはないさ」

「よかったー、わたしのあたまからはな、はえてきちゃったら、わらわれちゃうよ!」

「あんちゃんにはにあってるよ」

「ねー」

 杏樹を深乃莉と幌亜が笑い合う。

「もう!」

 杏樹は頬をふくらませるが、意外と悪くないと頭の中で思っていた。

「さて、残りの六つの種を植えてしまおうかね」

 おばあさまは立ち上がると、梓の隣に座る美愛の前に立った。

「みあちゃん、目を閉じて」

「はーい」

 目を閉じた美愛だが、ちょっとにやつく。

「みあ、あなた、さっきよんでた、まんがのことかんがえてるでしょ」

「えっ、ばれた?」

「あなたのかんがえてることぐらいわかるわよ」

「へへへ」

 舌を出す美愛。

「おばあちゃん、つぎはきちんとします!」

「はいはい」

 再び美愛は目を閉じて、静かに呼吸を始める。おばあさまが種をつまんで美愛の胸元に近づけると、光の種が美愛の体に吸い込まれていった。

「終わったよ」

 美愛は目を開いてふーと大きく息を吐き出す。その様子を見ていた隣のかぐやの顔が真っ赤だった

「はい、次はかぐやちゃんの番だね。すぐ終わるから落ち着くんだよ」

 かぐやはわからないぐらいの動作で小さくうなづく。かぐやは目を閉じるが、なかなかドキドキが止まらない。

「痛くないからね」

 おばあさまがそう言っても、かぐやは余計にどぎまぎするだけだった。

「ね~こ ね~こ ねっこねこ~」

 隣の七華がかぐやの手の上に手を重ね、ネコヒメの歌を口ずさむ。かぐやは薄めを開けて七華の方に顔を向けると、七華は何も言わずに笑顔を返した。

「ねこひめさ~まの おとおりじゃ~」

 かぐやも続けて歌い始める。

「ね~こは み~んな よっといで~」

 それに合わせて杏樹も歌い始めた。

「ねこじゃないこは よっちゃだめ~」

 最後は七人全員で歌う。歌っているうちにかぐやの心が落ち着いてきた。おばあさまはそっと種をかぐやの心に植える。

「かぐやちゃん、もう済んだよ」

 かぐやがぱっと目を開ける。

「は、はいです!」

 かぐやの開いた目にやさしい笑みをたたえたおばあさまが映っていた。おばあさまは続いて七華の前に移動する。

「なのかちゃん、ありがとうね」

「ほい」

 右手をびしっとあげる。

「次はなのかちゃんの番さ」

「ほい」

 上げた手をおろして、じっと目を閉じる。おばあさまは七華に種を植え終えた。七華の場合、落ち着いているというより何も考えていないために何事もなく終わる。

「目を開けていいよ」

「ほい」

 おばあさまは隣の幌亜の前に腰を下ろす。

「おなかこわしたりしない?」

 幌亜がおばあさまを見上げて言った。

「食べるわけじゃないからね。安心おし」

「はい!」

 安心した幌亜は静かに目を閉じた。おばあさまは種を植えると、隣の深乃莉の前へ。

「ぼく、からだちいさいけど、へいき?」

「平気さ。大事なのは心。しっかりと心を強く持てば平気だよ」

「はーい」

 他の子より体の小さい深乃莉。おばあさまはやや前のめりになって深乃莉に種を植える。

「さて、最後は杏樹ちゃんだね」

「わー、ドキドキする!」

 杏樹は目を閉じるが、楽しいドキドキが止まらない。

「杏樹ちゃん、心を落ち着けてくれるかい」

「はーい」

 そうは言ってもなかなか止まらない。かぐやと違ったドキドキのせいか、ネコヒメの歌を歌って落ち着かせるわけにもいかない。

「困ったね」

 悩むおばあさま。すると、隣の深乃莉がティッシュでこよりを作り、杏樹の鼻に入れた。

「くしゅん!」

 くしゃみをした直後、心が空っぽになった。その隙を見逃さずにおばあさまは種を植える。

「もう! みのりちゃんでしょ!」

「ぼく知らないよ」

「むー」

 口をとがらせる杏樹。

「はいはい、これで儀式は終わりだよ」

「えっ? おわったの?」

 ぽかんとする杏樹。

「親御さんには連絡しておくから、猫祭にいっておいで」

「は~い!」

「はいです」

 みんな同時に返事をする。またかぐやだけ遅れた。


 梓を先頭に列をなした少女の行進隊が儀式の部屋を出た渡り廊下を進む。その梓の後ろでは美愛がにやにやしていた。

「ね~、あずさ!」

「なに?」

「おこづかいもらった?」

「かさないわよ」

「え~、なにもいってないよ!」

「どうせ、またまんがかって、おこづかいないんでしょ?」

「だって、ほしいまんがいっぱいあるんだもん」

「まあ、なにかひとつぐらいおごってあげるわ」

「ありがと~! あずさだいすきよ!」

「はいはい」

 続いて、七華とかぐや。

「あの……」

「な~に?」

「うた、ありがとです」

「うちね、おちつかなかったり、さびしいときにはネコヒメさまのうた、うたうん」

「わたしも、そうするです」

 七華と仲良くなりつつあるのが嬉しいのか、下を向いたかぐやの表情は緩んでいた。

 その後ろに杏樹、深乃莉、幌亜の三人組。既に猫祭で頭がいっぱいのようだ。

「なにたべようかな。わたがしに、たこやきに、フランクフルトでしょ」

「みのりちゃん、たべすぎるとふとるよ」

 幌亜の一言が深乃莉の胸に勢い良く突き刺さる。

「そだちざかりだからいいもん!」

「こういうときしかたべられないし、すきなものたべようよ!」

「そうだよね! さすがあんちゃん!」


 儀式を終えた七人の少女達は神社の裏にある猫公園にやってきた。

「みんな、ともだちになろう!」

 そう言い出したのは杏樹だった。みんな仲良くが杏樹のモットーだ。

「わたしはあんじゅ。みんなはあんちゃんってよぶよ!」

 最初に杏樹が元気良くあいさつした。

「はいは~い、あたしはほろあ!」

 杏樹の隣にいた幌亜が飛び跳ねている。

「ぼくはみのりだよ。あんちゃん、ほろちゃんとはずっとなかよしさん」

「ぼく? おとこのこです?」

 かぐやは首をかしげて不思議がった。『ぼく』という呼び方をしたうえに深乃莉はショートカットなので、そう思うのも無理はない。

「ちがうよ! こうみえてもおんなのこ!」

「みのりちゃんはね、おにいちゃんがさんにんもいるの。おにいちゃんたちとあそんでるうちにぼくっていうようになっちゃったの! おかしいでしょ!」

 笑っている杏樹のそばで深乃莉がかぐやの方に向いた。

「あなたはなんていうの?」

「ええと……。わたし、かぐやです」

「かぐやひめみたい! ひめちゃんってよんでもいい?」

 すぐに杏樹が反応した。

「そんなよびかたするの、あなたがはじめてです……」

「よろしくね!」

 杏樹がかぐやの手を握った。たったそれだけのことでもかぐやは嬉しかった。引っ込み思案のかぐやにとって初めての友達が出来たのだから。この時のかぐやは今日は今までで一番幸せな日になると思っていた。

「つぎはわたしね」

 そう言って梓が一歩前に出る。その後ろで美愛は漫画を読んでいる。

「わたしはあずさ。うしろのこは、みあよ」

「は~い、よろしくね」

 礼儀正しくおじぎする梓と、対照的に漫画に夢中で適当なあいさつをする美愛。

「あとはあなただよ」

 杏樹は眠そうにしている七華の方を見た。それに釣られて他の少女達も七華に視線を集中させる。

「ん~、うち、なのか」

「じゃあ、ななちゃんね!」

「ほい、よろしく!」

 右手をあげる七華。おさげ髪が揺れる。

「どうする? みんなでいっしょに、ねこまつりにいく?」

 梓が誰へと言うわけでもなく尋ねる。

「せっかくだから、そうしよう!」

 すっかりみんなのまとめ役になった杏樹が元気よく言った。杏樹、深乃莉、幌亜の三人組、梓、美愛のコンビというくくりも無く、みんな付かず離れずな距離で猫公園を出てゆく。



