TRACK-3 少女と異形 1
シャイン・スクエア・モールは、グリーンベイの西側にある巨大な商業施設だ。五百以上のテナントが入り、映画館とプレイランドも兼ね備える、周辺地域では並ぶもののないショッピングスポットである。
中央区には本店のシャイン・スクエア・タウンがある。こちらは本店というだけあって、支店の約1.5倍の総敷地面積とテナント数を誇り、アトランヴィル・シティの流行の発信地として、テレビでもよく紹介されていた。
流行物はたちまち拡散される。テレビに登場した新作アイテムはすぐに支店に出回り、それらを求めて新し物好きの女性たちが我先にとやってくるのだ。
リカも花の十八歳。他の女の子たち同様ショッピングは好きだ。お気に入りの店を見て回るのは楽しいし、部屋に帰ってから、買った物の包みを開ける瞬間はわくわくする。だが、流行品にはあまりこだわらない。趣味に合う服や小物がない限り、トレンドを追いかけるようなことはしなかった。
いつかの冬に厚底ブーツが流行り、周りの女子たちの身長がこぞって五、六センチ伸びた時も、リカは一足も買わなかった。そもそもリカは背が高い方だ。厚底靴など履いては、地上との距離がもっと開いてしまう。
もったいない、と言う子もいる。何がもったいないのか、リカにはよく分からない。スーに言わせると、「あんたはそれでいい」のだそうだ。そういうスーも、流行を気にしない性格である。
モールの中心は、カーブを描いて敷かれたメインアベニューである。大人が三十人余裕で横に並べる幅の広い通路を、大勢の客が行き交う景観は圧巻だ。
アベニューに沿って緩やかに弧を描く天井は、一面のガラス張りだった。日中は外光が降り注ぎ、室内に自然な明るさをもたらす。
今、天井の向こうの空はほんのりと薄く、朱色がかっている。太陽が西の地平線に沈むまで、そう時間はかからない。
人々は、両脇に軒を連ねる店舗の間を、蜜を集めるアシナガバチのように飛び回っている。リカはスーと並んでベンチに座り、クレープをほおばりながら、その様子をぼんやりと眺めていた。
土曜日は大学の講義がないので、リカはよくスーと一緒にシャイン・スクエア・モールに遊びに出かけていた。お互いのお気に入りの店を回り、時々試着してみて、ランチを食べ、クレープで締めるのが定番コースだ。
親友と一緒に何気ない時間を過ごしている時は、抱え込んだ秘密を忘れ、ごく普通の女の子でいられた。他人にとってはなんてことのない平凡なひと時かもしれないが、リカにはかけがえのない時間だった。
「ぼーっとしちゃって、何考えてんの?」
一足先にクレープを食べ終えたスーが、包みをくしゃっと丸めながら言った。ちょうど目の前を通りかかったクリーナーロボの前にそれを放ると、ロボは素早く回収して去っていった。
「何って、別になにも?」
肩をすくめてみせると、スーはにやりと笑って顔を近づけた。くせが強くてカールしたショートヘアに、好奇心の塊のようなきらきらした丸い目。顔の半分を占めそうなほに大きな、紫色したフレームの眼鏡をかけている。公園を駆け回っていた女の子が、そのまま成長してインドア派に路線変更した、という表現がしっくりくる。
「な、なに?」
スーに見つめられ、リカはややたじろいだ。
「訊くだけ野暮だったね。今のあんたの頭ン中を占めるのは、氷の王子サマ以外にないもん」
「そ、そんなことないわよ」
リカは否定の言葉で返したが、スーは明らかに信じていなかった。
「その生物学の教授、意地が悪いよ。知ってること話してくれたっていいのに。女の子の恋路を邪魔しようなんてさ、やっぱりじいさんって頭堅いわ」
「スー、それは言いすぎ。私の方が勝手なお願いしてるんだから」
「かわいい教え子が必死になって人捜ししてるってのに、協力してくれたっていいじゃんね」
スーは憤慨した様子で腕を組んだ。しかし、怒っているわけではないことを、リカは承知している。親友は面白がっているだけだ。
