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TRACK-4 死を悼む象 12

「ACUに、オツベル発見の知らせを入れます」

 ガルデの口調は決然としているが、表情はどこか不満げである。

「彼女に、基地を飛び出した理由があるにしても、一報を入れておかなければ、みんな気を揉むでしょうから」

「でも、そうすると、すぐに迎えが来るのでは?」

 ドミニクは首を傾げた。 

「ええ。ACUの東支部が、エリア郊外にあります。知らせを受けたら、高速ヘリが派遣されると思います。一両日中には到着するでしょう」

「でも、あなたは納得いかないのですね?」

 ドミニクの指摘は図星だったのだろう。ガルデは苦笑して、金茶色の髪を掻いた。

「今回のことは、オツベルの初めての“わがまま”なんです。これまでの彼女は、いじらしいほどに従順でした。だから俺としては、オツベルの目的を果たさせてやりたいんです。でも、迎えが来たら、即座に連れ帰らなくてはなりません」


 オツベルの目的。それは、彼女も把握できていない“誰か”に会いに行くことだ。それが誰なのかは不明だが、ACUの基地を抜け出す行動力を発揮するほどの相手なのは間違いないだろう。


「あいつの気が済むまでさせてやれよ。俺たちも協力するからさ」

 エヴァンは迷わず、そう言った。ガルデの仲間はエヴァンの仲間だ。仲間が困っている時には、さっと手を伸ばすものである。

 それに、と、エヴァンは胸中で付け足した。オツベルとはちゃんと話をしたい。彼女との接触したことで、おかしな症状が出たのはなぜなのか。彼女と自分との間に、なにか共通項があるのか。知りたいことは山ほどある。

 エヴァンが協力を申し出ると、ガルデは嬉しそうに表情を輝かせた。しかし、すぐに眉根を寄せ、首を振る。

「いえ、そういうわけにはいきません。これはACUの問題ですから。それに、オツベルが誰を捜しているのか分からないんですよ?」

「水臭えこと言うなよお前~」

 エヴァンはガルデの肩を、ばしんと叩いた。暴走すると手が付けられない熱血漢のガルデだが、平素の彼はいたって真面目な青年である。真面目すぎて、問題を一人で抱えがちなのは、昔と変わらない。

「そういう時こそ俺らの出番だろ。裏稼業者バックワーカーにとっちゃ、人捜しなんて朝飯前だぞ? 頼れ頼れ」

「専門外のくせに、偉そうに言うんじゃありません」

 得意げなエヴァンの頭頂部に、ドミニクの拳骨がこつんと落ちる。

「ですが、エヴァンの言うとおりですよ、ガルデ。せっかくこうして会えたのですから、私たちにも手伝わせてください」

 ドミニクは微笑み、ガルデの肩に手を置く。

「それに、ここでオツベルを連れ戻そうとしたら、あの子たちがまたどこかへ隠してしまいますよ」

 エヴァンは思わず吹き出した。特にユイはガルデを差し置いて、すっかりオツベルの保護者気分だ。オツベルを無理やりACUに連れ帰ろうとすれば、全力で反抗するに違いない。

 ドミニクの冗談に共感して頷いた時、エヴァンの右耳の奥がキーンと鳴った。

 耳鳴りだろうか。右耳に小指を入れ、首をひねってみた。そうすると症状が緩和されると、ヴォルフから聞いたことがあるのだ。

 右に左に、何度か首をひねっていると、徐々に耳鳴りは小さくなっていった。エヴァンがおかしな動きをしていることに気づいたドミニクは、眉間に皺を寄せる。

「お前、何をしているんです?」

「いや、なんか耳鳴りがさあ」

 その時だ。エヴァンの言葉を遮り、獣の咆哮のような音が窓の外で轟いた。古びた窓ガラスが、ビリビリと震える。

 エヴァンたちは一斉に窓に顔を向けた。

 窓の向こうの中庭には、少女たちとオツベルがいるはずだ。だが、ユイとオツベルの姿は見えず、ロゼットが血相を変えて、こちらの窓辺に駆け寄ろうとしていた。

 窓に一番近いエヴァンが、立て付けの悪い窓を、急いでこじ開けた。開いた窓枠へ、室内に転がり落ちるほどの勢いで飛びついたロゼットは、彼女らしからぬ慌てぶりでまくしたてた。

