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TRACK-5 錯綜 2

 ドアノブが回る音が聴こえ、エヴァンとレジーニはそろって振り返る。大きく開かれた扉の前に、ガルデが立っていた。

「お待たせしました」

 ガルデが扉をさらに押し開き、一歩後退すると、巨大な黒い塊がゆっくり姿を現した。

 

 二メートル超えの体躯を黒いローブとフードで覆い、マスクをかぶったメメント――オツベルが、おずおずと応接室に入ってくる。

 

 オツベルを目にした相棒は、どんな反応を示すだろうか。エヴァンは横目でレジーニを窺った。相棒は、表情こそ変えないものの、薄く唇を開けていた。何かを言いかけて、思い直したのか、その唇を閉じる。さすがのレジーニも、服を着たメメントには、驚かざるを得なかったようだ。

 すっかり落ち着いた様子のオツベルは、手袋をはめた両手を握り合わせた。さきほどの暴走ぶりを恥じ入っているかのように、巨体をゆらゆら揺らしている。

 初対面のレジーニが気になるらしい。マスクのゴーグルをレジーニに向けたかと思えば、さっと顔を背ける。そしてまた見る、という動作を数回繰り返している。

「オツベルって雌だっつったよな。ひょっとして面食い?」

 小声でガルデに聞いてみる。ガルデは苦笑して首を振った。

「いえ、単純に人見知りしてるんですよ」

 それからガルデは、レジーニにオツベルを紹介した。

 レジーニの眼差しが、オツベルに対する驚きから興味に変わる。眼鏡の奥の碧眼でオツベルをしげしげ見つめ、ガルデになにやら質問した。ガルデがそれに答えると、レジーニは改めてオツベルを見上げた。

