TRACK-5 錯綜 3
「この間抜け」
報告を受けたベゴウィックは開口一番、短くも鋭利な罵声をエブニゼルに吐いた。
エブニゼルはソファの端に、身を縮めるようにして座っており、落ち着きなく両手をこすり合わせている。俯いたまま蚊の鳴くような声で「すまない」と返され、ベゴウィックの堪忍袋の緒は切れかけた。
「謝ってんじゃねえよ。下げる頭があンなら、全員ブッ殺してでも〈融合者〉の小娘連れて来い」
「ベゴウィック、でも……」
何か弁解したいことがあるらしい。エブニゼルがおそるおそる顔を上げた。子どものように眉を曲げるその表情は、ベゴウィックの怒りに油を注ぐ。
「でももへったくれもねえよこのウジ虫野郎! いつもそうだよな、テメェはよ! いいところまで来てンのに、最後の最後でしくじりやがる。詰めが甘いって何度言わせりゃ気が済むんだ!」
大股で近づき、エブニゼルの胸倉を掴んで、強引に立ち上がらせる。逃げるでも抵抗するでもなく、ただ目を背けて耐えるエブニゼルの顔に、ベゴウィックは苛立ちを募らせた。
怒りにまかせて部屋を荒らし、潰そうと思えば容易に実行できる。場所が違えばそうしただろうが、あいにくこの部屋は船室だ。下手に破壊すれば船を沈没させてしまう。
この船は、アトランヴィル・シティでの活動の拠点である。第八区と第九区の中間にある港に、貨物船を装って停泊させているのだ。
ベゴウィックにしてみれば、船一艘ごとき失ったとしても、痛くも痒くもない。しかしながら船は組織の所有物であり、大勢のクルーが乗船している。船そのものに関しては責任を問われないだろうが、クルーを巻き添えにすると、副官であるジークヴェルヌがうるさい。
さらに言えば、ジークの上にいる人物もだ。ベゴウィックにとっては、ジークよりもそちらの人物の反応が気になる。感情に流されて、クルーを無為に犠牲にすれば、秩序を重んじる彼によって、ベゴウィック自身が粛清されるだろう。
そこまで短慮ではない。
「くそったれ!」
ベゴウィックは舌打ちし、エブニゼルを突き飛ばした。バランスを崩したエブニゼルが、ソファに倒れる。ゆっくり起き上がるも、目は伏せたままだった。
ふいに場違いな指笛が、船室内に響き渡る。そのあとに乾いた拍手の音と、やけに明るい女の声が続いた。
「いいぞー、そのまま押し倒せー、ヤッちまえー」
ベゴウィックは半眼になって、声の主を振り返る。室内で一番座り心地のいいシングルソファを陣取った隻眼の女科学者、クロエ・シュナイデルだ。
シュナイデルは黄水晶色の左目を猫のように細め、再度高らかに指笛を鳴らした。
「ほら、さっさと服ひん剥いちゃえ。凌辱プレイ、どどーん」
「どどーんじゃねえよバカ女。なにが凌辱プレイだ、欲求溜まってAV見過ぎてんだろこのタコ」
唾を飛ばす勢いで罵るも、シュナイデルは面白がるような不遜な笑みを消さない。
「おあいにくさま。あたしはお相手に困ってないのよ脳筋ちゃん」
口に手を当て、芝居じみた哄笑を上げるシュナイデル。開けばろくでもない言葉しか出てこないその口を、殴り飛ばしてやれたらどれだけ気分が晴れるだろうか。
シュナイデルの無節操さは、頓に知られている。見た目が気に入れば、男女問わず部屋に引き込むのだ。〈VERITE〉内でも、数多くのクルーが、彼女に喰われていると聞いている。
ベゴウィックも、好みの女性を見つけたら一晩だけ過ごすくらい日常茶飯事だが、シュナイデルほどではない。
「ガテン系とガリガリ男の組み合わせって、結構盛り上がんのよね。生で見せてくれたら、なんかいいお肉食べに連れてってやるわよ」
「ふざけんなババア、俺は抱くなら女だけで十分だし、テメエなんぞに見せるつもりもねェよ。ついでに言うと、もしそっちの気があったとしても、こんなタンスの抽斗に収まりそうなガリヒョロ野郎はお呼びじゃねえ」
ベゴウィックがエブニゼルに指を突きつけると、彼は困惑気味に表情を歪め、
「オレだって嫌だ……」
か細いながらも的確に答えた。当然だ。
「あのな、テメエとくだらねえ話をしてる暇はねェんだよ。ちょっと黙ってろ」
ベゴウィックはエブニゼルを差していた指をシュナイデルに向け、歯を剥き出して睨む。しかし、いかな恐相にも彼女は怯まない。
