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TRACK-6 Pandora 5

 オツベルが囚われているであろう〈VERITEヴェリテ〉の潜伏地は、第八区と第九区の中間にある港湾区域と判明した。中規模のコンテナターミナルで、偽装した船をアジトにしていると考えられる。

 グローバー中佐は早急に作戦を整えるや、救出部隊を編成し、速やかに現地へ出発した。

無論、エヴァンとレジーニ、ドミニクも同行している。〈VERITE〉がメメントを改造した生体兵器を駆使するならば、三人は有効な戦力となる。中佐本人が許可したこともあって、部隊から不満の声が上がることはなかった。ただし、ガルデや中佐以外のACU隊員らの中で、エヴァンたちと交流を持とうとする者はいなかった。

 同行者はもう一人いる。リカだ。

 裏稼業者バックワーカー。怪物退治の戦闘員。非日常的有事に特化した面々の中に、一般の女子大生が混ざっているのは、なんとも妙な光景である。

 移動車両の中、リカは居心地悪そうに肩をすぼめ、レジーニとドミニクの間に挟まれて座っていた。両手をきつく握りしめて膝に乗せ、静かに床を見つめている。

 リカの同行は彼女自身の意思だ。オツベル救出作戦の準備が慌ただしく進行する中、リカは、

「私も連れて行ってください!」

 と震える声を精いっぱい張り上げたのである。もちろん誰もが反対し、施設に引き止めようとした。だがリカは頑としてそれを承諾せず、同行の許可を求めた。

 リカが現場についてきても役には立たない。モルジットを視る能力は今作戦には必要ないし、彼女を護衛しながら手強い敵組織の連中と一線交えるのは危険だ。例え全力で守るとしても、必ず無事でいられる保証はない。

 あらゆる理由を引き合いに出して、思いとどまらせようと試みたが、彼女の決意は固かった。

 最初に折れたのは、意外なことにレジーニだった。リカも彼が許可するとは思っていなかっただろう。両目を見開き、食い入るようにレジーニを見つめていた。

 ただし、同行には条件が付けられた。

 勝手な行動はとらないこと。現場に到着しても車内で待機すること。常に危険な状況に晒されているのだと肝に銘じておくこと。

 リカはそれらの条件を受け入れ、こうして今ここにいる。

 最後まで反対したのはグローバー中佐だ。軍人として、良識ある大人として、十代の民間人を戦闘作戦に連れていくなど許容できるはずがない。最終的にはガルデが説得し、レジーニが責任を負うと宣言したことで、不本意ながらも許可を下ろした形である。

 レジーニが責任を取るというのなら、エヴァンに口を挟む余地はない。その意思を覆せるのは本人のみだからだ。リカへの罪悪感だけで同行を認めたわけではないだろう。相棒はそんな甘い男ではない。

 リカとオツベルの関係を思えばこそ、だ。

 リカとしても、オツベルが捕らわれた原因に自分が関わっているとなれば、一人だけ安全な場所で待っているわけにはいかない、と考えたのだろう。彼女なりに何か行動したいのだ。実際に何ができるのかは問題ではない。


 車内で言葉を発する者はいなかった。出発してからしばらくの間は、ガルデがオツベルの身に起きているかもしれない災難を想像し、大音量で暴走気味な独り言を繰り返していた。エヴァンはガルデを落ち着かせそうとなだめたが、だんだん彼の熱気につられて声が荒くなっていき、二人で喚きまくった挙句、揃ってドミニクの拳骨に鎮められた。

 エヴァンは痛む頭頂部をさすりながら、向かいの席にいるリカの様子を伺う。少女は時おりちらりとレジーニを見上げるが、肝心の相手は狭い窓から外を見ており、視線に気づいていなかった。リカが残念そうに顔を床へ戻すと、今度はレジーニがリカを見やる。彼女は視線に気づかない。そうしてレジーニは再び窓の外を眺める。このすれ違いが何度も繰り返されていた。

