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罪と罰

 ヘインズリーの携帯端末エレフォンをしばし眺めていたマックスは、思い立って自分の端末も取り出した。ヘインズリーの端末を左手に持ち変え、右手で自分の端末をせっせと操作し始める。

 相方が持ち主に断りもなく、メメントとおぼしき巨大物体が映った画像を、自分のフォルダに転送したのを見て、ディーノは慌ててヘインズリーに言った。

「すんませんヘインズリーさん、あの画像、勝手に移してしもたんですけど……」

 怒られるかと思いきや、神父は平然と受け止めた。

「かまいません。むしろ感謝しています」

「は? 感謝て……?」

 神父の意外な反応に、ディーノは内心で首を傾げた。先ほど「見たあとに何が起きても保障はしない」と釘を刺しておきながら、こちらが画像を手元に置くことに関しては「感謝する」という。

 ヘインズリーの真意が量れない。ディーノの中で、表情なき神父への疑念が芽吹いた。敵意をむき出しにしてくる相手より、こういう腹の底が読めない手合いこそ、厄介事の種を抱えているものだ。


(この神父はん、まだ何か知ってるんとちゃうやろか)


 武器を持たない時はいたって温厚なディーノであるが、警戒すべきと判断した相手にまで、良き人の顔を保つほどお人よしではない。

「あの、ヘインズリーはん、あんた……」

 探りを入れようとディーノが口を開いた時、作業を終えたマックスが立ち上がった。

「よっしゃ、用は済んだ。帰るでノンちゃん」

「えっ?」

 ぽかんと見上げるディーノをよそに、マックスはヘインズリーの端末を投げ返した。相方の爪先は、すでに出入り口に向けられている。ディーノも慌てて椅子から立った。

 マックスは自分の端末をしまい込みながら、冷ややかに神父を見据えた。

「あんた、俺が画像移すの止めんかったな」

「あなた方は“答え”を求めて、はるばるやってきたのでしょう? 画像それが答えになるのであれば、確保するのは当然です」

 ヘインズリーは無表情を崩さず、淡々と述べた。

「どうなっても知らんと脅しをかけたくせに、画像を渡すんは抵抗ないんかい」

「今この場にいる私は“情報提供者”です。依頼人の求めには極力応じますが、あなた方の行く手を阻む権利はありません。あなた方にお渡しした情報は、あなた方のもの。どのように扱うかはご随意に」

 ヘインズリーは言葉を切ると、すっくと立ち上がって姿勢を正した。

「私にできることはここまでです。どうぞ気をつけてお帰りください。お二人の帰路のご無事をお祈りいたします」


 

 マックスとディーノは急ぎ足で来た道順をたどり、観光客ひしめく表の世界に戻ってきた。

 教会堂を出て、広場を横切る。時おり周囲に視線を走らせるが、特に異変は見当たらない。少なくとも今のところは。

 小柄なマックスの歩調に合わせながら、後ろからついていくディーノは、やや前かがみになって相方に話しかけた。

「マー君、あの人、まだ何か隠しとるふうやったで」

「せやろな。なかなか食えんっちゃ」

 マックスは振り返らず、あっさりと肯定した。

「言うてることとやっとることが噛み合っとらん。あいつ、何か企んどる」

「何かって、なに」

「俺が知るかいな」

「そこんとこツッコまんでよかったん?」

「訊いたら向こうの思う壺やんけ。深入りはあかん。俺らが手ェ出すんはここまでや」

 マックスは携帯端末エレフォンが入っているポケットに、一瞬手を触れた。

「俺らがスケコマシから受けた仕事は、観測所の正体を探り当てることや。この画像と、あの腹黒神父から聞いた話を持ち帰れば、それで充分や。そっから先は知らん。さっさとこの街から出るで」

 吐き捨てるような相方の言葉に、ディーノはゆっくりと頷く。たしかに、レジーニの依頼の結果としては、これで事足りるだろう。だが、ヘインズリーがまだ事実を隠している可能性がないとも言いきれなかった。もう少し話してみれば、聞き出せることがあったかもしれない。

 しかし、マックスは深入りしない選択をした。ヘインズリーの言動に不信感を抱いたからだ。

 名ばかりの観測所で隠していたのが、巨大なメメントであったこと。この情報だけでも充分な危険因子だ。すでに二人は危ない橋を渡っている状況にある。これ以上、知らなくてもいいことを知り、不要な揉め事を招くのは御免だ。入手した情報をさっさと渡し、手を引くのが一番である。

 マックスはそう考えたに違いないと、ディーノは推察した。

 とは言うものの。

 レジーニの依頼を受けたその時点で、すでに後戻りできない道を選んだことになっている。それはマックスも承知しているはずだ。

 これはただの時間短縮だ。

 なるべく早いうちに、得た情報をレジーニのもとに届ける。せめて“追っ手”がかかる前に。

 生きて帰るまでが、プロの仕事なのである。


        *


 訛りの強い二人の客人を送り出したヘインズリーは、疲れたようなため息を吐き、小部屋を出て参拝堂に戻った。

 高窓から午後の陽光が射し込み、光のシャワーとなって堂内を照らしている。

ヘインズリーは窓の下に立ち、目を閉じて降りそそぐ光を一身に浴びた。神々しささえ感じさせる光の中に佇んでいると、身の内に澱となって沈む己の罪が、浄化されていくような気がした。 

