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TRACK-3 少女と異形 5

 ハンドワイヤーと駆使して手摺りから柱へ、柱から梁へと跳び移り、メメントによって破壊されたガラス天井の穴から外へ躍り出る。

 屋根に着地した途端、南東から風が吹きつけ、エヴァンの髪やパーカーをたなびかせていった。

 街にはすっかり夜のとばりが降りていて、ラインストーンを散りばめたようにネオンがまたたいている。

 遠くの方から、サイレンが聴こえてきた。パトカーが近づいてきているようだ。これだけの騒ぎである、早々に緊急通報されていて当然だ。

 警察との鉢合わせは、出来れば避けたい。少女を連れたレジーニが気がかりだったが、すぐに「あいつなら大丈夫だろう」と思い直した。

 いかなる場面でも頭の働く相棒が、警察の到着を予測していないはずがない。うまく逃げおおせるだろう。

 エヴァンは自分がやるべきことに集中した。すなわち、自分が追ってきた気配の持ち主を突き止めることだ。出来れば、警察が到着する前に。

 夜風を受けながら、エヴァンは屋根の上をぐるりと見回す。足元がガラス張りのため、屋内の照明がそのまま外を照らしている。おかげで視界は良好だ。


 屋根の端にたたずむ人影も、たやすく見つけられる。


 足元からの明かりに照らされた人影は、エヴァンを警戒する様子もなく、平然と立っていた。

 

 エヴァンよりも背の高い男だった。上下カーキ色のワークウェアを着ており、黒のワークブーツを履いている。はだけた胸元からはトライバルなタトゥーが覗き、右頬にも似たデザインが彫られていた。頭にはニット帽を被っている。


「テメエ何者なにもんだ。あのメメントたちは、テメエが連れてきたのか」

 エヴァンが緋色の目で睨みつけると、男はニヤリと不敵に笑った。口が大きく、熱帯雨林の大河に棲息する肉食魚を連想させる。

 男はエヴァンに向かって右手人差し指を突きつけると、何度か曲げて「ついて来い」と示した。

 返事を待たずに背中を見せ、闇の中に消えた男を追い、エヴァンはシャイン・スクエア・モールの屋根から飛び降りた。



 

 ニット帽の男は、驚異的な身体能力の持ち主だった。道路を行き交う電動車のボンネットを易々と乗り越え、建物と建物の間を次々と飛び移り、勢いを落とすことなく、北へ北へとひた走る。

 だがエヴァンにとっても、このくらいの芸当は朝飯前だ。そのエヴァンの運動神経をもってしても、男との距離は縮まらない。

 マキニアンであるエヴァンに匹敵、あるいはそれ以上の能力を持つとなれば――。 

 二人の男は弾丸となって、グリーンベイの街を縦横無尽に駆け抜けた。

やがてニット帽の男が足を踏み入れたのは、ネルスン運河を臨める広い河川敷だった。公園として使えるような整備のされていない、区が管理する空き地だ。

 少し離れたところに河川運搬会社の作業場があり、広域ライトの照明が周辺にまで行き渡っている。 

 ニット帽の男は突然走るのをやめた。後続のエヴァンは勢いを殺せず、そのまま男に向かって突進していく。

 男が振り返ろうと上半身をひねった。その瞬間エヴァンの全身に、ピリピリと静電気のようなものが伝った。


(来る!)


 男に向かって突進しながら、エヴァンは細胞装置ナノギアを呼び起こし、〈イフリート〉を起動させる。男との距離があと数歩のところで、エヴァンは右腕を大きく引いた。

 エヴァンの拳と男から繰り出されたものが、真っ向から衝突した。金属同士がぶつかり合う音が、波紋となって周囲に広がり、その衝撃によって生まれた風が、雑草を薙ぎ倒す。

 男が繰り出したのは、彼自身の腕が変形した巨大な鉄の塊だった。接触の衝撃はあまりにも重く、反動は電流となってエヴァンの全身を痺れさせた。

「ぐッ……!」

 押し戻され、かかとが地面にめり込む。歯を食いしばって耐えるエヴァンを、鉄塊越しに男が嗤った。

 その、他人を見下しきった嘲笑に、どこか見覚えがある気がしてならなかった。

 既視感とともに湧き上がるのは、嫌悪感だ。なぜか、殴られてもいない腹部が、しくりしくりと疼く。

 紅い拳と鉄塊が、火花を散らしながら離れた。

 男が鉄塊を振り上げる。エヴァンは攻撃の軌道を読み、振り下ろされた鉄塊を左に跳躍して回避した。

 空振りに終わるはずの一撃だった。しかし鉄塊が地面に接する直前、中央部が間接のような節に変形し、鉄塊は二つに分かれた。男は素早く体勢を立て直すと、今度は鉄塊を振り上げた。

 変形したことで遠心力を得た鉄塊は、唸りをあげてエヴァンの胴を捉えた。とっさに両腕を交差して受け止めたエヴァンは、肋骨の粉砕を免れはしたものの、数メートル後方に弾き飛ばされてしまった。

 エヴァンは受け身をとって地面を転がり、立ち上がるや否や迎撃体勢をとる。

(一撃がおめぇ。立て続けにくらうとマズい)

