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TRACK-4 死を悼む象 10

「オツベルは、五年ほど前にACUに保護されました」

 埃がこびりついた窓を背に、サッシにもたれたガルデはそう語った。

 窓の外は中庭が広がっている。初秋のさわやかな陽射しが燦々と降りそそぎ、庭の草木を明るく照らしていた。

 中庭に生えた一本の木の側に、ユイとロゼット、そしてオツベルがいる。オツベルは土を掘り返しているようだが、何をしているのかはよく分からない。少女たちは、そんなオツベルに寄り添っている。


「とあるメメント駆逐作戦の最中に出会ったんです。あんな感じでしょう? 今までのメメントとは違うと、すぐに分かりましたよ」

「よく殺されなかったな。お前はともかく、他の兵士たちにそんな違いは分かんなかっただろ」

 エヴァンはガルデの隣に立ち、中庭の三人を眺めた。

「ええ。俺にしても、そこでオツベルを庇ってどうなるのかとは考えてなかったんですが、とにかく、みすみす死なせるわけにはいかないと、直感で思ったんです」

「その直感は確かだった、というわけですね」

 頷くドミニクは、ソファに座ったまま、長い足を組み替えた。

「俺は中佐をなんとか説得して、彼女をACUで保護することになったんです。オツベルの協力があれば、メメント対抗策に大きな進展があると思って。ACUの兵たちの理解を得るまでは、時間がかかりましたよ。苦労の甲斐あって、なんとかオツベルの身の安全が保障されるまでにはなりました。でも、さすがに百パーセントの支持を得るのは無理がありましたが」

「あいつ一体何者なんだ?」

 エヴァンは窓の外に向けて、顎をしゃくった。

「言葉は喋るし、性別はあるし、メメントになる前の記憶もあるっつーし、誰かに会いにきたとか言うし。それに、俺をおかしくさせたあれが何なのか知りたい」

 オツベルが特別な存在であることは、もう分かった。エヴァンが知りたいのは、彼女の特異性と自分に、何の因果関係があるのかという点だ。

 オツベルがまだこの部屋にいたときに、エヴァンは疑問点のすべてを、いっぺんにぶちまけてしまった。エヴァンの気迫に押されたオツベルは、少ない口数をもっと減らしてしまい、落ち着きを失った。

 オツベルは逃げるように部屋を出て、それをユイとロゼットが追いかけたのだ。

 エヴァンは、オツベルを困らせた罰として、ドミニクの拳骨を脳天に受けた。

「すみませんが、オツベルがエヴァンにしたことについて、俺に言えることはありません。あとで彼女に、もう一度聞いてみます。そもそも、彼女のような存在は他にいないので、ACUうちの研究班が今まさに調査中です」

 ガルデは申し訳なさそうに肩を落とした。

「オツベルが言うには、モルジットが生物の死骸に寄生した際、その変異結果には三通りあるんだそうです」

「三通り?」

 ドミニクがオウム返しに問うと、ガルデは頷いた。

「はい。優良種スペリオル劣等種インフェリオル堕落種インファクターの三種です。モルジットに寄生された死骸は、このうちのどれかに変異します」

 ガルデは右手を上げ、指を三本立てた。


「このうち堕落種が俺たちの敵、メメントです。その上位変異体が劣等種なんですが、オツベルがこれにあたります。劣等種は堕落種よりも生命体としての完成度が高いんです。オツベルが人語を解し、いち生物として“個性”を持っているのは、そのためです。そして優良種ですが、オツベルの言葉を借りると、『モルジットが目指すべき完成形のひとつ』で、『この世界に適合した結果』だそうです。堕落種は適合しなかった結果、劣等種は不完全な適合の結果、ということになります。ただ、高確率で堕落種が覚醒しているのが現状で、劣等種の覚醒は極めて低く、優良種となると、さらに覚醒率が下がります」


「なあガルデ、お前も〈トワイライト・ナイトメア〉を知ってるだろ? あいつは何になるんだ」

「もちろん知っています。まだこの目で見たことはありませんが。オツベルが言うには、トワイライト・ナイトメアは現時点で、優良種の頂点に立つ存在だということです。つまりメメント、劣等種、すべてのモルジット変異体の王者ですね。トワイライトは完全に独立した個体です。その生態は、ACUうちでも調査が進んでません」


