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TRACK-1 光、あるいは影 3

 午後七時十二分頃、アトランヴィル・シティ第二区消防隊第101分隊に通報があった。

 ルート337のチャージステーションで火災発生、というものである。101分隊はただちに出動し、現場に急行した。

 通報のとおり、ルート337沿いにあるステーションから、激しい火の手が上がっており、夜の荒野を乱暴に照らし出していた。荒々しい炎とともに、煙が濛々と立ち昇っている。

 出火場所は充電場ピットだ。燃焼範囲は広かったが、併設のカフェ兼コンビニエンスストアの方への延焼がなかったのは幸いだった。迅速な消火活動により、炎はその勢力を失い、まもなく沈黙した。

 完全に消火されたことを確認し、出火原因の調査を始めた時である。北西、つまりアトランヴィルとは逆のジェルゴ・シティ方面から、一台のバイクが走ってきた。

 近づいてくるエンジン音に気づいた101分隊隊長は、道路の方に顔を向ける。彼が見守る中、夜の道から颯爽と現れたその車体は、流線型の美しいスタイリッシュなスポーツバイクだった。

 バイクはゆっくりとチャージステーションに近づき、消防車両の側で停車した。

 乗っていたフルフェイスヘルメットのバイカーは、さっとバイクを降りると、迷いのない足取りで分隊長のもとへ歩いていく。

 歩きながらバイカーは、ジャケットの立て襟スタンドカラーに右手を当てた。すると頭を覆っていたフルフェイスヘルメットが、一瞬にして消え失せた。

 正確には消え失せたのではなく、襟の中に収納されたのだ。バイカーが着用しているのは、メットカムジャケットなのである。

 伸縮可能の特殊な素材が、襟の内部に仕込まれてあり、スイッチひとつでフルフェイスヘルメットとして出現し、頭部を覆うという代物だ。プロのバイクレーサーが愛用しているジャケットで、高額なため一般的にはあまり見かけない。が、一部のディープなバイクマニアは、持っているだけでステータスになるという理由から、高い金を出してでも手に入れたいと思う者が多い。

 消防隊が作業用に設置した照明の下に、バイカーの素顔が晒される。

 若い男だった。歳は二十代前半くらいだろう。ゆるくうねる髪は、光の当たり具合で金色にも見える茶色。瞳は、朝焼けの空を思わせる東雲色サンライズイエローだ。その目と太い眉毛が、彼の精悍さを引き立てている。

 彼を見た分隊長は、この大陸の人間のものではない血を引いているようだ、と思った。若きバイカーのくっきりと整った顔立ちは、この大陸の人種とやや特徴が異なり、南方の大陸人に近いと感じたからだ。

「ご苦労様です。火事ですか?」

 バイカーの青年は、溌剌とした口調で分隊長に尋ねた。

「ああ。だが、もう安全だ」

 分隊長が答える間に、バイカーは現場をぐるりと見渡した。

「被害はこれだけですか? 怪我人は?」

 慣れた口調で、バイカーは更に質問を重ねる。 

「燃えたのは充電場だけだ。怪我人はいない。なにしろここに人なんているはずがないからな」

 分隊長が簡潔に説明すると、バイカーは立派な眉毛の片方を、くい、と上げた。

「と言うと?」

「このステーションは営業を辞めて久しいんだ。もちろん、あっちにあるカフェやコンビニも閉店している」

 するとバイカーは思案顔になり、顎に右手を当てて視線を落とした。

「無人のチャージステーションで火災。では、放火ということですか」

 分隊長は首を振る。

「その可能性はあるが、まだ断定は出来んよ。今、調査中だ」

「放火と断定出来ない、ということは、自然発火? そうか、漏電の可能性もありますね。ここの電力供給は、止められていなかったのですね」

 バイカーのはきはきした物言いに、分隊長はつられて頷いた。

「なるほど。しかし、この道はあまり車両が通らないようです。そんな道路にある、閉店したステーションで火災が発生。人為的なものを感じすにはいられませんね。何者かが立ち寄り、火を放ったか。あるいは、ここを溜まり場にしていたどこかの集団によるいたずらか……」

