表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/68

ファイヤーアント

 シャラマンの思考は、一瞬停止した。

〈イーデル〉において一、二を争う才能の持ち主の脳は、ヘインズリーが告白した内容を処理するのに、数十秒の時間をかけた。

 シャラマンは瞬きも忘れ、元エリート軍人である神父を見据えた。

「今、なんと……? 子どもを殺したと、そう言いましたか?」

 ヘインズリーは無言で頷く。

「子ども? あんな所に子どもガキなんぞいたかよ」

 一人だけ興味希薄なサイファーは、髭の伸びかけた顎をさする。ヘインズリーはサイファーを一瞥した。

「私もそう思っていました。ですが、いたのです」

 シャラマンは寄りかかっていた長椅子から離れ、ふらりと数歩、神父に近づいた。

「その……その子どもは、どんな子だった? どこにいて、どんな状況で……?」


〈イーデル〉に常駐していたのは、研究者やその他の職員、警備班、そしてマキニアンたちだけだ。十代前半という若年のうちに〈細胞置換技術イブリディエンス〉を施され、マキニアンとなった者たちは別として、〈イーデル〉内には成人しかいなかった。

 

 だが、一部の人間だけは知っていた。

〈イーデル〉の中に、たった一人だけ、子どもがいることを。


 比喩ではなく、真実を述べているのであれば、ヘインズリーが殺した子どもというのは――。 

 ヘインズリーは当時を思い出すかのように、虚ろな眼差しを泳がせた。


「施設内のどこをどう進んだのか、今となってははっきりとは思い出せませんが、研究施設の最奥部だったのではないでしょうか。私は同じ班の数名と共に、そこに突入しました。マキニアンや研究員はいませんでした。代わりに、子どもがいたのです。白い看護服を着て、車椅子に乗っていた」


「ああ……」

 喉からため息が漏れ出ると同時に、シャラマンはきつく瞼を閉じた。

 神父の告白は続く。


「なぜこんな所に子どもがいるのかと、我々は戸惑いました。誰かがその子を保護するために近づこうとしたとき、壁を打ち破って、何体ものメメントが現れました。突然のことに、一瞬だけ班の統率が乱れました。すぐに持ち直しましたが、メメントたちは激しく暴れていました。後方に控えていた武器班が到着して、我々は急ぎ装備を手にし、メメントに銃を向けたのですが、現場は混乱していて、瓦礫と埃で視界が奪われ、誰がどの位置にいるのかも分からない状況でした」


 ヘインズリーは、そこで一旦言葉を切る。深く、重苦しい息をひとつ吐き出して、その先を話した。


「視界の端で、動く影がありました。私は反射的にそちらを向き、引き鉄を引きました。やがてメメントが倒され、混乱と土埃が治まったとき、私は誰を撃ってしまったのかを知ることになりました」


 倒れた車椅子。

 倒れ伏した小さな身体。

 床を濡らす赤いもの。

 今でも忘れられないと、神父は唸るように呟いた。


「ひとつだけ。あとひとつだけ、教えてください」

 瞼を閉じたまま、シャラマンは尋ねる。

「遺体は、どうなりましたか?」

 神父の答えは短かった。

「消えていました。跡形もなく」   



 シャラマンの瞼の奥で、眼球が熱を帯びていく。

〈パンデミック〉の後、人類を“災厄”から救うための探索行において、シャラマンが何よりも追い求めてきたのは、その子どもの存在確認だった。

 シャラマンは、トワイライト・ナイトメアこそ、その子の変異体だと考えていた。

 しかし実際には、トワイライト・ナイトメアの元の姿はバートルミー・オズモントという男性で、〈パンデミック〉の際に発生した生体パルスの影響を受け、変異したのである。バートルミーは、類稀なるモルジット適合者だったのだ。

「ああ、そうだ。そうとも。冷静になって考えてみれば、あの子がトワイライトなどではないことくらい、すぐに分かっただろうに」

 声なき乾いた笑い声で、シャラマンは肩を揺らす。思い込みのせいで視野を狭めてしまった自分が愚かすぎて、嗤うに嗤えない。 

「大陸全土に広がる生体パルスだぞ? あの子以外に誰が出来るというんだ。トワイライト・ナイトメアのような強力な共生体シンビオントが誕生したのも、〈パンデミック〉の後にメメントが増加したのも、あの子のパルスを受けたからだ」

