TRACK-3 少女と異形 4
一体が、倒れたベンチを飛び越えて襲いかかってきた。銃撃で勢いを殺し、仰け反ったところに〈ブリゼバルトゥ〉の一太刀浴びせる。斬り口から冷気が注がれ、メメントの胴体がみるみる凍りついていく。ほぼ氷結したところで更に銃撃を加えると、メメントはガラスのごとく砕け散った。
背後から何者かが接近してくる気配を感じ取ったが、レジーニはそちらに目を向けなかった。正体は分かっている。
レジーニとエヴァンは、お互いの顔を見ることなく、背中合わせで戦闘態勢をとった。
相棒がどんな表情でどんなふうに構えているか、今更確認し合う必要はない。反発し、ぶつかりながらも、今日まで組んでやってきた。暗黙のうちに背中を預け合うことに、もう何の違和感もない。
三十体余りいたメメントは、およそ半分程度に減っている。二人が揃う間に、それぞれで散々蹴散らしてきたせいだ。レジーニはリカを避難させていたので、主にエヴァンが暴れた結果である。
メメントの残党は、遠巻きに二人を囲んでいた。手強い相手と理解し、警戒している。
数種類のメメントが混ざっているが、どの種も人型四足歩行の形態だった。そのうちの数体ほど、腕が武器のような金属物質になっていることに、レジーニは気がついた。それらのメメントたちの頭部は、ガスマスクに似たヘッドプロテクターによって覆われており、シューシューという呼吸音がノイズのように聞こえてくる。
「エヴァン、あれか」
レジーニは背中合わせのまま、金属の腕を持つメメントを顎で示した。
エヴァンが話していた「変形するメメント」ではないかと考えたのだ。たしかに金属物質の腕は、マキニアンの細胞装置に似ていると言えなくもない。
視界の端で、エヴァンが頷いたのが見えた。
「ああ。でも、武器の形が違う奴がいる。俺がやったのは武器がエッジタイプの奴だったけど、ほら、あいつの腕見てみろ。銃みたいな形だ」
相棒の言葉通り、「変形するメメント」には、腕が剣状になっているものと、銃に似た形状になっているものとがいた。
「つまり『変形するメメント』とやらは、数種類存在するということか」
近接攻撃型と遠距離攻撃型。今ここには二タイプいる。こいつら以外に数タイプが存在する可能性は、充分に考えられることだ。
武器が違えば戦闘時の行動パターンも違う。各々特化した能力を持つ個体がいるとなると、敵側の動きも複雑になってくるだろう。予想以上に厄介な相手かもしれない。
「ひとまずここを片付けるぞ。先の話はそれからだ」
「了解!」
エヴァンの威勢のいい返事を合図にして、二人は同時に動いた。
*
目の前の光景は、まるでアクション映画のワンシーンのようだった。
これが本当に映画であれば、どんなに現実離れした展開になっても、あくまでもフィクションだと割り切れる。
コンピューターグラフィック技術を使えば、特殊な現象も、実際に起きているかのようなリアルさで再現できる。
だがこれは映画ではない。
周囲に撮影隊はいない。監督もいない。
蠢く化け物は、着ぐるみでもCGによる映像でもない。間違いなく、現実の産物だ。
そしてそれらと激しい戦闘を繰り広げているのは、俳優ではなく、ましてやスタントマンでもない。
生身の、二人の男である。
(すごい……!)