 猫公園を出ると露店の明かりが周囲に広がってきた。たくさんの光と賑やかな空気が少女達を包み込み、秋の夕暮れがさらに特別感を装った。

 右を見ても左を見てもどこまでも露店が続いている。猫ヶ森を環状に流れる猫寝川沿いに露店は並んでいるので端は存在しない。右から行っても左から行っても、実際にどこまでも露店が続く。

 この環状露店はなかなかくせものである。ある露店が食べ物を扱っているとしよう、最初に客はそこで買う。露店を見ながら食べながら歩いていくと、ちょうどいい頃にまた違う食べ物の露店が現れる。そして客は買う。出店する者たちは協力して綿密な露店の配置を考えているわけだ。お腹が充分に満たされた頃には財布は空である。

 余談はさておき、儀式によるおあずけを受けた少女達は待望の露店を目の前に興奮気味である。

「ぼくのかがやくときがきた!」

 最初に声をあげたのは深乃莉だった。

「どういうこと?」

 祭りの熱気によりメガネが曇った美愛が質問を投げる。

「みのりちゃん、しゃてきがじょうずなんだ!」

「しゃてきって、てっぽうで、たまうつやつ?」

「そう、それ!」

 深乃莉の幼なじみの幌亜は誇らしげに言った。

「おみせあったよ! みんなでやろう! いちばんのこには、すきなたべものね!」

 体力がなくて走るのが苦手な深乃莉だが、この瞬間は早かった。あっという間に射的屋に突撃した。

「おじさん! おねがいします!」

 深乃莉の顔を見た店主の眉間にシワが寄った。

「いちばんよさそうなのは……」

 深乃莉は射的台に乗った景品を物色する。

「これ! おおきなウサギさん!」

「こんなおおきいの、おとせるです?」

 かぐやが前のめりになってウサギのぬいぐるみを眺めている。そのウサギのぬいぐるみは七歳の子供が持つには大きく、抱えて持てば顔が隠れてしまいそうだ。

「ははっ、これか。がんばんなよ!」

 射的の景品にしては大きすぎるウサギは鉄壁だと、この時の店主は思っていた。

「とれた!」

 店主の目が飛んだ。戻った目で地面を見ると、確かにウサギのぬいぐるみが落ちている。その近くには深乃莉が撃ったであろうコルクの弾が転がっていた。

「おじさん、ちょうだい!」

「おっ、おうよ」

 店主はウサギのぬいぐるみを持ち上げて深乃莉に手渡す。深乃莉はぬいぐるみの重さでそのまま後方に倒れた。

「みのりちゃん!」

 半分ぐらい倒れたあたりで杏樹と幌亜が支える。

「ごめん、おもかった」

「もう、わたしがあずかるよ」

 そう言って杏樹はウサギのぬいぐるみをおんぶする。

「こんなのとられたら、あなたのかちじゃない」

 梓が呆れた顔をしていた。

「みのりちゃんってほんとにじょうずよね。ぱちんこもじょうずだもんね」

「ぱちんこって、おとながやってるやつ?」

 メガネが曇ったままの美愛が幌亜に質問を投げる。

「ううん、ちがうよ。ほら、こんなやつ」

 幌亜は右手にチョキを作り、グーの左手をチョキの間に近づけたり離したりしている。

「ああ、どんぐりとかとばすやつね」

「そうそう、それ。これだけはみのりちゃんがいちばんなんだよね」

「もう! いいじゃない、ぼくがいちばんのものがあっても! うんどうはぜんぶ、ほろちゃんだし」

「そんなことないよ、かけっこはあんちゃんのほうがはやいし」

「あたしがまけないとすれば、ひるねかな」

「あ~、ほろちゃんっていっつも、ねここうえんのきりかぶでねてるもんね」

「あそこはねごこちいいのよ」

 幌亜と深乃莉のやりとりが続いている横で射的屋の店主は肩を落としていた。

「今年もこの子に持っていかれたぜ……。来年は出入り禁止にするかな……」


 射的屋の次はわたあめ屋に寄った。このわたあめこそが射的で勝った深乃莉への優勝賞品だ。深乃莉以外の六人が十円ずつ出しあい、深乃莉は六枚の十円玉をしっかり握りしめて露店に走る。こういう時の深乃莉は疲れ知らずだ。

