TRACK-6 Pandora 4
エヴァンとレジーニを乗せた黒いスポーツカーは、初秋の木漏れ日きらめく林道を走っている。
警察中央庁から第九区へ戻る途中、エヴァンの携帯端末にドミニクからの連絡が入った。ドミニクは、エヴァンたちが不在の間に墓場屋敷に起きたことを手短に伝え、今から言う場所に来てほしいと道順を教えた。そこはACUの待機施設で、撤退を余儀なくされた隊員たちが向かっているそうだ。ドミニクとリカも同行しているらしい。
ガルデが負傷したものの、深刻な状態ではないという。ガルデの回復能力は高い。ダメージからの復帰は早いだろう。
ハンズフリー通話にしていたので、運転中のレジーニも会話の内容を把握できた。相棒の表情はいつもどおり冷静さを保っていたが、内心ではリカが無事だったことに安堵しているはずだ。しかし、エヴァンの前であからさまに愁眉を開くほど可愛げのある男ではない。
それよりも問題なのは、オツベルが連れ去られたことだ。
「あいつら、なんでオツベルを連れてったんだ?」
ドミニクとの通話を終えたエヴァンは、率直な疑問を口にした。
〈VERITE〉の狙いはリカだったはずだ。彼女が屋敷にいなかったから、ターゲットをオツベルに変えたのだろうか。一体なぜ?
つい先ごろ明らかになった事実が脳裏をよぎる。エヴァンはハッと息を飲み、相棒の横顔を見た。
「まずい。もしかして、オツベルがリカの母親の変異体だってバレたんじゃねぇか?」
レジーニは無言のまま、指示されたルートに向けてハンドルを切った。何か考えているようだ。考え事に集中しているときくらい、自動運転にしてもいいだろうに、相棒は極力自分で運転したがる。
ハンドルを正面に戻したところで、レジーニは口を開いた。
「あちらがその事実に気づいてないことを願うしかない。連れ去った理由は単純で、オツベルが喋っているところを見られたかどうかしたんだろうと思う」
人語を解し、意思疎通ができ、独立した“個性”を持つメメントであるオツベルは、リカに劣らず希少な存在である。捕らえてどうするのかなど、想像の必要がないくらい明らかだ。
「オツベルやべぇんじゃねぇか? 助けて出さなきゃ、あいつらに変なことされちまうかもしれねぇ」
怯えて震えるオツベルの姿が目に浮かぶようだ。“彼女”のことだから、例え自分を傷つける相手であっても、よほどの事態にまで追い込まれなければ、人間に対して剛腕を振るったりしないだろう。
ガルデはオツベル救出に躍起になるはずだ。エヴァンは頼まれなくても、レジーニに反対されても加勢するつもりだった。
「“変なこと”だけで済めばいいが。喋るメメントを檻の中に入れて、ただ眺めるだけで終わるわけがない」
「嫌なこと言うなよお前」
レジーニの淡白な物言いに、エヴァンはわざとらしくため息をついた。
エヴァンはいつも、物事のいい面を見ようとしているし、いい方向に進める道を模索する。しかしレジーニはまず、悪い状況を想定し、そこから逆算するように対策を練る。思考の切り口がネガティブなのだ。
「俺はオツベル救出を手伝うぜ。お前は『タダ働きは嫌だ』って言うだろうけど、お前が来なくても俺は行くからな」
「言わないさ、そんなことは」
レジーニはまっすぐ前方を見据えたまま、かすかに首を振った。
「そのときは僕も行く。オツベルが捕らわれたとなれば、リカとの関係性が暴かれるのも時間の問題だ。二人ともモルモットにさせるわけにはいかない」
相棒の沈着な声色から滲む断固たる決意を、エヴァンが感じ取ったとき、木々の隙間に灰色の建物が見えてきた。
林道が終わった先で待ち構えていたのは、物々しい鉄製のゲートだった。武装した数名の兵士が、エヴァンたちの接近を注意深く見守っている。レジーニは徐行運転で慎重に車を進めた。
エヴァンたちがここを訪れる、という通達が事前にあったのだろう。最低限の確認だけで敷地内に入れてもらえた。
