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深淵、その奥へ

(疲れた)

 肉体的精神的に疲労感が押し寄せ、シャラマンは座席の背にもたれかかった。

 

 向かいの席に、二人組の姿はない。シャラマンが話し終えると、マックスは「ミーティングや」と言い、ディーノとともに店の外に出て行ったのだ。協力するかどうか、話し合うためだろう。

 手を借りたいのは本心だ。この先、自分とサイファーだけでは乗り越えるのに困難なこともあるだろう。世慣れていそうなあの二人が、協力してくれるならありがたい。

 だが、関わることで被る危険や損得を考えると、彼らがシャラマンの申し出を受けてくれるとは思えなかった。

 やはり焦りすぎたか。無意識についたため息が、我ながら侘しく聞こえた。

「来るぞ、あいつらは」

 うなだれるシャラマンの背後で、サイファーがそんなことを言った。シャラマンは、凝って重たくなった首を彼の方に傾ける。

「来るって?」

「ついてくるって言ったんだよ。裏稼業者だろ? 深入りする気がなけりゃ、追われる理由を聞いた時点でさっさと逃げたさ」

「でも今、どうするのか話し合っているじゃないか。ひょっとしたら、とっくに姿を消しているかもしれない」

「まだ追っ手がかかる可能性があるのに、次の街まで何十キロあるか知れねえ辺鄙な場所で、徒歩で逃げるものかよ」

「彼らが一緒に来てくれると、どうして君にわかる?」

「勘だ」

「勘って」

「そういうもんなんだよ。いいことをひとつ教えてやる。戦場で撃ち合いになったらな、自分から突っ込んでいった方が生き延びる確率が高くなるんだ。もたもたしてりゃ、敵に二発目を撃たれる。一発目は照準が定まってないが、二発目は外されない。どっちにしろ撃たれるなら、先に突っ込め。これを心得ているかどうかで、生存率が変わることもある。賢い博士殿には難しかったか」

 サイファーはからかうように鼻で笑った。

 マックスとディーノが加勢してくれるかもしれない。その可能性をありがたいと思った直後、シャラマンの腹の中を後悔という虫が這い回った。

「結局、巻き込むことになるのか……」

 もう何度目になるか知れない、陰鬱なため息を吐いた瞬間、上着の襟首を掴まれ、抵抗できないまま強い力で引っ張られた。座席の背もたれに押しつけられる形になったシャラマンの目前に、赤いゴーグルが迫る。

「今みたいな言葉、また言ったら脳天ぶち割るぞ」

 サイファーの目線はシャラマンから少しずれているものの、激情の矛先に狂いはなかった。低く抑えた声色が、彼の怒りを如実に表している。襟首を掴まれている苦しみより、じわじわと肌に滲みこんでくる怒りの方が、シャラマンを震えさせた。


「後悔するくらいなら、軽々しく『協力しろ』なんて口にするんじゃねえ。他人を巻き込むなら、きっちり腹くくってからにしろ。中途半端な心構えで俺も引っ張り出したのなら、今ここで降りる」