 バイカーの青年は、顎に右手を添えたまま、ぶつぶつと独り言を呟き出した。

 その様子を見て、分隊長は小さくため息をつく。サスペンス映画の主人公や、推理小説に登場する探偵を気取って、こんな風に勝手に想像を膨らませては持論を展開する野次馬を、これまで数え切れないほど見てきた。突然現れたこのバイカーも、それと同じタイプなのだろう。

 このままでは現場にも踏み込んで行きかねない。バイカーの迂闊な行動で、物証が台無しになるのは避けたいし、隊員たちの仕事の邪魔になる。早々にお引き取り願わねばならない。

 分隊長は、わざとらしく咳払いした。

「あー、君、そういう話は」

「カフェの方はどうです? コンビニは? 近日に人がいたような形跡はありましたか?」

 考え事をしていたバイカーが顔を上げ、また質問してきた。 

「やはり何者かの仕業と考えた方がよさそうです。行って確かめましょう」

 案の定、併設の店の方に行こうとした彼を、分隊長は行く手を遮ることで止めた。

「おい、いい加減にしないか。一般人に現場をうろつかれちゃ困るんだ。興味があるのは分かるが、これ以上はやめてくれ」

 子どもに言い聞かせるように、しかめっ面をしてみせる。するとバイカーは、はっと息を飲み、肩を落として頭を掻いた。

「す、すみません、つい……。立場もわきまえず、不躾なことをしてしまいました」

 若きバイカーは素直に謝ると、恥じ入った様子で頭を下げた。あまりに潔いその姿勢に、かえって分隊長は慌ててしまった。もう少し食い下がってくるのではないかと身構えていたのが、肩透かしをくらった気分だ。

「いや、分かってもらえればいいんだ。別に怒っているわけじゃない」

「恐れ入ります」

 バイカーはもう一度深く頭を下げてから、姿勢を正した。

「何か手伝いが出来ればと思ったのですが、大変お邪魔をしてしまいました。これで失礼します」

 最後にそう言い、バイカーは分隊長に背を向け、バイクの方へ戻っていった。

 来た時と同じように、歩きながらヘルメットを装着し、バイクに跨るとエンジンをかける。そして、あっという間に、夜のルート337へ消えていった。

 分隊長は、バイカーの去っていった方向をしばし見つめていたが、やがて肩をすくめ、任務に戻った。



 対向車線を走る車両は少ない。青年を乗せたバイクは、孤独な流星のように、ルート337を南東に向けて疾駆する。

 目指すはアトランヴィル・シティ中央区。ひとまずの目的地はそこだ。

 愛車を走らせながら、青年はチャージステーションでのことを考えた。

(余計なことをしてしまうところだった)

 まったく関係のない事件に、首を突っ込もうとするのは悪い癖だった。余計なことはするなと、上司からも常々注意されている。

(あれは彼らの仕事だ。邪魔をしてはいけなかった。俺も俺の仕事を全うしなくては)

 青年はヘルメットの側面に手を当てた。すると、ヘルメットのシールドの内側に、小さなナビゲーション画面が現れた。目的地までのルートと距離数、所要時間が表示されている。順調に行けば、あと一時間程度で到着だ。  

(厄介なことになっていなければいいのだけれど)


        *


「おいしい!」

 スプーンで掬ったスープを一口含んだ途端、感動の言葉が喉から飛び出した。

 エヴァンの前にあるスープボウルを満たしているのは、トマトとキャベツとひよこ豆のスープだ。クリームベースのまろやかなスープに、トマトの酸味が程よく溶け出している。キャベツはしゃきしゃきと歯ごたえがよく、ひよこ豆はほくほくだ。ヘルシーで栄養たっぷり、腹も満たされる百点満点の夜食である。

