繋がりゆく点と線
ディーノの言葉どおり、十キロほど走った先にドライブインがぽつんと建っていた。電動車の動力チャージステーションとレストランを兼ねた、昔からよくあるタイプの店舗で、ドライバーにとってはオアシスのような場所だ。
ドライブインに到着した頃には、太陽は西の山嶺の向こうに沈みかけていた。空は茜色と紫のグラデーションに染まり、雲は残光を浴びて金色に輝いている。
長い一日だった。電動車から降りたシャラマンは、緊張でこわばった身体を少しでもほぐすため、うんと伸びをした。関節のあちこちが、ぽきぽきと鳴る。
そんな彼を置いて、マックスとディーノ、そしてサイファーが、どかどかとレストランに入っていく。
陽は暮れかけているが、今日という日はまだ終わっていない。シャラマンは三人のあとに続いた。
レストラン内はカントリーミュージックがささやかに流れており、数組の先客が食事をしていた。
シャラマンたちが中に入ると、たちまち周囲から二種類の視線がよこされた。純粋な好奇心、胡散臭いものを見る眼差し。余所者の訪れなど珍しくないはずのドライブインレストランであっても、一行は異様なグループに見えるのだろう。
四人は奥の隅のテーブルを選んだ。マックスとディーノは隣り合い、シャラマンは彼らの向かいに一人で座った。サイファーはというと隣のテーブルで、ちょうどシャラマンと背中合わせになるように、どっかりと腰を降ろした。
若いウェイターがオーダーを取りに来た。適当に食事を注文したあと、ディーノがウェイターにチップを渡した。
上機嫌で厨房に戻っていくウェイターを見送り、ディーノはシャラマンに頷いてみせる。
「こういう店の従業員はたいてい、訳ありの連中の対処に慣れとるもんです。あの子には少し多めに握らせましたんで、他の客が周りに来んようにしてくれると思います」
なるほど、とシャラマンも頷き返した。
やがて運ばれてきたメニュー――ハンバーガー、ポテト、ワッフルなど――をぼそぼそとつまみ始め、最初に言葉を発したのはマックスだった。
「で、どういうことなんか説明してもらおか。あんたらは誰や。あいつらは何や。俺らに何の用や」
マックスはハンバーガーの包みを丸め、トレイの端に投げた。
「回りくどいのはナシやで。ごまかしてもわかる。スッと言え、スッと」
数々の修羅場をくぐり抜けてきたらしい彼らを相手に、駆け引きなどしても無駄だろう。シャラマンは同意を示すために頷いた。
「わかった。では単刀直入に訊こう。君たち、デヴォナのニサリア教会堂へ行っただろう? 表ではなく、裏の方へ」
マックスとディーノが、一瞬だけアイコンタクトを交わした。
「そこで一人の神父に会ったはずだ。名前はサム・ヘインズリー。彼から、何か受け取らなかったかい?」
「それがどういうモンか、あんたは知っとんのか」
「同じものを持っている」
シャラマンは上着のポケットから、一台の携帯端末と取り出し、テーブルに置いた。
「ヘインズリーの物だ。最期に私たちに託した」
「最期ってことは……」
ディーノが顔を顰める。
「亡くなったよ。彼は、その、モルジットに侵蝕されていて、あー……メメントってわかるかな?」
マックスが、ポテトフライをつまみつつ答えた。
「知っとる。これでも裏稼業者やからな。見たことはないけど。なんや、あの腹黒神父、メメントになってもうたんか」
目を細めて顎をしゃくり、シャラマンの背後にいるサイファーを示す。
「で、モサオがカタをつけたんやな。あいつ、マキニアンっちゅーやつやろ。腕が銃に変形しよったからな」
「え?」
シャラマンは目を見開いた。いくら裏社会の住人とはいえ、マキニアンの存在まで知っているとは思わなかったのだ。ちらりと後ろを振り返る。マックスの口からマキニアンという単語が飛び出しても、サイファーは動じていないようだった。
「実は、他に一人知っとるんです、マキニアンを」
ディーノが、手にしていたコーヒーカップをソーサーに置いた。
「俺たちの知人の相方なんです。名前、わかるんやないですか? エヴァン・ファブレルって」
「ああ……知っているとも」
さすがのサイファーも、この名前には無反応ではいられなかったようだ。ごそりと身じろぎしたのを、シャラマンは背中で察した。
今日初めて会った人間から、立て続けに思いがけない名前が出てきたことに、シャラマンは奇妙な縁を感じた。ヘインズリーの言葉を借りるなら、これが“天の導き”というものだろうか。神を妄信しているわけではないが。
マックスがポテトフライを、差し棒のように携帯端末に突きつけた。