道なりに車を走らせ、主要施設と思われるひときわ大きな建物の前に停車する。
二人がそろって車から降りたちょうどそのとき、建物のエントランスからガルデが駆け出てきた。
「お二人とも、来てくれてありがとうございます! 車は移動させておきますから、中へどうぞ」
ガルデは挨拶もそこそこに、エヴァンとレジーニを施設内に誘う。負傷したという話が冗談かと疑うほど、ガルデは元気にきびきび動いている。さすが、回復力の高さは並みではない。
「派手にやられたって聞いたけど、その調子じゃ、もう大丈夫そうだな」
エヴァンがいたずらっぽく笑ってみせると、ガルデも微笑を返した。しかしすぐ真面目な顔つきに戻る。その表情から、墓場屋敷の襲撃を阻止できなかったこと、みすみすオツベルを連れて行かれたことへの無念さが読み取れて、エヴァンはガルデにかけた軽口を少し恥じた。
三人はガルデを先頭に、長く艶やかな廊下を早足で歩いた。三者三様の足音が、堅く厳かな空間に響き渡る。
「襲撃のことはドミニクから電話で聞いたが、今の状況はどうなっているんだ」
ガルデの左側を歩きながら、レジーニが問う。ガルデは歩速を弱めず、わずかに顔をレジーニの方へ傾けた。
「オツベルがベゴウィックとゼルに攫われたのはもうご存知ですね。現在〈VERITE〉の活動拠点を捜索中です。彼らの本拠地は別の場所にあるでしょうが、アトランヴィルでの活動におけるアジトもあるはずなんです」
「もう一度襲撃してくる可能性はあるだろうな」
「ええ。今回の本来の目的がリカなら、また必ず来ます。これまで〈VERITE〉が目的を達成できなかったことはありません。例外なく」
「じゃあ、俺たちが“例外”になってやろうぜ」
エヴァンはあえて明るく声を上げ、相棒とガルデの間に割って入り、二人の肩に手を置いた。
「オツベルを助け出して、リカも守る。だろ?」
やることが明確ならば、エヴァンは迷わず突き進める。何をすればいいのかわからず、次の行動が決められないまま、右往左往するのは性に合わない。
レジーニは、何をわかりきったことを、と言わんばかりに顔をしかめ、肩に置かれたエヴァンの手を払いのけた。
一方ガルデは、沈み気味だった表情を少し和らげ「はい!」と力強く頷いた。
案内されたのは、白と灰色を基調とした部屋だった。部屋の真ん中に広い円形デスク、それを囲むように設置された数脚のアームチェア、壁に沿って並ぶキャビネットや収納棚、窓は南側に一か所。隣の部屋に続くドアが一枚。余計なものはいっさい置かれていない、ミーティングルームのような内装である。
部屋ではドミニクとリカ、そしてグローバー中佐が待っていた。
ドミニクと中佐は、円形デスクの側に立っており、リカはデスクを囲むアームチェアの一番奥の席という、最も安全な場所に座っている。
エヴァンたちが入室するや、ドミニクはほっとしたように表情を緩め、中佐は歩み寄っていくガルデに軽く頷いた。
リカはというと、レジーニだけを見ている。昨日のレジーニの態度にまだ気落ちしているのか、今朝の襲撃に怯えているのか、彼女の表情は浮かない。
エヴァンはレジーニの肩を小突く。相棒が顔を向けると、“そばに行ってやれよ”という意味を込めて顎をしゃくった。するとレジーニは、“余計なお世話だ”と言わんばかりに睨みつけてきた。しかし、相棒が踏み出した足の行く先は、リカがいる方だった。まったくもって素直ではない。
いつまでたっても気持ちと態度が一致しない相棒はひとまず放っておき、エヴァンはドミニクに声をかけた。
「奴らのアジトの場所、まだわかんねえのか?」
「ええ。向こうもACUの捜索から逃れる手段を持っているでしょうからね、一筋縄ではいかないようです」
「ユイとロージーには知らせてんのか?」
「まさか、いいえ。あの子たちまで呼ぶわけにはいきません。特にユイは、オツベルのことを知れば、一人で飛び出してしまうでしょう」
