TRACK-4 死を悼む象 4
四つの拳が秒速で乱れ舞う。
エヴァンがラッシュを叩き込むと、真紅の輝きが軌跡を描き、火の粉を散らした。
ガルデは炎の連撃を軽やかに受け流し、あるいは払って隙を突く。爪刃と全身のバネを駆使するしなやかな動きは、野生の肉食獣そのものだ。
攻撃をかわしたガルデが、少しだけ離れた。エヴァンはすかさず仕掛ける。
右から打つと見せかける。ガルデが誘いに乗った瞬間、左から三発連続でパンチを浴びせた。
防御の姿勢をとろうとするガルデ。エヴァンはその動作の間に、彼の胴にもう一発当てた。
「うッ……!」
ガルデが呻きよろめいたところに踏み込んで、強力な右ハイキックを放つ。しかし、これは読まれていた。
胴のダメージから素早く回復したガルデは、エヴァンのハイキックを避けつつ身を引いた。的を外した蹴りが空を切る。「しまった」と思った時はすでに遅く、エヴァンの側頭部にカウンターの回し蹴りが入った。
振り抜かれた蹴りで、エヴァンは地面に倒れ込む。が、追撃を警戒し、そのまま数回転がってガルデから離れた。
予感は的中だった。ガルデはエヴァンが倒れてすぐ、追い討ちの体勢をとっていた。真上からの正拳突きが、エヴァンの頭があった地面にめり込み、クレーターを作る。
「ったく、手抜きしねーよなあ」
立ち上がったエヴァンは、東雲の瞳に闘志を滾らせるガルデを見据えた。軽いスパーリングでも、真剣に取り組んでいた時のことを思い出す。
地面から拳を引き抜いたガルデは、凛々しい眼差しでエヴァンを睨んだ。
「手を抜いているのはどっちだ。雑魚だと侮っているなら、後悔させてやるぞ」
「雑魚だとか思ってねーんだけど」
エヴァンは小さくため息をつき、人差し指で頬を掻く。仕方がない、向こうはこちらを敵だと思い込んでいるのだ。暴走を止めるなら、全力でやるしかない。
独特の前傾姿勢で、ガルデが突っ込んでくる。疾い。真正面から堂々と向かってくる彼を、火の輝きを纏わせた〈イフリート〉の拳で迎えた。
エヴァンの攻撃射程範囲に入る瞬間、目の前からガルデが消えた。気配を感じて左側に身体を向けると、獅子の顎が眼前に迫っていた。
顎――ガルデの両腕の爪刃が、エヴァンの肉体を抉ろうと連続で繰り出される。あまりに速く、反撃の隙を見つけられないほどだ。
一撃打つごとに、鎌鼬のような鋭い風刃が生まれ、エヴァンの皮膚や服に、細かな裂傷を刻みつける。
皮膚の傷は浅く、マキニアンの回復能力でたちどころに塞がるが、風刃が厄介なのは、攻撃のたびに無数に発生することだった。幾つもの剃刀が渦巻く竜巻に飲み込まれるようなものだ。
「この……!」
エヴァンはガルデの連撃に動きを合わせ、受け流すことで何とか応戦した。闇雲に反撃するのではなく、機会を待つのだ。
辛抱強く耐えた末、チャンスは一瞬のうちに訪れた。
連撃の合間、ほんの一刹那、ガルデの右腕がわずかに開いたのだ。エヴァンは素早くガルデの開いた右腕を左手で弾き飛ばし、一歩踏み込んで右掌底を鳩尾に叩き込んだ。
ガルデは呻き声を上げ、苦悶の表情を浮かべて身体を折る。その間に更に距離を詰め左エルボー。横によろめいたガルデの下に潜り込む。
腰を低く落として構え、右腕の〈イフリート〉の具象装置を起動させた。
「おりゃああああッッッ!!」
雄叫びを上げ、ガルデの顎めがけて燃え盛る炎の拳を突き上げた。
(もらった!)
