邂逅ストリート
カムリアン・シティ最東端の街シルーレは、都市への出入り口でもある。都市交通網の骨格となる幹線道路が、街の中心を貫いており、そこからオルドビなど各方面へと続く道が、枝のように伸びているのだ。
スカイリニアの高架線路も道路に沿って敷かれており、観光で潤うデヴォナとは違い、近代的な賑わいを見せている。
広大なカムリアン・シティにおいて、街と街との間を移動するのは時間を要する。ニサリア教会堂を辞したマックスとディーノは、その日のうちにデヴォナを出て、ひとまずシルーレに向けて移動した。
デヴォナからシルーレまでは、六時間ほどかかる。出発したのが午後で、途中休憩を挟み、寄り道せずに電動車を走らせても、シルーレに到着するのは日暮れだ。
案の定、街に着いた頃には、太陽は西の彼方に聳える山麓の向こうに沈もうとしていた。
何者かに追跡されている気配は、今のところない。サム・ヘインズリーの言動を鑑みるに、〈観測所〉内部の写真を持つことには、何らかの危険が伴うのだろう。用心を怠ってはならない。
だが、休息も重要だ。マックスとディーノは、無理な夜通し移動はせず、シルーレに入って最初の地域のモーテルで、一晩明かした。
翌朝、早々にチェックアウトし、出発する。一時間ほど車を飛ばしてから、適当な店で、遅めの朝食をテイクアウトで買うことにした。
商店が並ぶ通りで、カフェのチェーン店を見つけた運転手のディーノは、角を曲がってすぐの路肩に電動車を停めた。
普段なら、コイントスで買い出し役を決める。が、今は時間を無駄にしている時ではない。
「ディーノ、いつものでええやろ」
「うん、いつもので」
マックスは当然のように助手席から降り、ドアを閉めてカフェに向かった。
店内では十数人の客がテーブルについており、カウンターには三人並んでいる。スタッフは四人。一人が注文とレジを受け持ち、残る三人がオーダー品の準備に勤しんでいた。人気の大型チェーン店なので、大陸中のどこの店舗に行っても、似たような光景が見られる。
マックスはカウンターの列に並び、何気なく店内を眺めつつ、順番を待った。
表に面した大窓に目を向け、すぐに視線を前に戻す。さりげないふうを装って、ポケットから携帯端末を取り出した。
目だけを動かして、もう一度店内を見回す。店の中にはいないようだ。
窓の外を見たとき、道路を挟んだ向かいの通りに、こちらを凝視する男がいた。
裏稼業者としての履歴が長いと、その視線が偶然かそうでないかの区別くらいつくものだ。
(来よったで。どこの連中か知らんけど)
オーダー待ちの客が二人減った。マックスは列を詰めつつ、端末を操作してメールを作成した。
“ハニーマスタード増し増しやろ”
タイトルを付けず、ディーノの端末に送信する。一分もせずに返信が来た。
“ピクルスも増し増しで”
メール文面を確認したマックスが、端末をポケットにしまったとき、ちょうどオーダーの順番がまわって来た。
オーダーを受けるスタッフは若い男で、かわいい女の子ではなかったが、マックスは自然な愛想をふりまき、ごく普通のホットドックとコーヒーを二つずつ注文した。
できたてのホットドックとコーヒーの入った袋を片手に、マックスは店を出た。
目だけを動かして周囲を素早く確認すると、こちらの動きに注目している者が数名、遠巻きに配置されている。
角を曲がれば、ディーノが留守番している車が、路肩で待っていた。マックスは歩く速度を変えずに車に近づいたが、乗り込まず、そのまま通り過ぎた。
車を通り越した瞬間、マックスは走り出す。建物と建物の間の細い道に折れ、路地に入り込んだ。路地に踏み入れた直後、背後で車の走行音が聞こえた。ディーノが事前の打ち合わせどおりに、車を発進させたのだ。
マックスたちは有事に備え、二人だけに通じる対策を、常にいくつか用意している。