「ああ、それわかるぜ。俺だって今すぐ助けに行きたいよ」
エヴァンが首をすくめると、ドミニクは横目でリカを一瞥し、やや顔を近づけて声を潜めた。
「リカとオツベルについて、何かわかったのですか?」
「いやー……、それなんだけどさ。わかったのはわかったんだけど」
エヴァンの視線も、自然とリカに向く。隣のアームチェアに座ったレジーニと、ぽつりぽつり言葉を交わしているようだ。彼女の出自にまつわる残酷な真実を、一体どう説明すればいいだろう。
エヴァンの懊悩を察したドミニクが、眉根を寄せて両腕を組んだ。
「よくない事実だったのですね?」
「ああ……」
頷くより他に返しようがない。
警察中央庁を辞してからしばらく、真実を告げないままの方がリカにとってはいいだろう、とエヴァンは考えていた。リカの心を傷つけずに、あるいは、精神的ダメージを最小限に抑えられるような伝え方が、果たしてあるのだろうか。エヴァンなりに必死に頭をひねってみたが、妥当な選択肢は導き出されなかったのだ。
例えば、ハーヴィー・グランツという実質的な“父親”の存在を教えなかったとする。その場合、異能力の起源が明らかにならず、リカの苦悩は解消されない。また、グランツについて話すとなると、産みの母親であるアンジェラの事件に触れないわけにはいかなくなる。
自分は暴行の末に生まれた子どもで、異能は犯罪者である父親から受け継がれてしまったもの。母と信じていたイザベルが実際は叔母で、産みの母はリカを出産後まもなく、自ら死を選んだ。そして死したのち、異形として蘇る。そもそもアンジェラの自殺の原因はグランツなのだ。あまりにも惨すぎる事実の数々である。
真実を打ち明ければ地獄。隠し通したとしても、異能の素因がわからないまま、一生悩まされることになる。
どちらにしても、リカの心が苦しまずに済む道がない。たった十八の少女が背負うには、深すぎる業だ。彼女自身に罪はないのに。
思わずため息が漏れた。我ながら「自分らしくない」と感じる、陰鬱な嘆息だ。
「なあニッキー。本当のことってさ、知らない方が幸せって場合もあるよな?」
幼なじみに問いながら、己自身を顧みる。エヴァンにとっての不都合な事実――かつて“ラグナ・ラルス”という名前と別人格を与えられ、恐るべき能力を揮っていた戦闘マシーンだったこと――を知った瞬間を。
知りたくなかった、と思った。今の自分こそがすべてだと信じたかった。不都合な事実から目を背けようとしていた。
結局のところ、その過去からは逃げきれず、かえってさらに明確になってしまったのだが。
リカはまだ間に合う。彼女はまだ、真実のひとかけらにさえ触れていない。自分とレジーニの胸に秘めておけば済む話だ。
それならば――。
でも――。
「エヴァン」
ドミニクの優しい声に呼ばれ、エヴァンははっと目をしばたたかせる。いつの間にか顔を俯けていた。ドミニクの右手が顎に触れ、そっと持ち上げられる。姉ような幼なじみが、藍色の瞳でエヴァンを見つめた。
「真実のすべてが“知るべきこと”ではないかもしれません。でも、何も知らないまま悩みだけが残るのも、真実を知って後悔するのも、どちらにせよ心は傷ついてしまうでしょう。ですが、辛さを分かち合うことで乗り越えられるものもある。私たちは支え合えます。お前はそれをよくわかっているはすです」
ドミニクの言葉が、岩を濡らす雨水のように、しっとりと浸み込んでくる。
そうだ、俺は誰よりもそのことをわかっているんだ。
胸の内から迷いが掃き出されたちょうどそのとき、ガルデの張りのある声がエヴァンとレジーニを呼んだ。
「すみません、お二人とも。ちょっと近くに来てくれませんか」
手招きに応じて集合するや、中佐が口を開き、予想通りの質問をされた。
「その様子では、オツベルと関りがあるらしい事件の詳細が掴めたようだが、報告してくれるかね?」
「あ、うーん、まあ」