 二人は互いを気にかけているのに、なかなか噛み合わず、見ているエヴァンの方がもどかしく感じる。

「あと二十分程度で現場に到着です」

 助手席に座るACU隊員が告げ、車内に緊張が走った。互いに顔を見合わせ、頷く。

 今はどのあたりを走っているのだろうか。エヴァンは窓に顔をくっつけるようにして、外の様子を見た。太陽はすでに西の端まで傾いている。まもなく暮れるだろう。移動中に降ったにわか雨で、街は薄墨色のグラデーションに淀み、湿った空気に包まれていた。

〈VERITE〉のアジトは第八区と第九区の中間の港というから、この先で海に出るのだろう。

 窓から顔を離す間際、エヴァンはもう一度空を見上げた。湿気を含んだ灰色の雲が低空を覆っている。また降るかもしれない。




 目的地に到着したACU車両は、コンテナターミナルの敷地内手前に停車した。

 まずグローバー中佐を含む隊員総勢十七名が、無駄のない動きで車両を降り、銃を構えて周囲を警戒する。エヴァンも彼らに混じって、真っ先に外に飛び出した。あとからレジーニ、ガルデ、ドミニクが続く。リカは車内に残った。

 待機地点に選んだその場所は未開発の空き地で、陰になる建物などはない。代わりに背の高い雑草が陰をつくり、空き地とコンテナターミナルを隔てる壁の役割を果たしている。

 空はすっかり夜の濃紺に色を変えていた。周辺は施設の照明に照らされているので、視界に難儀はない。

 中佐の指示で隊員が三班に分かれる。うち三名が車両の周りに立つ。

 レジーニが彼らを示しながら、リカに言った。

「君がここにいる間は、彼らが守ってくれる。何か起きたときは彼らに従うんだ。外には出ないように。いいね?」

 きっぱりとだが柔らかい口調からは、レジーニの気遣いが伺えた。リカはその声に応えて頷く。同行は許可されたものの、車内で待機しているようにレジーニと約束したのだ。

 リカは不安げに身を縮めているが、気丈に振る舞おうと唇をきつく結んでいる。エヴァンは彼女の細い肩を軽く叩いた。

「大丈夫だって。マキニアンが三人もいて、レジーニもこういうのは慣れてるし、他は全員軍人だ。スパッとオツベル連れて戻るから、しばらく我慢してくれよ」

 エヴァンが明るい口調で励ますと、少し肩の力が抜けたのか、リカは微笑んで頷いた。

「皆さん、行きましょう」

 ガルデの呼びかけに振り向くと、三班に分かれたACUが行動を開始していた。エヴァンたちが彼らに続こうと駆け出したとき、「気をつけて」と背後でリカの声が聞こえた。



 このコンテナターミナルの埠頭は、大きなL字型になっている。ガントリークレーンが何基もそびえ立ち、コンテナヤードが整然と並ぶ、どこでも見られる一般的な港湾施設だ。

 中佐が率いるA班は正面入り口側の物陰から侵入、C班は反対側の突堤から侵攻し退却経路を確保。ガルデを含むB班は施設中央付近の管理棟を目指す。管理棟はすでに〈VERITE〉の手に落ちている可能性があるため、ここをまず抑えておく必要があった。エヴァン、レジーニ、ドミニクも、途中までB班と共に行動する。

 暗闇の中、生い茂る薮を掻き分け、進んで行く。張りつめた空気が、秋の夜風よりもエヴァンの心身を引き締めた。いつにない緊張感が全身を疼かせる。かつて何度も、こうした作戦に参加してきたのだと、記憶になくとも身体が覚えていた。


(そうだ、俺も軍人だったんだよな。今じゃ、ついそのことを忘れがちになるけど)


 記憶の一部が欠落しているとはいえ、思い出せることもある。それを忘れかけるほど、今の暮らしが好きなのだと、改めて実感するエヴァンである。

 しばらく進むと薮が途切れ、視界が開けた。目の前に二階建ての小ぶりな建物があるのだが、どうやらこれが管理棟らしい。一階部分は駐車スペース、二階が管理室になっているようだ。

