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TRACK-3 少女と異形 3

 ガラス天井に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、けたたましい音と共に崩壊する。砕け散った鋭利な破片は、モール内の照明を受け、ちらちらとまたたきながら降ってくる。

 だが、破片は細かなものばかりではない。大きなものは凶器に等しく、生命を脅かす。雪のように小さなかけらでも、目に入れば大惨事だ。

 危ない――。

 早く逃げなくては。

 本能がそう急かしている。

 しかしリカの両足は、根を下ろしたように床に張りついていた。あらゆるものの動きが緩慢に見える。極限の状況に陥ると、すべてがスローモーションのように見えるというのは、真実だった。

 破片が落ちてくる。周囲一帯から悲鳴があがる。破られた天井から、何かが降りてくる。

 自分の口から悲鳴が出た瞬間、リカの時間が正常に戻った。頭を抱えてその場にしゃがみ込み、身体を丸めた。

 大量のガラス片が床に衝突し、鼓膜を破らんばかりの轟音を響かせる。他の音が耳に届かないほどの凄まじさだ。

 透明な凶器の雨が降り注ぐ中、リカは恐怖心を抑え、必死に耐えた。

 集中豪雨は数秒で終わった。ガシャンガシャンというガラス片の砕け散る音が鳴り止んだあと、次にやってきたのは人々の更なる悲鳴だ。

 リカの胸内のざわめきが一層強くなる。

 

 奴ら・・がいる! はっとして、丸めた身体を起こした。


 その拍子に、リカの頭から何かがずり落ち、視界を覆った。

「何?」

 頭に掛かっていたそれを掴む。布のようなものだった。

 きめ細かく織られた濃紺の生地、なめらかな手触り、薄いストライプ。紺色のボタンが四つ並んだ筒状の部分は、……袖だ。

「上着?」

 そう、スーツのジャケットである。しかも庶民の目にも高級と分かる代物しろものだ。ジャケットがいつの間にかリカを覆っていたのだ。

 そこでリカはやっと、自分が無傷であることに気づいた。ジャケットが被さっていたおかげで、降り注ぐガラス片から守られていたのである。

「一体誰の……」

 当然の疑問だが、リカがそれについて考える余裕はなかった。

 モール内は今や、奴らの大群が暴れまわる地獄と化していた。リカが今までに見たこともない数種類の化け物が押し寄せ、奇声を上げながら逃げ惑う人々に襲いかかっている。

 信じられない光景だ。リカが知る限り、奴らは大抵闇に潜み、隠れたまま獲物を捕らえる。こんなショッピングモールなどという人間の巣窟に、好んでやってくるモノではなかったはずだ。

 しかも群れを成している。今モール内にいるのは、少なく見積もっても三十体以上はいるだろう。

 奴らは少数単位でグループを形成することはあっても、これほどの数で群れたりはしないものと思い込んでいた。こんな大量の化け物が相手では、いくらなんでもリカの手には負えない。


(どうしよう……こんなにたくさん)


 目の前で繰り広げられる化け物たちの狂宴を、リカは震えながら見つめた。

 十体まではどうにか出来るかもしれない。でも、それ以上となると体力が持つかどうか。

 だが、倒さなくては無関係の人々が犠牲になってしまう。


(やらなくちゃ、私が)


 その時、左側から何かが飛んできて、すぐ側の壁に激突した。

 リカは身をすくめ、反射的にジャケットで身体を覆う。おそるおそる壁の方を見ると、おぞましい姿の生き物の屍骸が、そこにめり込んでいた。

 化け物の屍骸だ。臭い蒸気を放ちながら、溶け崩れようとしている。

化け物が飛んできた方向を振り返った。

 

 二階通路の縁、手摺りの上に誰かがいる。あんな場所に、立っているどころか軽やかに飛び回って、複数の化け物相手に戦っているではないか。

その人物は金髪の持ち主で、おそらく若い男だろう。彼は足場の細さなどものともせず、絶妙なバランスを保っていた。ジャンプするたびにパーカーのフードが跳ねる。

 両腕は赤い金属製の武器らしきものに覆われ、それを駆使して化け物たちを殴りまくっていた。彼が一撃を見舞うたび、腕から鮮やかな火花が散る。

 