「いじめるなよ」

 エヴァンが念を押すと、相棒は鬱陶しそうに一瞥をくれた。


「君は言葉を話すとか。僕はメメントとそれなりに長く関わってきたが、咆哮以外でメメントの声を聞いたことがない。どうやって習得した?」

「ア……ア、オ、ワ……」

 質問を受けたオツベルは、狼狽し、くぐもった声を漏らす。顔を伏せ、自分より体格の小さなガルデの背中に、隠れるように移動した。

 明らかに怖がられているのだが、レジーニはお構いなしだ。

「今のが“声”か? 会話もできるんだろう? ここにいる三人の顔の区別は」

「うおーーーいストップストップ! いじめんなっつっただろ!」

 今にもオツベルに詰め寄りそうな勢いの相棒を、エヴァンは慌てて止めた。横槍を入れられたレジーニが、生ゴミにたかる小虫を見るように睨んでくる。

「いじめてない、質問しているだけだ」

「ビビらせてどうすんだよ。隠れちまってんじゃねーか」

「普通に話しかけているだろう」

「威圧的に聞こえたぞ」

「それはお前の思い込みだ。僕は優しく尋ねようと心掛けている」

「全然優しくないでーす」

 レジーニが片眉を吊り上げて舌打ちした。コンビの間に険悪な空気が流れ出す寸前、ガルデが割って入ってくれたおかげで、その場は治まった。

「すみません、もともとオツベルは会話が得意ではないんです。それに人見知りなので、あまり押しが強いと萎縮してしまいます」

「それは察するが、こちらも訊きたいことが山のようにあってね」

「できれば最初は砂山程度にしてほしいんですけど」

「長い間誰も解き明かせなかったメメントという存在の正体が、メメント本人から聞けるかもしれないというのに、そのチャンスを逃せと言うのか」

 レジーニが一歩も退かないので、ガルデは助けを求めるようにエヴァンを見た。

 エヴァンは、まかせろと頷き返す。

「なあレジーニ」

「黙れ」

 相棒は指一本立てて、エヴァンの抗議を無効にした。知るべきことを知るまで、質疑応答を中断するつもりはない、という断固たる姿勢だ。

 こうなってはエヴァンにも止められない。目線でガルデに「悪い、あきらめろ」と伝えると、ガルデもまた、あきらめてため息をついた。

「わかりました。では、オツベルがあなたに慣れるまで、まずは俺からお話しします」


 ガルデはレジーニに、先にエヴァンやドミニクたちに話した内容を、繰り返し説明した。

 ACUがオツベルを保護していることと、モルジット変異体の三種――優良種スペリオル劣等種インフェリオル堕落種インファクターについてである。

 オツベルが人語を解する理由だが、オツベル本人によると、いつの間にか理解し話せるようになっていたのだという。

 ACUでの研究では、オツベルの肉体内部の構造は、人間と大差ないことが判明しているそうだ。それならば、人間の言葉を話せるようになったとしても不思議はないだろう、とエヴァンは思うのだが、相棒はまだ疑問が残るようで、完全に納得はしていない様子だ。しかし不承不承ながらも、ひとまず飲み込むことにしたらしい。


「モルジットには三種類の変異系統、そのうちメメントと呼ばれる形態は一種のみか。なるほど、思っていた以上に複雑な生態だ」

 顎に手を当て独りごちたレジーニが、横目でエヴァンを見る。

「お前、今の話、ちゃんと理解してるか?」

「馬鹿にすんなよ。メメントには、倒すべき奴と倒さなくてもよさそうな奴がいるってこったろ」

 要約するとそういうことでいいはずだ、とエヴァンは解釈している。

「訊いた僕が馬鹿だった」

 なぜか相棒の眉間のシワが深くなった。

「そろそろいいかな?」

 レジーニが、ガルデのうしろのオツベルを手で示す。ガルデが振り返ると、オツベルは大きな両手の指を突き合わせ、上半身を前後に揺らした。

 次にガルデはエヴァンを見やり、軽く頷く。レジーニの質問を受け付ける覚悟が、オツベルにできたようだ。

「いいかレジーニ。さっきみたいなマシンガン質問は駄目だからな」

「お前に言われなくてもわかっている」

 レジーニは鬱陶しそうに目をぐるりと回すと、改めてオツベルと向き合った。オツベルは、ガルデの背後から離れ、少しだけエヴァンとレジーニの方に近寄ってきた。


「オツベル、さっきは悪かったよ。もう一度、仕切り直させてほしい」

 相棒が素直に、非を認める言葉を口にするのは珍しい。からかってやりたくなったエヴァンだが、賢明にもその衝動を抑えた。


「率直に訊く。メメントはなぜこの世界に存在する? 君たちは、どこから来たんだ?」


 質問されてから一分近く、オツベルは無言だった。オツベルが黙っている間、レジーニは辛抱強く待っていた。

 やがてオツベルのマスクから、空気の漏れるような音が聴こえ、続いて、老若男女どれともつかない声が発せられた。


「初メハ……暗イノデス。何モ、キ、キ、聴コエマセン。何モ、感ジ……マセン。タダ、漂ッテイマス……。ワタクシタチハ、ミンナ、ソ、ソノヨウニ……始マリマス」


 オツベルは、これまで以上にゆっくりと言葉を綴る。自身が認識している事柄を、どう説明すれば理解してもらえるか、考えながら話そうとしているのだろう。

 オツベルの声を聞いた瞬間、レジーニの顔に驚きの色が浮かんだことに、エヴァンは気づいていた。傍目には、普段どおりの冷静さを保っているようにしか見えないだろうが、目尻や口元のわずかな動きに感情が現れている。人語を喋るメメントの存在は、レジナルド・アンセルムを驚愕させるのに、充分な威力を発揮した。


「ソ、ソノウチ、……声ノヨウナ音ガ、聴コエテキマス。ワタクシタチは、ソ、ソ、ソノ“声”ノスル方ヘ、近ヅイテイキマス。スルト……光ガ見エテ、キマス。ソシテ、光ノ中ニ、入ッテイキマス……」