 サイファーが一層、顔を近づける。赤いゴーグルの奥で、光を失った目が開いているのが見えた。

「サ、サイファー、苦しい……」

「テメェの覚悟はその程度か。たかだか三人巻き込んだくらいで揺らぐカスかよ。どうなんだ、え?」

「わ、私は……」


 ――災厄を止めるためには、どんなことでもする覚悟がある。


 サイファーに助力を請うたとき、シャラマンは彼にそう表明した。その“覚悟”に心動かされたかどうかはわからないが、彼はこうして同行してくれている。

 さきほどの発言は、サイファーを裏切りかねないものだった。

 シャラマンはサイファーを“利用”している。旅に同行させ、我が身を守ってもらうためだ。そのために、海に落ちたサイファーを助けたのだ。

 サイファーは自身の利用価値を承知の上で、旅の道連れとなった。使われてやるから相応の覚悟を見せろ、と、無言のうちに要求していたのである。


「あの言葉に嘘偽りはない。私は、目的を果たすためにはなんでもする。もう決して、情けないことは言わないと、君に誓おう」

 喘ぎながらも、シャラマンははっきりと述べた。そうとも、泣き言をこぼす余裕などない。

 サイファーは真意を量るように、シャラマンの襟首を掴んだまま、しばし黙り込む。やがてかすかに鼻を鳴らすと、ようやくシャラマンの拘束を解いた。

 シャラマンが衣服の乱れを整えている間に、サイファーは早々に気持ちを切り替えたようだ。

「で、今後はどうするつもりだ? 次のあてはあるのか」

「ああ……。ともかくなんでもいいから、フェイトに深く関わっていたものを調べよう。それで、ダンハウザー総合図書館へ行ってみようと思うんだ」

「図書館だと?」

「そう。大陸全土で出版された、すべての書籍が所蔵される最大級の図書館だよ」

「そんな所に何しに行く気だ」

「フェイトは、『宇宙航海記』というシリーズの児童書を愛読していた。もう四十年以上前に少部数発行された本で、初版のみ五巻完結だ。電子書籍化はされていない。でもダンハウザーなら、必ず各一冊は所蔵しているはず」

「そんなもんが何の役に立つってんだ」

 サイファーは腑に落ちない様子である。無理もないだろう。災厄を止める手がかりが図書館にあるなどと、誰も考えない。

 しかしシャラマンは、『宇宙航海記』にヒントが隠されていると確信している。 


「いいかいサイファー。モルジットが侵蝕した死骸が、生体パルスを受けることでメメントとなる。生体パルスは、様々なメメントたちの変異情報が詰まっているんだよ。つまりメメントの“記憶”なんだ。〈パンデミック〉で発生したフェイトのパルスは大陸全土に広がり、トワイライト・ナイトメアが生まれた。このトワイライトに酷似した特徴のキャラクターが、『宇宙航海記』に登場する。馬の胴体を持ち、鎧を纏った首のない騎士がね」


 シャラマンの言わんとすることを察したのだろう。サイファーの顔つきが変わり、眉間に皺が寄った。

「トワイライトが、フェイトの記憶の影響を受けて誕生した個体なら、〈ヴァノスとアテリアル〉も同様かもしれない。だとしたら、この得体の知れないメメントの正体を解き明かす一文が、私がまだ読んでいない五冊のうちのどこかに記されているはずだ」

『宇宙航海記』は、フェイトにとって大切な本だ。彼が何度も読み返していたことを、シャラマンは知っている。そして主人公の名前を、“弟”に授けたことも。

 それだけ思い入れがあるのなら、可能性はきっとある。

「どこにあるんだ、その図書館ってのは」

「〈政府都〉モン=サントールに」

 シャラマンが答えると、サイファーは、さも愉快だといわんばかりにニヤリと笑うのだった。




 陽はいつの間にかとっぷりと暮れ、シルクのような暗紺の空に、星がちらちらまたたいている。都会の夜空では、これほど多くの星を見ることはできない。状況が違っていれば、優雅に星空観察としゃれ込んでもよかっただろう。

 店外に出たマックスは、見上げた空から相方に視線を落とした。

「あかんわ。話がややこしなってきた。これ以上付き合ってられへん。あいつらの車いただいて、とっとと行こや」

「そんなんしたら、あの人らが困るよ」

 ディーノは心配そうに首を傾げる。

「知るか! 俺らも困るやんけ! 災厄やら滅びるやら、よーわからん組織やら、俺らに関係ないやろ。スケコマシに仕事押しつけられて調べもんしただけやのに、銃持った奴らに追われて、電波系のおっさんと髪モサオに拉致られて、頭おかしいハナシされて、あげく手伝てつどうてくれやと? どないなっとんねん! こんなん俺らの領分超えとるわ。さっさと終わらして帰るで」