「これ、ものすごくうまい!」

 エヴァンは子どものように、うまい美味しいを連呼しながら、スープを平らげていく。そんな彼を、テーブルを挟んだ向かい側から温かく見守っているのは、アルフォンセ・メイレインだ。 

「おいしい? よかった」

 慈愛に満ちた深い海の色の瞳で、アルフォンセは柔らかに微笑む。ショートだったボブヘアは、今では顎のラインまで伸び、緩やかに波打っている。彼女の今夜の装いは、オフホワイトのニットに、デニムのタイトスカート、オリーブグリーンのタイツというコーディネートだ。何を着ても似合うのだが、さりげなく秋らしい季節感を取り入れるセンスはさすがだと、エヴァンは感心する。

 嬉しいことに、アルフォンセのほっそりした左手薬指には、葡萄の指輪がちゃんと嵌められているのだった。

 スープは二杯分作ってあり、エヴァンは全部をきれいに食べ尽した。キッチンで後片付けをするアルフォンセの後ろ姿を、リビングのソファに座って、飽きることなく眺める。

 なんということのない、平凡な光景だ。だが、この平凡でなんということのない時間こそ、エヴァンにとっては何よりも大切なものだった。


〈パンデミック〉という事件の最中さなか、マキニアンのエヴァンはただ一人、凍結睡眠コールドスリープを施され、十年もの間眠りに就いていた。目覚めた時、記憶は曖昧になっていて、取り巻く世界は変わっていた。

 そんな足元のおぼつかない状況で、裏稼業者バックワーカーとしてメメントを狩る日々において、アルフォンセという存在は最大の清涼剤だ。 

彼女と二人きりで穏やかに過ごす時間。戦いや、自分にまつわる様々なしがらみを忘れさせてくれる、かけがえのない宝物のような時間だ。

 

 アルフォンセと交際を始めてから、彼女はほぼ毎日のように、エヴァンのために夜食を作りに来ている。互いの部屋のスペアキーを交換しているので、帰るとすでに待っていてくれている日もある。掃除や洗濯、ペットの亀の世話さえもしてくれるのだ。こんなに素晴らしい彼女は、この世に二人といるまい。

(これってもう結婚してるのと変わりなくね?) 

 抱きつきたくなるなめらかな後ろ姿を見つめていると、頬が緩んで仕方がない。

(新婚って言葉、いい響きだよなあ)

 頭の中で「新妻」だの「人妻」だのという単語が、アイスクリームにトッピングされたキャラメルソースのように、甘く渦を巻いている。そこを起点に連想ゲームよろしく、二人の将来に散りばめられているであろう「幸せポイント」を夢想する。「初夜」という言葉が出てきた時、鼻の下がだらしなく伸びたのだが、そんな間抜け面をアルフォンセに見られなかったのは幸運だった。

 片付けを終わらせたアルフォンセが、リビングにやってきた。コーヒーを淹れたカップを二つ、両手で持っていた。

 ソファに並んで座り、淹れたての香り高いコーヒーを揃って飲み、人気のトーク番組を見る。時々交わす会話は本当に他愛のないもので、話すことがなければ静かに寄り添っている。

 ただそれだけで、エヴァンは幸せなのだ。

 隣にいるアルフォンセのぬくもりと、心地良い匂いに浸りながら観ているテレビ番組は、人気の芸能人をゲストに招くトークショーだ。

 今夜のゲストは、国民的人気を誇るミュージシャン、クライヴ・ストームだった。彼がこういったバラエティショーに登場することは極めて珍しい。夏に発表された新曲が大ヒットし、彼の音楽に新境地を開いたと、大きな話題になったからだろう。