「あんたこそ黙って落ち着きなさいよ。たしかにゼルはしくじったけど、情報を持ち帰ってくれた、と考えることもできる」
「はあ?」
この女は、また何を言いだすのか。
ベゴウィックが怪訝な表情をすると、シュナイデルはチェシャ猫めいた笑みを浮かべた。
先ほどエブニゼルから聞いた概況は、こうだ。
新たに現れた〈融合者〉を確保するため、対象の少女が住むアパートに向かった。少女は確保したものの、直後に邪魔が入る。ラグナ・ラルス――エヴァンの相棒の男だ。
その男の妨害と少女の抵抗により、一度少女を手離してしまったエブニゼルは、不本意ながらも実力行使に出ようとした。
そのとき、巨体のメメントが出現。その体躯に不釣り合いなスピードで突進してくるや、エブニゼルをやすやすと投げ飛ばしたのだという。
そこへさらに駆けつけたのが、ベゴウィックやエブニゼルと同じ〈処刑人〉だったマキニアン三人である。
ドミニク・マーロウ。ガルディナーズ=ミュチャイトレル=ヌルザーン。そしてラグナだ。
多勢に無勢と判断したエブニゼルは撤退。〈融合者〉の確保は失敗に終わった。
ドミニク・マーロウがラグナの近辺にいるという情報は、以前からあった。ガルデの存在は予想外ではあるが、想定範囲内だ。ガルデは現在、軍部機関ACUに所属している。〈VERITE〉と敵対する立ち位置にある以上、いずれはどこかで邂逅しただろう。
今のラグナは、エヴァン・ファブレルというポンコツ人格のままなので、頭数に入れる必要はない。
となれば、危険分子は二人。トップクラスの攻撃力を誇るドミニクの〈ケルベロス〉。風の具象装置を有するガルデの〈マンティコア〉。
同時にこの二人を相手するのは、確かに分が悪いだろう。
だが。
ベゴウィックは、所在なさげに肩を落とすエブニゼルを睥睨する。
(こいつなら、それができたはずだ)
エブニゼル・ルドンなら、マキニアン三人を倒せる可能性があった。
にも関わらず、戦わずに退却したのだ。おそらく、かつての仲間を前にして、気後れしたのだろう。この男はいつもそうだ。
ベゴウィックには、腹立たしい以外の何ものでもなかった。
聞きたくもない報告だったが、シュナイデルにとってはそうではなかったようだ。不穏な笑みのまま、女帝のごとくソファの背もたれにふんぞり返っている。
「頭働かせなさいよ脳筋男。そのメメントは、なぜゼルを狙ったの? 他にも人間はいたのに。ゼルだけを的確に狙った。さあ、なぜ?」
ベゴウィックの背後で、エブニゼルが「あ……」と声を漏らした。その反応に気を良くしたのか、シュナイデルがパキンと指を鳴らす。
「リカ・タルヴィティエは〈融合者〉よ。〈融合者〉はメメントを操れる。今までその能力を自由に発揮できたのは、〈アダム〉とシェドだけだった。リカのパルスは、ラグナやシェドと比較してもずいぶん弱い。なのに、シェドと同じ能力が使える。これって興味深いと思わない?」
「そのリカって小娘が、メメントを操作して自分を守らせたっつーのかよ」
「そう考えるのが自然」
シュナイデルは頷き、勢いよくソファから立ち上がった。
「てなわけで、もう一度リカちゃんをゲットしに行きなさい。今度はあんたたち二人でね」
*
雨の気配は失せ、空気にわずかな湿気が残る、午後四時半頃。
イーストバレーを貫くネルスン運河に架かるエルマン・ブリッジを、レジーニのスポーツカーが渡る。
エルマン・ブリッジは、全長約一九○○メートルを誇る、第九区屈指のランドマークだ。サウンドベルとイーストバレー、北のホーンフィールドと東のグリーンベイに繋がる主要道路を結びつける、重要な拠点である。
シンプルなデザインながら要塞のごとく頑強で、ケーブルとケーブルをつなぐ塔は、天を突かんばかりの高さだ。あの塔の頂点から眺める街は、さぞかし壮観だろう。
いつか登ってみたいと、エヴァンは密かな野望を抱いているが、そういう“余計なこと”をすると、どういう経緯があってか知らないが、必ずと言っていいほどレジーニの耳に入るのだ。そして怒られる。
エヴァンとレジーニは今、グリーンベイに向かっている。
オツベルから、メメントについての情報をもっと話してもらいたかったのだが、当の本人が疲労を訴えたため、質問は中断を余儀なくされた。
ガルデはACUに、オツベル保護の報告をし損ねていたことを思い出し、大慌てで連絡を入れていた。
