TRACK-1 光、あるいは影 1
荒野の西に太陽が沈もうとしていた。天頂は濃紺に彩られ、地平線はオレンジ色に燃え上がる。岩山連なる乾いた大地もまた、太陽が残した光に包まれ、炎のような朱色に染まっていた。
荒野を貫くルート337は、アトランヴィル・シティから北西のジェルゴ・シティに向けて敷かれた道路である。
この道路の途中に、一軒の電動車両動力チャージステーションが、ぽつんと建っていた。カフェ兼コンビニエンスストアが併設されている、ごく一般的なステーションだ。
チャージステーションは一年ほど前に閉店していた。利用する者のいなくなった施設の至る所に、雑草が生え、ゴミが散乱している。広い充電場は、もの哀しく風が吹き抜けるだけだ。
コンビニエンスストアの中も散らかり放題である。閉店時の撤収に間に合わず、とり残された商品に埃や砂が積もり、食品も多数、棚に置かれたままだ。
ストアの奥にあるカフェの方は、比較的荒れておらず、せいぜい椅子が二、三脚倒れている程度だった。
ややクラシカルな内装デザインのカフェには、L字型のカウンターと、十のテーブル席が設けられている。どのテーブルも埃まみれで、床からは雑草がたくましく生長していた。窓にかけられたカーテンもボロボロで、かすかにすえた臭いを放っている。
チャージステーションの敷地内に、生き物の動く気配はない。ネズミさえ、一匹も姿を見せない。
そんな閑散としたステーションの裏手に、一台の黒いスポーツカーが停まっていた。
スポーツカーのボディは黒曜石のように磨き上げられており、暮れ陽の残光を反射して、厳かに光っている。窓には油垢も埃もなく、車内もきれいに整っていた。長い間この場所に放置されていた電動車ではない。
東の空に宵の星が瞬き始めた頃、誰もいないはずのカフェに明かりが灯った。荒野に夜の帳が降りる中、場違いな光がステーションを照らし出す。
店内の十あるテーブル席の一つ、一番見晴らしのいい窓際の席に、二人の若い男が向かい合って座っていた。テーブルや座席の汚れを丁寧に拭き取り、持ち込んだドリンクを飲んでいる。
「電気ついてよかったな」
カフェの入り口を背にして座っている若者――エヴァン・ファブレルが、ファストフード店で買った炭酸飲料カップのストローに口をつけた。
茶色混じりの金髪、どこか少年のあどけなさが残る顔立ちに、炎のような緋色の目。耳には赤いリングピアスを着けており、その数は右に三つ、左に五つ、合計八つである。濃いグレー地に赤いラインの入ったパーカーをはおり、細身のカーゴパンツとワークブーツを履いている。どこにでもいる、今風の若者だ。
「無人になっても、電気供給源を経つ処理が忘れられていることはザラにある。行政が怠惰な証だ」
向かいの席でカップコーヒー片手に辛辣な一言を放つのは、眼鏡をかけた黒髪の美男だ。レンズの奥で碧の双眸が光り、正面にいる年下の相棒を見据えている。身に着けたスーツは一級ブランドのネイビーストライプ。グレーのネクタイで全体を締め、胸ポケットには大人のたしなみであるチーフを覗かせている。着こなしは完璧であり、革シューズもきちんと磨かれていた。名前はレジナルド・アンセルム。仲間内からはレジーニと呼ばれている。
エヴァンは炭酸飲料を飲みながら、ふと思い出したようにうすら笑いを浮かべた。へらへらしているその様子を見て、レジーニはかすかに右の目尻を引き攣らせる。
「なんだその笑いは。気色悪い」
冷たい一言に、エヴァンは少しもへこまない。にやけ顔のまま、毒舌家の相棒に言い返す。
「聞きたそうな面してるな」
「してない」
「遠慮すんなよ」
「してない」
「よし分かった、じゃあお話ししてやろう」
「いらん」
「俺の幸せエピソードを!」
「いらん」
不要と言っているにも関わらず、エヴァンの「幸せエピソード」は無遠慮に始まった。
エヴァン・ファブレル二十三歳。ただいま幸せの真っ只中にいる。
彼の幸せの源は、愛する彼女であるアルフォンセ・メイレインである。
アルフォンセは、エヴァンのアパートの向かいの部屋に住んでおり、一年ほど前に起きた〈スペル事件〉をきっかけに知り合った女性だ。二人は両思いだったが、男女としての仲は一向に進まなかった。その想いがようやく身を結び、晴れて恋人同士となったのが、二ヶ月ほど前のことである。
以来、浮かれっぱなしのエヴァンは、ことあるごとにアルフォンセとの仲良しぶりを、レジーニに話して聞かせようとするのだった。いかに彼女が可愛いか、料理が美味いか、心優しいか。聞く方の背中がむず痒くなるようなエピソードを、恥ずかしげもなく語る。
毎回聞かされる身のレジーニにとっては、苦行以外の何物でもない。エヴァンは誰彼かまわずのろけ話を披露しているのだが、主に被害を受けているのはレジーニなのだった。
