TRACK-4 死を悼む象 9
それからしばらくは、ガルデをなだめあやすのに時間を費やした。
なんといっても、〈パンデミック〉で最後まで一緒に逃げていたドミニクとの、十年ぶりの再会である。胸に去来する想いがどれほどのものか、当人でなければ分からないだろう。
それに加え、ユイとロゼットの存在である。〈パンデミック〉脱出時は、ほんの六、七歳の子どもだった彼女たちが、いまやすっかり成長して目の前にいるのだ。
〈イーデル〉が健在だった頃のユイとロゼットは、ガルデとほとんど面識がなく、〈パンデミック〉からの脱出時においてさえ、まともに言葉を交わすことがなかったという。
それでも、自分が命がけで逃がした子どもたちが、健やかに成長し、こうして再会が叶ったのだ。人目を憚らず感涙したとして、どうしてそれが責められよう。
更にはオツベルだ。ガルデがアトランヴィル・シティを訪れた理由は、このオツベルを捜し出すためだというのである。
ガルデは重なりに重なった再会に感極まり、精悍な顔を涙と洟でぐちゃぐちゃにしながら、喜んだり驚いたりと忙しく、自身やオツベルに関する詳しい説明などは、だいぶ後回しになったのだった。
クッションが破れて埃の積もったソファに腰を下ろしたガルデは、ようやく落ち着きを取り戻そうとしていた。
エヴァンは隣で、彼の背中をさすり続けていた。ガルデを挟んだ反対側では、ドミニクが彼の手をとり、その甲を優しくぽんぽんと叩いている。
ユイとロゼットは向かいのソファに並んで座っており、こちらの様子を見守っていた。
「ほら、そろそろ泣き止めよ、干からびるぞ。栓してやろうか?」
エヴァンが軽口を叩くと、ガルデはちょっとだけ笑った。実際、身体中の水分と塩分を出し尽くすのではないかと、心配になるほどの涙量だった。
ドミニクを見ると、さすがに困り顔になっていた。
「さ、ガルデ。落ち着いてきたでしょう? 深呼吸して。大きく息を吸って……吐いて。もう一度」
ドミニクに従い、深呼吸を数回繰り返したガルデは、恥ずかしそうに一同を見回した。
「す、すみません。みっともないところを見せてしまって。もう大丈夫です。ありがとうございます」
涙を流しすぎた目の周りは、真っ赤に晴れあがってしまっている。赤みが引くのには、少し時間がかかりそうだ。
「熱血だねえ」
ぽつりと漏らしたユイの一言で、ガルデの頬は朱に染まる。おかげで一瞬、顔全体がヒヒのようになった。
怒るのも喜ぶのも泣くのも全力だ。そんな調子では、いつか脳の血管が切れるのではないかと、エヴァンは昔思ったものである。
「よし、大丈夫だってんなら、そろそろ話してくれよ。お前とあいつの関係をさ」
エヴァンは右の親指を立て、部屋の隅で所在なさそうに立っている巨体を指した。
先日下水道で遭遇した奇妙なメメントに、こんな所で、こんな形で、再び顔を合わせるとは予想外だった。しかも、ガルデがこの街に来た理由となれば、尚更である。
当のメメント――オツベルという名前らしい――は、視線の集中砲火を浴び、おろおろと身体を揺らしている。
下水道でオツベルと出会ったとき、何かが起きて、エヴァンは一時気を失った。その“何か”のせいで、抑えきれない破壊衝動に駆られたのだ。
幸いにもあれ以来、突発的な衝動が湧き起こったことはない。
何をしたのか問いただしたいが、終始怯えている様子のオツベルを見ると、エヴァンにしたことを自覚しているかどうか疑わしい。
オツベルはときどき、エヴァンにちらちらと視線を投げかけていた。エヴァンを意識しているのは間違いなかった。
「ついこの前、俺はあいつと下水道で会った。そのとき、ちょっと妙なことが起きたんだ。言いたいこと分かるよな?」
最後の言葉は、オツベルに向けたものだ。巨体のメメントは、大きな両手を組み合わせ、居心地悪そうに指先を打ち合わせている。
「オツベルと会っていたんですか、エヴァン。妙なことが起きたとは?」
そう訊いたのはガルデだが、エヴァンはその場の全員に、事の次第を話した。
「では、あの日あんなに眠そうにしていたのは、そのせいだったのですね」
ドミニクの言葉に、エヴァンは頷く。
「うん、反動だと思う」
「なにかおかしいと思ったら……。お前ね、そんなことがあったのなら、どうして素直に言わないの」