 化け物と戦う力を持つ人物が、まだいたのだ。“あの人”以外にも。

 そう考えたリカは、はっと息を飲んだ。そうだ、あの人もこの建物の中にいる。ついさっきまで、携帯端末エレフォンで繋がっていたのだ。

 ふらつく足を踏ん張って、よろめきながら立ち上がる。あの人はきっとどこかで戦っている。自分も、出来ることをやらなければ。

 その力が、自分にはあるのだから。

 意を決したリカの前に、黒いものが立ちはだかった。リカよりも背が高く、木の幹にあるような瘤が、胴のあちこちから突出している四足歩行型形状の化け物だ。瘤のせいでほとんど隠れている濁った双眸で、ひたとリカを見下ろしている。

 不意を突かれたリカは、悲鳴を上げて後ずさった。

 リカの化け物の間に、数歩分の距離が開く。

 するとその間に、何者かが割り込んできた。リカに背を向け、化け物と睨み合いを始める。

 

 すらりとした長身の男だ。髪は短い黒で、白いシャツに濃紺のベスト、同じ色のスーツパンツを着ている。ベストとパンツは、リカに被さっていたジャケットと同じ色だった。ひょっとして揃いなのではないだろうか。

 

 視線を下にやる――。

 

 どくん、と心臓が波打った。

 

 彼の右手には、蒼い輝きと氷の粒子を放つ機械の剣が握られている。


「下がっていろ」


 割り込んできた男が、振り返らずに言った。低いその声には聞き覚えがある。ついさっきまで端末で聞いていた声だ。その声に促され、リカはそろそろと後退する。

 化け物が瘤だらけの腕を振り下ろした。男は氷の機械剣をもってこれを払い、返す剣で胴体を斬りつける。

 邪悪な叫び声で威嚇しながら、化け物は攻撃を続けた。大きな体躯に反して素早く、リカの平凡な胴体視力では動きを捉えられなかった。

 だが、男にとっては問題ないようだ。リカの目には瞬速に見える一撃を、彼は無駄のない動作で的確に回避し、華麗な反撃を加える。化け物は手ごわい相手なのかもしれないが、彼の敵ではなかった。鮮やかで洗練された立ち回りに、リカは目を離すことが出来なかった。

 蒼い剣が振るわれるたびに氷の粒子が舞い、瘤の化け物を凍てつかせる。敵の動きは目に見えて鈍くなっていき、最後には胴の半分が氷漬けになった。

 彼は最後の一振りで、化け物の凍結部分を粉砕し、見事なとどめを差したのだった。

 化け物を仕留めた彼は、剣の切っ先を下ろし、ゆっくりと振り返る。

 端正な顔立ちには眼鏡がかけられ、その奥には碧の目がきらめいていた。

 三年前の月夜に見た時と同じ、どこか寂しげな碧の目。

 リカは薄く唇を開く。だが、言葉は何も出てこない。あれだけ会いたいと願い続けてきたのに、いざ目の前にすると、言いたいことが何一つ頭に浮かんでこなかった。

 心臓だけが、軽やかな鼓動を奏でている。

 彼が長い足を踏み出して、こちらに近づいてくる。リカはなぜか慌てふためき、数歩下がった。

 戦いの後だからなのか、それ以外の理由からか、彼は険しい顔つきでリカのもとへ来ると、リカの肩を押して方向転換させた。そのまま腕を掴み、リカを伴って足早に歩き出す。

「あ、あの」

 戸惑いつつ見上げる彼の横顔は、思わず見蕩れるほど整っている。

「すぐにここから離れろ。うちに帰るんだ。そして今度こそ忘れろ」

 硬い口調で言葉を畳み掛ける。反論を許さないかたくなな姿勢だ。

「ま、待ってください! 私……」

「メメントが多い。これだけの数を、君を守りながら片付けるのはひと手間だ」

 メメント、あの化け物はそう呼ばれているのか。

 周囲に視線を走らせる。破壊活動を続ける化け物――メメントの周りに、あの〈輝く霧〉は視えない。

 では、このメメントたちは、ここで生まれたのではなく、どこかからやって来たということか。 

 ショッピングモールの来客たちが、各所の出入り口に押し寄せ、我先にと逃げ出していく。館内警備員の誘導など、あってないようなものだった。彼はその人だかりではなく、人気ひとけのない非常口の入り口へリカを連れて行く。あまりのパニック状態に、人々はこちらの出口の存在に気づかなかったようだ。