エヴァンは曖昧な返事をして、レジーニをちらりと見た。オツベルを連れ帰るのを引き留めさせた以上、中佐に話さなければ筋が通らない。レジーニの表情は、諦めに近い険しさを滲ませていた。
レジーニは秀麗な顔を曇らせたまま、渋々ながらも頷いた。
「わかりました、あなたとガルデには話しましょう。ひとまず場所を変えませんか?」
やはりまだ、リカには聞かせたくないらしい。相棒らしからぬ決断力の鈍りは意外だが、今その点を茶化すほどエヴァンも無神経ではない。
レジーニの提案で隣の部屋に移動することになった。リカには、ドミニクと一緒にこのまま待つよう言い含めたが、彼女の意向に沿っていないのは顔を見ればわかった。
「待ってください。私にも関係する話じゃないんですか?」
立ち上がったリカは、進路を阻むようにレジーニの側に駆け寄る。
「ここに来る間に聞いたんです。オツベルさんが施設を抜け出した理由が、私にあるんじゃないかって思ったんですよね? だからそれを調べに中央区に行ってたんでしょ? だったら私にも教えてください」
「リカ、君は座ってドミニクと待っててくれないか」
レジーニは片手を上げ、抑えた声色でリカをなだめる。しかし、納得できないリカは、もう一歩近づいて食い下がった。
「嫌です。私のことなら私にも知る権利があるわ。なのに教えないなんて変じゃないですか」
「あとで話す。今はここにいてくれ」
エヴァンは相棒の低い声に、ピリッとした苛立ちを感じ取った。リカの主張は、膨らませすぎた水風船にさらに水を入れる行為と等しい。あと一滴で破裂する。慌てて二人の間に割り込もうとしたエヴァンだが、一瞬遅かった。
「どうして隠そうとするんですか? そんなに都合が悪いんですか? 私の能力のことも何かわかったんじゃないんですか? だったら」
「いいからそこに座ってるんだ!」
風船が弾けた。レジーニの怒号が部屋中に響き渡る。ガルデや中佐、ドミニクは目を見開き、エヴァンは自分が怒鳴られたように顔をしかめた。レジーニの腕掴んで引き寄せ、リカと距離をとらせる。レジーニの身体はぎこちなく固まっていて、今しがた誰を、なぜ怒鳴りつけたのか、自分でわかっていないようだった。
リカは大きな目をさらに見開いて、穴が開くほどレジーニを見つめている。涙が目尻いっぱいに溜まり、全身は小鹿のように震えていた。
「どうして……、どうしてあなたが怒鳴るの……。大声でわめきたいのは私の方なんだから!」
零れ落ちた涙とともに、少女の口から感情がほとばしる。頬が濡れるにまかせたまま、リカは部屋を飛び出していった。
「待て、リカ!」
エヴァンは、微動だにしないレジーニに代わってリカを追いかけようと、閉まりかけたドアに向かう。しかし、ドミニクに止められた。
「私が行きます」
彼女はエヴァンに軽く頷いてから、リカを追って部屋を出た。
残された男たちの間に、気まずい空気が漂う。
ガルデはどうしたものかと身じろぎしているし、中佐もお手上げだと言わんばかりに首を振っている。
肝心のレジーニは、呆然と突っ立ったままだ。
(あのアホ眼鏡、なにやってんだよ、まったく)
エヴァンは珍しく、今この場にいる四人の中で、自分が一番まともなんじゃないかという気になった。
呆れてため息をひとつ、エヴァンはガルデとグローバー中佐に言った。
「俺ら二人だけでちょっとミーティングしてくるわ。ガルデ、隣の部屋使ってもいいか?」
「え? ええ、かまいませんが……ミーティングですか?」
「ミーティングという名の説教。オラこっち来いよアホ眼鏡」
エヴァンは再びレジーニの腕を取り、隣の部屋へと引っ張った。レジーニは忌々しげにその手を振りほどくと、自ら部屋を移動する。エヴァンがドアを閉めたときには、部屋の中央付近に立っており、眼鏡を外して眉間を摘んでいた。
「やっちまったな、さっきのはマジでお前が悪い。なんで怒鳴ったりしたんだよ、馬鹿じゃねえの」