エヴァンの語りはどんどん熱を帯び、身振り手振りも無駄に大きくなる。が、相棒の顔つきが、臭いものを嗅いだかのような渋面になっていることに気づき、話を中断した。
「おい。アルの話してんのに、なんつー顔してんだよお前」
むっとして、唇を尖らせる。
「大事な相棒がようやく掴んだ幸せにあやかろうって、謙虚な気分にならないか?」
「ならないな。少なくともお前の幸せなど、僕には極めてどうでもいいことなんだが」
レジーニは冷静に返すが、優越感に浸っているエヴァンは、無意味なしたり顔を見せた。
「またそんなこと言って。ほんとはお前、アレだろ、羨ましいんだろ俺が」
ふふん、と胸を張る。しかし、自身に満ち溢れたその胸は、
「キスより先に進めない甲斐性無しを羨むことはない」
きっぱりと言い放たれたレジーニの一言で、一瞬にしてしぼんだ。
エヴァンの表情は凍りつき、目線はレジーニから外れた。
「ま、そうだよな。こんな話してる場合じゃないよなー」
たん、と音をたててカップを置き、話題をそらそうと、知らん顔で暗い窓の外を眺める。
だが、生じた隙をレジーニが見逃すはずがなかった。
「先週の誕生日には、結局何も出来なかったんだろう。根性無しめ」
レジーニの声色と物言いは、小動物をいたぶるかの如き加虐性に満ちている。さながら、仔ウサギを発見したキツネだ。
エヴァンはあさっての方を見ながら、空虚な笑い声を上げた。
「ななな何言ってんの? 誕生日ならバッチリだったじぇ。プレゼント喜んでくれたし、ケーキも良かったし、アルの手料理もいつも以上に美味かったし。あと、あとな、えー、あれ、ほら、クラッカー! クラッカーがさ、こう、パーンってな、散るじゃん? 中の紙吹雪が俺の鼻に入っちゃってさあ。くしゃみ出るわ火薬臭えわ」
「知り合ってから一年以上、付き合ってからは二ヶ月。誕生日という絶好の日に、肝心なところで決められないとは、男として情けない」
「決めるつもりだったんだよおおおおおおおうおうおうおうおう!!!」
絶叫と同時に突っ伏したエヴァンは、盛大にテーブルに額をぶつけた。めしっという音がたち、テーブルに亀裂が走る。
先週――九月二十三日は、アルフォンセの誕生日だった。このめでたい日を何としても二人きりで祝いたいと、エヴァンはかなり前から張り切っていた。
アルフォンセの誕生日は、どうしても自分の手で祝ってあげたい。愛する女性の生まれた日なのだから当然である。だが理由はそれだけではない。
アルフォンセはエヴァンに、誕生日そのものをくれたのだ。
エヴァンの出自は明らかになっておらず、いつ、どこで生まれたのかが分からない。だから、誕生日も不明のままだった。そもそもエヴァンは“誕生日”という存在そのものを知らなかったのである。
そんなエヴァンに、アルフォンセは“仮の誕生日”を定めてくれた。
エヴァンにとって、第二の人生が始まった記念すべき日。
七月二十三日が、今のエヴァンの誕生日である。
もはや“仮”ではないと、エヴァンは思っている。アルフォンセが定めてくれたその日こそが、本当の誕生日でいい。失われた出自の真実より、彼女がくれたものの方が大事だ。
アルフォンセは誕生日とともに、エヴァンが耳に着けているピアスもプレゼントしてくれた。特殊な加工を施したガラス製で、内二つは本物の赤瑪瑙なのだ。常に着用している宝であり、お守りでもある。
誰より大切な彼女の誕生日を祝い、恋人として更にもう一段階関係を深める。そういう腹積もりであった。
アルフォンセの部屋で開いた二人きりの誕生パーティーは、ささやかながらも幸福に満ちていた。彼女へのプレゼントに選んだのは、葡萄を模ったシルバーの指輪だ。リアルな葡萄の飾りは、淡い着色が施され、かすかに揺れる作りになっていた。
婚約――にはまだ早いのだが、いつか本物を贈るつもりで、彼女の左手薬指に嵌めた。アルフォンセはとても喜んでくれ、うっすらと涙を浮かべた。
二人の間に甘い空気が流れ、待ち焦がれた瞬間がついに訪れる。
かと思われたその時。
アパート同階に住む少女、マリー=アン・ジェンセンが乱入してきたのであった。
アルフォンセとは、姉妹のように仲のいいマリーである。誕生日を祝いたいのは当然だ。それは分かるが、祝うのは別の日にしてほしかったエヴァンであった。
結局その日は、マリーを交えてのパーティーとなってしまい、男の悲願は果たせなかったのだ。
「くっそう、あのガキめえ。何の恨みがあって、いつも俺とアルの間に割り込んで来んだよ~」
突っ伏したままぼやくエヴァンの頭上に、レジーニの冷静な言葉が降る。