 オツベルが言葉に詰まると、寄り添うガルデが、そっと腕に手を載せた。励ますように頷くガルデを見下ろしたオツベルは、またゆっくりと語り出す。

「ヒ、光ニ入リマスト、何カノ形ガ、頭ノ中ニ、……浮カンデキマス。ワ、ワタクシタチハ、ミンナ、ソレ・・ニナルノデス……」

「頭に浮かんできた“それ”になる?」

 レジーニが反芻すると、オツベルは鷹揚に頷いた。

「ソウデス……ミンナ、頭ニ形ガ、浮カンダラ、……自分ハ、ソレニナルノダ・・・・・・・ト、ワカルノデス。ミンナソウデス……、ズット、ソウデス」

 

 オツベルの言葉は丁寧だが表現が曖昧で、エヴァンはすぐには理解できなかった。

「どういう意味だ?」

 レジーニとガルデを順に見やる。レジーニは思案顔で目線を伏せていた。何か閃いたのか、その目を見開いてオツベルを見上げた。

「〈影響変異アフェクト・ミューティ〉のことか。君たちは、死骸からの変異の過程を、そういうふうに認識しているんだな?」

 レジーニの言葉に、オツベルがゆっくり頷く。

 メメントは互いに、生体パルスという特殊な信号を送り合っている。生物の死骸に侵蝕したモルジットは、その信号を受信することで変異する。

どのタイプのメメントとなるかは、信号によって差がある。発信源から遠ければ遠いほど、元のメメントの形態から乖離していく。これを〈影響変異アフェクト・ミューティ〉という。

「なんかわかったのか?」

 エヴァンは、碧眼を細め思案するレジーニの顔を覗き込んだ。しかし、考え事に耽るレジーニの視界に、エヴァンの姿は映っていない。両腕を組み、片手を顎に当て、独り言を呟きながら、部屋を徘徊し始めた。

 思考の世界に入り込んだ相棒は放っておくことにしたエヴァンは、自分からも質問してみようと思った。

「なあ、オツベルは何のメメントの信号を受け取って、そうなったんだ? お前は、その、あれだ、要するに、俺たちが戦ってるメメントよりちょっと上なんだよな? てことはさ、オツベルみたいな奴が、他にもいるってことじゃねえか?」

 先に答えたのはガルデだ。

「ACUでもそう考えたんですが、オツベルは単体です。彼女は例外、つまり突然変異なんです」

「ソウデス。ワタクシ以外のワタクシハ……オリマセン。ワ、ワタクシノヨウナ……個体ハ、トキドキ、出テキマス……」

「ときどき出てくる?」

「ソ、ソウデス……。ミ、ミナサンガ……ト……トワイライト、ナイト、メア……ト呼ンデイル個体、モ、ソウデス」

 オツベルの呼吸が少し荒くなり、言葉を紡ぐペースもやや乱れた。大事な話をしているという緊張から、気持ちが昂ぶってきたのかもしれない。

「大丈夫か? キツいんなら言えよ?」

 エヴァンは、手袋を嵌めた大きな手に、自分の手を添えた。丈夫でしなやかな手袋から、ほんのりとぬくもりが伝わってくる。

 生きているのだ。この異形は、生きている。自分たちと同じように。

「オツベル、少し休憩するかい?」

 ガルデも彼女の身を案じて声をかけた。しかしオツベルは、首を縦には振らなかった。

「大丈……夫、デス……。ワ、ワタクシハ、ハ、……話サナケレバ、ナリマセン……。イ、言エルコトハ、……ス、ス、ベテ、オ話シシナケレバ……」

 オツベルは、空いた手をエヴァンの手にそっと載せた。ガスマスクのレンズが、真っ直ぐにエヴァンを見つめる。


「ト、トワ……イライト、ノヨウナ、ト、特別ナ個体……ニハ、役割ガ……アリマス。トワイ……ライトハ、ナリ損ネタ……者タチヲ、還ス・・タメニ、狩リマス。ナリ……損ネタ者、タチハ、全テニ害ヲ、モ、モタラシテ……シマイマス。デ、デスカラ、狩ラナクテハ……イケナイノ、デス」