リカが長年捜し続けていた人物を、通っている大学の教授が知っているかもしれない。しかし、どうやらそのことを隠そうとしている。アニメやコミックが好きなスーにとって、こんなミステリアスな出来事が身近で起きれば、見逃せるはずがないのである。
「それにしても、なんで教えてくれないんだと思う? やっぱり訳アリだからかな、王子が」
「それは……」
リカは一旦言葉を切り、ゆっくりと頷いた。
「たぶん、そうだと思う。普通の人は、あまり関わっちゃいけない人なのよ、きっと」
化け物と戦っているような人物だ。一般人がおいそれと近づいていい相手ではないだろう。だからオズモントは知らないふりをした。それくらいは想像がつく。
スーが口笛を吹いた。
「すっごいね、それ。フィクションの世界の話じゃん。一昔前のトレンディドラマっぽい。捜し求めていた相手は、住む世界の違う人でしたってアレ。チープな内容だけど、確実に盛り上がる! 王子、マフィアか何かじゃないの?」
「やめてよ、マフィアなんて」
実際は、マフィアより危険な世界の住人かもしれないのだ。
眉根を寄せるリカに対し、スーは面白そうに笑い声を上げた。が、急に表情をひきしめ、じっとリカを見つめた。
「それで? そろそろ核心に触れてみない? あんたその人に会えたら、それからどうするの?」
「どうするって……」
「普通の人じゃない可能性が高い相手だよ。念願叶って会うことが出来て、その時何かあったら?」
リカを見つめるスーの眼差しは、温かくも鋭い。ふざけているように見えて、友達の悩みに真剣に向き合っている。だからこそ、あえてシビアな視点で物事を見極めようとしているのだ。
「今のあんたはちょっと夢見がちだから、記憶補正がかかって、王子が善く見えてるだけかもしれない。でも本当はどんな人なのか、何一つ分かってないでしょ。実際ヤバイ人だったらどうするつもり?」
すぐには答えられなかった。親友の言葉は続く。
「あんたが必死だったから協力したけど、王子の画像なんて探し出さなきゃよかったって、ちょっと後悔してるんだ。それがきっかけでリカに何かあったら、あたしは自分を許せなくなるからね」
「スー、そんなことない。すごく感謝してる」
リカは食べかけのクレープを片手で持ち、空いた手でスーの手を握った。
「無理を言ったのは私の方なんだから、スーには何も責任ないよ。心配してくれて嬉しい。ありがとう」
スーにだけは自分の秘密を打ち上げようかと、何度も悩んだ。スーならすべてを受け入れてくれそうな気がしたからだ。話すことが出来たら楽なのに。
だが万が一、彼女に気味悪がられ、側を離れていくようになったらと思うと、恐ろしくて言えなかった。そんなリカを、スーは疑いもせずに支えてくれる。親友を失いたくはない。
「彼に会えて、伝えたいことを伝えられたら、それで終わりよ。あの人とどうにかなりたいなんて思ってない。それこそ夢物語だわ」
スーを安心させようと、リカはつとめて明るく言った。納得したのかどうかは分からないが、スーは渋々ながら頷いた。
「だけどあたしはこう思ってる。その時にならないと、本当の選択肢は出てこない。大抵の人は、予測していた方じゃなくて、その場で出てきた選択肢を選ぶものだって」
陽が傾き、天井ガラスの向こうの空がオレンジ色に染まった頃、アベニュー中心のクロスロードでリカとスーは別れた。
一人になったリカだが、まだ自宅アパートに帰る気になれなかった。クロスロードの象徴である楕円形の大花壇の縁に腰掛け、またぼんやりと周囲を眺める。
――その人に会えたら、それからどうするの?
スーの問いが、脳内で渦を巻いている。彼女に指摘されてやっと、漠然とした考え方しかしていなかったことに気づいたのだ。
彼に会うことが出来たら、命を救ってくれたお礼を言いたい。これは間違いなかった。
ではその後は? 例の化け物について訊きたいことを訊く?
訊くことが無くなったら? 自己紹介でもし合うの? お見合いバラエティみたいに?