「オツベルがどこかへ行っちゃった! ユイが追いかけてる、みんなも急いで!」

「どっちの方向へ!?」 

 ロゼットが北側を指差すと、ガルデは彼女の脇から窓を飛び越え、中庭を突っ切る。走りながら、屋敷を囲む塀に向けて手を伸ばし、ハンドワイヤーを射出して塀を乗り越えた。

「俺たちも行くぞ!」

「ええ!」

 残る三人も、慌ててガルデに続いた。

 

 マキニアンたちは持てる身体能力を駆使し、建物の屋上や屋根を、ニンジャの如く次々と飛び越えていった。地上を行く人々は、頭上をけ抜ける者たちがいるとは露知らず、誰もうえを見上げようとしない。

 エヴァンとほぼ同位置にドミニク、その後ろからロゼットがついてきている。

 前方にガルデの姿が確認できた。そして、彼よりももっと遠くの方で、大小異なる大きさの影が、エヴァンたちと同じように、建物と建物の間を駆けている。オツベルとユイだ。

 オツベルは、あの巨体からは想像もつかない俊敏さで、見事な跳躍を繰り返していた。身軽さと敏捷性に長けるユイが引き離されている。

 抗いがたい何かが、彼女オツベルを突き動かしているのだ。それが、先ほどの耳鳴りと関係があるような気がして、エヴァンは胸騒ぎを覚えた。


        *


 さすが、アトランヴィル屈指の情報屋は仕事が早い。レジーニが依頼してから三十分とかからずに、ママ・ストロベリーはリカの居住地を記したデータを、携帯端末エレフォンに送ってきた。

 データはメールに添付されており、地図にはマーキングが施されていた。ホーンフィールドの二十四番街だ。

 ちなみにメールには、

『女の子を怖がらせちゃダメよ! 初心うぶな子は優しくリードしてあげなさい』

 などと、方向違いもはなはだしい指摘が書かれていた。ただの揶揄だと分かっていても、少しだけ苛つく。だが、早い仕事の礼と、もう一件の調べものを引き続き頼むと、メールを返信するのは忘れず、レジーニは急ぎ、目的地へ電動車くるまを向けた。

 

 

 閑静なホーンフィールド二十四番街、その一画に、リカの住むアパートはある。ストロベリーのよこしたデータによると、白い煉瓦風の外装なので分かりやすいとのことだが、果たしてその建物はすぐに見つかった。

 レトロモダンがデザインのコンセプトなのだろうか。エントランスに入ると、クラシカルな花柄のタイルが、壁や床を埋め尽くしていた。壁に沿ってぐるりと設置された螺旋階段の手摺りは、今時珍しい錬鉄製だ。エレベーターの規格は新しいようだが、建物の雰囲気に合わせた塗装がなされている。

 女性には好まれるだろうが、レジーニの趣味ではない。

 リカの部屋は三階の五号室だ。階段で駆け上がり、西側に“503”の番号を見つけた。

 ドアの前に立つ。彼女が、公共交通機関も使ってまっすぐ帰宅したなら、すでに部屋の中にいる頃合いである。レジーニは小さくため息をつき、ドアに備え付けられた呼び出しベルのボタンを押した。

 一定のリズムでベルが鳴る。しばし待ったが、反応はない。

 二度三度、鳴らしてみる。やはり返事はなかった。ひょっとして、まだ戻っていないのだろうか。

 レジーニはドアに顔を近づけ、直接呼びかけた。

「リカ、いるかい」

 声をかければ警戒して、余計に出て来づらくなるかもしれない。そう思いはしたが、どうにも気がかりだった。裏社会を生き延びるために、少年時代から研磨してきた直感と五感が、部屋の中に人がいることを、レジーニに告げている。リカが顔を会わせたくないばかりに、居留守を使っている可能性は充分あるが――。

 

 もし、中にいるのがリカでなかったら?

