表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/68

蠢く海

 大陸ファンテーレ南のキーリア海、外洋。

 果てしなく広がる大海原に島は見えず、鳥の影もない。

 時おり、クジラの一家が深海から浮上し、巨体をうねらせながら潮を噴き上げている以外、動くものは見えない。

 そんな外洋に、一隻の巨大船が、あたかも島の如く停泊していた。

 全長およそ330メートル。全幅約76メートル。三千名余りを収容でき、甲板に広大なヘリポートを設け、砲台も装備されている。

 軍部の空母に匹敵するスペックであるが、しかしこの船は軍部の所有物ではない。

 海上基地艦〈ヴィスキオン〉。私設組織〈VERITEヴェリテ〉の司令塔である。



 目覚めは唐突だった。

 浅い眠りと覚醒が、短い間隔で一晩中繰り返された朝は、たいてい右腕が疼く。その日も例外ではなかった。

 右腕の付け根を掻きむしりたくなるのを必死でこらえ、寝返りを打つ。疼きはやがて、ズキズキという鈍い痛みに変わる。いつもそうだ。

 実際には、痒くも痛くもない。そういった感覚はすでに消えている。そう感じるように錯覚しているだけだ。

 煩わしい感覚にさいなまれ、ジークヴェルヌ・レ=マルークは、目を開けた。

 気だるげにベッドから上体を起こす。片膝を立て、膝頭に額をつけるように背中を丸める。そうしている間に、ルームシステムが彼の起床を感知し、照明を点灯させた。空調も適切な風量に調整される。寝室には窓がないので、外光を取り入れることは出来ないが、優秀なルームシステムは、時間帯に合わせて室内を常に最良の状態に保つよう設定されていた。

 ジークは顔を上げた。疼きは治まっている。短い夢を見たような気がするが、どんな夢だったのかは、目覚めた瞬間に忘れてしまった。

 右腕を見ようと少し首を傾けると、緩く波打つ長い横髪が、はらりと顔にかかった。彼の右腕の付け根、肩との境目には、銀色の輪が嵌められていた。

 サイドボードに設置されたディスプレイに視線を移す。表示されている時刻は、午前七時八分だった。

 今日は早く起きる必要はないのだが、二度寝を決め込む気にはなれないし、眠気も中途半端だ。ため息ひとつ、ジークはベッドから降りる。

 天井付近から、ルームシステムのナビゲートが話しかけた。

『おはようございます、レ=マルーク副官。本日のお目覚め予定よりお早いですね。もう少しお休みになられますか?』

「もういい。予定を繰り上げる」

 そっけない返事をしても、ナビゲートの無機質な音声は、常に従順だ。

『かしこまりました。シャワーを浴びられている間に、朝食をご用意いたします』

「食事はいらない。それよりも……」

 立ち上がってバスルームに向かいながらそう言うと、ナビゲートとは違う声が返ってきた。

『駄目よ、ちゃんと食べて』

 凛として芯のある女性の声だ。ジークは低く呻き、そこにはいない人物の代わりに天井を睨んだ。

「パーセフォン、俺のルームシステムに割り込むのはやめろと言っただろう」

 おおかた彼女は、ジークが朝食を食べるかどうか確認するために、ルームシステムの作動状況を見張っていたのだ。

『あなたが自己管理を怠らなければ、私がこんなことをする必要はないのよ』

「自己管理なら怠ってないさ」

『なら食事はきちんと摂って。あなた最近、食べなさすぎよ』

「食欲がない」

『そんなはずないでしょ。仕事は完璧にこなせていても、食事不足で倒れられては、他のみんなに示しがつかないわ。総統が留守の今、あなたに何かあったら全員が困るの』

「君はいつから、俺の乳母ナニーになったんだ」

乳母ナニーになったつもりはないけど、不摂生を続けるなら、小姑にだってなるわよ』

 彼女の言い分が正しいのは分かっている。ジークは再びため息をつき、うっとうしげに頷いた。これ以上の“議論”は不毛だ。

「分かった。食べるからルームシステムから離れてくれ」

 渋々ながらも意見を汲みいれたことに満足したのか、彼女の口調はいくぶんか和らいだ。

『食事は部屋に持って行かせるわ。済んだら作戦室に来て。あなたの大好きなお仕事が待ってるわよ』

 その後、すぐにナビゲート音声に戻った。

 パーセフォンの“おせっかい”には時々悩まされるが、周りに示しがつかない、という彼女の主張には賛同する。副官という立場にある以上、部下たちに醜態を見せるわけにはいかなかった。