「まあ、あのヘタレの猿はどうでもええねん。問題は、腹黒神父の“形見”や。俺らを追ってきた連中も、ほんまはコレが狙いなんやろ」
「そうだ。彼のこの端末に保存されている……」
「〈観測所〉内部の画像、やな?」
マックスはポテトを口に押し込むと、ヘインズリーの端末を操作して画像フォルダを開いた。
鉄柵に取り囲まれる、逆U字型をした、赤と青に色分けされた巨大な物体が、小さなディスプレイに表示される。
「これはメメントか?」
「ああ。私も、こんなタイプは初めて見る。トワイライト・ナイトメアのような、独自の生態を持つメメントだと思われる。このメメントについて、ヘインズリーから何か聞いていないか? そもそも君たちは、何の目的で〈観測所〉を調べていたんだ?」
シャラマンが問うと、マックスとディーノは再びアイコンタクトを交わした。ディーノが説明し始める。
彼ら二人は、知己の裏稼業者からの依頼で動いているのだという。あの〈パンデミック〉の影響が大陸東側であったように、西側でも何かが起きたのではないか。その真相を調べてほしい、という依頼である。
ひと月かけてたどり着いたのが、ニサリア教会堂の情報提供者サム・ヘインズリーだ。そうして、〈観測所〉の画像を手に入れた。ここまでの事情は、シャラマンたちと共通している。
驚いたのは、彼ら二人に仕事を頼んだ知己というのが、エヴァンの相棒レジナルド・アンセルムだったことだ。
彼とは七月のシェド=ラザの事件の際に少し話した程度だが、自分に向けられた辛辣な言葉と眼差しは忘れられない。
――意味あり気にエヴァンの前に現れたくせに、これで終わりか? あんたの本当の目的は何だ。
――あんたたちの責任だろうが! 大量殺戮が可能なように破壊力を増幅させるだの、都合よく命令を聞くよう人格を矯正するだの、人間に対してやることか!
胸をえぐる言葉は、しばらく耳にこびりついて離れなかった。自分の行動は、彼らを混乱させるだけだったかもしれないと、今でも頭を抱えてしまう。
それにしても、レジナルド・アンセルムの機転には舌を巻かざるを得ない。
「メメントについての詳細は不明です。ただ、〈ヴァノスとアテリアル〉って名前だけはわかってます」
「〈ヴァノスとアテリアル〉……」
シャラマンはメメントの名称を反芻し、端末の画像に視線を落とした。
メメントの名称は、外見的特徴や生態をもとに付けられることが多い。この逆U字型の巨大なメメントが〈静脈と動脈〉と名付けられたのは、赤と青の体色に由来するのか。
それとも、その生態機能に関わるのか。
「この情報をレジーニさんに渡す。そこまでが俺たちの仕事です。けど、この情報を外に漏らしたない連中がおるんでしょ?」
「そのとおりだ。君たちを追ってきたのは〈VERITE〉という私設組織だ。〈観測所〉は政府ものだが、〈VERITE〉もこのメメントを利用しようと考えていると思う。そのためにも、情報漏洩は防ぎたいだろうね」
「その〈VERITE〉とかご大層な名前の連中は何者や」
マックスが二つ目のワッフルに手を伸ばす。小柄な体躯のわりに健啖家である。
「かつて〈SALUT〉の精鋭部隊だった〈処刑人〉数名と、その司令官が創設した組織だ。今では軍部に匹敵する巨大組織に成長している」
「目的は? 世界征服でも企んどんのか」
「ある意味ではそうとも言えるが、そうではないとも……」
曖昧に答えを濁しつつ、シャラマンはサイファーを振り返った。彼は〈VERITE〉の目的を知っているような気がする。これまで何度か尋ねてみたが、そのたびにはぐらかされてきた。いつになったら腹を割って話をしてくれるのだろう、この男は。
シャラマンの態度に痺れをきらしたのか、ワッフルを食べ終えたマックスが鼻を鳴らした。
「煮えきらんなあ、なんやねん。もうええわ、今度はそっちが話す番やで。あんたらが俺らを奴らから逃がしたんは、この〈観測所〉について何か知っとるかもしれんと踏んだからやろ? そんなら、あんたら自身の目的は何や」
問われたシャラマンは、居住いを正してマックスたちに向き直った。
彼らにどこまで話していいものだろう。どこまで信じてもらえるだろう。このままうやむやにしてしまった方がいいのではないだろうか。
だが彼らはこちらの求めに応じ、情報を明かしてくれた。その誠意には報いなければならない。彼らには知る権利がある。
「これを知れば、君たちは後戻りが」
「でけへんて言いたいんやろ。そういう言葉はもう聞き飽きたわ。あいつの仕事引き受けた時点で手遅れやねん。ええから話せ」
すでに腹は括っているらしい。シャラマンは息を吸い込み、語った。