 

 ドアノブに手をかけてみると、ノブは回らなかった。鍵がかかっている。本当にまだ帰っていないのか、それとも中からかけているのか。目を細め、レジーニは思考を巡らせた。

 ふと足元に視線を落とすと、奇妙なものが目についた。

「……なんだ?」

 地面に砂が散っている。砂それ自体は何ら変哲もないものだが、どこかおかしい。

 レジーニの、艶やかに磨き上げられた革靴の周りを、砂が取り囲んでいる・・・・・・・のだ。まるで、人為的に寄せ集められたかのように。

 毎日定期的な清掃が行われていたとしても、人の出入りのある場所ならば、多少の埃や砂はあるものだ。だが、これは明らかに不自然である。

 その時、砂が動き出した・・・・・。風が吹いたわけでもない。砂が自ら動いて、ドアの下の隙間から、リカの部屋の中へ入っていったのだ。

 レジーニはとっさにジャケットの中に右手を突っ込み、フロンドブレイク式ホルスターからクロセスト銃を抜いた。両手で構え、ドアロック装置を撃つ。対怪物式のエネルギー弾は、一発で装置を破壊した。

 ロックが外れるとともに、レジーニはドアを蹴り開ける。そしてすぐさま、脇の壁に張りつくようにして身を隠す。

 直後、部屋の中から黒く長いものが飛び出し、廊下の壁に激突した。一秒でも移動が遅れていたら、あれ・・に巻き込まれて、壁に叩きつけられていただろう。

 黒く長いものは、壁に大きなクレーターを穿つや、たちまち部屋の中に戻っていく。レジーニはそのあとを追うようにして、部屋に踏み込んだ。

 女の子らしい家具の揃った部屋には、誰もいなかった。

 奥の窓が開いており、シルキーブルーのカーテンが、レジーニを手招きするように風に揺れている。

 窓辺に駆け寄り外を見れば、外壁づたいに設置された非常階段を降りている人影を発見した。

 その人影が、階段の柱向こうに消える一瞬、たなびく明るい赤毛が見えた。

 レジーニは窓から非常階段の踊り場に飛び降り、着地するや跡を追った。


 階段を降りた先は、アパート裏側の通りだ。周囲をぐるりと見回すと、建物左手の路地裏に駆け込む、後ろ姿が視界に入った。

 こちらを誘い込もうとしているのが見え見えだ。罠に嵌める気はないらしい。なめられたものだと思いつつも、レジーニはリカのために、その誘いに乗った。

 路地裏に入ると、パンクロッカーのようななり・・の痩せた男が、レジーニを待ち構えていた。

 リカは、その男の腕に抱えられていた。目を閉じ、ぐったりと頭を垂れている。眠らされているようだ。 

「その子を離せ」

 レジーニは男に銃口を向け、照準を額に合わせた。リカを人質にとられている以上、下手には動けない。だが、隙あらば撃つつもりで、引鉄に指をかける。

「お前は誰だ。なぜ彼女を狙う」

 この痩せた男が、先日のシャイン・スクエア・モールの一件を起こした本人かどうかは不明だが、関係者であることは間違いない。つまりこの男は――、


 アンダータウンの主、ファイ=ローが言っていた「身体の一部が変形する組織」――かつての〈SALUTサルト〉の残党だろう。


 無表情の男は、以外にもすんなり名乗った。

「オレはエブニゼル・ルドン。あんたの名前は聞かない、もう知っている」

 エブニゼルと名乗る男は、淡々と続けた。


「オレたちは〈VERITEヴェリテ〉。この名を覚えておくといい。少なくともオレなら、この先世界を動かす者の名前くらいは知っていたいと思う」


「長いこと裏社会で生きてきたけれど、本気で世界制服なんて考える馬鹿な連中は、初めてお目にかかるよ」

 レジーニがあざ笑うと、エブニゼルは無表情のまま答えた。

「オレたちは征服者じゃない。奪われた尊厳を取り戻し、進むべき道を進む。ただそれだけだ」

「そのご大層な大義名分に、彼女を巻き込む必要がどこにある」

「あるさ。この子は貴重な〈融合者ハーモナイザー〉だ」

「ハーモナイザー?」

 それが、リカのような能力を持つ者の呼称なのだろう。どうやら〈VERITEヴェリテ〉とかいう組織は、かなりの量の情報を掴んでいるようだ。それだけこちらが後手に回っている、ということである。