 ガルデは挙げていた手を下ろした。一息ついて、話を続ける。

「知ってますか? メメントは互いに信号を送っているんです。ちょうど、そう、イルカの超音波のような感じで。それがメメントたちの情報交換手段なんです。彼らにとっての、言語のようなものでしょう。モルジットは、どの信号を受信するかによって、どんなメメントに変異するかが決まります」

 それなら、レジーニとオズモントが解明している。メメントが消滅の際に発信する変異情報をもとに、新たなメメントが誕生するという〈影響変異アフェクト・ミューティ〉の原理だ。

 そのことを話すと、ガルデは感心して目を輝かせた

「そのお二人は、とても賢いですね。設備の整ったACUの研究班でさえ、オツベルの証言がなければ気づかなかったのに」

「まあ先生はともかく、俺の相棒は性格悪い分、頭はいいな」

 相棒の目が届いていないのをいいことに、普段言えない嫌味を言うと、ドミニクに呆れ顔をされた。が、彼女はすぐに表情を引き締め、視線をガルデの方に向ける。

「その信号については、他の方からも聞いています。信号は“生体パルス”というのでしょう?」

「他の方? 誰なんです?」

 ドミニクがガルデの問いに答えようとしたのを、エヴァンは「待った!」と声をあげて止めた。

「今ここで全部話すのは、ちょっと待った」

「なぜやめるの? これは私たちにとって重要なことですよ。とりわけお前はそうでしょうに」

「さっきつい、オツベルを質問攻めにしちまったけどさ、俺たち側もガルデの方も、話し合うことが多すぎだろ。ここで全部ぶちまけるより、レジーニやアルも一緒の方がいいって。どうせあとで同じこと言わなきゃなんねーんだからさ」

 エヴァンたちが掴みきれていない事実は、ガルデが持つ情報を合わせることによって、すべてとはいかなくとも、ある程度は補完されるだろう。

 かなりの情報量になることは、聞く前からでも分かる。あとでレジーニに同じことを繰り返し話すなどと、非常に面倒くさいことこの上ない。それに、きちんと正確に伝えられなければ、それはそれで怒られる。

「要するに、面倒なのねお前が」  

 義姉あねはお見通しである。

「俺の口から又聞きするより、直接その場にいた方がいいでしょって言ってんだよ」

「渦中にいるお前が、そんなことでどうするの。私が口添えしましょうか?」

「ダメだって、あいつ絶対俺に説明させるもん。『報告のひとつもこなせないのか、このバカ猿が!』ってな」

 エヴァンは人差し指をドミニクに突きつけた。

「今、俺があいつの口真似したこと、絶対に言うなよ」


 


 初秋の陽射しにたっぷりと照らされた中庭は、枯れた屋敷と比べて生き生きした緑に溢れている。

 人の手入れがなくなり、雑草も木の葉も伸び放題だが、侘しい印象はなかった。あるべき野生の姿を取り戻し、緑の活力がみなぎっているようだ。

 中庭の周りは、アジサイ科の低木がぐるりと囲んでいた。シーズンになれば、可憐な花が咲き誇るのだろう。

 庭の片隅には、リンゴの木がすっくと立っている。まだ青く小さな実が生っているのを見ると、これからが旬の品種なのだろう。冷たい北風が吹くまでには、真っ赤に膨らんだ実りを拝めるはずだ。

 そのリンゴの木の下に、ユイとロゼット、そしてオツベルが寄り集まっていた。

 

 オツベルは、リンゴの根元の土を、素手で掘り返す作業に没頭しており、少女たちは静かにそれを見守っている。

 三十センチほど掘ったところでオツベルは手を止め、横に置いていた縞模様の毛の塊を、そっと持ち上げた。

 毛の塊は、死んだ猫だった。庭の隅の暗がりに横たわっていたのを、オツベルが見つけたのである。

 猫はきゅっと目を閉じ、眠るように死んでいた。

 オツベルは掘った穴の底に、猫の亡骸を優しく横たえた。しばし見つめたあと、掘った土を埋め戻す。

 掘って埋めただけの、簡素な猫の墓だ。

「この子、なんで死んじゃったんだろう」

 オツベルの側にしゃがみ込んだユイは、上半身をひねって、うしろに立つロゼットを見上げた。 

「飼い猫って、自分の死を予感して、飼い主に死に姿を見られたくないからどこかに行っちゃうっていう話、本当なのかな」

 訊かれてロゼットは、軽く肩を上げた。

「死に際に姿を消すのは本当だけど、飼い主に見られたくないっていうのは、あくまでも噂よ」

「そうなんだ」

「猫は体調を崩すと、外敵に襲われず、充分に休息がとれる場所に身を隠すの。そしてたいていは、そのまま回復せずに死んでしまう。この猫は、怪我をしてなかったみたいだし、なわばり争いや雌を取り合った喧嘩に負けたわけじゃないんだと思う。病気か、あるいは天寿だったのよ」  