 エヴァンの耳元で、小さな電子音が鳴った。出発前に配られたイヤホンが、通信をキャッチしたのだ。

『A班ターミナル内待機中。各班報告を』

 イヤホンスピーカーから聞こえてきたのは、滑舌のいいグローバー中佐の声だった。すぐに誰かが応える。

『C班待機中、退路確保』

 B班からはガルデが応答した。

「B班管理棟到着、内部を改める」

 言うや否や、ガルデは音もなく管理棟に近づいていく。階段を使わず柱を跳び登り、いとも簡単に管理室前の通路に降り立つ。しなやかな身のこなしは、まさしく猫科の生物そのものだ。

 エヴァンたちが見守る中、影に溶け込んだガルデの姿が、管理室に滑り込む。時を置かず、かすかな呻き声と物音が、部屋の中から漏れてきたかと思うと、再びイヤホンの電子音が耳の内に響いた。

『管理棟、確保』

 ガルデの短くも頼もしい報告を合図に、B班が一斉に動き出す。隊員の半数が管理棟に登り、残る半数が周辺に散開した。

 隊員と入れ替わりに管理室から出てきたガルデが、階下のエヴァンたちに向けて親指を立てる。エヴァンもまた彼に親指で応え、レジーニとドミニクと共に、施設の中心を目指した。

 コンテナヤードが見えてくると、ドミニクは別ルートを行くために、ひとり離れた。エヴァンとレジーニはコンテナの陰に身を潜めつつ、慎重に先に進む。

 コンテナヤードの端まできたところで立ち止まり、周辺を注意深く観察した。

「船が何隻か係留されているが、どこも作業が行われている様子はないな」

 レジーニが呟く。

「管理棟が占領されていたことも鑑みるに、ターミナル全体がすでに〈VERITE〉の手中にあるようだ」

「てことは、ここは敵の腹ン中ってわけか。そのわりには静かすぎだろ」

「お前にしては冴えてるな。連中ははなから、こちらの訪問を見越していたというわけだ」

「じゃあ堂々と正面から入りゃよかったんじゃね?」

「そういうわけにいくか。それこそ、罠に嵌めてくれと言っているようなものだろう」

「お互い目的はわかってんのに、今さら腹の探り合いなんか意味あんのか」

「誰もお前に腹芸を期待してないから心配するな」

「お、言ったな? この自慢の腹筋にマーベラスな顔描いて年末のパーティーで披露してやるから、期待しろよ」

「その“腹芸”じゃない」



 ターミナルの中心部まで進んだが、ここに至るまで、一人の見張りにすら出くわさなかった。定期的に交わされる班同士の通信にも、敵の姿を見たという報告はない。

 もはや身を隠しているのは無駄なのではないだろうか。エヴァンの忍耐力は限界に達しようとしていた。ネズミのようにこそこそ動き回るのも、そろそろうんざりだ。

 いっそ表に姿を見せよう。そうレジーニに提案しようとしたそのとき、エヴァンのうなじの産毛が逆立った。悪寒のような震えが背筋を伝い、思わず息を飲む。


(近くに何かいる。メメント……なんだろうけど、なんだ? なんか変だ)


 これまで遭遇してきたメメントとは異なる気配に、エヴァンは違和感を覚えた。メメントであることは間違いなさそうなのだが、メメントだと断言するには気配になじみがあるのだ。まるで、つい先日まで身近にいたような、奇妙な感覚だった。

 エヴァンの様子に気づいたレジーニが、怪訝そうに眉をひそめる。

「どうした、メメントがいるのか?」

 エヴァンはすぐには肯定せず、曖昧に首を傾げた。

「だと思うんだけど、違うような気もする」

「メメントを素体にした、あの生体兵器かもしれないな。あちらが動き出したか」

 たしかにその可能性もある。だが、エヴァンの感覚を刺激するこの気配は、もっと別な“何か”のような気がしてならなかった。

 俺はこの気配の主を知っているかもしれない。レジーニにそう伝えようとした瞬間、どこかで爆発が起き、コンテナがビリビリと震えた。続いて四方から銃声と怒号が聞こえてきて、蜂の巣を突いたような喧騒がターミナルを満たした。