「おじさん! わたあめちょうだい!」

「うちも!」

 深乃莉の隣で七華が手を上げている。

「ななちゃん、じぶんのおこづかいでかってよ……」

「わかってるん」

 七華が何度もうなづく。わたあめ屋の店主はわたあめが入った水色の袋を手に取ろうとしたところで深乃莉はなんとなく嫌な予感がした。

「ぼく、おんなのこだからね!」

 深乃莉が一瞬早く叫ぶ。その訴えを耳にしたわたあめ屋の店主は素早く隣のピンク色の袋を掴んだ。

「お~、そうかい、すまんすまん」

 店主はわたあめ入りの袋を深乃莉に渡して代金を受け取る。

「おじさんが悪かった。これ、おわびだ」

 店主がわりばしを一本手に取って、わたあめを作る機械に入れた。

「お~」

 次々とわりばしに白い綿がまとわりついてくる。深乃莉と七華はその動きに釘付けだ。店主は綿でわりばしの芯が見えなくなったあたりでわりばしを引き抜く。

「ほれ、おまけ」

「おじさん、ありがとさん」

 受け取ったのは七華だった。

「あれ、ぼくにじゃないの?」

「ともだちだろ、このこ?」

「そうだけど、なんか、そんしたきぶん……」

「ごちそうさま」

 七華はあっという間にわたあめを食べてしまった。袋からわたあめを取り出していた深乃莉をじっと見つめている。

「えっ、あげないよ! これはぼくの!」

「うん、わかってるん」

 そう言いつつも、七華は深乃莉が食べている間もじっと見てくるので、深乃莉は急いでわたあめを食べた。

「あ~ん、せっかくのわたあめなのに~!」


 わたあめ屋の隣にあるお面屋では梓と美愛がお面を物色していた。

「みてみて、あずさ。これいいな~」

 美愛が眺めているのは日曜の朝に放送している女の子が戦うアニメシリーズのキャラのお面だった。

「やっぱり、うちゅうけいさつはかっこいいわね」

「えっ?」

 的はずれなことを言う梓に美愛の目はメガネのように丸くなった。梓が眺めていたのは同じく日曜の朝に放送している男の子向けの戦隊ヒーローのお面だった。

「まえのはきょうりゅうだったし、そのまえはにんじゃ、つぎはまほうつかいがくるかもね」

「あずさってかわってるよね。おんなのこなのに」

「つよくてかっこいいものに、おとこのこも、おんなのこもかんけいないわよ」

「なんか、あずさはいつか、へんしんしそうなきがする」

「あら、そのつもりよ。ゆめだもの」


 お面屋の隣では杏樹、幌亜、かぐやが金魚すくいをしている。

「ひめちゃん、じょうずだね!」

 驚く杏樹が金魚の入ったお椀を持っている。そのお椀の中には小さな金魚が数匹泳いでいた。

「こつがあるです。ねこちゃんみたいな、てにするです」

 かぐやは猫の丸まった手首を真似て金魚をすくうポイを構える。

「ここです!」

 小さめの赤い金魚に狙いをつけると、手首のスナップをきかせて水面にポイを走らせた。

「あっ、とんだです」

 絶妙な角度で侵入したポイが絶妙なタイミングで金魚に当たり、その反動で水中の金魚が空中に跳ね上がる。宙を舞う金魚の反り具合は水墨画になりそうなほど見事だ。

「あんちゃん、かして!」

 幌亜は杏樹の持っているお椀を取って金魚の着地地点に持っていった。

「お~」

「とれたです」

 お椀の中に金魚が一匹追加されていた。飛んだ金魚は何事も無かったかのようにすいすい泳いでいる。

「おじょうちゃん、やるねぇ」

 金魚が泳ぐ囲いの中央で金魚すくい屋の店主が感嘆の声をあげた。

「おわりにするです」

 かぐやがポイを店主に返すと、幌亜もお椀を店主に渡した。

「あいよ」

 店主は巾着状の小さなビニール袋を三つ取り出すと、お椀の中の金魚を均等に分けた。

「さあ、どうぞ」

 一つ多く金魚が入ったビニール袋をかぐやに渡す。

「ありがとです」

 残りの二つを杏樹と幌亜それぞれに渡した。

「おじさん、ありがとう!」

「ありがとう!」

「楽しかったかい? また来てくれよな」


 三人が金魚すくい屋を離れたところに、深乃莉、七華、梓、美愛もちょうどやってきた。

「いいかいものしたわ」

 梓の頭の上に戦隊ヒーローのお面が乗っていた。

「あっ、それって、にちようびにやってるやつだよね?」

 いち早く幌亜が反応する。

「あら、あなたもすきなの?」

「たたかうやつはなんでもすきだよ!」

 幌亜は腕をぶんぶん回している。手に持っている金魚が目を回している。

「ほなら、あれ、いこ」

 七華が指さす先にお化け屋敷があった。

「……!」

 梓が無言で数歩後ずさった。

「おばけやしき! いこう!」

「いくです!」

 意外とオカルト好きなかぐやも賛同する。すでにお化け屋敷に行くことになっているのを見た梓が慌てた叫んだ。

「ちょっと! やめよう!」

「どうしたん?」

「ほら、みんな、にもつもってるし!」

 そこに梓のおばあさまが通りかかる。

「おや、みんな」

「おっ、おばあさま!」

「あばあちゃんにあずかってもらえばええよ」

「ん? どうしたんだい?」

「おばあさま、あずさがにもつじゃまだって」

 梓が拒否する理由を美愛は知っているので、にやにやしている。

「そうかいそうかい、それならみんなの預かっておこうかね」

 おばあさまは杏樹、幌亜、かぐやの金魚、梓と美愛のお面を受け取る。

「杏樹ちゃん、ぬいぐるみはいいのかい?」

「うん! きにいっちゃった!」

「それなら持ってるといいさ。これで私は帰るから、明日にでも取りに来るんだよ」

「は~い!」

 梓以外が仲良く返事をする。梓だけは顔が真っ青になっている。

「よし! おばけやしきにいこう!」

 幌亜とかぐやを先頭に、杏樹、深乃莉、七華が続く。

「ほ~ら、あきらめなさいって」

 顔をそむけて黙ったままの梓。美愛は無理やり梓の手を取ってみんなのあとを追った。



「きゃあ~! こわ~い!」

 幌亜の悲鳴が聞こえたが、それはお化け屋敷を楽しんでいる悲鳴だ。

「すごいです、ほんものみたいです」

 井戸から出てきた額に三角巾の古典的幽霊をかぐやが興味津々で見ている。

「ぴゃ!」

 頬にこんにゃくがぴたりと付いた深乃莉が変な悲鳴をあげた。

「くびとんできた!」

 竿の先にピアノ線で釣られた生首が杏樹の周りをぶらんぶらんと飛んでいる。

「みんなたのしそうだよ、あずさ」

 最後尾を美愛、その後ろには下を向いたまま美愛にくっついて歩いている梓。

「うらめしや~」

「ぎゃあああああああああ!」

 耳元で聞こえた声に驚いた梓が飛び上がって猛スピードで走りだした。怖がらせようと待ち構えていたおばけ達を振りきって光の速さで駆け抜けていった。

「こわがりなんな」

「あっ、ななちゃん」

 梓の耳元で囁いたのは七華のいたずらだった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

 お化け屋敷の出口に顔面蒼白の梓が息を切らして立ち尽くしていた。

「あずちゃん、はやかったね~」

 お化け屋敷から杏樹が出てきた。

「たのしかった!」

「おばけさん、よかったです!」

 続いて満足気な表情の幌亜とかぐや。

「こわかったよ~」

 ごく普通の反応の深乃莉。

「あずさ、だいじょうぶ?」

 最後に出てきた美愛が梓の顔を下からのぞきこむ。梓は変わらず呆然と立ったままだ。

「あれ、ななちゃんは?」

 七華だけお化け屋敷から出てこない。

「まいごになった?」

 幌亜が出口に戻って中の様子を見ている。

「いないね~」

 首を横に振りながら幌亜が戻ってきた。

「にゃ~ご」

 出口から猫の鳴き声が聞こえてきた。

「おばけやしきに、ねこ?」

 深乃莉が首をかしげる。

「きっと、ねこまたです! ねこのおばけです!」

 おばけ大好きなかぐやが自慢気に言った。

「あれ、みんなおる」

 出てきたのは七華だった。頭の上に猫を載せている。

「もう、しんぱいしたよ!」

 杏樹が七華のもとに駆け寄った。

「ごめんなさい。なかで、このこおったん」

「にゃ~ご」

「きれいなねこちゃんだね」

 澄んだ冷たい空気を受けているのか、その猫の毛並みは白く輝いてた。

「このこ、ねこがもりにかえしてあげるん」


 七華と少女達はそのまま猫寝川を一周して猫ヶ森のある猫公園に戻ってきた。

「ほい、もりにおかえり」

 七華は頭の上の猫を両手で掴んで地面に下ろす。

「にゃ~ご」

 猫はそのまま森に帰っていった。

「さてと、きょうはかえりましょうか。もうすぐごじだし」

 すっかり気を取り直した梓。いつものリーダーシップを発揮する。

「ねえ、あんちゃん、みのりちゃん、きりかぶによっていこうよ」

「いいよ!」

「みのりちゃん、ほんとうにすきだよね」

 杏樹、幌亜、深乃莉の三人は切り株のある中央方向に集まった。

「みんな、じゃあね!」

「またあそぼうね!」

「おなかすいた……」

 手を振りながら三人は去っていった。

「みあ、いくわよ」

「ふぁ~い」

 美愛は眠そうにあくびをしている。

「あなたたち、とくにあなたはきちんとかえるのよ」

 梓は七華をびしっと指さした。

「ほい」

「わかってるです。すぐかえるです」

 七華とかぐやに別れを告げると、梓と美愛は猫公園の中で一番高い木を目指して歩いていった。

 残ったのはおとなしいかぐやと、どこか寝ぼけた七華。七華はぼんやりと遠くを見ている。

「あれ、ねこちゃんもどってきたん」

 七華の目に一匹の猫が映り込んだ。先ほど七華が連れてきた白銀の猫だ。

「なんなん? うちによう?」

 七華は猫に向かって歩き出した。その方向には猫ヶ森がそびえている。

「どこいくですか?」

 ひとりぼっちになりそうだったので、かぐやもついていった。


 公園の中央にある大きな切り株にやってきたのは杏樹、幌亜、深乃莉の仲良し三人組。

「あっ、ゆき!」

 吐いた白い息の向こうでキラキラした雪がふわふわとゆっくり降りてくる。

「ほんとだ!」

「みてみて、ほろちゃん、みのりちゃん!」

 杏樹は思い切り空気を吸い込むと、大きな口を開けて真っ白な息を吐き出し続ける。

「よ~し! あたしも!」

 深乃莉は杏樹の隣に並んで空気を吸い込む。

「げほっ!」

 むせた。

「ほろちゃん、もうねてるよ」

 切り株の上では幌亜がすやすや寝ている。

「ほろちゃん、よくねるよね」

「くすぐってみよう!」

 深乃莉が寝ている幌亜のわき腹をくすぐる。幌亜に反応は無く、何事もなかったように眠り続けている。

「このこ、おいてみよう」

 深乃莉は熟睡している幌亜のおなかの上に近くにいた子猫を乗せてみた。

「あんちゃん! かけっこしよ!」

 深乃莉の掛け声で杏樹が先に走り始めた。

「あ~ん、まってよ~」

 言い出しっぺの深乃莉が出遅れ、杏樹の後を追いかける。

 何事もなく寝ていた幌亜だが、少しずつ苦しみの表情に変わってきた。

「はっ!」

 ついに幌亜が起きた。

「きゃっ!」

 幌亜のおなかの上で寝ていた子猫も驚いて一緒に飛び起きる。

「きみはどこのねこちゃん?」

「にゃ~」

「このこ、おさかなの『さば』っぽい」

 茶と黒が混ざりあった模様の子猫。いわゆる、サビ猫である。

「よし、このこのなまえは『さば』にしよう!」

 深乃莉が両手で子猫を持ち上げる。

「にゃ~ん」

 『さば』と名付けられた子猫は尻尾を振って喜んだ。

「きにいったみたいね!」


 再び七華とかぐや。

 二人が猫ヶ森入り口の前までやってくると、そこには森に向かって歩く白銀の猫がいた。首輪はしていないので野良猫のようだが、野良猫にしては品があり、毛並みもつやつやしている。