 だが、そんなことはありえない。ヘインズリーの罪を裁けるのは、神の許しや哀れみ、怒りではない。

 ヘインズリーはのろのろした足取りで、祭壇の前に移動した。ここからだと、堂内がよく見渡せる。


(ようやく、あの画像を渡せる相手が来てくれた。この日を私は、ずっと待っていたのだ)


 三年前、名もなき流れ者から受け取った、観測所の秘密を捉えた画像。

 それを然るべき人物に託すことこそ、自分の最後の使命だと、ヘインズリーは信じていた。

 二人の客人の姿を思い浮かべる。一見するとちぐはぐで、噛み合っていなさそうな二人だったが、取り巻く空気はとても自然で、多くを語らずとも分かり合っているように、ヘインズリーには思えた。

 小柄な方の男が画像を転送した時に、決意は固まった。彼らに画像を託そう、と。  

 彼らは〈パンデミック〉やマキニアンのことを知っていた。そしてメメントのことも。ならば、あの画像をどう活用すべきか分かるはずだ。


(私に出来ることはもうない。あとは……)


 祭壇の下の隙間に右手を差し入れ、隠していたものを取り出す。ごとり、と重い音をたてて壇上に置かれたそれは、汎用型の自動拳銃オートマだった。


(この手で終わりを迎えるだけだ)


 望めるのなら、我が身を裁いてくれる者の訪れを待っていたかったのだが、もはや叶わぬものと諦めるしかなさそうだ。

 

 

 誰しも人生において、運命の分岐点に立つ瞬間が幾度か訪れる。分岐点は光の射す道に伸びているのか、それとも闇の谷底に堕ちていくだけなのか。それは、その瞬間にならなければ分からない。あるいは、ずっとあとにならなければ分からない、ということもあるだろう。 

 ヘインズリーの運命を決定づけたのは、間違いなく十年前のあの日である。

 十年前、ヘインズリーの身柄は、このニサリア教会堂にはなかった。

 彼が聖職者になってから、ほんの五年しか経っていない。その前の五年間は、あてどなく大陸中をさまよっていた。

 十年前までのサム・ヘインズリーは、政府軍部陸軍に所属していた。軍部の中でも特に優秀な人材を集結させた特殊部隊〈ブラスター〉。末席ではあるが、彼はそのエリート集団の中に籍を置いていたのだ。



 かつて〈ブラスター〉は、軍部最強と称されていた。対人作戦はもちろん、メメントの出現が〈政府サンクシオン〉で認知されてからは、化け物討伐の任務にも赴くようになり、数々の戦果を挙げた。

 だが、その業績の輝きは、マキニアンの誕生によって徐々に失われていった。メメント討伐という、軍属としてもっとも過酷でもっとも名誉ある任務を、肉体強化された怪しき部隊に奪われたのだ。

 歓迎できる、わけがない。

 科学的恩恵により、身体を武器に変える能力を付与され、その身ひとつで怪物と戦うマキニアンは、他の兵士たちにとってはメメントと同様の異形でしかない。そんな連中に、軍部最強の称号をもぎ取られてしまった。簡単に認められることではない。

〈ブラスター〉にとってマキニアンの存在は、忌まわしいものであった。ヘインズリーもまた、マキニアンに嫌悪感を抱く一人だった。

 実際にマキニアンの姿を見たことはない。話に聞くだけだ。だが、たびたび耳に入ってくるマキニアンの活躍ぶりは、嫉妬と対抗心を燃え上がらせ、憎しみに変容させるに充分だった。


(私は〈ブラスター〉の一人として、隊に、任務に誇りを持っていた。大陸ファンテーレの平和を護るのは、大陸ファンテーレに生まれた者としての使命。決して、ヒトの姿を真似た異形などにまかせていい任務ではない。そう自分に言い聞かせていた。でなければ……)


 新たな戦力の出現によって、存在意義を揺るがされた〈ブラスター〉には、軍部のエリートという矜持しか残らなくなってしまう。

 だから。

 十年前に、政府保守派から下された〈マキニアン一掃作戦〉決行の折、ヘインズリーは喜んで出陣した。マキニアンなど必要ない。我々ブラスターさえいれば。

 作戦当日ヘインズリーの班は、ケイド・グローバー中佐に率られ、他班とともにマキニアンを管理する政府研究機関〈イーデル〉を襲撃した。

 グローバー中佐は有能だが、マキニアン共存派という、〈ブラスター〉においては異質な人物であった。どんな思いで作戦に加わったのだろうかと、今になってヘインズリーは考える。しかし当時の彼には、マキニアンに理解を示すグローバーもまた、厭うべき存在であった。