「始まったか!」

エヴァンは細胞装置ナノギア〈イフリート〉を起動し、両前腕を真紅のグローブ型金属に変形させた。奇妙な気配のことはひとまず後回しである。レジーニも愛剣〈ブリゼバルトゥ〉を構えた。

すでにそこかしこで戦闘が始まっている。ACU隊員たちが戦っているのは、例の生体兵器と敵戦闘員だ。コンテナの上を跳ぶように動き回るのはガルデである。別のところではドミニクが、〈ケルベロス〉の三連浮揚砲台を駆使して生体兵器を蹴散らしている雄姿が確認できた。

 エヴァンとレジーニが参戦した頃には、コンテナターミナルは完全なる戦場と化しており、人間の敵味方を区別するのが困難なほどの乱戦状態だった。エヴァンはとにかく、人間ではない敵から真っ先に倒していった。生体兵器にはブレード強化型、ショット特化型、具象装置フェノミネイター特化型と、様々なタイプがおり、次から次へと襲いかかってくる。一体倒せばまた一体。数体一気に飛びかかられることもあり、きりがない。

 周囲の状況を把握するのもひと苦労で、いつの間にかレジーニと引き離されていた。

「くそっ! どんだけ湧いてくるんだよこいつら!」

 苛立ちを拳に乗せ、牙を剥く怪物の顎に叩き込む。

 そのとき、頭上で風を切るような鈍い音がしたかと思うや、さきほど感じた奇妙な気配が、再びエヴァンの背筋を舐めた。

 気配をたどって首を巡らせる。五、六メートルほど離れた所に、大きく黒々とした影がうずくまっていた。エヴァンの頭上を飛び越えたらしい。影はおもむろに立ち上がると、エヴァンの方へゆっくりと向き直った。

 影に見えたのは、全身を覆うコートを着ているからだった。ガスマスクに似た大仰な仮面を被っているせいで、顔はわからない。そのマスクは、エヴァンが見知っていたものと形状が少し違っていた。何本ものケーブルがマスクに差し込まれ、肩や首筋と繋げられている。目覚めていながら見る悪夢とは、こういうものだろうか。巨躯の異形は、エヴァンたちが助けに来たはずのオツベルだったのだ。

 彼女の醸し出す雰囲気が、歪に捻じ曲げられているのを感じて、エヴァンは近くことができなかった。〈VERITE〉に捕らえられる前と明らかに違う。


「オツベル……なんで」


 喉の奥が張りつきそうなほど乾き、うまく言葉が出てこない。オツベルの放つ気配がなぜ変わってしまったのか、想像したくないのに嫌な予感ばかりが脳裏をよぎる。

 オツベルは腕の中に、一人の人間を抱えていた。ほっそりした身体は、オツベルの巨体に隠れてしまいそうだ。しかし、風に揺られる長い赤毛が、その人物の正体を言葉以上に語っている。

オツベルに抱えられたリカは、力なくぐったりしていた。怪我はしていないようだ。彼女を護衛していたACUの隊員はどこにいるのか。拘束されているはずのオツベルが、なぜリカを抱えてここにいるのか。様々な疑問と懸念が、エヴァンの頭の中で渦を巻き、思考を鈍らせた。

「オツベル!」

 背後でガルデの声が上がる。振り返らなくても焦りを含んだ声色で、オツベルの様子に戸惑っていることはわかった。ガルデもエヴァンと同じように、彼女が纏う異質な空気を肌で感じ取ったのだろう。

 ガルデがエヴァンを追い越し、オツベルに走り寄ろうとした。エヴァンは彼の腕を掴んで引き止める。ガルデが振り返り「なぜ止めるのか」と目で訴えてきた。

「よせ、なんかヤバい感じがするだろ」

 いつの間にかレジーニとドミニクも駆けつけていた。レジーニはオツベルが抱えているリカを凝視している。迂闊に近寄らないのは、やはりオツベルの異変に気付いたからだろう。

