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TRACK-4 死を悼む象 5

 レジーニのマンションから十分ほど歩いた所に、ポンドマークという市民公園がある。遊歩道に美しいポプラ並木が沿う、のどかな場所だ。早朝のランニングコースでもある。

 日曜日ということもあり、憩い客で賑わっているポンドマークを、レジーニとリカは並んで歩いていた。

 正確には、リカの方がやや前に出ている。豊かな赤毛をなびかせながら、細長い足でちょこちょこ歩く様子は、まるで小鹿のようだった。

 

 今歩いているのは、ポンドマークの西側にある、人工池周辺の遊歩道だ。この道にもポプラが立ち並び、池の景観を彩る大きな役割を果たしていた。

 池は、直径がおよそ百メートルといったところか。緩やかなアーチの橋が架かっており、一時間ごとに水を噴き出す噴水が設置されている。

 リカは、背後からの視線が気になるようで、時折首を少し動かして、レジーニを振り返った。

そんな仕草をされると、まるでこちらがストーキングしているような気分になる。

 が、彼女に悪気があるわけではない。状況が状況なのだからと、レジーニは気にしないようにした。代わりに言葉を投げかける。

「どうだ。何か見えたかい」

 弾かれたように振り返ったリカは、孔雀藍ピーコック・ブルーの目を見開き、

「あっ、はい! えっと、えっと……」

 慌てて周囲を見渡した。

 しばしの間きょろきょろしていた彼女は、右腕をすっと上げ、北の方を指差した。

「あっちです。二箇所、視えます」

 指差す先は、ポプラ並木の向こう。池からの水が流れ出て行く放水路のあたりだった。

 


 二人がこうして公園を歩いているのは、散歩でもなんでもない。モルジットを探すためだ。

リカは、メメントを操作するだけでなく、肉眼では視えないはずのモルジットを視る能力も備え持つ。その彼女が言うには、モルジットは、街の至る所に漂っているという。

 ならば、外を適当に歩いていれば、モルジットがあるポイントに出くわすのではないか。そう考えたレジーニは、リカを伴い、マンションを出たのである。

「闇雲に歩き回るより、探しやすい場所に行った方がいいです」

「例えば、どういった所だ?」

「人があんまり踏み込まない所。草叢とか、廃墟とか。そういう所には、生き物の死骸がよくあるから」

 モルジットが空気中を漂うのは、寄生するための器――つまり、生き物の死骸を探し求めているからだそうだ。

 リカの助言を受けて足を運んだのが、ここポンドマークである。

 レジーニが確認したいのは、モルジットの存在そのものよりも、死骸がメメント化するその瞬間だった。 

 これまで何体ものメメントを屠ってきたが、肝心のメメント化する現場を目撃したことがなかった。ようやく、この目で確かめる機会が巡ってきた。



 リカが指差した場所へ行くには、遊歩道を外れ、草叢の中を分け入って行かなければならない。

「まだ二箇所で視えてます。たぶん、何かの死骸があると思います」

「よし、行こう」

 レジーニは彼女を労うつもりで、細い肩に手を置いた。その瞬間、リカの身体が小さく飛び上がった。

(わかったわかった。触らないよ)

 すぐに手を離し、両手を軽く挙げて見せる。リカが男慣れしていないだろうことは、言動や態度で察しがついていた。迂闊に触れたこちらが悪い。

 とはいえ、あまり過剰に反応されても、少々やりにくいのだが。

 目鼻立ちの整った美人なのだから、言い寄ってくる男は多かっただろうに。

 リカが過剰反応するのは、自分に対して特別な思い入れがあるからだ。レジーニはそう見当をつけていた。

 自惚れた考え方ではあるが、こちらへの視線に込められた思慕に勘づけないほど、レジーニは鈍感な男ではない。場数を踏んできた分だけ、他人から向けられる感情には敏感になるものだ。 

 