 気を取り直してバスルームに入る。熱い湯に晒した身体は、細身ながらも引き締まっているが、周囲に言わせると「痩せすぎ」らしい。

 湯気で曇った鏡を手で拭う。深海のような青い目が、こちらを物憂げに見つめていた。寝不足のせいで、目の下に薄いクマが出来てしまっている。それでも、本来の眉目秀麗さは損なわれていない。

 濡れた身体を拭きあげ、制服を身に纏う。詰襟のインナーと合わせボタンの上衣、揃いのパンツとロングブーツは、軍部支給の服に似ているが異なるものだ。ジークのためだけにあつらえられた、彼の特別な地位を現す制服である。

 着替えが済むと、見計らったかのように食事が運ばれてきた。適度に焼けたトースト、ほうれん草とブロックベーコンのオムレツ、サラダの付け合せ、スープとグリーンスムージー。栄養バランスのいいメニューだ。小食のジークにも、無理なく食べられる量に調整されている。

 これをたいらげなければ、部屋から出してもらえなさそうだ。諦めて、食事の置かれたデスクに着いた。 



 

 朝食後、執務室へは寄らず、まっすぐに作戦室を目指す。途中すれ違う構成員たちからの挨拶を受けつつ、長い廊下を行く。

 やがて見えてきた突き当りの自動ドアをくぐると、そこはヴィスキオンの中枢部。操縦と指令の発信地、つまり船橋ブリッジである。

 前面には幾つものディスプレイが、天井近くまで設置されており、主要都市の風景や、様々な数値が表示されている。組織所有の衛星から送られてくる映像もあれば、大陸各地に解き放った工作員らが撮ったもの、ハッキングした街頭監視カメラの映像もある。

 ディスプレイの下には、扇状にずらりとデスクが並んでおり、十数名のオペレーターが忙しそうに動き回っていた。

 ジークの入室に気づいたオペレーターの一人が、デスクから立ち上がり、丁寧に挨拶した。他のオペレーターも次々とそれに倣う。

 彼らの挨拶に軽く応じつつ、ジークはブリッジの上階にある作戦室へ向かった。

 作戦室は個室であり、前面がガラス張りで、ブリッジが丸ごと見渡せる造りになっている。中央には会議デスクがあり、専用の椅子が八脚揃えられていた。

 作戦室には先客が一人いた。ガラス窓のそばに立ち、ブリッジのディスプレイを眺めていた彼女は、ジークに気づくと、腕組みして振り返った。

 白いシャツの上からでも分かる形のよい胸は、腕組みによってその豊かさが強調されてる。膝丈のタイトスカートはスリット入りで、匂い立つような脚線美を醸し出していた。背中にかかるほどの長さの髪を、うしろできっちりとまとめた姿は、彼女の性格を現しているようだ。

 パーセフォン・レイステルは、ブルートパーズを思わせる澄んだ水色の眼差しを、まっすぐジークに向けた。

「おはよう、早起きさん」

「君の方が早いじゃないか」

「そうね、私があなたより遅く起きたことはなかったわね」

 含みを持たせた言い草に、ジークは口の端を歪めた。だがそれについては何も言わず、パーセフォンの隣に立って、同じようにブリッジのディスプレイを見下ろした。

 ジークの横顔を、パーセフォンがじっと見つめる。

「食事はとった?」

「本当に小姑になるつもりか」

「口うるさいのが一人くらいいないとまとまらないでしょ、ここのメンツは」

 ジークに睨まれようとも、彼女は怯まない。

「情勢に変化は?」

「変化はないけれど、意外な発見があったわ。これを見て」

 パーセフォンは、ガラス窓の下のコンピューターに手を伸ばす。このコンピューターから、各居住スペースのルームシステムにアクセスも可能だ。

 白魚のような指でキーボードパネルを操作すると、小型ディスプレイにどこかの風景が映し出された。

 民間人が大勢行き交う、石畳の広場だ。遠くの方に特徴的な建造物が見える。その建物にはジークにも見覚えがあった。

「ここは……、カムリアンのニサリア教会堂前のマルゴ広場か」

 実際に足を運んだことはないが、観光地として有名なため、多種メディアで何度も目にしたことがある。  

 頷いたパーセフォンは、更にいくつか操作した。

「そう。これは現地の街頭監視カメラの映像よ。昨日、このカメラに映ったものを見てほしいの」

 タン、とキーを押した瞬間、映像が切り替わった。風景そのものに変わりはないが、昨日の日付になっていた。

 ジークは目を凝らして画面に見入った。

 右へ左へ過ぎ行く観光客の中、画面中央を横切る二人組が目についた。

「止めろ」

 ジークの指示を予測していたのだろう。パーセフォンはちょうどいいタイミングで、画像を一時停止させた。そして次の指示を待つまでもなく、映った二人組をズームアップさせる。

