3話
薄暗い部屋を僅かな光源が照らしている。
卓上にあるランプが、所狭しと並んだ本棚、そこに収められている多種多様に
富んだ本の背表紙を映していた。
歴史書、地理学、医学、薬学、魔術書、魔法、書精霊や魔獣の図鑑など、どれ
もこの屋敷の主人ラウ・エンデミリオンが数百年という長い年月を掛けて編纂し
たものだがそれはまさに知識の宝庫と言うべきものであった。
彼は今、それらの本や資料、羊皮紙の束を読み耽っていた。
召喚魔法の暴走、異世界からの客人である氷室龍人が現れた黒い空間について
調べていた。
薄明かりのせいか、精神的疲労のせいか、その端正な顔にはいつもより深い皺
が刻まれているように見えた。
関連がありそうな書物を片っ端から読み漁ってみたが、思った成果は得られな
かった。
瞼を閉じ、目頭を指で押さえるような仕草をし、ぽつりと呟いた。
「やはり、皆目見当もつかんの…」
彼の著書によると、魔法とはこの世にある「魔素」や、体内にある「魔力」を
操り目的とする現象を起こす術のことであり、これはこの異世界テラの住人なら
当たり前に知っている知識の一つであった。
魔法の暴走に関しても、、魔法使いなら必ず一度は経験する失敗の一つだった。
初めて使用するなど、術に不慣れであることや、魔力の過不足が原因で起こる事
象のことで、これもまた、ポピュラーな知識であった。
暴走といっても、魔法が失敗し暴走したとしても、その魔法が術者の制御を外
れて周りに被害を与えるといった事にならず、魔力が少な過ぎれば魔法自体が発
動しない結果に終わるか、多すぎれば魔法は正常に発動するが無駄に魔力を消費
するといった程度で、どちらにしても術者が無駄に魔力を消費するのは変わらな
い。
その無駄に消費した行き場のない魔力が、制御不能になり身体から奔流の様に溢
れ出るのだが、被害は無いに等しい。
正しく表すなら、魔法の失敗による魔力の暴走であるが、例外もある。魔法を
使用するには正しい手順があり、未熟な術者が自己流の誤った手順で魔法を使用
したり、力の方向性が定まらない状態で術が発動してしまった場合、つまり魔力
制御が未熟だった場合は非常に危険な状態となる。この場合は文字通り暴走状態
になり使用した魔力の限り無差別に術者本人と周囲に被害をもたらす結果となる。
魔法という力のあるこの世界では、正しくない術の行使は危険とされ、やって
はならない行為の一つとして認識されていた。
自ずと、魔法使い達にとって魔力制御は重要視され、魔法を学ぶ際は最初に
魔力を制御することから始まる。魔法を極めることは魔力を制御することと同義
であり現在もこれは変わっていない。
魔導の王とまで言われたラウの召喚魔法の暴走。黒い空間。
数多くの書物を集め、編纂してきたラウであったが、黒い空間に関する記述は
見付からず、龍人を召喚してしまった要因は、突如発生した黒い空間と、召喚
魔法の暴走であると考えては見たものの、その経緯、原因究明には至らず、こ
の前代未聞の事象に対し解決の糸口を見付けることは出来なかった。
「わしに出来ることなら何でもする…か」
(時間は限られておる。果たして、彼奴がどのような答えを出すか…しかし、魔
法がなく科学という学問が発展した世界から来た…か)
ラウは異世界人の龍人が語った地球の話に非常に興味が湧いた。
彼の話した、映像が流れるというテレビ、遠くの人と会話が出来る携帯電話
時刻が狂うことのない時計、自動車、空を飛ぶ飛行機等、魔法がない世界と言
ったがラウはテラの人間からすればそれこそが魔法だと感想を持つだろうと考
えた。
龍人がテラに召喚された時の服装は、上着は作業着、下にスーツのズボン
持ち物は頑丈な作りの全世界で愛用されている大手メーカーのデジタル時計
スマートフォン、財布と、ほとんど何も持っていなかった。
地球の話になると、龍人が着ている服は上等なものなのか?腕につけている
それはなんだ?と 興味が尽きない様子だった。ラウが興味を示した時計や、ス
マートフォンを実際に操作させてみたり、写真やムービーを撮ったところ大変
に驚いたようで「ここ数百年で一番の驚きだ、異世界の魔法は凄まじいの」
などと冗談を言った。
テラには魔道具と言われるものがある。魔石と言われる特殊な石に術式を
刻み魔法と変わらない効果が得られる画期的な道具であったが、その特殊な
製法と貴重品である魔石を使って作られることで非常に高価な代物であった。
裕福な家に一つの魔道具があるか無いか程度の普及率だったが、地球では
自動車や、身につけている時計、スマートフォンなどは、ほとんどの人間が当
たり前に持っているということ義務教育という制度があること、人口の多さ
街並み、聞けば聞くほど文明の高さ科学という力の凄まじさを感じた。
テラは龍人がいた地球のような安全な世界ではなかった。森や山奥といった
人気がない場所には魔物や、魔獣といった危険な生物がいたり、街道にも盗賊
がいる。
国同士で戦争などしていた場合は治安も相当悪くなる。知らないで立ち寄っ
てトラブルに巻き込まれたり最悪は戦火に巻き込まれることまで考えられる。
ラウは龍人に危険なこのテラで生きていく術を教えなければいけないと考
えていた。
龍人がここから離れるにせよ、ここに留まるにせよ自衛の手段は持ってお
かねばならない。
(今まで数多くの弟子を取ってきたが異世界人は初めてだ。長い人生の中で
こんなこともあってもいいだろう)
魔導の王とまで言われたラウから、直々に指導されることが魔導を往く者
達にとってどれほど名誉で、どれほど憧れることであったかを知る者はもう
少ない。
こうして龍人は自身が知らない間に魔の深淵に最も近づいたと言われる魔
導の王ラウ・エンデミリオンの弟子となった。