「マリーだから仕方がない。マリーが何をしようとも、お前に文句を言う資格はない。そういうものだと覚えておけ」
「だから何でだっつーの!」
顔を上げたエヴァンの額から、テーブルの破片がぱらりと落ちた。
「俺はマリーに何かしたか?」
「したかもしれないし、しなかったかもしれない。それはお前の知ったことじゃない」
ふてくされるエヴァンに、レジーニがかける言葉は、あくまでも辛口だ。
エヴァンは、自分の石頭でヒビを入れたテーブルに左肘を置き、頬杖をついた。
「なんだよ、どいつもこいつも。そんなに俺の幸せが妬ましいかねえ」
「お前を妬むほど心は貧しくない。それより、何体だ?」
唐突にレジーニが問う。エヴァンは頬杖をついたまま、視線を室内にさまよわせ、短く答えた。
「十八?」
エヴァンの背後で何かが立ち上がった。人間の背丈ほどもあるナメクジのような長い物体で、先端に巨大な目玉が付いている。そのぬらぬらした胴から、凶悪な牙を持つ嘴がせり出し、エヴァンの頭に喰らいつこうと飛びかかった。
だが同時に、エヴァンも動いた。彼の右手には銃が握られている。エヴァンは振り返りもせず、迫る化け物に銃口を向け、引鉄を引いた。軽快な破裂音が響き閃光が瞬く。放たれたエネルギー弾は、あやまたず標的の顎を貫き、化け物を消滅させた。あとには異臭を纏う蒸気が漂うのみ。
「十七」
何事もなく訂正する。
レジーニはぞんざいに頷き、傍らに備えていた銃を手に取った。〈QB〉と呼ばれる、高速連射可能な銃だ。レジーニが長年愛用している得物である。
カウンターの向こうから、奇妙な物音が聞こえてきた。ギイギイという、ネズミか何かの小動物の鳴き声に似た音だ。二人がカウンターに顔を向けた瞬間、そのカウンターから、いくつもの影が飛び出してきた。
影の正体は、エヴァンの背後に忍び寄っていたものと同じ化け物――メメントだった。その数、十二体。
目玉の怪物どもは、二人めがけて一斉に跳躍すると、胴から嘴を突き出し襲いかかった。
エヴァンとレジーニは椅子に座ったまま銃を構え、目玉のメメントを次々と撃ち落した。被弾したメメントは、床に落ちた途端、臭い蒸気を立ち昇らせて分解消滅していく。
目玉のメメントは、瞬く間に滅びた。
いくつもの化け物の残骸がくゆらせる蒸気は、濃い硫黄を連想させる。かなり強烈な臭いだが、二人はもう慣れている。それに、臭いごときで怯んでいる場合ではない。敵はまだ潜んでいるのだ。
二人は立ち上がり、銃をホルスターに収めた。
「出だし好調じゃん。これ今日は楽勝だな。いや、今日もか」
両拳を打ち合わせたエヴァンは、面白い遊びを思いついた子どものように笑う。
「おいレジーニ、ちゃちゃっと済ませて帰ろうぜ。アルが待ってんだからよ」
「お前はいつから、僕に指図できるまで偉くなったんだ?」
レジーニは浮かれ気分の相棒を嘲笑うと、円盤状の機械を取り上げ、スイッチを入れる。すると、円盤機械はたちまち、蒼い刀身の機械剣へ、その形を変える。剣の銘は〈ブリゼバルトゥ〉。化け物メメントを倒し得る特殊な武器〈クロセスト〉である。
「細かいことはどうでもいいだろ」
エヴァンは顎をしゃくって窓を示す。
「残り五体のおでましだぜ」
耳を劈かんばかりの激しい音をたてて、窓の一部が破られた。ガラスの破片が店内に散り、ヒトの形をした異形が五体、奇声を上げながらなだれ込んできた。
体長はおよそ二メートル。手足が長く前傾気味の体形で、背骨が異様に盛り上がっている。すべての指に水かきのような膜があり、爪は鋭く尖っていた。湿った皮膚は薄く、血管が透けて見える。頭部はカエルとワニが混ざったような、醜悪な造形だった。
五体の異形は、大きな口を開けて牙を剥き出しにする。牙の隙間から、どす黒い舌がちろちろと蠢いているのが見えた。シューシューと、空気が抜けるような音を出し、威嚇している。許可なくねぐらに入り込み、我が物顔でくつろいでいた人間二人を、どのように喰らってやろうか思案しているのかもしれない。
「やはりステガノプスだったか。だいたい出現パターンが合致してきたな」
レジーニは右の人差し指で眼鏡を押し上げ、独りごちた。
「パターンとかもう、そんなのどうでもいいって」
冷静に分析しようとする相棒に、エヴァンは肩をすくめ、もう一度拳を打ち合わせた。拳が勢いよくぶつかり合った瞬間、火花のような輝きが散った。
気合の掛け声ひとつ、エヴァンは勇ましいファイティングポーズをとる。その動作の間に、彼の両腕は変貌を遂げていた。
彼の身体組織に組み込まれた細胞装置が、意志によってその姿を現す。前腕から指先を覆う、真紅の金属のグローブ。炎を従え、敵を粉砕する力――〈イフリート〉だ。
「ぶっ倒しゃあどれも同じだっつーの!」




