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TRACK-4 死を悼む象 7

「出ない」

 いつまでたっても呼び出し音が続くばかりで、一向に繋がらない電話を、レジーニは舌打ちしながら切った。

 お猿の相棒には、あれほど「連絡を待て」と念を押していたというのに、先輩からの電話に出ないとはいい度胸だ。

 例えば、電話に出られないような緊急事態に遭遇している、という可能性はあるだろう。だが、そんなことは知ったことではない。レジーニがこうしろと命じたら、相棒はいかなる状況下であっても実行しなければならないのだ。

 銃弾の嵐に見舞われているなら、それらを掻い潜ってでも。

 メメントの群れに襲われているなら、片手で殴りつつ、空いた方の手で端末を持て。

 そのように躾けたはずなのだが、目を離すとすぐこれだ。

「再指導の必要があるな。震え上がれ、猿が」

 眼鏡の奥の碧眼に、可虐的な光が灯る。

「あ、あの、レジーニさん?」

 背後からリカに恐る恐る呼びかけられた。レジーニはただちに表情を引き締め、何事もなかったかのように彼女の方へ顔を向ける。

「何かな」

「えっと、電話、繋がらないんですか?」

「ああ、君が気にするほどのことじゃない。例の猿だ」

「猿……って、昨日一緒にいた、相棒の人、ですよね」

「そうだ。君ともう一度引き合わせるつもりだったんだが……」

 言葉を続けようとしたレジーニは、リカの張り詰めた表情を見て口を噤んだ。

 少女は俯き、ポンドマークの象徴である人工池の水面みなもを見つめている。胸の内で不安が渦巻いているであろうことは、レジーニにも手に取るように分かる。

 

 エヴァンと対面することで、何かが起きるかもしれない。何も起きないかもしれない。結果がそのどちらになっても、彼女には理解しきれない事態だろう。

 ただでさえ人智を超えた能力ちからを持っているというのに、予想外の出来事がこれ以上重なれば、精神がまいってしまう。

 心と身体の疲弊は直結している。少し間を空けた方がいいだろう。


(予定変更だな)


「それは後回しにしようか」

「え?」

 リカは顔を上げ、不思議そうにレジーニを見つめた。

 レジーニは肩をすくめ、リカの背中をそっと押し、歩くのを促す。

「今すぐでなければならないというわけじゃないんだ。それより、一つ気になっていることがある」

「なんでしょう」

 リカは眉を顰めると、まだ何かあるのと言いたげに、小さくため息をついた。

「夕べの現場には、もう一人いた。そいつがメメントを率いていたと考えられる」

「率いていたって……、それ、私と同じ力を」

「いや、それは分からない。近頃は、これまでにいなかったようなタイプのメメントが出没しているからな。そいつが君と同じ能力を有しているかどうかはさておき、問題は君を見られたかもしれないということだ」

「どういう意味ですか?」

 二人は早足でポンドマークを突っ切り、レジーニのマンションに向かった。

「君が潜在能力でメメントを駆逐する様を、もしそいつが見ていたなら、このまま放っておくはずがない」

 リカの足が止まった。レジーニもその場にとどまる。リカは表情を強張らせ、レジーニを見上げた。

「確信はないが、可能性はある」

 シャイン・スクエア・モールまでメメントを連れてきた男の目的は、エヴァンとの接触だったと、レジーニは見ている。メメントをけしかけ、周囲を混乱させる必要があったのかはさておいても、結果として、こちらは敵勢の存在を見せつけられたことになる。

 男の目的はそれで果たせたかもしれないが、問題は、リカが側にいたことに気付かれたか否か、だ。

 リカが能力を行使するのを、その男が見たとしたら、間違いなく彼女を狙うだろう。

「わ、私も狙われるってことですか?」

 震える声で、リカは呟く。

 レジーニは身体ごと彼女の方に向き直った。怯えている少女に追い討ちをかけるのは忍びないが、ここまできて隠すつもりはなかった。むしろ、今どういう状況にあるのかを、把握できていないままの方が危険だ。