今回のように、何者かに見張られているときなどは、一旦別行動をとって相手を捲き、あらかじめ決めていた場所で合流する段取りだ。
ディーノに宛てたメールの一文、“ハニーマスタード増し増しやろ”とは、「見張られている。すぐそこにいる」という意味だ。ディーノからの返信で、“ピクルスも増し増しで”は、「了解。いつもの手筈で落ち合おう」の意である。
こうした秘密の暗号や行動は、幼なじみである二人ならではのものだ。子どもの頃から、二人にしか分からない暗号やジェスチャーをいくつも作り、親や他の大人の目を盗んで遊んでいた。
付き合いの長い、マックスとディーノであればこそである。
マックスはこのまま、路地や歩道を走り回る。電動車を受け持ったディーノもまた、ある程度遠回りして合流地点に向かう。
今回の合流地は、宅配ピザ店の〈アンクル・ヒル〉だ。店までどう行けばいいのかは分かっていた。
細く入り組んだ路地を、マックスは土地勘があるかのように、迷いなく走り抜ける。
マックスとディーノは、集合住宅の密集する貧困街で生まれ育った。似たような建物で構成された碁盤状の街並みは、たった一本、道を間違えただけですぐに迷ってしまう。地元住民ですら、方角を見失いやすい。
そんな街で少年時代を過ごせば、方向感覚や空間認識能力が自然と鍛えられる。初めて訪れた場所でも、地図を頭に叩き込んでおけば、どのルートを辿ればいいのか把握できるのは、マックスとディーノの得意技だ。
合流地点のピザ屋までは、北西に向かって、あと数回、道を変えればいいはずだった。
(あの角、左)
路地の分かれ道に差しかかり、マックスは左に折れた。
すると、曲がったすぐそこ、数メートル前方から、男が二人走ってくる。追っ手に違いない。だがマックスは足を止めなかった。
手前の男が、マックスを捕らえようと、走りながら両腕を伸ばしてきた。マックスは持っていた紙袋を、男めがけて投げつける。
紙袋が男の首元に命中した。中身がぶちまけられ、カップに入った熱いコーヒーが男の顔と首に豪快にこぼれた。
男が熱さに悶えている隙に、マックスは走る勢いを利用して、男の顎に肘打ちを見舞った。よろめく男を押すようにして仰向けに倒し、そのまま脇を走り抜ける。
二人目の追っ手が、目前に迫っていた。マックスは殴りかかってきた男の胸を両手で突き飛ばし、伸ばされた腕を下から弾いた。よろめいたところで顔を掴んで、鼻に頭突きを喰らわせる。鼻孔から鮮血を噴き出した男の頭を左手で抑え込み、とどめに右肘を横面に決めた。
「一生そこで寝とけアホンダラ!」
鼻血を垂らして地面に倒れる男を避け、マックスは再び路地を駆けた。
十字路に差しかかったとき、何かが弾ける甲高い音とともに、風がマックスの脇をかすめ、建物の壁に穴が開いた。
マックスは反射的に首をすくめたが、足は止めなかった。新たな追っ手は、銃で追い込もうとしている。数発撃ってきたが、弾丸が穿ったのは、マックスの足元や横の壁程度だ。
動き回る対象に、走りながら発砲して被弾させるのは、銃の名手でも至難の技である。とにかく走り続け、命中率を下げるのだ。
路地の終わりが近づき、合流地点まであとわずか。道路を挟んだ向こう側に、目指す宅配ピザ屋の看板が見える。
だが、手前の角から別の追っ手が飛び出し、行く手を阻んだ。
「しつこい連中やな、邪魔やねんて」
マックスが不快感を全面的に押し出すと、新手の男は、蔑むような笑みを浮かべた。
「まさか、こんなガキみたいなチビにやられるとはな」
「あァ?」
マックスのこめかみが、ピクリと痙攣した。
男がファイティングポーズを構え、殴りかかってきた。左右交互に繰り出されるパンチを、マックスは後退しつつ、弾きと肘のブロックで防御する。
マックスの前足を狙って、男が左ローキックを放った。マックスはそれを左脛でブロックし、蹴りを止める。そのまま男の左腕を掴んで抱き込み、反対側の腕を男の首に巻きつかせ、地面に投げ落とした。駄目押しに、男の腹を思いきり踏みつける。