「なり損ねた、っていうのは、つまり俺たちが戦うメメントのことだよな? “還す”ってどういう意味だ?」

 最後の問いかけは、ガルデに向けたものだ。ガルデは表情を引き締める。

「トワイライト・ナイトメアの存在理由は、堕落種インファクターを狩ること。だから、人間には見向きもしないんです。トワイライトはメメントを狩ると、分解消滅の際に蒸気化したモルジットを回収します。通常なら蒸気化したモルジットは、生体パルスとなって拡散し、新たなメメント発生の種になります。でも、トワイライトが回収したモルジットは、彼の手で還元されるんです」


「還元って、何に」


「全てのメメントの始まり、〈アダム〉に」


 その名を耳にした途端、心臓がどくんと鼓動した。一瞬、誰かの姿が脳裏をよぎる。


〈アダム〉とは何か。エヴァンがガルデに問おうとしたとき、レジーニが戻ってきた。エヴァンとオツベルの間に割って入ったレジーニは、どこか興奮しているような声色で、オツベルに言った。

「さっきの君の話を受けて、僕なりに考えてみた。間違っているなら訂正してくれ」

 オツベルが頷くと、レジーニは一呼吸おいて話を続けた。

「君たちは――メメントは、記憶を共有できる。そうだろう?」

「どういう意味だよ」

 オツベルが答えるより先に、エヴァンの口が開いていた。レジーニがエヴァンの方に顔を向け、人差し指を立てた右手を振る。

「〈影響変異〉の過程を説明したとき、オツベルは“みんなそうだ”と言った。モルジットは生体パルスを受信し、パルスの情報に基づいてメメントに変異する。この生体パルスは、つまりメメントたちの記憶、として考えることができる。だとするならメメントたちは、互いの記憶を共有する、ということになる。もしそうなら、“最初に誕生したメメントの記憶”もあるんじゃないか?」

 レジーニの鋭い眼差しが、オツベルに注がれる。オツベルはもう、その視線から逃げなかった。

「アナタハ……賢イ、ヒトデスネ。ワタクシタチノ、……イ、一番古イ……記憶ハ、トテモ、トテモ……古クテ、遠イ……ノデス」

 オツベルは、エヴァンに触れていた手を離す。


「ワタクシタチハ、……旅ヲ、シテキマシタ……。長イ、長イ、旅デシタ。ナ、ナンノタメノ……旅ナノカ、ダ、誰ニモ……ワカリマセン……ガ、ワタクシタチガ、続イテ……イクタメ、ニハ、……旅ヲ、シナケレバ、ナ、ナリマセン……デシタ」


 マスクから、ひと際大きな息が吐かれた。ため息なのだろうか。

「ワタクシタチハ、イツモ“何カニナル”ノデスガ……、同時ニ……何ニモ、ナレナイ……。ワタクシタチガ、何ニナルノカ……、ソ、ソレヲ、決メルノハ、ワタクシタチデハ……ナイノデス」

 オツベルの説明は抽象的で、内容を汲み取るのに苦労するエヴァンである。しかし、彼女が懸命に話している最中に、それはどういう意味だ、と横槍を入れるほど無神経ではない。

 レジーニも同じ考えのようで、オツベルが話す間は、決して口を挟まなかった。オツベルの言葉が途切れたのを見計らって、短く質問する。

「旅の始まりは、いったいどこなんだい?」

「記憶ガ……途切レテシマウホド……、遠イ、遠イ、暗クテ、眩シイ……トコロデス」

「君たちが何になるのか、決めるのは誰なんだ?」

「誰……、ト、イウモノデハ……アリマセン……」

「もう一度訊く。君たちは、どこから来た?」


 オツベルは答える代わりに、足を踏み出した。大きな歩幅で、ゆっくりと窓に近づいていく。

そして、片手を上げ、窓の外を指差した。

 窓の向こうには、雨上がりの曇った空が広がっている。

 

 オツベルの指は、真っ直ぐに天を示していた。

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