ちょうどそのとき、レジーニの携帯端末にメールが届いた。内容を確認したレジーニは、明日の朝に出直す旨をガルデに伝え、エヴァンを伴い墓場屋敷をあとにしたのだった。どこへ行くのかと尋ねれば、相棒は「アンダータウンだ」と答えた。
「さっきの話をどう思う?」
レジーニが、前方から目線を離さないまま訊く。景色に見とれていたエヴァンは、相棒に顔を向ける。
「メメントはお互いの記憶を共有してて、最初に生まれたメメントの記憶も持ってるって話だろ。オツベルがそうだって言うなら、それを信じるしかねえんじゃねえか?」
「それもあるが」
レジーニは軽く肩をすくめた。
「僕が気になるのは、そのあとの話だ。トワイライト・ナイトメアのような特殊なメメントには“役目”があるという」
「堕落種を狩ってモルジットを〈アダム〉に還す……だよな」
「そうだ。その話が事実なのは間違いない。僕とオズモント先生が、この目で見た。シェド=ラザがワーズワース大学に現れた日に」
その名を聞くたびに、エヴァンは寒気を覚える。大抵のことには動じない性分だが、シェド=ラザが関わるならばこの限りではない。
小枝のように痩せ細った白い身体。纏う衣服も白く、波打つ髪も白。すべてが白で構築された少年は、赤紫の瞳だけが、禍々しくも鮮やかに煌めいていた。死と闇を呼び寄せる、魔性の色だ。
エヴァンに対して猟奇的な執着心を持ち、殺し合いを渇望するという狂人だった。思えば、〈アダム〉という言葉を最初に聞いたのは、シェドの口からだったはずだ。
――きみのいのちはぼくのもの。ぼくのいのちはきみのもの。すべてのいのちは〈アダム〉のもの。
――〈アダム〉になるのはひとりだけ。
「トワイライトが大学に出現したときの話はしただろう」
レジーニの問いかけで、エヴァンはシェド=ラザの幻想から離れられた。
「あ、ああ。たしか、雑魚メメントを一掃したあと、分解消滅で発生したモルジットを吸収してたんだよな」
エヴァンの返答に、レジーニが頷く。
「あのときは、あの行動の意味がわからなかったが、オツベルの話を聞いて、推測の余地ができた。トワイライト・ナイトメアはおそらく、メメント……というより、モルジットを種として生まれる生命体の存続のために行動している。これは“剪定”だ。優秀な種を後世に遺すために、劣等な種を摘み取っているんだろう」
「もうちょっと人類にわかる言葉で言ってくんね?」
「失礼、猿にもわかる言葉に変えよう。つまりトワイライト・ナイトメアは、メメント繁栄存続のために行動している、と考えられる」
「なんかムカつく言葉が添えられたような気がするんだけど。それって要するに、メメントが繁殖し続けていけるようにしてるってことか?」
「種族が繁栄していくために、より優秀な遺伝子を優先的に遺そうとするのは、生命体としての本能だ。動物でも植物でも、昆虫でもそれは同じ。メメントはこの世界の一種族として根付こうとしつつあるんだと、僕は考えている」
エヴァンはレジーニの言葉を頭の中で反芻した。
「それってまずいよな」
「まずいどころか。現時点では死骸から生まれているだけだが、これでもし自己繁殖が可能になれば、僕ら〈異法者〉が討伐しても追いつかなくなる。生態系に組み込まれたらおしまいだ」
「じゃ、なんとかして、それを止めなきゃなんねーんじゃねえか!」
急に事態が大きく膨れ上がってきた。
難しいことは考えない主義のエヴァンでも、メメントの出現比率が日々高まってきているように感じている。が、まさかこの世界の種族のひとつになりつつあるとは、考えもしなかった。
レジーニの車が橋を降りた。間もなく行き当たった信号機が、赤だったので停車する。
ハンドルに手を置いたまま、レジーニが横目で一瞥をくれた。
「止めるって、どうやって」
「え? だからその、メメントの、なんつーか、大元をさ」
「メメントの大元を倒せばいいと? それが一体何なのか、お前にわかるのか?」
「わかんねーけど……、でも、それしかないだろ。そういうお前にはわかってんのかよ」
揚げ足をとる気かと、エヴァンはレジーニを薄目で睨む。だが、その程度の視線に怯むような相棒ではない。