「ねこちゃ~ん!」

「にゃ~ご」

 七華の呼びかけに猫が振り向いた。しばらく七華を見つめたあと、猫は再び森に向かって歩き始めた。

「まって~」

 七華が猫のあとを追う。七華の足音を聞いてのことか、猫は逃げるように猫ヶ森の中に入っていった。

「あ~、もりのなかはあかんよ。でも、ねこちゃんきになる」

 七歳の少女の好奇心は猫を選び、猫を追って猫ヶ森に足を踏み入れてしまった。薄暗い空が覆う森の闇の中に小さな七華が溶け込んでゆく。

「なのかちゃん、いってしまったです。わたしもおいかけるです」

 かぐやが一歩足を前に出したところで足元に真っ黒な子猫がすりよってきた。

「きれいなねこちゃんです。わたしになにか、ようですか?」

「にゃ~ん!」

 黒い子猫はかぐやの足に頭を数回擦り付けたあと、一声鳴いて森とは違う方向に歩いてゆく。

「どこいくですか?」

 かぐやは子猫の進む方向を目で追った。子猫が向かう先にある物を見て、すぐにかぐやは子猫を追いかけた。

「そうです、おまわりさんにでんわです」

 かぐやは子猫が立ち止まった電話ボックスまで走っていった。


 この公園で一番高い木を見上げているのは美愛と梓。一番高いといっても電柱ほどの高さしかない。

「ねえ、あずさ。かえらないの?」

「ごじまでまだあるわ。きょうこそ、のぼってみましょうよ」

「え~、あぶないよ、あずさってば」

「あぶないかどうかは、やってみないとわからないでしょ?」

「そうかもしれなけど、ケガしたらいたいよ?」

「いいのよ、キズはこどものくんしょうよ!」

「あずさってこどもよね~」

「そうよ、こどもだもの」

 梓は手頃な木の節に手をかけて登り始めた。自分の身長ほど登ったあたりで一度止まる。落ちないようにしっかりと木に捕まり、顔を横に向けて下にいる美愛を見た。

「ほら、みあものぼってきなさいよ!」

「え~、わたしはいいよ。こわいもん」

「みあのよわむし~」

「よわむしでいいよ~」

 すねる美愛を放って、梓はさらに木を登ってゆく。

「み~あ~!」

 木の上の方から声がした。既に登りきれるところまで登ってしまった梓だ。

「み~あ~! き、こ、え、ない、の~?」

 再び梓の声が降りてくる。

「な~に~?」

 木を見上げて叫ぶ美愛。

「も~りに~、はいろうと~、してる~、こが~、いるの~、よ~」

「えっ? もりって、ねこが……」

 美愛の声をかき消すように公園に設置してあるスピーカーから町内放送を知らせるメロディが流れてくる。綺麗なメロディのあとにこれまたひどい大声のアナウンスがされた。

「ゴホン! え~、五時になりました。良い子はみんなお家に帰りましょう!」

「きゃっ!」

 突然の大声に、スピーカーに近い位置にいた梓は足をかけていた枝から足を踏みはずす。バランスを崩した梓は精一杯手を伸ばしたが、手の届く範囲に枝はなく、どこにも捕まることが出来ずに体が木から離れていった。

「きゃ~!!!」

 重力の糸に引かれるがままに梓が落下する。美愛は驚きで目を見開いたまま動けない。

「まにあって!」

 美愛の後方から杏樹が走ってきた。その背中に深乃莉が射的で獲得したウサギのぬいぐるみを背負っている。そして、遥か後方では体力を使い果たした深乃莉がつまづいて倒れた。