 突然、拡声器を通した女の声が、コンテナターミナル中に響き渡った。


『ハーイ、こんばんはACUの諸君! あとそこのマキニアンたち、ご足労様。そっちの眼鏡のハンサムくんは知らないけど、とりあえずお疲れさん』


 能天気としか言いようのない声の主を捜して周囲を見回すと、一隻の貨物船の舳先に立つ女を発見した。白衣ならぬ赤衣に流れるロングヘア、眼帯に隠れた右目。エヴァンに残された過去の記憶に、その女の姿はない。しかし本能が“あの女に関わってはならない”と警鐘を鳴らしていた。

 赤衣の女は左耳に嵌めたイヤホンを通して、声高らかに話し続ける。

『たった一匹の化け物を取り返すために、わざわざお手数かけるなんて、仲良しこよしも立派なもんだわ。頭が下がるね、反吐が出るけど。どうせそいつが取り戻せなかったら殺す算段なんだろ。余計な情報をあたしらに掴ませるわけにはいかないものね』

「馬鹿なことを言うな、クロエ・シュナイデル! オツベルは俺たちの仲間だ! 一体彼女に何をしたんだ!」

 ガルデは舳先の女――シュナイデルに指を突きつけ、拡声器にも負けない声量で言い返す。シュナイデルはガルデの激昂にも怯まず、鼻を鳴らして嘲笑した。

『あんたにはその気はなくとも、上層部はそのつもりだろうね。ちょっと考えればわかることじゃない。ACUが何のためにオツベルなんていう、変種のメメントを保護したと思ってんの。仲間? 協力関係? おめでたいねガルディナーズ。メメントに関する情報を得るためだけに決まってんでしょ。その情報が敵の手に渡るなら、その前に殺す。最初からそういう腹づもりだったのよ。でなけりゃ、わざわざ化け物を飼う価値ある? あんたらの仲間意識だか絆だかなんだかいう薄ら寒い繋がりなんて所詮、ディスカウントストアのピザほどにも厚みがないのよバーカ』

 ガルデはシュナイデルの言葉に愕然となり、後方によろめいた。

「あんな奴の言うこと真に受けるなよ!」

 エヴァンの言葉に頷くものの、ガルデが相当なショックを受けているのは明らかだ。

 エヴァンは船上のシュナイデルを睨みつけた。高みから好き放題に物を言う、その態度が気に入らない。

「おいテメエ! 勝手なことばっか言ってんじゃねーぞ! 襲ってくるわ誘拐するわ、そっちが文句言える立場かよ! あと見下ろすな! 腹立つんだよ! 降りて来やがれ!」

 エヴァンの叫びに、シュナイデルが片眉を吊り上げる。

『うるさいなぁ、悪役は高い所から物申すって相場が決まってんのよ! あんたにはやることがあるんだから、もうちょっとそこで待ってろ!』

 シュナイデルは甲高い声で喚き、右の人差し指を指揮棒のように振り回した。

『さて、これから皆さんには、あたしのデータ収集を手伝ってもらいます。これはあたしがメメントを素体にして開発した生体兵器、フェイカーの性能向上のために必要不可欠な作業です。あたしの研究成果をより完璧なものにするための、非常に尊い仕事よ。あんたたちは、いずれ世界に名を轟かせるDr.クロエ・シュナイデルの偉業に関わることができる、とーーってもラッキーな連中です、おめでとう!』

 シュナイデルは、新作のIT機器発表会のCEOよろしく、船の舳先を行ったり来たりしながら、ひとり盛り上がっている。彼女の言葉に誰もついていけてないのは、どうでもいいらしい。