 裏社会に身を置く人間は皆、薄暗い泥道を這ってきた連中ばかりである。

レジーニも例外ではない。ある意味では相棒以上に、壮絶な人生を歩んできたと言えるだろう。

 生き延びるために、他人の顔色を読むすべを身に着けた。こちらの思惑通りに動かす技を覚えた。女の悦ばせ方を習得した。

 出し抜くか、出し抜かれるか。時には命すら担保にしてしまう駆け引きがまかり通る世界である。腹の探り合いは、裏稼業者バックワーカー同士にとっては、挨拶代わりだ。

 ヴォルフたちのような“仲間”ですら、初めの頃は信用出来なかった。

 悪意の中で生きてきたレジーニは、だから、純粋なものに対する接し方が分からなかった。  

 誰かを貶めようなどと露ほども考えていない、真っ白な眼差し。

 傷つけられるかもしれないのに、剥き出しの心を惜しげもなく見せる。

 純粋ゆえに、愚かで、賢く、脆く、強い。

 そんな奴を、二人、知っている。

 一人はもう、いないけれど。


 

 放水路の周りは、リカの腰丈ほどもある雑草に覆い尽くされていた。湿気を含んだ土のせいで、足元がぬかるんでいる。先を行こうとしたレジーニだったが、リカは「自分が先に行く」と、頑なにこれを断った。

 何が待ち受けているか分からないので、彼女を先に立たせたくなかったのだが、本人の強い意思なら仕方がない。

万が一に備え、ショルダーホルスターからクロセスト銃を抜いた。〈ブリゼバルトゥ〉も携帯しているが、こちらはいよいよの時の切り札だ。

 湿った土を踏み締め、雑草の中を歩いて行く。数分ほど過ぎた頃、リカが立ち止まった。

「そこです」

 枯れる前のススキが生い茂る一帯を指差す。

 レジーニはリカの前に進み出、両手で青ススキを掻き分けた。

 果たしてそこにあったのは、ネズミの死骸だった。子犬ほどの大きさのあるドブネズミだ。腹がばっくりと裂けており、どす黒い内臓が流れ出ていた。小さな肋骨も見えている。灰茶色の体毛は血と体液で濡れそぼり、固まっていた。

 共食いの跡か。見ていて気分のいいものではない。何より臭い。

 一つ奇妙なのは、これだけ腐敗が進んでいるにも関わらず、蛆が一匹も湧いていない点だ。蝿すら飛んでいない。モルジットの影響なのだろうか。

 ともあれ、こんなもの、十代の少女の目には耐えられないだろう。レジーニは横目で、リカの様子を伺った。

 案の定リカは顔をしかめており、似合わないシワを眉間に刻んでいる。だが、目を逸らそうとはしなかった。

「無理して見ることはない。ここにモルジットがあるんだろう? それさえ分かれば、あとは……」

「いえ、大丈夫です」

 リカは薄く笑い、首を振った。

「自分に視えているものが何なのか調べるために、今まであちこち歩き回って、いろんな生き物の死骸を見てきたから、これでも少しは慣れてるんです。だからと言って、どうしても見たいってわけじゃないけど」

 華奢な見た目に反して、芯の強い部分があるようだ。

「そうか。なら訊こう。モルジットは今、どうなっている?」

 リカは視線をさまよわせると、両手を使った身振り手振りで、言葉を選びつつ説明した。

「ちょうど私の目線くらいの高さから、ネズミに向かって、ぐるぐる回りながら伸びています。竜巻が発生した時みたいな感じで、渦を巻いてるんです」

「死骸に侵入しようとしているのか?」

「はい。でも、たぶんこれは、メメントにはならないと思います」

 リカは目線をネズミに向けた。彼女の双眸には今、彼女にしか見えない異次元の物質の働きが視えている。

「なぜメメントにならないと?」

「入り込もうとしてるけど、ダメみたい。うろうろしてる。死骸に触れるけど……、また離れた」

 リカは、あっ、と声を上げ、ゆっくりと辺りを見回した。

「散らばっていきました。このネズミの死骸は、合わなかったみたいです」

「消えたのか」

「はい」

「合わなかった?」

「詳しくは分からないんですけど、モルジットが定着するものと、そうでないものとがあるんです。その差は分かりません。同じ生き物の死骸でも、その違いはあるから」

 レジーニは片手を顎に当てて唸った。

 モルジットに合う――定着する死骸と、定着しない死骸。その差は単純に、個体差によるものと考えられる。もし全ての死骸に、モルジットを受け入れる素質があるならば、メメントは今の何倍、何十倍も存在していただろう。