「うさちゃん、ごめんね!」

 杏樹は背中に手をまわしてウサギのぬいぐるみを取り出した。

「じゃんぷ!」

 杏樹はウサギのぬいぐるみを手にしたまま、梓の落下に合わせて勢いそのままで前方に飛び跳ねる。

「きゃ!」

 梓の悲鳴が聞こえた。梓はウサギのぬいぐるみの上に落下した。

「うわっ!」

 梓の驚く声が聞こえた。綿いっぱいで弾力あるぬいぐるみが梓を空中に跳ね飛ばす。

「ぶべっ!」

 梓の声にならない声が聞こえた。宙を舞った梓が近くの落ち葉の山に突っ込んだ。

「あずさ、だいじょうぶ?」

 心配する美愛が梓に近寄る。そんな梓は落ち葉の山からお尻の部分だけ見えている。

「いたたたた……」

 梓が落ち葉の山から出てきた。当然、落ち葉まみれだ。

「うん、だいじょうぶ。ちょっといたいけど、くんしょうよ」

 落ち葉を払いながら痛む体をゆっくり起こした。

「みあ、ごめんね。あなたがとめたのに」

「でしょ? こんなむりはもうやめてよね」

「ええ、もうしないわ。あなたにめいわくかけたくないもの」

「めいわくはかけていいよ。そうだ、これからはあずさのぶんまで、わたしがむちゃしおうかな!」

「もう! みあったら!」

 ふくれる梓を見て笑う美愛からは心配が消えていた。

「あずちゃん」

「えっ、なに?」

 杏樹から不意に名前を呼ばれた梓は首をかしげる。

「もう、あぶないことはしないって、やくそく!」

 杏樹がゆびきりのために右手の小指を梓の前に出す。その意味がわかった梓も右手の小指を杏樹の前に出した。

「そうね。やくそくするわ」

「ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんの~ます!」

 ゆびきりを終えた二人はお互いを笑顔で見つめる。

「あ~、ぼくのうさぎさんが~」

 悲しい顔をした深乃莉が遅れてやってきた。

「ごめんね、みのりちゃん。あずちゃんをたすけたくて……」

「いいけど、たこやきごちそうしてよ!」

「は~い」

「ふふっ、くいしんぼうね」

 梓が笑っていると、大事なことを思い出す。

「そうだ! あのこをおいましょう!」

「あのこ?」

 杏樹が首をかしげる。それに合わせて深乃莉も首をかしげる。

「かみのながいおんなのこ! ねこがもりにはいっていくのをみたの!」

「えっ! たいへん!」

 杏樹はすぐにウサギのぬいぐるみを背負って走りだした。

「え~、またはしるの……?」

 しょんぼりした深乃莉がとぼとぼ歩き出す。

「いそぎましょ。ほら、みあも」

 梓は木に寄りかかっていた美愛の手をとって駆け足気味に杏樹を追いかけた。深乃莉はすぐに追い抜かれる。

「あ~ん! まってよ~!」


 公園中央の切り株。

 さばと名付けた子猫と切り株の周りを走ってじゃれあっている幌亜がいた。

「まて~!」

「にゃ~」

 じゃれているというより、子猫は逃げているようにも見える。

「ほろちゃ~ん!」

「あれ、あんちゃんだ」

 幌亜は近づく杏樹を見て走るのをやめると、子猫を両手で抱っこして切り株に腰かけた。

「ふ~、たのしかった! このこ、うちでかおうかな」

「いいかもね! てるちゃんもよろこぶよ!」

 杏樹は若干息を弾ませながら、嬉しそうに幌亜と子猫を眺めている。

「だよね! えへへ、てるがよろこぶのはうれしい!」

「ほろちゃん、てるちゃんだいすきだもんね~」

「うん! たいせつな、いもうとだもん! なにがあっても、てるはあたしがまもってあげるんだ!」

 切り株に座る二人のところに梓と美愛がやってきた。

「あなたもいっしょにいきましょう」

「どうかしたの?」

「おんなのこが、ねこがもりにはいりそうなの」

 尋ねる幌亜に美愛が答える。

「え~、たいへん! もりにはいったらおこられちゃうよ!」

 驚いた幌亜は切り株から飛び降りた。

「だから、いそぎましょう」

「うん! あっ、このこどうしよう」

 抱っこしたままの子猫の頭が視線に入る。

「ここにおいていけばいいわ」

「でも、さみしがるかも」

 幌亜は心配そうに子猫の頭を優しくなでる。

「こうすれば、さみしくないよ!」

 杏樹は背負っていたウサギのぬいぐるみを切り株の上に置く。

「うさちゃんといっしょ!」

 杏樹は幌亜に笑顔を投げかけた。

「さっすが、あんちゃん! ありがとう!」

「えへへ」

 幌亜はウサギのぬいぐるみの隣に子猫を置いた。

「さば、ここでまっててね」

「にゃ~」

 一声鳴く子猫をじっと見つめる梓。

「どうして、さば?」

「えっ? おさかなのさばっぽくない?」

「ねえ、その『さば』って、このねこのいろからすると、みそにのほうよね?」

「うん、そうだけど」

「そう……」

 梓は頭を抱えて何か悩んでいる。

「ほろちゃんはへんななまえつけるのすきだよね」

「へんかな? あたしはいいとおもうけど」

 幼なじみの杏樹に対してもこの答えである。

「まあ、いいわ! いきましょ!」

 森に入る女の子を唯一見ていた梓を先頭にして美愛、幌亜の三人は猫ヶ森の入り口のある方へ向かって走っていった。ただ一人、杏樹だけは深乃莉が来るのを待っている。

「お~い、みのりちゃ~ん!」

 やっと姿が見え始めた深乃莉が死にそうな顔でふらふら歩いていた。

「みのりちゃん、だいじょうぶ?」

 倒れかけた深乃莉を杏樹はしっかりと支えた。深乃莉の重さがずっしりのしかかる。

「つかれた、もうだめ……」

「しっかりしてよ、もう!」

「ごめん……」

 そう言って深乃莉は寝てしまった。

「みのりちゃんってば、しかたないなぁ」

 杏樹は深乃莉をおんぶしようと背中に深乃莉を乗せてみた。

「おもい……」

 結局、深乃莉を完全におんぶすることは出来ず、深乃莉の足先が地面についた状態で杏樹は引きずっていった。


 梓、美愛、幌亜の三人が猫ヶ森の入り口にやってくると、森の中をじっと見つめるカグヤがいた。

「あら、あのこ、ひめちゃんってこよね?」

 祖母譲りの霊感を持つ梓がかぐやを見て違和感を覚えた。

「なにかしら、このへんなかんじ……」

 不審に思った梓はみんなの前に手を出して歩みを止めると、警戒を怠らないように一人でカグヤに近寄る。

「ねえ、あなた、ひめちゃんでいいのかしら?」

 梓の呼び掛けにカグヤは反応しなかった。呼ばれたことすら気づいていないようだ。

「かぐやちゃん……?」

 梓は名前で再び呼び掛けてみると、カグヤの顔がわずかに右に傾いた。

「どうしたの? ぐあいわるいの?」

 その問い掛けとは関係なくカグヤの顔は徐々に梓の方へ向いている。右回りで梓に振り向こうとするカグヤの右目と梓の右目が重なった。

「ひっ!」

 梓は本能的に小さな悲鳴をあげ、目を固く閉じてしまう。

 血のように真っ赤に染まったひとつの目。梓の脳裏に焼き付いた狂気の目は、日本人形のような可愛らしさのあるかぐやには似つかわしくない目であった。

「あれ、わたし、どうしたですか?」

 かぐやの声で梓は目を開けると、無邪気にきょろきょろするかぐやの姿があった。その気配に狂気は感じない。まるで、憑き物が落ちたあとのようにおとなしい。

「ひめちゃ~ん!」

 梓ごしに杏樹が大きく手を振っているのが見えた。

「あっ、あんちゃんです」

 か細い声のあと、かぐやなりに一生懸命手を振ってみた。

「やっとついた~!」

 梓に止められ待ちぼうけしていた美愛達の所にようやく杏樹と深乃莉が合流する。二人が通った後には、ヘビが這いずったような二本の跡が長く長く続いていた。

「ほろちゃん、たすけて~」

「は~い」

 幌亜が杏樹の背中から深乃莉を引き剥がす。

「みのりちゃん、おやつだよ!」

 幌亜の一声で深乃莉がぱっと目を開けた。

「どこ? どこ?」

「これでよしと」

 必死におやつを探す深乃莉を置いておいて、他のみんなは梓とかぐやの方に集まる。

「みなさん、どうしたです?」

「ねえ、おんなのこが、もりにはいったでしょ?」

 困り顔で尋ねるかぐやに梓が即答する。

「はっ、はい、なのかちゃんが……」

「かみがながいから、もしやとおもったけど、やっぱりあのこね!」

「どうしようかしら……」

 猫ヶ森に入った女の子、七華を止めるつもりで来た梓だったが、ここで迷いが生じた。猫ヶ森に入ることは禁止されている。大巫女の孫である梓にとって、それは破ることが出来ない。しかし、今日知り合ったとはいえ、同じ巫女の儀式を受けて友達になった七華を見過ごすことはできない。梓の心の中で天秤がゆらゆら動いている。

「ねえ、いこうよ」

 覆っていた迷いの空気を杏樹の一言が払った。

「あんちゃん、だめだよ、おこられちゃうよ」

 心配性の幌亜が杏樹の腕を掴む。

「でも、ななちゃんをほっとけないよ」

「そうだよね、もう、ともだちだよね!」

 おやつを探していた深乃莉が話に参加した。

「わかったわ、わたしはいく」

 あとで大巫女ことおばあさまに怒られること覚悟で梓が言った。

「あずさがいくなら、わたしも」

 梓がやることに何でもついていきたがる美愛が続く。

「あのう、わたしもいくです。なのかちゃんはともだちです」

 いつもより大きくはっきりとした声でかぐやが手を上げる。

「ここは、みんなでいくしかないよね」

 最後まで行くことを渋っていた幌亜も重い腰をあげた。

「よし、いこう! ななちゃんをさがしに!」

 杏樹を先頭に幌亜、深乃莉、梓、美愛、かぐやの六人は七華を探しに猫ヶ森に足を踏み入れた。



「ねえ、なんだろう、あのくろいの」

 森に入って数分もしないうちに視力抜群の深乃莉が何かを発見した。

 日も落ちて暗闇が支配する時間。森に注がれるわずかな月明かりが森でうごめく『何か』を照らす。

「うごいてる、にんげんかしら?」

「やだ、こわいよ……」

 注意深く観察する梓の後ろで美愛が怯えていた。幸いにも、その『何か』は少女達の存在に気づいていない。

「あっ!」

 その時、一番後ろを歩いていた幌亜が転がっていた小さい木の枝を踏んでしまった。

「……!」

 小さな物音ではあったが、夜の森の静けさの中では十分すぎる音だった。次の瞬間、『何か』が一斉に少女達を見た。見たというからには、そこにあるのは十二の瞳。その瞳が杏樹を、幌亜を、深乃莉を、梓を、美愛を、かぐやを、それぞれをじっと見つめた。

「きゃああああ!」

 目があったのは一瞬だったかもしれないが、悲鳴が出るまで長く感じられた。少女たちは来た道を一心不乱に駆け出す。何度転ぼうが、すり傷、切り傷を作ろうが、とにかく逃げ出した。恐怖を超えたその何にも例えられない感情に心臓を掴まれる。どこまでも続く闇の中を走り抜け、ようやく猫公園を照らす外灯の光が救いの道を照らしていた。