逃げろと言われたにも関わらず逃げなかったリカは、孔雀藍の瞳を大きく開き、二人の男の戦いぶりに見入っていた。
襲い来る十数体の化け物を、彼らは苦もなく捌いている。
パーカーの青年は、紅い金属で武装した拳に炎を纏わせ、果敢に敵に立ち向かっていた。身のこなしは軽快で、メメントの攻撃などものともせず、ひらりと回避する。重力を感じさせないフットワークは、さながらストリートダンスだ。
彼が強烈なパンチを一撃当てれば、メメントは火の玉と化して数メートル後方へ吹っ飛び、そのまま燃え尽きた。鞭のように撓る蹴りは、メメントにとっては弾丸にも等しいだろう。
二体三体同時にかかってこようとも、パーカーの青年は決して慌てない。離れて見守るリカの目には、むしろ楽しんでいるように映った。表情は遊んでいる子どものように嬉々としていて、緊張感が微塵もなかった。
それにしても、なんという人間離れした動き方だろう。
映画の俳優やスタントマンは、たしかに画面栄えする素晴らしいアクションをこなしている。それはプロの指導のもとに正しい動きを学び、シナリオに沿って予定通りに行っているからこそだ。ワイヤーやグラフィック加工に助けられている部分も、多くある。
パーカーの青年は、ワイヤーに吊られてもいないのに驚異的な跳躍力を発揮し、紅い両腕から炎を放つ。指をゴムのように伸ばして柱や手摺りに巻きつけ、アクロバティックに技を繰り出す。
次に何をするの分からない。野生的で本能的な青年の戦いぶりは、不思議と惹きつけられるものがあった。
一方で――。
リカはもう一人の方へ目線を移した。
パーカーの青年が〈乱舞する炎〉なら、こちらは〈吹き荒れる雪〉だろうか。
冷気の主――レジーニは、蒼く輝く機械の剣を自在に操り、迫り来るメメントを一体一体的確に討ち取っていた。
彼の動きには、一切の無駄がない。リカの素人目にもそれが分かるのだから、いかに洗練されているかが知れるというものである。
レジーニは、パーカーの青年のような大仰な動き方はしない。隙間から入り込んで凍てつかせる冷気のごとく、敵に生じた隙を抜け目なく突いていく。彼の剣に貫かれた化け物はたちまち凍りつき、砕け散る。
派手に動かない分、一撃一撃は正確無比だ。確実に標的を捉える剣の軌道のなんと恐ろしいことか。
メメントを華麗に屠るレジーニの姿から、リカは目が離せなかった。
氷を纏う剣の持ち主にふさわしい、鋭く冷徹な眼差し。その冷静さの中で垣間見える激情。
三年前、月夜の下で助けられたあの時は意識が朦朧としていて、彼がどんな風に戦っていたかほとんど覚えていなかった。けれどきっと今日と同じように、冷酷で無慈悲な剣戟をもって、リカを救ってくれたのだろう。
彼を目で追っていくにつれ、胸の鼓動は高まり、熱いものがこみ上げてくる。肩にかけたままのジャケットを握り締めたリカは、ふらりふらりと戦いの現場に近づいていった。
レジーニの背後に黒い影が忍び寄る。両腕がマシンガンの銃身のようになった、一体のメメントだ。
メメントの両腕が前方に突き出された。凶悪な銃身が、レジーニの背中にロックオンされた。
(危ない!)
リカの背中が総毛立つ。レジーニは目の前の敵に集中していて、背後から狙われていることにまだ気づいていない。彼の相棒もだ。
リカが息を飲んだその時、メメントの銃身が鈍く光った。
「だめ!」
ほんの一瞬、時が止まったように、耳の奥がしんと静まる。リカの頭の中で光が弾け、身体中が熱くなった。
風もないのに、周囲の空気がリカを囲んで渦を巻く。
リカはメメントを視る。孔雀藍の双眸で。
彼女に視られたメメントは、スイッチを切られた玩具のように、ぴたりと動くのをやめた。
メメントは呪縛を払おうと抗い、醜悪な四肢を震わせ奇声を上げた。その耳障りな奇声を止めさせるため、リカは念じる。
(声を出さないで)
リカの“命令”に従い、メメントの喉が収縮する。奇声は止んだが、同時に呼吸も出来なくなった。メメントの身体は動かず、喉は締めつけられ、首元や間接の血管が浮き出て、皮膚はどす黒く変色した。
だが、メメントはしぶとく、まだ抵抗してくる。リカのこめかみに痛みが走り、鼻の奥にツンとした刺激が起きた。
「う……ッ」
押し戻されてくる抵抗力に、リカは頭を押さえて呻いた。
今まで出会ってきたメメントとは、どこか違う。単純だった装置に、複雑な回路が組み込まれたかのようだ。
(あれは、私が今まで見てきたメメントと同じもの? 何かが違う。でも……)
素体は同じだ。ならば、出来ないことはない。
萎みそうになった気力を再び奮い起こして、リカは集中する。
彼女の念はメメントを包み込み、やがて完全に支配化に治めた。
(彼を傷つけることは、私が許さない)
背後の気配に気づいたレジーニが振り返る。リカがメメントに“命令”を送ったのは、その時だった。
“命令”を受けたメメントは、呪縛から解き放たれ、銃口をレジーニではなく自身に向けた。
無数の弾丸がメメントに撃ち込まれた。銃撃を自ら受け、文字通り蜂の巣状態となったメメントは、後ろ向きにゆっくりと倒れる。そして床に接した瞬間、消し炭となって消滅した。
集中を解いた途端、疲労感がどっと押し寄せた。能力を使うのは久しぶりだ。加えて、今までいなかったタイプのメメントを相手にしたことで、余計な負担がかかったのだろう。
リカにとっては、ここまでに至るのに数分かかっている感覚だった。しかし実際には、たった数秒間の出来事である。
能力を行使すると、時間の流れがめちゃくちゃに感じられることがある。手強い個体を相手にした時などは、その現象が顕著だ。
リカは乱れた呼吸を整えるため、大きく息を吸い、吐いた。火照った身体から熱が引き、入れ替わりに寒気が押し寄せる。能力を使いすぎた時の反動だ。
(でも、よかった。あの人を守れた)
視線を感じて顔を上げると、レジーニがこちらを見ていた。怪訝そうに眉を顰めている。
メメントが自ら滅びた原因が、リカにあるとは思わないだろう。リカは指一本動かしていないのだから。だが、彼なら察してしまうかもしれない。
(それでもいい)
リカはレジーニの碧の視線をそのまま受け止める。
迂闊に能力を使うべきではなかった。不可解な能力を恐れられるかもしれない。けれど、何もせずに見ているだけなのは嫌だった。
(私は彼に守られた。今度は私の番だ)
リカはもう一度深呼吸を繰り返し、最後に胸いっぱいに息を吸い込んで背筋を伸ばした。
この能力が何のためにあるのか。長い間ずっと、それが分からずに苦しんできたけれど。
誰かを――あの人を守れるなら。
何だって構わない。
*
(何が起きた……?)