「あの、れ、レジーニ……さん」

 遠慮がちに名を呼ばれ、レジーニは考察を中断した。

「ここではもう何も起きませんから、もう一箇所の方へ行きましょう」

 

 

 二つ目のポイントは、そこから更に奥へ進んだ所にあった。ドブネズミと同じように雑草の上に横たわっていたのは、小さなリスの死骸だった。

 四つ足を投げ出して死んでいるリスの体には、目につくような外傷が見当たらない。ネズミやカラス、猫などの捕食者に齧られた痕跡もなかった。ひょっとしたら、害獣駆除剤の入った餌を食べてしまったのかもしれない。死因はよく分からないが、ともかくリスは死んでいる。

 このリスの死骸にも、モルジットがまとわりついていると、リカは言った。

「ただ、さっきのとは違います。リスの周りを取り囲んでる。覆い尽くそうとしてます」

 リカの声には、緊張が滲んでいた。

「変わるか?」

「はい。今、リスの中に入りました。体が小さいから、すぐに変化が始まると思います」

 なるほど、とレジーニは頷く。モルジットの浸透速度、メメントへの変異開始のタイミングは、苗床となる死骸の大きさに比例する、ということのようだ。

 リカの言葉通り、間もなく変化が始まった。

 


 リスの毛皮が、ぼこぼこと膨らむ。まるで、皮膚の下に何かの生き物が潜り込み、内部で動き回っているかのようだった。

 膨れ上がって瘤になった皮膚は、毛皮もろとも破れた。裂傷部から、赤みを帯びた灰色の肉が押し出される。

 すべての瘤から肉が溢れ、死骸は筋肉の塊と化した。もはやリスだった面影は、どこにも見当たらない。

 肉塊はしばしの間、もぞもぞと震え蠢いていたが、やがて塊の端が隆起し、芽吹いた植物のように伸び上がっていった。

 肉塊の下部から、同じような突起が三本生える。それぞれの突起の先端は、爪のように鋭利に尖り、土に喰い込んだ。

 上に向かって伸び続けていた最初の突起物は、ついに1メートルほどの高さにまで成長した。先端部分は丸くなり、いくつもの小さな切れ込みが走る。その切れ込みが一斉に開き、黒々とした目が生まれた。

 黒い複眼が、レジーニとリカを静かに見つめる。

 肉塊にも切れ込みが生じた。開かれたそこには無数の牙が並んでおり、赤黒い口腔の奥から、豚に似た鳴き声が吐き出された。 

 

 

 生まれたばかりの小型メメントは、目の前の巨大な人間えものに怯むことなく、威嚇の咆哮を上げた。

 だが飛びかかろうとした時、レジーニが放ったクロセスト銃に撃ち抜かれ、あっけなく消滅した。

 小型で未熟だったせいか消滅分解は速く、メメントは異臭を残して、たちまちのうちに消えていった。

 メメントの残滓たる異臭蒸気を見つめながら、レジーニは呟く。

「これが、変異過程か……」

異法者ペイガン〉として活動を始めて数年。ついにこの目で、死骸がメメントへと変貌する様を確認出来たのだ。

 モルジットが、元となった死骸を、別の何かに造り替えるプロセスは、想像していたよりもおぞましいものだった。が、同時に、興味深いとも感じた。ここにオズモントがいたならば、生物学的見解を聞けたかもしれない。