 猫公園に戻ってきた少女達は声も出ないほどに疲れていたが、誰もが互いに顔を見回して全員が無事であることを確認しあった。

「あれ、なんなのよ……」

 最初に口を開いたのは梓だった。その問いかけに誰も答えられない。呼吸を整えながらも、それぞれが見た『瞳』を思い出していた。頭の中がぐるぐる回って考えがまとまらない。

「どうしよう、ななちゃん……」

 トラウマになりそうなほどの恐ろしい目に会ったのに、杏樹の頭の中の七華は消えなかった。

「もしかして、さっきのひとたちに……」

 一番体力のない深乃莉を支えている幌亜がつぶやいた。

「むり、だよ……、もう!」

 息も切れ切れに深乃莉が叫んだ。

「ねえ、あずさ。おばあちゃんにいおうよ」

「だめよ! もりにはいったことをいえないわ!」

 梓にとってはおばあさまの言いつけを守らなかったことのほうが罪が大きいと感じていた。

 あたりが静まり返った状況の中、かぐやが森の方に向かって歩き始める。

「ひめちゃん!」

 杏樹がかぐやの手を掴んだ。それでもかぐやは足を止めない。

「なのかちゃん、まってるです」

 かぐやの目には強い意志があった。七華が森に入るのを止められなかった責任を感じているのかもしれない。

「まって」

 かぐやのもう片方の手を梓が掴んだ。

「とめてもだめです。わたし、いくです」

「とめるつもりはないわ。わたしもいくから」

 かぐやの足が止まった。

「ほんとうです?」

「ええ、おばあさまからのもうひとつのいいつけは『うそをつかない』こと。それはまもるわ」

 梓はかぐやの手を離し、みんなの方を向く。

「あんなことがあったし、みんなはこなくてもいいわよ」

 梓の呼びかけに美愛は少し笑った。

「もう、あずさはおばけきらいなのに、つよがっちゃって!」

「なっ!」

 一気に梓の顔が真っ赤になる。

「わたしもいくってば。おばけなんておいはらってあげる!」

「みあ……」

 梓はほっとした。美愛の言うとおり、さっきの『何か』がまた出てきたらどうしようと不安だった。

「もちろん、わたしもいく!」

 杏樹が元気良く手をあげた。

「ここまできたら、さいごまでつきあおうかな」

 幌亜も手をあげた。

「もう、ぼくだけいかないなんて、いえないよ!」

 深乃莉も手をあげた。口ではしぶしぶだが、あげた手に迷いはない。

「みんな、ありがとうです……」

 思わずかぐやが顔を手で隠した。嬉しくて泣きそうだった。

「ひめちゃん、まだないたらだめだよ! ななちゃんがもどってきたらね!」

「はいです!」

 こうして、少女達は二度目の猫ヶ森探検に向かった。



「いないみたいね」

 六人は木の陰に隠れて様子を伺っている。もちろん先ほど遭遇した『何か』がいるかどうかだ。

「いきましょう」

 最初に梓が木の陰から出てきた。そのあとを他の五人が続く。

「ななちゃ~ん、どこ~?」

 杏樹が七華の名前を呼び続ける。

「くらくてこわいね……」

 ずっと空を見上げている深乃莉が言った。

 猫ヶ森は空が開けており、晴れている日であれば十分な月明かりが注がれる。しかし、森に入ってからは月が薄い雲に覆われつつあった。

「あっ、なのかちゃんです!」

 一番後ろを歩いていたかぐやが七華を見つけた。七華は遠く離れた赤い鳥居の前に立っている。


「なんやろ、これ」

 七華は杏樹達に気付かずに赤い鳥居をずっと見上げていた。その鼻先には薄っすらと雪の結晶が溶け出している。

「にゃ~ご」

 七華の足元にいた白銀の猫が前足を出して鳥居をくぐり、その姿が綺麗に消えた。七華は猫を追いかけて鳥居をくぐろうと前に出る。

「ちょっと、いけない!」

 梓が慌てて駆けだしたが、時すでに遅く、七華は鳥居をくぐってしまった。



 ここは一年中春の陽気ただようネコヒメの世界。一際大きな桜の木の下に七華が転がりこんできた。

「おかしいわ、ゆき、ふってたんに」

 七華の鼻の上に桜の花びらが一枚降りてきた。

「どうしてついてきた?」

「だれ」

 声の主を探そうと縦横無尽に首を振る七華。七華の鼻の上から桜の花びらがひらひらと落ちると、足元で七華を見上げている猫の額の上に張り付いた。

「ここだ。キミの下」

 七華は言われたとおりに下を見る。

「あれ、ねこちゃんがおる」

「どうしてついてきたのか聞いている」

 口を開けたままの七華は猫の話す様子をじっと見ていた。

「なんで、ねこちゃん、しゃべってるん?」

「ここはネコヒメ様の世界だからだ。ここにいる猫は皆、猫言ねごとを話すことができる」

「ねごと。ねこちゃん、みんなねてるんね」

「困ったものだな。まずはネコヒメ様に報告せねば」

「呼んだかのう?」

 いつの間にか七華の前に見知らぬ少女がいた。お団子ヘアがよく似合う春色の着物に羽衣姿の少女が浮いており、右手には猫の手のひらを模した肉球の杖を持っている。見た目の年齢的には七歳の七華より下に見えた。

