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TRACK-6 Pandora 2

 いち早く異変に気づいたのはガルデだった。

 風に吹かれた木の葉が踊るかすかな音を聴いた瞬間、肌をなぞられるような違和感を首筋に覚えた。

 メメントではない。もっとなじみのある、それでいて久方ぶりの、できればこんな形では会いたくなかった存在が、すぐ近くにいる。

 ガルデはその気配を感じると同時に、細胞装置ナノギア〈マンティコア〉を起動した。頭部の左右に三角形のヘッドギアが出現し、警戒のために後ろ向きに倒す。髪は伸びて一本の管状機巧に変形、瞳孔はネコ科の如くアーモンド型に開いた。

 ガルデの“警戒態勢”に気づいたグローバー中佐が、何か言おうとしている。しかし彼が言葉を発するより先に、ガルデは声を張り上げた。

「中佐! オツベルを連れて……」

 逃げてください、と続けようとしたそのとき。ガルデの声を遮り、墓場屋敷の外から銃声と叫び声が聞こえてきた。直後、爆発音が轟き応接室の壁が崩れた。爆風が瓦礫を吹き飛ばし、粉塵が雪のように辺りを覆い尽くす。

 ガルデはとっさに腕で顔を隠し、爆風に舞う土埃から視界を保護した。埃が口に入ったが、咳き込むのは耐えた。

 間もなく風が止み、ガルデは腕を下ろして視線を上げた。立ち込める塵幕の向こうに人影が見え、はっと息を飲んで身構える。

 ガルデはグローバー中佐やオツベルの無事を確かめようと、素早く周囲を見回した。だが影の主は、そんな時間など与えてはくれない。


(来る!)


 気配が接近し、影の輪郭が塵幕の中でくっきりと浮かび上がる。ガルデは腰を落として後方に跳んだ。が、一瞬遅かった。跳躍で宙に浮いたはずの身体が、急速に地面に引き寄せられる。まずいと思った刹那、ガルデの全身に凄まじい圧力がのしかかってきた。

 まるで厚い岩盤が覆い被さってきたかのようだ。重圧はガルデを地面に押しつけ、四肢の自由を奪う。圧力から抜け出そうにも、身体が地面に張りついて動かない。

 粉塵が晴れ、一人の男が姿を見せた。男はおもむろに右足を上げ、ガルデの胸元を踏みつける。踏まれた部分に更なる圧力が加えられ、ガルデの肺から空気が吐き出された。

 ガルデを足蹴にする男が、前かがみで顔を近づけてきた。琥珀色の双眸は嘲笑に歪んでいる。右頬に彫られたトライバルデザインのタトゥーや、小洒落たワークウェアスタイルは昔と変わらず、状況さえ違えば素直に懐かしんだだろう。

「元気そうだなニャン公。また会えて嬉しいぜ」

 言葉と笑みとは裏腹に、男は少しも嬉しそうではない。

「ベゴウィック……ゴーキー……」

 ガルデは男の名を口にしたものの、胸部が圧迫され続けているせいで、満足に発音できなかった。ガルデのそんな反応が面白いらしく、ベゴウィックは底意地の悪い笑みを浮かべた。

「ガルデよォ、相変わらず顔が暑苦しいな。お前見た途端、真夏が戻ってきたかと思ったぜ」

 胸を踏みつける足に、更なる力が込められる。ガルデはベゴウィックの足を掴んで退けようと試みたが、ピクリとも動かせない。それどころか圧迫感が増していく。ガルデが抗おうとすればするほど、重圧は加算された。

処刑人ブロウズ〉の一人、ベゴウィック・ゴーキーの細胞装置ナノギア〈ベヒーモス〉のスペックは重力操作だ。触れた対象物にかかっている重力を、自在に加減できる。射程リーチは広くないものの、発動範囲内に捕らわれたが最後、ベゴウィックの独擅場となる。

 今まさにガルデの全身には、通常の何倍もの重力がかけられていた。しかし、これは序の口だ。まだ声を出せる上に、わずかとはいえ手足も動かせる。〈ベヒーモス〉の本領はこんなものではない。