 一人は壮年の男。もう一人は若い長身の男。どちらにも見覚えがある。特に長身の男は、赤いゴーグルを嵌めているという、間違えようのない特徴を持っていた。

「サイファー・キドナ。それにシャラマン博士。なぜこの二人が一緒に?」

 マキニアンとその開発者という接点があるだけで、交流などなかっただろう組み合わせだ。

サイファーはともかく、アンドリュー・シャラマンが生きていたのは意外だった。〈パンデミック〉で命を落としたものと思われていたのだ。

 パーセフォンは肩をすくめた。

「天地がひっくり返りそうな二人組だけど、行動を共にしているのは間違いなさそうね。何をするためにカムリアンにいたのか、おおよそ見当がつくでしょう? もちろん、仲良く観光なんてことはないわよ」

 ジークは視線を、コンピューターからパーセフォンに移した。

「まさか〈観測所〉の調査か?」

「おそらくそうでしょうね」

 カムリアン・シティ、オルドビ郊外の〈観測所〉の存在は、〈VERITE〉でも掴んでいた。内部に諜報員を数名潜入させており、の施設で何が行われているのか、すでに報告を得ている。

 シャラマンとサイファーも、〈観測所〉の秘密を暴いたのだろうか。

 パーセフォンは、肩にかかった髪を後ろに払った。

「他の監視カメラのいくつかにも彼らが映っていたから、足取りをつなぎ合わせてみたの。どうやら教会堂のどこかで、誰かと会っていたようね」

「誰にだ?」

「〈観測所〉の情報を知る何者か、じゃないかしら。サイファーたちはマルゴ広場を、左から右に通っている。ニサリア教会堂はこの左手にあるから、映像はその何者かと会った後のものね。それと、彼らがここを通りがかる時間の直前に、教会堂の裏手で爆発事故があったらしいわ。彼らが、いえ、サイファーが何かしたんでしょう。それと、もう一つ気になることがあるの」

「何だ」

 パーセフォンは腕を組み直し、話を続けた。

「サイファーたちより先に、ニサリア教会堂を訪れた者たちがいるの。あの二人とほぼ同じルートを通っている。ただの偶然だとは思えないわ。見て」

 画像が更に巻き戻る。サイファーとシャラマンが広場を通りがかった三十分前に、左から右へ横切る別の二人組が映し出された。

 子どもと見まごうような小柄な男と、温厚そうな長身の男だ。知らない二人である。

「彼らは何者だ」

 ジークの質問に、パーセフォンは迅速に答えた。キーボードパネルを叩き、正体不明の二人組のデータを、顔写真とともに表示させる。

「小柄な方はマキシマム・ゲルトー、通称マックス。長身の男は、相棒のディーノ・ディーゲンハルト。賞金稼ぎのコンビよ」

「賞金稼ぎが〈観測所〉の秘密を暴こうとしていると?」 

 何のために? ジークは右手を顎に当てて思案した。

 賞金稼ぎというのは、懸賞金のかかったターゲットを追うはずの裏稼業者バックワーカーであるはずだ。そんな連中が、政府管轄施設に何の用だというのか。

 サイファー・キドナとアンドリュー・シャラマンが、どんな目的で共に行動しているのか。こちらも捨て置けない状況だ。

「パーセフォン」

 ジークが名を呼ぶと、彼女は組んでいた腕を降ろした。

「二班を編成し、サイファーとシャラマン及び、賞金稼ぎの二人組を追え。サイファーとシャラマンは確保。賞金稼ぎの方は尋問ののち処分。余計な情報を漏らさせるわけにはいかない」

「今さらサイファーが必要? あの男は総統に忠誠なんか誓わないわよ」

「忠誠は不要。用があるのはマキニアンとしての戦力だ。〈イーデル〉が消滅した今、マキニアンは君たち〈処刑人ブロウズ〉だけだ。殺すのは惜しい」

「シャラマンを連れ帰ったら、シュナイデルがヒステリー起こすでしょうね」

「文句は好きなだけ言わせておくさ。だが、彼女に決定権はない」

 科学者としてのシャラマンの実力は、〈イーデル〉屈指と言われている。マキニアンの生みの親たる彼の頭脳を、〈VERITE〉でも役立ててもらいたい。

 本音を言えばあと一人、ウラヌスだけでもここに残っていれば、パーセフォンと一緒に行かせたのだが。

 ジークはその考えをすぐに取り消した。ウラヌスはシーザーホークと共に、総統の外出に随行中だ。呼び寄せる時間はない。それに、任務の対象が全員男だと知ったら、断固拒否するに決まっている。