「メメントを歩兵ポーンとして使役するような奴らだ。君の能力ちからを知って、そのまま普通に生活させてくれると思うかい」

 孔雀藍ピーコック・ブルーの双眸が、不安げに揺れる。

「でも、み、見られてないかもしれないし……」

「悪いが、それは希望的観測だ。例え今は見逃されても、いつかは見つかる」

「じゃあ、どうすれば……」

 リカは胸の前で両手を合わせ、そわそわと指を動かしていた。どこかの誰かに狙われるかもしれないという恐怖が、影のようにじわじわ背後に忍び寄るのを、今まさに感じているのだろう。

 だが、レジーニはリカへの同情を見せなかった。少女にとって過酷な状況だというのは分かるが、いざ事が起こった場合を考えれば、同情などしている暇はないのだ。

 冷たい人間だと思われる覚悟がなければ、彼女を守ることなど出来はしない。

「君にはしばらく、安全な場所にいてもらおうと思う」

 レジーニがそう告げると、リカは大きく見開いた目を、ぱちぱちとしばたたかせた。

「それって、自宅待機ってことですか?」

「待機は待機だが、君の自宅じゃない。ともかく歩こう、おいで」

 手招きすると、リカは戸惑いながらも、レジーニのあとについて歩き出した。

「端的に言うと、部屋を移って、しばらくそこでおとなしくしていてほしい、ということだ」

「私を閉じ込めるの? どうして!?」

 案の定、リカは抗議の声を上げた。当然だろう。自由を奪われることを、素直に受け入れる者などそういない。十代の若者であれば尚更だ。

「さっき言ったように、狙われる危険性があるからだ。しばらく身を隠していた方がいい。閉じ込める、という表現は乱暴だが、まあ……つまりそういうことになる」

「でも、それは可能性の話ですよね? このまま見過ごされるかもしれないでしょ? 私、今まで誰にも狙われたことなんてないわ」

 リカは小走りでレジーニの前に出た。

「私の力なんて、欲しがったところで何の役にも立ちません。化け物にしか効かないんだから。レジーニさんたちが誰と対立してるのか知らないけれど、その人たちにだって、価値はないはずです」

 軟禁されるのをどうにか回避しようと、リカは必死で自己弁護を試みる。そんな彼女に、レジーニは意地悪く微笑んだ。

「価値はない? 僕が奴らだったら、何を犠牲にしてでも君を奪うけどね」

 リカの顔色が、さっと青褪めた。両手を握り締め、無言のままレジーニを見つめる。

 少し大人げなかったか。レジーニは苦々しいため息をつきそうになったが、寸でのところで飲み下した。

 リカはこれまで、異能の力に悩まされながらも、ごく普通の少女として生活してきた。それは、彼女の周りに「敵」がいなかったからだ。

 メメントは彼女の敵にはならない。が、奴ら・・はどうだろう。

 未だ実態の掴めない、あるかなしかの「敵影」だ。しかし、確実に近づいてきている。

 もしリカを一人で自宅に帰らせ、いつも通りの暮らしに戻したとして、その後に取り返しのつかない事態が起きてしまったら。

 自分を許せない。

 

 二度と、同じ過ちを繰り返してはならない。

 

 二度と、だ。

 

 レジーニは表情を和らげ、小さな子に聞かせるようにリカを諭した。

「納得出来ないのは分かっている。だが、少しだけ辛抱してほしい。いや、協力してくれ、と言った方がいいな。身の安全が確かなものになるまでの間、どうかおとなしくしていてくれないか」 