「ベゴウィック、手加減……するなんて、あなたにしては……優しいですね」

 ガルデは加重力に耐えながら皮肉をくれてやる。ベゴウィックが鼻を鳴らして嗤笑した。

「なあに、礼はいらねえ。昔のよしみで気ィ遣ってやっただけだぜ。そもそも目的を果たす前に、お前を潰すバカはやらねえよ」

「も、目的は……何なん……うぐッ」

 重力が再び加算され、ガルデの呼吸は危険なほど乱れた。

「見当はついてんだろ。〈融合者ハーモナイザー〉の娘をよこせ」

 ガルデは一瞬も迷わず要求を跳ね除けた。。

「こ、断る……!」

「ああ、そう言うだろうと思ってたよ」

「ならば武装を解いて投降しろ」

 銃の撃鉄ハンマーが起こされるかすかな音がして、決然たる第三の声が割って入った。ガルデが声と音のした方に目をやると、グローバー中佐が両手で銃を構え、ベゴウィックに照準を合わせていた。 彼のそばに、オツベルの姿はない。

 中佐に顔を向けたベゴウィックが、煽るように口笛を吹いた。

「ガルデの飼い主のくせに、銃向けたままマキニアンに武装解除を命じるのかよ。 あんたら陸軍がどうやって俺たちマキニアンを殺したのか、まさか忘れてねえよな?」

 マキニアンはオートストッパー機能により、非武装の人間に対しては細胞装置ナノギアを起動できないという制限がある。のちに〈パンデミック〉と呼ばれるようになった“マキニアン一掃作戦”では、このオートストッパーを逆手に取り、武器を持たない格闘部隊が前線に立つことで、マキニアンの性能を無効化させたのだ。もちろんグローバーは、それを充分に承知している。

 ベゴウィックが右腕を掲げた。その腕が鉄の塊へと変形し始めたのを見たガルデは、ベゴウィックの足の下で必死にもがいた。加重力効果は継続中だが、なんとか抜け出さなければ中佐が危ない。

 せめて一瞬、ベゴウィックの注意を逸らせることができれば。

「マキニアンに武器を向けたんだ、あんたその意味わかってんだよな」

「ああ、よくわかっている。私はただの囮だ」

 中佐の言葉に、ベゴウィックが眉をひそめた。そのときガルデの視界は、足元で蠢く大きな影をとらえた。

 影の正体に気づいた直後、ベゴウィックの身体がダンプカーに撥ねられたがごとく吹き飛ばされ、応接室の壁をぶち破って屋外へ消えた。

 ベゴウィックが離れたことで、ガルデはようやく加重力の支配から解放された。すみやかに起き上がり、ベゴウィックに猛烈な体当たりを見舞ったことに動揺しているオツベルと、険しい表情の中佐に向けて声を張り上げる。

「早く退却してください!」

 ガルデは彼らの返事を待たず、ベゴウィックが弾き飛ばされた方へ走った。読みに間違いがなければ、形勢を変えるチャンスは今しかない。

 舞い上がっていた塵埃が消えた。豪快に破られた壁穴の向こうで、ベゴウィックが立ち上がろうとしている。その身体が、地面から三十センチほど離れた空中まで浮上する。ガルデの予測は的中した。

「おい! 今俺をブッ飛ばしやがった奴!」

 ベゴウィックが罵りながらこちらを振り返った。そのときガルデはすでに、彼との距離を詰めていた。跳躍して勢いをつけた回し蹴りを、ベゴウィックの胴に叩き込む。浮遊状態だったベゴウィックは、再び凄まじい勢いで墓場屋敷を囲む森の中まで飛んで消えた。

 ベゴウィックは〈ベヒーモス〉で自分自身の重力をも加減できる。オツベルの体当たりを食らったとき、態勢を変えるために重力を減少させるかもしれない、とガルデは踏んだ。その読みが当たったのは幸いだ。かかる重力が軽ければ、一撃で与えられる衝撃はいや増す。いったんベゴウィックを仲間たちから引き離し、退却の隙を作るには、この読みに賭けるしかなかった。