「もう少し大きな生き物だったら、もっと気持ち悪いものを見ることになってました」

 リカの顔色はやや青褪めている。その、もっと気持ち悪いものを、散々見てきたに違いない。

 苗床の死骸は、大きければ大きいほど筋肉量があり、内部組織も複雑になる。であれば、それだけ変異の規模も大きくなる、ということだ。

 今回のサンプルは小さかったが、どのサイズのメメントであれ、変異過程は概ね同じだと考えていいだろう。 

 モルジットは、既存のメメントが発した生体パルスを受信し、その情報に基づき変異する。この現象を〈影響変異アフェクト・ミューティ〉と名付けたのはオズモントだ。

 レジーニには、さきほどのメメントの複眼に見覚えがあった。以前倒したメメントに、あれと似た器官を持つ個体がいたのだ。ということは、そのメメントの変異情報を受信したモルジットがこのあたりに漂っている、という仮説が成り立つ。

 今後、同じような複眼を持つ個体が現れれば、その仮説は立証されよう。

「リカ。モルジットはそこらじゅうにある、と言ったな」

「はい」

 リカは頷き、ゆっくりと周囲を見回した。

「どこでも見かけます。だけど、そのほとんどは死骸に定着しないんです。モルジットに合う方が、珍しいんだと思います。そうは言っても」

「そうは言っても?」

「昔に比べると、すごく増えてます。ずっと前……この能力を自覚した頃は、墓地とか路地裏とか、限られた場所でしか視なかったのに。今では、どこにでも現れます。なんだか、ある時を境に、急に増えたような気がするんです」

 “ある時”とは、それは、まさか――。

「モルジットが急激に増えたのは、ひょっとして十年ほど前のことじゃないか?」

 レジーニの言葉に、リカは少し考えてから頷いた。

「はっきりとは覚えてませんけど、きっとそうです。私の能力も、同じ時期から強くなっていったから」

 やはりそうか。レジーニは声に出さずに唸った。

 

 十年前――今からだと十一年近く前になるが、その頃に起きた大規模な出来事といえば、〈パンデミック〉である。

 政府サンクシオンによる、マキニアン一掃作戦。この事件をきっかけに、メメントは爆発的に増加したと言われている。

 これはつまり、〈パンデミック〉によって超広範囲に渡り生体パルスが発せられ、モルジットが次々と覚醒した結果なのだ。

 その影響は、大陸の東西にまで及んでいる。現に、〈パンデミック〉の現場から遥か遠く離れたここ、アトランヴィル・シティにまで生体パルスは達している。

 

 その証となるのが、孤高のメメント〈トワイライト・ナイトメア〉だ。かの異形は、オズモントの実の息子――強盗に殺害されたバートルミー・オズモントの遺体が変異したものなのだ。

〈トワイライト・ナイトメア〉は、類似種のない唯一無二の存在である。それゆえか、他のメメントを凌駕する戦闘力を持つ。あのシェド=ラザにさえ、重症を負わせることが出来るのだ。


(そんなメメントを生み出した生体パルスを発したのは……何だ)


〈トワイライト・ナイトメア〉を誕生させ、大陸中のメメントに影響を与え、リカの能力を強化させるほどの強烈な生体パルスを――、

 

 一体、何者が発したというのか。


 その答えを、おそらく知っているであろう人物――アンドリュー・シャラマンは、現在行方不明。

〈パンデミック〉を、二人の義妹とともに生き延びたドミニクは、何か情報を持っているだろうか。

 肝心要のエヴァンは、事件発生当時、すでに凍結睡眠コールドスリープ状態だった。おまけに記憶障害ときている。

 大陸西部に向かってもらった“あの二人”からの便りに、手がかりとなる情報が含まれているといいのだが。

 

 

 リカと遊歩道に戻ったレジーニは、内ポケットから携帯端末エレフォンを取り出した。

(ひとまず連絡を入れるか)

 モルジットの変異過程は、この目でしっかりと確認した。次に明らかにすべきは、リカの能力の正体だ。

 この問題について、レジーニは一つの仮説を立てている。

 仮説を吟味するためにも、エヴァンとリカをもう一度会わせる必要があった。

 本人たちがよく分かっていないのだから、会わせたところで何も判明しないだろうが、無視していいわけではない。

 

 すでに何かが“始まっている”。

 そしてそれは、誰にも止められない。


 止められる者がいるなら、それは――。


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