「頼んだぞ」

 返事の代わりに頷いたパーセフォンは、作戦室の出入り口に向かった。出て行く間際、一度だけジークを振り返る。

「顔色が良くないわ。また眠れなかったのね」

「もう慣れた。行け」

 冷たく返すと、パーセフォンはすっと目を細めた。しかし何も言わず、静かに廊下へと姿を消した。



 一人作戦室に残ったジークは、八脚の椅子の一つに座った。上座の左隣、作戦室におけるジークの定位置である。

 両肘をデスクに置き、組み合わせた両手に額を乗せる。しばしそうやって俯いていると、背後のコンピューターが軽快な電子音を発した。顔を上げ、椅子ごと後ろを振り返る。誰かから通信が入ったようだ。

 キーボードパネルの一つを押すと、ディスプレイが通信画面に切り替わった。

 映し出されたのは、長いストレートヘアの女性の顔だ。

『おっはよー。ちゃんと眠れてるゥ?』

 右目を眼帯で覆った彼女は、左しかない黄水晶色シトリンカラーの猫目を細めて笑った。

『顔色が悪いなァ。あたしが処方した睡眠薬なくなった? 欲しけりゃあたしの研究室に行けば、誰かが用意してくれるわよ。それとも腕の鎮痛剤の方が必要? まあそっちの方は気の持ちようだからね。痛む気がするだけよ。病は気からって言うでしょ、大丈夫大丈夫。あーっと、相変わらず眉間にシワ寄せちゃってェ。若いうちからそんなんだと老けて見えるよ。せっかく見た目がいいんだからさ、リラックスリラックス』

 世間話をする主婦のように、ひらひら手を動かしながら喋る。彼女の言葉ひとつひとつに、いちいち反応していたらきりがない。

 シュナイデルのせいで、急に頭痛を覚えたジークは、指先でこめかみを軽く抑えた。本音を言えば、睡眠薬の残りが少なくなっている。だが、ここで彼女にそれを告げるつもりはなかった。

「シュナイデル、睡眠薬も鎮痛剤もいらない。君がその喋り方をやめてくれれば、それが何よりの薬だ」

『あらま。睡眠薬より、パーセフォンに添い寝してもらった方が効き目あるって?』

〈VERITE〉のブレイン、クロエ・シュナイデルは、口元を手で覆い、ますます楽しげに笑う。

 何もかもお見通しと言わんばかりの態度に、思わずジークは会議デスクに拳を叩きつけた。

「そういう冗談を言うために、わざわざ通信を入れたのか。報告があるなら時間を無駄にするな」

 シュナイデルは唇を尖らせ、つんと顎を上げる。

『ふん。からかい甲斐はあっても面白みのない男ね、あんた。そうやって必要以上に気ィ張ってるから眠れなくなるのよ、馬鹿だね』

 

 クロエ・シュナイデルにとって人生とは、「楽しめてこそ価値があるもの」だ。

 日々をいかに面白くし、知的好奇心を満たし、公私を――彼女の場合、ほとんどが“私”だが――楽に充実させるか。彼女の行動理念はそこに尽きる。研究においても例外ではない。

 すべての欲求を満たすためには、他人を利用し、使い捨てることも厭わない。むしろ喜んで他者を踏みにじる。自分以外のすべては、自分の望みを叶えるために犠牲になるものだ。科学者シュナイデルとは、そういう人物である。

 だから彼女には、寝食を削ってまで任務に打ち込むジークの姿勢は、理解できないだろう。ジークもシュナイデルを、真の意味では理解できない。思考の方向性が違いすぎる。お互いの実力だけは認め合っているが。


「〈フェイカー〉の運転実験はどうなっている。遊ばせるためにアトランヴィルに行かせたわけじゃないぞ。ベゴウィックとエブニゼルの進捗状況はどうなんだ」

『うっさいな。フェイカーはあたしが造ったのよ。あたしのものをどうしようと勝手じゃん。報告なら今してあげるわよ。報告報告って、ここはお役所かっつーの』

 画面の向こうでマグカップを手にしたシュナイデルは、文句を言いながら一口二口飲んだ。マグカップの中身がワインでなく、ちゃんとコーヒーであることを願うジークである。

『フェイカーは順調よ。ラグナにけしかけてみたけど、まずまずの戦闘データが採取できた。これを元に、更なる改良が進められる。あと二つ三つ、フェイカーのタイプを増やせると思うわ』