 ガルデが振り返ると、壁の穴のそばに中佐とオツベルが立っていた。

「中佐、部隊を退却させてください! もう一人いるはずです!」

 グローバーは躊躇せず、オツベルの腕を引っ張って走り出した。

 そうだ、もう一人いるはずなのだ。墓場屋敷の周辺守備についていたACU隊員たちを抑え込む役が。

 マキニアンを二人も相手取るのは分が悪すぎる。今は、仲間たちが撤退する時間を稼げれば、それでいい。

 森の方から急接近する殺気を感じて、ガルデは迎撃態勢をとった。


「ガルデえええええええええッ!!」


 緑生い茂る森の中から、逆上するベゴウィックが文字どおり弾丸の如く戻ってきた。反重力効果を利用して飛んだのだ。

 ベゴウィックが空中で、鉄塊化させた右腕を掲げ、ガルデの頭めがけて振り下ろす。ガルデは鉄塊の軌道を冷静に見極め、横に跳んで回避した。鉄塊が地面にめり込み、土をえぐる。えぐられた土は間欠泉よろしく噴き上がり、ベゴウィックを包み込んだ。土の雨が降り注ぐ中、ガルデは猫のように身をひねって着地する。

 息つく暇もなく、ガルデは次の攻撃の気配を察した。ベゴウィックの鉄塊腕が関節のあるフレイル状に変形し、遠心力を受けて横から襲いかかる。ガルデがこれを上に跳んでかわしたのも束の間、

「ブッ飛びやがれ!!」

 怒りの咆哮とともに、第三撃が背後から迫ってきた。回避する間はない。ガルデがダメージに備えて防御の態勢をとった直後、巨大なハンマーヘッドに殴りつけられた。防御態勢も虚しく、全身の肉と骨が分断されたかのような衝撃を受け、ベゴウィックによって穿たれた壁穴を逆に突き抜け、屋敷の反対側まで飛ばされた。

 ガルデの身体は大地に叩きつけられ、数回バウンドを繰り返す。

「ぐ……ッ!」

 どうにか空中で胴体をひねり、身体が地面と平行になるよう素早く体勢を変える。着地寸前でグローブの爪刃ファングを伸ばし、地面に突き立てた。爪刃で土をえぐりつつ勢いを殺し、ようやく止まった。〈ベヒーモス〉の一撃は予想以上に重い。優れた回復リカバリ能力を持つガルデの〈マンティコア〉を以てしても、すぐには動けないほどだ。それでも、十数秒後には膝をついて立ち上がり、悠然と歩み寄ってくるベゴウィックを迎えるまでには回復していた。口元が切れて血の味がする。衣服の袖でぞんざいに拭ったときには、マキニアンの治癒能力によって傷口は塞がっていた。

「ははッ、お前の回復の速さだけは、素直にスゲーって思うぜ。俺のスレッジハンマー喰らってすぐ立てる奴は、お前だけだろうよ」

「あなたが誰かを褒めるなんて珍しいですね。フォーチュンクッキーに『人を褒めるといいことがある』って書いてあったんですか?」

「いいや、『猫っぽい動き方するクソヤローを叩きのめせば吉』だとさ」

 ベゴウィックはうすら笑いを浮かべながら、余裕綽々の足取りで近づいて来る。ガルデから五、六メートル距離を開けて立ち止まると、トレードマークとなっているニット帽の乱れを整えた。

「つってもよ、他の奴より回復の早えお前を、まともに相手しても不毛だ。こっちとしちゃ、さっさと済ませて帰りてェんだよ。クソみたいな任務に時間割くより、犬を風呂に入れてやる方が楽だからな」