目の前で一瞬のうちに起きた奇妙な出来事に、レジーニは眉根を寄せずにはいられなかった。
後ろからの殺気を感じて振り返った途端、迫っていたメメントが、レジーニではなく己自身を攻撃した。自ら銃弾を浴びるほど受け、自滅したのである。
メメントが自害するなど、見たことも聞いたこともない。よしんばそのような習性を持つ個体がいたとしても、あまりに唐突だ。
目線を動かし、リカがこちらを見ていたことに気づく。
着せたジャケットを縋るように掴み、所在無げにこちらを見つめている。顔色が悪いようだが、気のせいだろうか。
「レジーニ」
呼ばれてそちらを振り返ると、エヴァンが駆け寄ってくるところだった。
相棒は珍しくしかつめらしげな表情で、レジーニと、そしてリカを交互に見る。
「今のメメント……」
「ああ、自分で自分を撃った」
「それなんだけどよ」
「何だ」
「たぶん……なんだけど、あの子が何かしたっぽい、気がする」
エヴァンが呟くようにそう言った時、残っていた三体のメメントが同時に苦しみ始めた。メメントたちは落雷に遭ったかのように激しく痙攣したかと思うと、さきほどの個体と同じように自らを攻撃した。
一体は首を刎ね、一体は胴体を斬り刻み、三体目は全身を撃ち抜き。そうして絶命し、分解消滅していった。
すべてのメメントの討伐が、これで完了となった。
だが四体のメメントが、レジーニとエヴァン、どちらの手にもよらず倒された。それどころか、誰の手も触れずに。
二人は顔を見合わせる。その視線は、どちらからともなく少女の方に向けられた。
赤毛の少女は痩せた足をふらつかせ、音も立てずに倒れた。
レジーニは慌てて駆け寄り、リカの傍らに膝をつく。
「しっかりしろ、大丈夫か!?」
仰向けにさせようと細い肩に手をかけた。その身体があまりにも冷えていたため、レジーニは思わず手を引っ込める。
体温が急激に低下しているようだ。リカの肌は青褪め、身体が小刻みに震えていた。
(急にどうしたんだ。何があった)
リカの頬に手を当てると、信じられないほど冷たかった。固く閉じられた瞼は開かれそうにない。
(このままではまずい)
下手をすると低体温症に陥ってしまうかもしれない。少女の身体は、それほどに冷たかった。
何があったのかを突き止めるのは後回しだ。レジーニはリカを起こし、両腕で抱え上げた。
「すぐにここを離れるぞ。この子の状態が危険だ」
エヴァンに声をかけながら、レジーニは歩き出す。だが、相棒がついて来ないことに気づき、足を止めた。
エヴァンは、メメントどもが破壊したガラスの天井を、きっと見上げていた。
「何をしている、早く来い」
苛々と呼びかけるも、エヴァンは天井を睨み上げたまま動かなかった。
「上に誰かいる」
「何?」
「先に行っててくれ」
言うやエヴァンは、ハンドワイヤーを伸ばして上階の手摺りに巻きつけ、宙に飛び上がった。手摺りと柱の間を飛び渡り、破壊されたガラス天井の穴から、夜の外へと飛び出していった。
相棒の勝手な行動に、レジーニは舌打ちする。だが、言うことを聞かない猿に構っている時間はない。事が済めば連絡をよこすだろう。
レジーニは冷たくなった少女を抱え直し、崩壊したシャイン・スクエア・モールを後にした。