〈フェイカー〉はシュナイデルが研究開発した生物兵器だ。

 素体はメメントで、マキニアンと同じような細胞置換を施している。よって肉体変形機能を持ち、それはすなわち〈細胞装置ナノギア〉である。

 十年前の〈パンデミック〉で研究施設〈イーデル〉が襲撃された折、マキニアンに関わるプロジェクトに使用されていた研究機材は、ほとんどが失われた。シャラマンが生きていたとしても、完璧な〈細胞置換技術イブリディエンス〉の装置を再び製作するのは非常に難しい。

 だがシュナイデルは、装置のレプリカを造り上げた。あくまでもレプリカであるので、人間には〈細胞置換技術イブリディエンス〉を施せない。それでも、メメントに〈細胞装置ナノギア〉を与えられるほどの成果を挙げたのは見事であると、ジークも評価せざるを得なかった。


『まあ、そっちはともかくとして』

 シュナイデルが、それまでの話題を振り払うように手を振った。

『戦闘データの採取中に、二種類の生体パルスが検出されたわけよ』

「二種類だと?」

 興味深い話だ。ジークはディスプレイに顔を近づけた。

「一つはラグナのものだろう。もう一つは誰だ? まさかシェドが現れたか?」

 ジークが興味を引かれたことに気を良くしたらしい。シュナイデルは猫目を細め、ますます猫のように笑った。

『ふふーん、違うのよこれが。アダムでもシェドでもラグナでもない、四人目の〈融合者ハーモナイザー〉発見ってワケ。ま、あの三人に比べれば大したもんじゃないけど、そもそも融合者を発見できただけで儲けもんだからね。さっそく調べて、脳筋ベゴウィックコミュ障エブニゼルのどっちかに捕獲しに行かせるわ』

「では、四人目が何者なのかは判っているんだな」

『もっちろん。じゃ発表しまーす、デデーン、こちらのウィンドウをご覧あれ』

 余分なセリフを加えるシュナイデルが指差した画面左側に、一枚の画像ファイルが表示された。

 どこかの大学の学生証らしき写真だ。写っているのは十七、八歳ほどの少女である。珍しい色味の赤毛と孔雀藍ピーコックブルーの瞳の持ち主で、整った顔立ちをしている。

『名前はリカ・タルヴィティエちゃん、十八歳。アトランヴィル・シティ第九区のワーズワーズ大学一年生。ああもう、こんな若くて可愛い女の子に、あんなことやこんなことできるなんて、今から想像しただけでゾクゾクするわ』

 両手で頬を挟み恍惚となるシュナイデルを、ジークは冷ややかに見据えた。才能ある科学者の中には、変わった趣味の者が多々存在するものだと承知しているが、シュナイデルの性癖は、やはり理解不能だ。

「こんな少女が融合者とは。ラグナやシェドとの共通点はあるのか?」

『そこなんだけどね、ちょっと面白い事実があんのよ。はい、これ見て』

 少女の画像の右下に、素姓が箇条書きされたウィンドウが表示された。ジークはざっと読んだが、変わったところはないように思えた。実家はアトランヴィル・シティ第六区、家族は未婚の母イザベルのみ。母親の経歴も、少女本人の学歴などにも、不審な点は見受けられない。

 ジークが一通り読んだのを見計らい、シュナイデルは口を開いた。

『言いたいことは分かるわ。リカちゃんにも母親のイザベルにも、注目すべき部分はない。あくまでもこの二人には・・・・・・、ね』

 別のウィンドウが、今度は二枚同時に、少女の画像を囲むように表示された。

 一枚は、十九年前に起きた事件の記事。そしてもう一枚は、失われて久しい、とある施設の写真である。

 それらに目を通したジークは、知らぬうちに眉間に皺を刻んだ。

 新たな二枚の画像に共通点はない。だが、事件の内容、記された数字、そしてわざわざシュナイデルが施設の画像を添えたこと。

 これらを繋ぎ合わせてみれば、おのずと答えが浮かんでくる。

シュナイデルは、自分の報告にジークが食いつく様子を、満足気に眺めている。

「そんなことがありえるのか? あの施設に収容されていた者は、全員殺されただろう? 一人を除いて」

『絶対にないとは言いきれないわよ。現にメメント、いえモルジットは、日を追うごとに進化している。奴らかなりの勢いで、この星の生態系に順応してるのよ。可能性は充分にあるわ。それと、その“唯一の生存者”以外に、生き残ったのがいたとしたら? その可能性がないと、あんた断言できる? このリカちゃんは、さしずめ……』

 シュナイデルは実に楽しそうに笑いながら、少女の画像を指差した。

『血塗られた〈光の教会〉の副産物ってところね』


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