        *


 日曜日だからといって、どの道も混雑しているわけではない。サウンドベル東の大通りと同じように、リバーヴィルの交通量も、平日と大して変わりはなかった。

 渋滞にはまることなく、黒いスポーツタイプの電動車は、すいすいとリバーヴィルの主要道路を走り抜けていく。

 ハンドルを握るレジーニは、時おり右側を横目で見やった。助手席にはリカが、身を縮めるようにして座っている。

 彼女は車に乗り込んでから、一言も喋っていない。思いつめた表情で、流れゆく窓の景色を眺めるだけだった。

 レジーニに対する拒絶の意志を、無言によって示しているのだ。そうする以外に、反抗する手段がないからだろう。


“軟禁状態”にされることを、リカは渋々ながら承諾した。だが、納得していないことは、この態度からも明らかである。

避難部屋セーフハウス”に収まった後は外出を控えさせることになるので、しばらく大学にも行かせられない。勉強が出来ず、友人にも会えないのは不満であろうし、ストレスも溜まるだろう。ふてくされるのは当然だ。

 それについて責めるつもりは、レジーニにはない。安全な場所に落ち着いて、ゆっくりものが考えられるようになってから、理解してもらえればそれでよかった。

 リカを保護する部屋の手配は、すでに済ませている。電話一本かければいいことだった。

 電話の相手は、緊急事態に慣れた強者だ。レジーニの必要最小限の説明だけで、しっかり状況を飲み込んでくれた。

 レジーニの黒いスポーツカーは、その避難部屋に向かうため、イーストバレーを目指している。

 

 車の進み具合は順調だったが、大きな交差点で赤信号に引っかかった。横断歩道を渡る歩行者たちの姿が、車両の隙間から見える。

 ふとリカの方に目を向けた。少女は相変わらず無言で、耐え忍ぶように身を固めている。

 表情も堅いままなのだが、どこか様子が違って見えた。

 先ほどまでは、諦めに近い憮然とした顔つきだった。それが今は、緊張で張り詰めたように引き攣っている。

「リカ、どうかしたのか?」

 レジーニは声をかけ、彼女の注意を引こうとした。名前を呼ばれた少女は、びくっと肩を震わせてレジーニに顔を向けた。車に乗り込んでから、初めてこちらを見た。

 リカは怯えた目でレジーニを見つめながら、シートベルトの留め具に手を伸ばした。彼女が何をしようとしているのか、瞬時に察したレジーニは、慌てて首を振る。

「よせ、リカ、やめるんだ」

 しかし少女の細い指は、留め具のボタンを押してしまった。カチリと音を立ててシートベルトが外れる。

「やっぱり、私……」

「リカ」

「ご、ごめんなさい!」

 叫ぶと同時に、リカは車のドアを開け、道路に飛び出して行った。

「リカ!」

 信号が青に変わったのは、ちょうどその時だ。三車線ある道路で信号待ちをしていた電動車たちが、一斉に発進した。

 急に道路に飛び出した少女に気づいたドライバーたちが、警告のクラクションを鳴らした。けたたましい音が、通り中に響き渡る。

 レジーニは、動き出した車両に隠れた、リカの姿を捜した。が、後ろについた電動車が、「早く行け」と抗議のクラクションを鳴らしたため、その場を離れざるを得なかった。

 発車させたその時、反対車線の歩道辺りで長い赤毛が揺れたのが、視界の端に映った。


 

 急ぎ、人気のない路地に車を向けたレジーニは、手近な路肩に停めて降りた。駐車可能のスペースではないので、車を離れると違反カードを切られてしまうが、その対処なら後でどうにでもなる。