 拳はまだびりびりと痺れている。

動作のスピードは同じくらいか、こちらの方がやや勝っているかもしれない。だがあの強烈な打撃は、直接受け止めるだけでも大きなダメージになる。

 鉄塊を自在に振り回すに充分な体力を備えているとなると、持久戦に持ち込まれては不利だ。

 エヴァンの強みは近接攻撃とスピードにある。近づけなければ話にならない。

 決めるなら短期決着。懐に潜り込んで、反撃の隙を許さずラッシュをかける。

 戦法……というほどのものでもない戦法を立て、エヴァンは拳を構えた。

対する男の方は、迎え討つ体勢をとるでもなく、肩を鳴らしてリラックスしている。鉄の塊だった腕は、元の状態に戻っていた。

「へーえ、生きてたってのは本当だったんだな」

 男は面白がるように言い、右手で顎をさする。

「十年も寝てるってのは、意外といいもんかもしれねえな。お前全然歳とってねえみてェだし。しっかし相変わらずの間抜け面、見るのが懐かしいねえ」

「はあ? 誰が間抜け面だコラ。つーか細胞装置ナノギア解除してんじゃねーよ。やるんだろ、かかって来いよ。その前に名乗れよ」

 細胞装置ナノギア――そう、男が駆使していたのは、紛れもない細胞装置ナノギアだ。

 男はエヴァンやドミニクたちと同じ、マキニアンだ。かつてエヴァンが所属していた〈SALUTサルト〉の一人に違いない。

 エヴァンの頭の中には、この男に関する記憶は残っていない。過去の記憶が失われた際に、一緒に消えたのだ。

 だが、先ほど感じた嫌悪感は、間違いなく過去にこの男との接触があったことを示していた。

 エヴァンの言葉を聞いた男は、面食らったように目を見開いた。一呼吸の後、彼は腹を抱えて笑い出した。 

「なんてこった! 記憶を失くしてるって話は聞いてたけどよ、よりによってラグナじゃなくて、クッソ役に立たねえ粗悪体の人格が残ったとはな! 皮肉なモンだぜ!」

「うるせえ! 役に立たねえかどうか確かめてみろよ、後悔させてやる! つーか名乗れってんださっさと!」

 エヴァンが怒りの声を上げると、頭の片隅で誰かが言った。


 ――挑発に乗るな馬鹿猿。


 あれは相棒の言葉だ。極地の風も斯くやという相棒の声を思い出す。おかげで少し冷静さを取り戻せた。

 腹をかかえ、ひとしきり笑った男は、うすら笑いを浮かべたまま、右手を胸に当てた。

「悲しいね、エヴァンちゃん。あんなに“可愛がって”やったベゴウィックおにいさんを忘れるなんて。深~く傷ついたぜ、泣きそう」

「ベゴウィック……」

 男の名前を口の中で反芻する。

 その響きには、覚えがあるような気がした。失った記憶の中に、男――ベゴウィックに関する記憶が埋もれている。

 ベゴウィック。どうにも厭な感じのする名前だ。おそらくあの男との思い出は、決して愉快なものではなかったのだろう。

 ベゴウィックは、まあいいや、と肩をすくめると、小指で耳の穴を掻き始めた。

「今日は別に、お前をどうしようってつもりで来たわけじゃねえよ。俺としちゃあ、ひと暴れしたくてうずうずしてんだが、まあ、仕方がねえ。じゃあな、エヴァンちゃん。」

 つまらなそうにそう言って、ベゴウィックはネルスン運河の方へと歩き出す。

 あまりにあっさりと退却しようとするので、拍子抜けしたエヴァンは、慌ててベゴウィックを引き止めた。 

「こらこらこらッ! 勝手に終わらせて帰ろうとするな! テメエ何しに来たんだよ! あんなに大勢の人を巻き込んどきながら、じゃあこれでバイバイって、そんな簡単に済まされるわけねーだろ!」

 わざわざ人目につく場所を選び、堂々とメメントを使役してまで襲撃してきたのだ。何の目的もなかったはずがない。 

足を止めたベゴウィックは少しだけ振り返り、目を細めてエヴァンを見据えた。

「他人の命を気にかけるたァ、お前、本当にラグナじゃねェんだな。誰かを巻き添えにするのが、そんなに気がかりかよ? だったらこの先、心労が耐えねェだろうよ」

 ベゴウィックの口角が、非情に歪む。

「月並みで悪いが、今日のはただの“ご挨拶”だ。奴らの試運転・・・も兼ねてな。これからお前は、もっと他人ひとを巻き込むことになる。大勢が死ぬぜ、お前のせいでな」

「何言ってんだテメエ、そんなことさせるかよ」

「せいぜい吠えてろ。お前がどう足掻いたところで無駄さ。いずれ本番・・が始まる。楽しみにしてな」

 ベゴウィックは右手の指を二本立て、額に当てる。そして身体の向きを変えて駆け出した。

「逃がすか!」

 ベゴウィックの後を追い、エヴァンも運河へ向かって走る。

 ベゴウィックは川べりに到達すると、地面を軽くひと蹴りし、川面に身を躍らせた。

 川にはボートが待機していた。ベゴウィックが船体に着地すると、ボートは左右に揺れた。運転席にはすでに別の誰かが乗っており、ベゴウィックがボートに着地するや、エンジンをかけて発進させた。

 夜空と同じく闇に染まったネルスン運河を、ボートが行く。白波の軌跡だけを残して、ボートは暗闇の向こうに消えていった。 

 河に飛び込んで、泳いで追いかけようか。エヴァンの脳裏にそんな考えが浮かんだが、すぐに打ち消した。無謀すぎる。明かりのない水中を泳いでモーターボートを追うなど、いくらマキニアンとはいえ不毛だ。

 多少なりとも冷静な判断が出来るようになれたのは、相棒の根気強い“躾”の賜物だろう。

 ボートが見えなくなったネルスン運河を、エヴァンは下唇を噛み締めて見つめた。

 闇の水面は対岸の街並みのネオンを映し、妖しく揺らめいている。


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