 言動が粗暴なベゴウィックだが、意外にも愛犬家である。〈VERITEヴェリテ〉の本拠地で飼っているのだろう。

 彼が〈SALUTサルト〉時代にも一匹、年寄りの中型犬を飼っていたのを、ガルデは思い出した。普段の素行からは想像もつかないほど、ベゴウィックは飼い犬に優しく、まめに世話をしていた。老衰で亡くしたときの落ち込みようは、表情に出ずとも顔色で察しがついたほどだ。

「だからさっさと引き渡せよ、〈融合者ハーモナイザー〉の小娘を」

「嫌です」

ガルデが間髪入れずに拒否すると、ベゴウィックは大げさにため息をついた。

「お前が頭堅いせいで、セオリー通りの展開に持ってくしかなくなったぞ。あれを見ろ」

 ベゴウィックが顎をしゃくって、ガルデの斜め後方を示した。訝しみつつ振り返ると、土塊や岩が山のように積み上げられていた。山の中にはACUの車両も混在しており、目を凝らせば、車両や瓦礫の間にACU隊員たちが挟み込まれている。グローバー中佐とオツベルの姿もあった。皆、ぐったりと力なく俯いている。

「みんな!」

 衝動的に駆け寄ろうとしたガルデだが、瓦礫の山の手前の人物に気づいて立ち止まった。

 大きな瓦礫の上に痩せた男が座っている。エブニゼル・ルドンだ。エブニゼルは落ち着かなげな目つきでガルデを一瞥し、ふいと顔を逸らした。

「死んでない。心配するな……」

 彼の声は蚊の羽音のように細かったが、細胞装置によって精度が上がっているガルデの耳には、しっかりと聞こえた。

 エブニゼルの背中から、虫の脚に似た六本のデバイスが、翅のように伸びている。彼の細胞装置を象徴する〈六脚機巧〉である。

 エブニゼルの細胞装置ナノギアは、土壌を操作する〈サトゥルヌス〉。土の成分を含む物質に作用するスペックである。彼は、ガルデたちが立つこの大地とACU車両の鉄を操作して、グローバーたちを捕らえる“檻”を築いたのだ。

 ベゴウィックとともに行動するならエブニゼルだろうと、ガルデは予想していた。〈サトゥルヌス〉のハイスペックをもってすれば、大人数の動きを封じるのは容易い。

 ガルデは、全身の産毛が総毛立つのを感じた。人間を盾に取るなど、許しがたい行為だ。ベゴウィックの方に向き直り、まっすぐ腕を伸ばして指を差す。

「人質をとるなんて卑劣だ! そこまで悪に染まったんですか!」

「でっけえ声でクッサいセリフ吐いてんじゃねえ! お前の暑苦しさは昔っから嫌いなんだよ!」

「俺はあなたの犬を大事にするところには好感を持ってますが!」

「うるせえやめろ! こっちが恥ずかしくなるようなことを恥ずかしげもなく言うな! これからり合おうってんだぞ!」

 ベゴウィックは威嚇するように、右手を握り締めた。

「いいか、小娘を差し出すか、さもなけりゃ、あそこで団子になってる連中がスクラップになるかだ。手離す方を選べ」

「そのどちらの手も、俺は離す気はありません」

「お前って野郎は、マジでウゼえ」

 ベゴウィックは舌打ちすると、右腕を背後に引き、勢いよく突き出した。その腕が巨大な鉄球と化し、大砲のごとく迫り来る。

 ガルデは退かず、前傾姿勢で鉄球に向かって駆け出した。目と鼻の先まで近づいた瞬間、接触すれすれでそれを躱す。

 標的を逸れた鉄球が地面に落ちた。すると、鉄球の触れた周辺の土がえぐり取られ、鉄球に張りついたまま、もろともガルデの方に飛んできた。〈ベヒーモス〉によって土の重力の方向が変えられ、鉄球に密着しているのだ。

 ガルデは鉄球に向かってジャンプし、接近する凶器を足場にして、再度上に跳躍。滞空中に〈マンティコア〉の具象装置フェノミネイターを起動し、足に風を纏わせ、回し蹴りを放つ。具象装置と蹴りの威力で風は鋭利な刃となり、ベゴウィックに強烈な打撃と裂傷を与えた。