 レジーニはリカが降りてしまった道路まで走って戻り、横断歩道を渡った。

 当然のことながら、少女の姿はすでにない。

「まったく、なんてことをしてくれる……!」

 避難・・に納得していないのは分かっていたが、まさかあんな無謀な行動に出るとは思いもしなかった。死角からの車に轢かれる可能性もあったのだ。

レジーニは苛立ちを抑え、周囲を見渡しながら歩きつつ、携帯端末エレフォンを耳に当てた。

二、三回のコール音で、相手は電話に出た。

『はあいレジーニ。もう着いたの?』

 スピーカーから、甘ったるい口調の野太い声がする。

 電話の相手は、イーストバレーのゲイバー〈プレイヤーズ・ハイ〉の店主にしてドラァグクイーン、ママ・ストロベリーだ。

 彼女・・はこの界隈の裏社会において、並ぶ者のない情報屋である。そして、リカを匿うための部屋を用意してくれたのも、このママ・ストロベリーだ。

「いや、まだだ。そっちに行くよりまず、調べてほしいことがある」

『あら、何かアクシデント?』

 多種多様なアクシデントを経験してきたストロベリーは、多少のことでは動じない。

「彼女に逃げられた。居場所を捜してくれないか」

『んまあ! レジナルド・アンセルムが女の子に逃げられたですって!? これは前代未聞だわあ』

 おほほほほほ、と高笑いがレジーニの鼓膜に響いた。

「冗談を言っている時間はない」

『ごめんなさあい、ちょっと面白かったから』

 謝りはしたが、ストロベリーの声色からは、まだこの状況を楽しんでいるのが窺える。

『逃げたくもなるわよねえ。普通の生活してきた子に、いきなり軟禁を強いるんだもの。超能力を持った子だとしても、それは仕方がないわ』

 ストロベリーに部屋の手配を頼む際、リカの事情を話している。メメントを操り殺せる能力を持つ少女の存在は、さすがに彼女を驚かせたが、すぐに受け入れてくれた。

『それにしても、女の子一人逃がしちゃうなんて、アナタらしくないわね。まあいいでしょ、捜してあげる』

「そうしてくれ。行くあてはあまりないはずだ。おそらく自宅に帰るだろうから、住んでいる場所を探してほしい」 

『分かったわ』

 しばらく言葉を交わしてから、レジーニは電話を切った。リカの詳しい住所は知らないが、ホーンフィールドのアパートに住んでいることまでは聞き出している。

 ホーンフィールドには学生向けの集合住宅が多くある。ストロベリーならば、探し当てるまでに大して時間はかからないだろう。

 ついでにもう一件の調査を、ストロベリーに依頼した。そちらは少し手間が必要だろうが、とても重要な一件だ。

 レジーニはため息をつき、前髪をかき上げる。脳裏をぎったのは、親とはぐれた小鹿のようなリカの眼差しだった。


        *


 第九区北西のホーンフィールドには、その地名の由来となった、角のような奇岩が点在している。

 その多くは郊外に集中しているが、いくつかは街中にぽつねんと立っていた。

 地味だが珍しい岩であるので、足を止めた観光客が写真を撮る姿がよく見かけられる。

 低い丘の斜面にも、小さめの奇岩が複数、羊の群れのように転がっていた。それらの前で一組の中年夫婦が、一緒に写真に写ろうと、携帯端末を持って寄り添っている。

 折りよく一人の若者が通りかかった。これ幸いとばかりに、夫婦は彼に撮ってもらうことを思いついた。

 若者はひょろりと痩せ型で、髪型はアシンメトリー、レザーの上下に身を包み、ちょっと近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。

 夫婦は躊躇したものの、思い切って彼に頼んでみることにした。

「すみません。写真、お願いできますか?」

 すると若者は、少し驚いた様子で、差し出された携帯端末と夫妻を見比べた。

 彼は「はあ……」と、ため息のような生返事をすると、端末を受け取った。そして端末を掲げると、きちんと写真を撮ってくれたのだった。

 若者は用事を済ませると、夫妻に端末を返し、足早に去っていった。

 写真を確認すると、夫妻と奇岩がちゃんとフレームに収まった、ベストショットだった。

写真写りに気をよくした妻が、あっと声を上げる。

「嫌だ、お礼を言いそびれてしまったわ」


 

 観光の中年夫婦から一刻も早く離れようと、エブニゼルはほぼ駆け足で通りを進んだ。

 現地の人間に写真を頼まれるなど予想外だ。何か、出鼻を挫かれたような気がしないでもないが、それでも任務はこなさなくてはならない。

 エブニゼルは言葉通り襟を正し、ホーンフィールドの街中へ足を踏み入れる。


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