「いいや、わからない。僕らはずっと後手後手だ。だから疑問をひとつずつ潰していくしかない。アンダータウンに向かうのもそのためだ。情報を受け取りに行く」
「情報?」
信号が青に変わった。レジーニは車をスタートさせる。
「トワイライト・ナイトメアは、〈パンデミック〉発生地点の同緯度線上の東側で誕生した。だったら同じように、西側でも何か異変が起きていたかもしれない」
「うん」
「それを調べてもらった」
「誰に」
「マックスとディーノさ」
「は!? あいつらに!?」
憎たらしいマックスと、穏やかなディーノの顔が、エヴァンの脳裏をよぎった。
賞金稼ぎのコンビとはしばらく会っていないが、つい昨日顔を合わせたかのように、はっきりと思い浮かべられる。
二月の終わりに、レジーニの過去に関わる事件で出会った二人組だ。小柄で気性が激しいことから〈凶悪チワワ〉と揶揄されるマックスと、見上げるほどの長身に温厚な性格のディーノという、絵に描いたような凸凹コンビである。
レジーニとは旧知の間柄で、マックスからは女性関連で一方的にライバル視されている。そんな二人に、レジーニが頼み事をするとは思わなかった。そしてその頼み事を、マックスとディーノが引き受けたのも意外だ。
人当たりのいいディーノはともかく、マックスはレジーニの助けになるようなことはしたくないのではないだろうか。エヴァンにしてみれば、そんなイメージがあるのだが。
エヴァンが驚いた理由を察したのだろう。レジーニはちょっと笑って、ハンドルを左に切った。
「言いたいことはわかるが、あの二人はプロだ。仕事となれば、きっちりやってくれる。だからこそ、こうして情報を受け取りに行けるんだ」
「そうなんだろうけどよ」
たしかに、アトランヴィル・シティを離れて調査するとなると、誰かに頼まなければならない。賞金稼ぎのマックスとディーノなら、各地を長距離移動することに慣れているだろうから、適任ではあるだろう。
しかし、なんだかおもしろくない。
「お前、そういう大事なことをさあ、なんで俺の知らないとこで勝手に決めるわけ?」
「思い立ってすぐに連絡したからさ。あの二人は、あれでなかなか多忙だ。お前に伺いを立てている間に、期日の長い仕事に取り掛かられては、捕まりにくくなる」
「なんであいつらなんだよ」
「フットワークが軽い、土地勘のない場所での活動に慣れている、自衛手段を持っている、判断能力に長けている。何より“仕事”に関しては僕でも信用できる。これだけ条件が揃う相手、あの二人以外に思いつかなかった」
「そうは言ったって他に」
エヴァンが言いかけたそのとき、レジーニが車を停めた。見慣れた路地裏だ。アンダータウンを訪れる際に、いつも駐車している場所である。
レジーニはエンジンを切り、怪訝そうな顔をエヴァンに向けてきた。
「何がそんなに気に入らないんだ。お前を負かしたマックスを頼ったことか?」
図星だ。
「まあそんなとこ」
正直に頷くと、相棒は呆れたように碧眼をぐるりと回した。無言で車を降り、エヴァンを待たずに歩き出す。エヴァンは慌ててあとに続いた。
「オイコラ待て! なんだよその顔」
「重い」
「は? おもいって何がだ。なあおい、何なんだ? なあ!?」
スーツの背中に張りつく勢いで追いかけるも、レジーニが歩く速度を落とす気配はなかった。
*
すっかり慣れ親しんだアンダータウンだが、一歩踏み入った瞬間に錯覚する“異国感”は、初めて訪れたときと変わらない。
道が、行き交う人々と乗り物で埋め尽くされているのは地上と同じだ。しかし、人々が纏う衣服は外国のもので、交わされる言葉も外国語。漂う空気には、屋台の香油やスパイスの匂いが含まれ、視線を上げれば目も綾な、異国語表記のネオン看板。アトランヴィル・シティとは別世界だ。
すれ違う人とぶつからないように歩くコツも掴めた。顔見知りの串焼き屋台の店主が「貴好!」と声をかけてきたので、エヴァンも手を振り「貴好!」と返す。
「貴何処小炎(どこに行くんだいシャオヤン)」
「太主殿宅至(ローの屋敷だよ)」
「清我向好(よろしく言っといてくれ)」
簡単な挨拶程度なら覚えたので、こんなふうに多少は現地住人とコミュニケーションがとれるようになった。アンダータウンで耳にする言語は十種類以上あるため、すべての人々と、というわけにはいかないが。