 レジーニから仕事を請けたのは、言うなれば特別奉仕だ。しかしシャラマンの話は、事実であれば、大きすぎてさすがに手に負えない。

 マックスとディーノは、十五歳の頃から過酷な裏社会で生きている。幾たびも危険な場面に遭遇し、今度こそ命を落とすかもしれないと覚悟しながら、それでも死線をくぐり抜けてきた。おかげで今は、多少のことでは動じないくらい、肝が据わっている。

 だからこそ、シャラマンの語った内容がどれだけ異常か理解できるし、関われば十中八九ろくなことにならないと断言できる。

「でもな、マックス。俺はシャラマンさん、嘘言うてないと思う」

 ディーノが店を振り返った。

「あの人たぶん、拳銃すら握ったことないんやろな。そんな人が、モサオさんみたいな人連れて、わけわからん組織相手に孤軍奮闘しとる。必死なんやね、災厄をどうにかしとうて。というより、むしろ相方君のためやろな」

 相方君とは、レジーニの相棒エヴァン・ファブレルのことだ。シャラマンはエヴァンを養子にするつもりだったと言った。縁組は叶わなかったそうだが、彼の中では今もエヴァンは“息子”なのだろう。

 自衛手段を持たない科学者が、危険を冒してまで大陸中を駆け回っている。たった一人の“我が子”を助けるために。


 シャラマンのそんな姿は、マックスにある人を思い出させた。子どもの頃、故郷の街で出会った男性だ。

 母親に顧みられず、同居人の男に毎日暴力を受けていたマックスにとって、その男性は唯一優しくしてくれる大人だった。この人が本当の親だったらと、何度願ったか知れない。

 今でも、どこか寂しそうに笑う彼の顔が、ふと脳裏を過ぎることがある。そんなとき、懐かしく思うと同時に、こみ上げてくるのは後悔だった。

 湧き出てきた感情を抑えようと、マックスはかぶりを振る。


「あかんあかん。同情なんぞ安売りして、割食うのは嫌や。だいたいな、こっから先は誰に報酬請求すんねん。あのおっさん、そんな貯めこんどるように思えんし、モサオなんぞどう見たって金持っとらんやろ。タダ働きなんぞせえへんからな、俺は」

「誰かが金出してくれたらええの?」

「そういう意味とちゃうわ! なんやお前、おっさんに肩入れしとんのか? 協力したろーとか言うんやないやろな?」

 ディーノの性格の良さは子どもの頃から変わらないが、同情したからといって、安易に関わっていいことではない。だが、すでにディーノがシャラマンに協力する腹積もりなのは、目つきでわかる。

「なあマックス、俺ら、もう充分巻き込まれとると思わへん? ここであの人らと別れても、〈VERITE〉とかいう連中が見逃してくれるとは考えられへんよ。そんならいっそ、真実を突き止めた方がええんとちゃうかな。なんもわからんまま追いかけられるよりマシやん」

 ディーノの意見がもっともだったので、マックスは反論できずに言葉を飲み込んだ。普段はマックスの意向に文句ひとつ言わず従う相方だが、たまに頑として我を通そうとする。マックスが間違っているとき、本心を偽ろうとしているときに、相方は我を通すことでマックスの道を正そうとするのだ。

 そうして今またマックスに、目を背けようとしているものとちゃんと向き合え、と促していた。 

 マックスは腕組みし、ディーノを睨み上げた。幼なじみという存在は、お互いを知りすぎていて、ときどき妙に鬱陶しく苛立たしくなる。

 マックスが最終的に出す結論を、ディーノははじめからわかっているのだ。

「ディーノ、俺らは賞金稼ぎや。プロの裏稼業者や」

「うん」

「タダ働きは裏稼業の恥や。俺は認めん」

「うん」

「賞金首を狩るんやないっちゅーなら、これはスケコマシのと同じ、オフ・・の仕事や。ポケットマネーで報酬払ってもらう」

「そやね」

 誰に報酬を出させるか決まった。

「あのアホンダラのクソボケカス猿が重要っちゅーんやったら、あいつから思いっきりふんだくったる!!」


        *


 翌日の午後二時。

 マックスとディーノは、とある湖畔の街に足を踏み入れていた。三三五号線のドライブインから、十九時間後のことである。

 湖畔の街アンフォーニアは、その名のとおり、アンフォール湖のほとりに築かれた街だ。大陸東エリアの西、ジェルゴ・シティから約百五十キロ離れた場所にある、自然豊かな景勝地である。