「い、言えるわけねーだろ。俺だって何がなんだか分かってなかったんだからよ」
「分からないからこそ相談すべきでしょう!」
「俺だって隠したくて隠してたんじゃねーやい!」
「ちょっと二人とも。人を挟んで口論なんて、恥ずかしいからやめて」
口喧嘩が過熱する前に、ロゼットの冷静なストップが入った。
エヴァンとドミニクに挟まれていたガルデは、すっくと立ち上がり、オツベルの側へ歩み寄っていった。
「分かってます。ちゃんとお話ししましょう」
ガルデがローブに覆われた腕に手を置くと、オツベルは身体を揺らすのをやめた。
「それには、あの〈パンデミック〉のあと俺がどうなったか、というところから始めた方がよさそうですね」
ガルデはオツベルに触れたまま一同を見回し、滔々と語りだした。
「俺は、ドミニクとユイとロゼットを逃がしたあと、追ってきた部隊に捕まったんです。でも、その部隊を率いていたのがケイド・グローバー中佐だったのは、俺にとって幸運でした」
ケイド・グローバー中佐は、マキニアン一掃作戦に、最後まで異を唱えていた人物だった。マキニアンという存在の有意性を尊重し、政府、軍部、〈イーデル〉の三位連携が、メメント殲滅のみならず、これからの世界平和にとって大きな礎となるはずだと考えていた。軍部内において、マキニアンに理解を示す、数少ない人物だったのだ。
しかしながら立場上命令には背けず、あの日、隊を率いて現場に赴いたのである。
「作戦終了後、俺は中佐の隊の捕虜として、軍本部に連行されました。処刑されるかと腹をくくったんですが、中佐が救いの手を差し伸べてくださったんです」
そう話すガルデの目は輝いている。中佐に対する敬意の光だ。
「マキニアンを一掃してしまうと、以降のメメント対策は、軍部が一括して行うことになります。メメントにおいてもっとも有効だった〈SALUT〉の働きを、すべて軍部に置き換えるわけですから、問題は多かったはずです」
もともと、マキニアンが誕生する前から、軍部にはメメント対策チームが複数編成されていた。それらのチームは、〈SALUT〉が確立すると縮小された。
それを再び戻すだけでなく、マキニアンを排除した分、さらに人員を増やさなければならなくなったのだ。
チーム増設に伴う兵士の確保、指揮系統の整理、資金と武器の調達。〈パンデミック〉の余波は、メメントの数を増やしたのみならず、このような形で軍部及び政府に跳ね返ったのである。
「馬鹿みたい」
眉間に嫌悪の皺を刻み、ロゼットが呟いた。
自分たちの有益のために生み出したはいいが、あまりにも強大な力に膨れ上がったため、結局恐ろしくなって捨てたものの、最終的にそのツケを払うはめになった。
たしかに、お粗末な話である。これが裏社会でのことなら、軍部はとっくに足元をすくわれて壊滅しているだろう。エヴァンはそんなふうに思った。
――決して隙を見せるな。すべてを信じるな。事がうまく進んでいるときは、そのように見えるだけで、実は落とし穴があるものだ。あらゆる可能性を前提に、方法を取捨選択しろ。
レジーニとコンビを組んで間もない頃、耳にたこができるほど聞かされた言葉だ。
裏社会では、生き延びることこそが最大のステータスになる。冷静な判断力と揺るぎない実行力、失敗したときの別案。生き延びるためには、ありとあらゆる生存能力が必要なのだ。
とはいえ、そのありがたい教えを未だに守れていないから、毎度毎度お仕置きされているのだが。
ロゼットの呟きに、神妙な表情で頷いたガルデは、一呼吸おいて話を続けた。
「〈SALUT〉の機動力を軍部で再現するには、正式な命令系統から切り離した、独立部隊が必要でした。その計画を温めていたグローバー中佐は、実行に移したんです。
Alienelements Countermeasuve Unit(異分子対抗部隊)。ACUの結成です。俺は今、そこに所属しています」
「え、じゃあお前いま、軍部にいるのか?」
思わずエヴァンが声を上げると、ガルデは苦笑した。
「はい。〈SALUT〉を解散に追いやった軍部に属していることは、矛盾していて、裏切り行為だと思われても仕方ないです。俺にACUに入ることを勧めたのは、中佐ご本人でした。俺は中佐に救われました。その恩義に報いたくて、ACU所属を受け入れたんです。それに」