それでも、言葉を覚えて歩み寄る姿勢を見せたエヴァンに、アンダータウンの人々は、徐々に懐を開いてくれるようになったのだった。
速足で歩くレジーニの背中を追い、やがて大鳥門に到着した。いつもどおり容姿のそっくりな二人の門番が、いかめしい表情で門を守っている。彼らの母国語で挨拶し、門を通してもらう。朱塗りの屋敷に入ると、アンダータウンの主、ファイ=ローが出迎えてくれた。
「ヤアヤア、シャイナに小炎、よく来たネ。さ、コッチおいで」
中肉中背の体躯に作務衣を着たファイ=ローが、手招きして屋敷の奥へ誘う。
「もう来てるのか?」
先を行くローの背中に、レジーニが声をかけた。ローは振り返らずに答える。
「モチロンよ。あの人はいつも、時間キッカリね」
「誰が来てるって? マックスたちか?」
エヴァンの問いは無視された。どうやら誰かと会うのがここへ来た目的だったようだ。少なくとも、マックスとディーノではないらしい。
広い居間に通されると、レジーニが短く告げる。
「お前はここで待っていろ」
「はあ? なんで」
ここまで連れてきておいて「待て」とは納得がいかない。エヴァンは、一人で居間の奥へ向かおうとする相棒を引き留めた。
「連れて来てといてそりゃねェだろ。俺も行くぞ」
レジーニが碧眼を細め、軽く舌打ちする。
「お前と一緒だと話が脱線する。あとで説明してやるから、ここでおとなしく待ってるんだ」
「お前な、いいかげんに俺のこと」
素人扱いするな、と続けようとしたとき、ローに腕を引かれた。
「マアマア小炎、ココはシャイナにまかせときな。水入らずで話したいコトもあるのヨ」
「水入らずって何。俺を差し置いてまで会いたい相手なのか? 誰だそいつは、ちゃんと俺を紹介しろよ、『僕の相棒です』って!」
「彼氏持ちの娘がいる父親みたいなコト言うんじゃナイよ小炎。ホラ、こっちおいで、花茶と月餅あるカラ」
連れていけと散々せがんだものの、レジーニは完全に無視してどこかに行ってしまった。結局置いて行かれたエヴァンは、月餅をむさぼり、つれない相棒への不満をローにぶつけるのだった。
*
うるさい相棒と離れられて、レジーニは肩が軽くなった気分だった。正直で素直なのはエヴァンの長所だが、その性格には振り回されっぱなしだ。
ほどよく距離を開けてくれればいいのに、こちらのパーソナルスペースなどお構いなしに踏み込んでくるので、間合いを取れない。それで拳が出てしまうのは、致し方ないというものだ。
とはいえ。
いっそ清々しいまでの厚かましさに救われたのは事実である。
エヴァンがああだからこそ、レジーニは“復讐”という闇から抜け出せたのだ。認めるのは癪だし、本人の前では絶対に言わないが。
屋敷の外廊下をぐるりと回り込み、裏庭に出る。そこは、ローが手塩にかけて育てている盆栽の棚が、庭の端から端までずらりと並び、強い松の香りに満たされていた。
盆栽の棚の前に長身の男が立っており、こちらに背を向けたまま、熱心に盆栽を眺めている。
着古したライダースジャケットとジーンズという、ありふれた格好だ。あのジャケットには覚えがある。久しぶりに見る後ろ姿に、レジーニは知らず口元を綻ばせる。
近づいていく足音に気付いた男が、顔を上げて振り返った。レジーニを見ると柔らかく微笑み、ゆっくりと歩み寄ってくる。
以前は伸ばしっぱなしだった髪は、さっぱりした短髪に整えられていた。無精髭は相変わらずだが、きちんと手入れをしているようだ。昔のような朴念仁然とした風貌ではないものの、穏やかなオリーブグリーンの瞳は出会った当時のままである。
「融資の話なら、よそをあたってくれ。うちは小さなティーカフェなんだ」
男の笑みがいたずらっぽいものに変わる。軽口を受けたレジーニもまた、気取った風に肩をすくめてみせる。
「僕が貸付業務に人生をかけるなら、もっとリーズナブルなブランドのスーツを着て来るね。FABIANを着た銀行家を信用できるなら話は別だが」
「たしかに、高級ブランドで固めるような嫌味なバンカーとは、話が合わないだろうな」
男――バージル・キルチャーズは眩しげに目を細めると、大きな右手をレジーニに差し出した。
※作中に出てくる“中国語っぽい言語”は、“そのよう見えるように”組んだ、あくまでも造語です。