「これは、ネコヒメ様」

「なんで、ういとるん」

 驚きよりも好奇心が勝る。七華は浮かんでいるネコヒメを下からのぞいてみたり、羽衣を引っ張ったりしている。

「落ち着きがないのう」

 ネコヒメは七華と話すために一度地面に降りた。代わりに手に持っていた肉球の杖を頭の上に浮かせる。

「こんどはこっちがういたん」

 その視線はネコヒメではなく、浮いている肉球の杖に向いている。

「これ、こっちを見んか」

「ほい」

 七華は素直にネコヒメへ視線を下げた。

「さて、わらわは猫秘女神ねこひめがみという。猫や人間からはネコヒメと呼ばれておる者じゃ。おぬしも聞いたことはあるじゃろう?」

「うん、あるん」

「おぬしの名は?」

「なのか」

「ふむ、いい名じゃのう。して、ナノカよ」

「ほい」

「残念じゃが、おぬしはもう人間の世界に戻ることはできん」



 その頃、六人の少女達。

「えっ、ど、どうしよう……」

 鳥居の前にやってきた梓の心臓の鼓動が速くなっている。急いで走ってきたからだけではなく、取り返しのつかないところを見てしまったからだ。

「あずさ、どうしたのよ!」

 急に走り出した梓を心配した美愛が追いついた。美愛のあとに杏樹、深乃莉、幌亜、かぐやも付いてきている。

「あのこ、とりいにはいっちゃった……」

「とりいってなに?」

 梓に質問する幌亜。梓はかぐやが見つけた赤い鳥居を指さして幌亜の質問に答える。

「これがとりい。わかりやすくいうと、かみさまがいらっしゃるところへのいりぐち。ねこがもりのかみさまだから、ネコヒメさまね」

「えっ! ねこひめさまにあえるの!」

 杏樹がいち早く反応した。

「ダメよ。ねこひめさまがいらっしゃるところは、にんげんがはいってはいけないの」

「そうなんだ、ざんねん」

 がっかりする杏樹。

「ねえ、あずさ。あわててたけど、どうしたの?」

「あのこ、なのかちゃん、とりいのなかにきえてしまったわ。ネコヒメさまのせかいにいってしまったの」

「ネコヒメさまのせかいにいくと、どうなるの?」

 質問した深乃莉をはじめ、杏樹、美愛、幌亜、かぐやたちの顔を梓は見回す。それぞれの表情には、知りたい気持ちと知ってはいけない不安な気持ちが混ざり合っていた。

「もう、こっちにはもどってこられないって、おばあさまがそういってた……」

 誰もが言葉を失った。

「ねえ、あずちゃん」

 その中で杏樹が静寂を切り開く。

「なにかしら?」

「わたしね、ななちゃんをつれもどしたいの」

「むちゃをしないやくそくをしたでしょ?」

 梓が右手の小指を杏樹に見せる。

「それは、あずちゃんが、だよ。わたしはむちゃしたいの!」

 梓と杏樹の間に美愛が入る。

「わたしもさんせい。むちゃしようよ、あずさ」

 美愛をはさんで幌亜と深乃莉。

「あんちゃんがいくなら、あたしもいくよ!」

「もちろん、ぼくもいく!」

 梓は杏樹の背中から顔を出しているかぐやをちらっと見る。

「みんな、ともだちです……」

 梓は大きなため息をこぼした。

「もう! しかたないわね! いくわよ!」

 美愛の前に梓は右手を出す。

「あずさのそういうところ、だいすきよ」

「いいから、ほら!」

 満面の笑みで美愛は梓の右手を握る。

「はい、どうぞ」

 次に美愛が幌亜の前に右手を出す。

「みんなかえってこれるよ!」

 美愛の右手を握った幌亜は深乃莉に右手を出す。

「げんきだしていこう!」

 深乃莉は幌亜の手を握りながら幌亜の隣に並び、かぐやに右手を差し出す。

「こわくなんか、ないです……」

 うつむき加減だった顔を起こして深乃莉の手を握る。最後に杏樹に手を差し出した。

「みんな、ありがとう!」

 杏樹は左手でかぐやの手を受け止めると、もう片方の右手を強くしっかり握りしめた。

「このては、ななちゃんと!」

 その言葉を聞いた梓は空いている左手をそっと閉じる。

「わたしのひだりても、ね」

 杏樹は大きくうなづく。それを見た他の五人もうなづいた。

「ななちゃんがもどってきたら、みんなでいっしょにたこやきたべよう!」

 その言葉を合図に杏樹は七華の通った赤い鳥居をくぐった。杏樹と手をつないでいるかぐや、深乃莉、幌亜、美愛、最後に梓。誰もが迷いもせずに鳥居をくぐる。



『もう人間の世界に戻ることはできん』

 その言葉を受けた七華は口を開けっ放しにして動かない。

「悲しいか、そうじゃろうな」

 じっとしたままの七華の後ろから話し声が聞こえてくる。

「あったか~い!」

「ここどこだろうね」

 手をつなぎあった六人の少女たちが来訪してきた。それを見たネコヒメは白銀の猫の方をじっとにらむ。

「おぬし、結界を開いたままじゃな」

「はい、おっしゃるとおりです。この娘が紛れこんでしまったために、すっかり忘れておりました。すぐに結界を閉じてまいります」

 その猫はささっと走り去っていった。

「あっ! いたよ!」

 杏樹が七華を指さしている。

「ななちゃ~ん!」

 杏樹を先頭に七華のところへわらわらと集まってきた。

「おぬしら、一列に並べ!」

 その声に驚いた六人の少女たちは硬直している七華を挟んで三人ずつに分かれて並ぶ。ネコヒメから向かって左側からかぐや、美愛、梓、七華、幌亜、杏樹、深乃莉の七人。

「さきほど真ん中の娘にも言ったばかりじゃが、おぬしら全員、元の世界に戻ることはできん」

「え~!」

 既に知っている七華とおとなしいかぐや以外が一斉に驚きの声をあげる。

「ええい、やかましい!」

 少女たちは一斉に黙りこむ。その中で梓が手を上げた。

「なんじゃ、言うてみい」

「あなたはどなたでしょうか?」

「わらわはネコヒメじゃ」

「え~!」

 また一斉に驚く。今度はかぐやも一緒だ。

「かわいいね~」

「ぼくよりちいさい!」

「みんな、しつれいよ!」

 飛び交う暴言を止める梓。

「ネコヒメさま」

「なんじゃ」

「もどることができないというのは、でられないのでしょうか? それともださないのでしょうか?」

「『出られる』のじゃが、この世界の決まりじゃから『出さない』のじゃよ」

「じゃあ、あたしでたい!」

 幌亜が元気よく手をあげた。それを見た他の少女たちも次々手をあげる。しかし、七華だけは未だ時が止まったままだった。呼吸しているのかも怪しい。

「だめじゃと言っておろう。決まりに関係なく外の世界に出してしまえば、この世界を知った人間がこの世界に入り込み、あれこれ好き勝手して出て行ってしまう。猫と一緒に鳥居をくぐれば出入りなど容易じゃからな。そんなことになれば、この世界はめちゃくちゃじゃ」

「おっしゃるとおりですね……」

 梓は一人、冷静に状況を受け止めている。他の少女たちも人間の世界に戻ることが出来ないことを理解したのか誰もがおとなしかった。

「ななちゃんといっしょにかえろうとおもったのに……」

 杏樹の両目から涙がこぼれた。

「とりいをくぐるまえにとめていれば、こんなことにならなかったのに……」

 杏樹と梓の言葉に七華の指がぴくりと動く。

「あれ、もしかして、うちのせい?」

「いいえ、あなたのせいではないわ。みんなあなたをたすけたくて、とりいをくぐったのだもの」

 七華はひとりひとりの顔を確認するように見る。少女たちは七華と目が合うたびに嫌な顔をせず、誰もが笑顔を返してくれた。

「なんか、ありがとう」

 七華はみんなより一歩前に出た。

「ネコヒメさま、うちのおねがいきいて」

「なんじゃ? 聞くだけ聞いてやろう。言うてみい」

「みんな、うちのともだちなん。みんなをここからだしてあげて」

「ななちゃん……」

 杏樹をはじめ、かぐや、美愛、梓、幌亜、深乃莉の六人は七華の小さな背中をじっと見つめていた。

「無理じゃと言っておるだろうに」

「ネコヒメさまのおねがい、きいてあげるから、おねがいします」

「なんか偉そうじゃのう。まあ、よいわ。そこまで言われてはわらわが悪者のようじゃ。おぬしらはまだ子供じゃし、このまま帰れないのは不憫じゃな」

「おねがい、きいてくれるん?」

「そうじゃな。じゃが、条件をつける」

「うち、おかねもってへんよ」

「ちがうわ。そんな人間世界のものなどいらん。まずはナノカを除く六人への条件じゃ。ひとつめ、今日の記憶を消させてもらう。ふたつめ、二度とこの世界に入れないようにさせてもらう。そして、ナノカへの条件じゃが、人間をやめて猫になるのじゃ。ちょうど身の回りの世話をする猫が欲しいと思っておってのう。その条件を飲めば六人を人間の世界に戻してやろう」

「ええよ」

「ちょっと、よくないわよ!」

 迷いなくうなづく七華の手首を梓はしっかり掴んだ。七華を手放してはいけない、そういう思いが無意識にそうさせていた。

「まあ落ち着くのじゃ。ナノカは死ぬわけではない。人間の体から猫の体に魂を変えるだけじゃ。この世界で猫として新しく生きてゆくだけのことじゃ」

「うちはそれでええよ。ねるのすきやし」

「七華がそう決めた以上、この話はおしまいじゃ。おぬしたちはさっさと帰るがよい」

 ネコヒメはふわっと浮き上がり、浮かせていた肉球の杖を掴む。

「まだ、はなしはおわって……!」

 梓が言い終えるよりも早く、ネコヒメは肉球の杖を大きくふりかぶっていた。

「そ~れ」

 ネコヒメが杖をゆっくりと振り下ろす。ぷにぷにした肉球部分が一番左にいたかぐやの額に当たる。

「きゃ」

 かぐやの額にほくろサイズの肉球マークが押される。すると、かぐやは桜色の煙に巻かれて消えてしまった。

「ひめちゃん!」

 杏樹が叫ぶと同時に他の少女達が悲鳴を上げて逃げまわり始める。

「こら! おとなしくせんか!」

 ネコヒメは肉球の杖を振り回して少女たちを追いかけた。

「なんか、たのしそう。うちもまざりたい」

 端から見れば、逃げる少女たちも追いかけるネコヒメもおにごっこをしているように見える。実際はどちらも必死なわけだが。

「きゃ~!」

 最初に体力の無い深乃莉が捕まった。疲れてよつんばいになったところを肉球の杖でお尻を叩かれる。かぐやと同様に桜色の煙の中に消えてしまった。

「みのりちゃん!」

 友達思いの杏樹が深乃莉を救おうと駆け寄ったのが運の尽き。前に出していた右の手のひらに肉球の杖を押し付けられてしまった。杏樹もまた煙の中に消えてしまう。

「みのりちゃん! あんちゃん!」

 幌亜は慎重だった。すぐに飛び出ることはせずにネコヒメの動きをうかがい、牽制している。ネコヒメの後ろでは梓と美愛がネコヒメの杖を奪い取ろうとしているようだ。幌亜と梓、美愛はアイコンタクトでお互いの意思を確認する。