捉えた、と確信した。顎にまともにヒットすれば、脳震盪を起こす可能性がある。そうなれば一時的に意識が失われる。少し眠れば、聴く耳を持つ気になってくれるかもしれない。エヴァンの「普段使われないが、戦闘中にたまに発揮される冷静な部分」が、そう判断した。
ところが、目論見はあえなく失敗した。ガルデはまたしても素早く回復し、ガラ空きになったエヴァンの胴に、両腕を突き出したのだ。
掌底の強力版とでも言うべき一撃に、エヴァンは軽々と吹き飛ばされる。更にガルデは連打で追撃し、エヴァンは屋上端のフェンスまで追い詰められた。背中から衝突した勢いでフェンスが外れ、もろとも宙に放り出される。
「くそッ!」
エヴァンは右手のハンドワイヤーを射出し、ビルの壁に食い込ませた。落下時の重力負荷が大きかったため、勢いは死なず、壁に五本の溝を刻みながらずり落ちていくしかなかった。
地面まであと十メートルを切ったところでハンドワイヤーを戻し、転がるように着地する。
幸いそこはビルの裏手で、人通りのない閑散とした場所だった。一緒に落ちたフェンスは、離れた所に転がっている。
一方ガルデは、ハンドワイヤーを使わずに降下してきた。ビル外壁の足場になりそうな突出部を、身軽に飛び移っている。最後はジャンプし、音を立てずに地上に降り立った。
「侮るなと言っただろう!」
休む間もなく、ガルデの回し蹴りが迫る。エヴァンはとっさに後転して攻撃を避けた。
再度距離が開き、両者は睨み合う。
冷や汗が一滴、エヴァンのこめかみを伝い落ちた。汗を掻くほど戦うのは、いつ振りだろう。七月に現れた、あの“白い少年”以来か。
ガルデは数メートル離れた所で、低く構えつつエヴァンの様子を伺っている。髪が変形した金属束は、独立した意志でも持っているかのように、ゆらゆら振れていた。
(くっそー、まずいな。やっぱ手こずるわ、あいつのスペック)
ガルデの細胞装置は、その名称を〈マンティコア〉という。名前の由来は、伝説上の生物にあるらしい。獅子の体にコウモリの翼、蠍の毒の尾を持つ、いわゆる合成獣というものだそうだ。
〈マンティコア〉のパラメーターは、実はエヴァンの〈イフリート〉と大差ない。防御力やスピードはほぼ同格だ。能力値のバランスを全体的に比較すると、双方互角といっていい。
ただ、純粋な攻撃力では、エヴァンの方が勝っている。それを補うかのように、ガルデの能力で飛び抜けているのが“スタミナの高さ”だった。
マキニアンは総じて体力に恵まれているが、ガルデの〈マンティコア〉は格が違った。
第一に、攻撃を受けてからの回復が早い。回復が早ければ、隙が生じにくい上、反撃もしやすくなる。
第二に、まさしく猫科の猛獣のような“しなやかさ”が挙げられる。身体のバネが強靭で、跳躍力や走る速度はもとより、急激な動作変更に耐えうるのだ。これにより、直前まで行っていた攻撃をやめ、急遽別の技に切り替えることも可能になる。
攻撃からの回復が早く、カウンターを取りやすい。無尽蔵のスタミナを誇る人物が、このような能力を備えていれば、苦戦を強いられること必定だった。
おまけに〈マンティコア〉には、風属性の具象装置が搭載されている。ガルデはその風を、さきほどの鎌鼬のように主力攻撃に付随させ、更にダメージを加えるという使い方をする。
(どうするよ、ったく)
エヴァンとガルデ。どちらも近接攻撃主体で、能力値は甲乙付けがたい。
こちらは当たれば大きいが、あちらはスタミナに長ける。
〈イフリート〉の炎を使うか。相手も同じマキニアンだ。多少火傷を負ってもすぐに治る。とはいえ、友人に対して炎を使うのは気が引ける。
この戦いに決着をつけるには――。
「集中しろラグナ・ラルス!」
ガルデが土を蹴り上げ突進してきた。
風を纏った連続攻撃に耐え、応戦しながら、エヴァンは思考を巡らせた。
近い者同士の戦いに決着をつけるには――。
双方が持っていない何かが必要だ。
(俺とガルデが持ってないもの……。俺とガルデが普段やらないこと……。俺とガルデが普段やらないこと……。俺とガルデが普段やらないこと……。俺とガルデが……)
前方から、ぶわっと風が吹きつけた。爪刃が目の前に迫っている。
その瞬間、耳の奥で、誰かが囁いた。
――アホか。打撃系だけが決め技とちゃうねんぞ。
脳の奥で光が閃いた気がした。
爪刃がヒットする寸前、エヴァンは素早く身をかわして腕を伸ばし、ガルデの襟と袖を掴んだ。肘を持ち上げ脇に回り、ガルデの身体をぶんと振り回す。体勢が崩れた。すかさずこめかみに肘打ちを見舞う。
「ぐあッ!」
思わぬカウンターに、ガルデは横へふらふらとよろめいた。
本能で動いたようなものだった。耳の奥で聴こえた声――あの、小柄なくせに自分をねじ伏せた、生意気な組み技使いの賞金稼ぎ――に奮い立たされて。
今ガルデに仕掛けたのは、その賞金稼ぎにやられた最初の技だ。完璧に真似たわけではないが、記憶にまかせたわりには、うまくやれたと思う。
これだ。手応えを感じたエヴァンは、自分に言い聞かせるように小さく頷いた。
あの賞金稼ぎに借りを作るようで、あまりいい気分はしないが、ガルデを失神させるには組み技しかない。