『マキニアンたちとメガネのハンサムお兄さん、ACUのアホどもには、フェイカーと戦っていただきましょう。ベゴウィック、エブニゼル、あんたらもついでに参加して』

 シュナイデルに呼ばれた男二人が、コンテナの上から飛び降りて姿を現した。二人とも不服げに表情を歪め、エヴァンたちとオツベルの中間まで歩み寄ってきた。

 ベゴウィックがシュナイデルを見上げる。

「あのなあ、なんで俺たちまで、テメエの勝手に付き合わなきゃならねえんだよ!」

『いいじゃないの、ヒマでしょうが! 男のくせにつべこべ文句言ってんじゃないわよ! これも仕事よ! 放棄したらソニンフィルドにチクってやるからね!』

 シュナイデルはベゴウィックの反抗心を歯牙にも掛けず、一方的な主張を展開する。

『話を戻すわ。これは実験を兼ねたデータ収集なの。あんたたちに拒否権はない。ルールに従いな。エヴァン・ファブレル!』

「なんだよ!」


『あんたにはオツベルと戦ってもらうわ。リカちゃんを取り戻したかったら、そいつを殺して勝つことね』


 エヴァンは絶句し、口を開けたまま硬直した。リカを助けるためにオツベルを殺すなど、そんなことできるわけがない。腹の底からふつふつと忿怒が込み上げてくる。あの女は一体何のつもりで、非道な要求を突きつけるのか。 

 シュナイデルに対して怒りを覚えたのはエヴァンだけではなかった。両隣ではレジーニとガルデが震える拳を握りしめ、背後からはドミニクの苛立った呟きが聞こえた。 

 顔を紅潮させたガルデが、一歩前に進み出る。

「なにがルールだ! そんなものルールとは言わない! それにオツベルは、誰かと戦うなんて、ましてや殺すなんてそんなことは絶対にしない!」

『するわよ、今のオツベルならね』

「どういう意味だ!」

 シュナイデルが左目を細めて、にんまりと笑った。


『オツベルを隅々まで調べてるときに思いついたのよ。“そうだ、データ収集にこいつを使えば、新しいパターンが手に入るじゃない”ってね。すっごくいいアイデアだから、さっそく準備したわけ。オツベルから余計なモノを取っ払って、あたしの命令に従う聞き分けのいい子にしてやったの。余計なモノっていうのは、臆病さだとか、命を大事にするだとか、そういうどうでもいいモノね。トワイライト・ナイトメアほどの〈優良種スペリオル〉ならともかく、こんな半端に進化した〈劣等種インフェリオル〉は、飼い慣らしても無駄。どうせこういうのは寿命が短いし、生きてる間にあたしの役に立ってもらった方が、よっぽど有意義ってもんよ。そういうこと。わかった?』


 誰も声を発しなかった。あまりにも残虐で無道な言動を目の当たりにすると、それに対する非難や抗議を口にすることさえも、許されざる行為のように感じる。

 クロエ・シュナイデルという女は、命や個性の尊厳を、自分の計画のために捻じ曲げ、支配し、いともたやすく踏みにじるのだ。彼女はオツベルを弄び、意のままに操る道具に仕立てた挙句、リカを誘拐させた。おそらく、リカを護衛していたACU隊員らは殺されている。


 オツベルに殺させたのだ。

 

 ガルデが怒りを懸命に抑え、震える声を絞り出した。

「オツベルの感情を、優しい心を奪い取ったというのか……?」

『そうよ、いらないもの。なにか問題ある?』

 ガルデの忍耐はそこまでだった。獅子の如き咆哮を上げ、高見のシュナイデルに向かって駆ける。だがその行く手を、群がるフェイカーが阻んだ。ドミニクとレジーニが素早く反応し、ガルデとともにフェイカーを排除しようと、戦闘態勢をとる。

 エヴァンも加勢するため、仲間たちの方に駆け寄ろうとした。だが、目の前にベゴウィックが現れ、右の手のひらでエヴァンの胸を突き飛ばす。その瞬間エヴァンの身体は、あたかも高所から落下したかのように、まっすぐ・・・・後方へ吹き飛んだ。


(重力が背後にかかっている・・・・・・・・・!?)