 滅多に明かさないレコーディングの話や、次に出すアルバムについての話に耳を傾けていると、

「エヴァン、どうしたの?」

 ふいにアルフォンセが声をかけてきた。

「ん、なに?」

「さっきからずっと、耳を触ってるけど」

 そう言われてエヴァンは、無意識のうちに右耳を掻いていたことに気がついた。 

「ああ、ちょっと痒いかな」

 言葉にすると痒みが増したように感じた。耳の穴に小指の先を突っ込んで動かすと、ちょっとだけすっきりした。

 するとアルフォンセはカップをテーブルに置き、エヴァンの顔を覗き込む。

「耳かき、する?」

 


 天にも昇る心地、とはこのことだろう。すでにエヴァンは昇天寸前だ。身体の右半分を上にしてソファに横たわった彼は今、右耳をアルフォンセに掃除してもらっている。

 耳掃除を誰かにしてもらったことなど、今まで一度もない。他人の手による耳かきが、こんなにも気持ちのいいものだったとは、思いもよらなかった。それが愛する彼女の、膝の上での作業ならば格別である。

 そう。エヴァンの頭はアルフォンセの膝の上にあるのだ。

 どんな羽毛よりも柔らかで温かい、アルフォンセの膝枕である。初めての耳かき、初めての膝枕。まるで夢のようだ。

「痛くない?」

 耳かき用の綿棒で、エヴァンの右耳を掃除しているアルフォンセは、ときどき優しく声をかける。

「痛くない。すげえ気持ちいい」

 このまま眠ってしまいそうなくらい気持ちよかった。だが眠ってしまうと、せっかくの膝枕が堪能できないので、頑張って起きているエヴァンだった。

(ああもう、ほんと俺って幸せ者。幸せすぎて早死にするんじゃねえかな。あ、早死にしてアルを置いていっちまったら悲しませることになるから、やぱり生きよう)

 などと、つらつら考えているうちに、

「はい、おしまい」

 幸せな時間が終わってしまった。非常に残念だが、おかげで耳はすいぶんとすっきりした。

 エヴァンは名残惜しみつつ、アルフォンセの膝から頭を浮かせた。

「ありがとアル。気持ち良すぎて寝そうになってた」

 思ったままを素直に口にすると、アルフォンセは、ふふ、と笑った。

「じゃあ、次は左ね」

「左?」

「そう。左の耳も見せて」

 なんと、幸せの時間続行である。内心大喜びのエヴァンは、さっそく左耳を彼女に向けようと、せわしなく身体を動かした。しかし。

(この場合、どうやって反対側を向けるべきなんだ?)

 右の時と同じように正面を向いたまま、身体全体を反対方向に移すのか。

 はたまた、そのまま方向転換――つまり身体をアルフォンセの方に向けるのか。

 後者を選んだ場合、彼女の下腹部にエヴァンの顔が位置することになるという、なんとも大胆かつラッキーな状態になる。

 正攻法なら前者だが、男の野性は、後者を選べと推していた。

 エヴァン・ファブレルは、左側の耳掃除のための方向転換について、真剣に考えた。普段はうまく回らない脳みそを、フル稼働させて考えた。

 

 恋人同士なのだから、ちょっとくらい大胆なことをしたって問題ないはずだ。しかし、下心を抑え紳士に振る舞うことこそ、真の男ではないだろうか。いや待て、そもそも今日こんにちに至るまでキス以上の触れ合いをしていないという時点ですでに紳士ではないのか。ならばそろそろ本能に忠実になってもいい頃合いだろう。とはいえもしかしたら嫌がられるかもしれない。だが滅多にないこんな機会を棒に振るというのは――。


「どうしたの?」

 煩悩の思考嵐は、アルフォンセの声で中断された。彼女は不思議そうな顔つきで、首を傾げている。

「左はしなくてもいい?」

「いやッ! それはぜひともお願いします!」

 ぐずぐずしていても仕方がない、腹を決めた。ここはひとつ、男らしく思いきって――。

 方向転換いざや、と勢い込んだその時、玄関ドアの呼び出しベルが鳴り響いたのだった。


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