 加えて、エブニゼルはレジーニの名前を「もう知っているから聞かない」と言った。つまり、“こちらの身辺調査”は済んでいる、ということだ。

「そちらにとって貴重だろうと、その子を渡すわけにはいかない。返してもらう」

 レジーニは、引鉄にかけた指に力を込めた。相手はおそらくマキニアンだ。どのような攻撃をしてくるか分からない。マキニアンには、非武装の相手に対しては細胞装置ナノギアが使えない〈オートストッパー〉という制限(リミッターがある。それを狙って、あえて武装を解いてみるか……。

「申し訳ないが、それはできない」

 エブニゼルはレジーニを見据え、抑揚のない声で言った。

「今日のオレの任務は、この融合者の娘を確保することだ。任務は絶対だ。だから……」

 エブニゼルの背から、六本の黒く長いものが、ぬうっと伸び上がる。それぞれに二つの節を持つそれは、悪魔の翼のようにも、昆虫の足のようにも見える、奇妙な鎌だった。あれがエブニゼルの細胞装置ナノギアだろう。

「邪魔をするなら消す」

 エブニゼルの六つの鎌が、威嚇するように持ち上げられた。次の瞬間、レジーニの周りの地面に亀裂が生じ、波打って隆起した。舗装の下の土が盛り上り、無数の土の飛礫つぶてとなって噴きあがった。

 レジーニはとっさに両腕で顔をかばう。その腕や肩、足や胴に、土飛礫が打ちつける。飛礫の一つがこめかみをかすり、傷ついた皮膚から、一筋の血が流れた。右の手の甲も直撃を受け、銃を取り落としてしまう。

 土飛礫の噴出が止まった。レジーニは痛みをこらえて右手を腰の後ろに回し、ジャケット下のもう一つのホルスターから、蒼いリング状の器具を引き抜いた。リングの内側のスイッチを押すと変形器トランスフォーミュラが作動し、一瞬にして蒼い輝きを湛える機械剣〈ブリゼバルトゥ〉へと、その姿を変える。

 エブニゼルは、レジーニのクロセストを見ても、眉一つ動かさなかった。身辺調査済みならば、驚くには値しない。

(土の具象装置フェノミネイターがあるのか。なんて厄介な……)

 マキニアンは、細胞装置ナノギアこそがクロセストそのものといっていい。具象装置はクロセストの要だ。土属性のものは、これまで見たことがなかったが、意外な威力を発揮するかもしれない。

 エブニゼルの細胞装置が、その切っ先をレジーニに向けた。

 刹那、六本の鎌が二倍ほどの長さに伸び、うねりながらレジーニに襲いかかった。鎌はそれぞれに意思が宿っているかの如く、違う動きを見せる。四方どころではない、六方面から振りかざされる刃に、レジーニはブリゼバルトゥだけで応戦した。

 高速で繰り出される鎌の攻撃は、受け止めれば重く、弾き返せば反動、絡め取れば押し返してくる。対応しきれなかった一閃は、レジーニの頬や手の皮膚、スーツに傷を刻む。

 猛攻が障壁となっているため、エブニゼルの姿はよく見えない。だが、これほどの攻撃を加えている最中でも、あの無表情に変わりはないだろう。

 悪魔のような鎌の嵐に耐えながらも、気がかりなのはリカである。彼女は未だ、エブニゼルの手中にあり、敵は彼女を抱えたまま、この凶悪な鎌を振るいまくっているのだ。

 なんとかエブニゼルとの距離を縮めたいが、それをたやすく許してくれるような相手ではなかった。

 レジーニは苛立ちを抑え、一歩ずつでも前進を試みる。と、ある一撃を弾き返した時、タイミングよく視界が開け、エブニゼルに抱えられたリカの姿が見えた。

 この激しい攻防戦のおかげで、意識を取り戻したようだ。リカは、今自分がどういう状況に置かれているかに気づくと、みるみる青褪め、上半身を強張らせた。 

「いやあっ! 離してっ!」

 とっさに突き上げた華奢な拳は、思いがけずエブニゼルの顎にクリーンヒットした。うっと呻いてよろけたエブニゼルの腕から力が抜け、リカは地面に転げ落ちる。

 リカがエブニゼルから離れた瞬間、細胞装置ナノギアの猛攻が途切れた。レジーニはすかさず駆けつけ、彼女の細腕を掴んで引き寄せた。

「いいアッパーだったぞ」

 口の端でにやりと笑って軽口を言うと、青褪めていたリカの頬は、サクラのようなほのかなピンクに染まった。

 だが、なごんでいられるのは一瞬だ。少女のパンチから回復したエブニゼルが、体勢を整え直していた。さすがに苛ついたのか、無表情だったエブニゼルの眉間に、薄くしわが寄っている。