「チッ!」

 風に紛れてベゴウィックの舌打ちが聞こえ、腕の鉄球と加重力効果が解除された。着地したガルデはすかさず片手を地面につき、追撃の回し蹴りを繰り出す。蹴りは旋風つむじかぜを伴い、ベゴウィックの胴にヒットした。

 通常なら、敵を石ころのように弾き飛ばす蹴りだったが、ベゴウィックは自身に重力を加算して踏み止まった。ガルデは体勢を戻そうとするも、それより早くベゴウィックに足を掴まれた。 

 ベゴウィックは掴んだガルデの足を自分の方に引き寄せ、その顎に掌底を二発当てた。打たれた衝撃は脳にまで到達し、ガルデの意識は一瞬、脳震盪を起こしたように薄れ、身体から力が抜けた。

 ベゴウィックは即座に足を離して、ガルデの後頭部を鷲掴みにすると、

「沈め!」

 重力を加算させて大地に叩きつけた。

 全身を押し潰す圧力が再びガルデにのしかかる。しかし、同じ手を二度も喰らうわけにはいかない。

「まだだ……ッ!」

 ガルデは下半身を思いきり捻って両足を振り上げると、自分を押さえつけているベゴウィックの腕に絡ませた。声を張り上げ、気合とともに加重力に抗い、重力使いを引きずり倒す。

 ベゴウィックが倒れるや否や、ガルデは速やかに彼から離れた。倒されたベゴウィックもまた、すみやかに立ち上がる。琥珀色の目には怒りの炎がぎらぎらと灯っていた。


(やはり重力操作は厄介だな。潰される前に決着をつけなくては)


 ガルデはベゴウィックから注意を逸らさず、人質に取られたグローバーたちを一瞥したあと、視線をエブニゼルに移す。エブニゼルは座ったまま対決を静視しているが、いつ参戦してくるかわからない。マキニアン二人を同時に相手どろうなどと考えるほど、ガルデは自惚れてはいなかった。

 ベゴウィックは手強いが、重力操作はそうそう連発できないはずだ。スピードで押せば勝算はある。だがエブニゼルの〈サトゥルヌス〉に速さは関係ない。どのみち早期決着をつけなければ、中佐たちの身が危うい上に――、


(ドミニクがリカを連れてここに来てしまう)


 ベゴウィックが先に動いた。真正面から向かって来る。右腕をスレッジハンマーに変形させ、雄叫びを上げながら振り下ろしてきた。

 ガルデは前かがみになって直撃を回避すると、ベゴウィックの懐に潜り込み、左手で彼の右の肩口を掴んだ。ベゴウィックの動きが止まったところで、胴と首元に一発ずつ右パンチを見舞う。

 怯んだベゴウィックが一歩後退した。

 ガルデは間髪入れず中段蹴りミドルキックを放つ。体幹を鍛え抜いた蹴りは、鞭のようなしなやかさと速さ、そして威力を遺憾なく発揮すると、ベゴウィックの脇腹にヒットし、呻き声を上げさせた。

 追撃の回し蹴りを加えようとしたが、その蹴りはベゴウィックの腕に抱えられて阻止された。ガルデはすかさず掴まれた足を軸にして飛び上がり、ベゴウィックの背後に回る。ガードされていない横顔を狙ってパンチを繰り出す。しかしその一打もまた、ベゴウィックが背中に回したハンマーによって止められた。〈マンティコア〉の拳と〈ベヒーモス〉のスレッジハンマーが迫り合い、金属同士が擦れる甲高い音がこだまする。