 ユイは寂しげに眉尻を下げ、「そっか」と呟いた。

 猫の墓を黙って見つめていたオツベルが、ゆっくりと立ち上がった。

「コノ猫ハ……、メ、メメントニ、ナ、ナリマセン……デシタ。猫トシテ、シ、死ネテ、ヨカッタデス……」

「ねえオツベル」

 ユイも立ち上がり、大きな身体を見上げる。

「もしこの猫がモルジットに寄生されてたら、メメントになる可能性が高かった?」

「……確率ナラバ、……ソウナッタデショウ」

「キミみたいになるには、なにか条件があるの?」

「ソレハ、ワタクシニモ、ワ、ワカリマセン」

 結局分からないことだらけね、と胸中で呟いたロゼットは、白に近い金髪を撫でた。

 

 メメント――モルジット変異体を総称して、こう呼び続けることにした――について、ロゼットたちが得ている情報は、ほんの一部にすぎなかった。不明部分をオツベルに補ってもらうことができたとしても、すべてを解明させるのは不可能に近い気がする。

 何しろ、頼みの綱であるオツベルにも、自分自身が分からないのだから。


(不思議な光景だわ)

 小柄なユイと朗らかに言葉を交わす、巨体のメメントを見つめ、ロゼットは思う。

(死から蘇り、違う存在になった者が、死を悼んで亡骸を埋葬してる。哲学を突きつけられてるみたい)


 死を悼むことが出来るのは、“死を理解”しているからだ。理解し、悲しみ、敬意を持つからこそ、埋葬して供養するのだ。

 埋められた猫の亡骸は、やがて土に還る。そうして、この庭の草木の養分となり、生を繋いでいくだろう。


(一握りのお金やつまらない保身のために、平気で他人ひとを殺す人間だっているのに)

 異形であるはずのオツベルが、とても尊い存在に見える。実際、彼女の心根の柔らかさは、尊ぶにふさわしい。


 死という概念を理解する生き物は、人間だけではない。象や狼、猿、イルカなどが、死を理解する動物の代表例として挙げられる。

 なかでも象は特殊だ。

 象は葬式のような行動とる、と言われている。群れの仲間が死んだ時、象たちはその骸を囲み、鼻で優しく撫でるという。そして土を被せ、埋葬するとまで言われているのだ。

 象は雌と子どもの家族単位で群れを作り、互いに強い絆で結ばれている。そして、高い知性を持つがゆえに、仲間の死を悲しむのだそうだ。

 知性を持ち、家族を作るというなら、人間も同じである。

 それならば、人間とそれ以外の生き物を分けるものは、一体なんなのだろう。

 感情の有無か。言葉を話すことか。

 生き物にも喜怒哀楽はある。彼らには彼らの言葉がある。そうして考えてみると、人間と動物の違いは、あると思い込んでいるだけで、実はないのではないか。

 あらゆる生き物は、なるべくして成った姿をしており、それはおそらく、メメントにも言えることではないだろうか。

 メメントがどこから来て、どこへ行こうとしているのか。その答えを、この戦いの先に見つけることができるのだろうか。


 ロゼットは、ユイとオツベルに気づかれないように、一人静かに苦笑いした。

 オツベルを見ていると、とりとめのない考えが浮かんできてしまう。

 すっかり打ち解けあったユイとオツベルを眺め、ロゼットはまた髪を撫でる。


 突如、獣の唸り声のような暗く低い音が、どこからか聞こえてきた。

 それが真実、唸り声だと分かったのは、オツベルのマスクの吸気口から発せられていたからだった。

 オツベルは空を見上げ、唸り声を上げ続けている。巨躯は小刻みに震えており、明らかに様子がおかしい。

「オツベル? どうしたの?」

 異変に気づいたユイが、驚いて声をかけた。だが、オツベルからの反応はない。困惑したユイは、視線をロゼットに移した。

 ロゼットにもわけが分からない。力なく首を振ったその時、オツベルの唸り声は、地を揺るがすような咆哮へ変わった。


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