 声に出さずにはいられなかった。頭の中で嵐の如く渦巻く思考を、荒ぶる気持ちを、吐き出さなければ潰れてしまいそうなのだ。

 たとえ、サイファーに奇異な眼差しを向けられていても、シャラマンは意に介さない。

「いないんだ。あの子はもうどこにもいない。死など、とうに越えている。メメントにさえならずに。行ってしまったんだ……“向こう”へ」


「おい。あんたのアタマもどっかイってんじゃねえか。さっきから一人でベラベラベラベラとよ」

 サイファーはせせら笑いつつ、長椅子から立ち上がった。

「つまりこういうことか。そこでウジウジしている元〈ブラスター〉のクソ神父は、政府に踊らされてマキニアンやガキを殺した罪を償うつもりで、マキニアンであるこの俺に殺されたい。そのガキってのは、シャラマン、あんたが探していた奴だ」

 教壇の方へ向かう、盲目の彼の足取りに迷いはない。ゴーグルによる熱反応感知で、シャラマンやヘインズリーの位置は掴めるし、研ぎ澄まされた感覚すべてが、光亡き目をカバーしている。

 サイファーの足は、教壇の5、6メートル手前で止まった。

「神ってのが本当にいるんなら、ずいぶんといい趣味をしていやがる。人間世界をさんざん引っかき回して、殺し合いだの騙し合いだの、くだらん小競り合いだの、毎日毎日飽きもしねえで繰り返させておきながら、テメェは遥か高みで見物してるだけだ。おまけに無償の敬意を要求する上で、救いの手なんざ差し伸べやしねえ。羨ましいご身分だ、最高だぜ」

 付き合いのそう長くないシャラマンでも、サイファーが神を信じるような男ではないことくらい、すぐに察しがついた。サイファーは神仏にも、権力にも興味がない。強者と戦い勝つことを求め、事実だけを受け入れ、善悪ではなく己の意思を優先し、それでいて無責任を嫌う。

 昨年サイファーは、己の戦闘欲を満たすためだけに、アトランヴィル・シティで騒動を起こした。が、自分のその行為を悔い、改心したりはしなかった。シャラマンの旅に同行したのも、罪を償うためなどではないのだろう。

「サム・ヘインズリー。テメェが死ぬのは勝手だが、それで終わると思うなよ。神なんざいやしねえ。死後の楽園なんざねェんだよ」

「ええ、あなたの方が正しいのでしょうね。祈りの言葉よりも」

 目を伏せ頷いたヘインズリーは、銃で撃った左手を黒い祭服キャソックの中に差し入れた。その手が引き抜かれたとき、掌中には携帯端末エレフォンが握られていた。

 ヘインズリーが端末を放ると、サイファーは器用に片手で受け取った。掴んだものの、端末画面を見ることが出来ない彼は、「シャラマン、持っとけ」と無造作に後ろへ放る。シャラマンは慌てて両手を伸ばし、危なっかしくも何とか空中でキャッチした。

 ヘインズリーの端末は、シャラマンのものとはキャリアが違うだけで、一般的なそれと何ら変わりなかった。

「これを、どうすれば?」

 シャラマンは、端末とヘインズリーを交互に見た。こちらに投げてよこしたからには、何か狙いがあるのだ。

「私に出来る最後の仕事です。画像フォルダを見てください。今日、あなた方で二組目です。偶然かもしれないし、然るべき時が来たのかもしれない。そのどちらでもあり、どちらとも違うかもしれない」

 独りごちるように言いながらヘインズリーは、銃を握る右手を上げた。

「下がってろシャラマン」

 背を向けたまま、サイファーがごく短い警告を発する。これから何が起きるのか、説明を受けるまでもない。シャラマンに出来るのは、サイファーの邪魔にならないこと、自分の身を自分で守ること、そして退路の確保だ。


 シャラマンが廃堂の外に出たのを確認すると、ヘインズリーは銃口をこめかみに当てた。

「マキニアン。あなたが〈処刑人ブロウズ〉の一人であることは知っていました。どうか名前だけでも教えてください」

「どうせ死ぬんだ。覚えたって意味ねえぜ」

「それでもいい。私を救う方の名を聞いておきたいのです」

 サイファーは鼻で嗤い、口の端を歪めた。

「サイファー・キドナだ。俺はテメェを救わない。倒す」

「ありがとう、サイファー」

 穏やかな口調で礼を述べたあと、二度目の銃声が堂内に響き渡った。


 

 銃声がこだまする中、他に二つの物音を聞いた。重い物が床に落ちる音。それに続き、もっと重いものが床に落ちる音。前者は鉛の塊――銃。後者は固さと柔らかさを兼ね備えた塊――人間。