 地面に叩きつけられる寸前、身体をひねって受け身をとる。さっきのひと押しだけで、レジーニたちからかなり離されてしまった。ベゴウィックの細胞装置ナノギアが重力操作だと、ガルデから教わっていたことを思い出した。

 ベゴウィックとエブニゼル、そしてフェイカーの群れが、エヴァンと仲間たちの間を引き裂いていた。

 気配を感じて振り返れば、オツベルがじりじりと近づいてくる。オツベルに抱えられていたリカは、ガントリークレーンから吊り下げられた足場ゴンドラに横たえられていた。

 オツベルは両肩を大きく上下させ、荒々しい呼吸をしていた。マスクの吸気口がシューシューと音を立てている。時おり漏れてくる呻き声は苦痛に満ち、聞いているエヴァンの方が辛くなってくるほどだ。

「オツベル、苦しいのか?」

 呼びかけても、あのたどたどしいながらも穏やかな声は返ってこない。無理やり理性を剥ぎとられて、意に染まぬ命令に従うよう強要されているのだ。苦しくないはずがない。

『適応力は悪くなかったと思うんだけど、やっぱりそもそもの進化が半端だったわね。もっといいサンプルになったかもしれなかったのに、これが限界か』 

 イヤホンのマイクがオンになっていることを失念しているのか、シュナイデルが独白した。

『ラグナ・ラルスの成功例を超えるのは、なかなか難しいな。いや、いい素材さえあればできる、あたしなら』

 ラグナ・ラルス。もう聞くことはないだろうと思っていた、忌まわしき呪いの名前。それがシュナイデルの口から放たれ、エヴァンは一瞬呼吸を忘れた。

「お前、なんでその名前を……」

『知ってるに決まってんでしょ』

 

『あんたをラグナにしたのは、このあたしなんだから』


 ラグナ・ラルスは、エヴァンに植えつけられた矯正人格だ。ある男は、それがエヴァンの本性だと言い、幼なじみは、そうではなくエヴァンが本物の人格だと請け負ってくれた。

 そしてもう一人。悪魔のような白い少年は、ラグナの揮う細胞装置こそエヴァンの真の力だと主張した。

 どちらが本当の姿なのか。自分は自分だと思いたいし、そのつもりで生きている。だが実際、過去の記憶が欠けたこの身に、何が真実だと見極められるだろう。

 白き少年との死闘のさなか、一時的にラグナの細胞装置が解放され、命がけでその圧倒的な戦闘能力を行使したとき、エヴァンは素直に“恐ろしい”と感じた。

 強くありたい、もっと強くなりたいと常々思うが、それは守りたいものすべてを守るためだ。

 メメントから街を、大切な仲間たちを、愛する女性を、この手で守るための強さが欲しい。

 

 あんな――、

 破壊のための力ではない。


 あんなもの、欲しくなかった。自分に必要な強さは、自分の手で獲得するものだ。それなのに、勝手に人格をいじくられ、望みもしない爆弾を与えられ、いつかみんなを傷つけるかもしれない恐怖に苛まれる。この先ずっと。

 

 あの女が、そうさせたのか。

 自分が自分でなくなる苦しみを、あの女はオツベルにも背負わせたのか。

 

 耳の裏が痛い。血管を巡る血の音が聞こえる。頭の中は氷水に浸かったように冷え、逡巡していた決意が一点に集中する。

 反面、全身は熱く、腹の底から迫り上がる激憤に焼かれていた。指先が痺れ、口の中が渇く。強く拳を握り締め、歯を食いしばっても、このマグマを止められそうにない。

 エヴァンの昂りに呼応するように、周囲の空気が渦を巻いて風を起こした。〈イフリート〉の赤い腕が炎を纏い、真紅の閃光を放つ。

 五体から湧きいでる苛烈なエネルギーが、エヴァンの心身を満たす。

 これまでのメメントとの戦いでは感じることのなかった、荒れ狂う力の鼓動を、今エヴァンはごく自然に受け入れていた。


 その力の源が何であるかを自覚しないまま。


「オツベル、そこどけ」

 低く抑揚のない声色も、いつもの自分とは違うことに気づいていない。憤怒という一点の感情が、エヴァンを支配していた。


「その女、ぶちのめしてやる」


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