「誰がガキでチビじゃシバくぞゴルァ!!」
存分にシバいた後に言い放ったマックスは、男を捨て置いて走り出す。
ようやく路地を抜け、表通りに出たちょうどそのとき、タイミングよくディーノの電動車も到着した。運転席の相方が、マックスに気づいて頷く。
しかしマックスは、不穏な空気を感じ、車の手前で立ち止まった。車内のディーノが、怪訝そうな表情を浮かべる。
向かいの通りに路上駐車している、数台の電動車の中から、いくつもの銃口が突き出ていた。
マックスは身振りで、ディーノに「伏せろ」と訴えながら、自身は急いで車の陰に隠れた。
次の瞬間、雷鳴のような音が辺りに轟いた。待ち伏せていた敵の一斉射撃で、マックスたちの電動車は、みるみるスクラップにされていく。マックスは後部車輪の陰で身を縮め、頭を丸めた。
突然の出来事に恐れをなしたのは、周囲に居合わせた人々だ。たちまち蜂の巣をつついたような混乱に陥り、通りは阿鼻叫喚の渦に陥った。
車のドアが開き、車内から長ったらしい物体が、這うように出てきた。ディーノだ。
長身の相方は小回りの利かない身体を精いっぱい縮こまらせ、前輪に背中を密着させた。腕にはしっかり、愛用のライフルを抱えていた。
射撃の嵐は、衰えることなく二人を圧倒してくる。凄まじい発砲音で、逃げ惑う人々の悲鳴も聞こえない。
ディーノがジェスチャーを送ってきた。
“どっか抜け道探さんと”
マックスはさっと周囲を見回した。そして、ディーノから近い地面のマンホールを指差す。
ディーノはその仕草だけで、マックスの言わんとしていることを察し、頷いて了解を示した。
あの位置のマンホールなら、他の路上駐車車両が、敵側の視認から隠してくれるはずだ。マックスが援護射撃をしている間に、マンホールから近いディーノが蓋を開ける。この車が大破するのも時間の問題だ。迅速に行動しなければ。
(ホンマに散々やんけ。帰ったら経費ふんだくったるからな、スケコマシ!)
アトランヴィル・シティでマックスたちの帰りをのほほんと待っているだろう、嫌味な依頼主に、胸中で毒を吐いたマックスは、コートの内側からハンドガンを二挺引き抜いた。
ディーノとアイコンタクトを交わす。呼吸を合わせ、車輪の保護下から飛び出そうとした、そのとき。
マックスたちの電動車が大きな揺れた。ついに壊れるかと思い、マックスは車を一瞥する。
車は壊れなかった。代わりに、何やら大きな影が、車の屋根の上に屹立している。
見上げると、影の正体は人間だった。ディーノと同じくらいの長身で、髪は長いものの、体格からして明らかに男。逆光で顔はよく見えないが、目の部分が赤く光っている。
ディーノも男の存在に気づき、呆然と屋根を見上げた。
いつの間にか、攻撃の音が止んでいる。敵側も、突然現れた人物に面食らったのだろう。
そんな周辺の反応をよそに、車上の男は鷹揚と言葉を発した。
「Ahol gaimo、Teasmosco」
――よう野郎ども、調子どうよ。
その言葉は、南エリアの一部地域で使われている現地言語だった。
「誰や、お前」
マックスが眉をひそめると、南の言葉を使う男は返事をせぬまま、車上で踵を返した。男が羽織る着古したコートの裾が、猛禽類の翼のごとく翻る。
男が袖をまくり上げ、右腕をあらわにした途端、異変が起きた。しなやかな筋肉の表面に細い閃光が走ったかと思うと、瞬く間に金属化したのである。更に変形が重なり、男の右腕は剛強なガトリングガンと化した。
マックスとディーノは顔を見合わせた。この男と同じように、身体の一部が変形する人物を、他に一人知っている。
車上の男が腕のガトリングガンを振りかざし、敵の一団に向けて豪快に乱射した。放たれた弾丸は、敵側の電動車に無数の穴を穿ち、あるいは大型銃を破壊し、アスファルトを削って土煙を起こさせた。