「さあ行け。外に出たら人ごみにまぎれて帰るんだ」

「わ、私も手伝います!」

 怒られるのを覚悟で言うと、案の定彼の麗眉が吊り上った。

「馬鹿なことを言うな。君に出来ることなどない。行くんだ!」

「で、出来ます! 私……」

 出来るのだ。自分にも出来ることがある。むしろ、今この状況で能力ちからを使わずして、一体何になるというのだろう。 

 なおも言い募ろうとした時、リカの正面――彼の背後から、二体のメメントが襲い掛かってきた。

 彼は舌打ちするやきびすを返し、握り直した剣を振りかざす。

 が、彼が斬りつけるより先に、二体のメメントは紅い炎に包まれた。メメントは瞬く間に消し炭と化し、臭気を孕んだ蒸気をくゆらせる。

 メメントの残骸の側に、上から何かが落ちてきた。先ほど見たパーカーの青年だ。二階から飛び降りたようだが、まるで何の衝撃もなかったかのように平然としている。恐るべき身体能力だ。

 パーカーの青年は、くすぶっているメメントの成れの果てに向かって、特撮ヒーローのようなポーズをとり、高らかに宣言した。


「相棒の恋路を邪魔する奴ァ、俺に蹴られて死んじまえ!」


 実際にはパーカーの青年は、彼に蹴られた。

「誰の何だって?」

「んだよ、蹴んなよ!」

「お前が余計なことを言うからだ」

「どこが余計だ、ホントのことだろ。お前あのに動揺してたへぶし!」

 パーカー男の言葉は、彼が喉にチョップを見舞ったせいで中断された。

 彼は肩越しにリカを振り返る。今のやり取りを見られたことを気にしているらしい。軽く咳払いし、

「ともかく、君は早くここを去れ。いいな」

 それだけを言って走り出した。リカは呼び止めようとしたのだが、ためらってやめた。どうせ聞き入れてもらえない。

 無力感に打ちのめされ、ただ彼の去る後ろ姿を見つめるしか出来ない。そんなリカに、パーカー男が笑いかけた。喉にチョップを喰らったダメージから、早々に立ち直っている。

「気にすんなって。あいつ、あれ、ツンデレっつーの? それだから」

「は、はあ」

 屈託のない笑顔を見せるパーカー男の瞳は、彼と真逆で、炎のような緋色だ。歳もおそらくリカの方に近い。顔つきは少年のようだが、二十代前半くらいと思われた。

 じっと見つめていると、奇妙な感覚が湧き上がってくる。どこか懐かしいような、前に会ったことがあるような、既視感に似た感覚だ。

 リカの視線に気づいたパーカー男も、不思議そうに見つめ返してくる。

「なあ。レジーニ差し置いて口説くわけじゃねーから、あんまり深い意味はねーんだけど。そもそも俺超ラブラブな彼女いるし、君を口説いたらあいつに殺されるし、まあそれはともかく……どっかで会った?」

 リカはゆっくり、首を横に振る。それはリカ自身も訊きたかったことだ。だが、この青年とは面識がないはずである。

「そっか。そうだよな、うん、分かった」

 リカの反応に頷いたパーカー男は、それで満足したようだ。

「じゃ俺、ひと仕事しに行くから。君は逃げな。レジーニに『逃げろ』って言われたんだろ? あいつの言うこと聞いた方がいいぜ、あとがこえェから」

 それじゃ、と片手を上げて走って行く。その朗らかな姿は、これから化け物と戦いに行くというよりは、近所のグラウンドに草野球をしに行くかのような、あっけらかんとしたものだった。

 リカは、二人の男が化け物との戦場へ駆け込んで行くのを、呆然と見送った。


 レジーニ。

 パーカーの青年が教えてくれた。

 彼の名前は、レジーニ。

 リカは知らぬうちに、肩に掛けられたままのジャケットの前身ごろを握り締めていた。

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