「ネコヒメさま、おちついてください」

 幌亜はネコヒメの気を引くために話し合いを行うことにした。

「なんじゃ? わらわは落ち着いておるぞ。このようにな」

 ネコヒメの手に肉球の杖が見当たらない。

「きゃ!」

「きゃ~」

 梓と美愛の悲鳴が聞こえた。梓の左耳たぶと美愛の首の後ろにそれぞれ肉球スタンプが押されている。二人一緒に煙の中に消えた。煙がふんわり四散していくと、そこにはぷかぷか浮かぶ肉球の杖があった。

「あとはおぬしだけじゃぞ。おとなしくせんか」

 ネコヒメは浮かんでいる肉球の杖を掴み取ると、じりじり幌亜と距離を詰めてゆく。一方、幌亜は諦めたのか、両手をあげて降参の意を示していた。

「うむ、それでよい」

 ネコヒメが一歩、また一歩と幌亜に近づく。

「えい!」

 幌亜は足を伸ばせば届く距離までネコヒメが来るのを待っていた。蹴りの間合いを見計らって力強い回し蹴りをしかける。

「ほいっと」

 幌亜の行動を予想していたかのように、蹴りを肉球の杖で受け止める。

「うっそ」

 その言葉と同時に幌亜も煙に覆われて消える。これで七華以外の少女たちはこの世界からいなくなってしまった。

「みんな、どこいったん」

「おぬしの希望通り、人間の世界に帰したぞ。あやつらに押した肉球スタンプは記憶の封印とこの世界への侵入不可の印じゃ」

「さよなら、いいたかったんに」

「それはすまぬことをしたのう」

「ええよ、きにせんといて。ゆるしてあげる」

「生意気な子供じゃな……。どれ、早速おぬしを猫に変えてやるとするかのう」

「ええよ」

「あっさりしておるな。人間でなくなるのじゃぞ?」

「ねこちゃんになるんやったら、こわくない」

「そうか、ならばさっさと済ませてしまうとするかのう。さあ、目を閉じるのじゃ」

「ほい」

 七華は言われた通りに目を閉じる。

「そ~れ」

 ネコヒメは肉球の杖の肉球部分を七華の顔に押し付けて、ぽんっと杖を離した。

 ネコヒメの前に七華の姿は無く、一匹の青白い毛並みの子猫がネコヒメをじっと見つめていた。

「にゃ~」

 こうして七華は人間の姿を捨て、猫として生きていくことになる。



 ネコヒメの世界を追い出された六人の少女達は赤い鳥居の前にいた。

「あれ? ここどこ……?」

 杏樹の口から出た言葉に誰も反応しない。何があったか覚えていないからだ。呆然と虚空を見つめる杏樹の目から涙が溢れてきた。

「どうしてだろう、なみだがとまらないよ」

 杏樹以外の少女達も同じだった。幌亜、深乃莉、梓、美愛、かぐや、誰もが理由のわからない涙を流し続けていた。

 そのうち、誰が言ったわけでもないのに森の入り口に続く細道を並んで歩いていた。



 猫公園ではいなくなった子供たちを心配する大人たちがいた。

「おい! 子供達だ!」

 大人達は猫ヶ森から現れた自分の子の名前を呼んで抱きしめている。しかし、ただ一組の夫婦が呆然と立っていた。

「七華は……?」

 母親が娘の名前を呼ぶが、そこに娘の姿は無い。その声に気づいたのは巫女の儀式を行った梓のおばあさまだった。おばあさまの前に泣きわめく梓の姿がある。

「ねえ、梓。七華ちゃんはどうしたんだい?」

 おばあさまは梓の頭を優しくなでながら尋ねてみた。

「もうひとり……? しらないよ! なにもわからないの!」

 普段は落ち着いた態度の梓が狂ったようにわめく。おばあさまは梓のことを思い、それ以上は何も聞かずに優しく抱きしめた。

「神隠しじゃ!」

 梓とおばあさまのやりとりを見ていたひとりの大人が叫んだ。

「ネコヒメ様の森に入るなとあれほど言ってあっただろう!」

「ネコヒメ様に連れられていってしまったんじゃ!」

「麻桐の子は神隠しにあったんじゃ!」

 まだ泣きやまない子供たちの前で心無い大人たちの怒号が響いた。その奇怪な雰囲気を若い男が立ち入った。

「何を言っているのですか! 神隠しなど! 見つからない子はまだ森にいるはずです! 探しましょう!」

 大柄で血気盛んな若者が皆を促す。

「おまえは交番に来たばかりの若造だな! おまえは何も知らないだろ! この森について何も知らない奴が口を出すな!」

「なんですと! この木宅渚、女性のような名前ではありますが、男気では誰にも負けません! 森の事など知りませんが、助けを求めて泣いている子を黙って放っておくことなど出来ません!」

 木宅ことゲコさんは雪の降る寒い中、腕まくりをして鼻息荒く森へとのしのし進む。その進行を数人の大人たちが立ちふさがった。

「行くな! 森に入ってはならん!」

「この子らが戻ってきたことが奇跡じゃ!」

「もう、諦めろ! 麻桐の子はネコヒメ様と一緒に幸せに暮らすさ!」

 いくら言われようとも、ゲコさんの熱気は抑えきれない。肩や腕に降りかかる雪がすぐに蒸発するほど若者は燃えている。

「巡査長殿! わたくし、木宅渚、配属されたばかりですが、これにて辞職いたします! 警察にご迷惑はおかけ出来ません!」

「おい、木宅……」

 年配の巡査長が困り顔になる。この町の猫ヶ森に対するおそれは知っている。警察として行方の知れない子供を探したい、その二つが激しく葛藤していたのだ。警察官としては子供を探しに行きたいが、この町を秩序を守るものとしての立場もある。

「返答は無用であります! 短い間ですが、お世話になりました!」

 警察官として最後の敬礼をすると、ゲコさんは行く手を塞ぐ大人たちのかき分けて進み始める。

「もう、やめてください!」

 太い若者の腕に細くて冷たい手が触れる。

「止めないでください!」

 若者はふりほどこうと手の主に顔を向ける。七華の母親だった。

「もう、いいんです……。あの子は、七華は……」

 母親のそばにいた七華の父親もその肩に手を置いて涙ぐんでいる。

「その気持ち、大変ありがたく受け取っておきます。森に入ってしまった七華にも原因はあります。若いあなたが警察をやめてまで探しにいってはいけません。その代わり、その熱意をこの町の平和を守るために向けてください!」

 ゲコさんは何も言えなかった。両親が覚悟を決めてしまった以上、自分にはどうすることもできない。ふと、巡査長の方を見る。巡査長は黙ってうなづいた。ゲコさんは敬礼を返し、そっと森に背を向けた。

「わかりました。今日の自分をいましめ、これからは日々精進していきます!」

 本当はくやしかったであろう、ゲコさんが言えるのはこれだけだった。握りしめた拳は血がにじみ、その両目からは大粒の涙が一粒ずつこぼれた。

 こうしてひとりの少女が猫ヶ森に消え、それは神隠しとされた。今から十年前の季節外れの雪の降る日のことである。

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