はあ、と小さくため息をつく。
ただ「会いたい」という想いだけを原動力に、熱に浮かされたように突っ走ってきたが、何一つ具体性がなかった。
彼に会って話が出来れば、自分自身の抱えた謎が判明すると期待していたのだろうか。それはあるかもしれない。でも、確実にという保証はどこにもないのだ。むしろ、かえって事情がこじれる可能性だってある。
スーが言ったように、彼がどんな人物なのか本当のところは分からない。命の恩人が、悪人であるとは考えもしなかった。
すべてはリカの思い込み、勝手な理想を描いているに過ぎないのだ。
「私がしてきたことって、何なんだろう」
突然足場がなくなり、崖っぷちに立たされたような気がした。
*
シャイン・スクエア・モールは三階建てで、吹き抜けになっている。建物の内側をぐるりと巡る通路からは、一階の様子がよく見えた。
両端を行き来できる通路が等間隔に設置されており、そのうちの一本は、クロスロードの斜め上にある。
パーカーを着た男とスーツ姿の男が、その通路の手摺りの側に立っていた。
パーカーの男――エヴァンは、手摺りに両腕を乗せて寄りかかり、階下のクロスロードを見下ろしていた。
隣のレジーニは手摺りに背を預け、不機嫌な顔つきで腕を組んでいる。
「なんでここまでついてきた」
顔つきにふさわしいイラついた口調で、レジーニはエヴァンに言う。
「話があるっつったら、移動中に話せって言ったのお前だろ」
「僕は“歩きながら話せ”と言ったんだ。そのまま車に乗り込んでついて来い、などと一言も言っていない」
「歩くのも移動じゃん」
「屁理屈はいい。そっちの話は車の中で済んだだろう。帰れ」
レジーニはエントランスのある方角に向け、顎をしゃくった。エヴァンはそれには従わず、いたずらを思いついた子どものような笑みを浮かべる。
「いや~~、ここで帰るのは惜しくないっすか先輩。何の用かとついて来てみりゃ、女の子を捜しにですってよ。レジナルド・アンセルムがですよ。これは、この先どうなるのか、見届ける義務があるでしょ、相棒としては。何なら彼女持ちとしてアドバイスしてやってもげっふう!」
ニヤけた猿顔が非常に腹立たしかったので、平手打ちを喰らわせてやった。
痛いと文句をのたまっている猿はさておいて、レジーニはクロスロードを見下ろす。
楕円形の大花壇に、少女が一人ちょこんと座っている。こちらに背を向けているので顔は分からない。流れ落ちる長い赤毛が、レジーニの視線を惹きつける。
花壇に座る、赤い髪の女性。
あの頃を思い出さずにはいられないシチュエーションだ。ホロホロと爪弾かれるギターの音が、耳の奥に蘇った。
オズモントから提供された情報を元に、リカ・タルヴィティエという少女の居場所を調べたところ、休日はシャイン・スクエア・モールによく行くらしいことが分かった。
密かに捜しに行こうとしていたのだが、運悪く、マンションから出た途端相棒に捕まったのが運の尽きだ。
話があるというから、駐車場へ行くまでの間に話せ、と言った。にも関わらず、ごく当たり前のように助手席に乗り込み、ここまでついてきてしまったのだ。ハイウェイで蹴り落とせばよかったと悔いている。
だが、車内でのエヴァンの話は、聞き捨てならないものだった。
下水道で正体不明のメメントと対峙し、その影響で破壊衝動にかられたこと。
さらに翌日、別の奇妙なメメントに出くわし、撃退したこと。
そのメメントはまるで、マキニアンのように身体の一部が変形したこと。
どれを取っても、目をつぶっていい内容ではない。
こんな大事な話をすぐに知らせなかった罰として、顎にストレートを決めるだけで済ませてやったのは、運転中だったからだ。
特に気になるのは、「変形するメメント」である。
以前アンダータウンの主ファイ=ローも、同じようなことを言っていた。
正体不明の組織が密かに活動を始めている。その組織には、身体の一部が変形する者がいるらしい、と。
変形というのが、マキニアンの細胞装置のようなものであれば、正体不明の組織とは〈SALUT〉の残党だと考えられる。
エヴァンの前に現れた「変形するメメント」がそいつらの差し金であれば、組織はついにエヴァンとの接触を図った、ということだ。
近いうちに、何らかの形で動きをみせるかもしれない。
だというのに、相棒の暢気さはどうだ。自分がどういう立場に置かれているのか、まったく念頭にないではないか。恋人ができたからと言って、浮かれているにもほどがある。
下水道に現れた方のメメントも気がかりだが、そちらはひとまず脇に置いておく。どちらにしても、今すぐ出来ることはなかった。
まずは今日の問題を片付けねばならない。
レジーニは手摺りから離れた。
「お前はここにいろ。願わくば帰れ」
平手打ちのダメージから回復した相棒は、緋色の目をきょとんとさせた。
「え、置いてくのかよ。あの子とどういう関係か、まだ聞いてねーぞ」
「知る必要はない」
「そんなわけにいくか。どんな子なのか、相棒の俺には知る権利がある!」
慌ててついて来ようとしたエヴァンを、レジーニは鼻先に指を突きつけて制した。その指を決然と下に向ける。
エヴァンは両手を挙げ、一歩退いた。
「ここでお待ち申し上げます」