通常レジーニを馬鹿呼ばわりしようものなら、即座にお仕置きの鉄拳が飛んでくる。ところが今はどうしたことか、きつく睨みつけるだけでエヴァンに近づきもしない。重傷だ。
「お前、余裕なくすと素が出るよな。だんだんわかってきた」
「なにがわかると言うんだ」
眼鏡を掛け直しながら、レジーニが吐き捨てる。
「『お前になにがわかる』ってセリフはもう聞き飽きてっからな。突っぱねても効かねーぞ俺には」
エヴァンも負けじと言い返すと、レジーニは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
レジーニは〈異法者〉として独立してからというもの、「アトランヴィル裏社会のエース級ワーカー」という鎧をまとい続けてきた。冷静沈着にして頭脳明晰、仕事は完璧にこなし、感情に揺るがされず、言動はクレバー。女性たちの視線を集め、男からは妬み嫉みを向けられる。それがエヴァンの相棒だ。
しかしその鎧が剥がれてしまう瞬間がある。彼の感情が大きく動いたときだ。
今レジーニの鎧は、リカ・タルヴィティエという少女のために揺るがされている。鎧を保ち続ける意地と、彼女を案じるあまりに溢れ出る感情とがせめぎ合っているのだ。そしてその葛藤に、レジーニ自身が戸惑っている。
相棒のこんな姿を見るのは、去年起きた〈ラッズマイヤー事件〉以来だった。
レジーニは否定するだろうが、エヴァンにはよくわかる。相棒はリカを守りたいのだ。彼女に対する庇護欲が、恋愛感情に起因するのか、純粋な親愛の情によるものなのか、どちらでもかまわない。
ただ、守るべき存在を守りたい。
今度こそは。
「リカに本当のことを言うのが怖いんだろ? あの子が傷つくってわかってるから、話したくないんだよな。だからってお前が怒ってどうすんだよ。自分でも言ってたけど、リカの方がよっぽど大声でわめきたいんだぞ」
「そんなこと、お前に言われなくても……」
「わかってんならちょっと頭冷やせ。どうすんだよこの状況。俺がお前に説教してる。いつもと逆だ。なんかすげえ変な気分。でも俺の貴重なお説教だからな、しっかり聞いとけよ」
エヴァンはレジーニの前に立つと、眼鏡越しの碧眼をまっすぐに見据えた。
「俺はさっき、リカには黙っといた方がいいなって言ったけどさ、やっぱりちゃんと本当のことを話そう」
提案した瞬間、レジーニが眉を吊り上げた。口を開いて反論しようとするのを止め、エヴァンは言葉を続けた。
「まあ聞けって。俺だってリカに傷ついてほしくねえよ。だけど俺たちが隠し通したところで、あの子の気持ちが晴れたりするか? 本当のことがわからなかったら、この先ずーっと不安を抱えたままじゃん。あの子は俺たちが、自分の能力について何か知ってるってもうわかってんだぞ」
レジーニがまたしても何か言おうとする。しかしエヴァンは口を挟ませまいと、急いで次の言葉を発した。レジーニにものを言わせると負けてしまう。先にこちらの言い分をすべてぶつけてしまわなければ。
「ドミニクの受け売りになるけど、辛さは分かち合うことで乗り越えられるものもある、俺たちは支え合えるって。俺たちはもうリカの秘密を知ってる。だから支えてやれるかもしれない。お前は“綺麗事だ”って思うだろうな。けど、秘密を共有して救われることだってあるよ」
それは間違いない。なぜなら。
「覚えてるか? 俺の中に昔、ラグナ・ラルスって人格があったってわかったとき、お前は俺に『昔のことなんか知ったことじゃない』って言ったんだぜ。俺にとってラグナの存在は厭なもんだった。でもお前は、俺の厭な秘密を聞いても『そんなの知るか』って言った。俺の厭な過去を、お前が知ってくれてる。俺は独りじゃなくなった。それで俺は“今のままでもいいんだ”って思えたんだ」
レジーニの碧眼が瞠目する。エヴァンがこんな風に思っていたなどと、想像もしていなかっただろう。エヴァンとしてもこんな照れくさいこと、わざわざ打ち明けるつもりはなかった。だが、話すべきときがあるとするなら、それは今である。