 ベゴウィックが身体を捻りながら、ガルデの腕を搦めとろうとハンマーを振り回した。ガルデはその動きに合わせて移動し、ハンマーから逃れる。

 右腕の変形を解除したベゴウィックは、次に左腕を三節棍に変えた。右手で中央の棍棒を握り、先端を振り回しながらにじり寄る。

「カンフー映画は好きか?」

「好きですよ、観るのはね」

「実践はどうだ」

「訓練で嫌というほどあなたに殴られた覚えならありますけど」

「ああ、ありゃ楽しい思い出だったな。お前とポンコツのエヴァンは、いい練習相手だった」

「後輩いじめとも言いますけどね!」

 ベゴウィックが三節棍を振りながら、大きく踏み込んできた。ハンマーより動作が速く上下左右あらゆる方向から自在に攻めてくる。棍が振られるたびに空気がぶんぶんと鳴る。

 ガルデは次々と繰り出される攻撃を、〈マンティコア〉の爪刃で的確に防ぎ、弾き返した。金属と金属が激しく衝突し合うさまは、さながらトライアングルが奏でる鬨の音ウォークライだ。

 ガルデはベゴウィックの攻撃に対応しながら、彼の狙いにも気づいていた。攻めながら重力操作の大技を発動させるチャンスを探っているのだ。こちらが〈ベヒーモス〉に対してスピードで優位に立とうとしていることを、ベゴウィックもわかっているはずだ。

 ガルデが速さで押し通せるか、さもなくば押し潰されるか、どちらかである。

 ベゴウィックの棍が真っ直ぐに突き出された。ガルデはそれを掴んで引き寄せ、たたらを踏んだベゴウィックの顎に膝蹴りを見舞った。具象装置で旋風を起こし、掴んだ〈ベヒーモス〉の棍でベゴウィックの胴を続けざまに打つ。一撃加えるたびにスピードを上げ、防御も細胞装置を解除する隙も与えず、ガルデと風は渾然一体となり、奮迅の嵐と化す。

 ベゴウィックは風を纏う打撃に耐えながらも、徐々に後退していった。表情に焦りの色が窺える。今にも地に膝をつけそうだ。


(このまま押しきる!)


 ガルデが最後の一撃を決めようとしたそのとき、足元の地面が大きく揺らぎ、ガルデとベゴウィックの間に幾筋もの亀裂が走った。

 振動のはずみで〈ベヒーモス〉の棍を手放してしまい、自由になったベゴウィックに距離を取られた。

 ガルデの周辺の地面が轟音を立てて隆起する。大地の表面がまるで紙を剥がすかのようにめくれ上がり、ガルデとベゴウィックを隔てる壁を築いた。土や石の欠片がバラバラと降り注ぎ、ガルデは目を守るために腕で顔を庇った。

 角が鋭く尖った石がいくつも浮かび上がり、凶悪な先端をガルデに向けて空中で静止する。

「これは……ゼルの〈サトゥルヌス〉!」

 振り返れば、緊張した面持ちのエブニゼルが、左手をガルデに向けて伸ばしていた。背中に生える〈サトゥルヌス〉の六脚機巧が、大きく広がっている。右手は、グローバーたちを捕らえた土と鉄の塊にかざしたままだ。エブニゼルは土塊の固定化を継続しつつ、地面を隆起させて壁を作り、なお且つ石を武器にしてガルデに狙いを定めているのだ。同時に二つ以上の細胞装置コマンドを実行するなど、マキニアンとしても並の技術ではない。

〈サトゥルヌス〉の真価の片鱗に気を取られたせいで、ガルデは接近するベゴウィックの気配の察知に遅れをとってしまった。気がついたときには背後に回られ、三節棍で首を締めつけられていた。

 首が圧迫される苦痛とともに、身体全体に異常な重みを感じる。〈ベヒーモス〉の加重力が発動しているのだ。ガルデは拘束から逃れようと足掻くが、動けば動くほど苦しみは増すばかりだった。

 ベゴウィックが耳元で苛虐的に笑う。

「さて猫ちゃん、さんざん殴ってくれてありがとよ。俺ばかりもらってちゃフェアじゃねえよな。たっぷりオマケつけて返してやるぜ」

〈ベヒーモス〉の三節棍が、ガルデの喉に食い込む。

「あ………ぐッ…………!」

 本能的に呼吸しようにも、締め上げられているせいで充分に口を開けられず、逆に肺の空気が漏れ出ていく。ベゴウィックの腕に爪刃を突き立てたが、金属化している状態では何の効果もなかった。