〈ブラスター〉による〈マキニアン一掃作戦〉は、迅速に執行された。相手はメメントと戦うために生み出された人間兵器。これまでの敵とはまったく違う。

 だが〈ブラスター〉には勝算があった。マキニアンに備わる機能を利用するのである。

 その機能はオートストッパーと呼ばれる。

 対メメント用兵器であるマキニアンは、対人においても当然、優れた戦闘能力を発揮できる。だが、彼らはあくまでも化け物を討伐するための存在であり、人間同士の抗争鎮圧に投入されることはない。強化人間であるマキニアンは、たった一人でも、常人にとっては恐るべき凶器なのだ。

 そこで開発チームは、マキニアン最大の特徴である戦闘システム〈細胞装置ナノギア〉に安全装置を取り付けた。武装していない人間に対しては細胞装置ナノギアが作動しない、というプログラムを組み込んだのだ。

 マキニアン一掃作戦では、そのオートストッパーの機能を利用したのである。

 すなわち、「銃火器武装をせず、格闘戦術のみを駆使してマキニアンを攻略する」という作戦だ。

 オートストッパーが作動した時のマキニアンの戦闘能力は、一般兵レベルに変換される。つまり、お互いに武器さえ持たなければ、ほぼ互角の実力になる計算だ。

 細胞装置を封じられたマキニアンは、それでも強敵に違いはなかった。〈ブラスター〉は多くの犠牲を払った。

 結果、軍配は数で勝る〈ブラスター〉に上がることになる。


 作戦は成功し、マキニアンの大半は死亡。生き残ったマキニアンたちは、いずこかへと逃走した。

その日をもって、マキニアン部隊〈SALUTサルト〉は消滅。研究機関〈イーデル〉は解体され、国防研――国家防衛研究所に組み込まれることになった。

 同時に、〈ブラスター〉も解散した。マキニアン一掃作戦の執行を、闇に葬るためである。


 ヘインズリーは自分の手を見る。

 この手で一人のマキニアンの命を奪った。彼がどんな人物だったのか、そんなことは考えもしなかった。これは任務であり、そしてヘインズリーは彼らマキニアンを憎悪していた。だから――、

(彼は……マキニアンは……)

 拳を交えた時に触れた肌は、温かかった。戦いの興奮に、体温が上昇していたのだろう。それでも、ヒトの温もりがあったのだ。

(私たちと、変わらなかった)

 両手を握る。殴りつけた肌の生々しい感触が蘇るようで、身体が震える。


(私たちは……私は、一体何と戦ったのだろう)


 マキニアンとの戦いは、軍部の勝利に終わった。ところが、ヘインズリーの胸の奥に残ったのは、ひたすら虚しい敗北感だった。


(勝った? 我々が? まさか。違う。勝ったのは〈政府〉だけだ。我々も、マキニアンたちも、ただただ使い捨てられただけだ)


〈政府〉の意思により造られ、〈政府〉の意思によって消された。そういう点では、〈ブラスター〉もマキニアンも立場は同じだったのだ。

 同族殺しをさせられたに過ぎないと気づいた瞬間、ヘインズリーの中にあった確たる信念とやらは、あっけなく崩れ去った。

 そして、あの日ヘインズリーが手にかけたのは、マキニアンだけではなかった。

 なによりもその事実が、ヘインズリーにとっての大きな枷になった。

 その枷を嵌められたのは、何も精神面だけの話ではない。

 握りしめた拳を開き、拳銃に指を這わせる。

 引き鉄を引くのは簡単だ。だが、引き鉄を引いたが恐ろしい。

 ヒトとしての死を迎えられないかもしれない。それが我が罪に対する罰なのだろうか。だとするなら――。

 ヘインズリーに、死という罰と救済を与えてくれる存在は、たったひとつ。

 五年間この教会で、観測所に関する情報という“撒き餌”を用意して待っていた。結局訪れてくれたのは、あのおかしな二人組だけだった。

 それでも、託すことはできた。

 彼らが正義の人間だという保障はないが、観測所の秘密が暴かれる手助けにはなるかもしれない。

 どうか暴いてほしい。〈政府〉の欺瞞を。

 物音がして、ヘインズリーは顔を上げた。

 廃堂の木戸が、ゆっくりと開かれた。逆光の中には、人影がふたつ。

 こんな時に“客”か。ヘインズリーはかすかなため息をついた。今度も二人連れだ。

 訪問者たちが堂内に足を踏み入れる。どちらも男である。

 一人は五十代くらいの壮年の男で、黒い目にアッシュグレーの髪の持ち主だった。顔つきは柔和だが、どこか哀愁を感じさせる雰囲気を醸し出している。

 もう一人の男は長身で、壮年の男よりずっと若い。着古したアーミージャケットの上からでも、鍛えられた肉体が窺えた。

 ヘインズリーは、泣きたいような笑いたいような、奇妙な感覚に捉われた。待ち望んでいた者が、自分を殺してくれる者が、ようやく来てくれたのだ。

「よくぞおいでなさいました」 

 ヘインズリーは教壇の上で大きく両手を広げた。

「この日が来るのを待ち焦がれていました。歓迎します。マキニアン」

 長身の男は面白そうに口の端を歪め、首を傾げた。窓から射し込む光が、目を覆う赤いゴーグルに反射する。


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