猫の多い町
『この町には秘密がある』
京都府草薙町。京の古めかしい景観を残した小さな町である。
この町はおそろしいほどに野良猫が多い。道ゆく野良猫の頭をひとたびなでれば、次の野良猫が頭をなでてもらうのを待っている。さらになでている間に野良猫に囲まれる。それはなんという猫地獄。猫好きには猫天国とも言える。
これだけ野良猫がいれば糞尿で臭いと思われるだろうが、そんなことはない。この町でごろごろしている野良猫たちは人様に迷惑をかけないよう、きちんとしっかり暮らしている。
それはなぜかと問われれば、思い当たる理由はひとつ。この町には猫の神様であるネコヒメ様こと『猫秘女神』が住むという『猫ヶ森』と呼ばれる大きな森があるからだ。野良猫たちは夜になると猫ヶ森に帰り、朝になると森から出てくる。そして各自好きな場所で寝る。ずっと寝ている。それが猫だ。
猫ヶ森は町の中央に位置し、この町に暮らす人々からは聖域としてあがめられている。聖域であるがゆえに、古くから猫ヶ森に近寄ってはならないしきたりがあり、誰もが幼少の頃から強く言い聞かされていた。
ほら、そこにいる少女もきっとそうだろう。
既に日が落ちて月明かりが照らす闇夜の中、少女がひとり猫ヶ森を歩いていた。腰まで届く長さの艷やかな黒髪は丁寧に三つ編みで結われている。歳は七つぐらいであろう。
森を歩く少女の視線の先にあるのは猫の尻尾。これは珍しい、白銀の毛並みの猫である。真っ暗な森、月の明かり、その二つが白銀の猫をより神秘的に魅せていた。好奇心満載の年頃の少女が興味を持つのも仕方あるまい。
白銀の猫が猫ヶ森を進む。一足一足、肉球は音も静かに土を踏む。そのたびに尻尾が揺れる。その尻尾をじっと見つめたままの少女はゆらゆらと猫のあとを付いてゆく。そこに現れたるは深紅の鳥居。
猫は鳥居の前で立ち止まると、少女も一緒に立ち止まる。猫が鳥居を見上げると、釣られて少女も一緒に鳥居を見上げる。七歳の少女がいくら見上げても鳥居の上までは見えない。
「にゃ~ご」
猫の鳴き声で少女は上げていた顔を戻して猫を見た。少女と目が合った白銀の猫は鳥居をくぐり始める。
「あっ!」
少女は目を丸くした。目の前から猫が消えたのだ。最初からそこにいなかったかのように猫は姿を隠してしまった。
「ね~こ ね~こ ねっこねこ~」
突然、少女は歌い始める。
「ねこひめさ~まの おとおりじゃ~」
震える小さな手をぎゅっと握りしめる。
「ね~こは み~んな よっといで~」
ドキドキの止まらない胸を抑えると、一度大きく深呼吸。
「ねこじゃないこは よっちゃだめ~」
少女は落ち着きを取り戻し、目をしっかり開いて鳥居の中に足を一歩踏み出した。
この日、町から少女が一人消えた。猫ヶ森に入っていくのを見たという目撃情報もあり、聖域に入ってしまった少女はネコヒメ様の怒りを買って神隠しにあったとされる。
神隠しにあった少女の名前は麻桐七華といった。
麻桐七華の神隠しから十年後。
朝モヤ漂う猫ヶ森から一人の女性が現れた。高く細長い体はフード付きの黒コートにより全身を覆われている。その女性は猫ヶ森から続く猫公園に降り立つと、フードに両手をかけて静かに後ろへ落とした。それと同時にフードに収められていた銀色の髪が腰まで流れる。
「十年経っても変わらない町……」
猫公園を見渡す女性の後ろから猫の大行列が猫ヶ森から姿を見せ始めた。その大行列の中から数匹の猫が列を離れ、猫公園の思い思いの場所で寝転がる。大行列を進む猫たちは猫公園の出入口を通り抜けて草薙町に散らばっていった。
「さてさて、お仕事でも始めましょうか。ターゲットは六人でしたね。一日に一人ずつじっくりいきましょう!」
物騒な発言とは裏腹に、その女性の顔は満面の笑みにあふれていた。
そんな女性の様子を伺う四つの瞳があった。うっそうと生いしげる猫ヶ森の高い木々の上に二つの物影が見える。
「動き始めたようですね」
小さな物影からは若い男性の声。
「ふむ、そうじゃな。いよいよ来たかのう」
もう一つの物影からは幼い少女の声。
「何をしでかすかわからんからのう、しっかり見張っておくのじゃ」
「承知。NNNに通達しておきます」
少女の言葉を受けて小さな物影が姿を消す。少女は空を見上げると、晴れ渡った青空の中を白い雲が風に流れていた。
「あの日から十年。雲が立ち止まることがないように、時の流れも決して止まることはないのじゃな」
その言葉を残し、猫ヶ森に溶け込むように少女は姿を消した。