リゾート地としても有名で、シーズンは夏と秋。湖を活用したアクティビティや釣り、周辺の山や高原の観光が盛んだ。

 

 最終シーズン真っ盛りのアンフォーニアは、街中に観光客が溢れていた。人の波をかきわけ、マックスとディーノは、湖のそばに建つ数あるカフェの一軒を訪れた。

 店の中へは、マックス一人で入った。ディーノは入り口付近で待機だ。

 執事のような優雅な立ち振る舞いのウェイターが、さっと近づいてきた。マックスが、待ち合わせている人がいることを告げると、ウェイターは頷き、テラス席に案内した。

 アンフォール湖を一望できるテラス席では、二組のカップルと四人の家族連れが、食事や景色を楽しんでいた。

 そんな中、テラスの端のテーブルに一人で座り、コーヒーを供にして湖を眺めている男性がいた。

 マックスは、案内してくれたウェイターに軽く礼を述べ、その男のもとへ歩いていく。

「こういう所には、可愛い女の子と来たいもんやけどなあ。男二人で待ち合わせるとことちゃうで」

 挨拶もせずに男の反対側の席に座る。先客の男は、顔を湖からマックスに向けて微笑んだ。

 切りっ放しのように不揃いな茶色の髪と無精髭。鍛えた肉体にライダースジャケットとジーンズを纏う容姿は、一見すると近寄りがたい。しかし表情は穏やかで、落ち着いた内面が瞳に滲み出ている。

「あんたもあいつに甘いな。アンフォーニアくんだりまでわざわざ出向くやなんて。しかも、別にあんたが首突っ込まんでもええことやのに。ガキの使いやで」

「昔のよしみだ。このくらいどうということはない」

 男は肩をすくめてみせた。

「君だって人のことは言えないだろう? なんだかんだ引き受けたじゃないか。しかも達成している」

「スケコマシは人遣いが荒いねん。失敗して嫌味言われんのも癪やしな」

 言いながらマックスは、コートの内ポケットから一通の封筒を取り出し、男に差し出した。男は何の説明も求めず、黙ってそれを受け取り、ライダースジャケットのポケットにしまう。

「いまどき書面で報告やなんて、すいぶん手間のかかる手段選んだもんやな」

「電子メールでは誤送信やハッキングの恐れがあるからね。それに君の言うように、いまどきやらない手段だからこそ、より安全に情報を運べると考えたんだろう。だから、自分が信用できると思った相手にしか頼まなかったんだ」

 男が席を立った。封筒の受け渡しが済んだら、すみやかに移動する手筈である。

「君たちの役目はこれで終わりなんだろう? もう自分たちの仕事に戻るのか」

「それがな、ちょっと野暮用が増えてん。この仕事の続きや。深みに嵌まってもうた。ま、そのへんの事情も一緒に書いとる。書いたのはディーノやけども」

「わかった。あとはまかせてくれ。気をつけるんだぞ」

 男はひとつ頷き、大きな手でマックスの肩を叩くと、店を出て行った。

 マックスは男の背中を見送り、不思議そうに呟く。

「あんな人格者に教えられとんのに、性根がねじ曲がっとるスケコマシは、筋金入りのひねくれもんやな」

 湖からひんやりした風が吹きつける。マックスも立ち上がると、ウェイターにチップを渡してカフェを出た。

 待機していたディーノとともに駅に向かう。特急列車エクスプレスに乗り、シャラマンとサイファーが先行している、〈政府都〉モン=サントールを目指して。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 外伝を全部読んでいたので、懐かしい方にニヨニヨしました笑。作中で名前は出てこなかったですが、誰だかはわかりましたよ笑。 前作キャラクターがいくつかのチームになって、クモの巣の真ん中に向かう…
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