「お前の後押しの効果は絶大だぞ。俺は誰よりそれを知ってる。リカにはお前の支えが必要なんだ」
レジーニは無言のまま、ひたりとエヴァンを見つめ返す。やがてゆっくりと何度か頷く。ひとつ首が振れるたび、碧眼を濁らせていた因循が薄れていくようだった。
「わかった。僕から話そう」
相棒を取り巻いていた棘のような空気が、雲散霧消するのを感じる。
エヴァンがほっと一息ついたとき、ドアが忙しなくノックされ、返事をするより早く開かれた。ノックの主はガルデだった。
「二人とも来てください、アジトの位置が判明しました!」
リカはあまり早く走れないらしい。廊下の最初の角で追いついたのだが、部屋に戻りづらそうだったので、ドミニクは外に連れ出すことにした。さわやかな初秋の空気を吸えば、落ち着きを取り戻しやすくなるかもしれない。
日当たりのいい中庭にベンチがあったので、二人で並んで座った。午後の日差しは優しく、こわばった心をほぐしてくれそうなぬくもりを感じる。
リカはベンチに腰掛けてからも、しばらくの間しゃくり上げていた。ドミニクが背中をさすってやると、気持ちが鎮まってきたのか、呼吸が少しずつ穏やかになっていった。
「ごめんなさい、私……子どもみたいな態度とっちゃって」
すん、と鼻をすすると、リカは涙をごまかすように笑ってみせる。ひきつった頬がいじらしい。
「あんなふうに大声出すべきじゃなかったってわかってるんですけど。レジーニさんはきっと、私を気遣ってくれてたんですよね。なのに……」
リカはドミニクに確認している、というより、自分自身に言い聞かせることで、レジーニの正当性を成立させたがっているように見えた。
自分にとって特別な人間から怒鳴られれば、誰だって傷つくもの。すると、怒られたのは自分が悪いからだ、と考えることで相手が正しいと結論づけようとする。単に苛立ちをぶつけられただけだと思いたくないために、むりやりにでも理由を組み立ててしまうのだ。
しかし、リカが気持ちの変換を試みたとしても、レジーニは明らかに苛立っていた。およそ彼らしくない振る舞いである。ただその苛立ちは、リカを想うからこそなのだろう。
エヴァンの態度からも察したが、彼らが掘り起こした事実は、リカにとって不都合な内容だったのだ。それを彼女に伝えるべきか否か、二人して悩んだに違いない。
レジーニが心の苦辛を抑えられなかったのは、彼にとってもリカの存在が特別なものだからだと、ドミニクは理解した。
昨夜、アルフォンセとともに食事を作りに来てくれたママ・ストロベリーが、ドミニクと二人だけになった時を見計らって、こんなことを話した。レジーニがなぜリカにこだわるのかわかった、彼女は亡くした恋人を思い出させるのだ……と。
どうやらリカの髪色が、レジーニの亡き恋人と同じ色味なのだそうだ。明るい赤毛は何種類かあるが、わけても彼女たちの色味は珍しいという。
かつて守れなかった恋人を思い出させる、同じ髪色の少女を前に、冷静沈着が売りのレジナルド・アンセルムの心が動いたのだ。案じるあまり、感情のまま声を荒げてしまうほど。
(あの人もあの人で、なかなか難しいわね。コンビそろって世話のかかること)
ドミニクは小さく苦笑した。やはりあの二人は、どこか似通っている。
「自分を責めることはありませんよ、リカ。レジーニに配慮しすぎる必要もありません。さっきのは彼の方が悪いんです」
「でも、私がしつこかったから」
「いいえ、そんなことはありません。事をややこしくするのは大抵、素直になれない根性曲がりですよ」
リカが不思議そうにドミニクを見つめる。両目を丸くして首を傾げる仕草が可愛らしく、ドミニクは思わず頭を撫でそうになった。相手がもう大学生であることを思い出して踏みとどまり、代わりに微笑みを返す。
敵のアジトの位置が特定できた、とエヴァンからメールで知らせがきたのは、そのときだった。