ガルデは唇を湿らせた。
「本拠地を失い、仲間がいなくなってしまっても、俺はマキニアンです。マキニアンである以上、メメントと戦うことは使命だ。どこへ行ってもそれが付きまとうのなら、俺は一人でも信用できる相手のいる所で、使命を全うしたい。そう考えるのは、裏切りになりますか?」
エヴァンはドミニクを見やった。義姉は柔らかな微笑みを浮かべて、エヴァンの目を見つめ返す。
「裏切りじゃねえよ」
ドミニクにつられて笑ったエヴァンは、きっぱりとガルデに言った。
「そういうの、お前らしいよ。その中佐には感謝しなきゃな、お前を守ってくれたんだからさ」
はい、と頷くガルデの表情は、誇らしさに満ちている。よほど、ケイド・グローバー中佐を尊敬しているのだろう。
かつての仲間が路頭に迷わず、新たな居場所を見つけていたことに、エヴァンは心から安堵した。
「それじゃあ、その、オツベルとの関係は?」
学校の授業のように挙手したユイが、第二の疑問を掲げた。
話題の矛先を向けられたオツベルは、ガルデを見下ろし、低い唸り声をあげた。ガルデは勇気づけるように、オツベルの大きな手を握る。
「オツベルはACUの大事な仲間で、メメントの分析や探知に大きく貢献してくれています。いつも穏やかで協力的で、俺や中佐に黙って行動することはなかったんですが」
ガルデの言わんとすることを察したか、オツベルはがっしりした肩を、叱られた子どものように縮めた。
「数日前、突然姿を消してしまったんです。それで、俺がオツベルの捜索を志願したんです」
ガルデは、しょんぼりしているオツベルを見上げた。
「オツベル、中佐や他のみんなも心配してるんだ。どうしてACUを抜け出したりしたんだい?」
決して責める口調ではないのだが、うしろめたいのか、オツベルはなかなか答えようとしなかった。
ガルデはそれ以上問い詰めることはせず、小さなため息をついた。
「もう知ってのとおり、彼女は人に危害を加えませんが、これほど特殊な存在ですから、もし誰かの目に止まったら大変です。だから一刻も早く見つけだして、基地に連れ帰りたかったんですよ」
「彼女って?」
再びユイが手を挙げる。
「オツベルは雌なので」
「メメントに雌雄の違いがあると!?」
驚いて声をあげたのはドミニクだが、エヴァンも同じ思いだった。メメントの性別など、考えたこともない。その前に、そんな違いがあるのかどうかすら、頭になかった。
「俺もオツベルに出会うまでは、雌雄の区別なんて、頭に浮かんでくることもなかったですよ。でも、彼女自身がそう言ったので」
オツベルは相変わらずもじもじしているだけで、自分からは何も言わない。
「研究班がオツベルを調査したんですが、肉体的特徴からは、雌雄を区別する……つまり、生殖器が見当たらなかったそうです。訊けばオツベルはこうなる前、人間の女性だったらしくて、その記憶が残っていたから、自分を雌だと認識」
「ちょっと待った!」
全員が一斉に声をあげ、ガルデの話を遮った。四人が一言一句違えず発した言葉に、オツベルはびくっと肩を震わせた。
「こうなる前は人間の女性だった? それって、つまり、メメントになる前の記憶が、こいつにはあるってことなのか?」
四人を代表してエヴァンが問うと、ガルデはゆっくり頷いた。
「驚くのも無理ないですよ。オツベルは、俺たちのメメントに対する認識を超えています」
すると、それまでガルデに寄り添うだけだったオツベルが、ついに言葉を発した。
男のものとも女のものともつかない不思議な声で、たどたどしく話し始める。
「スベテヲ、覚エテイル、ワケデハ、……ア、アリマセン。タダ……目覚メル前、ヒトノ雌トシテ生キテイタ……ソンナ記憶ガ、ホンノチョットダケ、残ッテイタノデス。ソレ以外ハ、何モ……」
オツベルはガルデの手をそっと離し、エヴァンたちと正面から向き合った。
「ワタクシハ……海デ目覚メマシタ……。デスノデ、前ノワタクシハ、海デ死ンダノデショウ……」
腹のあたりで、大きな両手が硬く握り合わさる。
「ワタクシニモ、ヨ、ヨク分カラナイノデス……。デモ、今デナケレバ……ナラナイトイウ……、思イガ、アリマス。ヨク分カリマセンガ……、ワタクシハ、誰カニ、会ウタメニ……、ココヘ来タノデス」