「私は以前〈イーデル〉に勤めていた科学者だ。そこで最も重要なプロジェクトの一端を担っていた。プロジェクトの名は〈M計画〉。私が最終的に携わったのは、〈細胞置換技術〉の開発と実用化。結果、生み出されたのがマキニアンだ」
〈イーデル〉で研究が続けられた先に、待ち構えていたのが〈パンデミック〉という悲劇だ。そして事態は大きく変わろうとしている。
この先、世界は未曾有の“災厄”に見舞われることになる。その災厄から、一人でも多くの人類を救うため、〈パンデミック〉を生き延びたシャラマンは、長く探索の旅を続けてきた。〈観測所〉の調査も、その一環だ。
救済の鍵となる人物はたった二人。
エヴァン・ファブレル。
すべての始まりである、フェイト・アーテルナム。
シャラマンの探索行の目的は、フェイトの存在確認が多くを占めていた。しかしフェイトはすでにこの世の人ではなくなっていた。
「フェイトは死んだ。でも、それは彼にとっては大した問題じゃないんだ。“肉体的な死”は、彼を更なる高みへ昇らせるステップにすぎない。今、彼は私たちなど遠く及ばない領域にいる」
「遠く及ばない領域……って?」
ディーノが怪訝そうに眉根を寄せる。
「それを説明するのは、とても難しい。なにしろ前例がないからね。ひとつ言えるのは、私たちには到達できない次元だということだ。フェイトの領域に行ける者がいるとするならエヴァンか、もしくはシェドだ」
今のシェドは、エヴァンよりも遥かにフェイトに近い。だが、シェドをフェイトに近づかせてはならない。
「これから起こるだろう災厄を止められるのはフェイトだけだ。そのフェイトに働きかけることができるのは、エヴァンかシェドしかいない。しかし、シェドはフェイトさえも超えてしまう力を秘めている。シェドがフェイトを超えたら滅びの道しかなくなる。だからエヴァンに託すしかないんだ」
「ちょっと待てや。話が大きすぎてついていかれへん」
マックスが両手を挙げ、熱がこもり始めたシャラマンの言葉を遮った。
「災厄って何や。なんでそんなモンが起こんねん。そんでそれを止められる鍵が、あのヘタレの猿やと? あかんわ、それがホンマやったら、世界滅びるで」
「な、なぜそんなことを言うんだ」
「あいつがアホやからや!」
声を張り上げたマックスが、勢いよくテーブルに拳を叩きつける。それまで沈黙を守り続けていたサイファーが、呵々と笑い出した。座席の背もたれに腕を乗せ、少しだけ顔をこちらに向ける。
「そのとおり、ありゃ大馬鹿だ。気が合うな、お前」
「せやろ、アホやアホ。あんなアホしか頼れへんのやったら、もう世界は終わりやで、おっさん」
シャラマンは口を歪めた。養子に迎えるつもりだった青年を、目の前で悪く言われて、いい気分でいられるはずがない。たしかにエヴァンは子どもっぽく、思慮に欠ける部分がある。しかしその分、純真で性根がまっすぐなのだ。
「彼をそんなふうに言わないでくれ。いい子なんだ」
ややムキになって反論すると、マックスは少し面食らったように身を引いた。シャラマンの背後から、サイファーが補足した。
「このしょぼくれた博士殿はな、あの馬鹿の父親なのさ」
これには賞金稼ぎの二人も驚きを隠せなかったようだ。だが、謝ったのはマックスではなく、ディーノだった。
「す、すんません。うちの相方が好き勝手に息子さんを」
「いや、いや、いいんだ。父親といっても義理のでね。養子にするはずだったんだが、それは叶わなかった。だから、実際のところは親子じゃない」
シャラマンはため息のような深呼吸をした。
「なぜ災厄が起きるのか。どういう災厄なのか。そして、なぜエヴァンだけが頼りなのか。そこまで明かすには、君たちには荷が重い。でも、もし……もし少しでも気にかけてくれるなら」
その先を口にするのがためらわれ、シャラマンは言葉を呑みこむ。
――今、何を言おうとしたのだ、自分は。彼らとはたまたま、一瞬だけ道が交わっただけだ。本来無関係なのだ。それなのに、そんな彼らを巻き込む言葉を言おうとした。
シャラマンの中の倫理観が叱責する一方で、冷徹で利己的な声も聞こえる。
――この期に及んで悠長なことなど言っていられるのか。エヴァンやフェイトのためには、どんなことでもすると決意したのではなかったか。借りられる手は何でも借りればいい。彼らはすでに関わっている。
どう言い訳しようが、主張を振りかざそうが、責任からは逃れられない。そして災厄からも。
ならば――。
シャラマンは、喉の奥に押しとどめていた言葉を吐き出した。
「残された時間は、そう長くない。どうか、協力してもらえないだろうか。我々が生き延びるためにも」
マックスとディーノが、三度目のアイコンタクトを交わした。