打撃主体のガルデも、エヴァンと同じように、組み技を多用することがない。エヴァンよりも組み技への対処には詳しいかもしれないが、それでもこれしか方法がないように思えた。
体勢を崩したガルデだったが、さすがに立ち直りは早かった。しかし、エヴァンが組み技を用いたことで警戒心を強めたのか、すぐには仕掛けてこない。
(にゃんこは勘が鋭いねえ)
回し蹴りでも放ってくれれば、組み技で応じたものを。
(だったらこっちから)
エヴァンは呼吸を整え、駆け出した。
組み技は警戒されているため、すぐには仕掛けない。まずは打撃でガルデに隙が生まれるのを待つ。
何発目かのガルデのパンチを、頭を傾けて流した。するとガルデは、流されたその腕をエヴァンの首に巻きつけた。
首投げを察したエヴァンは、右足を外側に出した。倒される寸前、ガルデの腕を掴んで首から放す。そして倒れる勢いのままに、ガルデを地面に抑えつけた。そこから体勢を変え、ガルデの腕を捻り上げ、脇固めに持ち込むつもりだった。
しかしガルデは、完全に抑え込まれる前に、前転して脇を引き抜くことで、これを逃れた。
ここで時間を空けては、ガルデを回復させてしまう。エヴァンは、彼がまだこちらに背を見せているうちに、その背にしがみついた。
背後からガルデの首に腕を回し、抱えるようにして起き上がらせる。エヴァンはガルデをホールドしたまま、サイドに倒れた。
何をするのか察したらしく、ガルデは必死に抵抗してくる。その抵抗に耐えながら、エヴァンは彼の首を両腕で絞め、足でがっちりと胴をロックした。
「悪いガルデ、ちょっと寝ててくれ!」
逃げられないように身体を密着させ、腕に力を込める。ガルデは、密猟者に捕らわれた獣のような唸り声をあげ、両足をばたつかせた。
剥き出しの爪刃で、エヴァンの腕を引っかく。かなり痛いが、我慢して更に強く締め上げた。
「た~の~む~~~~~!」
抵抗は徐々に弱まっていった。ガルデの頭と腕が力なく垂れ、足も動かなくなった。
すると、細胞装置〈マンティコア〉が自動的に解除された。金属体だった四肢や髪は元通りになり、三角形のヘッドギアも収納される。
細胞装置の自動解除は、本人の意識が失われた場合に作動するシステムだ。死亡した時は、生命活動が絶たれているため、自動解除は作動しない。
エヴァンは首をもたげて、ガルデの顔を覗き込んだ。うっすらと開いたままの口唇に耳を近づけると、かすかだが呼吸が確認できた。
安堵のため息をついたエヴァンは、ゆっくりとガルデから離れた。
気を失った旧友を抱き上げ、柔らかそうな芝生の上に運んで寝かせる。首締めをしたせいで、やや顔色は悪いが、それ以外に異常はなさそうだった。
「ごめんな、こうするしかなかった」
やむにやまれずとはいえ、十年振りに再会した旧友を、こんな風に落とすというのは、良心の呵責に苛まれる。
だが、お互いに深い傷を負う前に対処できたのだから、それでよしとするしかない。
耳の奥で、あの生意気な賞金稼ぎのせせら笑いが聴こえる。
――ほれ見い、脳筋猿。組み技の偉大さが分かったか。
(うるせえぞチワワ)
頭の中で毒づくエヴァンだが、不思議とあまり不快ではなかった。
携帯端末を手に取り、ディスプレイを見る。レジーニからの着信は、まだない。
エヴァンは端末を操作し、モニター電話を掛けた。
ディスプレイに映し出されたのはドミニクだ。彼女の姿を見たエヴァンは、慌てて視線を逸らした。
「うおっとお! お前なんて格好してんだよ!」
うんざりした口調とは裏腹に、頬は朱色を纏う。それというのも、画面の向こうのドミニクは、グラマラスな身体にタオルを巻いただけという、あられもない姿だったのだ。
幼少期から姉弟のように付き合ってきたとはいえ、不躾に素肌を見るほど、羞恥心をかき捨てた覚えはない。
「まだ午前中だぞ、何やってんだ」
『公園でランニングしてきたので、さっき汗を流しただけです。お前、いやらしいことを想像したのではないでしょうね』
画面が動き、ドミニクの顔と首元だけが映る位置になった。携帯端末の持ち方を変えたようだ。
きわどい部分が見えなくなったので、エヴァンは視線を戻した。健全健康な成人男子として、女性の胸には興味あるが、義姉のまで見たいとは思わない。
「電話に出る前に、せめてTシャツくらい着ろよな」
『相手がお前だと分かったので、別に構わないかと思って』
「構うわ」
『それより、どうしました? わざわざモニターで掛けてくるなんて』
「ああ……、それなんだけど。ユイとロゼットも一緒か?」
ドミニクは首を振った。
『いいえ。今日は日曜ですもの、朝早くから二人で出かけましたよ。学校のお友達と遊びに行くのですって』
義姉の声は、どこか弾んでいる。妹同然のユイとロゼットが、一端のティーンエイジャーのように、学校の友達と仲良く遊びに出かけることが嬉しいのだろう。
「そっか、二人ともいねえのか」
『だから、どうしたのです』
じれったそうに先を促すドミニク。エヴァンは自分を映していたディスプレイを、外側に向けた。
「実はさ」
失神しているガルデが映るように、端末の位置を調整した。
「ついさっき衝撃の再会を果たしたところなんだよな」