 レジーニはリカを背後に隠し、ブリゼバルトゥの剣先をエブニゼルに向けた。

 マキニアンはため息をつき、袖の埃を払う。

「あまり手間をかけたくはなかったが、ここまで抵抗するというなら仕方がないな」

 背中から生えた六つの器官が、再び鎌首をもたげる。地面に散らばった石が、無重力空間のように浮き上がった。

「申し訳ないが、実力行使だ」

 さっきまでの攻撃は、手を引かせるための威嚇。そう言わんばかりにエブニゼルは顎を上げて、レジーニを冷ややかに睨んだ。

 今度は本気でかかってくる。レジーニの額に、うっすらと汗が滲んだ。

 様々な猛者もさたちや化け物メメントと戦い、裏社会を生き抜いてきたレジーニでも、マキニアンとの真っ向勝負に、勝機を見出すのは困難だった。

 相手は全身が特殊兵器。いかに戦歴を重ねたとしても、こちらは生身。悔しいが、単体の戦力では劣ってしまうことを、認めねばならない。

 認めたうえで、勝つ算段を立てねばならない。


「リカ、下がれ。隠れていろ」

 振り返らずに、背後のリカを促す。

「で、でも」

 ジャケットの裾を掴む少女の手が、かすかに震えていた。心細いのは分かるが、リカをかばったままでは存分に戦えない。

 エブニゼルが動きを見せた。レジーニは後ろ手でリカを押し出す。

「いいから行くんだ!」


 その時。


 風を孕んだ人型の巨影が、二人の横を通り過ぎた。


 それは猪突の勢いで、前方のエブニゼルめがけて突進していく。正面に立ったかと思うと、彼の頭を右手で掴んで高らかに掲げるや、猛り狂う咆哮を上げながら、凄まじい腕力で投げ飛ばした。

 エブニゼルの身体は紙切れのように飛ばされ、十メートル以上離れた袋小路の壁に激突した。壁は崩壊し、エブニゼルを巻き込んで瓦礫の山と化した。


 一瞬の出来事だった。あっけにとられたレジーニとリカは、目の前で起きたことを、ただ見ているだけでやっとだ。

「なんだ、あれは……」

 さすがのレジーニも、思わず呟かずにはいられなかった。    

 二メートルはあるだろう巨体は、両肩を大きく上下させ、興奮状態の野獣のように鼻息荒い呼吸を繰り返している。全身に纏うローブの裾が、呼吸に合わせて揺れていた。

 やがて呼吸は少しずつ抑えられていき、ゆっくりとこちらを振り返る。その素顔は、ガスマスクのようなものに覆われていた。

 背後でリカが息を飲む、かすかな空気の音が聞こえた。細い手が、レジーニの腕を掴む。

 巨体が一歩、こちらに進み出た。エブニゼルの頭部を鷲掴みにした大きな右手を、何かを求めるように宙にさまよわせる。

 リカが、レジーニの腕を掴んだまま、後ずさった。

 巨体はまた一歩、足を踏み出す。

 威嚇のつもりでブリゼバルトゥを掲げた時、レジーニと巨体との間に、一人の青年が割って入った。

 意志の強そうな東雲色サンライズイエローの目をした、バイカースーツ姿の南方大陸人らしき青年は、巨体を守らんと両手を広げ、レジーニの前に立ち塞がる。

 背後から、複数の足音が聞こえてきた。振り返るより先に姿を見せたのは、不肖の相棒エヴァンだ。そのあとから、ドミニク、ユイ、ロゼットが続く。

「エヴァン、どういう状況だ。説明しろ」

 レジーニは命じたが、相棒は困惑の表情を浮かべ、ううん、と不明瞭な唸り声を喉から絞り出すだけだった。そして、レジーニの背にしがみつくリカに気づくと、ますます複雑そうに眉根を寄せるのである。

 リカは、ただただ震えている。

 レジーニの腕を掴む彼女の手からは、はっきりとした怯えが伝わってくる。

 

 ほんの一瞬だけ、現実感が薄れて、

 

 耳鳴りが――。


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