敵一団も応戦するが、男の右腕には歯が立たない。敵側の装備の中に、ガトリングガンに匹敵する大型銃器はないらしく、たちまち窮地に追い込まれた。
男が連中の相手を引き受けてくれている間に、マックスはディーノのそばに移動した。
「今のうちに逃げるで!」
「うん。でもマックス、あのお兄さん、ひょっとしてメガネさんとこの……」
ディーノがガトリングガンで暴れている男を指差す。マックスは相方のその腕を引っ張った。
「あいつが誰かとかどうでもええねん! このまま、アホ連中の相手さしとけ!」
男の素姓や、なぜマックスたちを助けた――わけではないのかもしれないが――理由など、気にしている場合ではない。この場を離れる方が先決だ。
マンホールの中に隠れるのはやめた。銃撃戦から逃げる往来の人々に混じり、人目を避けられる場所に潜みながら、この街を出るしかない。
マックスが頭の中で作戦変更したとき、一台のバンタイプ電動車が、路肩に突っ込むようにして停車した。後部座席のドアと運転席の窓が同時に開き、壮年の男が顔を出した。
「は、早く乗るんだ!」
必死の形相に汗を滲ませ、マックスたちを呼ぶ。
「はァ? なんでアンタの車に乗らなあかんねん! ちゅーかアンタら何者や!」
おそらく、ガトリング男の仲間だろう。本来の追っ手とも違うようだ。
どこの誰で、自分たちに何の用があるか知らないが、ここでおとなしく言うことを聞く義理はない。マックスは壮年の男に銃口を向けた。
「ちょうどええ。車に乗ったるさかい、おっさんは降りい」
車中の男は、目を見開いて銃を凝視する。怯みはしたようだが、意思を変えるつもりはないらしい。
「あまり無駄なやりとりをしている暇がないのは分かっているはずだ。君たちを傷つけるつもりはない、さあ早く!」
「あんなあアンタ……」
ひ弱そうな見かけに反して頑固な男を睨みつけたとき、いきなり背中を強く押され、ディーノもろともバンの後部座席に押し込められた。長身のディーノがのしかかってきて、小柄なマックスは反対側のドアにへばりつくはめになった。
「ディーノ重い、どかんかいな!」
「そんなん言われても、すぐには動かれへんて!」
二人が体勢を変えようと動くたびに、電動車がぐらぐらと揺れた。なんとか座席に腰を据えたところでドアを見やると、あのガトリング男がドアの外に立っていた。
まともに見た男の顔は、頬骨が高く、肌はやや浅黒い。縮れた髪質は、大陸南部に多い人種の特徴の一つだ。両目を覆う赤いレンズのゴーグルのせいで、表情はよく分からない。
「お前か押したんは、何してくれんねん!」
マックスの文句に、男はまったく動じない。それどころか無視を決め込んで、運転席を軽く叩いた。
「うるせえ荷物を二つ積んだぞ。行け」
「行けって……君は乗らないのか? どうする気だ?」
運転席の男が首をうしろに巡らせ、ガトリング男に言った。ガトリング男は余裕あり気に、口の端だけで笑う。
「こいつらを追ってんのは〈政府〉じゃない、〈VERITE〉だ。ちょっと遊んでくるから、せいぜい捕まらないよう逃げ回ってろ」
「そ、そうか。……わかった、気をつけるんだぞ」
「それ俺に言ってんのか?」
ガトリング男がドアに手をかけた。マックスはディーノを脇に押しやり、ドアの方に身体を寄せた。
「ちょいちょいちょい待てや! 何を勝手なことを……」
抗議が終わる前に、ガトリング男が荒っぽくドアを閉めたため、マックスの言葉は中断させられた。
車外のガトリング男が歩き出すと同時に、電動車が発進する。マックスは文句の矛先を変更し、運転席のシートにへばりついた。
「コラおっさん、話聞いとんのかい! アンタら何者で、俺らをどこに連れてくつもりや!」
耳元で怒鳴ると、壮年の男はうるさそうに片手を上げた。
「言いたいことはあとで聞こう。私はアンドリュー・シャラマン、さっきの男はサイファー・キドナだ。今はおとなしく車に乗っていてくれないか」