 赤いゴーグルの内側のサーモグラフィでは、倒れた男の体温表示色が、暖色から寒色に変化していく。

 サム・ヘインズリーは自らを銃で撃ち抜き、その命を絶ったのだ。

 サイファーは両腕を広げ、指を動かし、筋肉をほぐした。首をぐるりと回すと、コキコキと骨が鳴った。

 遺体の熱反応に、変化が起きた。完全に青く染まったはずの遺体に、赤みが差したのだ。

 復活した熱は、たちまち全身に行き渡る。床に倒れたヘインズリーの身体が、激しく震えはじめたかと思うと、跳ねるように飛び上がった。

「死ににくい身体になったんなら、もっと楽しむやり方があっただろうよ。真面目気質の軍人ってのは、これだから面白みがねえんだ」

 ヒトの輪郭が変化を始めた。胴が中心から二つに折れる。折れた部分から、幾筋もの管のようなものがあふれ出て、天井に向かって伸び上がった。

 管はいくつかが複雑に絡み合い、やがて三本の太い茎となった。茎の先端から更に、細い触手が無数に生まれる。

 サイファーの両腕もまた、変化を始めた。腕の付け根、肩のすぐ下から指先までが、五本の金属管手へと、形状と質が変わっていく。

 シャラマンと行動を共にして以来、メメントと戦う機会が減った。この〈ハイドラ〉を存分にふるえるのであれば、相手が何だろうとかまわない。

 ヘインズリーだったものは、今やかつての形状を失い、天井に届かんばかりの巨体に変貌している。 

「テメェはそれで、〈政府やつら〉に噛みついたつもりだろうが、やつらにしてみれば、使い捨てた駒が剥き出した牙なんざ、痛くも痒くもねえだろうよ。だが……」

 対峙しているのは、もはやヘインズリーではない。何を言っても届きはしない。

「火蟻に噛まれりゃ、話は別だな」

 目にも留まらないほどの小さな蟻だが、たった一噛みで死に至らしめる猛毒を持つ。

 無害な小虫が、破滅を招くこともあるのだ。

 いずれ思い知るだろう。火蟻は一匹ではないことに。




 シャラマンが外に出てから数分後、廃堂の中から凄まじい破壊音が轟き、青紫の稲光が放出された。

 窓ガラスは粉砕し、壁は崩れ、建物全体が痙攣のように震える。

 シャラマンが見守る中、やがて稲光は治まり、あたりはしん・・と静まり返った。

 半壊した建物から、サイファーが姿を現したのと、表の教会堂側から人々の喧騒が近づいてくるのは、ほぼ同時だった。

 戦いの結末を聞く時間は今はない。シャラマンは急いでサイファーに駆け寄り、退路として確保していた道に誘導した。

「画像フォルダにあったのは何だ」

 大股で歩きながらサイファーが問う。追い抜かれたシャラマンは、慌てて歩みを速めた。

「〈観測所〉が隠しているモノが映っていた。おそらく、超大型のメメントだ。他に類を見ないタイプだった。トワイライト・ナイトメアと同じく、独自の生態を持つ共生体シンビオントだろう」

「で、このあとはどうするつもりだ」 

 シャラマンは迷わず答えた。

「ヘインズリーは『今日で二組目だ』と言っていた。つまり、私たちが来る前にもう一組、彼を訪ねた人たちがいるんだ。しかも〈観測所〉についての情報を求めて」

 その先客たちが何者なのか予想もつかない。味方とも敵ともつかない。

 が、ヘインズリーから渡されたのは画像だけだ。そこに映っている物体がいかなるものか、その説明をする前に、彼は自身の歩みを止める決断を下した。

 先客たちから聞き出す以外にないだろう。

「なら、追いかけてとっ捕まえるか」

 サイファーの言葉に頷いたシャラマンは、神父の形見となった携帯端末を握りしめた。

 今は一刻も早く、ニサリア教会堂から離れなければならない。落ち着いたら、ヘインズリーの人生の結末を、サイファーに聞くつもりだった。せめて彼のことを記憶に留めておきたいと思って。

〈イーデル〉が……〈政府〉が捲いた種は、想像もつかない場所から芽吹いてしまっている。“災厄”から人類を救うためにと、必死でもがいているものの、具体的にどうすればそれが叶うのか、シャラマンにも見当はついていない。

 ただひたすら、あの子を捜していただけだ。

 

 捜し求めていた人物は、もうこの世界にはいない。少なくとも、肉体を伴ってはいない。シャラマンの考えに間違いがなければ、あの子はすでにヒトの手の届かない場所へ移ってしまっている。


(フェイト……)

 

 脳裏に蘇った、無垢な少年の姿に呼びかける。


(君はまだ、一人で戦っているのかい? 小さな身体で。)


 無邪気な声と、瞳に宿る知的な光。

 思い出の中の少年は、朗らかに言う。


 ――ねえアンディ。この子を僕の“弟”にするよ。


 ――きっと、うまくいくから。


 ――だから、僕を信じて。


 フェイト・アーテルナム。

 彼こそすべての始まりだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