〈ベヒーモス〉の加重力は執拗にガルデを潰しにかかる。凄まじいGは大地をも抉り、ガルデを沈めようと穴を穿つ。ベゴウィックがやかましくせせら嗤った。

「どうしたニャン公。さすがにちょこまか動けねえだろ。ったく、手こずらせンじゃねえっつーの」

ひときわ強烈な圧力が、ガルデの胴体を押しひさいだ。あばらの折れる厭な音と感覚がして、脇腹に激痛が走る。痛みに耐えきれず、反射的に叫び声を上げた。

〈マンティコア〉のスペックなら骨折もたちどころに修復するのだが、これだけの重力をかけられている今の状況では、回復が追いつかない。

 ガルデにのしかかる重力が更に増し、脇腹への痛みが容赦なく重なる。

「ぐああッ……!」

 これ以上悲鳴など上げてやるものかと歯をくいしばっていたガルデだが、意識の限界が近づいていた。視界が徐々にくらくなっていき、周りの音も次第に遠のく。

 そのとき、どこからか獣の咆哮が聞こえてきた。獰猛なたけりとも悲痛な叫びともつかないその声は、薄れゆくガルデの耳にも届いた。

 いまだかつて聞いたことのない声だが、誰が吼えているのかはすぐにわかった。


(オツベル……、君なのか?)


「なんだ?」

 オツベルの咆哮に対し、ベゴウィックが訝しげに呟く。

 身体が半分以上地面にめり込み、身動きひとつとれないガルデには、何が起こっているのか見えない。聞こえてくる音から、オツベルが拘束から逃れようとしているらしいことは察せられる。


(だめだ……。オツベルが他のメメントと違うことが知られたら……)


 土と鉄の檻から抜け出せたら、どうか一人で逃げてくれ。誰のことも助けようとしなくていいから、〈VERITE〉には捕まらないでくれ。

 残る力を振り絞って加重力に抗いながら、ガルデは願った。しかしーー、


「ソノ人ヲ……傷ツケ……ナイデ……クダサイ! ヒ、酷イ……コトヲ、シナイデ、……クダサイ!」


 切なる祈りは届かず、老若男女が混ざったような頼りなさげな声が空気を震わせる。

 すると、ガルデのすぐそばで、小さな機械のノイズ音が発せられた。


『ちょっと! 今あのメメント喋った!?』


 驚愕と興奮が合わさった、テンションの高い女の声だ。ガルデも聞き覚えのある、そして今もっとも避けたかった人物の声だった。

 クロエ・シュナイデル。元〈イーデル〉の科学者であり、マキニアンの生みの親アンドリュー・シャラマンの助手だった女だ。シュナイデルが〈VERITE〉に与していることは把握していたが、この場を通信機で監視モニタリングしている可能性は考慮していなかった。

 オツベルが彼女の手に落ちてしまったら、想像するだに恐ろしい実験の犠牲になってしまう。

『〈融合者〉の娘がいないなら、代わりにそいつ連れて帰れ! 喋るメメントなんて面白そうな材料、逃せるかってのよ!』

 予想通りの反応だ。ガルデは残る体力を総動員して〈ベヒーモス〉の重力に逆らい、震える腕を伸ばした。

「オツベル……逃げるんだ! 早く、どこか……遠くへ!」

 オツベルがどうしているのか姿を見ようと、懸命に首を持ち上げた。しかし霞む視界は土しか映さず、耳に入る音が余計に不安を募らせるだけだった。

「オツベル!早く……逃げ……」

「うるせえ、ニャン公は寝てろ」

 ベゴウィックに無情な言葉を落とされた刹那、強烈な一撃が後頭部を襲う。ガルデの全身から力が抜け、意識は遠く闇の中に埋没していった。


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